山崎亮ってどんな人?

全国各地で引っ張りダコ、日本中を駆け回る男の仕事とは

人を入れるハコモノばかりがあふれ、ハコに入る人がいない地域。
それがおかしなことと気づきながらも、次の手が思いつかない行政。
今必要な行動は“ものづくり”ではなく、
“人がつながる仕組み”をつくることだと見定めて、
「コミュニティデザイナー」という不思議な肩書きを持って
地方再生のさまざまなプロジェクトを展開させる山崎亮は、
国が右往左往しているこの時代の寵児とも言える。

彼が人のつながりに興味を持ったきっかけは、
ランドスケープを学ぶ学生時代、阪神淡路大震災での経験だった。
「崩れ果てた街の中で、人々が結びつき、
自分たちの力で非常事態の街を使いこなす状況に圧倒されました。
また、ランドスケープ=生活自体であると痛感。
ならば、人のつながり自体が重要ではないかと考えました」

ものづくりから、つながりづくりへとシフトチェンジした彼は、
過疎化、少子化、高齢化など地域社会が抱えるさまざまな課題に対し
“震えるくらい美しい形で”解決することを命題とする
「コミュニティデザイン」という仕事を編み出した。
住民ひとりひとりの声を拾う中で地域課題を的確に見抜き、
人と人との良質なつながりを生み、つながった人々の意欲に火をつけ、
能力をつけ、チームワークの力で問題を解決していく。
そんな美しきチームプレーが、
地域コミュニティの活動でも実現できることを示したのである。

ただし、彼自身がプレーに加わることはなく、
人材を育て適切な指示を出す監督の立場を貫く。
未来を担う人材は地域の中で育成し、
十分に力が備わったらそっと身を引き、陰で寄り添う。
下に紹介した5つのプロジェクトは、
山崎監督が残した名試合ともいえるものだ。
「こんな仕事がなくていい世の中が理想なのにね」と笑う山崎は、
コミュニティデザインの伝道に、今日も全国を飛び回る。

山崎亮を読み解く5つのプロジェクト

  • いえしまプロジェクト

    ここから今の山崎が始まった!

    「いえしまプロジェクト」

    (2002年~)

    兵庫県姫路沖、家島諸島でのまちづくりプロジェクト。外部の若者が見た家島の魅力を島民に伝え島の将来を語り合う「探られる島プロジェクト」は5年続き、NPO法人いえしま設立後は、空き家を外国人の宿泊に利用する「ゲストハウスプロジェクト」や特産品販売を通じた都市部との交流などの活動を精力的に続けこの島のファンを増やしている。報酬のない公益事業ながら地域の課題を探りプロジェクトを起こすという貴重な経験を得る。

  • 有馬富士公園プロジェクト

    パークマネジメントの好例

    「有馬富士公園プロジェクト」

    (1999年~2007年)

    公園の集客に重要なのはデザイン以上に開園後のマネジメントであるとし、「楽しい公園」をつくる仕組みを考えたプロジェクト。兵庫県三田市の県立公園に来園者を積極的に誘い出すプログラムを組み込んだ。プログラムを提供する側(キャスト)に50以上ものコミュニティが参画しゲストをもてなすというもので、キャストもゲストも楽しめることから開園以来入場者数が増加し続ける。延岡駅周辺整備プロジェクトにもこの手法を導入。

  • コミュニティづくりのきっかけをつくった「土祭−ヒジサイ−」

    コミュニティづくりのきっかけをつくった

    「土祭−ヒジサイ−」

    (2009年)

    栃木県益子町で行われる土祭を一過性の祭りに終わらせず、その後のまちづくりにつなげていったプロジェクト。益子の土をテーマにした20余りのプログラムを16日間にわたり展開するという大きな祭りの後、参加したボランティアメンバーが集まって「ヒジノワ」(土祭を契機にして出来上がった輪の意味)という団体を立ち上げた。地域と商店街に開いたその活動に刺激を受け、商工会も中心市街地の活性化に乗り出した。

  • 子ども笠岡諸島振興計画

    大人が動かぬなら子供を動かそう!

    「子ども笠岡諸島振興計画」

    (2009年~)

    将来の人口減少が目に見えるにもかかわらず危機感の薄い島民の心を動かすため、未来を背負う子供たちとタッグを組んで進めたプロジェクト。岡山県の笠岡諸島の7島に住む子供たちと連携して離島振興計画を作成し、隣島とは協力できないしワークショップ参加も不可能、などと動かない大人たちへ提出。「この計画を実行してくれなければ、私たちは島に戻りません!」という子供たちの声が良質な脅しとなり、大人の本気を引き出した。

  • 穂積製材所プロジェクト

    この製材所が森の荒廃や人離れを食い止める!?

    「穂積製材所プロジェクト」

    (2007年~)

    民営の製材所を地域の都市農村交流の拠点として開き、そこでの活動から連鎖的に地域の課題解決の糸口を見いだしていくプロジェクト。伊賀の里、三重県は島ヶ原の駅前にある閉鎖直前の穂積製材所を、木工制作活動の場として公共的に活用することを考案。製材所内には建築家らが設計した「寝どこ」があり、週末には各地から集まった人々がここで寝泊まりしながら家具をつくり、材を生む森を学ぶ。写真は伊賀忍者の格好で講演した山崎。

profile

RYO YAMAZAKI 
山崎 亮

1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院地域生態工学専攻修了後、SEN環境計画室勤務を経て2005年〈studio-L〉設立。地域の課題を地域の住民が解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザイン、パークマネジメントなど。〈ホヅプロ工房〉でSDレビュー、〈マルヤガーデンズ〉でグッドデザイン賞受賞。著書に『コミュニティデザイン』。

Gallery ef

コミュニケーションの場となる貴重な建築

東京は浅草にあるGallery ef。
正面から一見するとふつうのカフェなのだが、その奥に併設されているギャラリーは、
江戸末期に建てられた土蔵を再生させた建物。
かつては特殊金属を扱う会社の倉庫だったが、
現在のオーナーのIzumiさんの祖父が亡くなるまで、
数十年間、人が入ることもなく、ひっそりと佇んでいたそうだ。
調べてみると、梁の墨書きから、慶応4(1868)年に建てられたことがわかった。
相続税や会社の整理のため、蔵は壊して土地を売るしかないと考えていたところ、
たまたま出会った漆造形作家の鍋島次雄さんの呼びかけで多くの人たちが集まり、
蔵を再生させることになった。
それが1996年のこと。
それから約1年がかりで現在の姿に生まれ変わった。

「どうにも手が付けられないようなボロボロの状態から、
鍋島さんはこの完成の状態を思い描けていて、
仲間たちを呼んで作業するからぜひやらせてほしいと言われたんです。
そこからはいろいろなアーティストや職人たちが集まってきて。
漆の作家たちは左官屋さんの技を目の前で見られる機会を喜んだし、
左官屋さんは作家たちが漆を塗る作業に興味津々でした」

関東大震災と東京大空襲に耐えて残っている建物は、東京ではとても貴重。
空襲のあとも、もしすぐに蔵の扉を開けてしまっていたら、
バックドラフト現象を起こして爆発していたはずだが、
当時それを知っていたIzumiさんの曾祖母は2ヶ月ほど待ってから開けたそうだ。

「空襲だけじゃなく、戦後の再開発でなくなってしまった建物も多いけど、
それも生き延びた。建物自体に生きる意志があって、
所有者とは名ばかりでこちらが所有されている感じがします」

この建物は登録有形文化財にはなっているが、
重要文化財と比べると国や自治体の援助はないに等しく、
修復にかかる費用も自己負担になってしまう。
古い建物を残していく大変さを痛感しているが、ギャラリーでイベントを開催したり、
震災直後には近所の人が話をするためにカフェに集まってくるなど、
Izumiさんはこの建物が「場」として育ってきたことも実感している。

「屋久島で生まれ育った、木と話ができるという人がここに来たときに、
ここの木はすごく喜んでるよ、と言ってくれたんです。
まるで建物に人格があるみたい。
古くて歴史的に重要な建物はたくさんあるけど、
人とコミュニケーションできる建物ってなかなかないですよね。
だから自分たちだけのものとは思っていなくて、
いかにみんなと使っていくかを考えています。
ただ使うだけだと使い捨てになってしまうし、
建物を残すだけじゃなくて、どういう“場”ができていくかが重要。
ここでそんな“場”が育ってきたのは、建物の魅力が大きいと思います」

毎年12月は音楽会月間として「月夜の森」と題し、
さまざまなアーティストによる生演奏ライブを開催する。
タイトルは、静かな森の湖に月が映っているというイメージで
床を美しい漆黒に仕上げた、鍋島さんの最初のデザインコンセプトからとった。
この冬も「月夜の森」にはたくさんの人が集ったようだ。

梁に「慶應四戊辰年」の墨書きの文字が見える。看板猫の銀次親分は人気者。

床の下は能舞台のように空洞になっているので、音の響きは格別なものがある。

Information


map

Gallery ef ギャラリー・エフ

住所:東京都台東区雷門2-19-18

TEL:03-3841-0442

営業時間:
ギャラリー 12:00 ~ 19:00(展覧会開催中は ~20:00)
カフェ 11:00 ~ 19:00
バー 18:00 ~ 24:00(祝祭日は ~22:00、金曜・祝前日は ~26:00)

定休日:火曜休

みんなのグッとくるもの募集!

これまで全国のグッとくるものをひとりでたくさん集めてきたが、
みんなの協力がいただきたい。
これから、みんなに3つ課題を出すので、送ってきてほしい。

世界文化遺産の店

世界文化遺産を巡るのは金も暇もかかっちゃうんで君の近辺で見つけてほしい。

「そういや、あのバーミヤンって、世界文化遺産じゃなかったっけ?」
「世界文化遺産にしてはメニューが安いけどね。行っとく?」
こーして、そんなに金も暇もかけないで世界文化遺産が巡れるというもの。
店のカンジがよく伝わる写真を撮って送ってください。
日本国内でマップを作りたいので。

ヌー銅セクシー・コンテスト

ヌー銅とは、すなわちヌード銅像のことであり、そもそもセクシーさを競う存在である。
駅前や公園、はたまた区役所の前なんかに堂々と立ち
「ウッフーン♥どう?」って、殿方を誘っておられる姿を是非、
「いいね。その調子!」とか言って、
まるでグラビア・カメラマンみたいに撮って、送ってほしい。

当然、日本全国でセクシートップが決まるわけで、
そのヌー銅見たさに旅をするって人も増えるんじゃないの。

本当のいやげ物

土産物とは、買ってもうれし、もらってもうれしをモットーに作られている。
または、作られるべきであるが、日本全国には買うのもチューチョ、
もらってもうれしくないどころか迷惑な土産物(すなわち“いやげ物”)が存在する。
“これは一体、誰が買うんだろう?”とか、
“そもそも作った人の気が知れない”いやげ物を紹介してほしい。

ゾッとするいやげ物を期待しています。
逆に、そこまでのいやげ物ならほしいと、旅する者も出ると思うので。

*みなさんの投稿をお待ちしています。
どこで発見したかも教えてくださいね。(編集部より)

募集は終了しました。たくさんのご応募ありがとうございました。

関美工堂

新しい会津塗のブランド「BITOWA」を担う漆の老舗

400年以上の歴史を誇る会津塗。
その伝統を継承しながら、洗練されたデザインで新しい会津塗を打ち出し、
2006年に誕生したブランドが「BITOWA」だ。
職人が生み出す繊細な美しさをたたえながら、
現代のライフスタイルにもなじみやすい製品を発表し続け、国内外で高く評価されている。
漆器組合の青年部から誕生したBITOWAは、
現在は漆器を扱う4社によって組織されている。
各社の代表たちは、かつては東京で音楽業界や、宇宙開発事業、金融業など、
漆器産業とは関係ない世界で成功していたUターン組。
そんな彼らのアイデアや戦略、そして何より情熱がこのブランドを育ててきたのだろう。

BITOWAのメンバーである関美工堂の関昌邦さんは
「会津漆器はピーク時の4分の1になってしまっています。
現代では漆器の代わりになるものはいくらでもあるし、
漆器でないといけない必然性もなくなってきている。
でも先祖たちが残してきたものを守りながら、いまの生活で使ってもらうためには、
どういうアイデアで誰に向けた商品を作っていくのかという、
販売戦略に基づいたものづくりが必要になってきます」と話す。

関美工堂は、もともとは表彰記念品のノベルティなどを製造販売する会社だが、
デザインや素材にこだわったさまざまなアイテムを扱うセレクトショップ
「b Prese(ビープレゼ)」も経営する。
そこではBITOWAだけでなく、
会津の職人の手作業で作られたマグカップ「ノダテマグ」や、
陣羽織の柄をデザインモチーフにし、漆塗りに金やプラチナの蒔絵を施した
iPhoneカバー「cavre」など、関さんがプロデュースした商品も扱っている。

会津塗の職人は、木地をつくる木地師、漆を塗る塗り師、絵をつける蒔絵師というように
分業制になっており、それぞれの適性やコスト、スケジュールを見極めて、
職人たちに仕事を振っていくのも関さんの大事な仕事。
現場をよく理解し、多くの職人たちとつながりを持っているからこそできることだ。
実際の作業現場を見学させてもらうため、
塗り師の大森弘さんの工房に案内してもらった。
ここでは関美工堂で扱っている記念品などの箱やiPhoneカバーなど、
おもに板物を塗る。
塗るときに埃が舞うと、塗ったばかりの漆についた埃をとらなくてはならないので、
塗り師は息をひそめて手際よく塗り、部屋は静寂に包まれる。
下塗りをして乾かし、また上塗りをするという作業を繰り返していく。
現代的な発想やデザインから生まれた製品でも、それをしっかり支えているのは伝統の技。
関さんは「伝統を踏まえたうえで、新しい商品づくりをしていきたい。
続けてきたことで結果は出てきています」と目を輝かせていた。

秀吉の陣羽織がデザインされたiPhoneカバー。金とプラチナの蒔絵で加飾。

大森さんの息子の康弘さんも塗り師。刷毛には女性の髪の毛が使われている。

漆は65~85%の湿度の乾燥室で乾かしたあと磨かれる。朱は信長バージョン。

Profile

MASAKUNI SEKI
関 昌邦

せき・まさくに●1967年、福島県会津若松市生まれ。宇宙開発事業団を経て2003年に株式会社関美工堂に入社、2007年より代表取締役社長。会津塗ブランド「BITOWA」の立ち上げに携わり、現在もさまざまな商品のプロデュースを手がける。

西村佳哲さん

「地方で生きる」人たちに出会う旅

デザインオフィス「リビングワールド」代表であり、
『自分の仕事をつくる』などの著書で、働き方研究家としても知られる西村佳哲さん。
震災後に東北と九州をめぐり、地域と密接に関わりながら
働く人たちへのインタビューを中心に綴った『いま、地方で生きるということ』は、
どこで働くか、ひいてはどこで生きていくかという、
私たちの生活基盤そのものを考え直させるような著書だ。

「この本を書くきっかけを作ってくれたのは、出版社ミシマ社の三島邦弘さんです。
たとえば出版というビジネスも東京中心に成り立っているところがあるけれど、
もうそういう時代でもないはず。
取次会社が決めた本をまちの本屋に置いて売れるかといったらそうじゃない。
三島さんが東京というものに象徴しているのは、
そういった形骸化したシステムや思考習慣で、
それらに拠らない場所という意味で“地方”という言葉を使っていると思います。
つまり東京の中にも地方はあるし、地方にも東京がある。
そして、どこで生きるかというのは、僕のテーマでもありました」

この本には、地域のファシリテーター、プランナー、デザイナーなど
さまざまな人たちが登場するが、生き方は違えど、彼らはみんな自分の役割と仕事を、
自分の生きている場所にきちんと見出している人たちだ。

「彼らの共通点は何かというと、考えながら話すということ。
自分が感じていることを確かめながら話すというか、
実感を大事にしているんだろうなと思うんです。

実感を大事にするということは、
一方で違和感をスルーしないということでもあると思います。
それって人間としてすごく健やかですよね。
ある意志や意図を持って自分の人生の時間を埋めていこうとする。
違和感のあるものに囲まれて生きていると、
僕は自分のある部分が死んでいく感じがするんですが、
彼らは、そういう違和感が自分の人生にたくさんあることには
耐えられない人たちだと思います」

いまこそ、モダニズムをもう一度

西村さんは東京生まれ、東京育ち。
それでもなぜかずっと東京以外のところで暮らしたいという気持ちがあるという。

「自分でもなぜだかよくわからないんですけど。
でもそれは、僕が30歳のときに会社を辞めたことと密接に関係していると思います。
僕が会社を辞めた理由のひとつは、このままずっと会社勤めを続けていると、
会社から仕事をもらう能力しかトレーニングされないと思ったから。

会社にいないと仕事が手に入らなくなるというのは実はこわいことで、
仕事を自給自足できるようになりたいと思ったんです。
それと東京を離れてみたいという気持ちはすごく近いものがあって。
都市の人たちは毎日ドリルのように買い物という行為を反復していて、
何かを自分で作って手に入れるというトレーニングをしていない。
生きていくために必要な水とか食べ物が、
ひとつのチャンネルでしか手に入れることができないのは、とても危うい。
生きていくうえで、サブシステムが必要だと思うんです」

西村さんは現在、東京以外の拠点となる場所を具体的に探しているところだという。
都市部と離れたところでものを作ったり、暮らしを作っていくときには、
都市のシステムの中では見えなかった、自分の暮らしの全体像が見えてくる。
それが、地方で暮らすことの最大の利点だと西村さんは考えている。

「いまの時代って“モダニズムをもう一度”だと思うんです。
モダニズムは近代合理主義と訳されていますが、
そこには非合理なものに対する怒りがあったんですよね。

なんで僕らは猫足の椅子に座らなくちゃいけないんだ?というように、
形骸化してしまった習慣や意匠に対して異議申し立てというか、
ゼロから見直そうということをやったから、一旦シンプルになったわけです。
装飾を排することが目的ではなくて、いま一度考え直そうという動き。
いまはまた、これまでの当たり前を
もう一度見直そうというタイミングなのではないかと思います」

たしかに、震災後は誰しも自分の暮らしについて
見直す機会が増えているのではないだろうか。
また西村さんは、全国のいわゆる限界集落といわれる地域を回った年下の友人の言葉が、
とても印象的だったと話す。

「彼は旅に出る前は地域活性をテーマにしていたんですが、
行ってみたら、地域はなかったと。あったのは家族だったというんです。

ところどころに感動的な家族がいて、
その家族は個人では持ち得ないようなエネルギーを持っている。
いい家族がいると周りもいい影響を受けていて、
ひとつひとつの家族の集まりが地域を形成しているように見えたそうです。
だから地域のコアにあるのは、家族なのかもしれないなと感じています」

西村さんの仕事

  • 『自分の仕事をつくる』

    『自分の仕事をつくる』

    ちくま文庫(2009)

    柳宗理やパタゴニア社など、西村さんが尊敬するつくり手の仕事の現場を訪ね、彼らの働き方やライフスタイルを探った記録。文庫版には馬場浩史さん、甲田幹夫さんのインタビューも収録。

  • 『「四国らしさ」ってなんだろう?ノート』

    『「四国らしさ」ってなんだろう?ノート』

    四国経済産業局(2010)

    徳島「イン神山」プロジェクトとの関わりがきっかけとなり制作した冊子。気候も風土も違う4つの県が集まった四国について、四国に住む人たちと考え、意見を交換しながらつくり上げた。

  • 『いま、地方で生きるということ』

    『いま、地方で生きるということ』

    ミシマ社(2011)

    震災後、東北と九州を旅しながら、西村さんが気になる活動をしている人たちにインタビューしていく。働いて生きていくことと、場所との関係を考えていく新機軸の著書。

  • 『わたしのはたらき』

    『わたしのはたらき』

    弘文堂(2011)

    西村さんの最新著作。奈良の図書館で開催してきた、働き方に関するフォーラムをまとめたシリーズの最終巻。「森のイスキア」主宰の佐藤初女さん、編集者の伊藤ガビンさんらが登場。

profile

YOSHIAKI NISHIMURA 
西村佳哲

にしむら・よしあき●1964年、東京都生まれ。デザインオフィス「リビングワールド」代表。プランニングディレクター、働き方研究家。公共空間のメディア作りや、デザインプロジェクトの企画・制作ディレクションなどを手がける。多摩美術大学、京都工芸繊維大学非常勤講師。

http://www.livingworld.net/

会津・漆の芸術祭(前編)

伝統の素材をいかした会津ならではの芸術祭

2011年10月1日から11月23日まで、
会津若松市と喜多方市で開催された「会津・漆の芸術祭」。
前年に引き続き2度目の開催となったが、準備の段階で震災が起こり、
一時は開催が危ぶまれた。
しかし、こんなときだからこそアートの力による再生を信じ、
「東北へのエール」というサブタイトルを掲げての開催となった。
編集部は、会期終了間際の会津若松を訪ねた。

参加アーティストは、地元の工芸作家から、
通常は漆を使うことのないアーティストまで実に多彩。
また、会津短期大学や東北芸術工科大学、東京藝術大学など
大学の研究室やワークショップなど、プロジェクトとしての参加作品も多い。
漆を扱うプロから、漆になじみのない人まで、
漆という会津に古くから根づく素材を使って作品を制作しているのが、この芸術祭の特徴だ。
会場は、会津若松と喜多方合わせて全38カ所。
回るのも大変だが、歴史ある酒造や、
古い建物をリノベーションした店舗などが会場になっており、
まち並みを散策する気分で作品を鑑賞できるようになっている。
そして、これだけの会場があるということは、
地元住民の方々の理解と協力なしには成り立たないということだ。
美術家、小沢剛さんの作品の展示会場となった井上一夫商店も、
古美術を扱う小さな商店で、1階は通常通りの営業、2階が展示会場になった。
店主の井上さんも鑑賞者を温かく迎え入れ、
小沢さんの作品のすばらしさを多くの人に知ってほしいという想いが伝わってきた。

小沢さんの作品「できるかな2010」(2010-2011)は、
2010年に東京の府中市美術館で発表された作品の会津バージョンで、
亡くなった義母の箪笥や、紙袋や端布などの日用品を使ったインスタレーション。
一見、布の柄のように見える模様は、
布の上からまったく同じ模様が油絵の具で描かれており、
記憶をたどるように丁寧に模様をなぞり、故人と向き合うような作品だ。
今回は、会津の蒔絵師、本田充さんの手を借りて、漆の技法を用い、
箪笥の引き出しの前面に木目の模様を施した。
これも一見わかりにくいが、木の模様に見えるのは漆で描かれたもの。
このように、現地の職人とアーティストのコラボレーションで作品が生まれるのも、
この芸術祭の面白さ。
本田さんは「なかなかできない経験なので、面白かったです。
漆は難しいという先入観があるかもしれませんが、
漆を使ったことのない人に使ってもらって、素材の面白さを知ってもらえれば」と話す。
小沢さんは前回の漆の芸術祭にも参加しているが、ふだんは作品に漆を使うことはない。
「職人さんと接することもあまりないですが、
塗料を筆先につけて滑らせる快感は、分かち合える気がしました。
この芸術祭は、漆という伝統の素材をテーマにしているよさがあると思います」と小沢さん。

小沢さんは、越後妻有「大地の芸術祭」などにも参加し、地域で滞在制作することも多い。
「いままで僕は現代美術って都市で発生するものだと信じていました。
ある程度、知識や前提がないと理解しにくいですから。
僕なんて制作中、ただの作業員だと思われて、
ストレートでシビアな感想を言われたりしますけど(笑)。
でもそれだけ、美術館やギャラリーに守られていない、
アートにとって無防備な場所で勝負する面白さがあります。
この十数年で、地域の芸術祭などが増えてきていますが、
それが可能になってきたのは美術界も変わってきているから。
上から目線ではなくて、作品のほうから見る人に
関係性をつなげていきやすい仕掛けを作ったり、
参加しやすい作品が増えているという傾向が、世界的な潮流としてもあると思います」
まちの小さな展示会場は、ホワイトキューブを飛び出した美術作家の挑戦の場でもあるのだ。

小沢さんの原画をもとにシルクスクリーンで漆を施し細部は手描きで仕上げた。

使うともなくとってあった紙袋はミキサーで細かくして小さな紙袋のかたちに。

本田さんの工房で作業する小沢さん。細かい木目の模様をトレースしていく。