日曜日のマチスタ

閉店まであと13日——————

あれは3月のいつだったか、とにかく日曜日であることは間違いない。
陽も暮れかけた店の前の歩道に、ひとりのおばあちゃんの姿を見つけた。
左手に杖を、右手には岡山市指定の黄色のゴミ袋をもっている。
町内のゴミ捨て場がマチスタのすぐ目の前にあって、
おばあちゃんはそこにゴミを出そうとしていた。
ぼくは厨房でコーヒーを淹れていたんだけど、その姿が目について仕方ない。
というのもそのおばあちゃん、恐ろしく歩くのが遅いのだ。
そのペースといったらまさにカタツムリのごとし。
ちらちら目にしているぼくはというと、わりとせっかちときたものだから、
思わずお客さんに「すぐ戻ります」と言って店を出た。
「その袋、もちます」
いったいに老人に親切というわけじゃない。
今回は親切でもなくって、せっかちゆえの行為である。
おばあちゃんは最初驚いたような表情をしたが、すぐに笑顔に変わって、
「悪いわね」。2秒とかからなかった。
ゴミを置いて、素っ気なく店に戻ろうとするぼくに、
今度はおばあちゃんが声をかけてきた。
「悪いんだけど」
そう言って、マチスタのあるビルの脇の小径に杖の先を向けた。
「もうひとつあるの」
おばあちゃんとの出会いはあらましそんな感じだった。
以降、ぼくが日曜日の店番のときにはゴミ出しを手伝うようになった。
おばあちゃんの家はマチスタのビルのすぐ裏手にある。
夕方には家の裏口にゴミが出してあって、
それを勝手にゴミ置き場に持って行くだけ。
おばあちゃんがやったら30分はかかろうかという作業も、
ぼくなら1分もかからない。手間でもなんでもなかった。

最初の出会いからひと月ほど経った頃だと思う。
唐突におばあちゃんが店にやって来た。
おばあちゃんの姿が見えた途端、ぼくは入り口のところまで飛んで行ってドアを開けた。
「どうしたの、おばあちゃん? 
ゴミならもうちょっとしたら取りに行こうと思ってたんだけど」
「ううん、コーヒーをいただきに来たの」
下から見上げた顔がなんだか愛らしかった。
よく見ると、にわかにおめかしをしているようでもある。
「いただけるかしら?」
「はい、そりゃもちろん」
以来、おばあちゃんはマチスタの日曜日の常連となった。
当初、ゴミ出しのお礼として店に来てくれているのかと思ったけど、
どうやらそうでもないようだった。
むしろ、日曜日のマチスタでのコーヒーを楽しみにしてくれているふしがある。
注文するのはきまって、砂糖とミルクを入れたホットのブレンドと焼き菓子をひとつ。
テーブル席でゆっくりゆっくり、上品に、美味しそうにコーヒーを飲む。
お店がたてこんでいるときは、おばあちゃんの家までデリバリーすることもある。
お客さんにはその間留守番してもらうことになるのだけど。

マチスタを閉めると決めたとき、一番に思い浮かんだのがこのおばあちゃんの顔だった。
閉めようかと考え始めたときからそうだった。
そしておばあちゃんの顔が浮かぶたび、
ぼくは胸が痛くなるほどの申し訳なさでいっぱいになる。

言い訳めいたことはごちゃごちゃ書きたくない。
けれども、けじめのひとつとして報告はしておかなきゃいけないと思う。
閉店はひとえに経済的な理由からだ。
母体のアジアンビーハイブの売り上げが芳しくなく、
マチスタの赤字をこれ以上補填できなくなった。
この1年ちょっとで銀行から300万円を借りた。借金もこれ以上はできない。
この夏が限界だと判断した。
正直、GWが明けたあたりまで閉めようなんて考えたこともなかった。
今年に入って、ぼくの給料がまともに出たのは2月に一度だけ。
それだけやりくりはずっとギリギリの状態だったけど、
それでも閉店はつゆほども考えなかった。
でも、選択肢のひとつとしていったん考え始めると、
閉店以外の選択肢はないように思えてきた。
無理を押し通す力があるうちは店を続けられたのだが、
もうぼくにその力はない。そう認めざるをえなかった。
悔しいけど敗北だ。完全な敗北だ。

マチスタを利用してくれている人たちの顔が次々と浮かぶ。
浮かぶ彼らの顔はみんな笑顔だ。
この店を気に入ってくれて、足を運んでくれた人たち。
彼らすべての人たちに対して、本当に申し訳ない。ごめんなさい。

マチスタ閉店の日まで、あと2週間。
店内の告知でほとんどのお客さんには閉店をお知らせできた。
だが、あのおばあちゃんにはまだ伝えられていない。

ここ2か月ほど、常連のAさんから借りた「現場監督」というフィルムのコンパクトカメラで写真を撮っている。この写真、フィルムに焼き付いた日付を見て気づいた。ちょうど閉店を決めた時期に撮った写真だった。

植木屋時代の先輩ジローちゃんに電話で閉店を知らせると、「そうか。じゃあ最後はオレが歌うか」。むげに断ることもできず、かくして7月21日、最終営業日の夜にジローちゃんの二度目のレゲエライブが実現。

 

江戸時代から続く伝統行事、虫送り

350年続く、幻想的な光景。

小豆島の肥土山に引っ越してきて、この地域の人として参加するのを
とても楽しみにしていた行事がふたつあります。
ひとつめは5月に行われた「肥土山農村歌舞伎」。
そしてもうひとつが「虫送り」です。

半夏生(はんげしょう)の日にあたる7月2日の夕方、
1661年から続いている伝統行事、虫送りが肥土山でありました。
映画『八日目の蝉』にも出てくる、とても幻想的な光景の行事です。
地域の子どもたちが、火手(ほて)と呼ばれる竹で作った松明を
田んぼにかざしながら、列を作って虫を追い払います。

肥土山の田んぼの中を火手を持って列になって歩いていきます。

火手の火は思ったよりも大きく危ないため、小さい子どもたちは大人と一緒に。

半夏生とは、雑節(季節の移り変わりをつかむために設けられた暦日)のひとつで、
夏至から数えて11日目頃の日。
昔は、夏至からこの半夏生の頃までに田植えをしていたそうで、
田植えが無事に終わったこの時期に、虫よけと豊作を祈願して
行われるようになったそう。

私たち家族は、今回初めて虫送りに参加。
まずは、火手づくりから。

実はこの火手、各家庭で作って当日持参します。
「うちはじいちゃんが孫の火手を作っとるよー」という感じ。
用意してもらえるものだと勝手に思っていたので、これには結構驚きました。
地元の子ども会が「いっしょに自分の火手を作りませんか?」
という機会を設けてくれたので、それに参加してマイ火手づくり。
基本的にどうやって作るのかは自由。
約1キロ歩く間に火が消えないようにするため、
パワーアップした火手を作る家族もあって面白い。
うちは初回ということもありオーソドックスな火手に。

お母さんと一緒に自分の火手づくり。木を挟んだ竹の先端を針金でぐるぐる。

ボロ布と木を束ねて針金でとめます。これが燃える部分。

竹の先端を割きます。この割いた部分にボロ布と木を入れます。

そして、当日。
地元のお寺、多聞寺で虫よけ、五穀豊穣を祈願、虫塚で稲の虫の供養を行い、
本尊に供えてある火を提灯に移して、出発場所の肥土山離宮八幡神社へ移動します。
子どもたちも夕方6時を過ぎると、みな火手を持って出発場所に向かいます。
出発前に、地元のお米農家さんから虫送りの目的や歴史のお話。

多聞寺のおじゅっさんが、虫塚で稲の虫の供養。

子どもたちは肥土山離宮八幡神社に集合。火手の持ち方などを聞く。

地元のお米農家さんから、虫送りの目的や歴史のお話を聞きます。

いよいよスタート。
ひとりずつ火手に火をつけてもらって、田んぼのあぜ道を歩きます。
約1キロ、次の集落との境目の蓬莱橋(ほうらいばし)まで。
暮れゆく中、約200人が火手を持って歩いていく様子は本当に幻想的で美しかった。
作られたお話ではなく、現実に存在している行事で、それに参加している。
ただただ感動。

虫送りの出発地。これからいよいよ虫送りのスタート。

小さい子から順番に火をつけてもらって出発。

地元のたくさんの方々が火をつけたり、警備をしてくださったりします。

ちなみに昔は、農村地帯が続く中山、肥土山、黒岩地区へと火をリレーして、
虫を海まで追い出していたそう。現在は肥土山単独で行われており、
海に繋がる伝法川の蓬莱橋から火手を川に落として、虫送り終了。

列になって歩く様子は本当に美しい。

伝法川の蓬莱橋から火手を川に投げて、虫送り終了。

350年以上も変わらないかたちで続いているというのは、本当にすごいことだと思う。
じいちゃんのじいちゃんもそのまたじいちゃんも
何世代にもわたって、ここで虫送りが行われてきた。
そして何より稲が育てられ続けている。
農のある暮らしがずっと続いている。

伝統行事の多くは、農のある暮らしがきっとそのベースにあるんだと思う。
だから多くの人が農から離れてしまったいま、
行事は消滅したり、形式的なものになりつつある。
目的やその精神も残し続けることは本当に難しいことだと思う。
それでも、この美しい行事や農のある風景が、途絶えることなく続いていくことを願い、
私たち家族も関わっていければと思う。

神輿を川に投げ込んで神々に感謝!能登で最も勇壮な「あばれ祭」

石川県能登半島に夏の始まりを告げるお祭り、
「あばれ祭」が7月5、6日、石川県能登町宇出津で開催されます。
その名のとおり、祭りのクライマックスには
担ぎ手が暴れて、お神輿を壊したり海や川に投げ込むのが習わし。
じつに約350年の歴史を持つ由緒正しいお祭りです。

お祭りにおいては、高さ7m、40本以上のキリコ(巨大行燈)と
お神輿を丘の上にある八坂神社まで担いでいきます。
その道程で、地面に叩きつけたりしてお神輿を壊していき、
川に差し掛かると、そのお神輿を川に放り投げるんです!
続いて担ぎ手も川に飛び込み、川の中でまたお神輿を担いで
さらに暴れます。神社に到着したら松明に打ち付けるなど
のしきたりもあって、担ぎ手はかなりの体力を消耗することに...。
それでも職人さんによって作られたお神輿は全壊することはなく、
数年間は使えるそうです。

かつて、宇出津では疫病が流行したことがあり、困った住民は
京都の八坂神社に詣でて「牛頭天王」を勧請したところ、神童が
青い蜂となって患者を刺して病気を治してくれました。
その感謝の気持ちを込めて、牛頭天王が好むとされる
荒々しいことを行なったのが始まりということです。
二日間、まちが眠らずに行われるというこのお祭り、
現地で体験したらすごく楽しそう。
いつか見に行ってみたいお祭りです。

あばれ祭

写真:シンジマンさん

田舎で子どもを育てる

田んぼで力いっぱい遊ぶ子どもたち。

梅雨らしい天気が数日続いている小豆島。
梅雨というより夏の豪雨のような雨が降り続け、
田んぼの稲も、畑の野菜や雑草もぐんっと大きくなった。
緑が一層濃くなり、いよいよ夏がそこまで来ているのを感じます。

私たちが暮らしている小豆島の肥土山(ひとやま)というところには、
小さな田んぼがあちこちにあります。
小さなといってもそれなりの面積はあり、
なんというか田舎スケールで考えた時の“小さな”田んぼです。
大きな米農家さんがどーんと広大な田んぼで米を育てて販売するというより、
それぞれの家が田んぼを所有をしていて、
自分の家や知り合いの分のお米を育てるという感じ。
家のすぐそばにも田んぼ、幼稚園に歩いて行く時にも田んぼ。
いまの時期は青々とした田んぼがとても美しい。
そして、子どもたちは毎日のように田んぼでカエル探しをしています(笑)。

あちこちにある田んぼ。青々としたその様がとても美しい。

夕方、近所の友だちとカエル探し。毎日毎日飽きずによく探します。

その肥土山の田んぼで、先日「どろんこ遊び」がありました。
「美水(みみず)くらぶ」さんが主催してくださるイベントで、
島中の幼稚園児や小学生たちがやってきます。

美水くらぶさん主催のどろんこ遊び。幼稚園から手をつないで歩いたきた子どもたち。

美水くらぶさんは、9年前から活動されている地域の人たちのグループ。
小豆島肥土山で昔ながらの農法でお米作りをしており、
子どもたちにいろいろな体験をさせてくれます。
春のどろんこ遊びから始まり、田植え、草抜き、
秋には稲刈り・はざかけ、脱穀、そして餅つき。
1年を通して、お米を作ることがどんなことなのか、楽しみながら教えてくれます。

私たちが肥土山に引っ越してきたのは去年の10月末だったので、もう稲刈り後。
なので今年は初めてこの1年を通したイベントに参加できます。
実は親の私が一番ワクワクしているのかも(笑)。

どろんこ遊びの日は、晴れ渡った気持ちのいい日でした。
砂場のどろんこ遊びとは迫力が違って、とにかく本気。
子どもたちの表情や動きが本当に楽しそうで、見ているこっちまで興奮しました。
田んぼで駆けっこをしたり、綱引きをしたり、体全体を使って楽しむ。
遊ぶってこういうことなんだなと。

田んぼで駆けっこ。力いっぱい走ってました。

田んぼで綱引き。この風景の中で遊ぶというのはとても贅沢だなと思う。

顔まで泥んこ。

体全体を使って遊ぶ姿は本当に楽しそうでした。

そしてそれをただ見守るだけでなく、
美水くらぶの皆さんや幼稚園の先生たちも一緒に遊ぶ。
一緒に遊びながら、子どもの遊び方の幅を広げる、
さりげなくフォローする大人たちの姿がとてもかっこ良かった。

美水くらぶさんたちも一緒に綱引き。遊び方を教えてくれる。

面白い遊び道具がたくさん。黒い浮き輪みたいなものは、トラックのタイヤから抜き取ったチューブにタライをはめた手作りの遊び道具。

この日は、久々に心が震える風景を見た気がした。
大げさかもしれないけど、それくらい素敵なイベントでした。

田舎で子どもを育てるということは、いいことばかりではない。
素晴らしいこともある反面で、そもそも子どもの数が少ない、
そして教育レベルについてもよく指摘される。
そういうことはやっぱりちゃんと意識して、何らか工夫しないといけない。

それでも、いまの私たちが選んだ子育ての場所はここ。
家で働きながら、子どもとともにどう暮らしていくか、
まだまだ模索中というところかな。

北海道網走の 「北海道立北方民族博物館」 で涼しげな夏至祭

梅雨がない北海道の網走市に、珍しいテーマの博物館
「北海道立北方民族博物館」があります。
東はイヌイト(エスキモー)から、西はスカンディナビアの
サミ(ラップ)まで、広く北方に暮らす民族のことを
展示している博物館なんです。
もう、それだけで爽やかで涼しそう。

そんな北方民族博物館で、本日6月30日(日)は
夏至祭りが行われます。
常設展示の観覧が無料になるほか、
鹿肉のソーセージドッグ製作体験、
フィンランドのボーリングにちょっと似たゲーム「モルック」の
大会も開かれるとか。
北の人びとにとって、短い夏を楽しむすてきなお祭りになりそうです。

北海道立北方民族博物館

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この18か月

50歳のバースデーパーティ

「赤星さんの誕生日パーティをマチスタでやってもいいですか?」
イシイコウジがマチスタにやって来て、
そんなことを聞いたのは5月の末あたりだった。
イシイくんは岡山で活躍しているカメラマンで、
『HMB(ヒゲ・眼鏡・帽子)』というフリーペーパーを発行したりして、
なかなかユニークなクリエイターでもある。
一定の距離を置いて付き合うぶんには、これ以上面白い男はいない。
でも、車間距離を間違えて近づきすぎると、たいがいろくなことにはならない。
今回のように、向こうからすっと距離を詰めてきたときはなおさらである。
「なにそれ? なんか裏がある?」
「いや、ないです、ないです。
パーティでマチスタの半月分の売り上げを稼いでもらいたいなと。
赤星さんへの50歳の誕生日プレゼントです」
マックスに嫌な予感がした。笑顔のなかで目が笑ってない、あれがヤバい。
それでもぼくはあっさり承知した。
ひとつには、そんな胡散くささや面倒くささも含めて、
イシイコウジという人間が結構好きだったりすること。
そしてもうひとつは、純粋にありがたいという気持ちから。
五十のオッサンの誕生日を祝おうなんて、誰がそんなこと言ってくれる?

岡山に戻って10年近く暮らしているからか、
いまでは東京にいた25年が夢のように感じられる。
記憶にある景色や友人たちの顔は、これ以上ないぐらいはっきりしている。
声だって匂いだってもうありありと。
それでもリアリティはどうやら別ものみたいだ。
飲み残したアイスコーヒーみたいにぼんやり薄い。
振り返ってこの50年からして、リアリティがぶっ飛んでしまうぐらいあっという間だった。
半世紀があっという間なんて、
この『マチスタ・ラプソディー』を読んでもらっている20代や30代の読者には
到底考えられないことと思う。
でもこれ、1足す1が2ぐらいの動かしようのない真実なのだ。
マチスタに携わったこの18か月なんて、一夜の夢にも満たない。

かくして誕生日から2日経った6月16日、日曜日の夕刻。
こんなに人がやってくるなんて思ってなかった。
スタートの午後7時にはすでに店内に人がおさまりきらない状態
(まあ店は相当狭いんですけど)。
ぼくの友人・知人には誰にも声をかけていなかった。
「誕生日だから来てよ」なんて、そんな厚かましいことが言える人間じゃないのだ。
イシイくんだって、フェイスブックで告知しただけだと思う。
でもこれ、SNSのネットワーク力というのでしょうか
(SNSという言葉を自分で初めて使ったんだけど、使い方間違ってないですか?)。
それと忘れちゃいけないのが、
ヒトミちゃんが作ってくれたインパクト絶大の告知ビジュアル。
『ジョジョの奇妙な冒険』のタッチをそっくり真似して、
ぼくがスタンド使いのキャラクターのように描かれている
(「スタンド使い」と普通に書いてしまいましたが、ある種の超能力みたいなものです)。

DJセットは常連の田中さんが全部持ち込んでセッティングしてくれた。
田中さんはぼくの80年代好きを知っていて、かける曲はほぼオール80’s。
UKとアメリカを織り交ぜた洋楽が8割、邦楽は2割ぐらい。
キャッチーでメジャーな曲も遠慮することなくバンバンと。もう最高だった。
どの曲がかかっても、
思わず「この曲はね」と目の前にいる人に解説したくなるような、
そんなイカしたセレクトだった。
ところがだ、その夜、ぼくの解説は一曲として果たせなかった。
最初のお客さんが来てくれた瞬間から、ぼくはいつものポジション、
作業台の向こう側に立ってお客さんのオーダーをこなしていたのである。
そりゃ、次から次にお客さんが途切れずやって来て、
やれブレンドだ、アイスコーヒーだ、バナナジュースだと好きなものを注文するのだから、
しかもヒトミちゃんがレジと洗い物を手伝ってくれているとはいえ
注文をこなしているのはぼくひとりだから、
もう慌ただしいなんてもんじゃない。
目の前で「おめでとうございます!」と言ってくれる人とさえもまともに会話もできない。
(なんだ、この100本ノック状態は?)
イシイコウジの顔が浮かぶ。目だけが笑っていないあの笑顔————。
1時間もしないうちに神経の方がやられてきた。
「もうオーダーは受けん! 誰がなにを飲むかはオレが決める。
値段は一律300円、みんな出したものを文句言わずに受け取るように!」
そんな無茶が許された。
むしろ「ウエルカム!」って感じでその場は盛り上がった。
なにしろ、その夜はぼくの誕生日を祝うパーティなのだから。

終始、店の外に人があふれかえった。
男子率が圧倒的に高かったのは言わずもがな、女子も20人ほど来てくれたと思う。
なんと、その夜のためだけに
東京からウェブデザイナーのスワキタカトシもかけつけてくれた
(『Krash japan』のHP全10号を手がけてもらいました)。
クライマックスは倉敷の洋菓子店「エルパンドール」が作ってくれた
特製の巨大フルーツケーキ。
例のヒトミちゃんのジョジョ風のイラストがホワイトチョコの上に描かれている。
ろうそくは小さいのが5本。そして、店のライトを消して『ハッピーバースデイ』の大合唱。
店の内外から聞こえる拍手のうちに、ろうそくの火を吹き消した。
50歳の誕生日、生まれて初めての誕生日パーティ。
イシイくん、ありがとう。
売り上げは半月どころか一日分にも満たなかったけど、素直に感謝してる。
それからわざわざ来てくれたみんな、本当にありがとう。
あの夜、ぼくは世界で一番ハッピーな男だった。

翌営業日の火曜日。マチスタの開店直前、店内に「お知らせ」を貼り出した。

<誠に勝手ではありますが、7月21日(日)をもって閉店させていただくこととなりました。
これまで当店にお寄せいただきましたご厚誼に心から感謝申し上げます。>

マチスタ閉店の日まで残すところ約1か月————。

「芸術人(アーティスト)」とか「命尽きるまで」のコピーはすべて『ジョジョの〜』に登場するキャラクター・岸辺露伴に用いられたもの。「ドドドドドド」という効果音が雰囲気をとらえていて非常によろし。

ろうそくの火を消し終わった直後。首に巻いたタオルの左右のずれ具合が、さっきまでのキツい労働を物語っています。身につけているTシャツはLAドジャースですが、例によってドジャースファンではありません。

イベントごとはジローちゃんのレゲエライブ以来。夜に人が集まると、すぐに人があふれかえるのがマチスタの特徴。でも、それがかえってクールじゃないですか? 見ようによってはNYとかロンドンみたいで。

博多が興奮のるつぼになる! ダイナミックな祭り 「博多祇園山笠」開催間近

来週7月1日から15日まで、博多伝統のお祭り
「博多祇園山笠」が開催されます。
博多っ子にとってはリオのカーニバルともいえる
このお祭り、なんと1241年に始まったという大変由緒あるもの。
高さ約15メートル、重さ約1トンもの山笠を博多の各地区(流といいます)ごとに
作り、これを動かしてまわる(舁きまわる)のです。

お祭りのあいだはこの山笠を町内に飾ったり、
長年功労のあった長老や子どもたちを乗せてゆっくり町内を舁きまわしたり
するのですが、最終日の大クライマックスとして
男たちが早朝の博多の町を疾風のごとく駆け抜ける「追い山」を行います。
もともと祭り中に町内どうしが喧嘩をしたことから始まった
というだけあって、巨大な山笠を荒々しく舁きまわすのが恒例となっています。
地元のテレビ局ではこの様子を6台のカメラやクレーンカメラで撮影し、
山笠の勢いや男たちの表情、観客の興奮の様子を伝えるそうです。

ちなみに、きゅうりを輪切りにした切り口と、祭神の祇園様の
ご神紋がよく似ているため、博多人は山笠期間中は
きゅうりを食べてはいけないとのこと。
博多祇園山笠の詳細な日程はWebサイトで公開されています。

博多祇園山笠

目指せコーヒー・フリーク

岡山の「コーヒー・フリーク」が集まって。

<「コーヒーの街」として全国的に認知されるには何かが足りない>
昨年の秋に出た『BRUTUS』のコーヒー特集。
そのなかで岡山のコーヒー事情を書かせてもらって、
ひとつ課題をこう提起した。岡山はコーヒー関連の店が多く、
個々の店のレベルもかなり高いと思う。
でも、京都や福岡のように全国に広く知られているとは言いがたい。
これから岡山を「コーヒーの街」として認知してもらうためにはどうすればいいか。
記事の最後をこう締めくくった。
<福岡で見たエリアの連携は有効である気がする————
今後、岡山で連携が可能かどうかを探ってみようと思う>
いい加減な締めだと感じた人がいるかもしれない。
地域の連携を探るとか、「そんな面倒、絶対しないよ」と。
たしかに、同業者の連携なんて簡単なことじゃないし、
自慢じゃないが面倒は人一倍嫌いだ。
でも、こと今回に限っては有言実行の人であった。
というのも、マチスタをやると決めたときから、ぼくにはある野望があった。
「岡山のコーヒー屋はヤバい!」と外資系コーヒーチェーンSが
岡山からの撤退を考えるぐらいの、
そんなコーヒーのムーブメントが岡山で起こせないものかと本気で考えていたのである。
開店してみたら自分の店を維持するのが精一杯で、
そんな野望は頭の隅っこに追いやられていたわけだが。

雑誌の発行後まもなく声かけをして、
年内に岡山コーヒーのミーティングが実現した。
出席者は以下の5名(敬称略)。<内山下珈琲焙煎所カエル>の猿川裕介、
アロマコーヒーロースタリー>の渡辺一也、
ONSAYA(オンサヤ)>の東宏明、<CoMA coffee(コマ・コーヒー)>の長岡浩範、
それに<マチスタ・コーヒー>のぼく。
この記念すべき第1回は初顔合わせということもあって、
まあ予想通りというか、ただの飲み会に終わった。
そして今年3月にあった第2回のミーティングには、
BESSO COFFEE BEANS>の別曽拓也、
笠岡市<辻珈琲>の辻修太郎•優子夫妻、
瀬戸内市邑久町で<キノシタショウテン>を、
岡山駅西口で<THE COFFEE BAR>を展開する木下尚之の3組が加わった。
こうして俄然スケールアップした第2回であったが、
しかし今後の会の活動や展望を話し合うことは一切なく、
またしてもただの飲み会に終わったのだった。
第1回で会長に選出された渡辺クンが(ぼくが勝手におしつけました)、
とうにろれつが回らなくなった舌で閉会の挨拶をした。
「ええ……今夜も、ああ……何も決まりませんでした……すいませんでした!」

これまで2回あった集まりを「ただの飲み会」と記したが、
しかしその実際は恐るべきものだった。
ともに、顔を合わせた瞬間から話題はコーヒー。
そして顔をつきあわせていた3時間だか4時間もの間、
ただひたすらコーヒーについて語るのだ。全員が全員、
高純度の「コーヒー・フリーク」である
(ぼくはまだ「コーヒー・パーソン」の域を脱していない)。
はたしてこの会の発足によって今後岡山で何かが生まれるのかどうか、
現在は正直まだよくわからない。
でも、ほぼ全員が30歳代という若さ、
なにより彼らのコーヒーに対する熱のようなものに少なからず可能性を感じている。
ひとり年齢的に頭抜けているぼくは、
発起人として役割は果たしたと感じているんだけど、
これからも何らかのカタチで会の活動に携わっていけたらと願っている。
今後さらにコーヒーについて深く勉強したいとも思っている。
コーヒーバカでなにが悪い、目指せコーヒー・フリークだ!

身近にコーヒー・フリークがもうひとり。
ぼくのパートナーのタカコさんである。
長く書きそびれてしまった。実は彼女、岡山市京橋にあった
伝説的な自家焙煎の喫茶店「カーフェカーネス」(2008年に閉店)で6年ほど働いていた。
そのキャリアが多分に影響していると思う。
かねてから自家焙煎の喫茶店をやりたいと夢見ていた。
「ふーん、そうなの」と興味なさげに聞き流していたぼくが
唐突にコーヒーの世界に足を突っ込んでしまったものだから、
元来が亥年の猪突猛進型、もういてもたってもいられなくなった。
昨年の秋あたりからは、「焙煎やりたい、店やりたい!」という
凶暴なまでの気を発するようになり、
しかし、年が明けてもなかなか適当なサイズの中古焙煎機に巡り会えず、
鬱憤は暴発寸前、まさにそんなときだった。
前出の<キノシタショウテン>の木下クンから
1キロの焙煎機を貸してもらえるという奇跡のような幸運が訪れた。
早速、児島の事務所に焙煎機を設置。
設置直後にタカコさんは一時体調を崩したものの、5月に入って完全復活。
以来、毎日のように児島の事務所にやって来て、嬉々としてテストの焙煎を重ねている。

本人はまったく口にしないが、焙煎には相当な苦労をしたことと思う。
しかし、甲斐あって最近は焙煎が安定してきた。
はっきり言って、結構味がいい。
毎日いろんな豆を試飲させられている事務所のスタッフの評判も悪くない。
事務所の大家さんなんかはいっぺんにファンになり、
すでに何度か豆を買っている。
そして、実はここが彼女の一番スゴいところ。
無謀にも見える独自の営業で、
早々と地元早島のJAでの販売をとりつけてきたのである(目のつけどころもシブいですね)。
販売初日の7月1日(月)には試飲会を開催することも決まっている。
ぼくはこの試飲会でコーヒーを淹れることになっているんだけど、
これは出張マチスタではなく、完全に一個人としてのサポート。
というのも、彼女の活動はマチスタともアジアンビーハイブとも無関係なのだ。
屋号も「元浜倉庫焙煎所」。
個性豊かな人材が集まる岡山のコーヒー業界にあって、
またひとりクセのあるフリークが誕生した。
今後の岡山のコーヒー、ちょっと面白くなりそうだ。

オフィスの一画にコーヒー豆の焙煎コーナーが。焙煎機は富士珈機の「フジローヤル」。見た目は小さな機関車みたいでカッコいい。デザイン事務所と焙煎という取り合わせ、あると思います!

2014.08.08編集部追記 コロカル商店元浜倉庫焙煎所の珈琲「コロカルオリジナルセット」の取り扱いが始まりました。

小豆島のウラ名所、真砂喜之助製麺所

人と人が出会う場所。

小豆島は、年間約100万人が訪れる観光地です。
寒霞渓(かんかけい)や二十四の瞳映画村、エンジェルロード、醤の郷など
いわゆる観光スポットが数多くあります。
美しい景色、自然があふれ、美味しい食べものもたくさんある
とても魅力的な観光地だと思います。

それでも、観光客は年々減少。
ちなみに山陽新幹線が岡山まで開通した翌年、昭和48年には、
なんと154万人が小豆島を観光で訪れていたそうです。

そんな中、今年開催されている「瀬戸内国際芸術祭2013」。
そのプロジェクトのひとつである「小豆島 醤の郷 + 坂手港プロジェクト」では、
「観光から関係へ」とコンセプトをかかげ、
“名所をめぐるだけの一度限りの「観光」ではなく、
人と人とが出会うことで生まれる「関係」にこそ、
真の豊かさへのヒントがあるのではないでしょうか?”
として、さまざまな企画を展開しています。

まさにこの「人と人とが出会うことで関係を生みだしている場」が
島の中にはいくつかあります。
そのひとつが「真砂喜之助製麺所」さんです。

真砂喜之助製麺所のお素麺。細口、太口そうめんのほか、ふしめんもあります。お土産にちょうどいいサイズ。

この日は、こびきうどん(お素麺ほど伸ばさず、短くうどんのよう)の製造。つくる様子を見ることができます。

乾燥中のふしめん。お素麺を乾かす時にできる折り返しの部分。お吸い物に入れたりして使います。

お素麺は小豆島の特産品で、島のあちこちに製麺所があります。
ショップを併設した大きな製麺所から、家族で経営する小さな製麺所までさまざま。
真砂喜之助製麺所は家族で経営する、どちらかというと小さな製麺所。
「いらっしゃいませー」と迎えてくれるショップやカフェのような感じではなく、
お素麺をつくっているまさにその場所。
初めて訪れた時は、勝手に入っていいのかな、誰もいないのかなと
ちょっと戸惑いました(笑)。

いわゆる観光スポットでもないのに、真砂喜之助製麺所に行くと
高い確率で誰かと出会います。
それは知り合いだったり、以前から会いたいなと思っていた人だったり。
撮影に訪れたこの日も、すでにお客さんが。
そしてなんとずっとお会いしたかった人。
ここではこんなふうにしてリアルな関係が生まれています。

真砂喜之助製麺所でずっと会いたかった人に偶然遭遇。

さらにそういう関係から生まれたのが、お素麺の新しいパッケージ。
もともと真砂喜之助製麺所のお客さんだった
高松在住のイラストレーターであるオビカカズミさん。
1年ほど前に真砂さんのところを訪れ、
ちょうどパッケージを変えたいと思っていた真砂さんといろいろ話をしていくうちに、
新しいパッケージやリーフレットをデザインすることに。
いまではすっかりおなじみの真砂喜之助製麺所のパッケージですが、
リニューアルしたのはここ1年の話。
そしてオビカさんはこのお仕事をきっかけに、小豆島のお塩やオリーブなど
さまざまな商品パッケージをデザインするようになりました。
それまでは東京の人と仕事をする機会が多かったそうですが、
最近は小豆島に住んでるんじゃないかと思うほど、島にいます(笑)。

真砂さん(左)とオビカさん(右)。新しいパッケージの打ち合わせ。

去年リニューアルしたパッケージ。おしゃれで小分けにすることで、新しいお客さんが購入しやすいように。

オビカさんがデザインしたお素麺づくりの説明リーフレット。可愛いイラストでわかりやすく。

小豆島のウラ名所である真砂喜之助製麺所。
真砂さんのところでは、iPadでお素麺づくりやレシピの紹介をしてくれて、
タイミングがよければお素麺づくりの体験もできます。
建物の一角にある商品コーナーでお素麺やおつゆを買うことも可能。
そういういろんな仕掛けや工夫があって、人が集まる製麺所に。

そういう場所を巡り、人と出会い、新しい関係が生まれる。
これからの旅は、そんなスタイルが増えていくのかもしれませんね。

iPadでお素麺づくりについて説明。写真が多くて、面白いしわかりやすい。

お素麺の製造スペースの一角にある商品たち。お素麺のほか、お醤油やオリーブオイルも購入できる。

小豆島女子へんろ、ふたつの山越え15km歩く

島の自然や景色を楽しみながら。

「お遍路」といえば四国が一番有名だと思いますが、
実は小豆島にも「小豆島八十八ヶ所」があり、
白衣(びゃくえ)を着て歩くお遍路さんをよく見かけます。
小豆島八十八ヶ所は、四国八十八ヶ所に比べて距離が短く(約10分の1)、
海や山など美しい自然に囲まれた霊場が多いことから、
景色を楽しみながら徒歩でまわるお遍路さんも多いそう。
距離が短いといっても、全行程約150km。
さすがに1日で全部をまわることはできず、車でも2~3泊、徒歩なら7~8泊のコース。

山道を歩いていると福田の集落と海を見渡せる場所が。こういう景色が遍路の途中あちこちにある。

紫陽花が綺麗な時期。季節の花を楽しみながら歩くのもいい。

小豆島で暮らしているからには、一度はお遍路してみたいなと思いつつ、
何を準備したらいいのか、どうやってまわったらいいのか、わからないことだらけ。
ひとりで始めるにはかなりハードルが高い。

そんな時、島の友人に誘われたのが「小豆島女子へんろ」。
ショウドシマ・クリエイティブさんの企画で、参加者を女性に限定し、
和気あいあいと楽しく無理なく小豆島の霊場を歩き遍路するイベント。
「へんろ」とあえてひらがな表記にしているのは、お遍路の制約からちょっと離れて、
ぐっと敷居を低くした初心者のためのへんろだから。
白衣や金剛杖、経本、念珠といった遍路用品も参加費に含まれていて、
何も持たずにとりあえず小豆島に来れば参加可能!
ただ、結構本気で歩くので、山道を歩く体力とへこたれない気持ちは必要かも。

バスでスタート地点まで移動。常光寺の副住職である大林慈空さんよりへんろについてのお話。

第4回小豆島女子へんろ巡礼冊子。白衣や金剛杖、輪袈裟(わげさ)などを貸してくれます。

今回私が参加したのは、第4回目の小豆島女子へんろ。
なんと約30名の女性が参加。そのうち約半数が島外からの方。
回を重ねるほどに参加者が増えているそうです。

今回集まった女性約30名。出発前に皆でストレッチ。

最初に輪になって自己紹介。今回はテレビ局の取材の方も来ていました。

今回のコースは、小豆島の北東部、小部(こべ)という集落から
吉田、福田を通過して当浜(あてはま)までの約15km。
ちなみに小豆島八十八ヶ所の全行程が約150kmだから、
女子へんろに10回参加すればコンプリートできそうですね。

巡礼冊子には地図も載っていました。小部からスタートして86番当浜庵までの15km。

コース途中には、豆坂峠(まめざかとうげ)という
小豆島霊場の中で最も長い遍路道(徒歩約2時間)がありました。
その昔はこの峠を越えるしか吉田集落に行く方法はなく、ここを歩いて越えると
足の裏に豆ができるほどということから、その名前になったそう。
この日は曇り空で強い陽射しはなかったものの、山道を10分も登ると汗が吹き出し、
和気あいあいというより修行のような区間も(笑)。

豆坂峠を列になって歩く。全コースの半分くらいがこうした山道でした。

遍路の途中でこうした看板がいくつもありました。裏には次の霊場までの距離が書かれています。

吉田ダムに到着。ここのところ雨が全然降っていなくて、ダムの水もかなり少なめ。

こうやって集落から集落へ歩いていく。
そしてお寺や庵で参拝し、お経を唱える。
その途中、山の中の腐葉土の匂いや栗の花の香り、
海からの心地良い風など小豆島の自然を贅沢に感じる。
お遍路というのはそんなに堅苦しいものではないんだなと思った。
気持ちのいい季節に、その土地を歩くことを楽しむ。
そんなスタイルのお遍路もありなのかなと。

83番福田庵で参拝。お賽銭と願いを書いた御札を入れてお参りします。

お昼ごはんは82番吉田庵で。小豆島の伝統料理「石切り寿司」をいただきます。

かつて大阪城築城のために小豆島から多くの石を切り出しており、その時に石工たちに振舞われたのが石切り寿司の始まりと言われています。それ以来、島の北部では祭りや法要などのハレ食に欠かせないものとされているそうです。

84番雲海寺。海と福田の集落を見渡せる最高の場所にあります。

次回の小豆島女子へんろは、2013年12月の予定だそうです。
お遍路をしたいという方だけでなく、小豆島の自然を歩きながら楽しみたい、
そんな方にもちょうどいい企画だと思います。

小豆島女子へんろ、小豆島の新しい魅力と楽しみ方を発見できた充実の1日でした。

利用客が一日2人の無人駅をピンクに一新!鳥取県智頭町の新恋愛名所「恋山形駅」

クラスで目立たなかった子がある日突然はじけた、的な衝撃がありました。

というのは鳥取県の山間の智頭町にある智頭線「恋山形駅」のお話。
1日の平均利用客がたった2人という小さな無人駅なのですが、
このたび全駅をピンクに塗り替え、大リニューアルを行いました。
日本に4つしかない「恋の駅」のひとつとしてPRしていくそうです。

駅名の看板も、手すりからゴミ箱に至るまで、
恋愛力がアップしそうなピンクに塗られる徹底ぶり。
駅にはハート型のモニュメントと絵馬掛けを設置し、
智頭急行のキャラクター「宮本えりお」ちゃんも登場してお客さんを見守ります。

ちなみに「恋の駅」の他の3つは、
北海道旅客鉄道(JR北海道)の「母恋駅」、三陸鉄道の「恋し浜駅」、
西武鉄道「恋ヶ窪駅」。いつか全スポット制覇してみるのも面白そうです。

恋山形駅

写真提供:智頭急行(株)

島の野菜でお料理教室、重ね煮をつくろう

畑のそばで、料理して食べる。

梅雨入りしたにもかかわらず、ほとんど雨降らず。
今年は本当に雨が少ないらしく、断水になるかもという噂さえも。
農家は毎日水やりに追われる日々です。

そんな5月の下旬に、いつもお世話になっている
小豆島の宿 コスモイン有機園」さんで行われた料理教室へ。
実は人生初の料理教室(笑)。

有機園さんでは定期的に料理教室が開かれています。

有機園さんは、いろいろな種類の野菜を農薬や化成肥料を使わずに栽培されており、
農業体験できる宿も営まれています。
小豆島に移住したい人たちが島での暮らし体験や移住相談をしに来たり、
WWOOF(ウーフ)のホストでもあるので、
海外からも農業に興味のある人たちが来たりしています。
実は私たちも移住前に有機園さんに宿泊し、
移住後の暮らしについていろいろお話を聞かせてもらいました。
そしてこちらに来てからも、野菜作りについて教えてもらったり、
一緒に遊びに行ったり、週に1回はお会いしているような感じです。
そして今回も女将の今川早苗さんに誘われて、料理教室に参加させてもらいました。

ちょうど収穫時期の麦。麦秋色がとても美しい。

ミントやカモミールなどのハーブがあちこちに。いい香りがします。

大自然の中にある有機園さんの畑。ここでいろいろな種類のお野菜が作られています。

「こんにゃく芋は収穫に3年くらいかかるのよー」という話。早苗さんはお野菜のことをいろいろ教えてくれます。

料理教室のテーマは「野菜の重ね煮」。
重ね煮とは、切った野菜を鍋の中に決められた順番に重ねていき、
底と上に塩を振って蒸し煮する料理方法。
ナスやトマトなどの上に伸びる性質の野菜は鍋の下へ、
ニンジンやゴボウなど下に伸びる性質の野菜は鍋の上のほうへ、
そうすることでじわっと出てくる野菜の水分が水蒸気となってうまく対流し、
それぞれの野菜の力を引き出して旨みが出るそう。

今回の料理教室のテーマは「重ね煮」。お野菜とお塩だけで作ります。

重ね煮の一番上はニンジン。その上にお塩(波花堂さんの“御塩”)をふります。

有機園さんのロッジにある大きなテーブルを15人ほどで囲んで。
上は70代(たぶん)、下は20代と幅広い年齢層。
ちなみに最年少は我が娘5歳。
またドイツからWWOOFで来ていた子、
東京から1か月前に移住してきた子など出身もばらばら。
これだけさまざまな女性が参加する料理教室は珍しいんじゃないかな。
話す内容も幅広くとても面白い。

大きなテーブルを囲んでの料理教室は楽しい。

いろはも参加。包丁でニンジンを切ります。

そして料理の素材である野菜たちは、すぐ横の畑で採れたもの。
タマネギはちょうど収穫の時期、トマトやナスはもうちょっと収穫が先だねと、
野菜は年中収穫できるものじゃなくて、旬の時期があることを学びながら。
お塩やオリーブオイルなどの調味料も小豆島産のもの。
お塩は、小豆島の海水を使って作られた波花堂さんの「御塩(ごえん)」。
なんとその波花堂の方も料理教室に参加されていて、
こうやってどんどん人やものが繋がっていくのも小豆島ならではだと思います。

有機園さんでこの春収穫したタマネギ。切り方を教わります。

できあがった野菜の重ね煮はとても甘く美味しく、いろはもぱくぱく食べていました。
重ね煮を使ったスープやオムレツ、チジミなどのアレンジメニューもいただきながら、
感想を話したり、自己紹介しあったり。

できあがった料理を食べながら自己紹介。ここでまた新たな関係が生まれます。

有機園さんは、畑と料理する場所、食べる場所がとても近い。
これが「食」の理想の姿なんじゃないかなと思う。
そしてそこにいろんな人が集まってきて、
農や食を介して新たな関係が日々生まれている。

常連、Aさん

常連客の嘆き。

マチスタに立つようになって5か月。
ぼくにも「常連」と呼べるお客さんがわずかながらついた。
それぞれ顔を思い浮かべてみて、傾向として言えるのはひとつ、男が多い。
というか男しかいない。
畢竟、ぼくの時間帯である平日の午前中(または日曜日)に常連が重なったときは、
マチスタ史上これまでになかったであろう「野郎な空気」が濃く漂う。
年代はさまざまだ。下は高校生(第39回『空白の時間帯』に登場)、
上は60歳代まで。個人のお客さんについて書くのは気がひけるんだけど、
今回はその60歳代、最年長の常連さんについて書いてみたい。

ここでは「Aさん」としておく。Aさんは岡山のまちなかで長く商売をしていた。
いまはほとんど店を開けることもなく、事実上の引退生活を送っている。
年齢は60歳をちょっと過ぎたあたり。
見た目はまだまだ若々しい(ニューバランスのスニーカーを愛用)。
50代でも十分通用しそうなのに、自分を「年寄り」にカテゴライズして話す。
たとえばこんな具合だ。
「年寄りになってお金がないのは惨めやで」
ちなみにこのAさん、関西のご出身である。
「でも、たくさんあってもいかん。年寄りにはお金を遣う体力がない。そりゃ情けない」
Aさんの言葉はすべからくネガティブで、根底にニヒリズムが漂う。
「世の中、詐欺みたいなもんやで。なんもかんもが宣伝で、宣伝なんてウソばっかりや」
経済について語る言葉は、哲学的あるいは文学的な趣さえ感じさせる。
「お金ぐらいいいもんはない、でもこれ以上むなしいものはないというのもお金や」
お年寄りのネガティブな言葉は、できれば耳に入れたくない。
親戚でも赤の他人でも、ずしりと胸にのしかかる。
でも、Aさんの言葉はあらましこんな感じで、軽やかで楽しい。
思わずコースターの裏にでも書き留めたくなる。
しかし、同時に哀れだと思うときもある。
そう感じさせるのは、言葉そのものよりも、
むしろこうした言葉を吐くときのAさんの表情である。
大抵、そこはかとなく寂しそうな顔をしている。
とくにお金について話すときは、
自分の手からするするとこぼれた過日の砂金の残像を見ているかのようだ。
しかし、哀れを感じたからといって、ぼくは口をはさむようなことはしない。
無言でカップを磨いたりしながら、
でも、孤独なひとり言にさせないために適度にうなずいてみせる。
それがAさんに対するぼくの最大の情だった。
まさしく、淋しい老人と無口なマスターのふたり劇。
舞台は深夜のバーではなく、午前のマチスタコーヒー……。

そんなAさんとの関係が、とある朝を境に大きく変化した。
Aさんが夢の話をしたことがきっかけだった。
夢といっても、たいした話じゃないのだ。
たとえば、「コルベットを所有してみたかった」とか、
「ブルドッグを飼いたかった」とか。
これまでもこの手の「かなわなかった夢」をこぼし嘆くということが何度かあった。
その朝話した夢というのもまさにそれで、
いつものように脈絡なくふと口をついて出た。
「一度でいいから、うちの(奥さん)とふたりで
カシオペアとかトワイライトエクスプレスとか、寝台特急に乗って旅をしたかった」
コルベットもブルドッグも聞き流したのに、
どういうわけか、奥さんとのふたり旅は聞き流さなかった。
時間とともに関係に慣れてきたというのもあったと思う。
まあ、ついつい突っ込みを入れたわけだ。
「行けばいいじゃないですか?」
Aさんはこれまでぼくから受けたことのない返しをくらって狼狽した。
「う、うっ……」
旅に出られない理由を誰にも言ったことはないのか、
次の言葉を口にするのは思いのほか難産だった。
そしてようやく出て来た言葉、意外にも「猫が」だった。
「ネコ?」
「そう、猫。猫がいるのよ……だから家を空けられない」
目を細め、いかにも煙たげな顔でそう言った。
「若いんですか、その猫?」
「3歳かな」
「どこかに預けられないんですか?」
「これが気性の激しい猫でな、オレらにでも抱かせない。
無理をしようとしたら、すぐ爪で腕とかやられる」
そう言いながら、Aさんは携帯電話をいじり始めた。
しばらく携帯の画面を見ていたと思うと、「ほら」と言って画面をこちらに向けた。
見事に美しい猫だった。おまけに目はくりっとして、なんともいえない愛嬌がある。
「これまたかわいい猫ですね」
Aさんの顔つきが変わっていた。
「そうなのよ、これが最高にかわいいんよ」
目尻から頬から、ついさっきまでの煙たげな顔がうそのように弛みきっている。
まさにあれだ、孫を自慢しているおじいちゃんの顔。

突っ込みを入れることに抵抗がなくなったおかげで、
いまではAさんについてのいろんなことを知っている。
ブルドッグを飼えないのは、前述の、愛してやまない猫がいるから。
コルベットを買えないのは、Aさんのお父さんが遺品として残した
国産某社のSがあるから(名車!)。
そして、AさんがそのSを「世界で最高の車」だと思っているように、
長年連れ添っている奥さんを「世界で最高の女性」だと思っていることも。

かくしてロールプレイは完全に終わったわけだが、
それでもAさんはいまも嘆く。
目下の嘆きは、これからさらにお金が遣えなくなること。
この夏、関東にいる長男に第一子が、初孫が生まれるのだ。

Aさんは猫がいるがための不自由さに代わる十分な対価をその猫からもらっている。「じゃあ、うちのサブの場合は?」と自然思う。正直、よくわからない。全然もらってない気がするけど、もしかしたらもらっているかもしれない。どっちにしても、最近、サブとの関係がいい。それでも、ぼくはいまもサブについてよく嘆いている。

身近に果樹がある生活

旬の果物を、楽しく、美味しく。

曇り空が続くここ数日。
四国地方は例年よりも9日早く梅雨入りしたそうです。
ここのとこ全然雨が降っていないので、そろそろしっかり降ってほしいところ。
畑のお野菜たちのためにも、自分たちの体を休めるためにも(笑)。

「晴耕雨読」という言葉があります。
晴れた日には田畑を耕し、雨の日には家に引きこもって読書する、というような意味。
まさにいまはそんな暮らしで、晴れの日は基本的に畑。
事務作業は夜でもできるし、晴れてるなら畑であれしよ、これしよっと思ってしまう。
なので、あまりにも晴れの日が続くと体が疲れてきて雨が恋しくなってきます。

そして待望の雨。
そんな日は家の中で、事務作業をしたり、料理をしたり。
体を休めながら、気になってることをあれこれとします。

あれやらなきゃこれやらなきゃといつもいろいろなことが気になってるのですが(笑)、
その中のひとつ、ご近所さんからいただいた夏みかんやいちごでジャム作り。
食べてしまえる量ならいいんだけど、あきらかにそんな量じゃなくて、
30キロ用の米袋に夏みかんどっさり。それを4袋とかそういう量。
放っておくとすぐに傷んでしまうので、
なんとかしなきゃといつも頭の片隅で気になってる。

隣のおばちゃんの畑で収穫した無農薬の路地イチゴ。小さいサイズがジャムにするのにちょうどいい。

隣のおっちゃんはみかん農家。ネーブルオレンジやスイートなどいろいろな種類のみかんを栽培しています。

私たちが暮らしている小豆島の肥土山では、
村人全員といってもいいほど皆、畑仕事をされています。
もちろん家庭菜園レベルから専業農家まで幅は広いけど、皆何かしら作っている。
だから風景の中に普通に畑や田んぼがある。
そしてこっちに来て印象的だったのは、果樹の多さ。
道を歩けば、みかんやダイダイ、レモン、柿、梅、
サクランボ、ビワ、ザクロなどの木があって、実がなっている。
こういうのは何も特別じゃなくて昔は普通だったのかもしれない。
学校の帰り道にザクロを採って食べたり。プチプチ酸っぱい感じ。
それがまだ残っているだけなのかも。
でも名古屋から引越してきた私たちにとって、それはとても印象的な風景。

集落のいたるところで、こんなふうにして果物が実っている。

「みかん持って帰りー」と通りすがりのおばちゃんがおすそ分けしてくれます。

引っ越してすぐの10、11月頃は、ちょうど早生の温州みかんの収穫が始まる時期。
家の目の前も小さなみかん畑で、近所のおばちゃんが収穫したみかんをくれたり、
いろはも一緒に収穫したり。
わざわざフルーツ園などに行かなくとも、ここで暮らせば
毎日「みかん狩り」ができるなーと思った記憶がある。

金柑の収穫。実を収穫する行為は宝物をかき集めてるみたいでいろはも楽しいらしい。

収穫した金柑をさっそくジャムに加工。とても綺麗な色。

種を抜き取る作業。ジャム作りはこういう地道な作業が多くて大変だったりもする。

こうして年中、何かしらの果物が収穫できるこの場所で暮らしていると、
常に家にも何かしらの果物があって、自然とそれを加工して
ジャムやシロップ、ジュース、ポン酢などを作るようになった。
最初に作ったのはイチジクのジャム、続いてレモン&オレンジシロップ、
そして金柑ジャム、ダイダイポン酢、夏みかんジャム、サクランボジャム、
サクランボ酒、イチゴジャム、イチゴの酵素シロップ……と
次々とその季節に採れる旬の果物で挑戦してみている。
作ることが楽しくなってきて、たくさん作っては友だちやご近所さんにおすそ分け。
「この前は夏みかんをありがとう」と言って、
もらった夏みかんで作ったジャムをお礼に。
こうやって果物を通して自然とコミュニケーションが生まれたり。

イチゴジャム作り中。なんとも言えない甘い香りが台所中に漂います。

瓶に入れて、パソコンで作ったラベルを貼れば立派なジャムに。小豆島肥土山産の「夏ミカンジャム」の完成。

「果物離れ」という言葉を聞いたことがある。
すぐに食べられるお菓子の種類が豊富となり、
皮を向かなきゃ食べられない、日持ちしない、値段が高い果物を
食べる機会が減っているそう。
確かに名古屋にいる頃の我が家も果物離れしていたと思う。
だけど肥土山で暮らすようになり、格段に果物を食べる機会が増えました。
身近に果樹があり、それに少し手間を加えて食べる時間があるからなのかも。

イチゴシロップを炭酸で割ってレモンの輪切りとミントを添えて。色がとっても綺麗で飲むのが楽しい。

果物が育っていく様子を日々見られる。
自分たちが収穫できる。
旬の果物を知ることができる。
身近に果樹がある生活は、子どもにとっても大人にとっても楽しくて、
何より美味しく学べるのがうれしい。

銀座・おば古

大切なおばあちゃんの味。

前回の出張以来、すっかり山形ファンになってしまった。
銀座にある山形アンテナショップ「おいしい山形プラザ」に立ち寄り、
からから煎餅や、ずんだ餅など、あれやこれやと物色。
ふと、以前行ったことのある山形料理屋が近くにあったことを思い出し、立ち寄ってみた。

銀座一丁目にある「おば古」。
日替わりランチを注文する。
まず出されるのが、名物「むき蕎麦」。
そばの実をむいて茹でたものに、ダシ汁をかけて食べる酒田地方の郷土料理。
プチプチの蕎麦の実と、ひんやり冷たいだしが心地よく、癖になる美味しさ。
その後、焼き魚をメインとした定食が運ばれて来る。
量、質、ともに充実の内容。

建物が古いためか、ほの暗い店内は妙に居心地が良い。
店を切り盛りしている女将さん、糊のぴしっと利いた真っ白い割烹着をまとい、
テキパキと持ち場をこなす。
壁にかかっているメニューに目を通すと、聞いたことのない名前がずらり。
きもと? 田毎むし? べんけいめし?
山形郷土料理、どうやら奥が深そう。
そこで女将さんにお願いをしてみた。
「山形料理のことや、もし思い出の郷土料理などあれば伺えないでしょうか」
女将さん、「はい」とひと言、承諾してくれた。

お茶漬けのようにサラッといただけるむきそば。酒田市では給食にも上るそう。

その時々で、季節のものを頂ける。冬には名物「どんがら汁」もメニューに上る。どんがら汁は寒ダラの頭から内蔵まで全てを豪快に煮込んだみそ汁。庄内地方の漁師料理。

SNSが地方と都会を繋いでくれた

SNSからリアルな繋がりへ。

小豆島で暮らすようになって半年。
この半年間で本当にいろいろな人たちと出会いました。
そのまま名古屋で働いていたら出会わなかったであろう人たち。
当たり前なのかもしれないけど、住む場所、暮らし方を変えると、
関わる人もがらっと変わるものだなと実感します。

実は小豆島で暮らし始める前から、何人かの島の人たちとはFacebookやTwitterなどの
SNS(ソーシャルネットワークサービス)で繋がっていました。
おじいちゃんの家に戻ってくるとはいえ、
島で暮らしたことがない私たちには知り合いがほとんどおらず。
なので、FacebookやTwitterで「小豆島」や「移住」などのキーワードで探して、
面白いことをしてる人、楽しそうな写真を投稿している人、
自分と考え方が似ていそうな人たちをフォロー。
小豆島の人たちはSNSの利用がとても活発で、島に住んでいなくても
島の生の情報を名古屋にいながらキャッチしていました。

そして移住半年前には小豆島まで足を運び、何人かの人に直接会ってお話を聞きました。
島でどんな生き方、働き方ができるのか、具体的なことをいろいろ相談。
その時お会いした中のひとりが、オリーブオイルソムリエであり
オリーブ栽培もしている「i's Life(イズライフ)」の堤 祐也さんです。
堤さん自身も9年ほど前に小豆島へ移住され、
小豆島に住むご親戚の会社の新事業としてイズライフを立ちあげ、
オリーブやレモンの栽培を行なわれています。

イズライフのグリーンレモンオリーブオイル(左)とエキストラバージンオリーブオイル(右)は100%小豆島産。

お会いすることになったきっかけは、堤さんのFacebookに投稿された子ヤギたちの写真。
これは会いたい!(子ヤギたちに、笑)と調べてみると、
ヤギを飼っているのは農業体験できる宿であることがわかり、
さらに堤さんのオリーブ畑の目の前。面白そうだから泊まってみることに。
堤さんはヤギさんたちのごはんとなる剪定したオリーブの枝を持って登場。
引越して来ることを話すと、びっくりしながらも、
オリーブについてや島での仕事の話などいろいろ教えてくれました。

イズライフの堤さんと。子ヤギさんたちにオリーブの葉をあげながら、島での仕事についてなど相談。

そして小豆島に引越してすぐに再会し、2週間後には堤さんの畑でオリーブ収穫体験。
3日間ひたすらオリーブを収穫しました。
収穫体験というより収穫の仕事(笑)。
この3日間で身をもってオリーブについて学ぶことができ、
さらに一緒に収穫をお手伝いした島の方々とお話でき、一気に人の輪が広がりました。

去年の11月、堤さんのオリーブ畑で収穫のお手伝い。

収穫袋いっぱいになったオリーブの実。この3日間でオリーブが一気に身近になりました。

その堤さんが、オリーブオイルのお店をオープンすることに。
お店のオープン準備やWebサイトの制作などに私も関わらせていただけて、
とてもワクワクしました。
自分たちでものをつくり、それを売るためのお店や
情報を発信するためのWebサイトをつくる。
なんともエキサイティングな時間。

お店のオープン前にWebサイト用の写真を撮影。こういう期間は大変だけど一番楽しい。

グリーンレモンオリーブオイルのリーフレット用の撮影。島に住む料理上手の友人がレシピを考え作りました。

そして今年2月、小豆島土庄町のオリーブ通りに
オリーブオイル専門店「i's Life(イズライフ)」をオープン。
白い壁に描かれた大きなオリーブの絵がとても素敵なお店です。
お店ではイズライフのオリジナル商品であるエキストラバージンオリーブオイルや
グリーンレモンオリーブオイルを購入できるほか、
オリーブオイルソムリエである堤さんがセレクトした海外産のオリーブオイルや
小豆島産のお素麺やお塩などを購入できます。

オリーブ通りにあるイズライフ。ここだけちょっと都会の香りがします(笑)。

坂手港待合所に「小豆島縁起絵巻」を描いた岡村美紀さんによるオリーブの木。

オリーブオイルソムリエである堤さんがセレクトした海外産のオリーブオイル。味やどんな料理に向いているか話しながら購入できます。

小豆島産のお素麺。作り手と直接繋がっている堤さんだからこそのセレクト。

ほんの数年前までは、都会にいながら
離れた地方の生の情報を得ることは難しかったと思う。
でもいまはFacebookやTwitterなどのSNSがある。
自分の工夫次第で必要な情報を得ることができ、
直接コミュニケーションをとることもできる。
イズライフのお店にも「Twitterを見て来ました」というお客さんが
何人かいらっしゃるそうです。

人と繋がることで、地域のことを教えてもらえたり、
新しい仕事が生まれたり、また繋がりが広がっていったり。
地方で楽しく生きていくためには、人との繋がりは不可欠だと思う。
インターネット上の繋がりからリアルな繋がりへ。
こうやって少しずつ輪を広げていければいいなと思う。

“続ける”こと

〈tweet rocka〉の10年。

日本で一番のカフェだと思っている。
倉敷の南町、市立美術館から3分ほどのところにある〈tweet rocka〉(トゥイート・ロッカ)。
倉敷市民のごく一部に熱烈に愛されてきたこの小さなカフェが
この5月に開店10周年を迎えた。
店主の末永さんは実に控えめな人柄で、
節目を迎えたからといってなにか催しをやろうかというお人じゃない。
そこで常連客が企画してささやかなパーティを開いた。
20人いるかどうかのつつましい集まりであったが、
いろんな意味で「らしい」集まりでもあった。
あまり派手なのはそぐわないのだ。
この10年、息をひそめるように、
でも自分たちのスタイルは変えることなく店を続けてきた。
そこにあるつつましさのようなものはこのカフェの最大の美点である。
実はマチスタをやるようになって、お店を見る目が大きく変わった。
どんなお店でも、カフェでも定食屋でも金物屋でもなんでも、
長くやっているところはそれだけで心からスゴイと思うようになった。
それまでは、たまに立ち寄る店から「(開店して)3年になります」と言われても、
「明日の沖縄の天気は曇りです」とささやかれているのと同じぐらい、
なんにも感じるところがなかった。
<tweet rocka>の10年……。頭が下がるどころの話じゃない。
10年の中身を正確に知るのは末永さんとサッちゃんのふたりだけで、
その間の苦労や思いや巡らせた考えのあれこれは
これからもぼくたちに知らされることはない。
はたからその重さを推し量ろうとするだけで、
なんというか、もう涙が出そうになるのだ。
どこまでも控えめな彼らだから、もうこれ以上は書かない。
長く続けてほしいという勝手も言わない。
ただ、ふたりが今後お店を続けていくうえで、
かかる苦労の少ないことを願うばかりである。

我が社アジアンビーハイブは決算月が2月ということで、
2か月後の4月末に法人税と消費税の納付期限を迎えていた。
2012年度の決算報告書が上がってきたのは、それよりも数日前のこと。
まあ予想はしていたけど、結果は赤字だ。
2009年度に黒字に転向して以降、3年連続で黒字を達成し、
数字もわずかながら上向いていた。
はた目には、その勢いで船出した飲食店事業といったところだが、
横波をまともにくらって見事に撃沈。
広告制作であげた利益を全部マチスタのマイナス分に回しても
150万円ほどの赤字が残った。
会社が赤字になったこと自体は、さほどの失望感はない。
だいたい、会社を立ち上げてからしばらくずっと赤字だったし。
それにこれ以上の大きな融資を受けるつもりもないから、
銀行の心証なんか気にしなくていいのだ。
でも、問題は会社が赤字だろうがなんだろうが、容赦のまったくない税金のシステムだ。
法人税が倉敷市に5万円、岡山市に5万円、そして岡山県に2万円。
これ、いっぺんに払うとなると結構しんどい。
さらに恐るべきは税務署への消費税の支払い、その額28万円。
くどいようだけど、「うちの会社は赤字ですよ、しんどいッスよ」って申告しているのだ。
ヒトの社会だったら、そこになんらかの「やさしさ」があっていいんじゃないか。
10万円を工面するのにも息切れしそうなのに、
どうやって40万円もの大金を支払えと? 
そして迎えた支払期限の4月末、ぼくは法人税の12万円をなんとか銀行で支払った後、
その反動かやけになったのか、ちょっとハイな気分になって児島税務署に行った。
初めて通された小さな応接室には、誰もいないのに加齢臭が濃く漂っていた。
部屋に入ってきた担当者は、案外、人のよさそうな笑顔で、
おまけに話のしやすい人だった。
最初は「払えんものは払えん!」的強気で会合に臨んだのであるが、
さほどの時間をおかずに「いや、払いたいのはやまやまで」と譲歩を見せると、
あとは「ですよねえ」を連発していた。会合はものの10分もかからなかった。
結果は28万円を10か月の分割で支払うことに。
税務署を出るときには、どういうわけか気分は晴れ晴れしい。
そんな自分をふと顧みて、完全にしてやられたことを悟ったのであった。
あの担当者、ゴルゴ13だったな。

ここのところマチスタが悪くない。
昨年12月から一日の売り上げ平均が1万2000円台に突入し、
年が明けても、そこからさらに少しずつ伸びているのだ。
昨年よりも一日の営業時間を朝と夕に一時間ずつ短縮しているにも拘らずである。
3月には未踏の1万3000円台に限りなく迫る売り上げを記録した。
これにはぼくものーちゃんも手放しで気をよくしていた。
「いい感じだよね」とお互い帳簿の数字を見てほくそ笑むような。
とはいうものの、まだ赤字であることには変わらない。
しかもぼくの人件費はまったくの計算外だ。
そんな折り、4月20日過ぎだったと思う。
決算の件で税理士のシマヅさんとメールのやりとりをするなかで、
彼女がマチスタの一日平均の売り上げ目標を出してくれた。
赤字を脱却するラインは「あくまでも目安として」とあり、
1万6000円とあった。うーん、1万6000円か……。
コーヒーを一日あと10杯売ればいい計算だが、
このたった10杯がまったく思うようにならない。
1杯でさえ確実に増やすとなると至難なのだ。
マチスタをやって1年、素人だったぼくにもだいぶん見えてくるようになった。
簡単なことはなにひとつない、続けることはそれだけで大変だ。

最近、ミディアムのコーヒーをエアロプレスで淹れたりもしている。写真の注射器みたいなのがそれです。浅めの煎りのコーヒーには実にマッチする。これからもコーヒーにこだわりたいから、ドリップに限定せず、新しい抽出法も採り入れていきたい。

毎週木曜日に来る常連のオジさんにもらったチョロQ。マチスタの目の前を走っている「おかでん」こと岡山電気軌道の路面電車バージョン。行く先のところには「岡山駅⇒清輝橋」とある。かなりのレアものか?と調べてみたら、そうでもなかった。

農のある暮らし、小豆島ひとやまの春

自分たちの食べるものを、自分たちの手で。

陽射しが強くなり、日中は暑いくらいのここ数日。
田んぼに水が入り、稲の苗が植えられ、夜はカエルの合唱。
ここで暮らしていると季節の移り変わりをはっきりと感じます。
そう、すっかり季節は春となりました。

お友だちと一緒に田んぼでカエル探し。結局泥だらけになって帰りました(笑)。

私たちが小豆島に引っ越してからやろうと思っていたことのひとつに「農業」があります。
自分たちがどんな風に生きていきたいのかを考え、いろいろな本を読んでいた時に、
「半農半Xの種を播く」(塩見直紀著)という本の中で、

Familyという英語はラテン語のFamiliaから派生したもので、
今は「家族」と訳されるこの言葉の語源をさかのぼっていけば、
「一緒に耕す者たち」すなわちFarmerに通じている

という一文がありました。
まさにこれだ! とすごく感動した記憶があります。
自分たちの手で自分たちの食べるものを作りたい、
子どもと一緒に家族で野菜を育てたい、
育てた美味しいものをみんなで食べたい。
そして将来的には農業をベースにした生活を成り立たせたいという思いから、
引越して半年、少しずつ畑で野菜を育てています。

家族でしょうがの植え付け。ちゃんと植え方を教えてもらいながら。

自給率100%のサラダ。この春収穫した野菜たちで朝ごはんのサラダを作ります。

幸い、私たちにはおじいちゃんの残してくれた畑がいくつかありました。
ただそのほとんどが休耕地になっていて、雑草だらけ、木は伸び放題。
プランターでトマトを育てたことくらいしかない私たちにとって、
おじいちゃんの農機具がいくつかあってもそれをどう使っていいのかわからず、
さらに何から手をつけていいのかまったくわからず、そんな状態。
ただ気持ちはあったので、隣の家のおっちゃん、おばちゃん(遠い親戚)や、
島で有機農業を営んでいる有機園のおっちゃん、おばちゃんに
とにかくやりたいことを話していました。

ちょうど一年前の畑。雑草だらけの休耕地。

するととてもありがたいことに引越して1か月もしないうちに、
隣のおっちゃんがトラクターで雑草だらけの畑の土をおこしてくれて、
おばちゃんがレタスやネギの苗を持ってきてくれて植え方を教えてくれました。
そして有機園のおっちゃんが堆肥の作り方やチェンソーの使い方を教えてくれたり、
年明けに麦を植えたり。
2月には私の父がやってきて、畑の伸び放題の木々を伐採。

隣の家のおっちゃんと。トラクターで雑草だらけの畑の土をおこしてくれました。

隣の家のおばちゃんの畑。畑のことから地域のことまで、いつもいろいろ教えてくれる先生です。

私たち(30代)の親やその上の世代は本当にすごいなと改めて感じた。
このおっちゃん、おばちゃんたちの知識やパワーを借りなければ、
私たちだけでは何もできない。
こうやって素直に教えてもらいながら、助けてもらいながら、
少しずつ畑で野菜を収穫できるようになってきました。

ニンジンと麦。少しずつ畑らしくなってきました。

引越して半年後の春、去年の秋に植えた
玉ねぎ、レタス、キャベツ、エンドウ豆、そら豆、イチゴなどを収穫。
そして新たに、ニンジン、ゴボウ、ジャガイモ、トマトなどを植え付け。
庭では、おじいちゃんが残してくれたサクランボの木にたくさんの実がなり、
それを収穫してチェリー酒やジャム作り。
もうすぐ梅を収穫して、梅酒や梅シロップを作ろうかと。

サクランボの収穫。とても綺麗な赤い実。ジャムとチェリー酒を作りました。

農業で生計を立てていくことは、とても難しいことだと思う。
課題はたくさんあり、まだ始まったばかり。
でもそんな日々は楽しくもあり、やりがいもある。
そしてここには、農のある豊かな暮らしがあります。

二本の縦笛を鼻で吹き鳴らす魔術師!兵庫県の元校長・梶谷正治さん

学校で誰もが習う縦笛(リコーダー)。
その縦笛を芸術?の域にまで高めたアーティストがいらっしゃいます。
それが、兵庫県三田市の梶谷正治さん。

この写真でお分かりのとおり、口だけでなく鼻でも
2本の縦笛を操って「聖者が町にやって来る」などを吹きこなしてしまう名人です。
2本同時にハーモニーを付けたり、メロディーに伴奏を付けられるのがスゴイです。

梶谷さんは、大阪音楽大学の音楽学部で学んだ後、
38年間音楽教師として中学・高校で教鞭をふるいました。
兵庫県立有馬高等学校校長で定年を迎えた後、TV出演や地域の施設への訪問など、
演奏家・音楽講師として活躍されています。

鼻で笛を吹くのは見た目以上に難しく、鼻息を短くしなければならないし、
口で演奏するように舌を使うこともできない。

梶谷さんは「音楽は種も仕掛けもない手品」として日々練習をされているそうです。
その超絶技巧は動画共有サイトでも見ることができます。

梶谷正治

森をひらくこと、T.O.D.A.

さまざまな人が訪れる森に。

那須塩原の駅から北西に約10km。
街道から少し入ったところに広がる森の中に
「森をひらくこと、T.O.D.A.」と名づけられた場所がある。
日本各地でよく見られるような、木々や草花が生い茂る森だが、
少し切りひらかれたところに、かわいらしい建物がふたつ建っている。
こんなところに、と一瞬目を疑ってしまうようなちょっと不思議な印象は、
やがて微笑んでしまうような安心感に変わる。
なんというか、心地よい空気が充満しているのだ。

「遠いところ、よくおいでくださいました」
と笑顔で迎えてくれたのは、戸田香代子さん。
この場所は、戸田さんの先祖が明治時代に開拓した土地。
このあたりの地名も戸田というほど広大な土地だ。
かつて戸田農場と呼ばれる農場を開墾しようとしたが、
植林して林業へ方向転換し、やがて林業がすたれると、
人が入らない森になってしまった。
全部で30ヘクタールもの土地だが、その10分の1ほどの3ヘクタールを切りひらき、
もう一度、人が入れるような森にしようとしたのがこの場所。
ふたつの彫刻のような建物は、イベントやワークショップなど
さまざまな目的に使える「OPEN PLACE」と、
森の恵みを味わうことのできるカフェ「KITCHEN PLACE」。
このプロジェクトのディレクターである豊嶋秀樹さんがコンセプトを手がけた。
豊嶋さんは大阪を拠点とするクリエイティブ集団「graf」のメンバーとして活動し、
2009年からは「gm projects」のメンバーとして、
さまざまなプロジェクトを手がけるクリエイティブディレクター。

戸田さんと豊嶋さんの出会いは
「スペクタクル・イン・ザ・ファーム」というイベントがきっかけだった。
那須の牧場や旅館、カフェなどを舞台に、
音楽、ファッション、アート、演劇などさまざまなイベントを展開。
東京でファッションブランド「THEATRE PRODUCTS」を主宰する
金森香さんらが企画し、2009年と2010年に、それぞれ2日間行われた。
戸田さんは2009年に実行委員の手伝いをしていたが、
2010年には本格的にイベントに関わることに。

もともとこのイベントとは別に、戸田さんは那須地域で障害を持ちながら
絵を描いている作家たちの展覧会「つながるひろがるアート展NASU」を、
那須のリゾートホテル「二期倶楽部」や「山水閣」、
人気カフェ「1988 CAFE SHOZO」などを会場にして開催してきた。
この展覧会をスペクタクル・イン・ザ・ファームの関連企画として、
同時期に開催することに。
さらに、切りひらいた戸田の森にあった古い廃屋を、
スペクタクル・イン・ザ・ファームの会場のひとつとして
使わせてほしいという要望があった。
これをきっかけに人が来てくれるならと、戸田さんは快諾。
「つながるひろがるアートの森・TODA」として、
そこでインスタレーションを制作、展示したのが豊嶋さんだった。

スペクタクル・イン・ザ・ファームは、行政主導ではない、
民間の人たちでつくりあげたイベント。当初は懐疑的だった地元の人たちも、
実際にたくさんの人が訪れたことで盛り上がり、2年目はより多くの協力者を得て、
1日で約8000人の観客を呼ぶという大成功をおさめた。
このイベントで、地域の結束力は高まったという。
「それまでは市や観光協会がやってくれるという雰囲気でしたが、
まず自分たちで考えようという意識が強くなりました。
いまでは自分たちが動かして、そこへ行政がついてくるという、
理想的なかたちになってきたと思います」と戸田さん。

「OPEN PLACE」は展示やワークショップなど、さまざまなイベントができる多目的スペース。レンタルも可能。三角屋根の上には噴水がついている。

こちらは「KITCHEN PLACE」。なんと屋根には柿の木がある。OPEN PLACEもKITCHEN PLACEも、壁面はフラットではなく、凹凸があって彫刻のようなテクスチャー。最初の模型は紙粘土でつくり、それをそのまま大きくしたような建物。

豊かな森と、森に住む動物たちを守りたい。

ふたたび話を森に戻そう。戸田さんが森をひらこうと思ったのはなぜか。
「山や森は人が手を入れないと荒れてしまう。この森もだいぶ荒れてしまっていたんです。
いま日本では木を切ってもお金になるばかりか、お金がかかる一方で、
手がつけられない山はたくさんあります。
でも木がやせ細って病気が蔓延し、木がだめになってしまうと、
そこに住む動物たちもいなくなってしまいます。そういうことに胸を痛めていました」
この森にはたくさんの動物たちが住んでいる。
ムササビ、ウサギ、キツネ、なんとツキノワグマもいるという。
ときおり顔を見せる動物たちに、豊かな自然を感じる一方、
山が荒れてしまっているために、動物たちが家畜の餌を狙うなど、問題もある。
動物たちのためにも、森の手入れが必要なのだ。

広大な土地に目をつけられ、これまで多くの開発業者に開発を持ちかけられた。
アウトレットやショッピングモール、ゴルフ場……。
戸田さんが、いまある木を残して、自然の景観をいかした開発ができるのであれば、
と言うと、業者は諦めていき、やがてそんな話はこなくなったそうだ。
現在は、そんな戸田さんの考えに共鳴してくれる人も増え、地元の森林組合とともに、
この森をモデルになるような雑木林に変えようと取り組んでいる。
毎年草刈りをしたり、今後もさらに森を間伐して、少しずつひらいていく予定だ。

もともと戸田さんはこの土地の生まれではない。
鎌倉で生まれ、子ども時代は名古屋、そのあとは東京暮らしが長かった。
30年ほど前に、戸田家の土地に戸田調整池というため池をつくることになり、
その事業のために引っ越してきた。不便に感じることもあるが、
ここに残る自然に毎日触れていると、東京には戻れないと笑う。

山と、山に住む動物を守りたい。
そしてその自然とともにある暮らしというものが、
もともとここにあったはずだと戸田さんは言う。
グリーンツーリズムという言葉はいまでは珍しくないが、
いち早くグリーンツーリズムの考え方に感銘を受けた戸田さんは、
ヨーロッパにも数回渡って勉強した。
「地産地消という言葉は、グリーンツーリズムから入ってきたと思っています。
もともと那須にあるお野菜や川魚を、よそから来た人に食べてもらう。
そういうことによってこの地域の経済圏が成り立つ。
そのためにあるのがグリーンツーリズムです。
もともと地域にあるものを保存して大切にしながら、次の世代につなげていく。
そういうことをやりたいと思っています」

KITCHEN PLACEは、人が集うためのカフェ。地元のお客さんが多い。

KITCHEN PLACEの2階の窓から森を眺める。

「森のボウルミール」(1100円)。たくさんのお野菜を掘っていくと、下にはクスクスが。いろいろなおいしさがつまった一品。このほかチーズや半熟目玉焼きが乗ったクロックマダム「森のマダム」などのメニューがある。

ゆっくり少しずつ、ひらかれていく森。

ディレクターの豊嶋さんは、この「森をひらくこと、T.O.D.A.」というプロジェクトに、
明確なゴールはないと話す。
「まずはいろいろな人にここを訪れてもらって、
森と人との新しい関係をつくっていく……ということを考えることを目的にしたい。
そのこと自体を『森をひらくこと』と呼ぼうと。
いろいろな人に関わってもらうなかで、
だんだんとこの場所ができていくといいなと思っています」

考えることが目的。そのために、まずは人が集える場所と、
みんなで食べたり飲んだりできる場所が必要だということで
「OPEN PLACE」と「KITCHEN PLACE」をつくった。
OPEN PLACEは、使い方を限定しない、多目的スペース。
展覧会もできるし、結婚式の会場として使ってもいい。
「ひとつひとつの建物が器のようになればいいなと思っています。
そのときによって違う料理が乗っているお皿のような存在にしたい」と豊嶋さん。

この場所がオープンした2012年9月には、ゲストを招き、
毎週連続でワークショップやレクチャー、ライブが催された。
森についての話をしてもらうのではなく、
ジャンルを横断して活躍しているような人や、
ちょっと変わった新しい活動をする人たちに、
この森に来てもらうことが大事だったという。
「この森がどんどん横に展開していくようなイメージ。
ここに人がいる状況で、この森がどう移り変わっていくのか。
そういうことを楽しんでくれそうな人に声をかけました。
同じことでも、東京でやるのとこういう環境でやるのは、
また違うできごとになったのではないかと思います」

現在は、OPEN PLACEで佐々木 愛さんの展覧会「Landscape Stories」を開催中。
佐々木さんも、豊嶋さんが当初からここで何かやってほしいと考えていた
アーティストのひとり。
佐々木さんは、これまでさまざまな場所に滞在しながら、
インスタレーションやペインティングの作品を制作してきた。
その土地の風景や、土地にまつわるストーリーからイメージを膨らませて、
制作していくというスタイル。
展示している新作は、制作中の絵画作品を持ち込み、
ここに滞在しながら完成させていった。
またこれまで世界各地で訪れた森を想い、『森をはこぶ』という
すてきなビジュアルブックを制作。その原画も展示されている。

「ここには数回来ていたのですが、制作に来てみたらやはりイメージが違いましたし、
毎日森の中にいて、自分の気持ちも少し変わりました。
だから新作は、全体のトーンをこの場所に合わせて調整したという感じ。
こういう贅沢な展示はなかなかできないですよね」
この場所の空気が絵に入り込む。自然とそうなってしまうと佐々木さん。
「近所に住んでいる人や、そこにあるものに影響されてしまう。
わりと単純に環境に左右されるほうかもしれません。
冬に八甲田に滞在していたら、雪山の絵ばかり描いていました(笑)」

OPEN PLACEの扉を開くと、天井が高く明るい空間が広がる。ここで初の展覧会開催となる。

当初は作品を仕上げてから持ってこようと考えていた佐々木さんだが「光が違うだろうなと思って」ここで滞在しながら作品を完成させた。

この展覧会に合わせて制作したビジュアルブック『森をはこぶ』の原画。佐々木さんはこれまで、都会より山や森に近い場所で滞在制作することが多かったそう。

壁画など巨大な作品を、時間をかけて制作することも多い佐々木さん。この場所では、砂糖を使った「ロイヤルアイシング」という技法のワークショップも開催した。

戸田さんや豊嶋さんたちは、今後「NEST PLACE」の建設を企画中。
NEST=巣、つまり滞在できるスペース。
少しずついろいろな場所ができてくることによって、
関係性や新しい要素が見えてくる、と豊嶋さん。
「滞在できる場所が増えたりすると、またいろいろなことがつながったり
起こったりするんじゃないかと思います」
生きている森のように、有機的にいろいろなことが生まれ、広がっていく。
まさにこの森は、多くの人にひらかれた場所なのだ。

ディレクションするにあたって、なんとなく学校のようなイメージがあったという豊嶋さん。その理由は「戸田さんは学校の理事長さんみたい。校長先生というより理事長」。「この数年間は人生がギュッと凝縮されたように充実しています」と戸田さん。

「さつまもの」鹿児島 × 益子〈前編〉

ふたつの地域をつなぐ展示。

山桜の季節も終わり、田には水が張られて田植えも終わったというのに、
花冷えの戻りのような冷たい風の日が続いていた栃木県益子町。
一転して朝から気温が上がり始めた5月9日、夏日に近い陽ざしを連れて、
1500キロ離れた鹿児島から「さつまもの」の作家たちがやって来た。

「さつまもの」は、さまざまな分野でデザイン活動を展開している
「ランドスケーププロダクツ」の代表・中原慎一郎さんが
故郷の鹿児島で出会った魅力的なプロダクトや食のアイテムを
薩摩の「よかもん」として紹介しているプロジェクト。
展示イベントとしては、2009年から、
旭川、神戸、高松、ロサンゼルスなど国内外各地で開催され、
今回の益子開催は、中原さんとスターネット主宰の
馬場浩史さんとの繋がりから企画がスタートした。
5月11日から19日まで、スターネットをメイン会場に、
益子のつくり手たちが共同で運営している「ヒジノワCAFÉ&SPACE」と
仁平古家具店益子店の3会場で開催されることになった。

中原さん(右)と同郷の坂口修一郎さん。ふたりは、益子と笠間(茨城県)の作家や工房が80以上も参加した2011年秋の「KASAMA∞MASHIKO」展(伊勢丹新宿店)も手がけ、益子のつくり手たちとの親交も厚く、「ホームのような土地(坂口)」。

つくったものを携えて知らない土地へ旅をしよう。

「さつまもの」では、作品や商品だけをアウェイの地に送り込むのではなく、
作家も「旅」をする。
作家が現地に行き在廊することは、もちろん他の展覧会でも行われているが、
中原さんは「さつまもの」への参加を誘う時、「旅をしよう」と作家に声をかける。
今回、ヒジノワに出展した「Lanka」の大山愛子さんも、
鹿児島のイベント会場で、中原さんに誘われた時の言葉は
「栃木の益子に行ってみない?」だったそう。

旅をしよう。その言葉の意味を中原さんにうかがった。
「作家活動って基本は個人的なものだけど、集まることも単純だけど大切なこと。
集まることは、知り合うこと。
新しい土地と知り合う、今まで出会えなかった人と知り合う。
それは自分が動いて地元から出て行かないと体験できないものだし、
もともと、僕自身、まず動きながら考えるタイプで、
動くことで得られたものはプラスになっていることばかり。
そんな感覚や体験を若い作家たちにも感じてほしいと思って声をかけています。
旅って、その場ですぐに結果が出なくても、その後、じんわりと何かに繋がっていったり、
新しいことが始まるきっかけになったりします。
みんなも、そう信じてついて来てくれているみたいです。
旅をしていくなかで何かを感じて、そこからはそれぞれが何かに繋げていく。
そして自分のまわりの若い作家にも、動いて知り合うということを伝えてほしい。
そんな展開がどんどん繋がっていったら、もっと面白くなります」

薩摩の作家たちが栃木の益子に旅をして出合ったもの、知り合った人。
これからの自分へ、お土産として持ち帰る、何か。
迎え入れた益子の土地から2回にわたってレポートします。

さつましこ 1
イラストレーター江夏ジュンイチ(さつま)meets
濱田庄司記念益子参考館(ましこ)

江夏さんは、鹿児島を拠点に都内からも仕事を受け活躍するイラストレーター。
今回は、ヒジノワCAFÉ&SPACEで、
アクリル画やペンで描いたイラスト作品を中心に展示を行い、
来場者の「ちょっと似ている似顔絵」を描くワークショップも。
似顔絵は、以前出展していたイベントで、手持ち無沙汰な時に、
何かできないかな? と、さらりと描き始めたとのこと。そんな話を聞くうち、
「陶芸の文様も好きなんですよ。だから益子に来るのを楽しみにしていました」
と江夏さん。
「それでは、益子の陶芸と民藝の聖地、益子参考館に行きましょう!」
益子チームの提案に顔をほころばせる江夏さんに
「濱田庄司のお孫さんで陶芸家の友緒さんがいらっしゃるかもしれません。
せっかくですから似顔絵でもさらりといかがですか?」と続けると、
「ちょっと緊張しますね」
「展示してある写真をたよりに濱田庄司の似顔絵もどうでしょう?」
「人間国宝ですよね。僕の絵のせいで、鹿児島県民が
さんぽうかんに出入り禁止にならないようにしないと……」
緊張が高まったのか、「さんぽうかん」と言い間違えてしまい、
周囲にネタにされてしまう江夏さん。

スターネット recodeで展示をしている陶芸家の竹之内琢さんも一緒に参考館を訪ねると、
鹿児島からのお客さまということで、濱田友緒さんが案内してくださることに。
参考館は、全国から寄せられた寄付をもとに、
この3月に震災で被災した石蔵などの修復工事が終了し、
リニューアルオープンしたばかり。
大正時代に作られた2号館と3号館の石蔵は、震災で大きく亀裂が入り、
古い手掘りの大谷石の中に新しく修復した色味が違う石が混じる。

「鹿児島には、こんなに古く立派なまま残っている建物は少ないです。台風の被害が大きいからですかね」と竹之内さん(左)。「益子に来てから、立派な堂々とした古い建物がたくさん目につきますよね」と江夏さん(右)。中央が濱田友緒さん。

1号館では、濱田庄司の大皿作品や、富本憲吉、バーナード・リーチ、河井寛次郎など、
庄司と親交があった作家たちの作品を見る。
庄司の晩年の作であるという、釉薬を流し掛けした大皿もある。
「庄司は筆も早いし轆轤も早い。釉薬をかけて指でさっと掻き落とすなど、
一瞬で決める即興的な仕事が特徴でもありました」という友緒さんの説明に、
江夏さんは感慨深げに頷いている。
庄司の釉薬の流し掛けは、柄杓ですくって、一瞬でさっと掛ける。
「飛び散る釉薬がもったいない、という声もあったようです」
という友緒さんの話に江夏さんの目が輝く。
「皿から地面に飛び散った釉薬って、下に紙を敷いておいたら
アートとして成立したかもしれませんね。見たかったなあ! 
ものづくりの人が作業しているところや、
作業した痕跡みたいなものにとても興味があります」

長期滞在した沖縄で見た、どこまでも続くさとうきび畑に心を動かされた濱田庄司。濱田作品で代表的な文様になった「唐黍紋」に見入る江夏さん。

「ほんの数秒」を大切にした濱田庄司の気持ち、わかります。

2号館、3号館を見学した後、
庄司が暮らしていた頃から「上ん台」と呼ばれていた4号館へ。
1942年に隣町から移築した庄屋作りの大きな民家で、
国内外に交友関係が広かった庄司のゲストハウスとして使用されていた。
益子の陶芸仲間や後進たちだけでなく、庄司を慕ってくる旅人を迎え、
ともに食卓を囲んでいた空間で、江夏さんは友緒さんと向き合い、
「ちょっと似ている似顔絵」を描くことに。

似顔絵を描く江夏さんを友緒さんがスマホのカメラで撮影する。

友緒さんからは、「実物よりいいですね」と嬉しいひと言。

江夏さんは、「ちょっと」似ていることにこだわり、
ほんの2〜3分、ペンを無心に動かして似顔絵を仕上げる。
時間をかけて人の顔を書くと、雑念が入って「余計なこと」をしてしまうから。
「今日、濱田庄司が釉薬を流し掛けする時の話を聞いて、
おこがましいかもしれないけど、一瞬で決めようとする気持ちは
僕にもわかると思いました」

「15 SECONDS + 60 YEARS」
震災で被災した益子参考館再建のために地元の窯元や陶芸家、販売店などが
チャリティで制作販売したTシャツに描かれたキャッチコピーだ。
15秒プラス60年。
これは、濱田庄司の流し掛けにまつわるエピソード。
15秒ほどで決めてしまう流し掛けに、
「15秒では物足りないのでは?」と訊ねた客に
「プラス60年と考えてはどうでしょう」と庄司は答えている。
一瞬で決める仕事の背景にある長い年月の研鑽の積み重ねは、
多くの出会いの積み重ねでもあった。
庄司は、神奈川に生まれ、京都、沖縄、益子、そしてイギリスなど海外での滞在も長く、
その60年は、旅先で知りあう人々や心惹かれる風景や造形との出会いの繰り返し。
そのすべての上に立ち、雑念を除き無心に釉薬を汲んだ柄杓を動かした。
江夏さんが気持ちを重ねようとした、濱田庄司が作品を生み出した手の軌跡。
益子で江夏さんが出会った、庄司が遺した軌跡や言葉は、
ひとつの旅を終えた江夏さんの表現活動のなかで、
小さな芽吹きを繰り返していくのだろう。

展示写真を手がかりに描いた、ちょっと似ている濱田庄司。

さつましこ 2
サカキマンゴー(鹿児島出身)× 高山源樹(益子在住)

初日11日にはレセプションイベントとして、
アフリカの民族楽器「親指ピアノ」奏者・サカキマンゴーのライブも開催された。
さつまものの作家も益子側のスタッフや作家も、
それに益子のお隣の陶芸のまち笠間(茨城県)の作家も集まり、
さつまものの食と音楽を楽しみながら、またとない交流の場となった。
マンゴーさんは、アフリカツアーから帰国してすぐの益子入り。
長旅の疲れも見せず、軽妙な鹿児島弁も駆使するマンゴーさんの演奏とMCに
会場の観客は湧き、時にじっくりと耳を傾ける。
もっとも盛り上がったのが下の写真のシーン。
ミュージシャンとしてのキャリアも長い、ランドスケーププロダクツの坂口修一郎さんが、
益子の高校生ジャンベ奏者、高山源樹くんに声をかけ、
さつま × ましこのセッションが実現した。
高山くんは、小学校2年生の頃から
自宅にあったジャンベを自己流でたたき始め、かなりの腕前。
小さいころから両親と国内外の旅を重ねていることもあり、感度が高い。
坂口さんもトランペットで参加し、3人で「茶わんむしのうた」を演奏。
この歌は、大正時代に鹿児島の田舎町で小学校の学芸会の劇中歌としてつくられ、
歌い継がれているもので、マンゴーさんがラテンのリズムにアレンジしている。
マンゴーさんと高山くんは、この日が初の出会い。
それにもかかわらず、リハーサルなしで息の合った演奏となったのは、
旅や新しい出会いを求めるお互いの波長が、ぴったりと合ったからなのかもしれない。

サカキマンゴーさん(左)、坂口修一郎さん(中央)、高山源樹(右)さん。スターネット recodeにて。

サブ会場 ヒジノワCAFÉ&SPACEでの展示風景。

ヒジノワのスペースでは、個人作家と工房あわせて7つの展示が行われた。
江夏さんは、アクリル画やイラスト作品などのほかに、
鹿児島の奄美地方の菓子、ピーナッツに黒糖をからめた
「がじゃ豆の作り方」という部数限定の手づくり本も販売している。
失敗した時のための本物のがじゃ豆(黒糖ピーナッツ)付き。
手づくりのがじゃ豆をプレゼントする時に使えるという、
イラスト入り袋も用意してある。
自分自身も楽しみながら、さつまのよかもんを益子で伝えたい。
そんなぬくもりを感じる表現のカタチだ。

江夏さんの「がじゃ豆のつくり方」ブック。

白い壁のスペースでは、江夏さんの他に、やまさき薫(イラストレーター)、ぺーパークラフトの「サルビア工房」上原かなえ、就労支援のNPO法人「Lanka」の天然素材石けんなどのプロダクツを展示。

黒い壁のスペースでは、木工の「AkihiroWoodworks アキギロジン」、秋廣琢、アクセサリーの「YUKO HODATE」の作品を展示。

後編では、木工作家、陶芸家たちの交流をレポートします。

村人がつくり楽しむ農村歌舞伎

皆で一緒に楽しむために。

あっという間に終わってしまったゴールデンウィーク。
今年はお天気にも恵まれ、とても気持ちのいい連休でした。

その連休のまんなか、5月3日に毎年恒例の「肥土山農村歌舞伎」が開催されました。

5月3日に開催された肥土山農村歌舞伎。お天気にも恵まれ桟敷席はお客さんでいっぱい。

肥土山農村歌舞伎は、300年以上続く肥土山地区の伝統芸能。
その昔、肥土山は毎年のように水不足。
困った百姓たちを救おうと、時の庄屋太田伊左衛門典徳さんが
3年の歳月と私財を投じて蛙子池を完成させ、
その水が伝法川を伝って肥土山へ流れてきたのを大変喜んだ村人たちが、
肥土山離宮八幡神社の境内に仮小屋を建てて、芝居をしたのが始まりと言われています。
なんとも昔話に出てきそうなお話。
それがこんなに身近にあるから驚きです。

太田伊左衛門典徳さんが造成した蛙子池。現在もこの池からの水を肥土山の農家さんたちは利用しています。

今年は私たちが初めて住民として参加する農村歌舞伎。
実は見るのも初めて。
そしてさらに歌舞伎の演目と演目の間の舞踏に、
いろは(5歳の娘)が参加することになったので、
初めての農村歌舞伎ながらいきなり深く関わることに。
3月2日の「練固め(ねりがため)」という顔合わせから始まって、
5月4日の「どうやぶち」という打ち上げまでの2か月間、
どっぷり歌舞伎な日々でした。

「練固め」の日の子どもたち。子ども歌舞伎や舞踏を担当します。緊張しながら皆さんに挨拶。

踊りの練習。同じ幼児園のお友だちとふたりで先生に教えてもらいます。

本番までの1か月間は、ほぼ毎日踊りの練習。
幼児園が終わってから、そのままお稽古。
「お願いします」
「ありがとうございました」
踊りはもちろん、始まりと終わりの挨拶など礼儀作法まで、
島に住む踊りの先生がとても丁寧に教えてくださいました。
そして家でもお友だちと自主練。
子どもと一緒にひとつの目的に向かって一生懸命頑張ることはとても楽しい。

先生の顔をしっかり見て「お願いします」の挨拶。当たり前のようでなかなかできない礼儀作法を教えてもらいました。

こんなふうにして、役者から大道具、着付けなど
すべてを肥土山で暮らす人々が担当し、当日に向けてつくりあげていく。
別にお金をもらってるわけでもないのに、皆が責任感をもち、
いいものにしようと自然と頑張れるこの雰囲気は本当にすごいなと感じました。
こんな田舎に、むしろ田舎だからこそなのか、
理想的なプロジェクトの進め方がしっかりと存在してる!

本番の舞台で位置合わせ。肥土山のおっちゃんたちが舞台の設置や準備をしてくれます。

そして当日15:30から開演。
夕方から夜にかけて、舞台うしろの暮れゆく風景を眺めながらの歌舞伎は
本当に最高だった。
農村歌舞伎は全然難しいものじゃなくて、
同じ地域に住むあの人、あの子が演じているのを見るのはとても楽しかった。
地元ネタなどのアドリブもあって、観覧席からどっと笑いも起こっていました。

お化粧と着付けを完了していよいよ本番。大勢の観客の前で初めて踊ります。

地元ネタのアドリブがところどころに入っていて、とても面白かった。(撮影:MOTOKO)

だんだん日が暮れていき夜になっても歌舞伎は続きます。この暮れゆく風景が本当に美しい。

今年は例年に比べて若い世代の人たちがたくさん見に来ていたそうで、
大盛況だったみたいです。
私の知人も、島外島内からたくさん来てくれました。
家で作ってきた割子弁当を一緒に食べながら、皆昔からの友人のような雰囲気で。

朝から急きょ準備した割子弁当。古くから伝わる郷土料理で農村歌舞伎を見物する際に、家族の弁当を入れて背負っていく木箱。これを20人分作りました。(撮影:MOTOKO)

島内島外の知人たち。この日初対面の人もたくさん。東京から来てくださったカメラマンのMOTOKOさんが撮影してくれました。(撮影:MOTOKO)

肥土山農村歌舞伎というのは、こんなふうにして
親戚や友だちと一緒に楽しむことができるお祭りなんだなとひしひしと感じました。
来年もその次の年もこのお祭りが開催され続けるように、
肥土山で暮らす家族として少しでも貢献できるといいなと思います。
来年も皆でつくり、皆で楽しめるといいな。

アートと自然を楽しむ春の遠足

子どもと過ごす時間を増やし、地域の中で育てていく。

5月になりました。
うちのすぐ横の水路にも水が流れ始め、いよいよ田植えシーズンです。
日に日にまわりの景色の彩度が上がっていくのを感じますが、
これでまた肥土山はグーンと緑になります。
秋に引っ越してきたわたしたちにとって、肥土山の春、夏はまだ未経験。
すごくワクワクする。

そんな初めての春の週末に、幼児園の親子遠足がありました。
いろは(うちのひとり娘、5歳)は、去年から地元の幼保一体の幼児園に通っています。
同じ年の子は5人、全園児24人の小さな幼児園。
山々に囲まれ、すぐ横に田んぼや畑が広がる本当に自然豊かな場所にあります。

幼児園のテラスで遠足出発の準備。この日はとても暖かくまさに遠足日和。

遠足の行き先は、瀬戸内国際芸術祭2013(以下、瀬戸芸)のアート作品「小豆島の光」。
肥土山のお隣の集落「中山」にある、地元産の約5000本の竹で組んだ巨大ドームです。
台湾のワン・ウェンチー(王文志)さん の作品で、
棚田で囲まれた中山地区の谷間にどーんと構えるその様は圧巻。
すごい存在感なのに、不思議と中山の風景の中に溶け込んでいる、そんな作品。
ちなみに幼児園のみんなは「竹のいえ」と呼びます。

中山の風景に溶け込むワンさんの「小豆島の光」。この棚田の風景は本当に美しい。

幼児園から竹のいえまでは、歩いて約2キロ。
40分くらいかけて、親子で手をつないで、
田んぼのあぜ道や森の中の道を歩いて行きます。

実は子どもたちは竹のいえの完成前にも歩いて見に行ったことがあります。
ここの幼児園はとにかくよく歩く。
何もない普通の日でも往復で2時間くらい散歩することがあり、
ある意味ほぼ毎日遠足(笑)。
その歩く道も平坦な道路じゃなくて登り坂、下り坂が多く、
未舗装の道、ちょっと危ない川に落ちそうな道もあったり。
そして何より、そこにはたっぷりの自然があり、
畑があり、お寺があり、おっちゃんおばちゃんがいる。
散歩の途中で、畑に寄ってみかんを収穫したり、お寺に寄ってお茶をもらったり、
そういう風景が普通にあるのはとても素敵だなーと思います。

山々に囲まれた畑の中を歩きます。

幼児園のみんなにとっては見慣れたヤギさんたち。肥土山にはヤギを飼っている農家さんがちらほらいます。

棚田の中を歩いていきます。こんな坂道を毎日登ったり下ったり。

途中でイタチを発見! わぁっとみんなが駆け寄ります。

さらに今年は瀬戸芸の年なので、そこにアート作品が加わる。
幼児園のすぐ近くに、長澤伸穂さんの「うみのうつわ」、
齋藤正人さんの「猪鹿垣の島」があり、そして少し歩けば「小豆島の光」、
秋には武蔵野美術大学わらアートチームによる「わらアート」も登場します。

アートと自然を楽しむことができる遠足、
ここならではのとても素敵な遠足だなと感じました。
子どもたちにとってはアートも自然も同じで、構えることなくただ楽しむ。
歩いてる途中にイタチを発見して「わぁぁぁ!」と走り寄ったり。
竹のいえの中でも、ごろごろしたり、走り回ったり。
竹の匂いを嗅いで「バニラのにおいがするー!」とみんなできゃっきゃしたり。

地元の竹5000本で作られた「小豆島の光」は近くで見るとすごい迫力、中に入ると落ち着きます。

竹の間から差し込む光の中でゴロゴロ。みんなで温泉気分です。

友だちのお父さんにみんなで抱っこしてもらう。

そして帰り道、肥土山離宮八幡神社の横にある農村歌舞伎舞台の桟敷でお弁当。
300年以上続く伝統芸能の舞台を身近で感じながら。

普段から自由に見学できる肥土山農村歌舞伎の桟敷。木陰でお弁当の時間。

こんな風景のある小豆島の里山で子どもを育てる。
わたしたちが引っ越してきた理由のひとつでもあります。
一緒に過ごす時間を増やし、地域の中で育てていく。
リタイア後に田舎で暮らすのも素敵ですが、子育て世代こそ面白いのかもしれません。
もちろん大変なこともたくさんありますが(笑)
これから子どもがどんなふうに成長していくのか楽しみです。

京都・宇治茶の産地に自転車遠足しよう「京都、自転車ランデブー 2013 春」

GWまっさかり。お出かけが本当に気持ちのよい季節ですね。
京都在住の自転車アクティビスト、KaOさん企画の
サイクリング・イベント「京都、自転車ランデブー 2013 春」が
GW期間中開催されています。

このイベント、普通のサイクリングとは一味違います。
自転車で京都の町並みを楽しみつつ、
京絞りなど伝統工芸や茶つみ、さらには温泉まで
体験できるよくばりな内容の催しが
7日間にわたって行われています。

例えば、片道だけ自転車に乗るもよし、電車で来て
体験だけするもよし、自由な参加ができるんです。

GW後半は5/3、4、5、6に開催。
残念ながら他プログラムの応募は既に終了しているのですが、
コロカル読者のために5月4日の茶つみ遠足(参加費3,000円)への
参加枠をご用意させて頂きました。

この日は、宇治茶の産地である和束町にお出かけし、
見渡すかぎり広がる茶畑で、茶農家さんと一緒に
茶つみ体験をします。お昼には古民家で茶づくし弁当も。
電車でも自転車でも参加できます。

お申込みはこちらのフォームからどうぞ!
定員に達し次第、締め切らせて頂きます。
http://bit.ly/16fBvU9

こちらは4/27に行われた「お気に入り京都案内サイクリング」のひとこま。facebookにてこれまでのプログラムの写真が見られますよ〜。

Facebook「京都、自転車ランデブー 2013 春」