福岡県古賀市
食の交流拠点〈るるるる〉
中心市街地の回遊をうながす
駅前活性化プロジェクト

タムタムデザイン vol.10

福岡県北九州市で建築設計事務所を営み、
転貸事業や飲食店運営を行う田村晟一朗(たむら せいいちろう)さんによる連載です。

今回はついに最終回。福岡県古賀市にて2023年7月にオープンした
食の交流拠点〈るるるる〉をテーマにお届けします。〈るるるる〉は古賀市が主導する
〈古賀駅西口エリアの活性化プロジェクト〉の一環で誕生しました。
プロジェクトの概要からオープンまでのプロセスを振り返っていきます。

古賀駅西口エリアの活性化プロジェクト

いま、古賀がアツいんです。
古賀市は僕が拠点とする北九州市から車で約45分、玄界灘に面する、
海と山に挟まれた自然も産業も豊かなまちです。

そんな古賀市で進行中の古賀駅西口エリアの活性化プロジェクトは、
市の主導で2020年に立ち上がりました。
JR古賀駅西口エリアは、かつてはまちの中心地として商業が栄えていましたが、
近年は国道沿いのショッピングモールや福岡市都心部への消費の流出、
高齢化などによって、中心市街地の空洞化が進んでいます。

そこで本質的なエリアの活性化を目指し、市民、地元関係者、民間団体のほか
中心市街地活性化等の専門家が市と連携して、将来のビジョンを作成し、
エリア価値の向上に向けてプロジェクトが動き出しました。

そして、プロジェクトのエンジンとして、木藤亮太さん(以後、キトさん)を代表に
まちづくり会社〈株式会社4WD〉が設立されました。メンバーはキトさんのほか、
地元の魅力を発信するメディア〈古賀マガジン〉編集長の松見達也さんと、
地元をはじめ近隣エリアの飲食業界をつなぐ〈ノミヤマ酒販〉の許山浩平さん、
キトさんの会社のディレクターでもある橋口敏一くんという4名です。

株式会社4WDのみなさん(左からキトさん、許山さん、橋口くん、松見さん)。

株式会社4WDのみなさん(左からキトさん、許山さん、橋口くん、松見さん)。

僕がこのプロジェクトに関わったのは、2014年に〈日南市油津商店街〉の活性化事業で
キトさんとご一緒したことがきっかけでした。
それ以降もキトさんと一緒に多数のまちづくりプロジェクトに取り組み、
今回の古賀市でもお声がけをいただいたというわけです。

古賀駅西口エリアの活性化プロジェクト 第1号〈Koga ballroom〉

4WDという名前のとおり、4輪駆動でじっくりと確実に進むこのまちづくり会社。
古賀駅西口エリアの活性化プロジェクトの第1号として元ダンススタジオをリノベし、
多目的シェアスタジオ〈Koga ballroom〉をつくることになり、
僕は設計監修として関わらせていただきました。

その過程で橋口くんが中心となり塗装ワークショップなどを開催して
まちの関係人口を増やしていたのですが、そのワークショップに作業着を着た
元気な男性が参加されてるなぁと思って挨拶したら、なんと古賀市の田辺市長でした(笑)。
市長は僕がお気に入りのノミヤマ酒販さんの角打ちスペースにもふらっと立ち寄られ、
同じ目線でまちについて話せたりもします。

「曖昧な境界」をデザインした
〈morineki〉大東市公民連携
北条まちづくりプロジェクト

この連載は、日本デザイン振興会でグッドデザイン賞などの事業や
地域デザイン支援などを手がける矢島進二が、
全国各地で蠢き始めた「準公共」といえるプロジェクトの現場を訪ね、
その当事者へのインタビューを通して、準公共がどのようにデザインされたかを探り、
まだ曖昧模糊とした準公共の輪郭を徐々に描く企画。

第2回は、大阪府大東市にある市営住宅の建て替えを、
民間主導の公民連携型で進めた国内初のプロジェクト〈morineki〉。
2022年度グッドデザインを受賞したこのプロジェクトを手がけた
大東公民連携まちづくり事業株式会社(現〈株式会社コーミン〉)の入江智子さんと、
グランドデザイン設定から建築デザインまでを担った
〈株式会社ブルースタジオ〉の大島芳彦さんのふたりに話を聞いた。

morinekiのある大東市は、大阪市の東に位置する人口約12万人のまち。
JR学研都市線四条畷駅から徒歩5分、生駒山系の自然と清流に守られたエリアに
2021年3月にできた、まさに「準公共」と呼べるプロジェクトだ。
古いまちを、デザインによってどのように市民のための新しい居場所に変えたかを探る。

民間主導による国内初の公民連携プロジェクト

矢島進二(以下、矢島): 〈morineki〉は、
多々ある公民連携プロジェクトのなかでも、
独自で新規性のあるスキームによって実現したと思いますが、
なぜ実現できたかをお聞きします。まず最初にプロジェクトの概要を教えてください。

入江智子(以下、入江): morinekiをひと言でいうと、大阪府大東市による
「市営住宅の建て替えを民間主導の公民連携型で進めた国内初のプロジェクト」です。
市と民間が連携してPPP*手法を用いて、
古い市営住宅があった約1ヘクタールの市有地を、
民間賃貸住宅、オフィス、商業施設や芝生の都市公園などにつくりかえ、
賑わいの場を創出し、地域全体のリノベーションの起点となるプロジェクトです。

市民にとって、ちょっと自慢ができる風景をデザインすることで、
市にも土地の賃貸料収入や固定資産税などが新たに入り、
地価も上がり、人口減少の歯止めにもなっています。

*PPPとはパブリック・プライベート・パートナーシップの略で、行政(Public)が行う行政サービスを、行政と民間(Private)が連携(Partnership)し、民間の持つノウハウを活用することで、行政サービスの向上、行政の業務効率化などを図るスキーム。PPPの中に、PFI(プライベイト・ファイナンス・イニシアティブ)、指定管理者制度、さらに包括的民間委託などのアウトソーシングなども含まれる。

PPPエージェントである大東公民連携まちづくり事業株式会社(現〈株式会社コーミン〉)が市のビジョンに基づき、テナントリーシングを行い、特定目的会社である東心株式会社が大東市とコーミンからの出資及び、金融機関からの融資で事業を実施。建物は東心株式会社が所有し、大東市はその民間賃貸住宅を市営住宅として借り上げるほか、公園・河川・周辺道路の整備を行う。(画像提供:コーミン)

PPPエージェントである大東公民連携まちづくり事業株式会社(現〈株式会社コーミン〉)が市のビジョンに基づき、テナントリーシングを行い、特定目的会社である東心株式会社が大東市とコーミンからの出資及び、金融機関からの融資で事業を実施。建物は東心株式会社が所有し、大東市はその民間賃貸住宅を市営住宅として借り上げるほか、公園・河川・周辺道路の整備を行う。(画像提供:コーミン)

〈コーミン〉代表取締役の入江智子さん。

〈コーミン〉代表取締役の入江智子さん。

矢島: 入江さんは市役所職員でしたが、
このプロジェクトを実現させるために退職され、
まちづくりのための会社に移籍したと聞きます。
当時はどんな部署にいて、なぜこのプロジェクトはスタートしたのですか?

入江: 私は兵庫県宝塚市の出身で、京都工芸繊維大学を卒業後、
大東市役所に入庁し、建築技師として市営住宅や学校などの営繕を担当していました。
市営住宅の建て替え担当者は、交付金を使い
ごく普通のマンション形式にするのが通常の業務だったのですが、
「本当にこのやり方でいいのか?」といった課題意識をずっと抱いていて、
何か違う手法を探していました。

市営住宅の建て替えは、国交省による交付金制度できっちり固まっています。
morinekiのような面倒な手続きをしなくても、
粛々と建て替えができるシステムが用意されているのです。
ですがそれでは「どこにでもある市営住宅」しかできません。

そうしたなか、市長がまちづくり専門家の木下斉さんの講演会に行き、
岩手県紫波町での、国の補助金に頼らない公民連携の成功例
〈オガールプロジェクト〉を知ったのです。

折しも第2次安倍政権によって「まち・ひと・しごと創生本部」が内閣に設置され、
地方も自ら人の流れをつくり、稼ぐことが求められていました。
大東市は、創生総合戦略に
1.市民や民間を主役に据える、
2.大阪市にはなく大東市にあるものを磨く、
というふたつの政策的な視点を掲げ、その実行部隊として、
市役所に「地方創生局」を新設しました。

その局長が、木下さんらが始動した「公民連携プロフェッショナルスクール」
(現・都市経営プロフェッショナルスクール)の1期生として
参加したのが大きな起点です。

〈morineki〉は、約3000平米の公園と、74戸の住宅のほか、レストラン、アウトドアショップ、ベーカリー、アパレル、雑貨などの店舗が軒を連ね、2階はテナント〈ノースオブジェクト〉の本社事務所になっている。

〈morineki〉は、約3000平米の公園と、74戸の住宅のほか、レストラン、アウトドアショップ、ベーカリー、アパレル、雑貨などの店舗が軒を連ね、2階はテナント〈ノースオブジェクト〉の本社事務所になっている。

morinekiの名は、「森」と、河内弁で“近く”を表す「ねき(根際)」をあわせた造語。〈UMA/design farm〉原田祐馬さんデザインのロゴマークは、mの字形と3本の新芽を表す。

morinekiの名は、「森」と、河内弁で“近く”を表す「ねき(根際)」をあわせた造語。〈UMA/design farm〉原田祐馬さんデザインのロゴマークは、mの字形と3本の新芽を表す。

生誕120年 版画家・棟方志功の 全貌に迫る展覧会 『メイキング・オブ・ムナカタ』 故郷〈青森県立美術館〉で開催中

ゆかりの地 青森・東京・富山の美術館が協力

1903年に青森市に生まれ、「世界のムナカタ」として
国際的な評価を得た版画家・棟方志功。
1975年にその生涯を閉じるまで、故郷・青森のほか、
創作の拠点とした東京、疎開先であった富山などに縁をもち、
さまざまな作品を世に送り出しました。

生誕120年を迎える2023年、
ゆかりある地域の美術館〈青森県立美術館〉、〈東京国立近代美術館〉、
〈富山県美術館〉が協力して開催するのが、『メイキング・オブ・ムナカタ』です。
富山での展示を終え、7月29日から青森県立美術館での展示がスタートしています。

飛神の柵 1968年 棟方志功記念館

飛神の柵 1968年 棟方志功記念館

展覧会は、プロローグ『出生地・青森』に始まり、
第1章『東京の青森人』、第2章『暮らし・信仰・風土―富山・福光』、
第3章『東京/青森の国際人』、第4章『生き続けるムナカタ・イメージ』と続きます。
生誕の地・青森では、広いスペースを生かし、
棟方最大の板画作品である『大世界の柵』乾・坤の2点を同時に展示。
展示替えを最小限に留め、多くの大規模な屏風作品も、
通期での展示を予定しています。

同時期にコレクション展特集展示『棟方志功:女神とめがね』も開催し、
自画像や優美な女神を描いた倭画のほか、
同時代の青森の版画家たちによる棟方の肖像も観ることができます。

ハドソン河自板像の柵 1959年 棟方志功記念館

ハドソン河自板像の柵 1959年 棟方志功記念館

経年変化が美しい家。
ともに成長し
「家に似合うふたり」になりたい

現地を訪れてクチコミで土地探し

住所としては神奈川県相模原市緑区。
ただし中心地から車で30分以上走った台地に、
H夫婦が建てた〈BESS〉の「G-LOG」はある。
秋田出身のご主人・一樹(@camp_ee)さんは、就職で相模原へ。
佐賀出身でシンガーのSOTOni(@_sotoniyatoni_)さんと結婚して3年。
当初は橋本駅近くのマンションに住んでいた。

「2年くらいマンション暮らしでしたが、いつかは家を建てたいねという話はしていて、
よくBESSのLOGWAY(ログウェイ・展示場)に行っていました。
あるとき、久しぶりに行ってみたら、買いたい欲がすごく高まってしまって、即決。
翌週には契約していました」と笑う一樹さん。

日が入り、明るいリビング。物が少ない。

日が入り、明るいリビング。物が少ない。

一樹さんはキャンプが好きで、コテージや山小屋に泊まったときの感触がよかったこと。
キャンプでの焚き火が好きなので、薪ストーブを絶対に入れて家で火を見たかったこと。
それがBESSの家購入に踏み切らせた理由だという。

デザインや見た目のアウトドア感だけでなく、BESSの“哲学”にも共感している。
きっかけは『BESSってなんだ?』という冊子だ。

「ひとつひとつ気になる言葉ばかりなんです。
あまりに好きなので、BESSの家を検討しているという後輩に
『読んだほうがいい』とプレゼントして、自分用にもう1冊もらいました。
これは2冊目。トイレに置いてあります」

見た目やデザインだけではなく、思いにも共感した。

見た目やデザインだけではなく、思いにも共感した。

表紙には「ドレスアップよりドレスダウン」「時間の設計」など、
気になったフレーズが書き込まれ、中面にもメモがたくさん。
熟読していることがわかる。
なんと自宅の柱にも「野暮は揉まれていきとなる」と書いてしまったほど。

「不要になったら上から色を塗ったり、薄く削りとることもできる。それができるのもBESSの家の良さ」と一樹さん。

「不要になったら上から色を塗ったり、薄く削りとることもできる。それができるのもBESSの家の良さ」と一樹さん。

こうして家の購入は決めたが、もちろん土地も必要。
職場から離れすぎない範囲で「広い庭もほしいし、薪ストーブもあるので」と、
なるべく自然に近い場所にこだわった。しかし、なかなかいい場所が見つからない。

「もっと奥へ行こう、もっと奥、もっと奥……、といううちに
どんどん町から離れてここまで来ました。
田舎だけど、雰囲気がすごく良かった」

DIYでつくった薪棚。中央が最新作。後ろには抜けのある景観が広がっている。

DIYでつくった薪棚。中央が最新作。後ろには抜けのある景観が広がっている。

ふたりの家が建っている立地は開けていて、
家や畑が点在するが森に囲まれていて秘境のようなところ。

「自分たちでも土地を探そうと思って巡っていたんです。
偶然、この近くにある商店に入ったときに、
常連さんらしきおじいちゃんに
『土地探しているんですが、いいところありますかね?』と聞いてみたら、
すぐに地元の知り合いの不動産屋さんを紹介してくれて。
この土地は2か所めに紹介されて即決しました。
やはり地元の不動産屋さんはその土地に詳しいし、
そもそもネットなどに情報を出していないみたいです」

その日のうちにすべてのことが進み、テンポが良すぎてふたりとも心配になったほど。
この場所を見つけたのは偶然ではあるが、
それを引き寄せた行動力がもたらしたものでもあるだろう。

2階から外を眺める。

2階から外を眺める。

北九州市〈寿百家店〉。
「住む」と「活動する」が混ざり合う
アーケードシェアハウス

タムタムデザイン vol.9

福岡県北九州市で建築設計事務所を営み、転貸事業や飲食店運営を行う
田村晟一朗(たむら せいいちろう)さんによる連載です。

今回は前回に続き、北九州市八幡西区の黒崎にある商店街の一角
〈寿通り〉のリノベーションがテーマです。

前回は寿通りで生まれた〈寿百家店〉のプロジェクトの概要と
〈株式会社 寿百家店〉の設立までお伝えしました。
シャッターが降りた商店街の区画に、地域の専門店にオープンしてもらい、
それらの2階をシェアハウスにするプロジェクトです。

後編では、仲間集めや資金調達、コロナ禍での挑戦など、
オープンまでのプロセスを通じて、少しずつ変化していく寿通りの裏側をレポートします。

会社設立後、新たな区画のリノベーションへ

2020年5月に株式会社 寿百家店を設立して、
福岡佐知子さん(以後さっちゃん)が会社の代表になりました。
これまではさっちゃんがオセロ展開で寿通りのシャッターを開けてきたのですが、
この頃には寿通り内に自然と美容室や洋服屋さん、ギャラリーが入居してくるようになり、
今までの活動の波及効果が現実に表れてきました。
こうした変化ってほんっとうれしいですよね。

グレーの区画はシャッターが閉じていた、寿通り。2015年にさっちゃんがワインバー〈トランジット〉をオープン。

グレーの区画はシャッターが閉じていた、寿通り。2015年にさっちゃんがワインバー〈トランジット〉をオープン。

2020年には緑色の区画に新店舗が次々とオープンしました!

2020年には緑色の区画に新店舗が次々とオープンしました!

そんな流れのなか、寿百家店が次に目をつけたのは上の図の黄色の3区画。
ここを一気に開けてしまおう! という計画です。
木造2階建ての長屋で、1階は旧洋服店、旧呉服店、旧宝石店の3店舗が入っていました。

既存平面図

既存平面図

ビフォーの外観。手前からピンクのシャッターが旧婦人服店、緑が旧呉服店、水色が旧宝石店。

ビフォーの外観。手前からピンクのシャッターが旧婦人服店、緑が旧呉服店、水色が旧宝石店。

以前は婦人服店だった、ピンクのシャッター内部の様子。

以前は婦人服店だった、ピンクのシャッター内部の様子。

この3区画を寿百家店のコンセプトに沿ってまちの専門店街にしようと考えました。
旧婦人服店はシャッターが4枚分、旧呉服店はシャッターが5枚分の区画です。
このシャッター1枚の幅は1.2〜1.8メートル程度であり、
まずは旧婦人店と旧呉服店のシャッター1枚ごとに区画を分けて、
合計9つの小さな区画をつくろうという案。
マイクロショップの集積のようなイメージですね。

「店主ひとりひとりが何かをつくれたり、技術を持っていたり、
目利きをしていたりと、個人の表現が発揮できる
小さなお店が集まるとおもしろいんじゃないか」とさっちゃんと想像していました。

そして、大きな通りに面した端の区画については、
さっちゃんと僕とで飲食店を営むことにしました。

平面図でいうとこんな感じです。

シャッター1枚ごとにお店が入っているイメージ。

シャッター1枚ごとにお店が入っているイメージ。

小さなお店が入ったイメージ写真。

小さなお店が入ったイメージ写真。

家賃設定は1区画3万〜4.4万円にしました。
坪単価に換算すると1.6~1.8万円なので、黒崎周辺の相場である0.9~1.2万円/坪より
少し高めですが、光熱費込み(条件あり)と小面積であることから、
店子さんはチャレンジしやすい、なおかつ大家としては
事業収支が成立しやすいという価格設定になっています。
両者のイニシャルコストにかかるリスクを軽減することが狙いです。

佐内正史が故郷・静岡を撮る。 静岡市美術館で写真展が開催中!

新旧合わせて37点の作品を展示

CMや雑誌など、さまざまなカルチャー媒体で活躍してきた
静岡市出身の写真家・佐内正史さん。
そんな佐内さんの写真展が今夏、
故郷・静岡市の静岡市美術館で2023年8月27日(日)まで開催されています。

佐内さんの美術館での個展は2009年ぶり。
「静岡詩」というタイトルが付いた今回の展覧会は、
新たな撮り下ろし写真と過去に撮影した写真
計37点を織り交ぜて展示されています。

壁に大きく貼られた、
澄んだ眼差しでキャプチャーされた写真群は圧巻。
写真が写真であることの意味や「表現しない写真」を
正面から問い続けてきた佐内さんの眼に、
自身が生まれ育った静岡は、どう映った/写ったのか。
ぜひ、会場で写真と対峙して、思いを巡らせてみては?

イラストレーター・松尾たいこ
東京・軽井沢・福井、3拠点の循環で
得たもの、不要になったもの

福井で見つけた、海の目の前のリノベ古民家

海まで歩いて50歩。
水着を着たまま家を飛び出して、そのまま家に帰ってこられる。
海の目の前にある築100年を超える古民家のリノベーション住宅。
ここを生活拠点のひとつにしているのは、イラストレーターの松尾たいこさんだ。
「拠点のひとつ」というのは、ここが3つめだからである。

東日本大震災、そしてコロナ禍の影響で、2拠点生活を始める人が増えた。
東京からわりと近い長野、山梨、静岡あたりに移住、
もしくは拠点を構えることが人気だ。
ただ、もうひとつ拠点を増やし、
松尾さんのように3拠点生活をする人はまだそう多くはないだろう。

東京で長く暮らしていた松尾さんは、
まず2011年の東日本大震災後に、軽井沢との2拠点生活を始める。
避難の意味やすべての機能が東京へ集中していることへのリスク分散のためだ。

「当時は、軽井沢ということもあり、
2拠点というより別荘を借りた、くらいに見られていたと思います」

実際には、どちらでも仕事をできるようにして、生活の一部として機能させていた。
どちらも日常だ。

愛犬も一緒に拠点間を移動する。

愛犬も一緒に拠点間を移動する。

そして2015年、新拠点として選んだのは福井県だった。

「その頃、絵を描くことに自分のなかで少し行き詰まりを感じていて、
水墨画や日本画をやってみました。
そのひとつで陶芸にも挑戦してみたら、
自分の手でそのまま形をつくることにおもしろさを感じたんです」

こうして陶芸に興味を持ち、周囲にそんな話をしていたところ、
偶然、福井県に窯を持っている友だちがいて、そこへ通うようになった。
そのうちにもっと本格的にやってみたいと思うようになり、
〈越前陶芸村〉のなかに作業場がついた部屋を借りた。
すると、夫でジャーナリストの佐々木俊尚さんも福井に興味を持ち始め、
それならと、ふたりで拠点をつくることになる。

協力してくれたのは
NPO法人〈ふるさと福井サポートセンター〉理事長の北山大志郎さんだ。
美浜町にあり、築100年を超えるがリノベーション済みの古民家を紹介してくれた。

そもそも福井への接点もあった。
2006年頃から夫の佐々木さんが福井の企業などを取材したことがあり、
知り合いもいた。
それをきっかけにカニを食べに行ったり、鯖江にメガネをつくりに行ったり、
年1回程度は訪れるような土地だった。多少なりとも土地勘はあったという。

離れの納屋をリノベーションした仕事部屋。

離れの納屋をリノベーションした仕事部屋。

城崎温泉の「建築と温泉」 温泉宿を手がけた建築家8組の トークショー付き宿泊プランが登場

出版レーベルNPO法人〈本と温泉〉が主催。“建築家と温泉文化”“城崎温泉”を考える2日間

開湯1300年を誇り、関西屈指の温泉街として知られる城崎温泉。
2023年7月30日(日)、7月31日(月)に
「建築と温泉」と名づけたイベントを開催します。

近年、城崎温泉では、若手の旅館経営者と著名な建築家がタッグを組んだ
個性的な温泉宿が増えてきました。
「まち全体がひとつの旅館」という従来より城崎温泉にあった“みたて”を軸に、
建築家と共に古き良き温泉文化を更新しています。

「建築と温泉」では、建築家を交えたトークショーや、
温泉宿をはじめとする城崎周辺にある建築にあらためて触れることで
“建築家と温泉文化”、“城崎温泉”を考えます。

主催するのは、出版レーベルNPO法人〈本と温泉〉です。
短編小説『城崎にて』を書いた志賀直哉の来湯100年となった2013年に
城崎温泉旅館経営研究会によって立ち上げられました。

これまで「本と温泉」では
城崎温泉だけで買える出版物を発行するなどの活動を行なってきました。
今年が10周年であることを記念して「建築と温泉」が企画されました。
このイベントの内容も、冊子形式の『建築と温泉』として
2023年末に発行される予定です。

8組の建築家によるトークショー。

『建築と温泉』のメインイベントは8組の建築家が登壇するトークショーです。
7月31日(月)13時にスタートするイベントでは
城崎温泉の個性的な宿を手掛けた著名建築家が会場に勢揃いします。
トークショーは、対象となる8つの宿の限定宿泊プランとセットになっています。

トークイベントに参加するのは8組の建築家です。
顔ぶれは魚谷繁礼氏、垣田博之氏 、小林恭氏・マナ氏(IMA) 、笹岡周平氏(わさび)、
二俣公一氏(ケースリアル)、堀部安嗣氏、松井亮氏、
吉田愛氏(サポーズ・デザイン・オフィス)。
それぞれ城崎温泉の温泉宿を手がけました。

魚谷繁礼氏が手がけた旅館〈つばき乃〉の玄関とフロント。大きな窓と吹き抜けを設けました。

魚谷繁礼氏が手がけた旅館〈つばき乃〉の玄関とフロント。大きな窓と吹き抜けを設けました。

魚谷繁礼氏は100年以上も前に建てられた〈つばき乃〉の建物に、
その雰囲気やパワーを崩さず、現代のモダンなニュアンスや遊び心を加えました。

垣田博之氏が手がけた〈UTSUROI TSUCHIYA ANNEX〉は元消防署。カフェが併設されています。

垣田博之氏が手がけた〈UTSUROI TSUCHIYA ANNEX〉は元消防署。カフェが併設されています。

築47年の消防署が元となっている異色の宿〈つちや〉は、外国人観光客がターゲット。
垣田博之氏が新たな輝きをもたせた空間に生まれ変わらせました。

〈こぢんまり〉では、IMAの小林恭氏とマナ氏が手がけたうち、1部屋には大きな窓にソファーベンチが設置され、城崎温泉街の景色をのぞめます。

〈こぢんまり〉では、IMAの小林恭氏とマナ氏が手がけたうち、1部屋には大きな窓にソファーベンチが設置され、城崎温泉街の景色をのぞめます。

小林恭氏とマナ氏は、城崎で一番小さな宿をうたう〈こぢんまり〉で、
ふたつある客室をリニューアルしました。
また、お土産物屋のスペースも小林恭氏、マナ氏によるものです。

笹岡周平氏は〈錦水〉の一室を〈tupera tupera〉の絵本『城崎ユノマトペ』の世界が感じられる部屋に。

笹岡周平氏は〈錦水〉の一室を〈tupera tupera〉の絵本『城崎ユノマトペ』の世界が感じられる部屋に。

笹岡周平氏は〈錦水〉で、
本と温泉の出版プロジェクトのひとつ
「城崎ユノマトぺ」をつくったアートユニット〈tupera tupera〉と
ファミリー向けの客室を手がけています。

秋田市〈ヤマキウビル〉。
3つのリノベプロジェクトで
“見放された地”亀の町が人気エリアに。

See Visions vol.3

こんにちは。株式会社See Visionsの東海林諭宣(しょうじ あきひろ)です。
第3回目となります。よろしくお願いします。

今回は〈ヤマキウビル〉の後編です。
前編は、〈酒場カメバル〉〈サカナカメバール〉に続く
3つ目の“まちの共有地づくり”を目指して見つけた空きビル
〈ヤマキウビル〉をお借りするため、オーナーへの交渉に踏み出した時期のお話でした。

今回は、3つ目の拠点ができたことによる
「開業後の運営と変化の兆し」をお伝えいたします。

まちに関わる人を増やしたい

オーナーへ2度のダイレクトアタックを試みるも、
交渉のテーブルに着くまでに至らず、時は過ぎていきます。

それでもなぜ立ち向かい続けるのか。その気持ちの根源について、
「"まちの共有地"は廃れていく秋田に、きっと必要なものだ!」という高尚な思いは、
実はほんの少しであり、大部分を占めていたのは、古くて使われていないものに
自分たちが変化を起こすことで、まちに関わる人が増えていくことへの期待感と楽しさでした。

それは、前回までの酒場カメバル、サカナカメバールで実証され、
着実に結果が出ていたからです。

ビルの賃貸借契約のキーマン現る

そんなときに朗報が届きます。
1拠点目として立ち上げた酒場カメバルに、
ヤマキウビルオーナーのご子息の小玉康明さんがお客様としていらしている、と。

僕は急いで『亀の町プロジェクト ヤマキウビル活用のご提案』の
プレゼンシートを持ってカメバルに行き、
不躾(ぶしつけ)にも康明さんの隣の席でプレゼンを始めました。

これまでにもヤマキウビルの敷地は、ビルを壊してマンションにしないか、
葬儀場にしないか、スーパーにしないか、など大きな企業からも引き合いがあったものの、
康明さんにはどれもピンとこなかったそう。
その理由のひとつとして「まちが新しく変わっていくのは悪いことではないけれど、
それまでなじみのあった建物や景色が壊されることへの寂しさがあった」といいます。

僕たちの提案は「まちの風景はそのままに、建物をリノベーションして活用する」でした。
それならばとヤマキウビルのオーナーであり、康明さんのお父様である
康延(やすのぶ)社長にプレゼンする機会をいただくことに。

康明さんと出会うことができたのも、酒場カメバルという場所をつくったからこそ。
さらに、亀の町に新たな人の流れが生まれていたことに
康明さんが信頼と期待を寄せてくれていたことも、大きな要因だったと確信しています。

1店舗目の酒場カメバル。

1店舗目の酒場カメバル。

貸すつもりがないオーナーに、いざプレゼン

康明さんにも同席していただき、ついに康延社長にプレゼン。
一緒にプレゼンをしに行ったプロジェクトメンバー曰く、
僕は相当緊張していたようでした(笑)。

緊張を抱えながらもていねいに思いを伝え、
ようやく康延社長からヤマキウビルをお借りすることに承諾をいただくことができました。

さらには、設備・内装の工事費用として数千万円を投資していただき、
家賃で返済していくという事業スキームの提案も受け入れていただけることに。
不動産投資をしている〈株式会社ヤマキウ〉だったからこそ、ご理解をいただけたものでした。

当時について、康明さんはこのように振り返ってくれました。

「資料など見た目にはキレイだが、どこか夢物語で誇大表現にも思えるプレゼン。
しかもそんなに滑舌がよくない(笑)。しかし、熱意だけは伝わってきて、
東海林さんが本気であることがわかりました。

父に受け入れた決め手は何かと聞くと、“勘”だといいます。
人生を積み上げてきた人間の勘とは、思いつきではなく経験に由来するもの。
意識しなくても伝わってくる情報から、自然に判断することであると話してくれました」

こうして3拠点目となる、ヤマキウビルのリノベーションが始まります。

緊張のなか、初めての現場調査。

緊張のなか、初めての現場調査。

図面は50年ほど前のもので、詳細を見ることができなかったので、
現地調査であらためて建物の全貌が見えてきました。
強固な鉄筋コンクリート3階建てのビルで、屋上からは亀の町を見晴らすことができます。

別府市〈TRANSIT〉と
各地のアート拠点の事例から考える
アーティストと地域の関係

photo:Takashi Kubo 写真提供:NPO法人BEPPU PROJECT

別府に誕生した、クリエイターと地域をつなぐ拠点

別府市に2023年1月に誕生した、別府市創造交流発信拠点〈TRANSIT〉。
昭和3年に建てられ、電話局や児童館などさまざまな用途に使われてきた
国登録有形文化財の建物〈レンガホール〉の1階の一部をリノベーションし、
展示室と相談室が開設された。

展示室ではアーティストや地域のクリエイターの作品を展示したり、
相談室ではアーティストやクリエイターからの移住相談や
地域課題についての相談を受け付けたりしている。
ここから別府の芸術文化を発信するだけでなく、
移住促進や、企業や市民とクリエイターをつなぐ拠点となることをめざすという。

同じく別府の〈GALLERIA MIDOBARU〉の空間設計も手がけた建築設計事務所〈DABURA.m. Inc.〉によりリノベーションされた〈TRANSIT〉が入る〈レンガホール〉。(photo:Takashi Kubo 写真提供:NPO法人BEPPU PROJECT)

同じく別府の〈GALLERIA MIDOBARU〉の空間設計も手がけた建築設計事務所〈DABURA.m. Inc.〉によりリノベーションされた〈TRANSIT〉が入る〈レンガホール〉。(photo:Takashi Kubo 写真提供:NPO法人BEPPU PROJECT)

別府市ではこれまで、1998年から「別府アルゲリッチ音楽祭」、
2009年からは「混浴温泉世界」「in BEPPU」などの芸術祭、
2010年から市民参加の文化祭「ベップ・アート・マンス」など、
さまざまなアートに関する取り組みをしてきた。
その結果、2017年の調査では、2009年以降の
アーティストやアートに携わる移住者が120名にもなったという。

そこで2022年、アーティストやクリエイターに特化した移住定住促進の政策を策定。
地域の課題に向き合うクリエイターや、
新たな価値を創出しようとするアーティストの力を地域資源と捉え、
地域の活力再生に向けた好循環をめざすというもの。
また、2030年までに移住者を1200名にすることを目標に掲げている。

そのモデルエリアに別府市の南部・浜脇地区を指定し、
ハブとなる拠点として誕生したのがTRANSITなのだ。

別府では2008年からアーティスト・イン・レジデンスのプログラム「KASHIMA」や、
2009年からはアーティストが暮らしながら制作する
「清島アパート」の活動も続いており、
アーティストの存在は地域の人にも認められつつある。
今後は南部・浜脇エリアの空き家を活用しながら、
アーティストの活動拠点となる施設を増やしていくという。

TRANSITで、清島アパートで活動するアーティストたちの活動を紹介した『こんにちは、清島アパートです。』の展示風景。(写真提供:NPO法人BEPPU PROJECT)

TRANSITで、清島アパートで活動するアーティストたちの活動を紹介した『こんにちは、清島アパートです。』の展示風景。(写真提供:NPO法人BEPPU PROJECT)

TRANSITの相談窓口では、空き家や空き店舗のマッチングや、
地域課題を解決するためにクリエイターの力を借りたいという市民や
企業の相談なども受け付ける。
移住してきたアーティストの才能や職能と、地域や企業の課題をマッチングし、
商品・サービスの開発や賑わいづくりなどに生かすことで、
アーティストの活躍機会を拡大し、別府の活性化につなげることが狙いだ。

一方アートプロジェクトも、2016年から続けてきた、
毎年ひとりのアーティストを招聘する個展形式の芸術祭「in BEPPU」は一時休止し、
2022年からは新たに「ALTERNATIVE-STATE」というプロジェクトが始動。

このプロジェクトでは4年間で8つの作品を制作し、別府市内各所に長期設置する。
これまで期間限定のイベント形式で作品を公開してきたが、
いつでも鑑賞できる作品とすることで、
文化的観光資源として活用されることを狙っている。
これまでに、サルキスとマイケル・リンの作品を設置。
第3弾にはトム・フルーインを迎え、アクリルパネルを使った作品を制作予定だ。

[ALTERNATIVE-STATE #1] マイケル・リン『温泉花束』撮影:山中慎太郎(Qsyum!) ©︎混浴温泉世界実行委員会

[ALTERNATIVE-STATE #1] マイケル・リン『温泉花束』撮影:山中慎太郎(Qsyum!) ©︎混浴温泉世界実行委員会

[ALTERNATIVE-STATE #8] サルキス『Les Anges de Beppu』撮影:山中慎太郎(Qsyum!) ©︎混浴温泉世界実行委員会

[ALTERNATIVE-STATE #8] サルキス『Les Anges de Beppu』撮影:山中慎太郎(Qsyum!) ©︎混浴温泉世界実行委員会

これら別府のアート活動の運営を担ってきたのが〈BEPPU PROJECT〉。
TRANSITも別府市の事業をBEPPU PROJECTが受託し運営している。

そのTRANSITで、KASHIMAの関連企画として、
3月18日に「地域にアーティストがいること」と題されたシンポジウムが行われた。
秋田市のNPO法人〈アーツセンターあきた〉の事務局長を務める三富章恵さん、
松戸市の〈PARADISE AIR(パラダイスエア)〉ディレクターで建築家の森純平さん、
東京・吉祥寺の〈Art Center Ongoing〉代表の小川希さんが登壇。
ここで発表された、それぞれの事例を紹介していこう。

北九州市〈寿百家店〉。
商店街をリノベーション。
シャッターを開き、商いとともに暮らす

タムタムデザインvol.8

福岡県北九州市で建築設計事務所を営み、転貸事業や飲食店運営を行う
田村晟一朗(たむら せいいちろう)さんによる連載です。

今回は北九州市八幡西区の黒崎にある商店街の一角
〈寿通り〉のリノベーションについてお届けします。
活動のテーマは「商いとともに暮らす」。
まるで百貨店の中身をまちに散りばめるように、
シャッターが降りた商店街に地域の専門店をオープンさせ、
それらの2階をシェアハウスにするプロジェクト〈寿百家店〉について、
前後編に分けてお送りします。

暗い寿通りでポツンと営業するお店

2016年、北九州市八幡西区の黒崎というまちに、
僕が足しげく呑みに行くワインバーがありました。
〈トランジット〉という名前で、カウンター席が5席ほどの小さなお店。

そのトランジットがある〈寿通り〉は黒崎駅から徒歩7分ほどです。
ちなみに黒崎駅は北九州市内で小倉に続く第2の商業エリアであり、
駅前には戦後から人々の暮らしを支える商店街があり栄えてきましたが、
年々人通りが減り、空き店舗が目立つようになっていました。

〈寿通り〉はその大きな商店街に挟まれた小さな通りで、
当時は13店舗中、5店舗しか営業してない見事なシャッター商店街でした。

2015年当時の寿通り。昼間でも店は営業していなかった。

2015年当時の寿通り。昼間でも店は営業していなかった。

当時の寿通りの内部の様子。シャッターは落書きだらけで治安も良くなかった。

当時の寿通りの内部の様子。シャッターは落書きだらけで治安も良くなかった。

そんな通りでひっそりと活動していたトランジットのオーナーが、
福岡佐知子さん(以後、さっちゃん)。
普段はPR/広報の事業を生業としており、昼間はこの店を事務所に、
夜はワインバーにして、おもしろい活用をしていました。

さっちゃんは日々「この通りを元気にしたいのよね」と話し、
そのまちづくりにかける想いは熱く、僕と誕生日が2日しか違わない
同い年だったこともあり意気投合。
それがトランジットに通う理由でもありました。

暗い寿通りでポツンとトランジットは営業していた。

暗い寿通りでポツンとトランジットは営業していた。

人々が集まり、通りにはみ出ている様子。

人々が集まり、通りにはみ出ている様子。

暗い夜の通りのなかで、このお店だけがふわっと明るく、
さっちゃんの人柄もあり、そこはまちの拠りどころのような存在になっていました。
僕は勝手に「まちづくり系ガールズバー」と呼んでいたのですが(笑)、
このお店が居心地よく、いつのまにか人が集まる場所になっていたのは
自然の摂理かも、と思います。

山形市の児童遊戯施設〈シェルター
インクルーシブプレイス コパル〉は
何をデザインしたのか?

写真提供:コパル

この連載は、日本デザイン振興会でグッドデザイン賞などの事業や
地域デザイン支援などを手がける矢島進二が、
全国各地で蠢き始めた「準公共」といえるプロジェクトの現場を訪ね、
その当事者へのインタビューを通して、準公共がどのようにデザインされたかを探り、
まだ曖昧模糊とした準公共の輪郭を徐々に描く企画。

第1回は、2022年度グッドデザイン・ベスト100を受賞した、
山形市南部児童遊戯施設〈シェルターインクルーシブプレイス コパル〉(以下コパル)の
色部(いろべ)正俊館長に話を聞いた。
コパルは2023年4月に「2023年日本建築学会賞(作品)」も受賞するなど、
建築作品としても話題になっている。

すべてが公園のような建築

矢島進二(以下、矢島): 今日はよろしくお願いします。
いきなりですが「準公共」と聞いてピンときましたか?

色部正俊(以下、色部): 実は民間と公共が合わさって、
それぞれの良さを持ついい言葉はないかとずっと考えていたのです。
今回「準公共」というワードを聞いて「これだ!」と思いました。

〈シェルターインクルーシブプレイス コパル〉色部正俊館長。

〈シェルターインクルーシブプレイス コパル〉色部正俊館長。

矢島: では、最初にコパルはどんな施設かを教えてください。

色部: コパルは2022年4月に山形市南部にできた児童遊戯施設です。
「すべてが公園のような建築」をコンセプトに、
雨天時や冬の期間でものびのびと遊べる施設で、障害の有無や国籍、
家庭環境の違いにかかわらず、すべての子どもたちに開かれた遊びと学びの空間です。

入口を入ると壮大な木造ドームの体育館に迎えられる。背後には蔵王連峰の山並みが稜線に沿って見えるように窓の位置が工夫され、一枚一枚大きさや形の異なるガラスが使われている。

入口を入ると壮大な木造ドームの体育館に迎えられる。背後には蔵王連峰の山並みが稜線に沿って見えるように窓の位置が工夫され、一枚一枚大きさや形の異なるガラスが使われている。

矢島: 設計事務所は、大西麻貴さんと百田(ひゃくだ)有希さんの
〈o+h(オープラスエイチ)〉ですね。
建築・外構・遊具が一体となったデザインで、
スロープでひとつながりに回遊できる構成など、建物全体が遊び場という斬新な計画で、
これまでまったく目にしたことのない画期的な建築です。
コパルをつくることになった経緯を教えてください。

色部: そもそもは、2015年度に山形市が策定した
「山形市発展計画」重点施策のひとつに、「子育てしやすい環境の整備」を掲げ、
新たな子育て支援拠点を市南部に整備すると定めたことが起点です。

市の北西部には2014年に〈べにっこひろば〉という子育て支援施設ができ、
年間25万人以上が来館する人気施設になっているのですが、
混雑の解消など、いくつか課題が見えてきました。
そのため、南部での計画では、新しいふたつの前提条件が提示されました。

ひとつ目は、政府も推進し始めた「PFI*の導入」です
(べにっこひろばは市の直営で整備し、運営は市の指定管理方式)。
ふたつ目は、要求水準書に「障害の有無や人種、言語、家庭環境等にかかわらず、
多様な個性や背景を持ったすべての子どもたちを対象にする」
と記載されていたことです。
「インクルーシブ」という表現はまだありませんでしたが。

*PFIとは「プライベイト・ファイナンス・イニシアティブ」の略で、公共施設などの設計・建設、維持管理、運営や公共サービスの提供などを、民間の資金と経営能力などを活用し、民間主導で行うこと。コパルの場合は、特別目的会社(SPC)が設計・建築し、完成後に市へ所有権を移転したうえで、SPCが指定管理者指定を受け、15年間の契約で運営・維持管理を行う「BTO方式」を採用。

法律的には、児童福祉法第7条に規定する「児童厚生施設」と、児童福祉法第6条の3の第6項に規定する地域子育て支援拠点事業としての「子育て支援センター」を併設する施設。

法律的には、児童福祉法第7条に規定する「児童厚生施設」と、児童福祉法第6条の3の第6項に規定する地域子育て支援拠点事業としての「子育て支援センター」を併設する施設。

ストローベイルハウスを
セルフビルドして始める。
弟子屈町の“ドイツ村”計画とは?

藁と土が主役の家を、セルフビルドで

彼の名前はパスカル。ベルリン出身の36歳。
2年前から弟子屈町に、ストローベイルハウスを建設中。
ストローベイルハウスとは、藁と土を使ってつくる家。
パスカル曰く「生き物」である。

ササのジャングルのようだった荒れ地を
草刈りして、整地して、排水を整えて。
カラマツ材で外枠を組み、屋根や窓枠もつくり……、
果てしない作業をひとりでこなしてきた。

そしてまもなく1棟目が完成する。

パスカルの故郷でよく目にする、白い壁と木材が調和した家は、小さなバルコニーが特徴。

パスカルの故郷でよく目にする、白い壁と木材が調和した家は、小さなバルコニーが特徴。

「いま建てているのは、〈メルヘン〉という名のゲストハウス。
南ドイツでよく見かける、窓枠に小さな花台がある家をイメージしているんだ」

約60平方メートルの家。
家の壁は、まず棚をつくり、そこに藁のブロックを積み上げて、表面に土を塗る。

「土は、敷地内の粘土を使っている。
周りの地面をショベルカーで1メートルくらい掘ると、粘土層が出てきたんだ。
これがストローベイルには最適な土で、気づいたときは、とてもうれしかったね」

粘土の上に麻を載せ、さらにファイバーネットを重ねる。
パスカルは、土の壁に入った小さなひびを指差して、
「こうした隙間に麻やネットの繊維が入り込んで、
壁の強度がより高まるんだ」と教えてくれる。
さらにその上から漆喰を塗って、やっと壁が完成する。

「藁と土を使うことで、
いつもフレッシュな空気が壁を通して入ってくる。
ストローベイルハウスは、“呼吸する家”なんだ」

常に室内温度は15〜20度に保たれ、
夏は涼しく、冬は暖かい。一年中過ごしやすいそう。

「コンクリートで固めた家よりも、
ずっと健康的に暮らすことができると思っているよ」

秋田市〈ヤマキウビル〉
亀の町の半径60メートルを
エリアリノベーション

See Visions vol.2

こんにちは。〈株式会社See Visions〉の東海林諭宣(しょうじ あきひろ)です。
第2回目となります。よろしくお願いします。前回は、2006年の会社設立から、
2013年からスタートした〈酒場カメバル〉の立ち上げを通して感じた
「まちの共有地づくりの始まり」についてのお話でした。

今回は、その後2015年にオープンした〈ヤマキウビル〉の
リノベーションプロジェクトがテーマです。
〈ヤマキウビル〉の前にオープンした弊社が運営する2店舗目
〈サカナカメバール〉も絡めながら、少し詳しく前編「開業までのプロセス」と
後編「開業後の運営と兆し」に分けてお伝えいたします。

連続して共有地をつくる決意をする

2013年に亀の町で〈酒場カメバル〉を開き、
自分自身がまちのプレイヤーとなったことで、
これまでとは少し「角度の違う視点」でまちを見ることができるようになりました。

「角度の違う視点」とは、「今ここに必要なコンテンツは何か」と
「それは誰が(運営)できるのか」と考えることであり、
そうすることでまちの景色が魅力的に見えてきます。
それは長年住んでいる、または普段からその場所を利用している方々には
見つけにくいことなのかもしれない、ということにも気がつきました。

カメバルを訪れた方々もあらためて、見逃していた"余白"となっている場所に
魅力を感じ始めていたようです。
毎夜、カメバルのカウンターでは「亀の町に〇〇があったらいいなぁ」
「飲食店をやりたいって言っている知り合いがいるけど、
亀の町でやったらいいんじゃないか」など、楽しい談義が行われるようになりました。

カメバルはいわゆる亀の町エリアの「拠点」となって、関わる方が増え、
人材が発掘されたり、周辺の空き店舗の相談や情報が集まったりすることが多くなりました。
それは、亀の町エリアの熱量の高まりを予感させるものでした。

酒場カメバルのカウンターでは夜な夜なまちの可能性が語られる。

酒場カメバルのカウンターでは夜な夜なまちの可能性が語られる。

この熱を生かすことが必要だと感じたものの、僕たちの生業はデザイン会社であり、
飲食業や小売店などまちのプレイヤーとなる方々のお手伝いをするのが本業です。
自らが店舗の拡大を目指すことで、デザイン会社としての本分を
逸脱してしまうのではないか、という懸念もありました。

しかし、そもそも会社の成り立ちを振り返ると
「僕たちが暮らすまちにある課題を事業で解決し、住みやすく楽しい場所にしていくこと」
も必要であると感じていたので、やはりこの事業はやるべきことだと認識し、
「1年に1店舗ずつ、3年間で3店舗」という目標を社内で決定したのです。
ここから、僕たちは「亀の町のエリアリノベーション構想」へ前進することになります。

本家尾張屋&写真家・稲岡亜里子
海外で撮る写真家視点を生かし、
京都の老舗そば屋を受け継ぐ

アイスランドの水と京都の水

1465年(応仁の乱の前年)創業、京都にある老舗そば・菓子店〈本家尾張屋〉の
16代目当主は、稲岡亜里子さんだ。
アイスランドで撮影した『SOL』(2008年)、
『EAGLE AND RAVEN』(2020年)という
写真集を発売している写真家でもある。

歴史を感じさせる本家尾張屋。

歴史を感じさせる本家尾張屋。

稲岡さんは、本家尾張屋の長女として生まれ育った。
かつては金閣寺の近くに住んでいたという。

「子供の頃の自宅は洋風の家で、家の中でも土足で生活していました。
でもお店にくると“ザ・ニッポン”だし、遊びに行くのもお寺とか」

小学校高学年から高校2年生まで過ごした稲岡さんの実家の部屋。今では暗室も設置している。

小学校高学年から高校2年生まで過ごした稲岡さんの実家の部屋。今では暗室も設置している。

当時はまだ家業の意味は認識していなかった。
むしろ子どもの頃から京都、そして日本という狭い世界から
飛び出したいと思っていたという。

「母が60年代にフランスに住んでいたことがあって、
よくフランス人の友だちが遊びにきていました。
その人たちは、日本人よりも表現豊かでハグとかもしてきて、
“私はこの人たちの感覚が好きだ”と思っていましたね。
みんながアイドルを追いかける頃、私はマドンナが好きだったり。
とにかく早く海外に行きたかった」

京都とはいえ、当時はまだ移住者も少なく、観光客も今ほどではない。
小さな社会でどこへ行っても“尾張屋さん”と呼ばれて、
自分のことを知られている環境。
「誰も自分のことを知らない土地に行きたい」という気持ちを抱くのもわかる。

こうして高校からアメリカへ留学し、
ニューヨークの〈パーソンズ美術大学〉で写真を学ぶ。
卒業後も6年間はニューヨークを中心に、日本と行き来しながら写真家として活動。
帰国後もしばらくは、東京で写真家として活動していた。

手にしているのが写真集『SOL』(赤々舎)。

手にしているのが写真集『SOL』(赤々舎)。

日本や京都に徐々に思いを馳せるようになった作品がある。

「2001年にニューヨークに住んでいるときに、
アメリカ同時多発テロ事件がありました。
その翌年、偶然アイスランドに行き、
水の写真を撮って癒やされている自分がいました。
もう夢中になって撮っていましたね。
きれいな水を見ているだけですごく元気になる。
水の強さ、素晴らしさを感じました」

その後、6年間通うことになるアイスランドで撮っていた風景と、
京都との共通点を感じたという。

「京都の御所とか、神社など、子供の頃の記憶とつながりました。
京都は水がきれいだったんだなと。
仕事で世界各国に行きましたが、
鴨川のようにきれいな川がまちの真ん中を流れている場所はあまりなくて。
そのときに、京都の美しさは当たり前ではないんだということに気がついたんです」

同時に、そばにとっても水は重要。
「京都の水とともに500年以上ある家」であることを強く認識した。

「自分はものづくりをしているほうが楽しいし好きです。
でも水を通して、ここを守っていきたいという気持ちになりました」

こうして、2011年に京都に戻り、本家尾張屋を継ぐことを決意する。

昨年行われた国際写真展『KYOTOGRAPHIE』にて展示されたアイスランドの写真。

昨年行われた国際写真展『KYOTOGRAPHIE』にて展示されたアイスランドの写真。

〈KAAT 神奈川芸術劇場〉 は 劇場をまちに“ひらいて”いく。 県民劇『虹む街の果て』 2023年5月上演

より多くの人に劇場の魅力を感じてほしい

観劇という経験は、非日常的で特別なもの。
同時に劇場を日々の暮らしから遠く感じて、
滅多に足を踏み入れる機会がないという人も少なくないはずです。

〈KAAT 神奈川芸術劇場〉 、通称KAAT (カート)

〈KAAT 神奈川芸術劇場〉 、通称KAAT (カート)は、
横浜中華街や山下公園から近いアクセスのよい場所にあります。
神奈川県による舞台芸術をメインとした施設として2011年1月にオープン。
開館以来、創造型劇場として演劇やミュージカル、ダンス公演など
上質な舞台芸術を提供してきました。

そのKAATで、一般の神奈川県民を中心とした人たちが演者として参加する
県民劇『虹む街の果て』が上演されます。

2021年初演『虹む街』より 撮影:田中亜紀

2021年初演『虹む街』より 。 撮影:田中亜紀

この作品は、2021年に庭劇団ペニノのタニノクロウさんが作・演出した
『虹む街』のリクリエーションです。

飲食店の多い横浜市野毛地区を舞台として、
一般の神奈川県民と一緒に舞台を創ることを目指した演目で、
『虹む街の果て』では
2021年上演の『虹む街』から10年、20年、さらに100年が経ったまちが舞台です。

KAATでは2021年に演出家の長塚圭史さんが芸術監督に就任したあと、
劇場に季節感、リズム感を生み出そうと4月から8月までをプレシーズンと位置づけ、
開館以来夏に続けているKAATキッズ・プログラムに加えて、
ますます劇場をまちに“ひらいて”いくために、さまざまな仕かけを考えてきました。

2021年のプレシーズンに行う演目のため、
長塚さんとタニノさんは、それぞれにまちで取材を行いました。
そこで判明したのは、横浜の近隣に住む人たちさえ、
思っていた以上にKAATの存在を知らないということ。

歴史はまだ浅いものの、
演劇界や愛好家の間でKAATの存在感が確実に上がっていただけに、
「関係者はずいぶんショックを受けた」と話すのは副館長を務める堀内真人さん。

KAAT神奈川芸術劇場の副館長で事業部長でもある堀内真人さん。

KAAT神奈川芸術劇場の副館長で事業部長でもある堀内真人さん。

「今まで劇場に足を運んだことのない方、興味を持ったことがない方に、
どうやったら劇場の魅力、 演劇やダンスの魅力を知ってもらえるか、
とにかく考えようということになりました」

ゲストハウスから空き物件の紹介まで。
歩いて楽しいまちを目指す
〈ワカヤマヤモリ舎〉

古いビルをリノベーションして複合ゲストハウスに

和歌山市の中心部にある〈Guesthouse RICO〉(以下、RICO)は
5階建てのビルに宿泊、賃貸アパート、コワーキングスペース、
バー&ダイニングなど複数の機能を併せ持つゲストハウスだ。

数日間の旅行のために滞在する人もいれば、仕事のために数か月単位で長期滞在する人、
週末だけ過ごす学生や、ふらっとコーヒーを飲みにくる人もいる。
「RICOに行けば、おもしろい人やコトに出会える」と認識している地元の人も少なくない。

2015年のオープン以来、人が途絶えない、まさにコミュニティの渦のような場所。
だから「僕はゲストハウスをするつもりはなかったんです」と、
オーナーの宮原崇さんが語るとちょっとびっくりしてしまう。

宮原さんは、和歌山県和歌山市出身。
地元の大学で建築を学んだあと、神戸と大阪で建築事務所に勤務。
一級建築士の資格を取得し、独立しようかなと思っていたなか、
「リノベーションスクール@和歌山」に参加したのがすべての始まりだ。

RICOを運営するワカヤマヤモリ舎代表の宮原崇さん。ゲストハウス運営とまちづくりの企画・運営の傍らで設計の仕事も手がける。

RICOを運営するワカヤマヤモリ舎代表の宮原崇さん。ゲストハウス運営とまちづくりの企画・運営の傍らで設計の仕事も手がける。

「独立するとしても、設計だけを生業にするよりは
自分で手を動かして、古い建物を改修したり、
そこに新しいコンテンツが入るようなことができればと思っていたんです。
そんなときにリノベーションスクールが和歌山市で開催されると知って
寂れつつある和歌山のために何かできたら、と思って参加しました」

リノベーションスクールは、遊休不動産を活用した事業計画を
チームで作成する短期集中型のワークショップ。
全国規模で展開され、実際に事業展開につながる実例もたくさんある。
宮原さんたちが担当することになった建物、
つまり現在〈RICO〉が入居するビルは、
タクシー会社が所有して、長年アパートとして使われていた。

RICOが入居するユタカビル。1階はゲストハウスのロビー、コワーキングスペース、バー&ダイニング、2階と3階が賃貸アパート、4階から5階がゲストハウス。

RICOが入居するユタカビル。1階はゲストハウスのロビー、コワーキングスペース、バー&ダイニング、2階と3階が賃貸アパート、4階から5階がゲストハウス。

北九州市〈Oneness Coffee Brewers〉
家族のクリーニング店がカフェに。
まちの新たな拠り所へ

タムタムデザイン vol.7

福岡県北九州市で建築設計事務所を営み、転貸事業や飲食店運営を行う
田村晟一朗(たむら せいいちろう)さんによる連載です。

今回のテーマは、小倉にある店舗兼住居のリノベーション。
家族で営むクリーニング店をカフェへと改修し、新しいまちの拠り所になりました。
家族の思い出やアンティーク品など、時を積み重ねたアイテムを織り込んだ
空間ができるまで、そのプロセスをご紹介します。

商店街ならではの店舗兼住宅

2018年4月、知人を通じてカフェの設計のご相談を受けました。
依頼主は津村茂樹(つむら しげき)さんという男性。
周りからはツムツムさんと呼ばれていました。
タムタムとツムツムというだけで親近感を覚えたのは、いうまでもありません(笑)。

初めて弊社にいらっしゃったツムツムさんは、
身長が185センチ(体感190センチ)くらいあって
シュッとしてセンスもよく、僕のなかでは完全に“イケてる大人枠”に入っていました。
お話をうかがうと、アートや骨董品などの時代を経たものがお好きで、
僕ともすごく気が合う方だなと思ったことを覚えています。

ご相談としては、ご実家の店舗兼住宅をリノベしたいという内容でした。
小倉北区黄金の商店街の入り口にある物件。
当時はツムツムさんのお父さん(以後、ツムパパ)が
1階でクリーニング店と氷店を営んでおり、
2階が住居という商店街ならではのつくりでした。

着手前の写真。1階がクリーニング店と氷店、2階が住居だった。

着手前の写真。1階がクリーニング店と氷店、2階が住居だった。

このクリーニング店を閉め、ツムツムさんがツムパパから譲り受け、
一念発起してカフェを開業するというお話でした。

ツムツムさんは当時、公務員として勤めながら独立の準備として
オフタイムにいろんなコミュニティで自ら淹れたコーヒーを振る舞ったり、
お店がオープンする告知をしたり、とても精力的に活動されていました。
なので共通の知人も多く、
「タムタムさん、ツムツムさんのお店のデザインしてるんでしょ?」って聞かれました。
韻を踏んだ感じで楽しいですよね(笑)。

築90年、家族の歴史が詰まった家

さっそく現況調査に行きました。木造で建築面積が約19坪の総2階建て。
ご両親のお話から築90年にはなるという建物。そこから現況図を起こしました。

1階にはクリーニング店と氷店、それと以前、
ツムツムさんのお母さん(以降:ツムママ)がスナックをされていた名残がありました。
スナックの部分はリビングとして使われており、囲炉裏(いろり)があって、
団欒で火を囲んでいる様子がわかりました。
この1階の氷店は残し、そのほかの空間をカフェにしていきます。

2階は住居空間。天井裏を見てみると立派な小屋組(屋根部分の骨組み)があったので、
この小屋組は見せていきたいなと思いました。

天井裏を見る田村と、チラッと見える小屋組の様子。

天井裏を見る田村と、チラッと見える小屋組の様子。

ツムツムご一家は仲がよく、現場調査しているとき、
普段の会話からもその様子が伝わってきました。
特にツムママの料理がおいしいとのことで、
僕にもお食事のお誘いをいただいたりしました。

そんなご家族が暮らしてきたこの建物にはみなさんが愛着を持っており、
ツムツムさんも解体のときに出る廃材で使える部材があれば、
ぜひ残してほしいと相談も受けました。
本当に時を培ってきたモノや空間に対しての価値を
大切にされているんだなと感じたことを覚えています。

輪島塗や九谷焼などを1点1か月から。 伝統工芸品のレンタルサービス〈LIFT〉

伝統工芸品を気軽に楽しめる

石川県を拠点に輪島塗の製造販売を行う〈株式会社The Three Arrows〉が、
伝統工芸品のレンタルサービス〈LIFT〉をスタートさせました。

このサービスは、月額料金を支払うことで輪島塗や九谷焼、有田焼や江戸切子など、
全国各地の伝統工芸品を1点から気軽に自宅で利用が可能になるというもの。
使ってみたいけど敷居が高いと思われがちな伝統工芸品を少額で気軽に、
ひと月単位から使うことができ、気に入った場合は買い取ることもできるのが画期的。

伝統工芸品のレンタルサービス〈LIFT〉がスタート

返却も好きなタイミングで可能で、最低利用期間などの縛りもなし。
レンタルを続けていくと月額料金は下がって5か月目で満期になり、
6か月目以降は自分の所有工芸品として使うことができるのです。

有田焼商品(一部)

有田焼商品(一部)

輪島塗ぐい呑み

輪島塗ぐい呑み

レンタル方法については、
サイトで借りたい商品を見つけて申し込めば、月払いのレンタルが開始。
同時に同サービスのLINEのお友達登録をすることで、
商品の発送予定日や2か月目以降のお支払いや
返却タイミングなどの情報を事務局とタイムリーにやりとりできます。
レンタル期間中に誤って商品を破損させてしまった場合も、
翌月のレンタル料金を支払うだけ。それ以上のお支払いは必要ありません。

秋田市〈酒場 カメバル〉
“まちの共有地づくり”の始まり。
暗い路地に灯りと笑顔がもれる

See Visions vol.1

こんにちは。
秋田県秋田市で〈株式会社See Visions〉というデザイン事務所を運営している
東海林諭宣(しょうじ あきひろ)と申します。

2006年に秋田市で設立し、今はグラフィックデザイン、ウェブデザイン、
イベントの企画・運営、店舗デザイン、リノベーション、編集、出版、不動産、
施設運営、飲食店の経営など、事業は多岐にわたります。
ご依頼いただく内容はさまざまですが、過去のプロジェクトの共通点を挙げるとすれば
「そこに理由を見つけられた」こと。その価値を伝えるために、なぜ必要なのか、
なぜそこにあったのか、なぜ伝えたいのかを見出せることが、
私たちが動くモチベーションになっています。

多くの社会課題を抱える秋田県で事業を進めるなかで、私たちが、どんなことを考えて、
何を目指しているのか、全10回となるコラムを通してお伝えできればうれしいです。

初回となる今回は、2006年の創業から初のリノベーション事業となった
〈酒場カメバル〉についてご紹介します。

See Visionsのメンバー。2023年の初詣の風景。

See Visionsのメンバー。2023年の初詣の風景。

地元、秋田へUターン

2006年、秋田県でSee Visionsを設立しました。
東海林が東京で活動していた個人事務所の屋号をそのままいかした社名です。

大学を卒業後、就職氷河期といわれた時代に「自分の好きなことを仕事にしよう」と決め、
飲食店を中心とした店舗の設計・企画・デザインをする会社に勤めます。
やりたいことが仕事になった喜びで必死にデザインの基礎を学びました。
その後、都内でのフリーランスを経て、2006年に株式会社See Visionsを
秋田県秋田市で設立し、都内の仕事もあったので3年ほどは2拠点生活をしていました。

秋田県は若者の流出や少子化による過疎化、高齢化、経済面の弱体化など、
地方都市共通の課題を多く抱えています。データで見ても、出生率、婚姻率、死亡率が
ワースト1位で、「全国最悪のペースで進行する人口減少に歯止めがかからない」
というのが秋田県を取り巻く状況です。

Uターン直後はこうした秋田の厳しい状況を感じて日々を過ごしていました。
当初はデザイン料金を値切られることも多くありました。
デザインで飯を食うことの難しさを痛感していたものの、
デザイン事務所を開設する意義を「デザインとアイデアで笑顔をつくる」とすることで、
自分たちが住みやすく、楽しく生きていける環境をつくることができれば、自分にとって、
そして地域にとっての課題解決の一助になると信じ、奮い立たせる日々でした。

事務所近くにある公園で仲間たちと「たまご遊園地夏祭り」を企画し、開催した。

事務所近くにある公園で仲間たちと「たまご遊園地夏祭り」を企画し、開催した。

捨てられていた魚の皮を革に。 富山県氷見市で生まれた サステナブルな フィッシュレザーブランド〈tototo〉

魚1匹ずつで異なるウロコの形がユニークなフィッシュレザー

富山県の北西に位置する氷見市。氷見といえば、ブリを思い出す人も多いはず。
その氷見でブリをはじめとする魚の皮を、
革(フィッシュレザー)に加工するブランドがあります。

魚の皮を革(フィッシュレザー)に加工するブランドがあります。

フィッシュレザーブランド〈tototo〉が販売しているのは、ブリ、スズキ、鯛、
鮭の皮をなめし加工してつくった名刺入れや財布、スマホケースなどです。

ブリのレザー。

ブリのレザー。

フィッシュレザーの最大の特徴は、表面にそれぞれの魚が持つ鱗の形が浮き出ていること。
ほかに例のない素材であることに加え、同じ種類の魚でも、
ひとつひとつ異なる模様のユニークさや、
出世魚のブリを使った製品が就職祝いに向いていると
注目する人が増えてきました。

スズキのレザー。

スズキのレザー。

商品はネット通販のほか、東京やニューヨークのセレクトショップでも販売しています。

製品は使用感をよくするため牛革と組み合わせられています。

製品は使用感をよくするため牛革と組み合わせられています。

実験を繰り返してフィッシュレザーとしてなめす技術を確立

〈tototo〉代表の野口朋寿さん。実家は香川県のお寺だそう。

〈tototo〉代表の野口朋寿さん。実家は香川県のお寺だそう。

フィッシュレザーブランドtototoが生まれたのは、2020年4月のこと。
代表の野口朋寿(のぐちともひさ)さんは、
当時氷見市の地域おこし協力隊のメンバーでした。
というよりも、そもそも野口さんが地域おこし協力隊になったのは、
氷見でフィッシュレザーを開発することも目的のひとつだったのです。

野口さんが、魚の皮を革素材、レザーにすることに興味を持ったのは大学時代。
故郷、香川県の高校でも学んだ漆工芸をもっと学ぶため、氷見市の隣、
高岡市にキャンパスがある富山大学芸術文化学部に進みました。
4年生になった2016年、卒業制作には漆と趣味にしていたレザークラフト、
両方の要素を取り入れたいと考えていました。

漆と牛革、金箔などを組み合わせて作品を制作しながら、興味の方向は素材そのものへ。
自分でも生き物の皮を加工してみたいと考えた野口さんは、
鶏の皮で試してみようとスーパーに出かけました。
富山のスーパーは実に魚が豊富。「魚の皮ってレザーになるのかな」と
1尾のスズキを一緒に買ったことがフィッシュレザーへの入り口となりました。

しかし、そのときは鶏の皮でもスズキの皮でもレザーにすることに失敗。
それから氷見市内で魚の皮からレザーをつくろうとしているNPOの存在を知り、
一緒に実験を繰り返しました。しかし、なかなかレザーとして使えるものにはなりません。

かつて試行錯誤をした魚の皮の数々。魚屋さんに並ぶ魚は、ほとんど試しました。

かつて試行錯誤をした魚の皮の数々。魚屋さんに並ぶ魚は、ほとんど試しました。

動物の皮も魚の皮も、なめすという作業を経て革素材として使えるようになります。
余計な身や毛などを削ぎ取り、水分を乾燥させ、油分を取り除いて繊維だけの状態にして、
さらにしなやかで丈夫にするための素材を染み込ませるなど工程があります。
この過程がうまくいかないと途中で腐敗したり、魚なら魚臭さが残ったりしてしまいます。

金箔と当時のフィッシュレザーを組み合わせた野口さんの卒業制作。

金箔と当時のフィッシュレザーを組み合わせた野口さんの卒業制作。

野口さん自身は、なんとか卒業制作として
フィッシュレザーと漆を組み合わせたベストをつくりました。
そのベストは現在も工房に飾られていますが
「革が下敷きみたいにかたくて、着心地のいい物にはなりませんでした」と野口さん。

大学卒業後は一度富山を離れ、別の勉強をしながら、
ひとりでフィッシュレザーの実験を繰り返しました。試行錯誤を重ねた結果、
加工技術を確立させることに成功します。
しかし、その頃、氷見で一緒に実験をしていたNPOの活動が休止することに。
「ひとりでも氷見でフィッシュレザーの活動を続けられないかな」と考え始めます。
フィッシュレザーの商品と並行してできそうだと、
氷見市の地域おこし協力隊に参加することにしました。

氷見に住みながら、地域おこしとフィッシュレザーの活動を両立させ、
任期3年の2年目だった2020年に商品化にこぎつけたのです。

北九州市〈室町シュトラッセ〉。
通りからまちへ賑わいをつくる
空きビル再生プロジェクト

タムタムデザイン vol.6

福岡県北九州市で建築設計事務所を営み、転貸事業や飲食店運営を行う
田村晟一朗(たむら せいいちろう)さんによる連載です。

今回は北九州市小倉にある複合ビル〈室町シュトラッセ〉の後編をお届けします。

築45年の3階建てのビル。1階はオーナー事業によるテナント村で、
2〜3階は田村さんによる転貸事業としてサロンや共有ラウンジ、レンタルスペースに。
こうした計画のもとプロジェクトは進んでいきました。

空きビルが活気ある複合ビルに生まれ変わるまで。
田村さん自らがバーをオープンするという意外な展開も含め、
オープン前後の取り組みについてご紹介します。

未来予想図を持ってリーシングと仲間集め

前編でお伝えした、ゲストハウスの企画倒れで3か月は凹んだ時期から一転、
心が前向きになるとどんどんアイデアが生まれて行動も起こせるから不思議ですね。

あ、そもそもなぜ〈室町シュトラッセ〉という名前になったかというと、
まずはここが室町というエリアであること。そしてビルオーナーのTさんの甥っ子さんが
ドイツにある有名メーカーで活躍されていると聞いたことから、
ネーミングをドイツ語に由来させることにしました。

「Straße(シュトラッセ)」とはドイツ語で「通り」という意味。
歴史ある“長崎街道”に面するこのビルで
「ビルから通りへ、通りからまちへ、賑やかさを広げていこう」
という意味を込めてつけた名前です。ロゴはもちろん〈Linked Office “LIO”〉の仲間で、
グラフィックデザイナーの岡崎友則くん(vol.2参照)に頼みました。

長崎街道はオランダから砂糖や氷砂糖をメインに運んできた運搬道でもあったので、その氷砂糖をモチーフにしたロゴマーク。かわいい。

長崎街道はオランダから砂糖や氷砂糖をメインに運んできた運搬道でもあったので、その氷砂糖をモチーフにしたロゴマーク。かわいい。

ビルのファサードの未来予想図。側面の外壁を開口してビルの顔部分を増やす計画。

ビルのファサードの未来予想図。側面の外壁を開口してビルの顔部分を増やす計画。

九谷焼産業の “Question”に向き合う 〈QUTANI〉プロジェクト

海外でも愛される伝統の九谷焼。新しい価値を構築して未来へ

〈QUTANI〉は九谷焼産業に存在する疑問“Question”に向き合い、
さまざまな異業種とのコラボレーションを行なって、
疑問の明確化、問題点の改善に取り組むプロジェクトです。

〈QUTANI〉プロジェクトでは、
現代の住環境、トレンドに合わせた九谷焼の商品を開発したり、
これまでの常識に捉われない発想で九谷焼産業の再価値化を図ったりと、
未来の九谷焼を継続的に構築することを目指しています。

海外でも愛される伝統の九谷焼。これまでの常識とは異なる新しい価値を構築して未来へ

江戸時代前期に、現在の加賀市山中温泉九谷町で始まったとされる九谷焼。
石川県南部に位置する、金沢市、小松市、加賀市、能美市で生産され、
日本を代表する色絵陶磁器として発展してきました。

5種の絵の具が生み出す独特な重厚感と色彩のハーモニーは、時代を超えて多くの人を魅了し続ける

九谷焼は山水、花鳥など絵画的で大胆な「上絵付け」による装飾が美しく、
皿や茶碗のほか装飾品としても広く愛されています。
絵画的で華やかな上絵付けは「九谷五彩」と呼ばれる赤・黄・緑・紫・紺青の
絵の具が用いられ、それを使いこなす技法と呉須による効果的な線描が
九谷焼の特徴であるとともに最大の魅力です。

5種の絵の具が生み出す独特な重厚感と色彩のハーモニーは、
時代を超えて多くの人を魅了し続け、その彩法は時代の流れとともに変化し、
赤を使わない「青九谷」や赤絵金彩の「赤九谷」など、
九谷焼特有のさまざまな画風が生み出されてきました。

明治にかけて主流となった九谷庄三(しょうざ)の金襴手(きんらんで)という技法は、
「ジャパンクタニ」と称され世界的にも親しまれ、
貿易が盛んとなり、海外の著名人の多くに愛用されるなど、
伝統的な美術工芸品として国内はもちろん、海外での地位も確立。
また現代においても数多くの名工を輩出し、その技法は受け継がれています。

一方で、近年は廃業する製陶所が後をたたず、職人の数も減少。
新しいものを生み出すことが難しくなっています。

アートに染まる早春の京都。 「ARTISTS’ FAIR KYOTO 2023」 3月4日、5日開催

名勝庭園「渉成園(枳殻邸)」など3つのメイン会場で、
若手アーティスト40組の作品を展示

「ARTISTS' FAIR KYOTO」はアーティストが企画から出品までを自ら行う、
従来の枠組みを超えたアートフェアとして2018年にスタートし、
今回が6回目の開催となります。

伝統から革新を生み出してきた京都で、
アーティストが世界のマーケットを見据え、
次の次元へと活躍の場を拡大するアートの特異点を目指すアートイベントです。

『ARTISTS’ FAIR KYOTO』

出品するアーティストは、20代から30代の若手40組。
公募による選出のほか、ディレクターと世界的に活躍する15組のアーティストからなる
「アドバイザリーボード」が選出したアーティストたちです。

東京駅を設計したことでも知られる辰野金吾とその弟子、長野宇平治が設計した京都府京都文化博物館 別館。

東京駅を設計したことでも知られる辰野金吾とその弟子、長野宇平治が設計した京都府京都文化博物館 別館。

京都新聞ビル 地下1階。

京都新聞ビル 地下1階。

今回は、これまでも会場となっていた京都府京都文化博物館 別館、
京都新聞ビル 地下1階に加え、東本願寺の協力により
東本願寺飛地境内にある名勝庭園「渉成園(枳殻邸)」(しょうせいえん・きこくてい)が
展示会場に加わりました。

東本願寺飛地境内にある名勝庭園「渉成園(枳殻邸)」

東本願寺飛地境内にある名勝庭園渉成園(枳殻邸)。

今回新たに展示会場となった名勝庭園、渉成園(枳殻邸)は、
1641(寛永18)年に三代将軍、徳川家光が約1万坪の土地を寄進。
著名な文人、石川丈山の趣向を組み入れた庭がつくられました。

辰野金吾とその弟子、長野宇平治が設計し、
重要文化財でもある京都文化博物館 別館と、
輪転機のインクの跡や匂いの残る京都新聞ビル 地下1階。
そして渉成園(枳殻邸)。趣の異なる3か所のユニークヴェニューを舞台に、
ペインティングからテクノロジーを駆使したインスタレーションまで、
若手アーティストによる多種多様な表現手法の作品が展示だけでなく販売も行われます。

メイン会場の渉成園(枳殻邸)では、
若手アーティストを推薦するアドバイザリーボードのメンバーらによる展覧会も開催。
若手アーティスト9組の作品の展示に加えて、
本イベントのディレクターを務める椿昇をはじめ、
池上高志、加藤泉、名和晃平、やなぎみわなど、
国際的に活躍する14組のアーティストの作品が展示されます。
しかも、通常は非公開の茶室や書院など、
歴史的建造物の貴重な空間が展示のため公開されることになっています。