こんにちは。株式会社See Visionsの東海林諭宣(しょうじ あきひろ)です。
第3回目となります。よろしくお願いします。
今回は〈ヤマキウビル〉の後編です。
前編は、〈酒場カメバル〉〈サカナカメバール〉に続く
3つ目の“まちの共有地づくり”を目指して見つけた空きビル
〈ヤマキウビル〉をお借りするため、オーナーへの交渉に踏み出した時期のお話でした。
今回は、3つ目の拠点ができたことによる
「開業後の運営と変化の兆し」をお伝えいたします。
オーナーへ2度のダイレクトアタックを試みるも、
交渉のテーブルに着くまでに至らず、時は過ぎていきます。
それでもなぜ立ち向かい続けるのか。その気持ちの根源について、
「"まちの共有地"は廃れていく秋田に、きっと必要なものだ!」という高尚な思いは、
実はほんの少しであり、大部分を占めていたのは、古くて使われていないものに
自分たちが変化を起こすことで、まちに関わる人が増えていくことへの期待感と楽しさでした。
それは、前回までの酒場カメバル、サカナカメバールで実証され、
着実に結果が出ていたからです。
そんなときに朗報が届きます。
1拠点目として立ち上げた酒場カメバルに、
ヤマキウビルオーナーのご子息の小玉康明さんがお客様としていらしている、と。
僕は急いで『亀の町プロジェクト ヤマキウビル活用のご提案』の
プレゼンシートを持ってカメバルに行き、
不躾(ぶしつけ)にも康明さんの隣の席でプレゼンを始めました。
これまでにもヤマキウビルの敷地は、ビルを壊してマンションにしないか、
葬儀場にしないか、スーパーにしないか、など大きな企業からも引き合いがあったものの、
康明さんにはどれもピンとこなかったそう。
その理由のひとつとして「まちが新しく変わっていくのは悪いことではないけれど、
それまでなじみのあった建物や景色が壊されることへの寂しさがあった」といいます。
僕たちの提案は「まちの風景はそのままに、建物をリノベーションして活用する」でした。
それならばとヤマキウビルのオーナーであり、康明さんのお父様である
康延(やすのぶ)社長にプレゼンする機会をいただくことに。
康明さんと出会うことができたのも、酒場カメバルという場所をつくったからこそ。
さらに、亀の町に新たな人の流れが生まれていたことに
康明さんが信頼と期待を寄せてくれていたことも、大きな要因だったと確信しています。

1店舗目の酒場カメバル。
康明さんにも同席していただき、ついに康延社長にプレゼン。
一緒にプレゼンをしに行ったプロジェクトメンバー曰く、
僕は相当緊張していたようでした(笑)。
緊張を抱えながらもていねいに思いを伝え、
ようやく康延社長からヤマキウビルをお借りすることに承諾をいただくことができました。
さらには、設備・内装の工事費用として数千万円を投資していただき、
家賃で返済していくという事業スキームの提案も受け入れていただけることに。
不動産投資をしている〈株式会社ヤマキウ〉だったからこそ、ご理解をいただけたものでした。
当時について、康明さんはこのように振り返ってくれました。
「資料など見た目にはキレイだが、どこか夢物語で誇大表現にも思えるプレゼン。
しかもそんなに滑舌がよくない(笑)。しかし、熱意だけは伝わってきて、
東海林さんが本気であることがわかりました。
父に受け入れた決め手は何かと聞くと、“勘”だといいます。
人生を積み上げてきた人間の勘とは、思いつきではなく経験に由来するもの。
意識しなくても伝わってくる情報から、自然に判断することであると話してくれました」
こうして3拠点目となる、ヤマキウビルのリノベーションが始まります。

緊張のなか、初めての現場調査。
図面は50年ほど前のもので、詳細を見ることができなかったので、
現地調査であらためて建物の全貌が見えてきました。
強固な鉄筋コンクリート3階建てのビルで、屋上からは亀の町を見晴らすことができます。