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連載

岩手〈小田中染工房〉の
美しい型染めデザイン。
芹沢染紙研究所で学んだこととは

ものづくりの現場
vol.029

posted:2017.8.8  from:岩手県紫波郡紫波町  genre:ものづくり / アート・デザイン・建築

〈 この連載・企画は… 〉  伝統の技術と美しいデザインによる日本のものづくり。
若手プロダクト作家や地域の産業を支える作り手たちの現場とフィロソフィー。

writer profile

Takumi Miyamoto

宮本拓海

1994年生まれ。岩手県奥州市出身。高校卒業後、行政職に就きながら、立ち上がったばかりのWEBマガジンに携わりたい! と志願し、勢いそのままライターに。行政職を退職後、徳島県神山町へ引っ越し。現在は地元に戻り(株)COKAGE STUDIOの編集部に所属。

Photographer profile

Keisuke Kawashima

川島佳輔

フリーランスデザイナーとして3年間活動し、2016年12月に(株)COKAGE STUDIOを設立。「くらしに、豊かな1ページを。」をビジョンに掲げ、岩手県奥州市でカフェと託児所が併設された〈Cafe&Living Uchida〉をオープン。改装中は大工兼デザイナー。現在はカフェの皿洗い担当。

代々続く小さなまちの染物店

奥羽山脈と北上高地に囲まれ、まちの中央を北上川が流れる
自然豊かなまち岩手県紫波町。農業が基幹産業となっており、
りんご、ぶどうなどの果物やもち米などの水稲の産地として知られている。

工房裏を流れる滝名川。

農業のまちで昔から人々の暮らしで重宝されてきた染物。
染物屋は、染色に使う糊を洗い流す工程で、新鮮な水が大量に必要とされたため、
川沿いに工房を構えることがほとんど。
紫波町の西部に流れる滝名川のほとりに店舗を構える〈小田中染工房〉もそのひとつだ。

80年以上続く小田中染物工房。

小田中染工房の3代目を務める型染め作家の小田中耕一さん。
反物や手ぬぐいなど先代から引き継いだ地元の祭りなどに使う染物に加えて、
型染めの技法を生かしたパッケージデザインや本の装丁など仕事は幅広い。

「家業は継ぐものだと思っていたから抵抗はなかった」と話す小田中さん。今年で40年目。

宮沢賢治の著書『注文の多い料理店』を出版し、のちに民芸店となった
盛岡市の〈光原社〉が販売する〈くるみクッキー〉のパッケージや、
セレクトショップ〈BEAMS〉のレーベル〈BEAMS fennica〉の広告物なども、
手がけたことがある。

20年以上愛用されている〈光原社〉のくるみクッキーのパッケージも小田中さんによるもの。裏庭にあったくるみの木のスケッチから生まれたものなんだそう。

左は、BEAMS主宰の工芸の展覧会ポスター用に作成し、右は〈手仕事フォーラム〉主宰の展示会のDMに作成したもの。どちらもビビッドな色合のなかに、工芸のぬくもりが伝わってくる。

東京・佃島にある〈つくだ煮処 つくしん〉のパッケージ。長く愛される商品の良さを伝える、素朴であたたかみあるデザイン。

始まりは、麻の野良着の藍染め

小田中染工房は藍染めを行う紺屋として昭和初期に創業。
当時は農家の作業着を藍染めする仕事が主力だった。
藍には抗菌や保湿、防虫などの効果があるため、
野良着やもんぺなどの農作業着は藍で染められていた。
しかし農業の方法が変化し、服装が変わると需要は次第に減少。

「今となっては良いことだったのか悪いことだったのか。
工房を続けていくためにどうしたらいいかと考えた末、
型染め、印染め(しるしぞめ)を始めることになったそうです」

“印染め”とはのれんや手ぬぐい、半纏など商いの目印となる染物のこと。
型染めは、下絵にそって彫った型紙に、
もち米を主原料とした防染糊(ぼうせんのり)を用いて染める、
日本で古くから伝わる染色技法だ。小田中さんの先々代は、
その技法を取り入れるため、外の紺屋で学び習得し、生業とした。

炊いたもち米と糠・石灰・塩を材料として、つくられる防染糊。

上京、そして師との出会い

小田中さんは高校でグラフィックデザインを学び、卒業すると共に上京。
一般的に分業して行われていた型染めの工程をひとりで一貫して行う、
「型絵染」で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された芹沢銈介さんのもとへ。
民芸運動を代表するひとりとして知られる芹沢さんは、「型絵染」を確立した第一人者。
一枚の型紙を使って多彩な模様染めをする沖縄の紅型(びんがた)に精通し、
従来の枠にとらわれない技法で独創的な作品を次々と生み出した。

「お客さまに、芹沢染紙研究所に居らした方が来られて、
型染めに興味があるならと勧めていただいたのがきっかけでした。
その方が持参した芹沢銈介自選作品集を見せていただき、
こんなことができるのかと衝撃を受け、すぐに入所を志願しました」

工房に飾られる芹沢さんの写真。小田中さんは芹沢さんを今でも「先生」と呼び、慕っている。

芹沢染紙研究所は、昭和30年、東京の蒲田に設立。
研究所ではカレンダーやはがき、うちわなどを制作し、
「日用品として購入できる、安価なものであること」、
「需要に応じるため、数多くつくられたものであること」など民芸の考え方を実践した。

型紙を整理するお手伝いなどをしながら研究所に8年間在籍。
小田中さんは、芹沢さんの型紙に目を通す中で学んだことがあると言う。

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芹沢さんに教えられたこととは……

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「決められた通りに染めるだけではないおもしろさや、
型染めの技術を使い、いろいろな『遊び』ができることを見せていただきました。
また、私の『文字がおもしろいと先生がおっしゃってたよ』と
人づてで聞いたことはありましたが、直接にはありません。
だから本当だったかどうか。でも『君は文字が好きそうだね』
と文字の見本が載っている紋帖をいただいたことはあります」

「いつも厳しい先生が「これでいい」とおっしゃって、そのまま採用されました」。タイトルを芹沢さんが下絵し、小田中さんが型を彫ったポスター。)

工程を重ねて生まれる、手仕事の美しさ

実際に型染めの作業を見せてくれた。
工程は大きく分けて「型彫り」「紗張り」「糊置き」「色差し」「水元」の5つ。

1「型彫り」、2「紗張り」

下絵を書いて、型紙を彫る。型紙は和紙に柿渋を塗り、
何枚か張り重ねた、水に強い渋紙を使う。
その後、切り抜かれた模様が剥がれないように
型紙を「紗(しゃ)」と呼ばれる細かい網を張り合わせて、模様を固定。

3「糊置き」

染料がにじみ出るのを防ぐため、防染糊を和紙などに施す「糊置き」を行う。

4「色差し」

色をつける前に、顔料と豆汁(ごじる)を混ぜ合わせる。

豆汁は大豆をひと晩ふやかした後にすりつぶして防腐剤として石灰を入れ、搾ったもの。豆汁を固着剤とすることで、布や紙から色を剥がれ難くする効果がある。

色をつける「色差し」は、薄い色から塗り、最後に濃い色をのせる。

5「水元」

最後は、空気中のガスを吸って豆汁が固まったころに水を張ったボールなどにいれ、
防染糊を落とす「水元」を行う。紙が傷ついてしまうため、こすらず、
水の勢いだけで糊を落としていく、こともある。

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ひと手間から生み出すもの

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「工程は全国各地ほぼ同じ」と小田中さんは話すが、
そんな伝統的な方法を選ぶ工房自体が減少しているのも事実。
昔ながらの工程だからこそ、生まれる風合いと生きる個性がある。
小田中さんの作品は、あらためてそれを教えてくれる。

特に、小田中さんが彫る「型」。
型染めでは、型紙を彫るとき、模様が動いたり、
落ちたりしないように文字同士をつなげたりする「吊り」を残していく必要がある。
しかし小田中さんは文字を彫るとき、吊りを使わずに字体を壊さない方法もとる。

小田中さんが指差す「会」の字は、はらいをほかの線とつなげて彫っている。

「文字の『はらい』なんかを吊りの代わりにほかの字にくっつけてしまうんです。
それでもなんとなく文字に見えるでしょ。
遠くから見て、だいたい読めたらいいんじゃないかという、
ある程度いい加減な仕事でもあります」
と話すが、吊りを使わず字体を彫るのは容易なことではない。
逆に吊りを利用して模様をつくることも。
小田中さんは吊りを工夫することで型染独特の字体を引き出していく。
そんな小田中さんの型のはまったような、はまっていないような風合いは、
文字だけでなくさまざまな型絵に表れていく。

東京・国立新美術館での展覧会用に染めた作品。赤い模様は型紙を手で切った無造作な切り口を生かして染められている。

学んだ伝統の技術を忠実に再現しながらも、いかに型から外れて、糊や色をつけるか。
味をだすことだけを意識して型染めを行っていた時期もあるという。

「型絵染の技術的なことは芹沢先生が手がけてしまっておられるので、
もうこれ以上のものはないでしょう。あとはきっと邪道なんじゃないかなと思うしね。
だから私は、身につけた技術を楽しめる余裕をもちたいと思いながら、
日々暮らして居ります」

小田中さんのご家族。祭り用の染物などの忙しいときには奥さまとお母さんも現役で作業するそうです。

information

map

小田中染工房

住所:岩手県紫波郡紫波町上平沢字南馬場60-1

TEL:019-673-7605

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