連載
posted:2012.12.12 from:岡山県岡山市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
東京での編集者生活を経て、倉敷市から世界に発信する
伝説のフリーペーパー『Krash japan』編集長をつとめた赤星 豊が、
ひょんなことから岡山市で喫茶店を営むことに!?
カフェ「マチスタ・コーヒー」で始まる、あるローカルビジネスのストーリー。
writer's profile
Yutaka Akahoshi
赤星 豊
あかほし・ゆたか●広島県福山市生まれ。現在、倉敷在住。アジアンビーハイブ代表。フリーマガジン『Krash japan』『風と海とジーンズ。』編集長。
寒い。とにかく、寒い。岡山駅からほんの10分歩いただけでカラダが芯まで冷えた。
午前10時ちょうど、マチスタに到着。鍵を開けて店内に入る。
すぐにアンプとCDのスイッチをつけると、無音だった空間にジャズが流れ始めた。
そこでようやく斜めがけしたバッグを肩からはずし、
前日にのーちゃんからもらったメモをフリースのポケットから取り出した。
その一枚目には<OPEN準備>として、
「ポットの湯を沸かす」、「おつりをレジに入れる」など、
7つのポイントが書かれてあった。開店の時間まで約1時間。
ぼくは上衣を脱いでハンガーにかけ、
まずは暖房をつけようと、エアコンのリモコンを探した。
が、ない。広い店じゃないのですぐに見つかりそうなものだけど、
それがどこを探してもない。
もちろん、のーちゃんのメモにもリモコンの場所なんか書かれているはずもなかった。
寒っ……。
12月8日土曜日。その日、ぼくは初めてマチスタにひとりで立つことになっていた。
4月のオープン以来、出張イベントではたびたびコーヒーを淹れてきたけど、
母体のマチスタでは一度もない。
厨房の内側に入ることも滅多になく、ジンジャエールの栓さえ開けたことがなかった。
不安はもちろん少なからずあって、
当日までに何度かマチスタに来て練習させてもらおうと思っていたんだけど、
たちの悪い風邪をひいてしまい、結局前日の午前中に一度店に来たきりだった。
でも、そのときにのーちゃんが渡してくれた前述のメモが実に簡潔で要点を得ていて、
おかげでぼくの不安はかなり軽減していた。
リモコンはなんとシンクの目の前、
壁から吊るしているフライパンの横に取りつけられていた。
台ふきんを洗っているときにたまたま見つけて、たまげた。結構トリッキーだ。
スイッチを入れ、ようやく店が暖かくなり始めた矢先、
最初のお客さんがやって来た。
その50代の女性は、まだ看板もなんにも出していないのに、
店に入るなり「寒いわねえ!」と言って窓側のカウンターに腰を下ろした。
時計を見ると、午前10時50分。開店までまだあるが、お湯も沸いていることだし。
それに彼女、すでに上着を脱いで落ち着いている感じだ。
「あの、看板出したりしますので、少しだけお時間いただいていいですか?」
「どうぞごゆっくり。やることをやってからでいいのよ、
それから美味しいコーヒーをちょうだい」
ぼくは看板とホットドッグのポップを表に出してから、手を洗って、
<キッチンエイド>のミルで豆を曳いた。
コーヒーのなんともいえずいい匂いが、一瞬にして店にたちこめる。
彼女のオーダーはストロング(深煎り)だった。
「この店はよくご利用いただいているんですか?」
「それが今日初めてなの」
「てっきり、よく来られてるのかと思いました」
「自転車でよく前を通っていて、いつも気になってたの。
今朝は家でコーヒーを飲みそこねたから、絶対外で美味しいのを飲もうって。
タイミングがよかったのよね」
その女性は30分ほど、ゆっくりとコーヒーを飲んで、
「美味しかった。またうかがわせてもらうわ」と嬉しい言葉を残して帰って行った。
彼女が帰ってすぐ、ぼくはブレンドコーヒーを淹れ、
ホットドッグも作って早めの昼食(代金650円は自分でレジに入金、売り上げ貢献です)。
コーヒーはいわずもがな、ホットドッグも久々に食べたけど実に美味かった。
これなら合格、自信をもって出してよし!
と、そこへ大学生風の若い女性がひとりでふらりと入って来た。
彼女はついさっきぼくが食べたと同じセット、
ブレンドとホットドッグを注文してからカウンター席で文庫本を開いた。
悪くないペースだ。慌ただしくなく、かといってヒマをもてあますでもなく。
外は相変わらず風が冷たそうだけど、
店の中は太陽の光も適度に入って、ぽかぽかと暖かい。
気を抜くと眠気をもよおしかねない、そんなのんびりとした時間が流れていた。
しかしまさかそのときは、その後2時間半もの間、
お客さんがただのひとりもこない魔の時間帯がやって来ようとは思いもしなかった。
11時の開店から3時間以上経過して、これまでお客はたったのふたり。
ぼくのランチ650円分を入れても、売り上げは2000円にも届いていない。
しかも土曜日は営業が午後6時までなので、うーん、ヤバい。
売り上げの最低記録を経営者自らが更新してしまうかも。
といって、焦ってもお客が来るわけじゃないので、
「マチスタにあったらいいな什器」のデザイン画を
4色ボールペンで描いたりして時間をつぶした。
1時間ぐらいがあっという間だった。
やっぱりもつべきものは友達かな。
長い長い午後の沈黙を破ったのは、
玉野市で活動しているアーティストの友人たち4人。
ぼくがこの日、初めてマチスタの店番をしているというのを聞いて、
わざわざ寄ってくれたのだという。
しかも彼ら、わかってらっしゃる。
4人がそれぞれ違うメニューをオーダーしてぼくを混乱させることもなく、
みんな同じくブレンドを注文してくれたのだった。
一杯300円のコーヒーが4杯だから、売り上げにして1200円。
でも、この1200円は数字以上にデカい。
彼らが帰った直後、のーちゃんが休日というのに店に寄ってくれた。
「どうですか?」
「うん、なんとかやってる。売り上げはよくないけどね」
久々に母親に会ったような、
嬉しさとか懐かしさのようなものとかいろんな感情がこみあげてきた。
彼女の存在の、まあ頼もしかったこと。
彼女がいる間に、5歳ぐらいの男の子を連れたお母さんがやってきた。
お母さんはコーヒーとホットドッグを注文し、
子どもが小さな声で「マ……スペヒャ」。ぼくの隣でのーちゃんが通訳のようにして言った。
「マチスタスペシャルです。よく来られて、いつも注文するんです」
マチスタスペシャルとはバナナモカシェークのこと。
レシピは頭にあるが、なにせ作るのは初めてで、
できればシンプルにバナナジュースとかにしてほしい。
目の前で子どもがぼくの顔を食い入るように見ていた。
「マチスタスペシャルがいいんだ?」
「……うん」
「マジで?」
子どもが下から見上げるようにして軽くうなずいた。
「じゃあ、私がホットドッグとマチスタスペシャルをつくりますから、
赤星さんはコーヒーをお願いします」
ひとりだったら間違いなく混乱していたであろうこの日初の難局が、
このようにして乗り越えられていった。
のーちゃんが帰った後も閉店の6時まで、お客さんは途切れることなくやってきた。
京都にいるトーマスが息子のレイくんを連れてきてくれた。
奈良で看護師をやっている友人や、
岡山で一緒に『Krash japan』のウェブを作っていたフジワラくんも来てくれた。
おかげで夕方からの店内はバタバタと慌ただしく、
売り上げも8000円を超えるところまで盛りかえすことができたのだった。
厨房に立ってみないとわからないことがたくさんある。
今回、ひとりで店を切り盛りしてそう思った。
というか、マチスタの今後のためにもぼくはもっと店に立つべきだろう。
さしあたって、12月22日の土曜日、再度ぼくが店に立つことになっている。
Shop Information
マチスタ・コーヒー
住所 岡山県岡山市北区中山下1-7-1
TEL なし
営業時間 月〜金 8:30 ~ 20:00 土・日 11:00 〜 18:00
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