〈 この連載・企画は… 〉
フォトグラファー、津留崎徹花が、美味しいものと出会いを求め、各地を訪ね歩きます。
土地の人たちと綴る、食卓の風景を収めたアルバムです。
text & photograph
Tetsuka Yamaguchi
山口徹花
やまぐち・てつか●フォトグラファー。東京生まれ。『コロカル』のほか『anan』『Hanako』など女性誌を中心に活躍。週末は自然豊かな暮らしを求めて、郊外の古民家を探訪中。
ここまでのあらすじを少々。
以前この連載で「やん米」を教えてくださった、鈴木俊子さん。
その鈴木さんからご連絡をいただき、千葉の南房総へと向かいました。
訪れた先は、鈴木さんのご友人である前田善治さん、みつさんご夫妻のご自宅。
前田さんは、18歳で始業し、今年で実に60年という来歴の酪農家さん。
子どもの頃からよく食べていたという、ちっこ豆腐を作ってくださいました。
ちっこ豆腐とは、牛乳を煮立て固めたもので、
千葉の酪農家さんのあいだで親しまれてきた一品。
濃厚な乳の香りとほわほわの食感、優しい味わいに包まれたひとときでした。
今回は、ちっこ豆腐を丼に仕立てていただきます。
作り手は、お母さんから鈴木さんへとバトンタッチ。
では、前田家の台所へと戻ります。
母「としちゃん、タマネギあるからやってみてよ」
お母さんから鈴木さんへ、ちっこ豆腐丼のリクエスト。
鈴木「じゃ、ちいとば鍋貸してもらえる?」
母「いいよ、いいよ、ほれ」
鈴木「玉ねぎなんかもある?」
母「あるよあるよ、ほれ」
着々と準備が整い、調理スタート。
聞けば、おふたりは高校の同級生とのこと。
としちゃん、みっちゃんと呼び合う仲。
母「あそこのお子さん、どうしてる? なんて子だったか、ほら」
鈴木「ああ、あの子、あの、右曲がったとこのね、ね」
なんて塩梅で、うわさ話に花を咲かせるおふたり。
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4人分の丼に、ご飯がよそわれた。
その上に、卵でとじたちっこ豆腐をこんもりと盛りつける。
美味しそ~。
鈴木「海苔かなんか、ちいとばある?」
母「あるよあるよ、ほれ」
鈴木「なんか、緑のもの、ちいとばある?」
母「あるよあるよ、三つ葉があるよ、ほれ」
この、鈴木さんの「ちいとば」=「ちょこっと」という言い回しが心地よい。
★ちっこ豆腐丼
材料
ごはん 玉ねぎ 卵 ちっこ豆腐
醤油 砂糖 みりん 海苔と三つ葉、お好みで
鈴木「12時過ぎちゃった、お父さん待ってるね、呼ばなきゃ」
テツ「私が行きましょうか?」
外で作業しているお父さんに声をかけにいく。
テツ「お父さん、お昼ご飯できましたよ」
照れくさそうに目をそらすお父さん。
父「お父さんなんて呼ばれるとはねぇ。
慣れてないから、誰のことか分からなかったよ」
テツ「は! 失礼しました! なんてお呼びすればいいでしょうか」
父「うーん、孫たちには「ちい」って呼ばれてますけどね」
……。
テツ「ちいって呼ばせてもらう訳には……、お父さん、でもよいですか?」
父「ふふふ、いいですよ~」
ちゃぶ台の上には、丼に漬け物、蓮根の酢漬けなどがずらり。
いただきまーす!
熱々、ほふほふ。
甘しょっぱい味つけとちっこ豆腐、猛烈にマッチング。
ちっこ豆腐に卵がまとわりつき、まろやかな味わいに。
ざっくり切られた玉ねぎの甘さが、さらに気持ちを落ち着かせてくれる。
いい、ちっこ豆腐丼、いいわ~。
母「あんまり煮すぎない方がいいんだよね、固くなっちゃうから」
なるほど。
鈴木「どう? 薄い? ちいと薄かったよねぇ?」
テツ「いえいえ、ちょうどいいですよ、美味しいです」
こうして皆さんと丼をかき込む感じ、楽しいな。
テツ「お父さんはお好きですか? ちっこ豆腐」
父「いや~、自分で作ってるとあんましねぇ」
あら。
テツ「牛乳は毎日飲むんですか?」
母「私は飲まない」
あら。
母「自分とこのだと濃すぎて飲めないのね。スーパーのだと飲めるけどね」
テツ「そんなに違うんですか?」
母「飲んでみる? 温めるから」
テツ「はい! ぜひ!」
うーん、確かに濃ゆーい。
乳そのものの香りがガツんとやってくる。
さっきまで乳房の中にあったよね、というお味。
牛乳好きにはたまらない味。
牛乳嫌いにもたまらない味。
テツ「お母さんの好物はなんですか?」
父「甘いもの!」
お父さんが代わりに答える。
母「ふふふ~」
お母さん、恥ずかしそうに体を揺らす。
テツ「洋菓子ですか? 和菓子?」
父「なーーーーーんでも」
またまたお父さん。
お互いを知り尽くしたようなムード。
仲のよさがうかがえる。
テツ「おふたりはご結婚何年目になるんですか?」
父「50年ですかねぇ」
テツ「どうしたらうまくいくんでしょうか、結婚生活ってものは」
うーーーんと考え、ひと言。
父「喧嘩しないってことですかねぇ」
なるほど。
母「喧嘩するとね、私がストライキすっからね、一週間でもね。
そうすっと困るんですよ」
頬をさすりながら、空を見つめているお父さん。
どうやら過去に起きた一件を思い出している様子。
父「ストライキされっと、おちおち寝てらんないですからね。
やっぱりできないですね、ひとりじゃ、お母さんがいないと」
二人三脚で50年。
共に歩んで来たおふたりには、穏やかでごく自然な流れが感じとれる。
テツ「お父さん、牛舎を見せていただけますか?」
父「はいはい」
玄関から出て少し進むと、高い屋根の牛舎が見えてきた。
中をのぞいてみると、大きい牛がずらり。
目を見開き、こちらの様子をうかがっている。
牛「ムウォ~」
父「来年でやめるんですよ、これも」
テツ「えっ、そうなんですか?」
父「もう78歳ですからね」
テツ「長年やってこられて、苦労したことってどんなことですか?」
父「うーーーん、なんだろ。
苦労も喉もと過ぎちゃったからね~」
頬を擦りながら、牛舎にゆっくりと目をやるお父さん。
テツ「次はいつ頃生まれるんですか? 子牛」
父「来月生まれますよ」
おっと。
父「送りましょうか? 初乳」
テツ「いいんですか!」
母「いいですよ、送りますよ」
やったー! 会える、初乳に会える~。
お土産に、先ほど煮立てたちっこ豆腐を持たせてくれた。
お礼を伝えて前田家を後にする。
父「また遊びに来てくださいね」
はい。
少し陽が傾き始め、景色が青白く染まり始めた。
鈴木さんがバス停まで送ってくださる。
ハンドルを握る鈴木さんの指先には、マニキュアがキラリ。
テツ「使ってくれたんですね」
鈴木「うん、でも取れてきちゃった」
恥ずかしそうに手元を隠す鈴木さん。
以前お会いしたとき、私の爪に塗られたマニキュアに
目を輝かせていた姿がとても印象的だった。
帰宅後、お礼の手紙と写真を添えて、マニキュアを送らせていただいた。
淡いピンク色の、そのマニキュア。
鈴木「今度、なにしようか。
なにかまた美味しいもの見つけたら、連絡するからね」
どこまでも思いやりの詰まった鈴木さんに感謝。
バス停に到着した。
鈴木さんに別れを告げ、さあ出発というところへ、なぜ?
車から飛び出してくるお父さんの姿が。
父「これ! これ!」
手にはなんと、カメラの三脚が……。
テツ「おとうさん、あ~、もう、本当に、申し訳ないです」
父「はいはい、気をつけて~」
テツ「せっかくなので、一枚いいですか?」
東京行きにのバスに乗る。
南房総の柔らかな夕景を眺めながら、先ほどまで過ごした時間をゆっくりと思い起こす。
この時間がたまらなく幸せなのだ。
後日、前田さんから荷物が届きました。
ずっしりとした初乳豆腐と、ツヤツヤのお米。
もう、本当に嬉しい。
ちっこと比べると、初乳のほうが黄みがかっている。
ちっこよりも雑味が残っていて、乳の香りそのまま。
日本酒に例えるならば、初乳は純米酒、ちっこは純米大吟醸、といった感じ。
「息子も、うんめ~うんめえって食べるよー」という、
お母さんおすすめの調理法でいただきました。
小鍋に醤油とみりん、お水を煮立て、玉ねぎと初乳豆腐を投入。
ギュッとしていた豆腐が、柔らかく溶けていく。
醤油と乳のマリアージュ、うんめ~。
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