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ヤマイエヒト

PEOPLE
vol.009

posted:2012.9.25   from:新潟県十日町市  genre:暮らしと移住 / アート・デザイン・建築

〈 この連載・企画は… 〉  ローカルにはさまざまな人がいます。地域でユニークな活動をしている人。
地元の人気者。新しい働きかたや暮らしかたを編み出した人。そんな人々に会いにいきます。

editor's profile

Ichico Enomoto

榎本市子

えのもと・いちこ●エディター/ライター。生まれも育ちも東京郊外。得意分野は映画、美術などカルチャー全般。でもいちばん熱くなるのはサッカー観戦。

credit

撮影:増田智泰

半分、この土地で働き、暮らしてみる。

「大地の芸術祭」のメイン開催地でもある新潟県十日町市松代。
「農舞台」のあるまつだい駅のほど近く、ほくほく通りに
「山ノ家」という名のカフェ&ドミトリーがオープンした。
古民家のような外観だが、入ってみると外観のイメージとはまた違った
洗練された内装で、居心地のいい空間が広がる。
1階がイベントなども開催できる多目的スペースとしてのカフェ、
2階はアーティストが制作のために滞在できるレジデンスと、
旅人のための簡易宿泊施設になっている。
無線LAN完備で、カフェではノートパソコンを開く人がちらほら。

山ノ家プロジェクトの母体となっているのは、
このプロジェクトのために立ち上げられた社団法人「ヤマイエヒト」。
立ち上げメンバーの河村和紀さん(写真右)、後藤寿和さん(写真中央)、
池田史子さん(写真左)は、もともと東京の恵比寿で活動する、
地域在住在勤のクリエイターたちがゆるやかに連係し、協力し合うコミュニティ
「START EBISU」の仲間たち。河村さんの本業は映像制作、
後藤さんは空間デザイン、池田さんはアートやデザインプロジェクトの企画制作だ。

この場所との縁は、河村さんの知人で、
学生時代から地域活性コンサルティングをしていた佐野哲史さんが発端。
十日町市内の別のエリアで古民家再生プロジェクトを推進していた佐野さんは、
この松代のプロジェクトを引き受けた直後に起きた東日本大震災の復興のために
急遽東北に赴くことになり、松代の空き家プロジェクトを引き継いでもらえないかと
河村さんに相談。河村さんは場とコンテンツのクリエーションサポーターとして、
旧知の後藤さんと池田さんに声をかけた。
まずは現地を見てみようとこの空き家を訪れた3人は、
この場所に直観的に大きな可能性を感じたという。
「僕は映像の仕事をしていて、これまでもいろいろな地域に行ったことがあるのですが、
ここは単なるいなかまちじゃないな、と最初から強い確信を持ちました」(河村さん)
「これまでにも芸術祭を見にこの地に来たことはあり、
ローカルと現代アートが共存している状況をとてもリスペクトしていましたが、
その膨大なアート作品を抜きにしても、とにかく自然や大地そのものの磁場が
すごく強いところだとあらためて感じました」(池田さん)

もともと大地の芸術祭のオフィシャルプロジェクトでも、
空き家そのものをアートワークとしてリ・クリエイトしたり、
土壁を塗り直すことで新たに建築としての再生を促すプロジェクトなどが
先行して取り組まれていた。この山ノ家が面するほくほく通りでは、
長年この地に居住し活動しているドイツ人建築家のカール・ベンクスさんが、
通り沿いの民家を昔ながらの建築様式に外装改修するプロジェクトを、
市と共にちょうどスタートさせたところで、
この空き家はその改修プロジェクトの助成対象家屋だった。
単なる1軒の空き家のリノベーションではなく、
地域内の複数の場所にコミットしていく過程で、そこに人が集ったり、
その場所が活性化していくしくみがつくれるのではないか、というのだ。

そもそも、前出の佐野さんにその空き家プロジェクトを紹介したのは、
大地の芸術祭の現場運営の母体であるNPO「越後妻有里山協働機構」の理事長であり、
地元の地域活性の旗ふり役として活躍している若井明夫さん。
若井さんと出会い、話し合いを重ねていくなかで、この地で何かを生み出していく
原動力になることが求められているのだということを体感した3人は、
”良きヨソモノ”として、元来の活動本拠地である首都圏とこのエリアとを
往還するライフスタイルを実験をしてみようということになった。
従来型の、ローカルへのややエスケープ的、もしくは自己犠牲的な完全移住ではなく、
都市とローカルの価値を同等に享受し、都市⇔里山を行き来する
「移民」と自分たちを定義し、方向性が固まった。
こうして、プロジェクトの発端をつくった佐野さんと、
地元の強力なサポーター若井さんを顧問に、
河村さん、後藤さん、池田さんで、社団法人ヤマイエヒトを設立し、
拠点となる山ノ家の企画運営母体となる組織「MPM」も、
同じメンバーで同時に立ち上げることとなった。

外観は助成のルールに沿った設計だが、内装のディレクションはふだん空間デザインの仕事をしている後藤さんが手がけた。地元の工務店や大工さんたちの手を借りながら、これまでも東京での地域展覧会構成を協働した仲間たちや有志の“インターン”が集結し、のべ30名を超える若者たちと共にセルフビルドして、2012年8月に完成。

複数の拠点を持つ、ということ。

場所はある。ではこの場所で、何をやるべきかと考えた。
「いろいろとやることを想定しつつ調べてみたら、やはりすでに大地の芸術祭で、
たいていのことはやってしまっているんですよね。
じゃあ僕らがやれることって何だろうと、もう一度考え直したんです。
そのなかで出てきたアイデアが、背伸びしない、僕たちの日常。
東京の日常の延長のような場所として、いかに特別じゃないかということを
やろうと思いました」(後藤さん)
十日町の風景に触れ、ここの空気を吸うだけで、自然と非日常にスイッチは切り替わる。
けれど山ノ家に入れば、無線LANは自由に使えるし、おいしいコーヒーも飲める。
東京では当たり前になっていることも、この土地ではまだ貴重だ。
「実は、移民たちのカフェというのが裏テーマ。
ここで出す料理は地元でとれた素材を使っていますが、郷土料理ではなくて、
私たちが日常的に食べているもの。
妻有ポークを使って、中近東風のハンバーグをつくっちゃおうとか。
地元の食材に自分たちの感覚をかけ合わせたらどうなるか。
けっこうみなさん、おいしいと言って食べに来てくれますよ」(池田さん)

東京と十日町を行ったり来たり、となるとネックは移動の問題だが、
実は十日町市が、農業体験をする人や十日町で働く人のために、
東京と十日町をつなぐ無料の往復バスを週末だけ運行させている。
山ノ家で働いているスタッフも、東京方面からそのバスを利用して来ているそう。
おもにアートや建築を学ぶ学生さんたちに、いわばインターンとして来てもらう。
彼ら、彼女らにしてみれば滞在費はほとんどかからないし、おいしいごはんが食べられて、
いろいろな人に出会え、オフの日は芸術祭を見て回ることもできる。
お互いハッピーというわけ。
「土地の持つパワーがあり、芸術祭があることで
カルチャーインフラがすでに存在していたこと、そして移動のシステム。
この3つがあるから、この場所が成立しえたと思います」(池田さん)

十日町の面積は、東京23区と同じくらいだが、
人口密度は1キロ平方メートルあたり十日町が100人弱なのに対し、
東京は6000人と、ものすごい差だ。
「ある時代の流れのなかで、人にしろ情報にしろ、
高密度であることが善になっていったのだと思いますが、
3.11以降は特に、それだけでいいのだろうかという考えが強くなってきたと思います。
僕らも根底にそういう思いがなかったら、ここに来ていなかったかもしれない」(後藤さん)

でも、3人は東京を捨てたわけではない。あくまで、拠点が増えたということ。
「帰れる場所が複数あったほうがいいんじゃないかと思うんです。
いまも週に一度くらいは東京に戻っていて、東京の利便さも手放していないけど、
こちらの生活も満喫しています。
ホームグラウンドが倍になって、ダブルローカルという感じ。
次はトリプルローカルにできればと思っています」(池田さん)
震災後に移住した人は少なくないが、移住に踏み切れないでいる人はもっと多いはず。
“東京かローカルか”ではなく、こういうライフスタイルも、
選択肢のひとつとして考えてもいいはずだ。
「人口密度の高いところと低いところを行き来するのが重要なのではと思っています。
移動にはコストも時間もかかりますが、みんながどれだけ快適に移動できるかという
しかけづくりもしていきたいと考えています」(河村さん)

キッチンでは朝からスタッフがせわしなく動き回っていた。アートや建築を学ぶ学生のインターンも多い。

山ノ家でいただく朝ごはん。万願寺唐辛子と鶏肉のハーブ焼き、塩豆腐、まいたけご飯、みそ汁。このあたりでとれた素材で自分たちが食べたいものを。

「茶もっこ」文化があったから。

山ノ家を立ち上げるにあたってキーパーソンとなったのが、先述の若井明夫さん。
池田さんいわく「シンクグローバル、アクトローカルの権化のような人」で、
完全無農薬農法で農業をしたり、どぶろく特区制度の認定を全国で最初に取得したりと、
バイタリティあふれる人。
山ノ家で出すみそ汁は、若井さんの畑でとれた大豆でつくった自家製のみそを使っている。
その若井さんのアイデアからできた「ほくほく茶もっこウォーク」という
ストリートマップが置いてあった。
ほくほく通りは江戸時代から街道筋として栄え、旅人が来ては休んでいくエリアだった。
このあたりには、旅人たちにあたたかく声をかけ、お茶でも飲みながら話をする
「茶もっこ」とよばれる文化が古くからあり、それを復活させて
外から来た人に体験してもらおうと、茶もっこができる場所をマップにしたのだ。
「僕らが初めてこの場所を見に来たときに、向かいの方がひょこっと出てきて、
“何しに来たの?”と聞かれたんです。ここで何かやろうと思って、と話すと、
ふた言目には“まあコーヒーでも飲んで行け”と(笑)。
それが最初の体験としてすごく印象的でした」(後藤さん)
「もともとここには茶もっこの文化があったから、
外から来る人に対してオープンハートなんです。
このマップはほくほく通りの有志でつくったんですが、
こういうことがやりたいけど最初はみなさんどうしたらいいのかわからない。
じゃあ私たちがお手伝いできることがあるので、やりましょうと。
私たちは逆に、畑のことや雪の下ろし方を教えてもらったり。
お互い助け合っています」(池田さん)

まずは、新しい拠点ができた。
第2フェーズとしては、芸術祭が終わったあと、秋から冬にかけて
自分たちオリジナルのイベントやプロジェクトを発信していこうと、3人は考えている。
「実は、オフシーズンの妻有も楽しいんですよ。
芸術祭の会期中でなくても見られる作品もあるので、
オフシーズンの妻有アートツアーみたいなものができないかとか。
あと私たちはもともと映像やメディアアートのネットワークがあるので、
冬は雪原にプロジェクションマッピングをしたり、雪の中でのサウンドとビジュアルの
アート祭りをやりたいなとか、いろいろ考えています」(池田さん)

イベントだけではなく、ジャムのプロジェクトも進行中。
それも若井さんのアイデアで、休耕地に木の実がなる木を植えて、
その野生に近い木の実でジャムをつくるというもの。
畑は人手が足りなくなるとどうしても休耕地が増えてしまうが、
ほとんど手を入れなくても木の実は実る。
実際に若井さんがつくった木イチゴで試作品のジャムをつくっているところだ。
「私たちは、いい意味で異分子だと思いますが、若井さんも期待してくれています。
いろいろなことで化学反応を起こしてほしいと思っているみたい。
実際に少しずつ、起こしつつあると思います」(池田さん)

東京のフードクリエイターが山ノ家に来たときに、野生の木イチゴでつくったジャムの試作品。

棚は、もともと履物屋だったこの家に置いてあったものを磨き直して使用。近くの下条地区の蔵からたくさん出てきて捨てられそうだった漆の器も譲り受けた。

information


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YAMANOIE Café & Dormitory
山ノ家 カフェ&ドミトリー

住所 新潟県十日町市松代3467-5
電話 025-595-6770
http://yama-no-ie.jp
https://www.facebook.com/pages/Yamanoie-CafeDormitory/386488544752048

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YAMAIEHITO
社団法人ヤマイエヒト

東京・恵比寿を拠点に活動するクリエイティブユニット「gift_」のスペース+サウンドデザイナーの後藤寿和とクリエイティブディレクターの池田史子、それに映像ディレクターの河村和紀で立ち上げ、佐野哲史、若井明夫が顧問として参加。複数拠点のワーク&ライフスタイル実験の場としてカフェ&ドミトリー「山ノ家」を2012年8月にオープン。

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