連載
posted:2017.3.7 from:神奈川県足柄下郡真鶴町 genre:食・グルメ / アート・デザイン・建築
sponsored by 真鶴町
〈 この連載・企画は… 〉
神奈川県の西、相模湾に浮かぶ真鶴半島。
ここにあるのが〈真鶴半島イトナミ美術館〉。といっても、かたちある美術館ではありません。
真鶴の人たちが大切にしているものや、地元の人と移住者がともに紡いでいく「ストーリー」、
真鶴でこだわりのものづくりをする「町民アーティスト」、それらをすべて「作品」と捉え、
真鶴半島をまるごと美術館に見立て発信していきます。真鶴半島イトナミ美術館へ、ようこそ。
writer profile
Shun Kawaguchi
川口瞬
かわぐち・しゅん●1987年山口県生まれ。大学卒業後、IT企業に勤めながらインディペンデントマガジン『WYP』を発行。2015年より真鶴町に移住、「泊まれる出版社」〈真鶴出版〉を立ち上げ出版を担当。地域の情報を発信する発行物を手がけたり、お試し暮らしができる〈くらしかる真鶴〉の運営にも携わる。
photographer profile
MOTOKO
「地域と写真」をテーマに、滋賀県、長崎県、香川県小豆島町など、日本各地での写真におけるまちづくりの活動を行う。フォトグラファーという職業を超え、真鶴半島イトナミ美術館のキュレーターとして町の魅力を発掘していく役割も担う。
「ピザ屋ができるらしい。それも、どうやら移住したての若い夫婦がやるらしい」――。
神奈川県の小さな港町真鶴で、その噂はすぐに広まった。
2016年11月に駅から少し離れた場所で工事が始まると、
翌月17日にあっという間に開店した。
「移住したての若い夫婦」が始めたにもかかわらず、
そこにはまちにあるさまざまなお店から開店祝いの花が並べられた。
まるでみんながこのピザ屋を待ち焦がれていたようだ。
それに来店するのは若者だけではない。
子どもからおじいちゃん、おばあちゃんまで世代を超えてやってくる。
高校生が学校終わりに来ることもある。こうしてあっという間に
「まちの食堂」のひとつに仲間入りしたのが、〈真鶴ピザ食堂ケニー〉だ。
「どんな人でも、ちびっこたちからおじいさんまで
来てもらえるお店にしたかったんです。ピッツァじゃなくて『ピザ』。
トラットリアやピッツェリアじゃなくて、『食堂』っていう感じ」
そう語るのは夫婦でケニーを運営する向井日香(にちか)さんだ。
向井さんたちは2016年6月に真鶴に移住してきたので、
移住からわずか半年足らずでお店をオープンしたことになる。
お店のメニューを見ると、干物を乗せたピザや
塩辛を使ったパスタ、うつぼのアヒージョなど、
普通のイタリアンレストランではまず見ないであろう素材が並んでいる。
「まちに根づいてやっているお店の店主さんとつながれることが、
使わせてもらうことだったんです。
まだここに越してきて浅いですが、自分たちがいいなと思ったまちの特産品を
『こういう食べ方もあるんだ』っておもしろがってくれたらいいなと思っています」
シェフを務める向井研介さんはそう語る。
外には暖簾をかけ、店内にもスケートボードを飾るなど、
レストランというよりやはり食堂の雰囲気だ。
「都内にいるときは店構えも内装もしっかりしたところでやっていたんです。
でもそうするとそれだけで踏み入れる客層が決まっちゃうんですよね。
自分たちがかっこいいなと思うイメージと、お客さんが入りたいなと思うイメージを
すり合わせたところがいまの感じだったんです」
生地は、国産小麦100%で毎日手ごねでつくっているという。
実際にピザを食べてみても食感がよく、具だけでなく生地の味もしっかりと楽しめる。
ピザ以外も「サバのみりん干しとマッシュポテト」など
意外な組み合わせが多く驚くが、食べてみるとその組み合わせに納得する。
この驚きもここに人が集まる理由のひとつかもしれない。
福島県に生まれた研介さんは、「山と田んぼしかない」田舎町の
居酒屋を営む家で育った。まちで人気の居酒屋だった。
「父親が、マスター!マスター! って呼ばれてるんですけど、
なんでマスターって呼ばれてるんだろうって思っていました。
いまや自分がたまに呼ばれるんですけど(笑)」
親の姿を見ていて、大人になったら自分もそうなるだろうと、
その姿しか想像できなかった。福島県郡山市のカフェで働いていたとき、
系列店への異動で東京に呼ばれた。それが21歳のときだった。
しばらくしてその会社を辞めたあと、別の会社で約6年、
イタリアンやビストロなどの飲食店の立ち上げに料理担当として関わった。
そして、吉祥寺のレストランで働いていたときに日香さんと出会った。
一方、埼玉県郊外の住宅街で育った日香さんは、
高校を卒業して文化服装学院に進んだあと、
ウエディングドレスをつくるアトリエに入った。
そこで、装飾担当として髪飾りや刺繍をしていた。
そんななか、二十歳のときに働きながら参加した造花教室をきっかけに、
造花に可能性を感じるようになる。最初は趣味として造花を始め、
2013年からは飲食店でアルバイトをしながら「造花作家」と名乗り活動を始める。
はじめに千駄木にあるカフェ兼ギャラリーの〈HAGISO〉で小さな個展を開いた。
それが美術館ショップのオーナーの目に止まり、
東京丸の内の〈三菱一号館美術館〉でも展示販売を行った。
順調に作家としてのキャリアを積んでいるように見えるが、
ある言葉を機に移住を考え始めたという。
「当時は都内の小さなアパートで、キッチンにブルーシートを敷いて
制作していたんです。しかも週5日飲食店でアルバイトをして、
休日に制作活動をして、結構大変で。
ある日、昔のウェディングの職場の手伝いをしていたら、
『目が弱ったね』と言われたんです。
造花の制作は、何もないところから作る必要があるんですが、
発想したり考えたりする力が弱まってしまったみたいで。
私は環境に流されやすいタイプなので、
一度、環境を変える以外手段がないなと、移住を考え始めました」
研介さんも、日香さんとの結婚を機に移住を検討し出す。
「もともとずっと福島に戻りたいと思っていたんです。
もちろん自分の家族もいるし、友だちもいる。
だけど一番大事なのは自分がつくる家族だから、
その家族がより過ごしやすいところがいいなと思って、福島以外でも探し始めました」
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移住先を探し始めたふたりは、全国各地のさまざまな場所を訪れる。
しかし、なかなかピンとくるところがない。
「ここが違ったらあきらめて都内で探そう」、そう思って訪れたのが真鶴だった。
日香さんは真鶴の魅力についてこう語る。
「景色にすごく惹かれて。あとはまちのコンパクトさも。
大きすぎず、魅力がギューっと詰まった感じがよくて、一目惚れで……。
初めて来た日は大雨だったんですけどね(笑)」
研介さんの決め手は、「人」だという。
「真鶴に来た初日にあるカフェに行ったときに、
偶然そこに草木染めをやられている方たちがいたんです。
日香がそこで楽しそうにしゃべっているのを見て、友だちができたから
もう大丈夫だなって思って。それが一番大きかったですね」
最初は、「3年ぐらいしてから」自分たちでお店を始めようと思っていた。
研介さんもそのつもりで隣の小田原市のレストランで働き始める。
なぜそれが半年後に早まったのか。日香さんは言う。
「飲食店だと拘束時間が長くて、朝早く出て終電で帰ってきて、
という生活を送っていたんです。せっかく真鶴に引っ越してきたのに、
東京と変わらない生活で。それでは意味ないなと物件を見始めたのがきっかけです」
港の周りや商店街、いろいろ探したあとに、いまの場所を見つけた。
研介さんが11月初めに小田原のお店を辞め、約1か月半でオープンした。
それはなにも簡単に準備できたからではない。
すぐに始めないと金銭的に余裕がなかったからだ。
そんななか、ふたりを助けてくれたのが真鶴町の商工会だった。
お金の借り方から始まり、ガスも電気も水道も紹介してもらった。
そして何よりも、まちとのつながりをつくってくれた。
「商工会に入るっていうことが、まちの中にぐっと入ることだったなって思いますね。
びっくりするぐらいいろんな人が『商工会入ったんだね』って言ってくれて。
頭が上がらないぐらいたくさん手伝ってくれました」(日香さん)
お店を初めて2か月弱。最初の2週間は失敗ばかりだったというが、
ようやくお店を回すのにも慣れてきた。大変なのは東京にいたときと変わらない。
朝から深夜まで働かないといけないし、生活の保障があるわけでもない。
ただ、働いた分全部自分たちに返ってくることに充実感を感じるという。
「ふたりきりになって、あれもこれも、全部自分たちの力でやるのは
大変だなと思います。でもその分、自分たちだけだからこそ、
うれしいことも全部自分たちのものなんです」(研介さん)
「たとえすごく売上があった日でも、お客さんと仲良くなれなくて、
ダメだったなって思う日があったり、逆に売上が少なくても、
すごくいい出会いがあっていい営業だったなって思える日がある。
売上云々じゃないところは大きいですね。
つながりがダイレクトに自分たちの財産になるんです」(日香さん)
自分たちの住みたい場所に住み、使いたいように時間を使う。
ふたりは真鶴に来て、「理想の生活」を手に入れたという。
日香さんはそれを「積み重ねられる生活」だと表現した。
「ここなら家族っていうものを積み重ねられる場所だと思うんです。
忙しいけど、全部自分の使いたいように時間を使えるので、
時間をとられている感じがしない。ありがたい忙しさというか。
自分たちが欲しかった時間と環境を手に入れることができたので、
あとはこれからいっぱいこれを積み重ねていきたいと思っています」
研介さんも同じように、「今後をイメージできる生活」だと言う。
「都内にいたときは、結婚して、子どもができたらっていうのを
イメージできなかったんです。いまは今後をイメージできるから頑張れますね。
子どももそろそろ欲しいなと思っているし、そのために今後スタッフを雇えるよう、
なんとかそういう環境をつくれたらなと思います」
「まちの食堂」は、かっこいい内装とおいしい食べ物を用意しただけでは成り立たない。
そこに集まる人たちがいて、そこに通う人たちがいて初めて「まちの食堂」になる。
理想の生活を手にいれたふたりは、まちの人たちに助けてもらいながら、
ようやくそのスタートラインに立った。
これからどんな「まちの食堂」になっていくのか。
真鶴ピザ食堂ケニーの今後が楽しみだ。
information
真鶴ピザ食堂ケニー
住所:神奈川県足柄下郡真鶴町岩268-8
TEL:0465-68-3388
営業時間:11:30〜14:30 LO、17:30〜21:00 LO
定休日:不定休
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