富山県で独自に進化!
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「かまぼこ」を掘り下げてみる
目にも楽しい細工かまぼこは、富山の県民性とも関係が!
ご馳走として広まったかまぼこだが、それでも巻きかまぼこはどちらかというと日常のもの。
一方の細工かまぼこはハレの日の特別な存在だ。
細工かまぼこは明治から大正にかけて、
おそらく関西から入ってきたのではないだろうかと奥井さんは言う。
「お吸物に入れていたかまぼこに、だんだんと飾りをつけるようになって、
それが自然に発展していった、そんな感じだったのではないでしょうか。
それが関西からも近い富山にも伝わってきたのではないかと考えられます」
めでたいときのご馳走として登場する細工かまぼこは、
富山に根づき、より華やかなものへと進化していく。
祝宴の引き出物に登場する「金花糖」という、鯛などをかたどった砂糖菓子があるが、
富山ではそれがかまぼこになった。

芸術品のような細工かまぼこ。(写真提供:梅かま)
細工かまぼこは富山以外にもあるが、
ここまで盛んにつくられ、独自の進化を遂げた地域はほかにはない。
より華やかなで大きなものをつくり、人生の晴れ舞台を飾りたいと思う人々がそうさせた。
「職人は毎日つくっていますが、使う人は人生で一度きりのもの。
失敗は許されませんし、より華やかなものをつくって差し上げたいという職人の思いが、
細工かまぼこづくりの技を進化させたんです」(奥井さん)
しかし、この細工かまぼこが盛んにつくられるようになったのは、
戦後の高度経済成長期の頃からというから、意外と最近の話でもある。
では、なぜ盛んにつくられるようになったかというと、
そこには富山の県民性とも密接な関係があった。

緻密な細工が施された「紅白かまぼこ」。(写真提供:梅かま)
細工かまぼこが富山の文化と時代にマッチ
「かまぼこの材料は、かつては近海でとれた白身魚の、
カマス、キス、グチなどを使っていましたが、安定してとれるものではありませんでした。
昭和30年代に、船の上で冷凍のすり身を加工する技術ができ、
材料が安定してくると、かまぼこの生産量が急激に増えたのです」(奥井さん)
ちょうど、日本が高度経済成長期を迎え、人々の暮らしが豊かになってきた頃。
祝宴も一層豪華になり、華やかな細工かまぼこも存在感が増していった。
なかでも人気となったのが、引き出物だった。

梅かまで扱う一番大きな鯛がこの15号というサイズ(26,892円/写真はサイズ確認用の木型)。昔にくらべると注文が少なくなったとはいえ、年間40〜50個は出るという。
富山では、お祝いの席に呼ばれた人が、引き出物をご近所に配る
「おすそ分け文化」を大切にしてきた。
うれしいできごとは、なるべく多くの人と共有したい。
おすそ分けには、モノと一緒に幸せもシェアできればという、
すてきな思いが込められている。
そんなとき細工かまぼこは分けやすくて好まれ、引き出物の定番となっていったのだ。

切って分けやすいことから人気となる。いただいたかまぼこは、そのまま食べてもいいが、焼くとおもちみたいな食感になってさらにおいしい。おでんや酢の物など、いろいろな料理の材料としても使われる。
「ただ、ひとつ問題がありまして、鯛のかまぼこを切り分けてご近所に配るときに、
どこの家を尾っぽにするか? これが悩ましいことなのです。尾っぽをもらった家が
『うちは尾っぽか?』って思わないか、気をつかうんですよ」(奥井さん)
しかし、時代とともにご近所づきあいが薄れてきて、配り先を失った大きな鯛は、
だんだん出番が少なくなってきた。
text&photograph
Web:豆本工房わかい