瀬戸内国際芸術祭2013、あつい夏会期始まる

肥土山で展開するふたつの作品。

いよいよ先週末から夏休み。
そして、瀬戸内国際芸術祭2013(以下、瀬戸芸)の夏会期が始まりました。
気候的にも気分的にも“あつい”1か月半の始まりです。

今年の瀬戸芸は、春夏秋と3つの会期に分けて開催。
3会期を通して展開される作品やイベントもありますが、
春会期で終わってしまったエリアや作品、逆に夏会期から新たに加わるものもあります。
小豆島での瀬戸芸は、夏会期から新たに福田地区が加わり、各作品もパワーアップ。
夏休みはもともと観光シーズンということもあり、たくさんの人が島を訪れそうです。

まぶしいほどの青い空と緑の田んぼが広がる夏の肥土山地区。

私の暮らす肥土山(ひとやま)地区の夏会期は、
ニューヨーク在住の長澤伸穂さんの「うみのうつわ」と、
岐阜県の大学の先生でもある齋藤正人さんの「猪鹿垣の島」の2作品が展開。
両作品とも春会期からかたちを変え、さらに面白いものになっています。

「うみのうつわ」は、全長約4メートルの大きな船が登場。
ステンレスワイヤーとメッシュでフレームワークが作られ、
タペストリーのように織られた光ファイバーが船体に施されています。
この船、実際にひとりずつ乗れます。
天井から吊るされた船に乗ると、揺り籠のようにゆらゆらとし、
その動きに合わせるかのように光も白から紺碧色へとゆっくりと変化します。

真っ暗な室内に浮かぶ光る船。
海に浮かんでいるような、お母さんのお腹の中にいるような、
そんな不思議な感覚を楽しめます。

船体に施された光ファイバーによって美しく光る「うみのうつわ」。

船のドローイングも展示されています。

アーティストの長澤伸穂さんと。こんなふうに作家さんとの距離が近いことは瀬戸芸の嬉しいところ。

「うみのうつわ」が展示されている旧JA(農業協同組合)の倉庫。

そして、うみのうつわが展示されている旧JA(農業協同組合)の倉庫から
歩いて5分ほどのところにある「猪鹿垣の島」。
小豆島には、約200年前に築かれたとされる猪鹿垣(ししがき)が各地に残っています。
その文字の通り、猪と鹿から畑の農作物を守るために築かれた“山の防波堤”。
当時は全島をほぼ一周する約120キロの猪鹿垣があったそうです。
現在は、崩落したり、ダム建設により消滅したりしていますが、
その復興をねらい、修復をしつつ、道祖神や魔よけを組み入れたり、
陶の作品を展示したりするのが、この「猪鹿垣の島」という作品。

夏会期からは、瓦を使った猪鹿垣が新たに作られています。
この瓦は古い民家の瓦を一軒分すべて使用したそう。
うちの隣の家から、保存されていた瓦が運び出されていました。
こういう地域に眠っている資産を使って作る作品はなんだか嬉しい。

夏会期から新たに作られた瓦を使った猪鹿垣。

田んぼから眺める「猪鹿垣の島」。山と里との境界。

この「猪鹿垣の島」の奥に小さな展望台が作られているのですが、
ここからの風景がとても美しい。
猪鹿垣から集落を眺める。
猪や鹿は、猪鹿垣の山側からこんなふうに集落を見ているのかな。

「猪鹿垣の島」の奥にある展望台から眺める肥土山集落。

「猪鹿垣の島」近くの田んぼのあぜ道を歩く。作品とあわせて肥土山の風景も楽しめる。

夏会期、本当にいろんな意味であついです。
気候的な暑さに対しては十分対策が必要。
外を歩くことが多いので、帽子や日傘などは必須です。
それと、都会のようにすぐコンビニやカフェがあるわけではないので、
水分は常に携行しておいたほうがいいですね。

そして、気分的な熱さ!
こっちについてはテンションあげて、
瀬戸芸夏会期&島の夏を思う存分楽しめればと思います。

テーマパークのような 札幌「真駒内滝野霊園」。 京都・三十三間堂のモアイ像版!

いま北海道を旅している、ラジオパーソナリティの石澤のりこさんから
タレコミ情報を頂きました。

モアイ像といえば、チリ領のイースター島にある巨大な彫刻ですが、
なんと札幌にもあるそうです!

その場所は真駒内にある墓地、滝野霊園。
「三十三モアイ地蔵」として、正面入口に33基のモアイ像が立ち並んでいます。
大きいものは高さ9.5m重さ120tにも及ぶビッグスケール。
京都の三十三間堂とモアイがミックスされたのでしょう。

滝野霊園さんいわく、このモアイ像が建設されたのには
「モアイの「モ」には未来「アイ」には生きるという意味があり、
皆様の生きた証を後世へ永遠に伝承できるように建てられました」
という理由があるそうです。

霊園内には、他にも鎌倉大仏やイギリスの遺跡「ストーンヘンジ」のレプリカがあります。
おもしろテーマパークとしても楽しめそうな霊園なのです。

真駒内滝野霊園

イタコに会える!現世と来世をつなぐ青森県むつ市の「恐山大祭」

青森県の「恐山」で、夏の一大イベント「恐山大祭」が始まりました。
比叡山、高野山とともに日本三大霊山に数えられる恐山。
大祭では三途の川から僧侶たちが
古式ゆかしい駕籠行列を行う「上山式」や、
「大般若祈祷」、「大施餓鬼法要」などの儀式が行われ、
たくさんの人が訪れます。

大祭の中でも一番人気は、死者の霊を呼び起こし、
故人と対話が出来るというご存知「イタコの口寄せ」。
大祭のために、青森じゅうのイタコが恐山に集結します。
境内にはイタコ小屋が立ち並び、ときには5〜6時間の待ち時間もあるとか。
いまでは、恐山においてはこの大祭の時でないとイタコの口寄せが
行われないのだそうです。
恐山大祭、ちょっと気になるお祭りです。

恐山大祭

お父さんとマチスタ

閉店まであと3日——————

わたしの名前はチコリ。としは2歳半、今年の春から保育園に通ってる。
保育園が好きかどうかはちょっと微妙。
先生はすごく好きだし、水遊びとか盆踊りの練習は楽しいんだけど、
わたし、言葉があまりうまくないから。
クラスのほかの子は結構おしゃべりができて、先生ともよくお話ししてる。
でも、わたしはできない。家にいるみたいに話せない。
話しかけられても、いつも黙ってるだけ。
だから、保育園が好きかどうかは微妙で、
ときどきむしょうに行きたくなくなる。今朝がそれだった。
起きてから、わけもなく何回も泣いた。
こんなにアピールしているのに、お母さんは、わたしの頭が臭いと言って、
泣いているわたしを無理にお風呂に入れた。
お風呂のドアの外で、お父さんの「行ってくるね」という声が聞こえたから、
もっと大声で泣いた。
それでもお父さんは行っちゃうし、お母さんといったらさらに容赦ない。
わたしのカラダを洗い終わったと思ったら、
泣きわめいているわたしの頭にシャワー攻撃だ。頭を洗うのいやだ! 
保育園いやだ、もうなにもかもいやだ! 
そのとき、玄関のあたりでがちゃがちゃ音がして、お風呂のドアが開いた。
さっき出かけたはずのお父さんが立っていた。どうしたの、とお母さん。
「チコリの泣き声が100メートル先まで聞こえた」
「………?」
「チコリを連れて行こうか」
「……大丈夫?」
「うん、あと残り1週間だし」
「そうだね」
「チコリ、行くか?」
のどの奥の方がけいれんして苦しい。言葉にならない。
「チコリ、とうと(お父さん)と一緒にマチスタ行くか?」
マチスタ行く! そう答えようとしたけど、また言葉にならなかった。

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五十も近くにもなって初めて子どもをもったからだと思う。
どういうわけでこの子が我が子として目の前に存在しているのかを
わりと頻繁に考えていた。
そして考えるたび、なんの答えも出ないままに、
疑問はいつもチコリへの感謝の気持ちにすり替わる。
どういうわけで我が子どもとして目の前に存在しているのかわからないんだけど、
とにかくオレのところに生まれてきてくれてありがとうな、という具合だ。
チコリが1歳3か月のときのことだ。
井原市にあるカフェに行った帰り道、
ぼくは車の後部座席で例の「この子がどういうわけで————」を考えていた。
チコリはぼくの隣でカラダをあずけるようにしてすやすや眠っていた。
そして例のごとく、チコリへの感謝の気持ちにたどり着いたわけだが、
そのときは思わずそのまま口にした。
眠っている1歳のチコリに向かって、
「オレのところに生まれてきてくれてありがとう」と言ったのだ。
それからの数秒の出来事は、現実にそれが起こったのか、
あるいは夢を見ていたのかはっきりとしない。
ぼくの言葉が終わるとほぼ同時だった。
眠っていたはずのチコリがぱっと目を覚ました。
そして、座席の上にすっくと立ち上がったかと思うと、
無言のままぼくのカラダに両腕を回して唇にキスをした。
チコリは唇を離すと、またぼくの隣に腰を下ろし、
さっきまでと同じ姿勢で眠りはじめた。
あれ以来だ、チコリがどういうわけで我が子として存在しているかの理由を
考えるのをやめたのは。

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マチスタには何回も行ったことがあるけど、
お父さんとふたり電車に乗って行くのは初めて。
お父さんは電車が好きなわたしのために、
普段は乗らない路面電車にも乗せてくれた。
マチスタは久しぶりだった。
お父さんは掃除が終わってしばらくして、アイスココアをつくってくれた。
お父さん、こぼすなよとか、ちゃんと両手でとか、いちいちうるさい。
あんまりうるさいものだから緊張してココアをこぼした。
でも大丈夫、デイパックに着替えが入ってるから。
新しいワンピースに着替えたら、お父さんといつものマチスタごっこ。
レジの前に座るのはわたし。家にあるおもちゃのレジより断然こっちの方がいい。
キーをたたいても音は出ないし、お金も出てこないけど、
やっぱり本物は気分があがる。
お父さんは、なんだかなあといつものようにつぶやきながらも、
いつものようにお客さん役をやってくれた。
「じゃあ、マチスタブレンドをひとつと、バナナジュースをください。
あ、バナナジュースはテイクアウトでお願いします」
「はーい!」
「それから、深煎りの豆を100グラム、豆のままでいいです」
「はーい!」
今日はお昼までマチスタにいたけど、お客さんがほとんど来なかった。
正確にいうとふたりだけ。
でも、お父さんは迎えに来たお母さんに「かえってよかった」と言っていた。
どういう意味か、わたしにはわからない。
お父さん、今度はいつマチスタに連れていってくれるかな。

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マチスタ閉店の日まであと3日。
この日曜日に裏のおばあちゃんの家に行って閉店を伝えたら、
「さびしくなるじゃないの」と言われた。

岡電の路面電車に乗ってマチスタまで。電車は見るのも好きだけど、乗るのはもっと好き。

本物のレジはやっぱりいい。この場所に座ったらいつも30分は動かない。しまいにはお父さんが「お願いします!」と言って懇願する。

お父さんがエプロンをしてくれた。「コーヒー屋のエプロンはやっぱり黒だ!」と言うお父さんはいつも白のエプロンをしてる。

栃木県宇都宮市にもシェアハウスブーム到来?釜川エリアのリビング「KAMAGAWA LIVING」

新しいスタイルとして東京を中心とした都市圏で定着しつつある、
仲間と住居をシェアする「シェアハウス」。

このたび、栃木県宇都宮市の釜川エリアにあたらしい
シェアハウス「KAMAGAWA LIVING」が誕生します。

シェアハウスでは、リビング、キッチン、バス・トイレなど
を共用し、各々の個室があるのが基本のスタイル。
仲間と一緒に料理をしたり、映画を見るなど楽しい時間を過ごすのと、
プライベートに過ごせる個人の部屋があり、
一人暮らしより住居費も抑えられるのがシェアハウスのいいところです。

「KAMAGAWA LIVING」には、約60帖ものリビングがあります。
釜川エリアのリビングの様に人が集まる場所にしたいという想いが
込められているそうです。入居の詳細については
下記Webサイトをご参照ください。

KAMAGAWA LIVING

太古の自然が残る、 北海道鹿追町の湖畔に出現。 なかなか見られない唇山とは?

北海道の真ん中にある、鹿追町(しかおいちょう)。

日本一広い十勝平野を一望し、
森と湖や珍しい動植物を擁する北欧風の環境のまちです。
この鹿追町には、原生林におおわれた幻想的な「然別湖」があるのですが、
稀に湖上に唇山(くちびるやま)と呼ばれる
湖のシンボルが出現することがあります。

唇山が出現するのは、然別湖がまったく無風になり、
湖の表面にさざなみが立たない時だけ。
湖の東にある天望山の姿とその影が映しだされて、
セクシーなくちびるが現れ、その姿が唇山と呼ばれているのです。

冬は湖が凍ってしまうので見ることはできず、
なかなかレアな出現度となっております。

然別湖

写真:総支配人の部屋さん

瀬戸内国際芸術祭2013、 いよいよ夏会期

新しく動き出す福田地区。

梅雨明けして、夏真っ盛りの小豆島。
照りつける太陽の陽射し、止まらない汗、セミの鳴き声、まさに夏(笑)。
本当に暑い日が続いています。

そして今週末7月20日(土)から、いよいよ
瀬戸内国際芸術祭2013(以下、瀬戸芸)の夏会期。
開幕直前の小豆島では、会場や作品の準備が各地で行われています。

小豆島には、夏会期から新たに加わるエリアがあります。
島の北東にある「福田(ふくだ)地区」。
人口約900人ほどの海に面する集落で、福田港という港があり、
本州の姫路とを結ぶフェリーが往来しています。
かつては石の産地として栄えていたそうです。
この福田も人口の減少により、4年前の2009年3月に
地元の福田小学校が廃校になりました。

海に面する福田地区。そしてすぐ後ろに山々。

道の向こうに海。こういう風景があちらこちらに。

集落の中にある葺田八幡神社の鳥居。

今回、その旧福田小学校も瀬戸芸の舞台となります。
今も毎日授業が行われているかのごとく、そのままの状態の教室、体育館。
隣には葺田(ふきた)八幡神社があり、そして周囲は力強い岩肌の山々。
視察に来られた北川フラム総合ディレターと福武總一郎総合プロデューサーは、
旧福田小学校を「福武ハウス」の場所として即断されたそうです。

葺田八幡神社。背後には山々がそびえ立つ。

校舎から眺める風景。子どもたちにとっては当たり前だったのだろうな。

そのまんまの教室。各教室内に作家さんたちのアートが展開されます。

音楽室。当時の楽器たちがそのまま置かれていました。

既存の状態をかなり残した校舎と体育館が、会期中は福武ハウスとなるそうです。
香港、韓国、タイ、シンガポール、インドネシア、オーストラリアなどの
アジアのアーティストさんたちが、各教室で作品を展開。
壁にはかつての張り紙が残されたまま。
そこに新たなアートが入り込んできて、小学校が再び動き出したような感じ。
すごく懐かしくて、でも新しくて楽しい。

Wei Lin Yangさん(台湾)の作品は、石などをみがく布を使ったオブジェ。

校舎エントランスから音楽室までの壁に絵を描くBo Lawさん(香港)。

陳斯恩さん(中央、シンガポール)と小豆島町の瀬戸芸担当の皆さん。皆で一緒に作品を作ります。

校舎のエントランスのオブジェ。西沢立衛さんの設計。

そして体育館と葺田八幡神社境内との間に新たにできる「葺田パヴィリオン」。
豊島美術館を設計された建築家、西沢立衛さんが設計。
何本もの大木が生えるその場所は、木陰と吹き抜ける風がとても心地良い。
その木々の間に大きな2枚の鉄の板が設置され、
その間にできる空間がカフェ(レストラン)スペースとなる予定。
このパヴィリオン横の屋外と体育館で、アジア参加国の料理が提供されるそう。

西沢立衛さん設計の「葺田パヴィリオン」。まるで船のよう。

大木に囲まれたこの場所は、木陰と風がとても気持ちいい。

福田地区は、小豆島町からも土庄町からも
中心地から少し離れた場所(車で30~40分)にあるため、
島に住んでいてもなかなか足を運ぶ機会がない。
でもこれからは少し変わりそう。
この福武ハウスや葺田パヴィリオンは、瀬戸芸期間中だけでなく、
その後も存在し続け、地元の自治会を中心に運用されていくそう。
7月20日から始まる瀬戸芸で盛り上がることは間違いなさそうだけど、
その後も含めて福田がどんな場所になっていくのかとても楽しみです。

日曜日のマチスタ

閉店まであと13日——————

あれは3月のいつだったか、とにかく日曜日であることは間違いない。
陽も暮れかけた店の前の歩道に、ひとりのおばあちゃんの姿を見つけた。
左手に杖を、右手には岡山市指定の黄色のゴミ袋をもっている。
町内のゴミ捨て場がマチスタのすぐ目の前にあって、
おばあちゃんはそこにゴミを出そうとしていた。
ぼくは厨房でコーヒーを淹れていたんだけど、その姿が目について仕方ない。
というのもそのおばあちゃん、恐ろしく歩くのが遅いのだ。
そのペースといったらまさにカタツムリのごとし。
ちらちら目にしているぼくはというと、わりとせっかちときたものだから、
思わずお客さんに「すぐ戻ります」と言って店を出た。
「その袋、もちます」
いったいに老人に親切というわけじゃない。
今回は親切でもなくって、せっかちゆえの行為である。
おばあちゃんは最初驚いたような表情をしたが、すぐに笑顔に変わって、
「悪いわね」。2秒とかからなかった。
ゴミを置いて、素っ気なく店に戻ろうとするぼくに、
今度はおばあちゃんが声をかけてきた。
「悪いんだけど」
そう言って、マチスタのあるビルの脇の小径に杖の先を向けた。
「もうひとつあるの」
おばあちゃんとの出会いはあらましそんな感じだった。
以降、ぼくが日曜日の店番のときにはゴミ出しを手伝うようになった。
おばあちゃんの家はマチスタのビルのすぐ裏手にある。
夕方には家の裏口にゴミが出してあって、
それを勝手にゴミ置き場に持って行くだけ。
おばあちゃんがやったら30分はかかろうかという作業も、
ぼくなら1分もかからない。手間でもなんでもなかった。

最初の出会いからひと月ほど経った頃だと思う。
唐突におばあちゃんが店にやって来た。
おばあちゃんの姿が見えた途端、ぼくは入り口のところまで飛んで行ってドアを開けた。
「どうしたの、おばあちゃん? 
ゴミならもうちょっとしたら取りに行こうと思ってたんだけど」
「ううん、コーヒーをいただきに来たの」
下から見上げた顔がなんだか愛らしかった。
よく見ると、にわかにおめかしをしているようでもある。
「いただけるかしら?」
「はい、そりゃもちろん」
以来、おばあちゃんはマチスタの日曜日の常連となった。
当初、ゴミ出しのお礼として店に来てくれているのかと思ったけど、
どうやらそうでもないようだった。
むしろ、日曜日のマチスタでのコーヒーを楽しみにしてくれているふしがある。
注文するのはきまって、砂糖とミルクを入れたホットのブレンドと焼き菓子をひとつ。
テーブル席でゆっくりゆっくり、上品に、美味しそうにコーヒーを飲む。
お店がたてこんでいるときは、おばあちゃんの家までデリバリーすることもある。
お客さんにはその間留守番してもらうことになるのだけど。

マチスタを閉めると決めたとき、一番に思い浮かんだのがこのおばあちゃんの顔だった。
閉めようかと考え始めたときからそうだった。
そしておばあちゃんの顔が浮かぶたび、
ぼくは胸が痛くなるほどの申し訳なさでいっぱいになる。

言い訳めいたことはごちゃごちゃ書きたくない。
けれども、けじめのひとつとして報告はしておかなきゃいけないと思う。
閉店はひとえに経済的な理由からだ。
母体のアジアンビーハイブの売り上げが芳しくなく、
マチスタの赤字をこれ以上補填できなくなった。
この1年ちょっとで銀行から300万円を借りた。借金もこれ以上はできない。
この夏が限界だと判断した。
正直、GWが明けたあたりまで閉めようなんて考えたこともなかった。
今年に入って、ぼくの給料がまともに出たのは2月に一度だけ。
それだけやりくりはずっとギリギリの状態だったけど、
それでも閉店はつゆほども考えなかった。
でも、選択肢のひとつとしていったん考え始めると、
閉店以外の選択肢はないように思えてきた。
無理を押し通す力があるうちは店を続けられたのだが、
もうぼくにその力はない。そう認めざるをえなかった。
悔しいけど敗北だ。完全な敗北だ。

マチスタを利用してくれている人たちの顔が次々と浮かぶ。
浮かぶ彼らの顔はみんな笑顔だ。
この店を気に入ってくれて、足を運んでくれた人たち。
彼らすべての人たちに対して、本当に申し訳ない。ごめんなさい。

マチスタ閉店の日まで、あと2週間。
店内の告知でほとんどのお客さんには閉店をお知らせできた。
だが、あのおばあちゃんにはまだ伝えられていない。

ここ2か月ほど、常連のAさんから借りた「現場監督」というフィルムのコンパクトカメラで写真を撮っている。この写真、フィルムに焼き付いた日付を見て気づいた。ちょうど閉店を決めた時期に撮った写真だった。

植木屋時代の先輩ジローちゃんに電話で閉店を知らせると、「そうか。じゃあ最後はオレが歌うか」。むげに断ることもできず、かくして7月21日、最終営業日の夜にジローちゃんの二度目のレゲエライブが実現。

 

江戸時代から続く伝統行事、虫送り

350年続く、幻想的な光景。

小豆島の肥土山に引っ越してきて、この地域の人として参加するのを
とても楽しみにしていた行事がふたつあります。
ひとつめは5月に行われた「肥土山農村歌舞伎」。
そしてもうひとつが「虫送り」です。

半夏生(はんげしょう)の日にあたる7月2日の夕方、
1661年から続いている伝統行事、虫送りが肥土山でありました。
映画『八日目の蝉』にも出てくる、とても幻想的な光景の行事です。
地域の子どもたちが、火手(ほて)と呼ばれる竹で作った松明を
田んぼにかざしながら、列を作って虫を追い払います。

肥土山の田んぼの中を火手を持って列になって歩いていきます。

火手の火は思ったよりも大きく危ないため、小さい子どもたちは大人と一緒に。

半夏生とは、雑節(季節の移り変わりをつかむために設けられた暦日)のひとつで、
夏至から数えて11日目頃の日。
昔は、夏至からこの半夏生の頃までに田植えをしていたそうで、
田植えが無事に終わったこの時期に、虫よけと豊作を祈願して
行われるようになったそう。

私たち家族は、今回初めて虫送りに参加。
まずは、火手づくりから。

実はこの火手、各家庭で作って当日持参します。
「うちはじいちゃんが孫の火手を作っとるよー」という感じ。
用意してもらえるものだと勝手に思っていたので、これには結構驚きました。
地元の子ども会が「いっしょに自分の火手を作りませんか?」
という機会を設けてくれたので、それに参加してマイ火手づくり。
基本的にどうやって作るのかは自由。
約1キロ歩く間に火が消えないようにするため、
パワーアップした火手を作る家族もあって面白い。
うちは初回ということもありオーソドックスな火手に。

お母さんと一緒に自分の火手づくり。木を挟んだ竹の先端を針金でぐるぐる。

ボロ布と木を束ねて針金でとめます。これが燃える部分。

竹の先端を割きます。この割いた部分にボロ布と木を入れます。

そして、当日。
地元のお寺、多聞寺で虫よけ、五穀豊穣を祈願、虫塚で稲の虫の供養を行い、
本尊に供えてある火を提灯に移して、出発場所の肥土山離宮八幡神社へ移動します。
子どもたちも夕方6時を過ぎると、みな火手を持って出発場所に向かいます。
出発前に、地元のお米農家さんから虫送りの目的や歴史のお話。

多聞寺のおじゅっさんが、虫塚で稲の虫の供養。

子どもたちは肥土山離宮八幡神社に集合。火手の持ち方などを聞く。

地元のお米農家さんから、虫送りの目的や歴史のお話を聞きます。

いよいよスタート。
ひとりずつ火手に火をつけてもらって、田んぼのあぜ道を歩きます。
約1キロ、次の集落との境目の蓬莱橋(ほうらいばし)まで。
暮れゆく中、約200人が火手を持って歩いていく様子は本当に幻想的で美しかった。
作られたお話ではなく、現実に存在している行事で、それに参加している。
ただただ感動。

虫送りの出発地。これからいよいよ虫送りのスタート。

小さい子から順番に火をつけてもらって出発。

地元のたくさんの方々が火をつけたり、警備をしてくださったりします。

ちなみに昔は、農村地帯が続く中山、肥土山、黒岩地区へと火をリレーして、
虫を海まで追い出していたそう。現在は肥土山単独で行われており、
海に繋がる伝法川の蓬莱橋から火手を川に落として、虫送り終了。

列になって歩く様子は本当に美しい。

伝法川の蓬莱橋から火手を川に投げて、虫送り終了。

350年以上も変わらないかたちで続いているというのは、本当にすごいことだと思う。
じいちゃんのじいちゃんもそのまたじいちゃんも
何世代にもわたって、ここで虫送りが行われてきた。
そして何より稲が育てられ続けている。
農のある暮らしがずっと続いている。

伝統行事の多くは、農のある暮らしがきっとそのベースにあるんだと思う。
だから多くの人が農から離れてしまったいま、
行事は消滅したり、形式的なものになりつつある。
目的やその精神も残し続けることは本当に難しいことだと思う。
それでも、この美しい行事や農のある風景が、途絶えることなく続いていくことを願い、
私たち家族も関わっていければと思う。

神輿を川に投げ込んで神々に感謝!能登で最も勇壮な「あばれ祭」

石川県能登半島に夏の始まりを告げるお祭り、
「あばれ祭」が7月5、6日、石川県能登町宇出津で開催されます。
その名のとおり、祭りのクライマックスには
担ぎ手が暴れて、お神輿を壊したり海や川に投げ込むのが習わし。
じつに約350年の歴史を持つ由緒正しいお祭りです。

お祭りにおいては、高さ7m、40本以上のキリコ(巨大行燈)と
お神輿を丘の上にある八坂神社まで担いでいきます。
その道程で、地面に叩きつけたりしてお神輿を壊していき、
川に差し掛かると、そのお神輿を川に放り投げるんです!
続いて担ぎ手も川に飛び込み、川の中でまたお神輿を担いで
さらに暴れます。神社に到着したら松明に打ち付けるなど
のしきたりもあって、担ぎ手はかなりの体力を消耗することに...。
それでも職人さんによって作られたお神輿は全壊することはなく、
数年間は使えるそうです。

かつて、宇出津では疫病が流行したことがあり、困った住民は
京都の八坂神社に詣でて「牛頭天王」を勧請したところ、神童が
青い蜂となって患者を刺して病気を治してくれました。
その感謝の気持ちを込めて、牛頭天王が好むとされる
荒々しいことを行なったのが始まりということです。
二日間、まちが眠らずに行われるというこのお祭り、
現地で体験したらすごく楽しそう。
いつか見に行ってみたいお祭りです。

あばれ祭

写真:シンジマンさん

田舎で子どもを育てる

田んぼで力いっぱい遊ぶ子どもたち。

梅雨らしい天気が数日続いている小豆島。
梅雨というより夏の豪雨のような雨が降り続け、
田んぼの稲も、畑の野菜や雑草もぐんっと大きくなった。
緑が一層濃くなり、いよいよ夏がそこまで来ているのを感じます。

私たちが暮らしている小豆島の肥土山(ひとやま)というところには、
小さな田んぼがあちこちにあります。
小さなといってもそれなりの面積はあり、
なんというか田舎スケールで考えた時の“小さな”田んぼです。
大きな米農家さんがどーんと広大な田んぼで米を育てて販売するというより、
それぞれの家が田んぼを所有をしていて、
自分の家や知り合いの分のお米を育てるという感じ。
家のすぐそばにも田んぼ、幼稚園に歩いて行く時にも田んぼ。
いまの時期は青々とした田んぼがとても美しい。
そして、子どもたちは毎日のように田んぼでカエル探しをしています(笑)。

あちこちにある田んぼ。青々としたその様がとても美しい。

夕方、近所の友だちとカエル探し。毎日毎日飽きずによく探します。

その肥土山の田んぼで、先日「どろんこ遊び」がありました。
「美水(みみず)くらぶ」さんが主催してくださるイベントで、
島中の幼稚園児や小学生たちがやってきます。

美水くらぶさん主催のどろんこ遊び。幼稚園から手をつないで歩いたきた子どもたち。

美水くらぶさんは、9年前から活動されている地域の人たちのグループ。
小豆島肥土山で昔ながらの農法でお米作りをしており、
子どもたちにいろいろな体験をさせてくれます。
春のどろんこ遊びから始まり、田植え、草抜き、
秋には稲刈り・はざかけ、脱穀、そして餅つき。
1年を通して、お米を作ることがどんなことなのか、楽しみながら教えてくれます。

私たちが肥土山に引っ越してきたのは去年の10月末だったので、もう稲刈り後。
なので今年は初めてこの1年を通したイベントに参加できます。
実は親の私が一番ワクワクしているのかも(笑)。

どろんこ遊びの日は、晴れ渡った気持ちのいい日でした。
砂場のどろんこ遊びとは迫力が違って、とにかく本気。
子どもたちの表情や動きが本当に楽しそうで、見ているこっちまで興奮しました。
田んぼで駆けっこをしたり、綱引きをしたり、体全体を使って楽しむ。
遊ぶってこういうことなんだなと。

田んぼで駆けっこ。力いっぱい走ってました。

田んぼで綱引き。この風景の中で遊ぶというのはとても贅沢だなと思う。

顔まで泥んこ。

体全体を使って遊ぶ姿は本当に楽しそうでした。

そしてそれをただ見守るだけでなく、
美水くらぶの皆さんや幼稚園の先生たちも一緒に遊ぶ。
一緒に遊びながら、子どもの遊び方の幅を広げる、
さりげなくフォローする大人たちの姿がとてもかっこ良かった。

美水くらぶさんたちも一緒に綱引き。遊び方を教えてくれる。

面白い遊び道具がたくさん。黒い浮き輪みたいなものは、トラックのタイヤから抜き取ったチューブにタライをはめた手作りの遊び道具。

この日は、久々に心が震える風景を見た気がした。
大げさかもしれないけど、それくらい素敵なイベントでした。

田舎で子どもを育てるということは、いいことばかりではない。
素晴らしいこともある反面で、そもそも子どもの数が少ない、
そして教育レベルについてもよく指摘される。
そういうことはやっぱりちゃんと意識して、何らか工夫しないといけない。

それでも、いまの私たちが選んだ子育ての場所はここ。
家で働きながら、子どもとともにどう暮らしていくか、
まだまだ模索中というところかな。

北海道網走の 「北海道立北方民族博物館」 で涼しげな夏至祭

梅雨がない北海道の網走市に、珍しいテーマの博物館
「北海道立北方民族博物館」があります。
東はイヌイト(エスキモー)から、西はスカンディナビアの
サミ(ラップ)まで、広く北方に暮らす民族のことを
展示している博物館なんです。
もう、それだけで爽やかで涼しそう。

そんな北方民族博物館で、本日6月30日(日)は
夏至祭りが行われます。
常設展示の観覧が無料になるほか、
鹿肉のソーセージドッグ製作体験、
フィンランドのボーリングにちょっと似たゲーム「モルック」の
大会も開かれるとか。
北の人びとにとって、短い夏を楽しむすてきなお祭りになりそうです。

北海道立北方民族博物館

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この18か月

50歳のバースデーパーティ

「赤星さんの誕生日パーティをマチスタでやってもいいですか?」
イシイコウジがマチスタにやって来て、
そんなことを聞いたのは5月の末あたりだった。
イシイくんは岡山で活躍しているカメラマンで、
『HMB(ヒゲ・眼鏡・帽子)』というフリーペーパーを発行したりして、
なかなかユニークなクリエイターでもある。
一定の距離を置いて付き合うぶんには、これ以上面白い男はいない。
でも、車間距離を間違えて近づきすぎると、たいがいろくなことにはならない。
今回のように、向こうからすっと距離を詰めてきたときはなおさらである。
「なにそれ? なんか裏がある?」
「いや、ないです、ないです。
パーティでマチスタの半月分の売り上げを稼いでもらいたいなと。
赤星さんへの50歳の誕生日プレゼントです」
マックスに嫌な予感がした。笑顔のなかで目が笑ってない、あれがヤバい。
それでもぼくはあっさり承知した。
ひとつには、そんな胡散くささや面倒くささも含めて、
イシイコウジという人間が結構好きだったりすること。
そしてもうひとつは、純粋にありがたいという気持ちから。
五十のオッサンの誕生日を祝おうなんて、誰がそんなこと言ってくれる?

岡山に戻って10年近く暮らしているからか、
いまでは東京にいた25年が夢のように感じられる。
記憶にある景色や友人たちの顔は、これ以上ないぐらいはっきりしている。
声だって匂いだってもうありありと。
それでもリアリティはどうやら別ものみたいだ。
飲み残したアイスコーヒーみたいにぼんやり薄い。
振り返ってこの50年からして、リアリティがぶっ飛んでしまうぐらいあっという間だった。
半世紀があっという間なんて、
この『マチスタ・ラプソディー』を読んでもらっている20代や30代の読者には
到底考えられないことと思う。
でもこれ、1足す1が2ぐらいの動かしようのない真実なのだ。
マチスタに携わったこの18か月なんて、一夜の夢にも満たない。

かくして誕生日から2日経った6月16日、日曜日の夕刻。
こんなに人がやってくるなんて思ってなかった。
スタートの午後7時にはすでに店内に人がおさまりきらない状態
(まあ店は相当狭いんですけど)。
ぼくの友人・知人には誰にも声をかけていなかった。
「誕生日だから来てよ」なんて、そんな厚かましいことが言える人間じゃないのだ。
イシイくんだって、フェイスブックで告知しただけだと思う。
でもこれ、SNSのネットワーク力というのでしょうか
(SNSという言葉を自分で初めて使ったんだけど、使い方間違ってないですか?)。
それと忘れちゃいけないのが、
ヒトミちゃんが作ってくれたインパクト絶大の告知ビジュアル。
『ジョジョの奇妙な冒険』のタッチをそっくり真似して、
ぼくがスタンド使いのキャラクターのように描かれている
(「スタンド使い」と普通に書いてしまいましたが、ある種の超能力みたいなものです)。

DJセットは常連の田中さんが全部持ち込んでセッティングしてくれた。
田中さんはぼくの80年代好きを知っていて、かける曲はほぼオール80’s。
UKとアメリカを織り交ぜた洋楽が8割、邦楽は2割ぐらい。
キャッチーでメジャーな曲も遠慮することなくバンバンと。もう最高だった。
どの曲がかかっても、
思わず「この曲はね」と目の前にいる人に解説したくなるような、
そんなイカしたセレクトだった。
ところがだ、その夜、ぼくの解説は一曲として果たせなかった。
最初のお客さんが来てくれた瞬間から、ぼくはいつものポジション、
作業台の向こう側に立ってお客さんのオーダーをこなしていたのである。
そりゃ、次から次にお客さんが途切れずやって来て、
やれブレンドだ、アイスコーヒーだ、バナナジュースだと好きなものを注文するのだから、
しかもヒトミちゃんがレジと洗い物を手伝ってくれているとはいえ
注文をこなしているのはぼくひとりだから、
もう慌ただしいなんてもんじゃない。
目の前で「おめでとうございます!」と言ってくれる人とさえもまともに会話もできない。
(なんだ、この100本ノック状態は?)
イシイコウジの顔が浮かぶ。目だけが笑っていないあの笑顔————。
1時間もしないうちに神経の方がやられてきた。
「もうオーダーは受けん! 誰がなにを飲むかはオレが決める。
値段は一律300円、みんな出したものを文句言わずに受け取るように!」
そんな無茶が許された。
むしろ「ウエルカム!」って感じでその場は盛り上がった。
なにしろ、その夜はぼくの誕生日を祝うパーティなのだから。

終始、店の外に人があふれかえった。
男子率が圧倒的に高かったのは言わずもがな、女子も20人ほど来てくれたと思う。
なんと、その夜のためだけに
東京からウェブデザイナーのスワキタカトシもかけつけてくれた
(『Krash japan』のHP全10号を手がけてもらいました)。
クライマックスは倉敷の洋菓子店「エルパンドール」が作ってくれた
特製の巨大フルーツケーキ。
例のヒトミちゃんのジョジョ風のイラストがホワイトチョコの上に描かれている。
ろうそくは小さいのが5本。そして、店のライトを消して『ハッピーバースデイ』の大合唱。
店の内外から聞こえる拍手のうちに、ろうそくの火を吹き消した。
50歳の誕生日、生まれて初めての誕生日パーティ。
イシイくん、ありがとう。
売り上げは半月どころか一日分にも満たなかったけど、素直に感謝してる。
それからわざわざ来てくれたみんな、本当にありがとう。
あの夜、ぼくは世界で一番ハッピーな男だった。

翌営業日の火曜日。マチスタの開店直前、店内に「お知らせ」を貼り出した。

<誠に勝手ではありますが、7月21日(日)をもって閉店させていただくこととなりました。
これまで当店にお寄せいただきましたご厚誼に心から感謝申し上げます。>

マチスタ閉店の日まで残すところ約1か月————。

「芸術人(アーティスト)」とか「命尽きるまで」のコピーはすべて『ジョジョの〜』に登場するキャラクター・岸辺露伴に用いられたもの。「ドドドドドド」という効果音が雰囲気をとらえていて非常によろし。

ろうそくの火を消し終わった直後。首に巻いたタオルの左右のずれ具合が、さっきまでのキツい労働を物語っています。身につけているTシャツはLAドジャースですが、例によってドジャースファンではありません。

イベントごとはジローちゃんのレゲエライブ以来。夜に人が集まると、すぐに人があふれかえるのがマチスタの特徴。でも、それがかえってクールじゃないですか? 見ようによってはNYとかロンドンみたいで。

博多が興奮のるつぼになる! ダイナミックな祭り 「博多祇園山笠」開催間近

来週7月1日から15日まで、博多伝統のお祭り
「博多祇園山笠」が開催されます。
博多っ子にとってはリオのカーニバルともいえる
このお祭り、なんと1241年に始まったという大変由緒あるもの。
高さ約15メートル、重さ約1トンもの山笠を博多の各地区(流といいます)ごとに
作り、これを動かしてまわる(舁きまわる)のです。

お祭りのあいだはこの山笠を町内に飾ったり、
長年功労のあった長老や子どもたちを乗せてゆっくり町内を舁きまわしたり
するのですが、最終日の大クライマックスとして
男たちが早朝の博多の町を疾風のごとく駆け抜ける「追い山」を行います。
もともと祭り中に町内どうしが喧嘩をしたことから始まった
というだけあって、巨大な山笠を荒々しく舁きまわすのが恒例となっています。
地元のテレビ局ではこの様子を6台のカメラやクレーンカメラで撮影し、
山笠の勢いや男たちの表情、観客の興奮の様子を伝えるそうです。

ちなみに、きゅうりを輪切りにした切り口と、祭神の祇園様の
ご神紋がよく似ているため、博多人は山笠期間中は
きゅうりを食べてはいけないとのこと。
博多祇園山笠の詳細な日程はWebサイトで公開されています。

博多祇園山笠

目指せコーヒー・フリーク

岡山の「コーヒー・フリーク」が集まって。

<「コーヒーの街」として全国的に認知されるには何かが足りない>
昨年の秋に出た『BRUTUS』のコーヒー特集。
そのなかで岡山のコーヒー事情を書かせてもらって、
ひとつ課題をこう提起した。岡山はコーヒー関連の店が多く、
個々の店のレベルもかなり高いと思う。
でも、京都や福岡のように全国に広く知られているとは言いがたい。
これから岡山を「コーヒーの街」として認知してもらうためにはどうすればいいか。
記事の最後をこう締めくくった。
<福岡で見たエリアの連携は有効である気がする————
今後、岡山で連携が可能かどうかを探ってみようと思う>
いい加減な締めだと感じた人がいるかもしれない。
地域の連携を探るとか、「そんな面倒、絶対しないよ」と。
たしかに、同業者の連携なんて簡単なことじゃないし、
自慢じゃないが面倒は人一倍嫌いだ。
でも、こと今回に限っては有言実行の人であった。
というのも、マチスタをやると決めたときから、ぼくにはある野望があった。
「岡山のコーヒー屋はヤバい!」と外資系コーヒーチェーンSが
岡山からの撤退を考えるぐらいの、
そんなコーヒーのムーブメントが岡山で起こせないものかと本気で考えていたのである。
開店してみたら自分の店を維持するのが精一杯で、
そんな野望は頭の隅っこに追いやられていたわけだが。

雑誌の発行後まもなく声かけをして、
年内に岡山コーヒーのミーティングが実現した。
出席者は以下の5名(敬称略)。<内山下珈琲焙煎所カエル>の猿川裕介、
アロマコーヒーロースタリー>の渡辺一也、
ONSAYA(オンサヤ)>の東宏明、<CoMA coffee(コマ・コーヒー)>の長岡浩範、
それに<マチスタ・コーヒー>のぼく。
この記念すべき第1回は初顔合わせということもあって、
まあ予想通りというか、ただの飲み会に終わった。
そして今年3月にあった第2回のミーティングには、
BESSO COFFEE BEANS>の別曽拓也、
笠岡市<辻珈琲>の辻修太郎•優子夫妻、
瀬戸内市邑久町で<キノシタショウテン>を、
岡山駅西口で<THE COFFEE BAR>を展開する木下尚之の3組が加わった。
こうして俄然スケールアップした第2回であったが、
しかし今後の会の活動や展望を話し合うことは一切なく、
またしてもただの飲み会に終わったのだった。
第1回で会長に選出された渡辺クンが(ぼくが勝手におしつけました)、
とうにろれつが回らなくなった舌で閉会の挨拶をした。
「ええ……今夜も、ああ……何も決まりませんでした……すいませんでした!」

これまで2回あった集まりを「ただの飲み会」と記したが、
しかしその実際は恐るべきものだった。
ともに、顔を合わせた瞬間から話題はコーヒー。
そして顔をつきあわせていた3時間だか4時間もの間、
ただひたすらコーヒーについて語るのだ。全員が全員、
高純度の「コーヒー・フリーク」である
(ぼくはまだ「コーヒー・パーソン」の域を脱していない)。
はたしてこの会の発足によって今後岡山で何かが生まれるのかどうか、
現在は正直まだよくわからない。
でも、ほぼ全員が30歳代という若さ、
なにより彼らのコーヒーに対する熱のようなものに少なからず可能性を感じている。
ひとり年齢的に頭抜けているぼくは、
発起人として役割は果たしたと感じているんだけど、
これからも何らかのカタチで会の活動に携わっていけたらと願っている。
今後さらにコーヒーについて深く勉強したいとも思っている。
コーヒーバカでなにが悪い、目指せコーヒー・フリークだ!

身近にコーヒー・フリークがもうひとり。
ぼくのパートナーのタカコさんである。
長く書きそびれてしまった。実は彼女、岡山市京橋にあった
伝説的な自家焙煎の喫茶店「カーフェカーネス」(2008年に閉店)で6年ほど働いていた。
そのキャリアが多分に影響していると思う。
かねてから自家焙煎の喫茶店をやりたいと夢見ていた。
「ふーん、そうなの」と興味なさげに聞き流していたぼくが
唐突にコーヒーの世界に足を突っ込んでしまったものだから、
元来が亥年の猪突猛進型、もういてもたってもいられなくなった。
昨年の秋あたりからは、「焙煎やりたい、店やりたい!」という
凶暴なまでの気を発するようになり、
しかし、年が明けてもなかなか適当なサイズの中古焙煎機に巡り会えず、
鬱憤は暴発寸前、まさにそんなときだった。
前出の<キノシタショウテン>の木下クンから
1キロの焙煎機を貸してもらえるという奇跡のような幸運が訪れた。
早速、児島の事務所に焙煎機を設置。
設置直後にタカコさんは一時体調を崩したものの、5月に入って完全復活。
以来、毎日のように児島の事務所にやって来て、嬉々としてテストの焙煎を重ねている。

本人はまったく口にしないが、焙煎には相当な苦労をしたことと思う。
しかし、甲斐あって最近は焙煎が安定してきた。
はっきり言って、結構味がいい。
毎日いろんな豆を試飲させられている事務所のスタッフの評判も悪くない。
事務所の大家さんなんかはいっぺんにファンになり、
すでに何度か豆を買っている。
そして、実はここが彼女の一番スゴいところ。
無謀にも見える独自の営業で、
早々と地元早島のJAでの販売をとりつけてきたのである(目のつけどころもシブいですね)。
販売初日の7月1日(月)には試飲会を開催することも決まっている。
ぼくはこの試飲会でコーヒーを淹れることになっているんだけど、
これは出張マチスタではなく、完全に一個人としてのサポート。
というのも、彼女の活動はマチスタともアジアンビーハイブとも無関係なのだ。
屋号も「元浜倉庫焙煎所」。
個性豊かな人材が集まる岡山のコーヒー業界にあって、
またひとりクセのあるフリークが誕生した。
今後の岡山のコーヒー、ちょっと面白くなりそうだ。

オフィスの一画にコーヒー豆の焙煎コーナーが。焙煎機は富士珈機の「フジローヤル」。見た目は小さな機関車みたいでカッコいい。デザイン事務所と焙煎という取り合わせ、あると思います!

2014.08.08編集部追記 コロカル商店元浜倉庫焙煎所の珈琲「コロカルオリジナルセット」の取り扱いが始まりました。

小豆島のウラ名所、真砂喜之助製麺所

人と人が出会う場所。

小豆島は、年間約100万人が訪れる観光地です。
寒霞渓(かんかけい)や二十四の瞳映画村、エンジェルロード、醤の郷など
いわゆる観光スポットが数多くあります。
美しい景色、自然があふれ、美味しい食べものもたくさんある
とても魅力的な観光地だと思います。

それでも、観光客は年々減少。
ちなみに山陽新幹線が岡山まで開通した翌年、昭和48年には、
なんと154万人が小豆島を観光で訪れていたそうです。

そんな中、今年開催されている「瀬戸内国際芸術祭2013」。
そのプロジェクトのひとつである「小豆島 醤の郷 + 坂手港プロジェクト」では、
「観光から関係へ」とコンセプトをかかげ、
“名所をめぐるだけの一度限りの「観光」ではなく、
人と人とが出会うことで生まれる「関係」にこそ、
真の豊かさへのヒントがあるのではないでしょうか?”
として、さまざまな企画を展開しています。

まさにこの「人と人とが出会うことで関係を生みだしている場」が
島の中にはいくつかあります。
そのひとつが「真砂喜之助製麺所」さんです。

真砂喜之助製麺所のお素麺。細口、太口そうめんのほか、ふしめんもあります。お土産にちょうどいいサイズ。

この日は、こびきうどん(お素麺ほど伸ばさず、短くうどんのよう)の製造。つくる様子を見ることができます。

乾燥中のふしめん。お素麺を乾かす時にできる折り返しの部分。お吸い物に入れたりして使います。

お素麺は小豆島の特産品で、島のあちこちに製麺所があります。
ショップを併設した大きな製麺所から、家族で経営する小さな製麺所までさまざま。
真砂喜之助製麺所は家族で経営する、どちらかというと小さな製麺所。
「いらっしゃいませー」と迎えてくれるショップやカフェのような感じではなく、
お素麺をつくっているまさにその場所。
初めて訪れた時は、勝手に入っていいのかな、誰もいないのかなと
ちょっと戸惑いました(笑)。

いわゆる観光スポットでもないのに、真砂喜之助製麺所に行くと
高い確率で誰かと出会います。
それは知り合いだったり、以前から会いたいなと思っていた人だったり。
撮影に訪れたこの日も、すでにお客さんが。
そしてなんとずっとお会いしたかった人。
ここではこんなふうにしてリアルな関係が生まれています。

真砂喜之助製麺所でずっと会いたかった人に偶然遭遇。

さらにそういう関係から生まれたのが、お素麺の新しいパッケージ。
もともと真砂喜之助製麺所のお客さんだった
高松在住のイラストレーターであるオビカカズミさん。
1年ほど前に真砂さんのところを訪れ、
ちょうどパッケージを変えたいと思っていた真砂さんといろいろ話をしていくうちに、
新しいパッケージやリーフレットをデザインすることに。
いまではすっかりおなじみの真砂喜之助製麺所のパッケージですが、
リニューアルしたのはここ1年の話。
そしてオビカさんはこのお仕事をきっかけに、小豆島のお塩やオリーブなど
さまざまな商品パッケージをデザインするようになりました。
それまでは東京の人と仕事をする機会が多かったそうですが、
最近は小豆島に住んでるんじゃないかと思うほど、島にいます(笑)。

真砂さん(左)とオビカさん(右)。新しいパッケージの打ち合わせ。

去年リニューアルしたパッケージ。おしゃれで小分けにすることで、新しいお客さんが購入しやすいように。

オビカさんがデザインしたお素麺づくりの説明リーフレット。可愛いイラストでわかりやすく。

小豆島のウラ名所である真砂喜之助製麺所。
真砂さんのところでは、iPadでお素麺づくりやレシピの紹介をしてくれて、
タイミングがよければお素麺づくりの体験もできます。
建物の一角にある商品コーナーでお素麺やおつゆを買うことも可能。
そういういろんな仕掛けや工夫があって、人が集まる製麺所に。

そういう場所を巡り、人と出会い、新しい関係が生まれる。
これからの旅は、そんなスタイルが増えていくのかもしれませんね。

iPadでお素麺づくりについて説明。写真が多くて、面白いしわかりやすい。

お素麺の製造スペースの一角にある商品たち。お素麺のほか、お醤油やオリーブオイルも購入できる。

小豆島女子へんろ、ふたつの山越え15km歩く

島の自然や景色を楽しみながら。

「お遍路」といえば四国が一番有名だと思いますが、
実は小豆島にも「小豆島八十八ヶ所」があり、
白衣(びゃくえ)を着て歩くお遍路さんをよく見かけます。
小豆島八十八ヶ所は、四国八十八ヶ所に比べて距離が短く(約10分の1)、
海や山など美しい自然に囲まれた霊場が多いことから、
景色を楽しみながら徒歩でまわるお遍路さんも多いそう。
距離が短いといっても、全行程約150km。
さすがに1日で全部をまわることはできず、車でも2~3泊、徒歩なら7~8泊のコース。

山道を歩いていると福田の集落と海を見渡せる場所が。こういう景色が遍路の途中あちこちにある。

紫陽花が綺麗な時期。季節の花を楽しみながら歩くのもいい。

小豆島で暮らしているからには、一度はお遍路してみたいなと思いつつ、
何を準備したらいいのか、どうやってまわったらいいのか、わからないことだらけ。
ひとりで始めるにはかなりハードルが高い。

そんな時、島の友人に誘われたのが「小豆島女子へんろ」。
ショウドシマ・クリエイティブさんの企画で、参加者を女性に限定し、
和気あいあいと楽しく無理なく小豆島の霊場を歩き遍路するイベント。
「へんろ」とあえてひらがな表記にしているのは、お遍路の制約からちょっと離れて、
ぐっと敷居を低くした初心者のためのへんろだから。
白衣や金剛杖、経本、念珠といった遍路用品も参加費に含まれていて、
何も持たずにとりあえず小豆島に来れば参加可能!
ただ、結構本気で歩くので、山道を歩く体力とへこたれない気持ちは必要かも。

バスでスタート地点まで移動。常光寺の副住職である大林慈空さんよりへんろについてのお話。

第4回小豆島女子へんろ巡礼冊子。白衣や金剛杖、輪袈裟(わげさ)などを貸してくれます。

今回私が参加したのは、第4回目の小豆島女子へんろ。
なんと約30名の女性が参加。そのうち約半数が島外からの方。
回を重ねるほどに参加者が増えているそうです。

今回集まった女性約30名。出発前に皆でストレッチ。

最初に輪になって自己紹介。今回はテレビ局の取材の方も来ていました。

今回のコースは、小豆島の北東部、小部(こべ)という集落から
吉田、福田を通過して当浜(あてはま)までの約15km。
ちなみに小豆島八十八ヶ所の全行程が約150kmだから、
女子へんろに10回参加すればコンプリートできそうですね。

巡礼冊子には地図も載っていました。小部からスタートして86番当浜庵までの15km。

コース途中には、豆坂峠(まめざかとうげ)という
小豆島霊場の中で最も長い遍路道(徒歩約2時間)がありました。
その昔はこの峠を越えるしか吉田集落に行く方法はなく、ここを歩いて越えると
足の裏に豆ができるほどということから、その名前になったそう。
この日は曇り空で強い陽射しはなかったものの、山道を10分も登ると汗が吹き出し、
和気あいあいというより修行のような区間も(笑)。

豆坂峠を列になって歩く。全コースの半分くらいがこうした山道でした。

遍路の途中でこうした看板がいくつもありました。裏には次の霊場までの距離が書かれています。

吉田ダムに到着。ここのところ雨が全然降っていなくて、ダムの水もかなり少なめ。

こうやって集落から集落へ歩いていく。
そしてお寺や庵で参拝し、お経を唱える。
その途中、山の中の腐葉土の匂いや栗の花の香り、
海からの心地良い風など小豆島の自然を贅沢に感じる。
お遍路というのはそんなに堅苦しいものではないんだなと思った。
気持ちのいい季節に、その土地を歩くことを楽しむ。
そんなスタイルのお遍路もありなのかなと。

83番福田庵で参拝。お賽銭と願いを書いた御札を入れてお参りします。

お昼ごはんは82番吉田庵で。小豆島の伝統料理「石切り寿司」をいただきます。

かつて大阪城築城のために小豆島から多くの石を切り出しており、その時に石工たちに振舞われたのが石切り寿司の始まりと言われています。それ以来、島の北部では祭りや法要などのハレ食に欠かせないものとされているそうです。

84番雲海寺。海と福田の集落を見渡せる最高の場所にあります。

次回の小豆島女子へんろは、2013年12月の予定だそうです。
お遍路をしたいという方だけでなく、小豆島の自然を歩きながら楽しみたい、
そんな方にもちょうどいい企画だと思います。

小豆島女子へんろ、小豆島の新しい魅力と楽しみ方を発見できた充実の1日でした。

利用客が一日2人の無人駅をピンクに一新!鳥取県智頭町の新恋愛名所「恋山形駅」

クラスで目立たなかった子がある日突然はじけた、的な衝撃がありました。

というのは鳥取県の山間の智頭町にある智頭線「恋山形駅」のお話。
1日の平均利用客がたった2人という小さな無人駅なのですが、
このたび全駅をピンクに塗り替え、大リニューアルを行いました。
日本に4つしかない「恋の駅」のひとつとしてPRしていくそうです。

駅名の看板も、手すりからゴミ箱に至るまで、
恋愛力がアップしそうなピンクに塗られる徹底ぶり。
駅にはハート型のモニュメントと絵馬掛けを設置し、
智頭急行のキャラクター「宮本えりお」ちゃんも登場してお客さんを見守ります。

ちなみに「恋の駅」の他の3つは、
北海道旅客鉄道(JR北海道)の「母恋駅」、三陸鉄道の「恋し浜駅」、
西武鉄道「恋ヶ窪駅」。いつか全スポット制覇してみるのも面白そうです。

恋山形駅

写真提供:智頭急行(株)

島の野菜でお料理教室、重ね煮をつくろう

畑のそばで、料理して食べる。

梅雨入りしたにもかかわらず、ほとんど雨降らず。
今年は本当に雨が少ないらしく、断水になるかもという噂さえも。
農家は毎日水やりに追われる日々です。

そんな5月の下旬に、いつもお世話になっている
小豆島の宿 コスモイン有機園」さんで行われた料理教室へ。
実は人生初の料理教室(笑)。

有機園さんでは定期的に料理教室が開かれています。

有機園さんは、いろいろな種類の野菜を農薬や化成肥料を使わずに栽培されており、
農業体験できる宿も営まれています。
小豆島に移住したい人たちが島での暮らし体験や移住相談をしに来たり、
WWOOF(ウーフ)のホストでもあるので、
海外からも農業に興味のある人たちが来たりしています。
実は私たちも移住前に有機園さんに宿泊し、
移住後の暮らしについていろいろお話を聞かせてもらいました。
そしてこちらに来てからも、野菜作りについて教えてもらったり、
一緒に遊びに行ったり、週に1回はお会いしているような感じです。
そして今回も女将の今川早苗さんに誘われて、料理教室に参加させてもらいました。

ちょうど収穫時期の麦。麦秋色がとても美しい。

ミントやカモミールなどのハーブがあちこちに。いい香りがします。

大自然の中にある有機園さんの畑。ここでいろいろな種類のお野菜が作られています。

「こんにゃく芋は収穫に3年くらいかかるのよー」という話。早苗さんはお野菜のことをいろいろ教えてくれます。

料理教室のテーマは「野菜の重ね煮」。
重ね煮とは、切った野菜を鍋の中に決められた順番に重ねていき、
底と上に塩を振って蒸し煮する料理方法。
ナスやトマトなどの上に伸びる性質の野菜は鍋の下へ、
ニンジンやゴボウなど下に伸びる性質の野菜は鍋の上のほうへ、
そうすることでじわっと出てくる野菜の水分が水蒸気となってうまく対流し、
それぞれの野菜の力を引き出して旨みが出るそう。

今回の料理教室のテーマは「重ね煮」。お野菜とお塩だけで作ります。

重ね煮の一番上はニンジン。その上にお塩(波花堂さんの“御塩”)をふります。

有機園さんのロッジにある大きなテーブルを15人ほどで囲んで。
上は70代(たぶん)、下は20代と幅広い年齢層。
ちなみに最年少は我が娘5歳。
またドイツからWWOOFで来ていた子、
東京から1か月前に移住してきた子など出身もばらばら。
これだけさまざまな女性が参加する料理教室は珍しいんじゃないかな。
話す内容も幅広くとても面白い。

大きなテーブルを囲んでの料理教室は楽しい。

いろはも参加。包丁でニンジンを切ります。

そして料理の素材である野菜たちは、すぐ横の畑で採れたもの。
タマネギはちょうど収穫の時期、トマトやナスはもうちょっと収穫が先だねと、
野菜は年中収穫できるものじゃなくて、旬の時期があることを学びながら。
お塩やオリーブオイルなどの調味料も小豆島産のもの。
お塩は、小豆島の海水を使って作られた波花堂さんの「御塩(ごえん)」。
なんとその波花堂の方も料理教室に参加されていて、
こうやってどんどん人やものが繋がっていくのも小豆島ならではだと思います。

有機園さんでこの春収穫したタマネギ。切り方を教わります。

できあがった野菜の重ね煮はとても甘く美味しく、いろはもぱくぱく食べていました。
重ね煮を使ったスープやオムレツ、チジミなどのアレンジメニューもいただきながら、
感想を話したり、自己紹介しあったり。

できあがった料理を食べながら自己紹介。ここでまた新たな関係が生まれます。

有機園さんは、畑と料理する場所、食べる場所がとても近い。
これが「食」の理想の姿なんじゃないかなと思う。
そしてそこにいろんな人が集まってきて、
農や食を介して新たな関係が日々生まれている。

常連、Aさん

常連客の嘆き。

マチスタに立つようになって5か月。
ぼくにも「常連」と呼べるお客さんがわずかながらついた。
それぞれ顔を思い浮かべてみて、傾向として言えるのはひとつ、男が多い。
というか男しかいない。
畢竟、ぼくの時間帯である平日の午前中(または日曜日)に常連が重なったときは、
マチスタ史上これまでになかったであろう「野郎な空気」が濃く漂う。
年代はさまざまだ。下は高校生(第39回『空白の時間帯』に登場)、
上は60歳代まで。個人のお客さんについて書くのは気がひけるんだけど、
今回はその60歳代、最年長の常連さんについて書いてみたい。

ここでは「Aさん」としておく。Aさんは岡山のまちなかで長く商売をしていた。
いまはほとんど店を開けることもなく、事実上の引退生活を送っている。
年齢は60歳をちょっと過ぎたあたり。
見た目はまだまだ若々しい(ニューバランスのスニーカーを愛用)。
50代でも十分通用しそうなのに、自分を「年寄り」にカテゴライズして話す。
たとえばこんな具合だ。
「年寄りになってお金がないのは惨めやで」
ちなみにこのAさん、関西のご出身である。
「でも、たくさんあってもいかん。年寄りにはお金を遣う体力がない。そりゃ情けない」
Aさんの言葉はすべからくネガティブで、根底にニヒリズムが漂う。
「世の中、詐欺みたいなもんやで。なんもかんもが宣伝で、宣伝なんてウソばっかりや」
経済について語る言葉は、哲学的あるいは文学的な趣さえ感じさせる。
「お金ぐらいいいもんはない、でもこれ以上むなしいものはないというのもお金や」
お年寄りのネガティブな言葉は、できれば耳に入れたくない。
親戚でも赤の他人でも、ずしりと胸にのしかかる。
でも、Aさんの言葉はあらましこんな感じで、軽やかで楽しい。
思わずコースターの裏にでも書き留めたくなる。
しかし、同時に哀れだと思うときもある。
そう感じさせるのは、言葉そのものよりも、
むしろこうした言葉を吐くときのAさんの表情である。
大抵、そこはかとなく寂しそうな顔をしている。
とくにお金について話すときは、
自分の手からするするとこぼれた過日の砂金の残像を見ているかのようだ。
しかし、哀れを感じたからといって、ぼくは口をはさむようなことはしない。
無言でカップを磨いたりしながら、
でも、孤独なひとり言にさせないために適度にうなずいてみせる。
それがAさんに対するぼくの最大の情だった。
まさしく、淋しい老人と無口なマスターのふたり劇。
舞台は深夜のバーではなく、午前のマチスタコーヒー……。

そんなAさんとの関係が、とある朝を境に大きく変化した。
Aさんが夢の話をしたことがきっかけだった。
夢といっても、たいした話じゃないのだ。
たとえば、「コルベットを所有してみたかった」とか、
「ブルドッグを飼いたかった」とか。
これまでもこの手の「かなわなかった夢」をこぼし嘆くということが何度かあった。
その朝話した夢というのもまさにそれで、
いつものように脈絡なくふと口をついて出た。
「一度でいいから、うちの(奥さん)とふたりで
カシオペアとかトワイライトエクスプレスとか、寝台特急に乗って旅をしたかった」
コルベットもブルドッグも聞き流したのに、
どういうわけか、奥さんとのふたり旅は聞き流さなかった。
時間とともに関係に慣れてきたというのもあったと思う。
まあ、ついつい突っ込みを入れたわけだ。
「行けばいいじゃないですか?」
Aさんはこれまでぼくから受けたことのない返しをくらって狼狽した。
「う、うっ……」
旅に出られない理由を誰にも言ったことはないのか、
次の言葉を口にするのは思いのほか難産だった。
そしてようやく出て来た言葉、意外にも「猫が」だった。
「ネコ?」
「そう、猫。猫がいるのよ……だから家を空けられない」
目を細め、いかにも煙たげな顔でそう言った。
「若いんですか、その猫?」
「3歳かな」
「どこかに預けられないんですか?」
「これが気性の激しい猫でな、オレらにでも抱かせない。
無理をしようとしたら、すぐ爪で腕とかやられる」
そう言いながら、Aさんは携帯電話をいじり始めた。
しばらく携帯の画面を見ていたと思うと、「ほら」と言って画面をこちらに向けた。
見事に美しい猫だった。おまけに目はくりっとして、なんともいえない愛嬌がある。
「これまたかわいい猫ですね」
Aさんの顔つきが変わっていた。
「そうなのよ、これが最高にかわいいんよ」
目尻から頬から、ついさっきまでの煙たげな顔がうそのように弛みきっている。
まさにあれだ、孫を自慢しているおじいちゃんの顔。

突っ込みを入れることに抵抗がなくなったおかげで、
いまではAさんについてのいろんなことを知っている。
ブルドッグを飼えないのは、前述の、愛してやまない猫がいるから。
コルベットを買えないのは、Aさんのお父さんが遺品として残した
国産某社のSがあるから(名車!)。
そして、AさんがそのSを「世界で最高の車」だと思っているように、
長年連れ添っている奥さんを「世界で最高の女性」だと思っていることも。

かくしてロールプレイは完全に終わったわけだが、
それでもAさんはいまも嘆く。
目下の嘆きは、これからさらにお金が遣えなくなること。
この夏、関東にいる長男に第一子が、初孫が生まれるのだ。

Aさんは猫がいるがための不自由さに代わる十分な対価をその猫からもらっている。「じゃあ、うちのサブの場合は?」と自然思う。正直、よくわからない。全然もらってない気がするけど、もしかしたらもらっているかもしれない。どっちにしても、最近、サブとの関係がいい。それでも、ぼくはいまもサブについてよく嘆いている。

身近に果樹がある生活

旬の果物を、楽しく、美味しく。

曇り空が続くここ数日。
四国地方は例年よりも9日早く梅雨入りしたそうです。
ここのとこ全然雨が降っていないので、そろそろしっかり降ってほしいところ。
畑のお野菜たちのためにも、自分たちの体を休めるためにも(笑)。

「晴耕雨読」という言葉があります。
晴れた日には田畑を耕し、雨の日には家に引きこもって読書する、というような意味。
まさにいまはそんな暮らしで、晴れの日は基本的に畑。
事務作業は夜でもできるし、晴れてるなら畑であれしよ、これしよっと思ってしまう。
なので、あまりにも晴れの日が続くと体が疲れてきて雨が恋しくなってきます。

そして待望の雨。
そんな日は家の中で、事務作業をしたり、料理をしたり。
体を休めながら、気になってることをあれこれとします。

あれやらなきゃこれやらなきゃといつもいろいろなことが気になってるのですが(笑)、
その中のひとつ、ご近所さんからいただいた夏みかんやいちごでジャム作り。
食べてしまえる量ならいいんだけど、あきらかにそんな量じゃなくて、
30キロ用の米袋に夏みかんどっさり。それを4袋とかそういう量。
放っておくとすぐに傷んでしまうので、
なんとかしなきゃといつも頭の片隅で気になってる。

隣のおばちゃんの畑で収穫した無農薬の路地イチゴ。小さいサイズがジャムにするのにちょうどいい。

隣のおっちゃんはみかん農家。ネーブルオレンジやスイートなどいろいろな種類のみかんを栽培しています。

私たちが暮らしている小豆島の肥土山では、
村人全員といってもいいほど皆、畑仕事をされています。
もちろん家庭菜園レベルから専業農家まで幅は広いけど、皆何かしら作っている。
だから風景の中に普通に畑や田んぼがある。
そしてこっちに来て印象的だったのは、果樹の多さ。
道を歩けば、みかんやダイダイ、レモン、柿、梅、
サクランボ、ビワ、ザクロなどの木があって、実がなっている。
こういうのは何も特別じゃなくて昔は普通だったのかもしれない。
学校の帰り道にザクロを採って食べたり。プチプチ酸っぱい感じ。
それがまだ残っているだけなのかも。
でも名古屋から引越してきた私たちにとって、それはとても印象的な風景。

集落のいたるところで、こんなふうにして果物が実っている。

「みかん持って帰りー」と通りすがりのおばちゃんがおすそ分けしてくれます。

引っ越してすぐの10、11月頃は、ちょうど早生の温州みかんの収穫が始まる時期。
家の目の前も小さなみかん畑で、近所のおばちゃんが収穫したみかんをくれたり、
いろはも一緒に収穫したり。
わざわざフルーツ園などに行かなくとも、ここで暮らせば
毎日「みかん狩り」ができるなーと思った記憶がある。

金柑の収穫。実を収穫する行為は宝物をかき集めてるみたいでいろはも楽しいらしい。

収穫した金柑をさっそくジャムに加工。とても綺麗な色。

種を抜き取る作業。ジャム作りはこういう地道な作業が多くて大変だったりもする。

こうして年中、何かしらの果物が収穫できるこの場所で暮らしていると、
常に家にも何かしらの果物があって、自然とそれを加工して
ジャムやシロップ、ジュース、ポン酢などを作るようになった。
最初に作ったのはイチジクのジャム、続いてレモン&オレンジシロップ、
そして金柑ジャム、ダイダイポン酢、夏みかんジャム、サクランボジャム、
サクランボ酒、イチゴジャム、イチゴの酵素シロップ……と
次々とその季節に採れる旬の果物で挑戦してみている。
作ることが楽しくなってきて、たくさん作っては友だちやご近所さんにおすそ分け。
「この前は夏みかんをありがとう」と言って、
もらった夏みかんで作ったジャムをお礼に。
こうやって果物を通して自然とコミュニケーションが生まれたり。

イチゴジャム作り中。なんとも言えない甘い香りが台所中に漂います。

瓶に入れて、パソコンで作ったラベルを貼れば立派なジャムに。小豆島肥土山産の「夏ミカンジャム」の完成。

「果物離れ」という言葉を聞いたことがある。
すぐに食べられるお菓子の種類が豊富となり、
皮を向かなきゃ食べられない、日持ちしない、値段が高い果物を
食べる機会が減っているそう。
確かに名古屋にいる頃の我が家も果物離れしていたと思う。
だけど肥土山で暮らすようになり、格段に果物を食べる機会が増えました。
身近に果樹があり、それに少し手間を加えて食べる時間があるからなのかも。

イチゴシロップを炭酸で割ってレモンの輪切りとミントを添えて。色がとっても綺麗で飲むのが楽しい。

果物が育っていく様子を日々見られる。
自分たちが収穫できる。
旬の果物を知ることができる。
身近に果樹がある生活は、子どもにとっても大人にとっても楽しくて、
何より美味しく学べるのがうれしい。

銀座・おば古

大切なおばあちゃんの味。

前回の出張以来、すっかり山形ファンになってしまった。
銀座にある山形アンテナショップ「おいしい山形プラザ」に立ち寄り、
からから煎餅や、ずんだ餅など、あれやこれやと物色。
ふと、以前行ったことのある山形料理屋が近くにあったことを思い出し、立ち寄ってみた。

銀座一丁目にある「おば古」。
日替わりランチを注文する。
まず出されるのが、名物「むき蕎麦」。
そばの実をむいて茹でたものに、ダシ汁をかけて食べる酒田地方の郷土料理。
プチプチの蕎麦の実と、ひんやり冷たいだしが心地よく、癖になる美味しさ。
その後、焼き魚をメインとした定食が運ばれて来る。
量、質、ともに充実の内容。

建物が古いためか、ほの暗い店内は妙に居心地が良い。
店を切り盛りしている女将さん、糊のぴしっと利いた真っ白い割烹着をまとい、
テキパキと持ち場をこなす。
壁にかかっているメニューに目を通すと、聞いたことのない名前がずらり。
きもと? 田毎むし? べんけいめし?
山形郷土料理、どうやら奥が深そう。
そこで女将さんにお願いをしてみた。
「山形料理のことや、もし思い出の郷土料理などあれば伺えないでしょうか」
女将さん、「はい」とひと言、承諾してくれた。

お茶漬けのようにサラッといただけるむきそば。酒田市では給食にも上るそう。

その時々で、季節のものを頂ける。冬には名物「どんがら汁」もメニューに上る。どんがら汁は寒ダラの頭から内蔵まで全てを豪快に煮込んだみそ汁。庄内地方の漁師料理。

SNSが地方と都会を繋いでくれた

SNSからリアルな繋がりへ。

小豆島で暮らすようになって半年。
この半年間で本当にいろいろな人たちと出会いました。
そのまま名古屋で働いていたら出会わなかったであろう人たち。
当たり前なのかもしれないけど、住む場所、暮らし方を変えると、
関わる人もがらっと変わるものだなと実感します。

実は小豆島で暮らし始める前から、何人かの島の人たちとはFacebookやTwitterなどの
SNS(ソーシャルネットワークサービス)で繋がっていました。
おじいちゃんの家に戻ってくるとはいえ、
島で暮らしたことがない私たちには知り合いがほとんどおらず。
なので、FacebookやTwitterで「小豆島」や「移住」などのキーワードで探して、
面白いことをしてる人、楽しそうな写真を投稿している人、
自分と考え方が似ていそうな人たちをフォロー。
小豆島の人たちはSNSの利用がとても活発で、島に住んでいなくても
島の生の情報を名古屋にいながらキャッチしていました。

そして移住半年前には小豆島まで足を運び、何人かの人に直接会ってお話を聞きました。
島でどんな生き方、働き方ができるのか、具体的なことをいろいろ相談。
その時お会いした中のひとりが、オリーブオイルソムリエであり
オリーブ栽培もしている「i's Life(イズライフ)」の堤 祐也さんです。
堤さん自身も9年ほど前に小豆島へ移住され、
小豆島に住むご親戚の会社の新事業としてイズライフを立ちあげ、
オリーブやレモンの栽培を行なわれています。

イズライフのグリーンレモンオリーブオイル(左)とエキストラバージンオリーブオイル(右)は100%小豆島産。

お会いすることになったきっかけは、堤さんのFacebookに投稿された子ヤギたちの写真。
これは会いたい!(子ヤギたちに、笑)と調べてみると、
ヤギを飼っているのは農業体験できる宿であることがわかり、
さらに堤さんのオリーブ畑の目の前。面白そうだから泊まってみることに。
堤さんはヤギさんたちのごはんとなる剪定したオリーブの枝を持って登場。
引越して来ることを話すと、びっくりしながらも、
オリーブについてや島での仕事の話などいろいろ教えてくれました。

イズライフの堤さんと。子ヤギさんたちにオリーブの葉をあげながら、島での仕事についてなど相談。

そして小豆島に引越してすぐに再会し、2週間後には堤さんの畑でオリーブ収穫体験。
3日間ひたすらオリーブを収穫しました。
収穫体験というより収穫の仕事(笑)。
この3日間で身をもってオリーブについて学ぶことができ、
さらに一緒に収穫をお手伝いした島の方々とお話でき、一気に人の輪が広がりました。

去年の11月、堤さんのオリーブ畑で収穫のお手伝い。

収穫袋いっぱいになったオリーブの実。この3日間でオリーブが一気に身近になりました。

その堤さんが、オリーブオイルのお店をオープンすることに。
お店のオープン準備やWebサイトの制作などに私も関わらせていただけて、
とてもワクワクしました。
自分たちでものをつくり、それを売るためのお店や
情報を発信するためのWebサイトをつくる。
なんともエキサイティングな時間。

お店のオープン前にWebサイト用の写真を撮影。こういう期間は大変だけど一番楽しい。

グリーンレモンオリーブオイルのリーフレット用の撮影。島に住む料理上手の友人がレシピを考え作りました。

そして今年2月、小豆島土庄町のオリーブ通りに
オリーブオイル専門店「i's Life(イズライフ)」をオープン。
白い壁に描かれた大きなオリーブの絵がとても素敵なお店です。
お店ではイズライフのオリジナル商品であるエキストラバージンオリーブオイルや
グリーンレモンオリーブオイルを購入できるほか、
オリーブオイルソムリエである堤さんがセレクトした海外産のオリーブオイルや
小豆島産のお素麺やお塩などを購入できます。

オリーブ通りにあるイズライフ。ここだけちょっと都会の香りがします(笑)。

坂手港待合所に「小豆島縁起絵巻」を描いた岡村美紀さんによるオリーブの木。

オリーブオイルソムリエである堤さんがセレクトした海外産のオリーブオイル。味やどんな料理に向いているか話しながら購入できます。

小豆島産のお素麺。作り手と直接繋がっている堤さんだからこそのセレクト。

ほんの数年前までは、都会にいながら
離れた地方の生の情報を得ることは難しかったと思う。
でもいまはFacebookやTwitterなどのSNSがある。
自分の工夫次第で必要な情報を得ることができ、
直接コミュニケーションをとることもできる。
イズライフのお店にも「Twitterを見て来ました」というお客さんが
何人かいらっしゃるそうです。

人と繋がることで、地域のことを教えてもらえたり、
新しい仕事が生まれたり、また繋がりが広がっていったり。
地方で楽しく生きていくためには、人との繋がりは不可欠だと思う。
インターネット上の繋がりからリアルな繋がりへ。
こうやって少しずつ輪を広げていければいいなと思う。

“続ける”こと

〈tweet rocka〉の10年。

日本で一番のカフェだと思っている。
倉敷の南町、市立美術館から3分ほどのところにある〈tweet rocka〉(トゥイート・ロッカ)。
倉敷市民のごく一部に熱烈に愛されてきたこの小さなカフェが
この5月に開店10周年を迎えた。
店主の末永さんは実に控えめな人柄で、
節目を迎えたからといってなにか催しをやろうかというお人じゃない。
そこで常連客が企画してささやかなパーティを開いた。
20人いるかどうかのつつましい集まりであったが、
いろんな意味で「らしい」集まりでもあった。
あまり派手なのはそぐわないのだ。
この10年、息をひそめるように、
でも自分たちのスタイルは変えることなく店を続けてきた。
そこにあるつつましさのようなものはこのカフェの最大の美点である。
実はマチスタをやるようになって、お店を見る目が大きく変わった。
どんなお店でも、カフェでも定食屋でも金物屋でもなんでも、
長くやっているところはそれだけで心からスゴイと思うようになった。
それまでは、たまに立ち寄る店から「(開店して)3年になります」と言われても、
「明日の沖縄の天気は曇りです」とささやかれているのと同じぐらい、
なんにも感じるところがなかった。
<tweet rocka>の10年……。頭が下がるどころの話じゃない。
10年の中身を正確に知るのは末永さんとサッちゃんのふたりだけで、
その間の苦労や思いや巡らせた考えのあれこれは
これからもぼくたちに知らされることはない。
はたからその重さを推し量ろうとするだけで、
なんというか、もう涙が出そうになるのだ。
どこまでも控えめな彼らだから、もうこれ以上は書かない。
長く続けてほしいという勝手も言わない。
ただ、ふたりが今後お店を続けていくうえで、
かかる苦労の少ないことを願うばかりである。

我が社アジアンビーハイブは決算月が2月ということで、
2か月後の4月末に法人税と消費税の納付期限を迎えていた。
2012年度の決算報告書が上がってきたのは、それよりも数日前のこと。
まあ予想はしていたけど、結果は赤字だ。
2009年度に黒字に転向して以降、3年連続で黒字を達成し、
数字もわずかながら上向いていた。
はた目には、その勢いで船出した飲食店事業といったところだが、
横波をまともにくらって見事に撃沈。
広告制作であげた利益を全部マチスタのマイナス分に回しても
150万円ほどの赤字が残った。
会社が赤字になったこと自体は、さほどの失望感はない。
だいたい、会社を立ち上げてからしばらくずっと赤字だったし。
それにこれ以上の大きな融資を受けるつもりもないから、
銀行の心証なんか気にしなくていいのだ。
でも、問題は会社が赤字だろうがなんだろうが、容赦のまったくない税金のシステムだ。
法人税が倉敷市に5万円、岡山市に5万円、そして岡山県に2万円。
これ、いっぺんに払うとなると結構しんどい。
さらに恐るべきは税務署への消費税の支払い、その額28万円。
くどいようだけど、「うちの会社は赤字ですよ、しんどいッスよ」って申告しているのだ。
ヒトの社会だったら、そこになんらかの「やさしさ」があっていいんじゃないか。
10万円を工面するのにも息切れしそうなのに、
どうやって40万円もの大金を支払えと? 
そして迎えた支払期限の4月末、ぼくは法人税の12万円をなんとか銀行で支払った後、
その反動かやけになったのか、ちょっとハイな気分になって児島税務署に行った。
初めて通された小さな応接室には、誰もいないのに加齢臭が濃く漂っていた。
部屋に入ってきた担当者は、案外、人のよさそうな笑顔で、
おまけに話のしやすい人だった。
最初は「払えんものは払えん!」的強気で会合に臨んだのであるが、
さほどの時間をおかずに「いや、払いたいのはやまやまで」と譲歩を見せると、
あとは「ですよねえ」を連発していた。会合はものの10分もかからなかった。
結果は28万円を10か月の分割で支払うことに。
税務署を出るときには、どういうわけか気分は晴れ晴れしい。
そんな自分をふと顧みて、完全にしてやられたことを悟ったのであった。
あの担当者、ゴルゴ13だったな。

ここのところマチスタが悪くない。
昨年12月から一日の売り上げ平均が1万2000円台に突入し、
年が明けても、そこからさらに少しずつ伸びているのだ。
昨年よりも一日の営業時間を朝と夕に一時間ずつ短縮しているにも拘らずである。
3月には未踏の1万3000円台に限りなく迫る売り上げを記録した。
これにはぼくものーちゃんも手放しで気をよくしていた。
「いい感じだよね」とお互い帳簿の数字を見てほくそ笑むような。
とはいうものの、まだ赤字であることには変わらない。
しかもぼくの人件費はまったくの計算外だ。
そんな折り、4月20日過ぎだったと思う。
決算の件で税理士のシマヅさんとメールのやりとりをするなかで、
彼女がマチスタの一日平均の売り上げ目標を出してくれた。
赤字を脱却するラインは「あくまでも目安として」とあり、
1万6000円とあった。うーん、1万6000円か……。
コーヒーを一日あと10杯売ればいい計算だが、
このたった10杯がまったく思うようにならない。
1杯でさえ確実に増やすとなると至難なのだ。
マチスタをやって1年、素人だったぼくにもだいぶん見えてくるようになった。
簡単なことはなにひとつない、続けることはそれだけで大変だ。

最近、ミディアムのコーヒーをエアロプレスで淹れたりもしている。写真の注射器みたいなのがそれです。浅めの煎りのコーヒーには実にマッチする。これからもコーヒーにこだわりたいから、ドリップに限定せず、新しい抽出法も採り入れていきたい。

毎週木曜日に来る常連のオジさんにもらったチョロQ。マチスタの目の前を走っている「おかでん」こと岡山電気軌道の路面電車バージョン。行く先のところには「岡山駅⇒清輝橋」とある。かなりのレアものか?と調べてみたら、そうでもなかった。