六甲山の間伐材が 神戸らしい家具&雑貨に 〈HASE65〉

六甲山の木に触れられるカフェ&ショップ

神戸の人なら、一度は登ったことがある六甲山は、
まちから出てすぐにハイキングができる身近な存在。
山であるがゆえに当然、木があり、ご多分に漏れず間伐が必要となります。
そんな六甲山の間伐材を活用したのが、
一枚板に鉄を組み合わせるだけでできるテーブルやスツール、
鯖江の職人の技術でつくるティンバーポット、
子どもが握りやすいサイズの木のたまごなど……。

手ざわりも気持ちいいウッドクラフト。

これらは、もともとドイツの木材メーカーの代理店で働いていた山崎正夫さんが
その経験を生かし、木の活用法を周知してもらうためのツールとして手がけたものです。
「六甲山は、もともと林業としての山ではないので、
建築用材として流通してこなかったんです。
しかし、そんな木を別の用途で使えるようにブランディングして、
山とまちをつなげられたら」と山崎さん。

表六甲の山林の手入れで発生する木材の活用法を考える、神戸市の〈もりの木プロジェクト〉に山崎さんも関わっています。

ひと口に六甲山と言っても、表六甲と裏六甲があります。
楠、樫、桜などの広葉樹が中心の表六甲は神戸市の管轄。
そしてヒノキや松の多い裏六甲は民間所有となり、
山崎さんは所有者と直接契約してプロジェクト単位で商品開発を進めています。

これまでもイベントなどで六甲山の木に触れられる機会をつくり出してきたのですが、
さらなる境地を求めて、この春に、誰もがふらりと立ち寄れる
カフェ併設のショップをオープンすることになりました。
それが自然派カフェ〈ミドリカフェ〉と組んで2016年3月20日から
王子公園に構える新拠点〈HASE65(ハーゼロコ)〉。
DIYパーツも扱う予定で、神戸らしい家具と雑貨がまちに広まっていく日も近そうです。
六甲山生まれの家具や雑貨がこれから、もっと身近な存在になりそうですね。

information

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HASE65 

住所:兵庫県神戸市灘区王子町1-4-1

TEL:0120-492-690

営業時間:11:00~18:00

定休日:水曜、不定休

中華だけじゃない中華街。 多文化がクロスする〈南京町〉

インド料理に和食、多国籍の食が広がるまち

明治元年に誕生した日本三大中華街のひとつ神戸〈南京町〉。
屋台や中華風の建物が並ぶリトルチャイナとして観光名所になっていますが、
路地に目を向けると、そこにはインド料理や和食店の看板がちらほら。
実はこのまち、中華料理だけを目的に訪れる場所ではないのです。

南京町はJR・阪神元町駅南側の東西約270メートル、南北約110メートルの商店街。

例えば南京町広場の北東角には、
昭和22年創業の老舗うなぎ店〈うなぎ横丁〉があります。
うなぎは背開きの江戸前。蒸しを入れ、甘さ控えめで
飽きのこないタレをつけては焼き上げるという2代目店主の熟練の妙技で、
創業以来の味を守っています。

2代目の細見進一さんが切り盛りする〈うなぎ横丁〉のうな重も、このまちの味として親しまれています。

また、本格カレーがカジュアルに味わえる
〈ALOK(アロック)〉も地元ではなじみの店。
チキンや野菜、魚介など30種以上のカレーを筆頭に多彩なインド料理が楽しめ、
さらにはネパール料理までそろうという幅の広さが愛される理由です。
タンドール窯で焼き上げた大きなナンは、ほんのり甘く、ふっくらむっちり。
本格カレーとともに気軽にほおばれる楽しみが待っています。

そんな多国籍なまちで、最も多く軒を連ねている中華料理店では
最近、中華カフェレストラン〈群愛茶餐廳(ぐんあいツァツァンティン〉が、
老舗店の復活と話題を集めています。
一から手づくりした数々の点心や魅惑の香港スタイルスイーツが
スタイリッシュな店内で楽しめるとあって、オープン以来注目の的です。

〈群愛茶餐廳〉の広東焼売(エビシュウマイ)と水晶蝦餃(エビ入蒸し餃子)は、アツアツ、ジューシーなおいしさがすでに評判です。

それにしても。この中華街のなかにいくつの文化が共存しているのでしょう。
古くから異文化を快く受け入れて来た神戸の懐の広さは、食でもしっかり感じられます。

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うなぎ横丁

住所:兵庫県神戸市中央区元町通1-6-17

TEL:078-331-0054

営業時間:11:00~21:30(LO 21:00)

定休日:日曜

http://www.geocities.co.jp/unagiyoko/

information

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ALOK 

住所:兵庫県神戸市中央区栄町通1-2-15

TEL:078-321-3044

営業時間:11:00~15:00、17:00~22:00

information

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群愛茶餐廳

住所:兵庫県神戸市中央区栄町通2-6-6

TEL:078-381-8675

営業時間:11:30~22:00(LO 21:00)

定休日:火曜

http://www.gunai-tea.com/

喫茶店のまち神戸の老舗。 〈エビアンコーヒー〉と ジャズ文化を支える〈JAVA〉

神戸の人々に愛されるふたつの老舗喫茶

神戸は昔から、「喫茶店のまち」と言われてきました。
まちにはたくさんの喫茶店があったのですが、なかでもかつて港町で働く船員たちが、
サイフォンで淹れるコーヒーを求めて訪れていたのが
元町の〈エビアンコーヒー〉と三宮の〈JAVA(ジャヴァ)〉。
ともに1950年代に創業し、現在は2代目が切り盛りしています。
ブレンドコーヒーの香り漂う店の中は、まるで時間がとまっているかのよう。
まだコーヒーの珍しかった当時から、ブレンドコーヒーの風味しかり、
調度品やその空気感までもが昔のままだというから、
初めて訪れてもどこかほっとする感覚になるのでしょう。

〈エビアンコーヒー〉では、毎朝ほぼ同じ時間に
日参する常連客が見られるのが馴染みの光景。
ウエイトレスと談笑しながら過ごしたり、
新聞を広げながらサンドイッチで朝食をとったり、
すっかりくつろいでいる姿が居心地のよさを物語っています。
コーヒーと相性がいいデザート類も評判で、
3代目・鎌田高廣さんの手がける濃厚なチーズケーキやシフォンケーキなどは、
店内でコーヒーと一緒に楽しむのはもちろん、手土産にする人も多いんです。

5種の新鮮な豆をブレンドした珈琲は、1日に300杯ほどが出るそう。

時間を忘れてしまう、ゆったりとしたリズムが店の中にはあふれています。

一方、貴重な音響機器がいまも現役で活躍し、
神戸のジャズ文化を支えてきた〈JAVA〉には、
ジャズを愛する数々の著名人も訪れてきました。
昔の面影を色濃く残す南国風の店内の落ち着いた照明の下にいると、
タイムスリップした気分にさえなるほど。
甘い香りがたまらないモカジャヴァを口に運びながら、
名盤に酔いしれるひとときは格別です。
訪れる客もいまや3世代。神戸の人々が愛してきたコーヒーは、
物言わずとも神戸の空気を香りで届け続けています。

モカジャヴァを飲みながら、セレクトされたジャズの名盤に耳を傾ける。壁には〈JAVA〉が撮影場所になった映画のポスターや懐かしい名スターのサインがあり、60年余の店の歴史を感じさせてくれます。

コーヒーの上でゆっくりと溶けていく、生クリームとチョコレートの甘い香りがたまらない。まちの喧騒をしばし離れて、心穏やかなひとときを。

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エビアンコーヒー

住所:兵庫県神戸市中央区元町通1-7-2

TEL:078-331-3265

営業時間:8:30~18:30(LO)

定休日:第1、第3水曜

http://www.evian-coffee.com/

information

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JAVA(ジャヴァ)

住所:兵庫県神戸市中央区北長狭通1-31-13

TEL:078-331-1019

営業時間:12:00~21:30

定休日:木曜不定休

キャンピングカーでラクラク! 長崎・移住先探しの旅 その1: キャンピングカーを借りてみる

家族との移住を本気で考えて、日本全国あちこちを旅するフォトグラファーのテツカ
(彼女のコロカルでの連載「美味しいアルバム」はこちら)。
そんなテツカがキャンピングカーで平戸市・波佐見町・雲仙市を4歳の娘と巡ってきました。
長崎って移住先としてどうだろう? という彼女なりの目線をお楽しみください。
4回シリーズの第1回は「キャンピングカーを借りてみる」。

【その1:キャンピングカーを借りてみる】

【その2:平戸市のレムコーさんに聞く人づき合いのヒント】はこちら

【その3:移住者は“タンポポ”!? 波佐見町・岡田浩典さんの移住体験話を聞く】はこちら

【その4:波佐見で感じた“もの力”と“ひと力” 陶芸家 長瀬 渉さん】はこちら

【その5:奥津家の3拠点生活】はこちら

我が家が移住を意識するようになったワケ

東京で生まれ育った私と夫と、4歳になる娘の3人で暮らす我が家。
長年暮らしてきた東京を離れ、自然豊かな環境に身を置きたいと、
数年前から移住を意識するようになった。
ひとつのきっかけは、旅先で出会った人たちの暮らしを目の当たりにしたこと。
自分たちで土を耕し、自分たちが食べるものを自分たちでつくり、
それを瑞々しいうちに食卓で味わっていたり、
とてつもなくおいしい山の水を、自由に使える環境もある。
そうした生活を見ていたら、わくわくと心が騒いで仕方がなかった。
いつかは自分たちも土を耕し、
自ら育てた米や野菜を食べながら生活していきたい。
その目標に向かい、休日には家族でいろんな地域をリサーチしに出かけている。

そんな我が家の動向を知るコロカルの編集者から
「こんな企画があるんですけど、行きませんか?」と資料を差し出された。
それが、長崎県の「キャンピングカーによるラクラク移住先探し」というもの。
長崎県への移住に関心がある県外在住者を対象に、
キャンピングカーを低料金で貸し出しているという。

長崎県は移住先としても興味があった。
以前コロカルで五島列島の新上五島町を訪れたとき、
燃えるような赤い夕陽が、海に沈んでいくのを見た。
その光景はあまりにも美しく、その場に立ち尽くしてしまった。
今思えば、あの夕陽を目にしたことも
移住を考えるようになった理由のひとつだと思う。
マンションの隙間に見え隠れする東京の夕焼けを見るたびに、あの夕陽を思い出す。
長崎では今日もあの美しい光景が広がっているのに、
自分はそれを毎日見逃している。
そう思ったら泣けてきた。
もしあの土地で暮らすことができたらと、自分の生活を重ねてみたりしていたところに、
願ったり叶ったりな企画が舞い込んできたのだ。
「行きます!」と、その場で答えていた。

というわけで今回は、仕事を休めない夫を東京に残し、
移住先候補を探しに、4歳の娘と長崎を訪ねてきました。

和歌山県に 移住するってどんな感じ? 〈わかやま!移住体験してみた〉 CM&ムービー公開中

和歌山県に移住してみたらどんな生活になるんだろう...?
ただいま和歌山県による、首都圏から移住を考える人に向けた
わかやま移住体験ムービーが公開中です。
その名も「わかやま!移住体験してみた」。
東京都練馬区に暮らす柘植ファミリーが
和歌山の暮らし体験ツアーに参加したドキュメンタリーです。

柘植ファミリーのお父さんは、電器設備の職人。
お母さんはピアノの先生。お子さんは二人で、
小学校一年生の女の子と幼稚園児の男の子。
いつかは田舎で暮らしたいと夢をもっているご家族です。

そんな彼らが、和歌山の暮らし体験ツアーに参加しました。
カフェを経営している先輩移住者と話したり、
鹿肉で作った田舎料理でもてなされたり、
ほかにも地元の小学校や企業オフィスを訪ねたり。

「人が素晴らしい。話すほど和歌山が好きになる」
と語った柘植さん。いったいどんな体験をしたのでしょうか。

ちなみに“田舎暮らし応援県わかやま”を掲げる和歌山では、
現地体験会や山村留学、農家民泊、田舎暮らしワークステイなどの
プログラムを行っています。ご興味が湧いた方はこちらをチェック!

あえて不便な暮らしがいい。 北海道の森で始めたパン屋さん

美流渡にひと目惚れして移住した中川さんの話

岩見沢の市街地から30分ほど車を走らせると、
山や森がすぐ近くに迫る美しい風景が広がる。
ここは東部丘陵地域と呼ばれ、その中の美流渡(みると)という地区で、
いまわたしはゲストハウスのような場所をつくろうとしている。
この連載で何度か書いたように、美流渡はかつて炭鉱街として栄えたが、
現在では人口が1000人を切り、過疎化が問題になっている。
人口減少は、この地域を維持していくにあたって深刻な問題ではあるが、
そこに住む人たちに目を向けると、都会の便利さとは異なる価値観をもって、
この地域を愛している姿が見えてくる。

そんな地域を愛する人として紹介したいのが、
18年前、美流渡にひと目惚れをして移住してきた中川文江さんとそのご一家だ。

中川さんは、東京で6年ほど看護師をしていたが、
夫の達也さんの転勤で札幌へと移り住んだ。
やがて中川さん夫婦は、自然の中で子どもを育てたい、
森でパン屋さんをやってみたいという想いを抱き、達也さんが脱サラを決心。
札幌から近すぎず遠すぎない場所をと車で土地を探すなかで、
美流渡に出会い、引きつけられるような魅力を感じた。
北海道には珍しい里山のような、心休まる風景を見たことき、
ここに住んでみたいと強く思ったという。
さっそく町内会にかけあったところ、集会所となっていた
炭鉱長屋を使わせてもらえることになった。
かなり傷みが激しい部分もあったが、中川さんの父と達也さんが修繕をし、
パン工房のスペースもつくっていった。

中川文江さんは北海道生まれ。東京で看護師として働き、その後美流渡に移住。パン屋〈ミルトコッペ〉の女将であり、現在はリンパ・ドレナージュ・セラピストとして、美流渡と東京でサロンを開く。

開いたパン屋の名前は〈ミルトコッペ〉。
まわりにはいっさいお店などなく、丘の中腹にポツンと建っており、
お店の立地条件としては、かなり不利な場所のように思う。
しかし、達也さんがつくるパンのファンは日増しに増え、
北海道内はもちろん、道外からも買いにくる人が後を絶たない。
午前中には売り切れてしまうこともしばしばだ。

ミルトコッペのパンは、口に入れた瞬間に香ばしい小麦の香りが口いっぱいに広がり、
さらに噛めば噛むほどに深い味わいを感じるのが特徴だ。
熟成させた天然酵母と小麦に少量の砂糖と塩を加え、12時間かけてじっくり発酵させ、
それを手ごねで生地に仕上げ、レンガの薪釜で焼き上げる。
薪にもこだわりがあり、ナラ材を主に使っているという。

コッペパン、あんぱん、食パンなど素朴なパンが並ぶ。

パンを並べる店舗スペースはそれほど広くなく、玄関口を利用して販売している。

パン屋を開店した当初、経営が軌道にのるまでのあいだ、
中川さんは札幌にOLとして働きに出ることにした。
看護師時代の給料からすると収入は3分の1以下の月10~15万円。
家族4人暮らしていくには心細い金額だが、
「この暮らしがとにかく楽しかった」と当時を振り返る。
中川さんはこのとき37歳。息子さんは10歳と7歳という食べ盛り。
ときには農家の友人から、精米時に出る割れ米を分けてもらったこともあったというが、
それを文化鍋で炊いたおこげご飯は、感動するほどおいしかったという。

また、不要となった家具をもらったり、
古家にもともとあった石炭ストーブを復活させたりと、
一見すると不便な暮らしのいたるところに、新鮮な発見があった。
「日頃、あまりにも恵まれて、それが当たり前となると、
チョッとでも不足したときに不満が生まれる……そんな暮らしとはここは、別世界です。
最初から不足しているから、多少ものがなくたって、不満などなく、
あるものに対しての価値がよりありがたく感じられます。
こうして、暮らしを通して喜びが感じられることはうれしいものです」
これは中川さんがミルトコッペで配布したお便りに書いた言葉だ。
美流渡の暮らしのすばらしさを中川さんはお便りに残し、
やがて『北海道新聞』でも日々の想いを8年にわたって連載したという。

秋に撮影したミルトコッペ。ミントが一面に生え、さわやかな香りがあたりを包む。

第25話・雪山に備えよ! グレアムさんのお買い物

第25話
雪山に備えよ!
グレアムさんのお買い物

神戸の異人館を使ったカフェで
お茶するグレアムさん。
これから旅行の準備で走り回る前に、英気を養っているようです。
アウトドア用品に弟さんへのおみやげ、
グレアムさんはどんなものを選んだんでしょう?

三陸から始まる 1000人の“フィッシャーマン” をつくるプロジェクト。 フィッシャーマン・ジャパン前編

フィッシャーマン1000人できるかな

日本は海に囲まれているから、昔から水産文化が豊かに根づいている。
いろいろな地域に行くと、各地に名産の海鮮料理があり、
新鮮な魚をおいしくいただける。
しかしその魚を獲る漁師は、
20年前の約32万人から減り続け、現在では約17万人。半減に近い。
特に、20〜30代の漁師は2割にも満たない。
国内の水産物の生産額も半減している。
日本人は魚が好きという定説からすると不思議に聞こえるかもしれないが、
このような現実があるのだ。

そんな現状を打破したいと動き出した団体がいる。
世界三大漁場ともいわれ、漁業が盛んな三陸エリアで、
2014年に立ち上がった〈フィッシャーマン・ジャパン〉である。
現在、事務局を務める長谷川琢也さんは、
東日本大震災後にヤフーの復興支援室勤務として石巻に移住し、
〈復興デパートメント〉や
水産物を取り扱う〈三陸フィッシャーマンズプロジェクト〉などを立ち上げた。
そんな長谷川さんと、石巻の漁師、阿部勝太さんの出会いがきっかけだった。

フィッシャーマン・ジャパンのメンバー。(右から)発起人の長谷川琢也さん、アートディレクターの安達日向子さん、プロジェクトマネージャーの島本幸奈さん、写真家の平井慶祐さん。

「僕が、ヤフーの復興関係の仕事で石巻に来たのが2012年。
その直前に(阿部)勝太に会いました。
初めて会ったときから、震災からの復興だけでなく、その先を見据えていましたね。
彼から“これをきっかけに漁業に変化を起こすような挑戦をしていきたい”
という話を聞いたんです。
でも、いきなり東京から来たよそ者と、20代の若い漁師で始めるのは簡単ではなくて、
ゆっくりと仲間を増やしてやっていこうと思いました」と、
出会いを話してくれた長谷川さん。

「僕は漁師だし、長谷川さんも水産物の取り扱いに力を入れていたので、
自分たちの仕事を通して、いろいろな水産系の仲間に出会うことができたんです。
彼らと話すと、みんな同じような問題意識を持っていたり、
やりたいことが似ていることがわかりました」と言うのは、
一般社団法人〈フィッシャーマン・ジャパン〉の代表理事を務める阿部勝太さん。

石巻市の十三浜でワカメ漁師をしている阿部勝太さん。漁業生産組合〈浜人(はまんと)〉を立ち上げる。(写真提供:フィッシャーマン・ジャパン)

ふたりの思いに共鳴して、若い仲間が集まっていき、
長い構想期間と地ならしを経て、フィッシャーマン・ジャパンが立ち上げられた。
その原点には、ふたりの漁師の言葉が強く残っていると長谷川さんは言う。

「勝太と、もうひとり理事を務める漁師の鈴木真悟。
彼らの言葉がすごく心に響いています。
震災をきっかけに、漁ができなくなって、土地から出ていってしまったり、
漁師を辞めてほかの仕事をしている仲間がたくさんいて寂しいと言うんです。
そんな人たちも、自分たちががんばっている姿を見れば、
戻ってきてくれるのではないか、と。
そこなんです。みんな地域に根を張っているんですよ。
代々続く太い根があって、1回離れても戻ってこられる。
よそ者にとって、うらやましくて、すごく惹かれる話でした」(長谷川さん)

カキ剥きの実習なども行われている漁師学校。詳細は後編にて。

石巻の美しい漁場。

えひめで、働く、暮らす、育てる。 〈えひめ職の担い手移住フェア in 東京〉 イベントレポート

“仕事”からイメージしてみる、えひめ移住

自分らしいスタイルで働きたい、地域活性の活動に興味がある、
より良い環境で子育てをしたい、充実したセカンドライフを送りたい……など、
さまざまなかたちで地方移住への関心が近年高まりつつあります。
でも移住を決断するまで、考えたり決断しなければいけないことはたくさん。
そして多くの人が一番悩むと思われるのが
「日々の暮らしを支える“仕事”をどうするか?」ということ。

でも“仕事”をまず切り口に、移住した後の生活の魅力を考えてみるというのは、
実はイメージしやすい検討方法のひとつ。
そんなアイデアのもと、“仕事の選択からえひめ移住をイメージしてみる”をテーマに
開催されたのが〈えひめ職の担い手移住フェア in 東京〉
愛媛県の職の魅力、そこから見えてくる暮らしや環境を紹介する、
地方への移住や愛媛県へのU・J・Iターンを考えている方に向けたイベントです。

2月14日(日)・21日(日)・27日(土)の3日間に分けて、
農業、福祉、サービスなど、多彩な職種の愛媛県の企業が一堂に集結する
〈えひめ職の担い手移住フェア in 東京〉。
今回は2月14日(日)に開催されたフェアの様子をお届けします。

フェアの開会の挨拶をする、愛媛県企画振興部長の門田さん。

第1回目となるこの日のフェアに参加されたのは、20代から60代の方々。
ご夫婦で参加された方もいれば、お子さんと一緒に会場へいらした方も。
受付後は〈おせっかい人〉と呼ばれるスタッフに引き合わされ、
フェア開始までの間にどんなことに興味があるのか、どの参加企業と面談したいか、など
簡単なヒアリングが行われます。

愛媛県企画振興部長の門田泰広さんによる開会の挨拶に続いて行われたのが、
東京・有楽町にある〈ふるさと回帰支援センター〉で
愛媛県専任の移住相談員である〈えひめ移住コンシェルジュ〉の松岡朋枝さんによる
愛媛県でのライフスタイルの紹介。
温暖な気候による暮らしやすさ、住環境が充実しているので
通勤・通学時間が全国で一番短いこと、
そして全国で2番目に仕事の平均時間が短いことなどから、
仕事をしながらも自分の時間や家族との時間を持ちやすいといった、
愛媛県だからこそ送れる生活の特長を紹介。
また県内には自治体の移住担当窓口以外にも、NPOなどで移住を支援している団体があり、
移住をサポートする体制を整えているという、頼もしいひと言もありました。

愛媛県への先輩移住者である冨田さん。東京に住まれていた頃は、広告代理店に勤務されていたのだそう。

続いて行われたのが先輩移住者として、
震災をきっかけに東京から愛媛県伊予市に移住した先輩移住者の冨田敏さんによる経験談。
自然が多く、子育てがしやすいことや、地域の方々とのやりとりについて紹介。
移住後の暮らしに関するリアルな声ということもあり、
どの参加者も真剣に聞き入っているのが印象的でした。

そして冨田さんを司会に行われたのが、この日フェアに参加した企業9社の紹介。
その職種は農業や福祉にはじまり、宇和島のバス会社や老舗旅館までと実にバラエティ豊か。
また各企業における仕事の内容だけでなく地元に関する紹介も行われ、
ひとくちに愛媛県といっても沿岸部や離島など海と縁のある地域から、
ウィンタースポーツ施設が整った高原まで、地域によって環境がいかに異なるかを実感。
“仕事”だけでなく、環境という面でも幅広い選択肢があるのも
愛媛県ならではの魅力かもしれません。

フェアの参加企業の紹介は各社のPRムービーと共に。

参加者の皆さんが座られているのは、みかん畑で使用されるコンテナ。座面が広いせいか、思いのほかいい座り心地。

各社の紹介が終わった後は、参加者と企業との面談がスタート。
面談といっても採用面接のような重苦しさはなく、
“まずは話を聞いてみたい”というスタンスでも参加できることもあり、
和やかな雰囲気につつまれていた会場。
待ち時間中はケータリングコーナーでジャコ天やみかんジュースなど
愛媛県ならではの軽食を楽しめたり、〈おせっかい人〉に追加でヒアリングもしてもらえたりと、
リラックスした雰囲気の中で移住に関する情報を得られるフェアでした。

会場には、たくさんのみかんも。愛媛県ならではの、うれしいおもてなし。

会場内のキッズスペースには、愛媛県で育った木でつくられたおもちゃや、愛媛県出身アーティストのMAYA MAXXさんの絵本が。

この記事を読んで愛媛県への移住に関心を持たれた方もいるかもしれませんが、
人生における大きなライフイベントとなる移住。
移住先を決めるときのポイントや準備、移住までの流れなど、
気になることはたくさんあると思います。そこで次のページでは、
今回のフェアにも参加されている相談機関の方々にうかがった話をご紹介します。

地方で仲間をつくって 活動するということ

小豆島カメラの2年間

島で暮らしている友人たちと〈小豆島カメラ〉として活動し始めてもうすぐ2年。
「見たい食べたい会いたい」をテーマに、
暮らしているからこそ出会えるシーンを撮影して発信しています。
この小豆島日記でも何度か活動のことを書いているので、
ご存知の方もいるかもしれませんね。

この活動が始まったきっかけは、写真家のMOTOKOさんの
「デザインも地産地消しよう」という考え。
外からプロのカメラマンさんに来てもらって撮影するんじゃなくて、
暮らす人たち自らが写真を撮って島の魅力を伝えることができたらいいよねと。
MOTOKOさんとは、2013年の瀬戸内国際芸術祭の際に
〈小豆島の顔〉プロジェクト(島で暮らす225人の方を撮影し、島の風景の中に展示)を
一緒に行い、その後も何度か小豆島に来てくださり、
写真や地方での活動について教えてもらっています。
いろいろな話をするなかで、自分たちの手で写真を撮って
発信していけないかという思いが少しずつ具体的になっていき、
カメラメーカーのオリンパスさん、写真雑誌PHaT PHOTOさんが加わり、
一緒に活動する島のメンバーも集まり、小豆島カメラは動き出しました。

と、そんな風にして始まった活動も2年。
Webサイトで毎日いまの小豆島を発信したり、写真展や撮影ツアーを行ったり。
年に数回、外から先生に来ていただいて、撮影方法や写真の展示方法に関する
レクチャーを受けさせてもらったりしてきました。

イラストレーターのDanny(ダニー)ちゃんに小豆島カメラのことを描いてもらいました。

みんなが撮った写真を並べてセレクト。贈りもののカードをつくります。

オリンパスさんによる写真講座。この日は田川梨絵先生に来ていただきフラッシュの勉強。

この2年でたくさんのことを得ました。
そのひとつが、撮影や取材仕事の依頼が来るようになったこと。
活動を継続してきたことで、小豆島カメラのことを知ってくれる人が増えました。
島の人から「パンフレットをつくるから商品の撮影をしてほしい」とか
「イベントの様子を撮ってもらえないかな」と頼まれたり、
島の外の人からもガイドブックの撮影仕事の依頼があったり。

穏やかな生活

2月最初の回覧板は、下旬に行われる遺跡の現地説明会の案内だった。
出所は「岡山県古代吉備文化財センター」。
去年の秋からだったか、県道沿いの、バイパスの架橋工事予定地の近くで、
ヘルメットをかぶった大人数が
赤っぽい地面の土にへばりつくようにして作業する姿を目にするようになった。
素人のぼくにもすぐに遺跡の発掘とわかる光景だった。
今回の回覧板で、その遺跡が「和田谷遺跡」と呼ばれていること、
約1300年前の奈良時代から鎌倉時代の掘立柱建物や
緑釉陶器が発見されていることが初めてわかった。
とくに歴史好きというわけじゃないけど、
うちから近いところにそんなものがあるというのは悪い気はしない。
その説明会にはたぶん行かないと思う。
でも、ひとりで散歩がてら近所にある遺跡を訪れて、
しばし土地の歴史に想いを巡らせるような、
そんな気持ちに余裕のある生活がしてみたいなと、
今回の回覧板を眺めながらそう思った。

「気持ちに余裕のある生活がしてみたいな」と思うのは、言うまでもない、
いまの生活に気持ちの余裕がないからだ。
子どもがいる人には少しはわかってもらえると思うが、
5歳と2歳の娘がいると気持ちの余裕は根こそぎ奪われがちだ。
朝も夜も慌ただしいことこのうえない。
25メートルプールを、息継ぎなしのクロールで
折り返し折り返しずっと泳いでいるようなこの感覚、この生活……。

益子在住の陶芸作家の個展を見る機会があった。
打ち合わせがあったカフェの隣だったのでたまたまだったわけだが、
すごく印象に残っている。
というのも、そこに彼の生活を紹介した雑誌の記事が展示してあり、
その暮らしぶりがなんとも素敵だったのだ。
奥さんとふたりの静かな田舎の生活。
質素で、静かで、穏やかで。そしてなによりぼくの心をぐっとつかんだのが、
彼らと一緒に暮らす犬だった。
優しそうな性格が表情に現れている白いシェパードと柴犬が、
彼らの生活に自然に溶け込んでいるように見えた。

メスの柴犬、ハティが我が家にやってきたのは2月1日だった。
児島の事務所からの帰り道、山道のちょうど峠を越えたところでハティがいた。
おばちゃんが一緒だった。でも、散歩するようなところではない。
迷ったか捨てられたかで長く山にいたのだろう。
骨が浮き出るくらいにガリガリで、首輪がなかった。
おばちゃんは見過ごせなかったに違いない。
自転車を降りて犬に寄り添ってはいるが、
これからどうしていいのかわからなくて困っている様子が
手にとるようにわかった。ぼくとタカコさんは声もかけず素通りして、
次女のツツが通う保育園に直行しピックアップした。
ツツの後はチコリの保育園だ。
でも、なんとなくさっき見た光景がぼくもタカコさんも気になっていて、
ぼくから「戻る?」と聞くと、「うん、戻ろう」と。
はたして彼らはまだそこにいた。
おばちゃんは中南米かどこかの外国の人だった。ぼくたちが犬を車に乗せると、
おばちゃんは「ヨカッタ、ヨカッタ」と言って泣いていた。
ハティという名前は、直後にピックアップしたチコリが車中でつけた。
友だちがもっている人形の名前からとったらしい。
そして我が家に戻り、サブとハティを同時に眺めているときにふと思い出したのが、
あの益子の陶芸作家、2匹の犬と一緒のあの穏やかな暮らしぶりだった。

ハティは少しずつ体重を増やしながら、
六条院の我が家の暮らしに慣れていっている。
普通の柴犬よりもさらに小柄なのだが、獣医さんによると5、6歳の成犬らしい。
サブの百倍しつけができている犬だった。
ちゃんとおすわりもするし、お手もする。
散歩しても、サブのような悪鬼の振る舞いは一切なく、
リードにテンションがかかることがない。
上品かつ軽やかに歩を刻むその姿はプリンセスのようである。
だが、この愛らしいハティちゃんにはひとつ大きな問題があることがわかってきた。
噛むのだ。おもにぼくを。なにがきっかけかわからない。
突然スイッチが入って、悪魔の本性をぼくに向ける。
男嫌いなのか、サブに対してもキツい。
そして、つい数日前のこと。
そのときも、なにかの拍子でサブに牙を向けて吠え立てた。
サブは困った顔で、クーンと泣くばかり。
「まあ、まあ、ハティちゃん、そう怒るなよ」
と、間に入ってカラダを撫でようとしたそのとき、ぼくの左腕をガブリ。
牙がぐいっと肉に食い込んだ。3度目だ。
前の2度は笑って許したが、3度目はない。
ぼくは右の拳で子鹿のようなハティの顔面にパンチを入れた。
立ち上がったぼくの脚を間髪入れず咬もうと飛びかかってきたところに、
サブにも入れたことのない強烈キックを。
それでも牙をむき出し飛びかかってきたハティに2度目のカウンターキック。
そして初めてひるんだところ、
二三歩助走をつけて飛び蹴りぎみの3度目のキックをお見舞いした。
しばし無言のにらみ合い……ハティは低い姿勢でぼくをねめ上げながら
アゴをがくがくさせ、ぼくは肩で息をしながらハティを見下ろし、
3度目のキックは絶対に余計だったなと、
そして益子的な穏やかな暮らしが始まる前に終わってしまったと感じていた。

あれからハティとぼくはスキンシップで関係の修復に努めているところだ。
あの日の経験はお互い忘れようもなく、
どちらかが突発的な動きをちょっとでも見せると素早く身を引き離す
いびつなスキンシップではあるんだけど。

だいぶん太って愛らしくなってきてハティちゃん。ハティは「ハリエット」の愛称だと友人のアメリカ人が教えてくれました。ちなみにサブも本名は「サブロー」です。

サブがこの位置まで来るとハティが吠える。吠え立てているときのハティは要注意だ。でも、この2匹も徐々に距離が縮まっているような気がする。

移住促進動画も ここまで来た! 『河童と人魚の延岡移住物語』

宮崎県北部の延岡市。
水質日本一(平成26年度国土交通省調べ)を誇る
五ヶ瀬川水系があり、宮崎が誇る
ご当地メニュー“チキン南蛮”の発祥の地でもありますが、
高速道路が繋がるまでは“陸の孤島”と呼ばれていたところでした。

そんな延岡市がこのたび、インパクト絶大な移住促進ムービー
『河童と人魚の延岡移住計画』を公開!
こちらの特設サイトで見ることができます。

気になるストーリーは…
宮崎県延岡市で観光PR映像を撮影中に、河童と人魚に遭遇した延岡市職員。

偶然写り込んでしまった河童と人魚

もし河童と人魚が移住してくれたら、河童と人魚の住むまちとして
延岡市を全国にPRするチャンス! 
そう考えた職員は、河童と人魚に延岡市の良いところを熱烈アピール、というもの。

ウルメイワシが日本一、アウトドアが魅力など、
あのてこの手で延岡に来てもらおうと奮闘します。
とは言っても、美味しい料理屋さんに連れて行かれた河童が
食べるのはやっぱりキュウリだったり、、など、
ツッコミどころが満載。
この動画に登場する職員さんはホンモノなんだそうです。

ずっとキュウリを食べている河童

東京で出逢う小さな鳥取。 大人気イベント 〈co-tori(コトリ)〉 今年も開催

鳥取の手仕事と旬の食材を、
東京・中目黒を街歩きしながら楽しむことができる
イベント、〈co-tori(コトリ)〉が今年もやってきます!

4年目となる今年は、2016年2月27日(土)から幕開け。
2月27日(土)~3月6日(日)まで、器と道具のショップ〈SML〉にて
陶器、和紙、型染め、鋼など鳥取の多彩な手仕事を紹介する
〈TOTTORI craft〉展を開催。
3月2日(水)・3日(木)の夜には、中目黒界隈の飲食店6店舗で
鳥取の日本酒と食材を楽しめる呑み歩き食べ歩きイベント〈co-tori BAL〉を行います。

昨年の会場

〈TOTTORI craft〉展に参加するのは、
牧谷窯、山根窯、福光焼、因州中井窯、
大因州製紙協業組合、延興寺窯、
吉田璋也デザイン ナイフ、山口邦子らの作家たち。

鳥取は民藝運動家 吉田璋也により民藝の思想が実践された地。
現在も「用の美」の精神と過去の技術に学びながらも、
今の時代にあったものづくりの姿勢が根付いているんです。
そんな鳥取の精神を感じることができる展示です。

そして大人気の〈co-tori BAL〉(コトリバル)。
3月2日(水)・3日(木)の二日間限定で、
18:00〜23:00(受付 21:30まで)にわたり、
鳥取の日本酒と食材を楽しむことができる呑み歩き&食べ歩きイベントです。

まずは、co-toriのメイン会場〈SML〉で参加費2500円を支払い、
登録を行ってイベントがスタート。
参加者の方には鳥取の窯元で作られたぐい呑みをプレゼントします。

めぐるお店は中目黒界隈の6店舗。
〈cafe RED BOOK〉、〈Malmö〉 、〈SOAKS〉、
〈nakameguro 燻製 apartment〉、〈バール・デルソーレ〉、
〈stove〉などいずれも個性的でおいしく、くつろげるお店ばかり。

各店舗がco-toriに合わせて用意した
鳥取食材を用いた限定メニューを注文すると、
鳥取産の地酒が1ドリンク無料でお楽しみいただけます。
全店舗を1日で回るもよし、2日間かけて回るもよし。
ぐい呑み片手に、夜の中目黒で鳥取を満喫してはいかが?

飛騨への移住で感じたこと 〈株式会社 飛騨の森で クマは踊る〉後編

こんにちは。ヒダクマの森口明子です。
前回の記事に続き、2回目の連載の機会をいただきました。
せっかくの機会なので、田舎暮らしに興味のある方や
飛騨に興味のある方もいらっしゃるかもしれないので
飛騨の暮らしなどについてもお話させていただきます。

飛騨との出会い

私の飛騨移住のきっかけは、タイミングと出会いと、
前回でもお話したとおり飛騨という土地が持つDNAやパワーに惹かれたことは大きいですが、
最終的に移住に至った理由は、自分が向かいたい方向が
ヒダクマの事業内容やビジョンと沿う点が多く、一緒に歩んでいけそうな気がしたからです。

伝統の文化や芸術を世界に広がる技術やアイデアと融合し、
新しいかたちで次世代へつないでいくこと、オープンな場を持つこと、
そして社会に還元できる持続的な取り組みであること。
伝統の文化を次世代へ発展するという取り組みは、
前回の記事でご紹介した、組木という知恵と技術の結晶をテクノロジーと組み合わせて
発展させていく事業であり、
場づくりはFabCafe Hidaという拠点を持つこと。

飛騨のカフェの平均的客数は平日10人、休日20人というから
都会とはまったく条件が違うわけですが、
都会にはない飛騨の特別な空気感と、
先に見える光景がとてもユニークだと感じました。

例えば、海外から訪問したデザイナーや建築家が、飛騨の職人や大工の方たちと、
木を中心にああでもないこうでもないと談義し、
工具やデジタルファブリケーションの機材を使いこなして実験を繰り返す脇では、
おじいやおばあ、子どもたちが
おいしい水でつくられた食べ物を囲みながら
興味津々にその活動を覗き込んでいるといった光景を想像すると、
その異色な雰囲気がまるでひとつの惑星のように思えてきます。

いろんな人がひっきりなしに出入りする活発な”ヒダプラネット”。
移り住むもよし、夏だけ住むもよし、ひと月ステイもよし。
受け入れてくれる土壌、風土、ひと、環境がある。
そんな環境をFabCafeを中心に生み出していきたい、と。

飛騨に移住したのは2015年6月15日。すべての荷物と住民票を手にいざ飛騨へ。
到着した日は朝の5時。不動産屋のお兄さんを待つあいだ、
ガラガラとカバンを引いて気の向くままに歩いていると
丘の上に悠然とそびえ立つ神社の鳥居が見えました。その圧巻な存在感に引っ張られ、
まるで瞬間移動したかのように、気づいたら鳥居の下にいました。

深い息を吸い込んでから、
飛騨到着の日記でも書こうかと柱に腰掛けてパソコンをカチャカチャ打っていると、
みるみるうちに飛騨の女性たちが増えていき、あっという間に集団に。
その日は女性による“草刈りの日”だったのです。

そしてあるひとりの女性が「お嬢さん何してるの?」と聞いてくれたので、
「今日から飛騨びとです。よろしくお願いします!」と言うと、
そのおばちゃんはとてもフレンドリーにお話してくれました。
それ以来、私は何かにつけて無意識にこの神社にいます。瞬間移動茶飯事。
時には夜中にまで行く始末。
(夜の神社には魑魅魍魎がうじゃうじゃいると言いますが、いうなれば彼らも仲間です(笑))

距離の限界と可能性

飛騨の生活は他地域とのコミュニケーションがなかなか骨が折れます。
会議は遠隔で、インターネットの調子が悪いと途切れるし、映像の質は不安定、
何よりもその場の雰囲気から読み取れる空気感や熱量の伝達に
インターネットの限界を感じます。人は対面しているときに無意識で無数の信号を発し、
空気中に投じられるそれらの暗号を読み取り解読しているんだな、と思います。

そして当然のことながら、コトは東京で起きてます。
人が集まれば集まるほどコトは起き、そこを中心につながりが生まれ、発展していきます。
ライブストリーミングなどはまだまだ大変な作業で莫大なコストがかかります。
地方の活性化が叫ばれる中、田舎でコトが起きていないことが
移住につながらない要因のひとつだとも感じます。

今後、都心の波が田舎にも広がっていく流れの必要性を感じます。
例えば、東京で行った都会に住む人同士のトークショーやイベントが、
東京と飛騨に生きる人との組み合わせによってもたらされる違った結果や発展。
複数の地方をツアーのようにまわることで、その地域特性と融合して生まれるマジック。
ツアー後には日本全体にその波紋が広がり、ひとつの新たな連携ができたら、
と考えるとワクワクしてきます。

暮らしぶり

ここに暮らしていると、毎日神々しい山や大自然を享受できることはとても幸せです。
空気もきれいだし、水もおいしいです。
当然のことながら水は全ての源泉であり、食べ物がとっても美味しいのです。
でも特に美味しいと感じるのは、米、餅、味噌、イワナ、野菜、ふきのとうや日本酒など。
飛騨の名産は今話題の荏胡麻や朴葉でその深みを味わうと、
ぐーっと細胞が目覚める感覚を味わえます。

でもやはり感じるのはやはり自分は都会人であるということ。
時に、「都会っぽさをなくさなきゃ溶け込めないよ」。とアドバイスされます。
半分理解しつつも、完全に都会さをなくすことは必要ないとも感じてます。
完全に溶け込んでしまっては新たな風を吹き込めないから。
でもこれまでに存在することのなかったポジション、中途半端なスタンスに立っていると、
普通に通り過ぎるはずの風が強く当ることもあります。

飛騨は多くの人が家族暮らし、とりわけ移住組みは家族ごと移住しています。
豪雪地帯の冬は雪下ろしや雪かき作業に追われ、車は滑りやすいなど、
日常的に困難が伴うため、支え合える、協力し合えるパートナーがいることは
理にかなっていると感じます。
都会ではひとりでも楽しく暮らせる環境が整っているしある意味自由を享受できますが、
田舎でのひとり生活は修行に近いものを感じます。(笑)

そして冬は冬眠しているかのようにまちが静かになります。
街のひとは寒いので外を出歩くことはあまりありません。
ただ、そんな飛騨も北半球とは違い、冬でもさんさんとお日様が照ります。
雪景色を太陽が照らすと、とても美しく幻想的な景色にあやかれます。

飛騨のひとはクリエイティブ!

飛騨にはDIYの血が色濃く流れています。家、家具、道具、米、野菜など
あらゆる生活に必要なものをささっとつくってしまうのです。
そもそも不便な環境だからこそ生活必需品は
自らの手を動かして生み出していくしかなかった歴史背景があります。
だから技術も知恵もある!
街を歩くと、あちらこちらでそんな”つくり手”や”職人”たちを目にすることができます。

震災から教えられたこと。 被災地から移住した のんちゃんが目指す村づくり

震災後に移住したわたしとのんちゃんの共通点と相違点

エコビレッジをつくる拠点として、春になったら空き家をリノベーションし、
また購入を計画中の山での活動を始めようとしているいまこのときに、
ぜひ、ある女性のことを紹介しておきたいと思う。
その女性とは、のんちゃんこと飛澤紀子さんだ。

彼女とは少なからぬ縁がある。
いま、のんちゃんは“村”をつくりたいという構想を持っていて、
さまざまな行動を起こしている。
そして、リノベを考えている空き家がある岩見沢の美流渡(みると)地域に、
村をつくるための場所を探しに来たことがあるといい、
また、なんとわたしが購入しようとしている山の土地についても、
以前に買うことを検討していたそうだ。
さらに、お互い東日本大震災がきっかけになり北海道へ移住をしており、
その時期も5年ほど前とちょうど重なっている。

のんちゃんは現在34歳。北海道に移住してからコミュニティラジオに出演したり、お話会を開催したりと、自身の体験を伝える活動を続けてきた。

こうしたいくつもの接点があるが、大きく違う点もある。
彼女は福島の鏡石町の出身で、震災によって自宅が半壊し、
避難所生活を経て北海道へ自主避難をした。
わたしは東京で震災を体験し、その後、直感的に
都会的な暮らしからシフトする必要性を感じて、この地に移住してきたわけだが、
違う点というのは震災への向き合い方だ。

震災とは自分にとってなんだったのかについて、
わたしはうまく言葉にできていないし、移住したことに後悔はないけれど、
仕事の関係もあって毎月東京に出向き、中途半端な状態であることが
心に引っ掛かっている。
対して、のんちゃんは震災という事実をしっかりと受け止め、
自身の進むべき道を見出しており、そのビジョンが“村”へとつながっているのだ。
今回は、のんちゃんの村づくりへの想いをリポートしつつ、
自分が移住して抱えているモヤモヤとした部分にも切り込んでいけたらと思って、
この原稿を書いている。

のんちゃんの家。〈ひまわりスマイルのんちゃんち〉というコミュニティスペースとして、さまざまなイベントや集いの場としてこの家を使っている。

1000人超のエキストラ! 振付稼業air:man振り付けの 〈SAGEMON GIRLS〉公開

福岡県南部の柳川といえば、九州でも有数の観光地。
毎年120万人以上の観光客が訪れています。
市街地に張り巡らされた掘割を進む“川下り”はよく知られていますね。

近年は特にアジアからの外国人観光客が急増し、
2014年には外国人観光客数が9万人を突破。
2016年は10万人以上の来訪が見込まれているのだそう。
そんな柳川市のプロモーションムービー〈SAGEMON GIRLS〉が公開されました。

ムービーでは、柳川市のPRのために誕生した、
3人組のダンスチーム〈SAGEMON GIRLS〉と柳川市民のみなさんが、
ダンスをしながら観光スポットや名物を次々と紹介していきます。

SAGEMON GIRLS

名前になっている“さげもん”とは、柳川発祥の雛飾りのこと。
40cmほどの竹の輪に紅白の布を巻き、ひもを下げて、
袋物や柳川まりを吊るすものです。
〈SAGEMON GIRLS〉は雛人形の三人官女を擬人化したキャラクターで、
着物や髪飾りにさげもんが使われているんです。

こちらが“さげもん”

こちらが“三人官女”

〈SAGEMON GIRLS〉のキュートなダンスの振り付けは、
温泉の中でシンクロする女子選手が話題になった
〈おんせん県おおいた シンフロ〉の振り付けをてがけ、
年間約1,000件の振付をこなす売れっ子作家
〈振付稼業air:man〉によるもの!

〈振付稼業air:man〉

1000人を超えるエキストラダンサーが参加!

このムービーは、自治体のPR動画史上最大規模と言われるもの。
スタッフは総勢100人以上、昨年12月に行われた撮影では
柳川市民を中心とした1000人を超えるエキストラダンサーが参加したのだそう。
直径30mの相撲ドーム「雲龍の郷」ではお相撲さんと一緒にダンスしたり、
撮影のため特別に組み上げた沖端水天宮祭の舟舞台〈三神丸〉を中心に、
〈SAGEMON GIRLS〉と柳川市民がダンスしまくります!
ドローン空撮を使った壮大なクライマックスにはご注目。

舟舞台〈三神丸〉

名勝・柳川藩主立花邸〈御花〉

直径30mの相撲ドーム「雲龍の郷」ではお相撲さんと一緒にダンス♪

島のみんなでつくった本 『おいでよ、小豆島。』

等身大の私たちの暮らしを綴る

おいでよ、小豆島。
ずばりそのまんまのタイトルの新しい本ができました。
すごくすてきな本なんです。

この本の著者は、2年前に小豆島に移住してこられた平野公子(きみこ)さん。
そして島で暮らしているみんなです。

メディアに載る美しすぎる小豆島ではない、
私が島で知り合った若者たちと一緒に綴る小豆島の等身大を記しておきたくて……

と公子さんは本の冒頭で書いているのですが、その通り、
キレイな観光スポットの写真やおいしそうな食べ物の写真が載っているんじゃなくて、
島で暮らす20〜40代のメンバーがどんなことを考え、どんなふうに暮らしているか、
それぞれの言葉で直接書かれているのがとてもおもしろいんです。

著者の平野公子さん。メディアプロデューサーであり、東京で小劇場〈シアターイワト〉を運営されていた方です。

できあがった本。ついつい読みたくなる。

出版記念の集まり。島のカフェ〈タコのまくら〉で。

実は私たち家族も登場しています。
「島の職人を訪ねて」というテーマのもと、
イラストレーターのオビカカズミさんが1年以上かけて何度も島に通い、
まとめてくれたイラストルポの中で出てきます。
ちなみにオビカカズミさんは小豆島からフェリーで1時間ほどのところにある
高松市在住ですが、島に住んでるんじゃないかというほど頻繁に島にいます(笑)。
ほぼ島の人ですね。

オビカカズミさん(写真左)と一緒に。現在、オビカカズミ個展〈オト、オト、オト〉を島のギャラリー〈MeiPAM01〉で開催中。2月28日まで。

同じく島のギャラリー〈MeiPAM02〉では〈おいでよ、小豆島。出版記念展〉を開催中。本に掲載されているイラストや写真を見ることができます。2月28日まで。

津軽の海に厄災を流す。 初夏の渚に広がる祈りのとき 〈大間越春日祭〉

初夏の西津軽で行われる海と人の物語

東北の祭礼への旅。

それは東北が好きになり、岩手へ移住した僕にとっては必然の旅だった。
この土地で生きてきた人々が何に祈り、何を願うのか。

祭礼を訪れることで、
自分がこれから暮らしていこうとする東北という風土の理解を
深められるのではないか。
そんな思い携えて、東北各地に伝わる祭礼を訪ねる旅を始めた。

最初に目指したのが、西津軽の海岸線のはじまりとなる半漁半農の集落だった。

第24話・はたしてどうなる? グレアムさんの新年の誓い

第24話
はたしてどうなる?
グレアムさんの新年の誓い

神戸で新年を迎えたグレアムさん。
毎年大晦日には家計簿を付けて
1年を振り返り、新年の誓いを立てるそうです。
今年の誓いは「貯金」にしたグレアムさんですが、
神戸の新年は誘惑が多くて…。

いよいよ山の土地購入へ。 山プロジェクトも始動!

山の土地購入計画の結末は……?

エコビレッジをつくりたいと山の土地探しを続けるなかで、
ぜひ買いたいと思ったすてきな場所があった。
そこは、岩見沢の市街地から車で30分ほどのところにあり、360度の展望が広がる、
まるで『アルプスの少女ハイジ』に出てきそうな美しい場所で、
“ハイジの丘”と呼んでいる。
これまでもこの山については少しだけ触れてきたが、
今回はその購入計画の経緯について書いてみたい。

ハイジの丘にひと目惚れした勢いで、
昨年の秋から地主さんへのアプローチを続けたところ、
具体的な金額をこちらで提案するという話にまでこぎ着けることができた。
そこで、この土地を共同購入しようとしている農家の林宏さんとともに、
地元の農業委員会や森林組合へ行って、相場についてリサーチをしていった。

着々と準備を進めていったわけなのだが、そんななかである疑問がわいてきたのだった。
それは、本当にわたしたちがこの土地を買ってもいいのだろうか? という疑問だった。
地主さんは手放す意思があると言っていたが、おつき合いをしていくなかで、
この土地にとても愛着を持っていることがわかってきた。
そして、頻繁に自宅からこの山へ通って
畑の手入れや山の草刈りをしている様子を知るにつれ、
この土地を手放してしまったら山での楽しみがなくなってしまうのではないかと、
わたしたちのほうが心配になってきた。
そうした疑問を抱えつつではあったが、林さんと土地の値段について検討し、
あるとき地主さんに提案をしようとしたときのことだった。

「やっぱりもう少し、山で畑を続けたいんだよね」
地主さんは、わたしたちについにその気持ちを伝えてくれた。
この言葉を聞いたとき、もちろんちょっぴり残念ではあったけれど、
林さんもわたしも不思議に安堵した。
あれほど愛着を持って手入れをしているからこそ、あの山は美しいのだし、
このままであることがいちばん自然、そう思えたのだ。

日中でも氷点下。家の軒先にはつららが!

土はすっかり雪におおわれた。その下で植物たちはじっと春を待っている。

摂氏0度の朝

「おまえ、それはちと遅いんじゃないか?」と、
そんな非難やご指摘を覚悟の上で言わせてもらうと、
このように回覧板をテーマに書くことになって、
わが町・鴨方町六条院には二種類の回覧板が存在することがわかってきた。
ひとつは一般的な回覧板。
地域の催しなど伝達事項が文具店やホームセンターで売られている
普通のバインダーに挟まれ回ってくる。
そしてもうひとつがJAの回覧板だ。
A4サイズ、二つ折りのビニール製の専用バインダーで、
表紙部分には「回覧板」と「JA六条院」の文字がプリントされている。
日本列島を大寒波が襲った1月の下旬のその日にやって来たのも後者、
JAのそれだった。内容は、廃農薬回収のお知らせと果樹苗木の注文書。
果樹の種類は桃、ぶどう、柿、りんご、梅。
それぞれに細かく品種が分かれており、最多は桃で17品種にも及ぶ。
去年はご近所さんからありとあらゆる野菜をいただいた。
さすがフルーツ王国といわれる岡山だけあって、
いただいた果物も実にいろいろ、
イチゴに桃、スイカ、ぶどう、梨、柿、キウイ、リンゴなどなど。
あの中にはこの回覧板でJAに発注した苗木から育てられた分も
少なからずあったにちがいない。
いずれにしても、それがJAであろうがなかろうが、
近所の人たちからもらったものはことごとく美味かった。
幸い畑もあることだし、今年はいくらか自分でも作ってみようと思っている。

回覧板には定められたルートがあって、ぼくが次に回すのはAさん宅と決まっている。
この家、なかに入ったことはないんだけど、
どの部分をとっても懐かしい匂いがある。
築年数で70〜80年は経っているだろうか。
焼杉(杉を真っ黒に焼いた壁板)と泥壁の外観で、
アルミ製のサッシを入れるようなリフォームも一切施していない、
いわゆる昔ながらの日本家屋だ。
回覧板を回すのに、この家以上にふさわしい家もない。
トイレとお風呂が離れているつくりも、懐かしさに拍車をかけている。
しかもそのお風呂というのが五右衛門風呂、毎日薪で炊いているのだ。
夏の夕方、野良仕事の疲れを癒しているのだろう、
まだ陽も高いうちに細い煙突の先から白い煙をたゆたわせている光景を目にすると、
ぼくまでほのかに幸せな気分になったものだ。

五右衛門風呂こそないのだけれど、かくいう我が家も昔ながらの日本家屋である。
築80年の平屋の母屋の南側に2階建てをごっそり増築したつくりで、
その増築が50年前というからすべてにおいて古い。
しかし、昔の日本の家というのは、そらおそろしくなるほどよくできている。
夏の日中、外気温は35℃以上もあるというのに、
家のなかに入ると鍾乳洞のようにひんやり。
おかげで去年の夏はエアコンなしでも涼しい顔でいられたのである。
そしてその古い日本家屋で迎えた初めての冬……。

「あ、これしもやけだ」
風呂から上がり、足の爪を切るのと同じ体勢で足の指を見ていたタカコさんが言った。
あまりにも久しく聞かない言葉だったので、
ぼくはしもやけがどんな症状なのかまったく思い出せなかった。
「しもやけって、どんなんだっけ?」
「なんかね、むずむずしてかゆくて、ちょっと痛いのよ」
さほど深刻でない痛手のうちの、まさにこれくらいのものに対して、
同情よりも小意地の悪さが打ち勝ってしまうのがぼくの性格である。
でも、それがえてして諍いのもととなり、
大きな痛手となって返ってくることがままあることを学習しているので、
言葉は同情を装ってみるのだけれど、
それはやはり言葉の上っ面だけのものなので、意味もないものが付属していたりする。
たとえば、薄っぺらい無意味な笑いとか。
「そうなんだ、へへへ大丈夫?」
それから2日後のこと。チコリとツツを風呂に入れていると、
なにやら左の足の指先がむずむずする。
かゆいといって掻くほどじゃないんだけど、うっすらかゆいような。
風呂から上がって、むずむずする部分を見てみた。
人差し指と中指にあたる部分の爪の下あたりが赤くなっている。
「タカコさん、あのさ、これってなんだろうね?」
「ああっ! それ、しもやけじゃん!」
「やっぱり……へへへ」
古い日本家屋で迎えた初めての冬、ぼくたちはそろってしもやけになった。

昔の日本家屋というのは本当によくできている。
でも、それは冬にはあてはまらない。
昔の人は冬になるとみんな沖縄に行っていたのだ。
そう思えるくらい、昔の日本家屋は冬に対して無防備なのである。
JAの回覧板がやってきた1月のその日の朝、
我が家のリビングの気温計は0℃だった……。

リビングからの光景。室内の天井と空間を間仕切る建具をほとんど取っ払ってしまったので、当然暖房効率は悪い。さらに、1階部分の床の半分以上を土間に、おまけに一部2階の床をぶち抜いて吹き抜けにしているので、暖房を目一杯きかしても室温が二桁になる日はまずない。

EATBEAT! in 高松 〈ことでん〉に乗って まちの風景と食材と音楽を楽しむ

ローカル線でおいしく楽しいイベント

昨年春から始まった〈EATBEAT! in 高松〉。
地元高松の食材を使った料理をEAT(料理)担当の堀田裕介さんがつくり、
その調理の際に出る音をBEAT(音)担当のヘンリーワークさんが集めて
ひとつの音楽をつくっていくライブパフォーマンス。
私たちはその過程を見て楽しみ、聞いて楽しみ、
完成した料理を味わって楽しむ、そんなイベントです。

春に開催されたプレス・関係者向けのイベントから始まり、
夏は高松からフェリーで20分ほどのところにある女木島(めぎしま)、
秋は高松市中央卸市場を舞台に。
そして最後の回となる冬は、高松を走る電車〈ことでん〉の車内で。
私は小豆島カメラとしてこの1年を通したイベントの撮影のお手伝いをしてきました。

寒い1月の朝、フェリーの上から朝焼けを眺めながら小豆島から高松へ。
スタッフ集合場所の仏生山(ぶっしょうざん)駅までことでんに乗って行きます。
小豆島に鉄道はないので、電車に乗るのはけっこう新鮮だったりします。

小豆島から高松へはフェリーで1時間。デッキで朝焼けを眺めながら。寒い……。

久しぶりに乗ることでん。

今回のメイン会場は、仏生山駅のすぐ隣にある仏生山車両倉庫とことでん車内。
車両倉庫に着くと、料理スタッフの皆さんがすでにお餅用のもち米を蒸したり、
あんこを丸めたり準備をしていました。
なかなか遭遇できないシチュエーション。
電車の整備工場で料理(笑)。
何やらおもしろいことが始まりそうです。

仏生山駅の隣にある仏生山車両倉庫。

イートビート! おもしろそうなことが始まりそうな気配。

丸められるあんこ。何ができるのかな。

そしてもうひとつの会場、EATBEAT! 特別列車へ。
2両編成の列車を貸切り、その日は特別ダイヤで運行します。
吊り広告ももちろん、EATBEAT!
つり革には干し柿がぶら下がっていたりして、もうそれだけでワクワク。
いよいよ電車はお客さんをお迎えに高松築港(たかまつちっこう)駅に向かいます。

EATBEAT! 特別列車。吊り広告ももちろんEATBEAT!

ワクワクする要素がいっぱい。

本日のお品書きをするヘンリーワークさん。

つり革にぶら下がってる干し柿。もちろん食べられます!

四国地方で一番 小さなまちが東京へ。 〈旅する上勝カフェ @下北沢 in 2016〉

2月7日(日)、東京・下北沢にて
〈旅する上勝カフェ@下北沢2016〉が開催されます。

これは、徳島県・上勝町(かみかつちょう)の皆さんとインターン卒業生が
上勝町を日本一楽しいまちにする仲間を探すため、
下北沢に“上勝町の雰囲気”をまるごとつくり出すイベントです。

上勝町は、人口約1700人の四国地方で一番小さなまち。
上勝に住む人はどこか個性的で、外から来た人はいつのまにか
ファンになってしまうのだとか。
おばあちゃんの“葉っぱビジネス”や
ゴミの34分別“ゼロウェイスト”のまちとしても知られています。

このたびのイベントでは、そんな上勝町の
魅力をお伝えするべく、葉っぱ農家のおばあちゃんによるトークや
上勝町に住む皆さんとの交流会、移住相談、
音楽ライブ、大福引大会などを開催。

会場にはカフェスペースがオープンし、郷土料理や上勝産スイーツを
楽しみながら、上勝町に住む方々とお話もできます。

また、屋外会場では、阿波踊りを主軸に新しい日本芸能の可能性に挑む
創作舞踊集団〈寶船〉(たからぶね)の公演が決定!
徳島といえば、阿波踊り。これは楽しみですね。

主宰は、町の移住交流人口の増加を目指し、5年前から
インターンシップ事業に取り組んできた〈株式会社いろどり〉さん。
インターンシップ研修には、これまでに600人が参加し、
その中から37名の方が移住しているそうです。

今回のイベントでも、東京近辺に住むインターン修了生およそ30名が
運営に参加しているのだそう。
いろどりさんの活動は移住者を増やすだけではなく、
“上勝ファン”を増やし、つながりを広げていく試みでもあるんです。

秩父産メープルってどんな味? 〈和メープルエコツアー2016〉 参加者募集開始

コロカルで今週、新連載〈ちちぶメープルプロジェクト〉がスタートしました。
これは、埼玉県秩父の森で、
メープルシロップを作る施設〈シュガーハウス〉の
設立するべく奮闘する井原愛子さんが綴る連載。
メープルといえばカナダが有名ですが、実は埼玉県秩父で
カエデの樹液からメープルシロップをつくる取り組みが
行われているんです。

さてその井原さんらが毎年開催している人気企画、
〈和メープルエコツアー2016〉が今年も開催!
2016年2月6日(土)、20日(土)、26日(金)、27日(土)、
3月4日(金)、5日(土)の全6回にわたり開催されます。
内容は、カエデの森の散策や採りたて樹液の試飲に、
ランチはおいしい和メープルのコースを。
秩父でこの時期だけでしか体験できないエコツアーです。

ランチ