Bsize Part1: ひとり家電メーカーの、 未来型ものづくりへの挑戦。

企画、デザイン、制作から販売まで
たったひとりの家電メーカー。

小田原に本社のあるBsizeは「ひとり家電メーカー」。
最初の商品、LEDデスクライト「STROKE」で業界を震撼させた
社長の八木啓太さんはデザインエンジニア。
もともと富士フイルム株式会社にて、医療機器の機械設計に従事していたが、
デザインのノウハウを独学で会得し、2011年、Bsizeを設立した。

STROKEの企画 設計 試作 製造 販売、
さらには熱や耐久などの試験・評価、量産設計、梱包まで。
その全ての工程を八木さん自身がこなし、
販売も自社のWEBサイトのみで行っている。
たったひとりで商品を生み出す、未来型ものづくりメーカーである。

大手メーカーにはマネできないこだわりのデザイン。

一本のパイプを4か所曲げてつくった、シンプルなデスクライトSTROKE。
継ぎ目はおろか、ねじ頭さえない美しいプロダクトである。
2011年のグッドデザイン賞を受賞。
そして2012年にドイツのレッドドットデザイン賞を受賞した。

4万円近い高額商品だが、1年ほどで千数百台を売り上げた。
現在も数か月待ちの人気商品である。

「アップルやダイソンの商品に影響を受けて、
いつか自分もライフスタイルを変えてしまうような
商品をつくってみたいと思っていました」

そんなひとりのデザイナーの夢が、
大手メーカーのまねできない商品を生み出した。

自然光に近いLED

医療用に開発された自然光に近いLEDを採用。

きっかけはLEDのすぐれた技術との出会い。

きっかけは医療機器をつくっているときに出会った技術。
あるメーカーが手術するときの手術灯にどうかと持ってきたものだ。
血液や臓器が正しい色に見える、自然光に近いやわらかな光り。

一般的にLEDは明暗の差がくっきりしていて直下ばかりが明るいのだが、
その光はやわらかく、広がりがある。
独立するときに、この照明を使った照明器具のアイデアを思いついた。

「素晴らしい光があれば、それだけでいい。
照明器具であることを主張しないデザインにこだわりました」

この光に魅せられた八木さんは、
光そのものを邪魔しないデザインを考えた。
点灯時に少しずつふわりと明るくなるようプログラミングされている。

エコ思想が商品コンセプト。

八木さんのものづくりは、さまざまな場面でエコな思想が入っている。

まずつくるときに製造に使われる資源が少ない。
通常のデスクライトはベースがあって、
光源部があって、それをつなぐアームがある。
しかしSTROKEはアームしかない。
ほぼパイプ一本でできているため省資源なのだ。

ユーザーが使う時も省エネ、長寿命。
LEDは白熱球にくらべ20分の1の節電効果がある。
寿命も普通の使用で約30年間あり、その間、取り替える必要がない。
半永久的といってもいい。

捨てるときも再資源化が前提だ。
アルミと鉄でできているので
ほとんどの部品がリサイクルすることができる。
つくる時、使う時、いずれ捨てるとき、その循環のなかで
すべての環境負荷を最少にし、
ユーザーに対してのメリットを最大化している。

伊藤園 Part2: 茶殻リサイクルシステムで気がついた 日本のものづくりの素晴らしさ。

畳と緑茶は日本の心のふるさと。

伊藤園の茶殻リサイクルシステムは多くの製品を生みだしているが、
その第1号商品として世に出たのが「さらり畳」である。
そこで畳問屋である北一商店と実際に制作している森 登志夫畳店を訪れ、
ものづくりの現場で話をきいた。

伊藤園の茶殻リサイクルシステムの開発担当である佐藤崇紀さんは、
幼い頃のよき思い出から、茶殻と畳の組み合わせを思いついた。
「祖母が、茶殻を使って畳を掃除していたことを思いだしたんです。
かたくしぼった茶殻を畳の上に蒔いてほうきで掃くと、ほこりがとれるんですね」
その部屋の清々しい感覚を覚えていた佐藤さんは、
茶殻を畳の芯材(建材ボード)に利用することを思いついた。
その茶配合ボードを畳床とした「さらり畳」を共同開発したのが北一商店だ。

北一商店の山形鉄志さん

創業大正5年、北一商店の山形鉄志さん。畳の新しいカタチを世の中に仕掛ける。

さらり畳を売り始めた10年ほど前、
すでに畳自体の需要は減少傾向にあった。
かつては畳が古くなると表替え(畳床という芯材はそのまま、
上面の畳面や縁を新しくすること)を行っていたが、
最近では畳の上にじゅうたんやクッションフローリングを敷いてしまうことも多い。
そんな厳しい状況のなかで、
「茶殻入り畳に可能性を感じた」と語る北一商店の山形鉄志社長。
北一商店では、それまでも畳を普及させるべくさまざまな策を講じていたが、
伝統ある畳業界ではなかなか斬新なアイデアは浸透しづらく、
効果はあまりあがらなかった。
しかし茶殻入り畳だと、畳に消臭や抗菌という機能が付くということになり、
その付加価値を知ったエンドユーザーからの評判も上々。自信を深めていった。

茶殻配合の建材ボード

茶殻配合の建材ボード。畳の芯材として使われる。

同じにぼしをビンに入れている

同じにぼしをビンに入れ、片方には建材ボードの切れ端を入れておく。すると5分後には、もうにぼしのにおいが消えている!

現状、畳の芯材は年間600万枚ほどが生産されているが、
そのうち茶殻入りの芯材は10万枚程度。
畳というのは頻繁に購入するものではない。
ただ、環境への意識が年々高まるなかで、
建築業界からの問い合わせも着実に増え、採用される部屋数も増加の傾向にある。
事実、発売当時は数百枚だったというから、販売枚数は順調に伸びているが、
全体の割合としてはまだまだで、さらに普及させ、
茶殻リサイクルにも貢献していきたいという。

畳はあまりに当たり前に身の回りに存在し、しかも歴史あるもの。
それだけにものづくりとしての難しさもある。
「畳の何を残していくのか。
変えてはいけない部分と、変えなくてはならない部分があると思います。
もう和室にこだわった畳だけでは生き残っていけない時代です」と山形社長が言うように、
斬新さだけでは受け入れてもらえないし、古いままでは現代にフィットしない。
お茶入り畳「さらり畳」は日本の住環境をブレイクスルーするだろうか。

ミニ畳

ミニ畳は、下駄箱や冷蔵庫など、においが気になるところに置いておくのがオススメ。

長山智美さんが富山の鋳物をアップサイクル。原宿で「能作2013展」開催

富山県第二の都市、高岡市には400年の歴史を持つ、
高い鋳造技術があります。

高岡を作った前田利長が城下町へ7人の鋳物師を招き、製造を始めたのが原点です。

以来、作業工程の専門化などの効率化の工夫によって
安定して高品質の製品を作れるようになり、
1900年代には海外への輸出も行われるようになりました。

その高岡で大正時代に創業した「能作」は、
真鍮や錫の扱いに高度な技術を持つ老舗メーカーです。
もともとは仏具や茶道の伝統工芸品を作っていましたが、
常識を覆す「曲がる錫」やお酒が美味しくなる酒器を精力的に開発し、
全国的に知られる存在になりました。

目黒のデザイナーズホテル「クラスカ」の照明を手がけたり、
テーブルウェアや花器、風鈴などがインテリアショップで販売されているので、
ご覧になったことがある方も多いのではないでしょうか。

メイドインジャパンのオーダーメイド印鑑「HOUSE OF HANCO」

先日はキモかわいい「オカザえもん印鑑」をご紹介しました。
本日は、メイドインジャパンの
オーダーメイド印鑑製作所「HOUSE OF HANCO」をご紹介します。

これはキャリア40年のタイポグラファー大平善道さんと、
若手プロダクトデザイナー富松暖さんのコラボレーションによるプロダクト。
無垢な真鍮と錫で作られており、
卵をイメージしたやわらかなフォルムを持っています。

そして、すべての生産が国内で行われているのが「HOUSE OF HANCO」の特徴。
大平さんのデザインを、富山県高岡市「能作」にて鋳造し、
新潟県燕市「長谷川彫金所」で印面を彫るのです。

現代の感性と、日本のハイレベルな工芸技術によるモダンな印鑑。
木工家・西本良太さんによる印鑑ケースもついてきます。
これはオススメです。

HOUSE OF HANCO

宮城県亘理町のおばちゃんが作る鮮やかな「わたりのFUGURO」× PASS THE BATON

津波で甚大な被害を被った宮城県の亘理町。
海と平野に恵まれ栄えてきた土地です。
そこで、震災復興のプロジェクトとして、
地元の女性たちによる製作グループ「WATALIS」が結成されました。

亘理町の工房/店舗に、幅広い年代の女性たちが集い、楽しくもの作りを
しながら、語ったり、お茶を飲んだり、交流を深めています。

そこで作られているのが、「わたりのFUGURO」。

ふぐろとは「袋」のこと。
昔からの習わしで、亘理の人は、贈りものをするときに古い着物の
残布で仕立てた袋に入れて渡していました。

そこで、震災により被害を受けた呉服店から譲り受けた
古い着物生地をリメイクした「FUGURO」を作り始めたのです。
現在では各地から提供された着物の生地を使って、FUGUROを作っています。

そんな亘理のFUGUROが、人気のセレクトショップ
「PASS THE BATON」とコラボレーション!

今週末から東京丸の内「三菱一号館美術館」で開催される
浮世絵展「浮世絵FLOATING WORLD」のタイアップ商品として、
三菱一号館美術館とPASS THE BATON丸の内店で販売されます。

色あざやかでとってもすてきです。
お近くを通りかかったら是非見てみてください。

WATALIS

三菱一号館美術館

伊藤園 Part1: お茶をすべて使い尽くす 茶殻リサイクルシステム。

日本人に安心感を与える、ほんのりとしたお茶の香り。

伊藤園の「お〜いお茶」は、家庭で緑茶を淹れるときと同様に、
製造後に茶殻が出る。その量は年間で約47000トン(2011年度茶系飲料合計)。
その茶殻をどうにか有効活用できないかと
2000年頃から茶殻のリサイクルへ向けた取り組みが始まった。
ちょうど他社でもペットボトルの緑茶が出始め、
「お〜いお茶」も売り上げが伸びていた頃で、
それだけに茶殻リサイクルシステムは
創業者である当時の本庄正則会長、本庄八郎社長(現会長)が切に望んでいたことだった。

佐藤崇紀さん

開発一部 第四課に所属する佐藤崇紀さん。研修でお茶やジュースに関わったのみで、入社以来、ずっと茶殻リサイクルに携わる。

2000年に伊藤園に入社した佐藤崇紀さんは、
研修を終えるとすぐ茶殻リサイクルの研究開発を言い渡された。
当時の茶殻は、おもに農家の手に渡り、飼料や堆肥などに活用されていたが、
新たな方向性を模索しようとした第一歩だったのだ。

「最初は単純に炭にしてみようと思ったんです。
備長炭とか竹炭とかあるので」と語る佐藤さん。
炭にすることは可能だったが、茶殻は水分を多く含んでいるので効率が悪い。
「日本の技術力は優れていて、
1時間ですぐ炭にできる炭化装置なんかもあったんですね。
でも隣でその装置に燃料をドボドボ入れているんです。
これでは何のためのリサイクルか」と感じた。
リサイクル自体は可能でも、
その過程においてリサイクルの意味を成さないこともある。
水分を含んだ茶殻を乾燥させるにはどうしてもエネルギーを使ってしまうので、
佐藤さんたちは、含水のまま=生のまま保存する方法を研究することに尽力し、
とうとう開発に成功する。

まずは畳の芯に使われる建材ボードを開発。
建材ボードのなかに、茶殻を練り込んだ。
しかし技術者は開発しただけで満足してしまいがち。佐藤さんも同じように、
そもそも飲料メーカーなのでこれをどうしたらいいかわからず、
売り方だってもちろんわからない。
それでもいくつかの建材メーカーに持ち込んだりはしていたが、
研究職の佐藤さんに商談スキルは乏しく、うまく営業できない日々。

「 “伊藤園です”といって訪ねると、“自販機はいりません”と
門前払いされる始末でした。
そんなとき、社内の別件の会議に呼ばれたときに、
当時の営業課長に恐る恐る建材ボードを見せてみたんです。
すると、“なんでこんないいものをもっと早く持って来ないんだ”
と怒られちゃいました(笑)」
できた製品に自信はあったが、持て余していた状況。
それが営業課長に託すとすぐ1か月後に畳メーカーの北一商店を
見つけてきてくれて、とんとん拍子に話は進んでしまった。

ひとつ商品としてかたちになると、この課長を始め、
社内のいろいろな部署から“あれはできないか、これはできないか”と
アイデアが出てきた。
社内の立ち話レベルからアイデアをもらったこともある。
封筒やあぶらとり紙なども、ほとんど思いつきの発想だった。
こうして今では40点ほどの製品が出来上がっている。
名刺や紙ナプキン、マッチなどから、
“茶殻?” と首を傾けてしまいそうなベンチ、ゴミ箱、健康サンダル、
タイルまで、ジャンルもさまざま。

分析の結果、茶殻にはカテキンなどの成分も残っていて、消臭と抗菌効果がある。
そしてこれら製品のほとんどは、ほんのりとお茶の香りがする。

「展示会などで茶殻入りであることをお客様に説明すると、
8割くらいのひとはすぐに匂いをかぎます。何か安心感があるようですね」
たしかに緑茶の香りは、ほとんどの日本人がDNAレベルで
いい香りと思うものだろう。インタビューを行った会議室も、
たくさん置いてあった茶殻製品のおかげで、とてもかぐわしい。
香りが残っているのは、茶殻をリサイクルするときに、
熱によるダメージが大きい乾燥の工程を入れていないから。
その詳細は企業秘密。

さらり畳のサンプルと、健康サンダルにインソール

さらり畳のサンプルと、健康サンダルにインソール。匂いが気になる場所に、茶殻製品は最適だ。

熊本の幸せを招く郷土玩具 「木の葉猿」がカワイイ

私の友人、井上奈美さん(BEAMS)が熊本出張で
ものすごく可愛らしいおさるの人形を見つけてきました。
熊本県玉名郡玉東町木葉にある、
木葉猿窯元さんの「見ざる聞かざる言わざる」です。

「悪いことは見るな、言うな、聞くな」という戒めを表しており、
かわいいだけでなく教訓にもなる郷土玩具なんです。
また、子孫繁栄の守り神でもあります。

木葉猿のルーツは今から1300年くらい前。
京都からこの地に移り住んだ落人が巨人(赤い顔)の
教えにしたがって作るようになった、という言い伝えがあるほどの歴史を持ちます。

なんともいえない味わいがありますが、
それは型をつかわずに指先だけで粘土をひねる、
手びねりの技で作られているから。表情もひとつひとつ違うんです。

木葉猿窯元のおさるさんは、くまモンともコラボして
九州新幹線に乗っちゃうほどの現代っ子。
ノリノリです。いつか本物を見てみたいですね〜

北海道南西沖地震から20年。 奥尻島で「島ビーサン」 デザインコンテスト開催

2013年、奥尻島は北海道南西沖地震から20年の節目の年を迎えました。

そこで奥尻の観光・夏を盛り上げるため、
奥尻島観光協会は奥尻高校の生徒たちによる
「島ビーサン」のデザインコンテストを開催しました。
葉山のビーチサンダル専門店「げんべい」とのコラボ・プロジェクトです。

高校生たちは、町の公式キャラクター「うにまる」をかわいらしく
表現するなど、それぞれに趣向を凝らしたデザインを行いました。

それらのデザイン画を、奥尻港フェリーターミナルと
札幌市内の丸井今井札幌店に掲示し、投票会場でデザイン画を並べて掲示。
来場者が気に入ったデザインの番号を投票し、人気を競ったのです。

そして栄えあるグランプリに選ばれたのは、ナンバー16の「奥尻島」!
続いてナンバー14の「うにまるくんとうにまるくん」、
ナンバー8の「うにまる」が入賞。

これら上位3位のデザインが商品化され、札幌市内や奥尻島で
販売されるそうです。どれも洗練されたデザインでいいですね。
高校生によるデザイン島ビーサン、なかなかユニークな試みです。

奥尻島観光協会

HASUNA Part2: ものづくりの原点において 貧困や紛争や差別を生み出さない。

『ブラッド・ダイヤモンド』に描かれた裏世界。

ブラッド・ダイヤモンド』という映画がある。
2006年に公開されたアフリカ内戦での現実を描いたサスペンス映画だ。

「この映画にアフリカの紛争のなかでの
ダイヤモンドの不正売買の問題が描かれていたんです」
と「HASUNA」代表取締役兼チーフデザイナーの白木夏子さんは話す。

国際市場で高値で取引されるダイヤモンドなど宝石は、
産出国にとっては貴重な外貨獲得資源である。
しかしその産出国が内戦など紛争地域だと、
その国は宝石類で得た外貨を武器の購入にあてるため、
内戦が長期化および深刻化することになる。

エシカルジュエリーHASUNAの取り組みは
ものづくりの原点において貧困や紛争や差別を生み出さない
独自のルートでジュエリーをつくろうという試みだ。

HASUNAの指輪

HASUNAでは、カナダやボツワナなどからエシカルなダイヤモンドを仕入れている。

「いまはキンバリープロセスという国際的な協定ができて、
紛争をおこなっている地域からは輸出しないという
取り決めができています。

しかしダイヤモンドだけじゃなく、
金やレアメタルをめぐっても同じ問題がおきています。
鉱物が武器輸出の対価になるとか、資金洗浄の温床になるとか、
子どもが洗脳されて少年兵として使われるとか」

ほかにも鉱物の取引きは、貧困や環境破壊を生み出している。
白木さんは新しいビジネスの仕組みが必要と考えた。

HASUNAの新しいチャレンジ。

パキスタンの石を使ったコレクションが今月発売になる。

「パキスタンの北にはヒマラヤ山脈やカラコルム山脈、
7000メートル級の山々が連なっているんですが、
ここで水晶やルビー、サファイア、アクアマリンが採れるんです」

しかしパキスタン国内で算出される石の90%が
国外に密輸されてしまう現状があるのだという。

「隣国の中国やアフガニスタンからバイヤーが入ってきて
鉱山労働者から買いたたき、原石のまま国外に密輸して
それぞれの国で販売してしまっているんです。
それだとパキスタン国内の経済にもプラスにならない。
現地の少数民族も貧困状態に陥ったままになりますよね」

そこで、白木さんは直接現地にいくことにした。
現地で直接やりとりし、鉱山労働者の方から石を買う。
それを現地に住んでいる貧困層の女性たちに磨いてもらい、
その磨いたものを買いつけ、商品をつくる試みだ。
こうして、地域の女性の雇用も生み出すという。

「パキスタンでは女性がすごく差別されています。
地域によっては女性は外に出ては行けないとされていたり、
黒いブルカをまとうことを、義務づけられているのです。

女性が教育を受けただけで殺されてしまったり、
男性に逆らうと顔をつぶされてしまうという痛ましい事例もあります。

日本のようにバイトしたいと思えばすぐできるという環境ではなく、
女性は仕事自体ができない。教育も受けられない。

そこに対して日本の女性としてできることは
女性の視点で女性が身につけるジュエリーをつくる仕事を一緒にして、
現地の女性の希望を与えることだと思いました」

パキスタン現地でのワークショップ

パキスタン現地でワークショップをおこなう白木さん(写真:白木さん提供)。

HASUNA Part1: 世界の貧困・社会問題を変える エシカルジュエリー。

エシカルジュエリーを通じて途上国支援をする、
新しいビジネスモデル。

いまビジネスやものづくりの現場で「エシカル」という言葉が注目されている。
エシカル(ethical)という言葉は「道徳上の」とか「倫理的な」などを意味する。
環境(エコロジー)に配慮するだけでなく、公正な取引(フェアトレード)、
人権にも配慮した商品を生み出そうという世界的な潮流だ。

白木夏子さんは、ビジネスや社会貢献で活躍する女性リーダーのひとり。
「HASUNA」代表取締役兼チーフデザイナー。
エシカルジュエリーを通じて途上国支援をする、
新しいビジネスモデルを立ち上げ成功に導いた。

華やかで美しいジュエリーの世界。
しかし、そこには世界の貧困や児童労働の問題、
そして紛争地と深くかかわる鉱物資源の現実があった。

「HASUNA」代表取締役兼チーフデザイナー、白木夏子さん

世界の貧困や紛争地とかかわるジュエリーの世界の現実。

「もともと英国の大学で国際協力を勉強してたんです」と白木さん。

「開発学の授業でどうして先進国と途上国に分かれたのかとか、
貧困問題が起きたのかとかを学ぶんです。理由はわかった。
でも実際にわたしに何ができるのかというと、授業だけだとわからない。
そこで現場に行ってみたいと思いました」

白木さんは貧困の現場を知るために、貧困のなかでも最貧である
インドのアウトカーストの村に行ってみることにした。
アウトカーストとは、カースト制度の最下層よりももっと下にいる人々のことを指す。
不可触賎民とも翻訳され、差別と貧困のなかに暮らしている。

「2か月かけて30か所くらいの村をまわりました。
そこでは娼婦として売られてきた人もいれば、
農奴として家畜のように使われている人もいる。
そして最後に鉱山で働いている村に行き着きました。
大理石とか雲母が採掘されている村で、
数日間いっしょに暮らしたんです」

そこで見たものは、最も過酷な社会の暗部だった。

「5、6歳の子どもも働いていて、10キロもある大きな石の塊を運んで、
背骨が曲がってしまった子もいる。
大人も希望のない暗い顔をしていました」

「でもよく考えてみたら、そこで採れる雲母はカメラのレンズとか化粧品とか、大理石もお金持ちの人たちのお家とかに使われる。
私たちの豊かな生活を、こういう貧しい人たち、
差別を受けて毎日苦しい生活をしている人たちが支えているのだと実感しました」

このギャップはおかしい。
それが白木さんの起業の原点となった。

アウトカーストの村の女性たち

アウトカーストの村の女性たち。正面の女の子はまだ14、5歳。(写真:白木さん提供)

南インドの施設での写真

南インドのNGOの施設でご飯を作ってくれていた女性と。(写真:白木さん提供)

TARASUKIN BONKERS Part2:暮らしへのまなざしから生まれるプロダクト。ふたりの役割の違いが息吹きを与える。

自由な感性でつくるからこそ、美しいプロダクトが生まれる。

南伊豆でのシンプルな暮らしから生まれたデザインが人気の
タラスキンボンカース。
実際に、自分たちの暮らしのなかで使っていたものが
商品となっているケースが多い。
みかん網のバッグも、もともとは北田さんが好きでつくっていたもの。
家のなかでいろいろなものを入れて吊るしていた網を、
「手提げにしたらかわいいね」とプロダクトに昇華させた。

近藤拓也さん、北田啓之さん

左がタラスキンこと近藤拓也さん、右がボンカースこと北田啓之さん。

ふたりは北田さんがアーティスト気質、近藤さんがディレクター気質だ。
近藤さんいわく「北田が面白いものをいくつかつくって、
そのなかから商品になりそうなものをぼくがみつける(笑)」
こんなやりとりが日常的に行われているようだ。
特に北田さんは裁縫や細かな作業が得意。

「ある日、庭にきれいな羽根が落ちていたんです。それを紐でクルクル巻いて、
余っていた革をリング状にしてくっつけてみました。
羽根が飛んでいるようにみえるし、面白いと思った」

浜辺に落ちている陶磁器のかけらや貝殻、
ウニの殻などを拾ってはビンいっぱいに集めて、
それらの自然素材や、漁師や農家が使う道具を見てはワクワクし、
組み合わせてみたくなるという。
そういった自由な感性でつくったものを、
近藤さんが商品として成り立つか見極める。
ふたりの役割はとてもバランスよくできているようだ。

ひもで巻いた羽根

北田さんが庭でみつけてひもで巻いた羽根。

暮らしからのインプットを忘れたくない。

すべて手作業で、ふたりだけで制作しているために、
家の中の作業場にこもって過ごす時間が長くなってくる。
そもそも南伊豆での暮らしから生まれてきたブランドであるのに、
その“暮らし”の部分が失われてしまっては、ブランドの元気がなくなってしまう。

「制作することに一生懸命になりすぎて、
海や山に行く時間がなくなってしまいがちです。
浜辺に行ったり、空を眺めたりするときに、
“こういうものがほしいな”と思い浮かびます」と近藤さんはいい、
「インプットの時間をもうちょっと増やしたい」と北田さんも感じている。
インプットとは、彼らの場合は日常の暮らしのことだ。

つくることに執着してしまうと、
そこに喜びを感じて終わってしまうかもしれない。
それは作家さんや職人さんの発想。
しかし彼らにとっては「思いついたものがかたちになること」が喜びである。
生みだす時間こそが楽しい。

ほうきの製作中

ほうきの製作は近藤さん担当。

彼らのものづくりは、その道を極めてきた職人ではない分、
よい意味で肩の力が抜けている。
「手が込んでいるからいいというわけでもない」と近藤さんは語る。

「伝統的な職人さんがつくった素晴らしいほうきに比べて、
僕たちがつくるのはロープをほつれさせて流木に巻きつけたほうき。
でもそれを選んでくれるひとがいます」

「背景のフィロソフィも気になるけど、結局はその商品が好きかどうか。
自分たちでは当然いいと思っているけど、
それがお店に並んだときに気に入ってもらえるかどうかは
お客さまが決めることです」と北田さんも、押しつけることはしない。

そこで選ばれるということは、
つくり手がいいなと思った気持ちが、商品ににじみ出ているということ。
ものづくりのもっとも原点といえる姿だ。

TARASUKIN BONKERS Part1:南伊豆でのライフスタイルから育まれるデザイン性の高い小物たち。

小さな集落への移住から、はじまったものづくり。

カラフルなナイロンロープを使ったほうきや、流木を使ったハンガーなど、
自然素材と工業的な素材を組み合わせた雑貨を
デザインしているタラスキンボンカース。
すべて手作業でつくられているが、
都心部のインテリアショップに売っていても
何の違和感もないスタイリッシュなデザイン性が人気を博している。

近藤拓也さんと北田啓之さんの
ふたりからなるユニット、タラスキンボンカース。
その工房兼住居は静岡県南伊豆町にある。
伊豆半島の先端で、
車がなければ生活できないような小さな集落の
小高い丘の上にある工房を訪ねた。

ふたりは当時勤めていたそれぞれの会社を同時期に退職し、
起業するために事務所を探していた。
そのうちに田舎の物件に興味を持ち始め、
空や海、緑の美しさなどに感動し、この場所に決めた。

高台という立地が生かされたアトリエ

高台という立地が生かされた、窓の外に広がる豊かな緑が美しい。

会社勤めをしていたふたりは、もともとものづくりをしていたわけでもなく、
そもそもものづくりを生業にするなんて、
数年前には考えてもいなかったことだという。
しかしこの家に移住したことが、彼らのものづくり哲学の原点となった。
「壁はキツツキの穴だらけだったし、家の改装のために、
自分たちの手でトンカン修繕しました。
そういうことをしている時間も楽しかったですね」と近藤さん。
その作業が現在のものづくりにつながっている。

「お気に入りだった服も、暮らしの変化とともに
もう着ることもなくなりました。かといって捨てるのは忍びないし、
都会のように簡単にゴミが出せる環境でもない。代わりに布巾が必要だけど、
売っている店は何十キロも離れている。そうだ、切って布巾にしよう」
最近では少なくなったかもしれないが、
かつてはどの家庭でもあまった洋服や布を切って縫って布巾などにしていた。
ただそれだけのことだが、
この布巾は後にきちんとした商品となって売り出されることになる。

さらにいろいろなものが必要になっても、
近くにコンビニもスーパーマーケットもない。
「買い物に行くことが、想像以上に大変だったんです。
だからつくれるものはつくってしまおうと、
必要半分、楽しみ半分で始めたようなものです」と北田さんは笑う。

つくった布巾やブランケットと、南伊豆の暮らしを掲載するために、
〈TARASUKIN BONKERS〉という名前のホームページをつくった。
ホームページをつくって3か月ほどしたころ、
それを見た東京・青山にある
インテリアショップ〈CÏBONE〉のある担当者から、
クッションカバーを製作してみないかという仕事の依頼がきた。

試作品第1号のクッション

イスの上にあるクッションが、試作品第1号。

CÏBONEが持っていた布のサンプル見本帳を素材として、
パッチワークのクッションカバーを製作。
この評判が良く、売れ行きも好調。
その後、六本木の国立新美術館にある
〈SOUVENIR FROM TOKYO〉で催事の話が持ち上がり、
それまで自分たちでつくって使用していたほうきやトートバッグなども
アレンジして新たにプロダクトとして発売することにした。
こうして20アイテムを超える商品を持つ
〈TARASUKIN BONKERS〉へとブランド化していく。

「さつまもの」鹿児島 × 益子〈後編〉

5月11日から19日まで、栃木県益子町で開催された
鹿児島の工芸や食の「よかもん」を伝える展示、さつまもの。
後編では、メイン会場となったスターネットの展示作家と
「鹿児島との再会」を楽しみにしていた益子・笠間の作家との出会いをレポートします。

さつましこ 3
陶芸家 城戸雄介(さつま)meets 陶芸家 鈴木稔(ましこ)

益子スターネットの丘の上、recodeで展示をした作家のひとり、
「ONE KILN CERAMICS」の城戸雄介さんは、
今回の益子への旅で楽しみにしていたことがあった。
益子の陶芸家、鈴木稔さんの工房を訪ねること。
鈴木さんも、益子での城戸さんとの再会を心待ちにしていた。
というのも、今年の2月にワークショップのために鹿児島を訪れた時、
ランドスケーププロダクツの坂口修一郎さんから、
紹介したい陶芸家がいると連れて行かれた先が城戸さんの工房だったのだ。
そして実は、それより前に、鈴木さんは城戸さんのウェブサイトに出会い、
「仕事もウェブもかっこいい。それに、合同展示会のストッキストにも出ている!」と、
「気になる20歳年下の陶芸家」としてブックマークをした、
まさにその人だったという経緯がある。
繋がるべくして繋がったふたりのお話を、鈴木さんの工房でうかがった。

「僕が訪ねた時、彼は引き出物の梱包をやっていたんだけど、
特注の箱に自分でつくったスタンプを押して、リーフレットもセンスよくつくってあった。
そのひとつひとつがかっこよくて、器だけじゃなくて周りのものにもデザインを入れて、
ちゃんと考えてやっている。それが衝撃的だったね」と、鈴木さん。
鹿児島市の都心部の高台、分譲住宅地の自宅の裏に仕事場があることも
新鮮な驚きだったと言う。
益子の鈴木さんの工房は、初めて訪れる人は「この先に家があるの?」と
不安になるような、林の中にある。

この道を行くと鈴木さんの工房が見えてくる。益子では駅から続く通りに陶芸店やギャラリーが軒を並べ、周辺の緑豊かな里山の中に窯を築き工房を構えている作家が多い。

鈴木さんの工房は、林を切り拓いた広い敷地の中、
自宅の横につくられた2棟の作業場と窯場からなる。
その裏には、震災で全壊して、再建の途上にある煉瓦の薪窯が、
近々窯職人さんの手が入るのを待っている。
鈴木稔工房の印象はいかがですか?と尋ねると、
城戸さんは目を輝かせながらひとこと。
「THE 陶芸家って感じですね」
「あまりにも雑然としていて、恥ずかしいよ」と照れながら鈴木さんが受ける。

鹿児島でつくること。益子でつくること。

ふたまわりほど世代が違うふたりだが、
どちらも石膏の型を使い、フォルムにこだわり器をつくる。
鈴木さんは埼玉出身。土も釉薬も、そして、人との繋がりも、
縁ができて移り住んだ益子という土地で作陶することを大切に考えている。
城戸さんはデザインを学び、佐賀の有田で修業した後、
故郷の鹿児島に戻って独立した。
機能的で洗練されたデザインに、桜島の灰を用いた灰釉を使うなど、
地域性も大切にしたものを生み出している。

有田で作陶を続ける道もあったのでは?
これは、よく聞かれる問いだという。
城戸さんにとって、自分が生まれた場所に戻って作陶するということは、
ごく自然で当たり前のことで、それ以外の理由はなかった。
ただ、結果的に、歴史のある焼き物の産地を離れて鹿児島に戻ったことで、
やりたいように、つくりたいように、自由に器と向き合えるようになった。
有田にいたら「そげなやり方じゃいかんよ」と
一蹴されるような窮屈さがあったかもしれない。
鹿児島では、「型でつくる人は少ないから、楽しみだね」
「磁器? いいよね」と、温かい声が迎えてくれた。
同世代の違うジャンルの作家も多くいて、コラボもできる。
今回、同じrecodeで展示をした「RHYTHM」の飯伏正一郎さんとは、革と陶のコラボ。
仁平古家具店で展示をした「Roam」の松田創意さんには、
珈琲ドリッパーのスタンドをつくってもらった。
「有田にいたら、全部焼き物で済ませようとしていたかもしれません。
僕は、磁器も陶器もひとつの素材として考えているから、
自由にやれる空気はありがたいです」という城戸さんに、
鈴木さんが鹿児島に滞在した時の感想を伝える。
「鹿児島の人はおおらかだし、みんな誇らしげに生きている感じがしましたね」

灰釉の色合いが、recodeの土壁にしっくりなじむ。

城戸さん(左)と鈴木さん(右)。会うのがまだ2度目だと思えないほど話が弾む。

民藝とプロダクトと。これからのこと。

ふたりとも型を使って器をつくるが、生み出すスタイルには基本的な違いがある。
デザインを学び、大量生産の窯元で修業をした城戸さんは、
ひとつのアイテムに5個の型をつくり、同時に成形を進めて数をこなす。
アイテムによっては設計図を描くこともあり、
まるでプロダクトメーカーのような仕事を、
分譲住宅地の一角で、ひとりで淡々と進めている。
一方の鈴木さんは、ひとつのアイテムをつくるのに型をひとつしかつくらない。
そして数種類のアイテムをひとつずつ同時に成形していく。
形も、その時の感覚や気分で変わってしまうことが多いという。
「鈴木さんは、民藝寄りですよね?」という城戸さんに、
鈴木さんは、ちょっぴり苦笑い。
「僕はオーソドックスな昔ながらの器作家のスタイルから入ったし、
昔は轆轤もひいていたけど、いまは、民藝とプロダクトの中間にいると思う。
ある意味、中途半端。でもだからこそ思うことがある。
例えばイッタラやヒース・セラミクスなどの海外のものも好きで、
ライフスタイルへの意識が高い。
だけど日本の焼き物には興味がないという若い人も増えてきているでしょ?
そんな層に切り込んで、日本の焼き物の質感の良さみたいな魅力を
伝えていきたいと思っている」
声のトーンを少し上げて語り始めた鈴木さんに、
城戸さんも感じるところがあったのか、「これから」のことを語ってくれた。
「鹿児島で焼き物をやりたいという若い人に、なかなか出会わないんです。
気軽に型を使って焼き物がつくれることを知ってもらって、
興味を持つ人が増えればいいなあと思っています」

そして、次の益子訪問のプランで盛り上がるふたり。
鈴木さんは、震災から2年を過ぎて、全壊していた薪窯を新しくつくり直すことにした。
その話を聞いて城戸さんの中に芽生えた思い。
「次は、僕がいつも鹿児島でつくっている土と桜島の灰釉を持って益子に来ます。
鈴木さんの家にしばらく滞在させてもらっていいですか? 
薪窯で灰釉を焼いてみたい。どんなふうに窯変していくのか、とても楽しみです」
「もちろん大歓迎。そして益子で展覧会までやりましょう」と鈴木さん。

相手の中に自分と同じものを見い出すと、人は安心して歩み寄る。
自分とは違う部分もあると知り、それを新鮮に感じたら、さらに惹かれていく。
同じことと、違うこと。
その比重が絶妙なバランスで混ざり合った城戸さんと鈴木さん。
それぞれが、次のステップへと進んで行く時に、世代と1500kmの距離を超えて
いい影響を与え合っていくのだろう。

さつましこ 4
陶芸家 竹之内琢(さつま)meets 陶芸家 額賀章夫(笠間)

益子から車で30分ほど。茨城県の笠間市は、益子焼より少し古い歴史を持つ窯業の地。
益子の作家や販売店とも縁が深い笠間の陶芸家、額賀章夫さんも、
昨年9月に鹿児島で展覧会を行ったこともあり、
「さつまもの」の初日に駆けつけてくれた。
スターネット recodeで展示をした宋艸(そうそう)窯の竹之内琢さんとは同世代。
初対面ながら焼き物談義に花が咲いた。
会話から、本当に焼き物が好きでたまらないという空気が伝わってくる。

この日、初対面の竹之内さん(右)と、額賀章夫さん(左)。

「この赤は?」の問いに「マット釉に銅を入れて……」と、竹之内さんこだわりの釉薬について密度の濃い会話が続く。

自分の中でバランスをとりながら、日々続けていく創作。

今回、展示された竹之内さんの器は、
柔らかい色味ながら、一度見たら印象が強く残るものばかり。
額賀さんは器を手に取りながら、土や色、釉薬のことなどなど、質問を重ねていく。
ふたりの話は、鹿児島の焼き物産地の分布のこと、焼き物の販売のしくみのこと、
それぞれが参加している地元の陶芸イベントのことにまで広がっていく。
長いキャリアを持つふたりでも、
陶芸とそのまわりのことへの興味は尽きることなく、本当に楽しそう。

竹之内さんの器は、熊本・天草の土(磁土)と信楽のブレンドだそう。
「焼き上がりがしっかりとした印象がありますね。
質感の柔らかい釉薬を使いながら、裏の土見せのところは硬質な焼き上がりで、
器の力強さも感じます。
器から、とても誠実なお仕事ぶりがうかがえて勉強になります」と額賀さん。
「実は、使い手のことを気遣いながら轆轤でつくり続けていると、たまに嫌になって、
自分の表現だけに没頭したくなる時があるんですよ」と、竹之内さん。
そんな時は、手びねりで花器などをつくり、
自分の中でバランスをとるようにしている、と。
花器にしても、使う人が活けやすい形ではなく、
自分の気持ちとつくりたい形を優先させる。
「それはぜひ、次の機会に見たいですね。今回の展示を見ていたら、
また鹿児島にも行きたくなりました」と、額賀さん。
竹之内さんも、益子には、またゆっくり訪れたいと思っているそう。
もちろん笠間にも。
「ものづくりは、続けていける環境と、続けていく姿勢が大切だと思っています。
益子のまちと人には、そのどちらも感じます」
竹之内さんも額賀さんも1962年と63年早生まれの同級生。
続けていくことの重みを抱えながら、作品や展覧会などの活動を通して
鹿児島でも関東でも、若い世代に、その大切さを伝えている。

さつましこ 5
木工作家 盛永省治(さつま)meets 木工作家 高山英樹(ましこ)

「まさに、衝撃的な工房ですね」
高山英樹さんの工房を訪ねた鹿児島の木工作家、盛永省治さんの、最初のひと言。
陶芸家の城戸さんと鈴木さんが、お互いの創作環境の違いが新鮮に映ったように、
盛永さんも軽い衝撃を隠せない様子だ。ただ、その衝撃の中味は、
「自動カンナもないし……、いや、それだけじゃなくて、
家具をつくるのに必要だと思われる工具が何もないんですね」ということ。
まさに目を丸くした表情の盛永さんの横で、高山さんが笑い声をあげながら釈明する。
「ハンディタイプの小さな道具しかないでしょ? 
これで木工家具作家だなんて言わないでくれって怒られそうだけど、
これでも大人6人でも持てないようなテーブルもつくるんだよ」

衝撃の工房で。高山さん(左)と盛永さん(右)。

お互いのことは人づてに聞いて知っていたという、木工作家のふたり。
盛永さんは、大工、家具工房勤務を経て独立。
いまは、陶芸で言うところの轆轤、木工旋盤で木を回転させながら成形する手法で、
ウッドボウルなど食卓の器を中心に創作を続けている。
高山さんは石川県出身。都内で服飾の仕事をしていたが、
益子に移り住んだ12年前から、扱う素材が木に変わり、
古材を使った家具製作や建築プロジェクトに参加している。

盛永さんのスターネット zoneでの展示スペースで目を引くのが、
虫食いの跡を活かした造形。
「日本の木工では、節があるものや虫食いの跡があるものは使わないで、
材料を吟味して選んできれいに仕上げることに気を遣うのが主流です。
僕もそうだったけど、カリフォルニアに行ってから、変わりました。
2011年に2か月間、木工作家の手伝いをしながら
自分の作品もつくるという機会に恵まれたんです。
向こうのつくり手たちは、僕たちと気の遣いどころが違って、とても新鮮でした。
材料に節があっても虫が食っていようと気にしない。
それは、そういうものとして受け入れて自分の作品にしていくんです」

「いろんな人から話をよく聞いていて、あこがれだった益子のスターネットでの展示だから、今回は、とても気持ちが入ったものになりました」と盛永さん。

やわらかい光が入る白い空間に、虫食いの輪郭が美しく映える。

盛永さんの話を受けて、高山さんが自身の創作の話をしてくれた。
100年前の家を解体してみると、チョウナで削った跡が残っているところや
節や虫食いの面は、見えないようにして使われていることが多いと言う。
そういった部材を解体して高山さんが家具に再生する時は、
見せるものとして使いたい、と。
「見えないようにしてあったところには、
昔の大工さんの手の跡が残っているものも多くて。
そういうところを、いまの暮らしの中に、今度は見せるかたちで表してあげるのも
僕の役割じゃないかって思っているから」

暮らしとともに育ちゆく器。

樫の生木でつくったという作品もある。
てのひらを表面に沿わせると、
削られてもなお呼吸を続けているような、みずみずしさ。
「これからきっと、いい感じに形が変わっていくね」と、
高山さんは手にとって眺めながら、
益子の陶芸家で昨年の3月に亡くなった成井恒雄さんのことを盛永さんに伝えている。
成井さんは、70歳を過ぎても轆轤を回し続けていて、
轆轤をひきたての焼く前のもの、生の粘土の状態が一番好きだと言っていたそう。
「窯で焼かれて、完成したものを使っていると、使うほどに器の色も変化してくる。
長年使いこんだ時に、みずみずしさがよみがえって、
轆轤をひきたての時のイメージに戻ることがある。
成井さんは、そんな言葉を残しているんです」

樫の生木を削り出した器に見入る高山さん(右)。

高山家の暮らしの真ん中にあるテーブル。古材を組み合わせて丁寧に磨かれてつくられる高山さんの家具。

高山さんの工房と隣り合う自宅には、
高山さんがつくったテーブルや椅子が中心にある。
そこでお茶をのみながら、盛永さんは、
鹿児島の家族のことを思い浮かべていた。
「自分たち家族で使う家具を、僕はあまりつくっていないなあ。
いつもはどうしても仕事に追われて、我が家のことは後回しになってしまうし。
仕事場も自宅から車で40分離れている。
益子の作家さんたちのように、生活と創作の距離が近くない気がします」

そして、鹿児島に戻った盛永さんからメールが届いた。
「スターネットと高山さんの自宅や工房で過ごして、あらためて思ったことは、
自分が好きなものを揃えて使って暮らしていくうちに、
自分がつくるものにも思想が生まれてくるのではないかということです。
いつかそう遠くないうちに、高山さんのように自分の住まいと工房をセルフビルドしたい。
その夢が、今回の旅で持ち帰った、自分へのお土産です」

暮らしの中で使われることで変化し続ける、木や土の器。
つくり手の暮らしの中から生まれたものが、使い手のもとへ引き継がれ、
その暮らしの中でゆっくりと育っていく。
鹿児島の暮らし。益子の暮らし。100年前の暮らし。いまの暮らし。
つくったものを売るということは、人の暮らしと暮らしを繋いでいくこと。
さつまの作家たちが、ましこに旅をして出合ったのは、
ギャラリーやつくり手の人たちと、その背景にある、それぞれの暮らし。

最終日の搬出を終え、鹿児島に帰る作家たちを見送る時、
益子の人たちとの間で「次は鹿児島で」という声が飛び交っていた。
地域と地域、つくり手とつくり手、遠く離れた暮らしと暮らしが、
ダイレクトに結びついた交流の場。
さつまとましこの、あるいは、さつまとどこかの新しい土地と。
これからの展開が楽しみだ。

メイン会場 スターネット、
サブ会場 仁平古家具店益子店での展示風景。

zoneでは、「Crate」(盛永省治さん、写真左側)の他に、「CHIN JUKAN POTTERY」(写真右側)、空間に吊るした鹿児島の軽石にアクセサリーを展示した「samulo /semeno」(宮本和昌さん)が作品を並べた。

沈壽官窯とランドスケーププロダクツが共同で制作を行う。

古代の石やガラスを用いてアクセサリーをつくるsamulo / semeno。

recodeでは、 城戸さん、竹之内さんの他に、革の「RHYTHM」(飯伏正一郎さん、写真)、「INDUBITABLY」(西ひろみさん、有村りかさん)が展示を行った。

INDUBITABLYは、1900年代前半のフランスと日本の布やパーツを用いてアクセサリーやバッグなど布のアイテムをつくっている。

サブ会場となった仁平古家具店では、売り場奥のスペース(左)が展示会場となり、「Roam」(松田創意さん)、植物を中心に創作活動を展開する「ARAHEAM」(前原良一郎さん、宅二郎さん)が展示を行った。

Roamの松田さんは、木と鉄などを素材に家具をつくる。

「CANGAL プルタブオープナー」ネイル愛好家用ミニチュアハイヒールで、新潟・燕市の技術をアピール!

新潟県燕市といえば、江戸時代初期にルーツを持つ、高度な金属加工技術を誇るまち。

鉄やステンレスやチタンをプレス機で加工した後に
ピカピカに磨く技術の高さで知られており、
アップル社のiPodのボディー背面の鏡面仕上げも燕市で行われていたほど。

しかし、ただ高い技術があるというだけでは
燕市のものづくりを広くアピールするのは難しい。
そこで地元の「石田製作所」さんが、燕の技術でしか作れない、
画期的な製品を開発しました。

それがわずか5センチ、たった10グラムの
ステンレス製ハイヒール型プルタブオープナー「CANGAL」です。
ネイルアートをしている爪でも、ネイルに傷を付けることなく、
缶飲料のタブを開けることができます。

設計開発を手がけたのは、
フィリピン出身、現在は燕の職人として活躍するフランシス・アルセナさん。
完成までには37もの手作業の工程があり、
1日に生産できるのはわずか4個という手間のかかりよう。

シンプルなデザインから、ラインストーンを散りばめたものまで
さまざまなデザインがあります。お値段は7300円から。
指の上に載ってしまうほどの大きさでこのクオリティはすごいですね。

ALEXCIOUS 「CANGAL プルタブオープナー」

石田製作所

家具工房 en

端材から生まれた、美しい木目のお皿。

島根県松江市の中心地から車を走らせること約20分。
民家が立ち並ぶ集落のなかに、「家具工房 en」と書かれた木の看板を見つけた。
どこにでもある民家の軒先に控えめに置いてあるものだから、
見過ごしてしまいそうになる。
「実は、辿り着けませんでしたっていう方も多くて(笑)」
とオーナーの藤原将史さんは笑いながら、工房へ案内してくれた。
蚕業を営んでいた民家の1階を工房として借りていて、
ひと間は作業場、もうひと間は藤原さん自ら手を入れたというショールーム。
enオリジナルの家具や器、カトラリーが並び、室内はやわらかい木の香りに包まれる。

家具工房enのショールームにある家具はすべて藤原さんが手がけたものだ。

愛媛県出身の藤原さんは、島根の大学へ進学し、建築を学んだ。
「建築士を目指して大学に入ったんですが、
座って計算して図面ひいて……というのは、自分には合わなくて。
もっと体を動かしてものをつくる仕事がしたくて、
大学卒業後は、木工技術を学べる岐阜の専門学校へ進みました」
専門学校では木の種類や
どの木目がどんな部材に適しているのかという「木取り」のノウハウ、
そしてデザインから加工技術まで、家具づくりの基礎をじっくり学んだ。
「大学で建築を学んでいるときから、木の家具に興味があったんです。
デザインから加工までひとりの職人が通しで手がけられるところが、
家具づくりの面白いところだと思いますね」
専門学校を卒業後は、無垢の木を扱っている仕事場を探して、
建具屋、続いて材木店の家具部門に勤務し、その後、独立。
「本当はすぐに独立するつもりじゃなかったんですが、
自分が行きたいと思う工房に人員の募集は無かったんですね。
それなら、妻の実家である島根に戻って制作しようということになって。
そのとき都会を選ばなかったのは、
単純に人ごみが嫌いだというのもありますが(苦笑)、
制作するなら静かな場所がよかったんですよ」

「やっぱり、難しいのは木取り。木のクセで加工も表情も変わりますから」と藤原さん。作業場にはさまざまな大きさの木材が並んでいた。

島根に戻った藤原さんは、半年ほどで現在の工房が見つかり、
本格的に家具工房を始動させた。しかし、思うようには進まない。
「ちゃんと資金が必要やなと思いましたね。
材料費が無くて、家具をつくるにも木が買えなかったんですよ」
そんなとき、藤原さんが思いついたのは、
専門学校時代からずっと貯めていた端材を使うこと。
1俵分の米袋が3つもあった。引っ越す度に、一緒に運んだという。
「貧乏性なんでね(笑)。
無垢の木材やし、捨てるのはちょっともったないなと思って」

かくして、端材で木の皿をつくり始めた藤原さん。
本来は、お皿や器はろくろを使ってつくるものだが、
材料が買えない藤原さんは、もちろん、機械も買えない。
ひとつひとつ、原始的にノミではつって皿をつくり上げた。
しかし、売れなかった。
「嫁には、“売れんもんつくり続けてどうするん?”と、よく怒られていましたね。
“なんとかするわ!”とこちらも意地になって考えましたよ」
そこで、藤原さんが考えついたのが、
ノミではつった削り跡をそのままにすること。
「最初は、ヤスリで仕上げてつるつるのお皿をつくっていたんですが、
できあがったのを見ると、手で削っているはずなのに、
ろくろでつくっているものと見た目が変わらないんです。
手間がかかるから、値段はこっちのほうが高い。
あんまりうけもよくないですよ、だって、ただ高いだけですから。
それで、皿を彫りながら“あ、このままでいいかも”と思いついたんです」
その後、大きさやかたちの異なるノミを買い揃えながら、彫り方を研究し、
それぞれの木や器のかたちにあった彫り方を模索した。
3年ほどたって、やっと自分が納得できる器になってくると、
徐々に、問い合わせも増えていったという。
独特な風合いをもつ藤原さんの皿。
ひとつひとつ、手間ひまかけてつくられる彫り跡が、
ナチュラルな木目の美しさを際立たせている。
「お皿をつくったおかげで、他の木の家具がつくれるようになりましたから。
端材をとっておいて、よかったですね」

ブラックフォールナットの木材をノミではつる。1日につくれる皿は4〜5枚ほど。

くるみオイルを塗装後、拭き取り、仕上げは蜜蝋ワックスで。仕上げの塗装には1週間ほどじっくり時間をかける。

「木のものならなんでもつくりますよ」と言う藤原さんは、
現在、お皿や器の他に木の家具、そして時計などの小物も制作している。
どれも、無垢の木の風合いが生かされたものばかりだ。さらに、
「最近、籐を学んで編んだりしているんです。
自分でできるものは、全部自分でやったほうが値段もおさえられますしね」
と、見せてくれたのは、座面が籐で編まれたスツール。
縁あって、籐細工の名職人と出会い、学ばせてもらっているのだそう。
「その家で代々受け継がれてきた籐細工。でもまだ継承者はいなくて。
でもその技術を絶やすのはもったいないじゃないですか。
だったら、僕が教えてもらいたいなって思って、通っているんです」

藤原さんが制作した、籐のスツール。

古くからはもちろんだが、
松江には、ものづくりをしている若い作家さんも多くいるのだという。
最近はそんな横のつながりが増えつつある。
「展示会などで一緒になると、ものすごく勉強になるんですよね。
ものづくりに対する姿勢っていうか、
お客さんの接し方も含めて、おれ、まだまだやなって思うんです。
みなさん、いろいろ親切に教えてくれて、本当に、いい人ばかり。
おかげで島根が好きになりました」と、勉強熱心な藤原さん。
その意欲が、きっと新たなものづくりを生み出していくのだろう。
木のナチュラルな風合いを大切にしながら、
次はどんな家具をつくり出すのか、今後も楽しみだ。

最近つくってみたという、こけしのような木の人形(中央)が愛らしい。

藤原さんの工房の目の前は原っぱが広がる。きじが出るときもあるくらい自然豊かな景色が気に入っているのだそう。

ABOVE BIKE STORE Part1: “一台の自転車との出合い” から始まった、 ものづくりのこだわりと起業の ストーリー。

ないからつくらなきゃというのが、ものづくりの始まり。
日本発のオリジナルバイク。

こだわりを持ってオリジナルバイクを自作するメーカーがある。
Starfuckers bike。
たえず変化し続けるストリートシーンの中心で、
オリジナルバイクを製作し販売している。
そのスタンスはエンドユーザーの目線でバイクをつくることだ。

東京の中心地よりほど近い神奈川県 二子新地に、
Starfuckers bikeのコンセプトストア
「ABOVE BIKE STORE」を構える。

ショップであり工房であるABOVE BIKE STOREに
オーナーの須崎真也さんを訪ねた。

こだわりのオリジナルフレームを持つ須崎真也さん

Starfuckers bikeのこだわりのオリジナルフレームを持つ須崎真也さん。

「ABOVE BIKE STORE」外観

Starfuckers bikeのコンセプトストア「ABOVE BIKE STORE」。

須崎さんの人生を変えた一台のバイク。

須崎さんの人生を変えたのは、
あるとき出会った一台の自転車だった。
 
もともとアパレルの仕事をしていた須崎さん。
起業のお金をためるために会社をやめ、
当時は産業廃棄物の処理の仕事をしていたという。

「あるとき都内の皇居の周りを4tトラックで走っていたら、
時速60kmで走っている僕のトラックに、並走してくるメッセンジャーがいるんですよ。
メーター壊れてないはずなのに、速いんですよね」

それが2008年メッセンジャーの世界大会CMWC優勝者、SINOさんだった。
SINOさんの自転車はハンドルが特徴的で、のちに須崎さんと知り合うことになる。
当時は珍しいメッセンジャーのピストバイクに須崎さんは魅了された。

「アパレルで経験を培っていたけれども、
一回離れたことで少し世界観が広がった。
アパレルにこだわらず、自分の経験を活かして
何かもっとライフスタイルが提案できないか、
自分たちがわかるような商材で、
なおかつみんなの気持ちがリッチになるようなものを
提供できるようなビジネスができるんじゃないかと思ったところで、
ピストバイクに出合ったんです」

たったひとりの起業リサーチ。

そこからリサーチがはじまった。
自転車の業界のこと、価格のこと、製造工程のこと。
自転車の世界のOEM(受託製造)の拠点は、台湾だということで、
仕事が終わった後、台湾について調べた。
メールを書いて、何度も台湾に通った。

「イメージしたデザインをノートに書いて、
最初からある程度準備して持って行きました。
原宿でリサーチしたブックレットなどをつくって、
プレゼンテーションで、日本でこういう自転車が流行っているからと
アピールしました」
しかし言葉の壁もあった。

「OEMを申し込んだ先は、最初は全然自転車をつくってくれなかったんですよ。
“こいつ大丈夫か?”と思われていたと思います。
1回目の時は、いろいろ話しても
なかなかコミュニケーションが取れなかった。
2回目に行ったときに、“なんとかお願いします”と言って。
相手は“OK”と答えてくれるんですけど、つくってくれない。
3回通って、もうダメだと思って、
“このままでは帰れない。いつできるのか? この書面にサインしてくれ”
と言ったら、“それじゃあわかった。それならつくろう”
とやっと重い腰が上がったんですよ」

こうして須崎さんが待ち望んだ最初の100台のスターファッカーズが生まれた。

誰よりも早くやる。誰もが動いていないうちにやる。

大手の自転車会社が圧倒的なシェアをほこる業界だが、
新規の起業に秘策はあったのだろうか?

熊本県のくまモンがテディベアになった!元祖シュタイフ社より限定販売

もはやタレントも真っ青の人気ぶりを誇る熊本県のPRキャラクター「くまモン」。
なんと彼がドイツの名門・シュタイフ社よりテディベアとして発売されることになりました!
耳にはトレードマークのシュタイフのタグが、足もとには
KUMAMONの名前が入ったスペシャル仕様です。

この驚きのコラボが実現したのは、熊本市議の田尻善裕さんの働きかけによって。

田尻さんは熊本を世界にアピールしたいという想いから、
単身ドイツに渡ってシュタイフ社を訪問。シュタイフさんと面会し、
「熊本の熊はベアーという意味なんです」などと熊本をPR。
コラボレーションを打診し、見事実現にこぎつけました。

最初にシュタイフ社がデザインしたくまモンは
スリムでワイルドな顔立ちだったんですが、
熊本側がくまモンのイメージに近づけるべく、細かい調整を繰り返しました。

その甲斐あって、すごくくまモンらしいテディベアになっています。お値段は1体2万9400円。
1500体限定で作られますが、予約殺到のため既に申し込みが閉め切られています。残念!

世界中にコレクターがいるシュタイフ社のテディベア。
熊本をもっと世界の人へ知ってもらいたいという想いが実現しそうです。

テディベア くまモン(残念ながら販売終了)

愛媛の歯医者さんが発明した吹きこぼれゼロの「くるくる鍋」とは?

お鍋でパスタやうどんを茹でているとき、
吹きこぼれてしまうの、困りますよね。その悩みを解消する
画期的な鍋「くるくる鍋」がいま話題になっています。

鍋に特殊なリングを取り付け、沸騰した水が洗濯機のように
渦を巻くように回転する仕組みなんです。

これにより、

・沸騰する時間が短く

・かき混ぜる手間もなく

・鍋のなかの具材が均一に温められ

・吹きこぼれがなく

・アクを集めるのも簡単

と、いいことづくめ。

くるくる鍋を発明したのは、愛媛県の歯科医渡部英樹さん。
思いついてすぐに歯科用プラスターを使って試作品を作り、youtubeで公開。

その画期的なアイデアに、海外のメーカーからも共同開発のオファーがあったそうですが、
「日本を盛り上げたい」という気持ちから、
有限会社WATANABEをたちあげ、国内生産で販売にこぎつけました。

現在、この鍋は通信販売で購入することができます。

有限会社WATANABE

ムンクの「叫び」が起き上がり小法師になった!福島・会津の怖くてかわいい「起き上がりムンク」

ノルウェーの画家、ムンクの「叫び」。
どこからか聞こえる叫び声に
耳を塞ぐ人を描いた、誰もが知る名画。
何度も盗難の被害に遭っているんですが、
必ず美術館に戻って来るというエピソードがあるんです。

このエピソードと、何度倒れても起き上がる日本伝統のおもちゃ
「起き上がり小法師」が驚きのコラボレーション。
「起き上がりムンク」として販売されました。

制作を手がけるのは、いつもは牛やダルマなど
スタンダードな張り子のおもちゃを手がけている、
福島県西会津町の野沢民芸品製作企業組合。

同組合の小法師作家、早川美奈子さんがデザインし、
一つ一つ手作りで仕上げているので、
それぞれ違う表情なんだそうです。

大阪・阪神電車のポケット時刻表は一味ちがう

駅で配布されているポケット時刻表。
高齢者の方は、字が小さくて見づらいと
感じることも多いようです。

この悩みを解消するため、大阪府の阪神電気鉄道株式会社が
「大きな文字の阪神電車時刻表」を制作しました。

時刻表部分のサイズが従来の
約2.5倍、文字サイズは約1.6倍と
大きく見やすくなってます。

この時刻表、なんと
新書・文庫本のブックカバーにもなるんです。
お出かけの時にも、お気に入りの本と
時刻表を一緒に持ち歩ける、一石二鳥のデザイン。

気になる方は阪神電気鉄道株式会社の
Webサイトからダウンロード可能です。

阪神電気鉄道株式会社

金沢のアートに触れる週末「乙女の金沢 春ららら市」「mukashiya展」

加賀友禅、金沢九谷など、伝統工芸が根付く石川県。
そんな土地柄もあってか、いまも石川には
面白い作品を作る若手の作家さんたちがたくさんいらっしゃいます。

今週末の石川県金沢市では、
そんな地元のアートが楽しめるイベントが
開催されるんです。

■乙女の金沢 春ららら市

地元で活動する若手作家さんたちが一同に介し、
お話しながら直接作品を買えるマーケット「乙女の金沢 春ららら市」。
2011年から始まったこのお祭りが、今年も開催されます。

日程は2013年4月6日(土)、7(日)の二日間。
場所は石川県金沢市の「しいのき迎賓館横 広坂緑地」にて。

マーケットに並ぶのは、
器、ガラス、かばん、靴、パン、お菓子、古本...
石川生まれのかわいいものやおいしいものばかり。

九谷焼、珠洲焼、二俣和紙など、
石川県に根付く伝統工芸を
若手作家が現代的にアレンジした作品や、
フードでは加賀棒茶、雑穀ベジバーガー、氷見牛メンチカツ、
それに手作りのパンやジャムまで!

マーケットのほかに、ワークショップや映画上映などもあります。
コロカルでは、昨年に引き続き、
当日の模様をTwitter経由で実況中継します。お楽しみに!そして、晴れますように!

ヤマモ味噌醤油醸造元7代目 髙橋 泰さん

老舗7代目の挑戦。

秋田県湯沢市。雪深いこのまちに慶応3(1867)年から続く味噌醤油醸造元がある。
「ヤマモ味噌醤油醸造元」。
髙橋 泰さんは、その代々継承される名跡「髙橋茂助」の7代目にあたる。
「僕は名前をふたつ持っているということになるんです。海外では考えにくいですよね。
“7th generation of Mosuke Takahashi”というと、伝わりやすいです」
海外には7代続く企業はそう多くないが、
日本は100年以上続く企業が数万社あると言われる、世界に冠たる老舗大国。
けれど、老舗というだけでは生き残っていけない。髙橋さんはそんな危機感を抱いている。

高校卒業後、関東の大学に進学し、デザイン工学科で建築を学んだ。
いずれは家業を継がなくてはいけないことはわかっていたが、
それまでは好きなこと、やったことのないことをどんどんやった。
バックパックを背負って旅にも出た。
卒業後、継ぐことを考えて東京農大の短大に進学、
その後、業界大手の醤油メーカーで商品開発などを学び、故郷に戻って来た。
現在も会社社長は髙橋さんの父、嘉彦さんが務めるが、
泰さんが家業を継いでから今年で7年目になる。
「最初は嫌々という感じでした。フラストレーションばかりたまって、
最初の1年は特にきつかったですね」
あるとき嘉彦さんに、会社のパンフレットをつくるように言われる。
が、地元の業者に発注したところ思うようなものができず、
それならばと、写真、テキスト、デザイン、すべて自ら手がけることに。
そこから、さまざまなことを自分でやるようになる。

創業者、髙橋茂助にちなみ屋号は「ヤマモ」。創業140年余。

もろみ蔵には百有余年使われている古い樽が。ここでじっくり熟成される。それぞれの樽には火入れをした日付と回数が描かれている。

上段から樽を見下ろす。味噌は一年の天然醸造ののち、雪解けの季節に食べごろを迎える。

ヤマモは従業員数14名の小さな会社だが、その顧客は9割以上が地元の一般家庭。
リピーターも9割以上だという。
卸を通さず、直接の顧客が9割というのは強みだが、
それも時代が変わり、流通が変化すれば大きなダメージを受け兼ねない。
ましてや、地域の過疎化は深刻だ。
これからはマーケットを県外、そして海外に広げていく必要があると、髙橋さんは考えた。
JETRO(ジェトロ、日本貿易振興機構)が出展支援をしている
海外での展示会や商談会に、これまで何度も応募し参加してきた。
まずは市場調査で2度、その後は企業マッチングのための商談会に参加するため
4度渡航した。
当初はJETROからも、海外の企業やバイヤーからも厳しい指摘を受けた。
当然だが、ただ自社の商品を持って行くだけでは見向きもしてくれない。
戦略が必要なのだ。
「まずコンセプトを見直すことが必要でした。
そして商品はどれくらいの容量がいいのか、どんなパッケージがいいのか。
特にパッケージに関しては、外国の方から高い要求がありました」

もらった意見や要求にはできるだけ素早く対応していく。
こうして、ひとりで商品開発に手をつけ、
容量も手頃でデザイン性の高いパッケージの商品を考案。
ただ、中身の味は変えていない。
伝統のヤマモの味はそのままに、自分なりのアイデアで、
これまでなかった限定商品もつくった。
「焦香(こがれこう)」は、地元の農家でとれたセージやバジル、
唐辛子などを漬け込んだ醤油。肉料理に合いそうな風味の漬け込み醤油だ。
「肉味噌」は、コクのある熟成三年味噌を使った商品で、
料理にも使いやすく、もちろんそのまま食べてもおいしい。
展示販売のイベントの際に、味噌だけを試食させるのではなく、
肉味噌に調理して出したところ好評で、売ってほしいという声があったため商品化した。
「焦香も熟成三年味噌も、時間をかけておいしくするという点では唐突ではないんです。
新商品も、ヤマモのコンセプトからは外れていません」

現在は台湾、タイにも取引先ができた。
でも、海外でバーンと売上を伸ばそうというのではない。
「長くつき合っていけるところと組みたいと思っています。
継続的な関係を築けるところを徐々に増やしていきたい」

ペットボトルの商品もあるが、昔ながらの一升瓶でも出荷している。瓶をリサイクルしているので、いろいろな色の瓶が。

従来の商品も、塩分控えめの「あま塩しょうゆ」、濃縮めんつゆの「あじ自慢」、濃縮だし「白だし」などバリエーションがある。

こちらも中身は同じ。120ml~300mlと、ひとり暮らしでも使いやすいサイズ。さまざまなヒヤリングを行い、髙橋さん自らデザインした。

これからも、このまちで続けていくために。

いろいろなことに取り組み始めて約2年。
いまはやりたいことが少しずつできるようになってきたという。
そのひとつが、ショップ。
会社の入り口を入ってすぐの小さな部屋を簡単に改装し、
セレクトショップ「ゴヨウキキ茂助」をこの2月にオープンさせた。
もともと友人と趣味のようにトートバッグや缶バッジをつくっていたが、
オリジナルグッズとしてショップで販売することに。
部屋には古いステレオなどが置かれ、
髙橋さんの好きなものを集めたプライベートのような空間だ。
「東京にいたときから家具を集めていたので、それを使ったり、
古い家具を蔵から引っ張り出してきて磨いたりしました。
だから、この部屋をつくるのに3万円くらいしか使っていませんよ。
基本的に何でもお金をかけないでやるのがモットーなんです」
オンラインでも商品は買えるが、店がほしかったという。
「ネット上でお客さんとのやりとりは増えても、
地元のお客さんと直接ふれ合える場所がなかった。
場所があると不意な出会いも誘発できますし、
波及効果が同心円状に広がっていくと思うんです。
地元にいい影響や効果を与えたい」

万事快調に見えるが、ここまでくるのには、時間がかかった。
否、時間をかけたのだ。急激な変化は、周囲を不安にさせる。
父である社長も、すぐには自由を許してくれなかった。
「定番商品を買ってくれている地元のお客さんに、
“息子が帰ってきて味を変えるんじゃないか”と思われたくなかった。
実際に、定番商品はいっさい変えていません。
いまはオンラインショップでも売り上げが伸びてきて、
社長も少しずつ認めてくれているのだと思いますが、
それまでは変革のスピードもセーブしていました」
従業員もこの変化を楽しいと感じてくれたら。
従業員のために揃いの作業着をつくったりもした。
海外への出荷が決まったり、ショップができたりすることによって、
彼らの意識が向上すれば、地元でいい効果が表れることにもつながる。

念願のショップ「ゴヨウキキ茂助」。江戸時代、初代の前身が御用聞きとよばれる商人だったことに由来する。

趣味でつくっていたトートバッグも、会社の事業にした。「だんだん趣味と仕事が近づいてきた」と髙橋さん。

オリジナル前掛けも販売。

商品開発やデザインはひとりで手がけているが、仲間と組んで活動する楽しさもある。
稲庭うどんの「麻生孝之商店」の麻生孝一郎さんとは、
海外のセミナーで知り合い、意気投合。
業態は違うが海外に行くときはコンビのように同行し、
興味を示してくれたバイヤーを互いに紹介し合ったりしている。
また、湯沢市にゆかりのある建築家、白井晟一の建築である
湯沢酒造会館「四同舎」で仲間たちとカフェイベントを行ったことも。
白井氏の孫にあたる白井原多さんも気鋭の建築家で、それを機に交流が続く。
建築を志していた髙橋さんは、いつか原多さんと面白いことができたらと考えている。
そのほか、湯沢市の商店街のシャッターを開けるイベントを仕掛けたり、
秋田県の味噌醤油蔵の若手後継者の集まり「若紫」では、
新しいロゴを髙橋さんがデザインするなど、自分の会社のためだけでなく、
地域を盛り上げるための活動もしてきた。
でもいまは、役割分担があるのかもしれないと思っている。
「地元のイベントをやってほしいという声もありますが、
イベントをやりたい人はほかにもたくさんいますし、
それはまた別の担い手が出てくればいいなと思っています。
僕は、いまは海外のマーケットで求められることがあれば応じていきたいし、
自分がそうやって外に出ていくことで、勇気づけられる人もいると思うんです」

先ごろ、タイの「DEAN & DELUCA」でも商品の取り扱いが決まった。
現在はアジアが販路開拓のメインだが、今後は欧米への進出も視野に入れ、
ヨーロッパの業者とも交渉中だ。
また今後は大学と連携してインターンの受け入れも行いながら、
新しい人材の育成にも取り組んでいく。
「僕は単なる経営者とは思われたくない。
実際に“つくり”の仕事もしているので、経営者と職人の中間の存在になりたい。
つくって売って、何でもやる人間がいちばん強いと思っています」
イベントなどで人前に出るときは、シャツの上にビンテージのワークジャケットを羽織り、
前掛けをつけて、オリジナルトートバッグを肩にかけて出かける。
どこまでも自分のスタイルなのだ。

ショップには古いラベルの原本も展示。髙橋さんのおじいさんにあたる5代目は自分でラベルを描いていたそう。髙橋さんは「このDNAか? と思いました」と笑う。

profile

YASUSHI TAKAHASHI
髙橋 泰

1979年秋田県生まれ。千葉大学デザイン工学科卒業、東京農業大学短期大学卒業。2006年に家業を継ぎ、代々続く味を広く届けるために日々奔走中。

information


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ヤマモ味噌醤油醸造元/髙茂合名会社

住所 秋田県湯沢市岩崎124 電話 0183-73-2902
営業時間 8:00~17:00(「ゴヨウキキ茂助セレクトショップ」は11:00~16:00)
定休日 日曜・祝日(ショップの開店状況は来店前にご確認ください)
http://www.yamamo1867.com/

present

秋田の味をプレゼント。

ヤマモ味噌醤油醸造元の商品をセットで1名様にプレゼントします。塩分控えめの「あま塩しょうゆ」(300ml)、おそばやうどんなど麺類との相性ばっちりの「あじ自慢」(300ml)、煮物やお吸い物に重宝する「白だし」(300ml)、バジル、ローリエ、セージ、唐辛子、にんにくの5品目の漬け込み醤油「焦香」(120ml)、熟成三年味噌を使った「肉味噌」(85g)の5点セットです。ご応募はコロカルのfacebookページからお願いします。
※プレゼント企画は終了しました。

冨士源刃物製作所

くじらナイフに込められた、土佐打刃物の技術と想い。

子どもが鉛筆を削るのにちょうどいい「くじらナイフ」を製造している
冨士源刃物製作所は、高知県香美市にある。
かわいいフォルムのナイフシリーズで、子どもへのプレゼントはもちろん、
大人が使うナイフとしても人気を博している。
工房を訪れると、かなり男らしく、
高い金属音がキンキンキンッと鳴り響いていた。
くじらナイフのルックスから想像できる“アトリエ”というよりも、
まさに“鍛冶屋”といった雰囲気。
くじらナイフの職人は、高知県から「土佐の匠」にも選ばれている
冨士源刃物製作所の2代目山下哲史さん。

「あるお母さんから、
子ども用に先がとがっていないナイフがほしいという依頼があって、
なんとなくデザイン画を描いていたんです。
頭を丸くして、持ちやすくしてとやっていたら、
くじらに似てきたんです(笑)」と話す山下さんは、
職人さん特有のコワモテ感はなく、物腰がとてもやわらかい。
ラフスケッチからくじらというアイデアが出てきたのも、
まったくの偶然だけではないような気がする。
最初にできたのは、マッコウクジラ。
他にもナガスクジラやミンククジラなどファミリーも増えて、
今では6体の仲間たちになった。

(上から時計回りに)マッコウクジラ、ミンククジラ(雌)、ニタリクジラ、ザトウクジラ(ペーパーナイフ)、ナガスクジラ、ミンククジラ(雄)。

最近では、水族館のおみやげ用に別注文が来たり、
絶滅危惧種に指定されているアカメという魚をモチーフに製作するなど、
幅も広がってきた。
また、木工で鳥を削るためのナイフをつくってほしいというオーダーから、
鳥の形をしたカービングナイフを製作したこともある。

「こうしたもので、少しでも土佐打刃物の技術や文化が残っていけば……。
本当は鎌が売れればいいんですけどね」。
そう、鎌が売れない。

土佐は、土佐打刃物として日本の3大刃物の生産地として栄え、
その発祥は鎌倉時代ともいわれる。
特に山で使う鎌や鉈、のこぎりなどの品質の高さは有名だった。

山下さんがこの道に入ったのは34年前。
当時は、下草刈り鎌、枝打ち鎌など、山で使うありとあらゆる鎌を作っていた。
この土佐山田地区は、目の前に香長平野が広がり、
米を二毛作でつくっていたので、鎌は毎日のように使う必需品。
裏は一面、松の山で、炉で使う炭がすぐに取れる環境。
需要と供給がマッチする場所だった。

そして土佐から全国へと土佐打刃物を下げて出稼ぎに行っていた山師たち。
彼らが持っていた刃物がすごく質がいいと評判になり、
土佐打刃物の市場はどんどん全国へと広がっていった。

しかし林業の機械化、林業自体の衰退とともに、
刃物が売れなくなってしまった。
さらに追い討ちをかけるように、中国産などの安い刃物が輸入され、
刃物は研ぎながら大切に使うものではなく、使い捨て感覚になってしまった。

年季の入った道具と技術で鍛造する、職人ならではの仕事場。

鍛造、焼き入れ、研磨……。手作業で繰り返す職人技。

六寸鎌を鍛造する作業を見せてもらった。
一丁一丁、手で叩いて鍛造して伸ばしていく。
土佐打刃物の特長は、両刃であることだ。
鉄の真ん中に鋼をいれて、両側から包み込むようにするのは
刀のつくり方に近い。
山用の刃物は特に耐久性が必要なので、
こうすることで衝撃に強くなるし、折れても飛ばないようになる。

両側が鉄。真ん中に入っている鋼の部分が刃になる。

今では金型でプレスして抜く方法が簡単だが、
それでは厚さがどこも均等になる。
山下さんは、鎌が曲がっている腰のあたりの一番大事なところに
鉄を厚く置いて、強度を出している。そしてだんだん薄く伸ばしていく。

何をしているのか素人目にはわからないほど、作業は素早い。
鎌を火に入れて、熱されたら叩き、またそれを火に戻すと、
別の鎌を火から出して叩く。
これを何度も何度も繰り返すので、何本も同時につくっているのかと思ったら、2本を繰り返し叩いていたようだ。
「なかなかうまく曲がってくれません。
一度つくり込んでから、また叩いて伸ばします」
柄の部分をやって、腰をやって、と、部所ごとに叩いて伸ばす作業を繰り返すため、
工程はおのずと増えていく。

激しく叩くため、粒子が飛び散る!

赤々と熱せられた鎌の柄になる部分。

こうして、むねが厚く、刃が薄い、美しい鎌の原型となった。
この後、荒研磨をして、焼き入れを行う。

焼き入れは、ふいごと松の炭を使う。
いまでは、炭ではなく、鉛や油を使うひとがほとんどだ。
炭で焼き入れを行うと、「鋼も炭素なので、切れ味が違ってくる」という。
「工業試験場ではそんなことはないというんですが、
実際に私は研磨のときに完璧に違いがわかります。
砥石へのあたりが違うんです」というのは、まさに職人の手の感触。
ふいごにいたっては、「私しかいないんじゃないか」というくらいアナログ。
手前に付いている取っ手を押したり引いたりすることで、風が送り込まれる。

ふいごから右下に見える松炭へと風が送られ火を起こす。

焼き入れが終わると、油戻しという作業。
170度くらいの油に40〜50分入れると、鋼に粘りが出てくる。
あとは砥石で仕上げていく。
これら工程をすべてひとりでこなしている。

「いまだにうまくいかないときがありますよ。今日は鎌にならんなぁ」
と笑うが、この繊細かつ力技の難しい技術を、受け継ぐひとが少ない。
職人の世界は、技術が肝。しかしこの技術もまた、失われつつある。
それは売れないので産業として成り立たないからであり、
つまり需要がないからだ。

質のいい鎌を求める客は少なくなったが、それでも冨士源の鎌の切れ味を求めるこだわりの顧客も、数少ないがいる。

だからくじらナイフのような商品をつくり、
土佐打刃物を広げることが少しはできた。
焼き入れや研磨などには山下さんの技術が詰まっており、切れ味はバツグン。
しかしくじらナイフのようなフォルムを叩いてつくり出すことは不可能なので、
型はプレスで抜いている。
山下さんの技術すべてを生かせている商品ではないのは
残念なことだと認識しておきたい。

みなさんは、ナイフで鉛筆を削ったことがあるだろうか?
そんなの簡単と思うかもしれないが、実はちょっとしたコツがいる。
鎌や鉈を使おうとまではいわないが、
せめてナイフを使う感触を手に覚えさせてみる。
それが土佐打刃物、そして職人の技術を守ることへの第一歩だ。
まずは、くじらナイフで鉛筆を削ってみよう。

ポイントは、鉛筆を持っているほうの親指でナイフの背を押すことだ。鉛筆をナイフで削ったことのないひとは、このコツを知らないという。

山下哲史さんは、30歳のときに脱サラし、家業であったこの道に進んだ。

大川コンセルヴ

木と食を結ぶ、家具のまちの挑戦。

筑後川と有明海に面し、肥沃で広大な筑紫平野を有する福岡県大川市。
水のめぐみ、大地のめぐみを受け、
ブランドいちご「あまおう」やイチジクをはじめとする農産物や、
有明海苔の生産が盛んに行われているが、
産業の柱としてまちを支えてきたのは、木工家具の製造だった。
470余年の歴史と伝統を誇り、その生産高は日本一。
「大川の婚礼家具」は全国的に知られている。
しかし、大川の木工産業は、外国産の安価な家具の影響や、
はたまた現代の住宅事情から婚礼家具文化の衰退を受け、徐々に下降傾向に。
昭和の全盛期には600軒以上あった工房も、現在では300軒ほどまで減少している。
こうしてはいられない、と立ち上がったのが大川商工会議所。
妥協なくものづくりをするさまざまの分野の「職人」たちを
一軒一軒まわって声をかけ、「大川コンセルヴ」という団体を立ち上げた。

コンセルヴとはフランス語で「保存食」の意味。
木が年輪を重ねるように、大川にストックされていた技術と知恵を「保存」して
次世代を担う子どもたちに継承していく、という使命を帯びる。
大川コンセルヴが掲げたコンセプトは、「食卓」。
「卓」には古くから木が用いられ、木工のまちとして大川は日本の食卓を支えてきた。
そんな木と食が集う大川だからこそ、木と食の技をきっかけに、
日本の食卓を見直していきたいのだという。
「“楽しく、明るく、そしておいしく”にこだわっています。
『食』と『木』のコラボレーションは、木育と食育が出合う場。
ひとつの食卓が語らいやしつけの場となって、
子どもたちに豊かな人間性を育んでほしいという願いを込めています」
と語るのは立野泰誉さん。
現在、10社(団体・個人含む)ほどが加盟する大川コンセルヴをまとめ、
自身も立野木材工芸の代表として日々ものづくりの現場に立つ。
現在、結成から4年目を迎えた大川コンセルヴだったが、
最初の1年は暗中模索していた。
「結成当初を振り返ると、その頃大川コンセルヴという団体は漠然としたもので、
何からはじめればよいのだろう? という戸惑いすらありました」
同業の知人もいれば初対面の人もいる。
ましては、異業種である「食」の分野の人とは
それまでなかなか出会う機会もなかった。
さて、どうやって大川コンセルヴを運営していく?
どうやって「食」と「木」でコラボレーションしていく?

この漠然としたプロジェクトに“色づけ”をしていったのが、
デザイナーの先崎哲進さんだった。
パッケージデザインからプロダクトのブランディングまで、
大川コンセルヴのアートディレクションを幅広く手がけ、
大川コンセルヴのメッセージ性を掘り起こした。
立野さんが、「先崎さんが“こうしていこう”とみなに働きかけたことで、
大川コンセルヴが目指すべき道への理解と意思の統一ができたと思います」と言えば、
先崎さんも、「アイデアだけで留まらず、ちゃんとプロダクトまでできたのは、
職人が多く暮らす大川だからなのだと思います」と話す。
そんな立野さんと先崎さんとともに、
大川コンセルヴに加盟するふたりの職人のもとを訪ねた。

初めての食事に、大川のスプーンを。

木製のおもちゃを生産・販売する「飛鳥工房」の廣松利彦さんがつくったのは
「幸せをはこぶファーストスプーン」。
ファーストスプーンとはヨーロッパの習慣で、
産まれた子どもにスプーンを贈ると食べ物に困らず幸せになれるといわれている。
それに倣い、飛鳥工房と柳川リハビリテーション学院言語聴覚学科との共同開発で、
乳児の発達に応じた離乳食用の木製スプーンをつくった。
赤ちゃんの小さな口に当たるくぼみの部分は2mmとごく薄い。
それを実現する確かな職人技と、しっとりと滑らかな木の感触が評判になった。
スプーンは2通りの大きさがあり、
小さいスプーンは離乳初期(生後5〜6か月)の赤ちゃん、
大きいスプーンは離乳中期(生後7〜8か月)の赤ちゃんに。
お食い初め以降も赤ちゃんの食生活をサポートする。

これから数十年間「食」と寄りそって生きていく赤ちゃんの
口に入る最初のものが、地元・大川で大切につくられたファーストスプーンとは、
なんとも粋なこと。
初めての食事だけでなく愛情も運ぶ記念のスプーンとして、
大川市は今年度200名の新生児にこの「幸せをすくうファーストスプーン」を配った。
“ひとつのものを大切に使うこと”という
食育ならぬ「木育」の姿勢を新生児から養っていくのも目的だ。

「幸せをすくうファーストスプーン」は、材質違いの3種類を展開。その下の木の器は「お食い初めセット」の器。

mokumogu –木のフォーク− は、木の幹から発想を得た三つ又のフォーク。
ケータリングや親子でのお菓子づくり、楽しい食卓のシーンをイメージして生まれた。

飛鳥工房の「飛鳥」は、廣松さんの娘さんの名前から。「子ども(飛鳥さん)が安心安全に遊べる木のおもちゃをつくろうと思って」飛鳥工房を設立。その飛鳥さんも今では立派な成人に。

2013年2月にドイツで開催された、ニュルンベルク国際玩具見本市に、飛鳥工房も出展。出展したファーストスプーンは佐賀県産の杉材を使用。写真提供:飛鳥工房

酒造がつくる、大川ならではのフレーバーティー。

老舗酒造「若波酒造」でつくられた「あまおうティー」は、甘くない。
イチゴのリキュール「あまおう」をつくる上で大量に出る
ベースのお酒に漬け込んだイチゴの再活用を考え開発されたフレーバーティーだ。
お酒に浸かったイチゴは食用にあまり適さず、
アレンジするのは難しいとされていたが、
「日本酒は粕でさえ重宝され、捨てるところがない」という
日本酒づくりのアイデンティティを、リキュールでも踏襲した。
「紅茶とのコラボレーションにはもともと興味があって機会をうかがっていました。
そうしているうちに大川コンセルヴが立ち上がり、お誘いを受けました。
コンセルヴのコンセプトを聞いたときに“あぁ時が来たな”って思って」と語るのは
若き杜氏・今村友香さん。
一年のうち収穫時期が決まっているイチゴだが、
アルコールに漬けることで保存がきく。
紅茶専門店 紅葉(くれは)で、乾燥させたイチゴを紅茶とハイビスカスを調合。
若波酒造の従来の顧客層である男性客も意識し、
酸味際立つ、甘過ぎない紅茶ができた。
イチゴを乾燥させる工程でアルコール分はほぼ残留なしというから、
子どもでも安心して飲める。
「パッケージも、老若男女に愛されるようにシンプルにしました」(先崎さん)

「あまおうは福岡でしかつくられない品種なので、福岡・大川らしい紅茶ができたと思います」(立野さん)。鮮やかな赤い色と甘いイチゴの香りは贈り物にも喜ばれそう。

「大川は家具で有名な地域ですが、うちは酒蔵ですから、
今まで家具職人さんなどとの深いつながりはありませんでした。
それが、一緒の団体として話し合いや情報交換を通じて
知り合っていくなんて面白いですよね」と今村さんが話せば、
「今後は『木』の部会とのコラボレーションで商品開発を」と
立野さん、先崎さんも期待を寄せる。

「九州と言えば焼酎が有名ですが、大川が位置する筑後地方は、
日本酒の蔵元の軒数が全国第3位なんです」と今村さん。
「筑後って面白い土地なんです。海も川も山もあり、農業も工業も盛ん。
もっと自慢できるところを見つけたいと思いました。
うちは酒蔵ではなく『地酒蔵』になりたいんです」

大正11年創業。今村さんはきょうだいで若波酒造の杜氏を務める。

「同業者以外と組むとオリジナルになる」(今村さん)。リキュールをつくるには免許が必要とあればいち早く取得する行動派。

行政の手を離れた、大川コンセルヴのこれから。

大川コンセルヴの視線は、東京、そして海外へ。
福岡県内はもとより、東京都内の大型ファッションビルや、
小売店などでも商品を展開している。
大川コンセルヴの構想をつくり、主導してきた商工会議所も、
事業仕分けの影響による助成金削減を受けて
2年前に大川コンセルヴから手を引くことになってしまった。
立野さんたち大川コンセルヴのメンバーもこの状況には頭を抱えることとなったが、
「大川コンセルヴ」というブランドの成長が収益の支えとなると信じ、
積極的に露出を増やしている最中だ。
いわば、ここからが大川コンセルヴの試金石となろう。
「そのためにももっと大川の他の生産者や技術者をまきこみたいですね。
どんな人? そうですね、個性的で、仕事に一生懸命で、
いろいろとまわりを見ている人ですね」(先崎さん)

information


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飛鳥工房(ショールーム)

住所 佐賀県佐賀市諸富町徳富112-4
TEL 0952−47−5697
営業時間 10:00〜18:00
定休日 不定休


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若波酒造

住所 福岡県大川市鐘ヶ江752
TEL 0944−88−1225
営業時間 10:00~17:00
定休日 不定休