えひめで、働く、暮らす、育てる。 〈えひめ職の担い手移住フェア in 東京〉 イベントレポート

“仕事”からイメージしてみる、えひめ移住

自分らしいスタイルで働きたい、地域活性の活動に興味がある、
より良い環境で子育てをしたい、充実したセカンドライフを送りたい……など、
さまざまなかたちで地方移住への関心が近年高まりつつあります。
でも移住を決断するまで、考えたり決断しなければいけないことはたくさん。
そして多くの人が一番悩むと思われるのが
「日々の暮らしを支える“仕事”をどうするか?」ということ。

でも“仕事”をまず切り口に、移住した後の生活の魅力を考えてみるというのは、
実はイメージしやすい検討方法のひとつ。
そんなアイデアのもと、“仕事の選択からえひめ移住をイメージしてみる”をテーマに
開催されたのが〈えひめ職の担い手移住フェア in 東京〉
愛媛県の職の魅力、そこから見えてくる暮らしや環境を紹介する、
地方への移住や愛媛県へのU・J・Iターンを考えている方に向けたイベントです。

2月14日(日)・21日(日)・27日(土)の3日間に分けて、
農業、福祉、サービスなど、多彩な職種の愛媛県の企業が一堂に集結する
〈えひめ職の担い手移住フェア in 東京〉。
今回は2月14日(日)に開催されたフェアの様子をお届けします。

フェアの開会の挨拶をする、愛媛県企画振興部長の門田さん。

第1回目となるこの日のフェアに参加されたのは、20代から60代の方々。
ご夫婦で参加された方もいれば、お子さんと一緒に会場へいらした方も。
受付後は〈おせっかい人〉と呼ばれるスタッフに引き合わされ、
フェア開始までの間にどんなことに興味があるのか、どの参加企業と面談したいか、など
簡単なヒアリングが行われます。

愛媛県企画振興部長の門田泰広さんによる開会の挨拶に続いて行われたのが、
東京・有楽町にある〈ふるさと回帰支援センター〉で
愛媛県専任の移住相談員である〈えひめ移住コンシェルジュ〉の松岡朋枝さんによる
愛媛県でのライフスタイルの紹介。
温暖な気候による暮らしやすさ、住環境が充実しているので
通勤・通学時間が全国で一番短いこと、
そして全国で2番目に仕事の平均時間が短いことなどから、
仕事をしながらも自分の時間や家族との時間を持ちやすいといった、
愛媛県だからこそ送れる生活の特長を紹介。
また県内には自治体の移住担当窓口以外にも、NPOなどで移住を支援している団体があり、
移住をサポートする体制を整えているという、頼もしいひと言もありました。

愛媛県への先輩移住者である冨田さん。東京に住まれていた頃は、広告代理店に勤務されていたのだそう。

続いて行われたのが先輩移住者として、
震災をきっかけに東京から愛媛県伊予市に移住した先輩移住者の冨田敏さんによる経験談。
自然が多く、子育てがしやすいことや、地域の方々とのやりとりについて紹介。
移住後の暮らしに関するリアルな声ということもあり、
どの参加者も真剣に聞き入っているのが印象的でした。

そして冨田さんを司会に行われたのが、この日フェアに参加した企業9社の紹介。
その職種は農業や福祉にはじまり、宇和島のバス会社や老舗旅館までと実にバラエティ豊か。
また各企業における仕事の内容だけでなく地元に関する紹介も行われ、
ひとくちに愛媛県といっても沿岸部や離島など海と縁のある地域から、
ウィンタースポーツ施設が整った高原まで、地域によって環境がいかに異なるかを実感。
“仕事”だけでなく、環境という面でも幅広い選択肢があるのも
愛媛県ならではの魅力かもしれません。

フェアの参加企業の紹介は各社のPRムービーと共に。

参加者の皆さんが座られているのは、みかん畑で使用されるコンテナ。座面が広いせいか、思いのほかいい座り心地。

各社の紹介が終わった後は、参加者と企業との面談がスタート。
面談といっても採用面接のような重苦しさはなく、
“まずは話を聞いてみたい”というスタンスでも参加できることもあり、
和やかな雰囲気につつまれていた会場。
待ち時間中はケータリングコーナーでジャコ天やみかんジュースなど
愛媛県ならではの軽食を楽しめたり、〈おせっかい人〉に追加でヒアリングもしてもらえたりと、
リラックスした雰囲気の中で移住に関する情報を得られるフェアでした。

会場には、たくさんのみかんも。愛媛県ならではの、うれしいおもてなし。

会場内のキッズスペースには、愛媛県で育った木でつくられたおもちゃや、愛媛県出身アーティストのMAYA MAXXさんの絵本が。

この記事を読んで愛媛県への移住に関心を持たれた方もいるかもしれませんが、
人生における大きなライフイベントとなる移住。
移住先を決めるときのポイントや準備、移住までの流れなど、
気になることはたくさんあると思います。そこで次のページでは、
今回のフェアにも参加されている相談機関の方々にうかがった話をご紹介します。

地方で仲間をつくって 活動するということ

小豆島カメラの2年間

島で暮らしている友人たちと〈小豆島カメラ〉として活動し始めてもうすぐ2年。
「見たい食べたい会いたい」をテーマに、
暮らしているからこそ出会えるシーンを撮影して発信しています。
この小豆島日記でも何度か活動のことを書いているので、
ご存知の方もいるかもしれませんね。

この活動が始まったきっかけは、写真家のMOTOKOさんの
「デザインも地産地消しよう」という考え。
外からプロのカメラマンさんに来てもらって撮影するんじゃなくて、
暮らす人たち自らが写真を撮って島の魅力を伝えることができたらいいよねと。
MOTOKOさんとは、2013年の瀬戸内国際芸術祭の際に
〈小豆島の顔〉プロジェクト(島で暮らす225人の方を撮影し、島の風景の中に展示)を
一緒に行い、その後も何度か小豆島に来てくださり、
写真や地方での活動について教えてもらっています。
いろいろな話をするなかで、自分たちの手で写真を撮って
発信していけないかという思いが少しずつ具体的になっていき、
カメラメーカーのオリンパスさん、写真雑誌PHaT PHOTOさんが加わり、
一緒に活動する島のメンバーも集まり、小豆島カメラは動き出しました。

と、そんな風にして始まった活動も2年。
Webサイトで毎日いまの小豆島を発信したり、写真展や撮影ツアーを行ったり。
年に数回、外から先生に来ていただいて、撮影方法や写真の展示方法に関する
レクチャーを受けさせてもらったりしてきました。

イラストレーターのDanny(ダニー)ちゃんに小豆島カメラのことを描いてもらいました。

みんなが撮った写真を並べてセレクト。贈りもののカードをつくります。

オリンパスさんによる写真講座。この日は田川梨絵先生に来ていただきフラッシュの勉強。

この2年でたくさんのことを得ました。
そのひとつが、撮影や取材仕事の依頼が来るようになったこと。
活動を継続してきたことで、小豆島カメラのことを知ってくれる人が増えました。
島の人から「パンフレットをつくるから商品の撮影をしてほしい」とか
「イベントの様子を撮ってもらえないかな」と頼まれたり、
島の外の人からもガイドブックの撮影仕事の依頼があったり。

穏やかな生活

2月最初の回覧板は、下旬に行われる遺跡の現地説明会の案内だった。
出所は「岡山県古代吉備文化財センター」。
去年の秋からだったか、県道沿いの、バイパスの架橋工事予定地の近くで、
ヘルメットをかぶった大人数が
赤っぽい地面の土にへばりつくようにして作業する姿を目にするようになった。
素人のぼくにもすぐに遺跡の発掘とわかる光景だった。
今回の回覧板で、その遺跡が「和田谷遺跡」と呼ばれていること、
約1300年前の奈良時代から鎌倉時代の掘立柱建物や
緑釉陶器が発見されていることが初めてわかった。
とくに歴史好きというわけじゃないけど、
うちから近いところにそんなものがあるというのは悪い気はしない。
その説明会にはたぶん行かないと思う。
でも、ひとりで散歩がてら近所にある遺跡を訪れて、
しばし土地の歴史に想いを巡らせるような、
そんな気持ちに余裕のある生活がしてみたいなと、
今回の回覧板を眺めながらそう思った。

「気持ちに余裕のある生活がしてみたいな」と思うのは、言うまでもない、
いまの生活に気持ちの余裕がないからだ。
子どもがいる人には少しはわかってもらえると思うが、
5歳と2歳の娘がいると気持ちの余裕は根こそぎ奪われがちだ。
朝も夜も慌ただしいことこのうえない。
25メートルプールを、息継ぎなしのクロールで
折り返し折り返しずっと泳いでいるようなこの感覚、この生活……。

益子在住の陶芸作家の個展を見る機会があった。
打ち合わせがあったカフェの隣だったのでたまたまだったわけだが、
すごく印象に残っている。
というのも、そこに彼の生活を紹介した雑誌の記事が展示してあり、
その暮らしぶりがなんとも素敵だったのだ。
奥さんとふたりの静かな田舎の生活。
質素で、静かで、穏やかで。そしてなによりぼくの心をぐっとつかんだのが、
彼らと一緒に暮らす犬だった。
優しそうな性格が表情に現れている白いシェパードと柴犬が、
彼らの生活に自然に溶け込んでいるように見えた。

メスの柴犬、ハティが我が家にやってきたのは2月1日だった。
児島の事務所からの帰り道、山道のちょうど峠を越えたところでハティがいた。
おばちゃんが一緒だった。でも、散歩するようなところではない。
迷ったか捨てられたかで長く山にいたのだろう。
骨が浮き出るくらいにガリガリで、首輪がなかった。
おばちゃんは見過ごせなかったに違いない。
自転車を降りて犬に寄り添ってはいるが、
これからどうしていいのかわからなくて困っている様子が
手にとるようにわかった。ぼくとタカコさんは声もかけず素通りして、
次女のツツが通う保育園に直行しピックアップした。
ツツの後はチコリの保育園だ。
でも、なんとなくさっき見た光景がぼくもタカコさんも気になっていて、
ぼくから「戻る?」と聞くと、「うん、戻ろう」と。
はたして彼らはまだそこにいた。
おばちゃんは中南米かどこかの外国の人だった。ぼくたちが犬を車に乗せると、
おばちゃんは「ヨカッタ、ヨカッタ」と言って泣いていた。
ハティという名前は、直後にピックアップしたチコリが車中でつけた。
友だちがもっている人形の名前からとったらしい。
そして我が家に戻り、サブとハティを同時に眺めているときにふと思い出したのが、
あの益子の陶芸作家、2匹の犬と一緒のあの穏やかな暮らしぶりだった。

ハティは少しずつ体重を増やしながら、
六条院の我が家の暮らしに慣れていっている。
普通の柴犬よりもさらに小柄なのだが、獣医さんによると5、6歳の成犬らしい。
サブの百倍しつけができている犬だった。
ちゃんとおすわりもするし、お手もする。
散歩しても、サブのような悪鬼の振る舞いは一切なく、
リードにテンションがかかることがない。
上品かつ軽やかに歩を刻むその姿はプリンセスのようである。
だが、この愛らしいハティちゃんにはひとつ大きな問題があることがわかってきた。
噛むのだ。おもにぼくを。なにがきっかけかわからない。
突然スイッチが入って、悪魔の本性をぼくに向ける。
男嫌いなのか、サブに対してもキツい。
そして、つい数日前のこと。
そのときも、なにかの拍子でサブに牙を向けて吠え立てた。
サブは困った顔で、クーンと泣くばかり。
「まあ、まあ、ハティちゃん、そう怒るなよ」
と、間に入ってカラダを撫でようとしたそのとき、ぼくの左腕をガブリ。
牙がぐいっと肉に食い込んだ。3度目だ。
前の2度は笑って許したが、3度目はない。
ぼくは右の拳で子鹿のようなハティの顔面にパンチを入れた。
立ち上がったぼくの脚を間髪入れず咬もうと飛びかかってきたところに、
サブにも入れたことのない強烈キックを。
それでも牙をむき出し飛びかかってきたハティに2度目のカウンターキック。
そして初めてひるんだところ、
二三歩助走をつけて飛び蹴りぎみの3度目のキックをお見舞いした。
しばし無言のにらみ合い……ハティは低い姿勢でぼくをねめ上げながら
アゴをがくがくさせ、ぼくは肩で息をしながらハティを見下ろし、
3度目のキックは絶対に余計だったなと、
そして益子的な穏やかな暮らしが始まる前に終わってしまったと感じていた。

あれからハティとぼくはスキンシップで関係の修復に努めているところだ。
あの日の経験はお互い忘れようもなく、
どちらかが突発的な動きをちょっとでも見せると素早く身を引き離す
いびつなスキンシップではあるんだけど。

だいぶん太って愛らしくなってきてハティちゃん。ハティは「ハリエット」の愛称だと友人のアメリカ人が教えてくれました。ちなみにサブも本名は「サブロー」です。

サブがこの位置まで来るとハティが吠える。吠え立てているときのハティは要注意だ。でも、この2匹も徐々に距離が縮まっているような気がする。

移住促進動画も ここまで来た! 『河童と人魚の延岡移住物語』

宮崎県北部の延岡市。
水質日本一(平成26年度国土交通省調べ)を誇る
五ヶ瀬川水系があり、宮崎が誇る
ご当地メニュー“チキン南蛮”の発祥の地でもありますが、
高速道路が繋がるまでは“陸の孤島”と呼ばれていたところでした。

そんな延岡市がこのたび、インパクト絶大な移住促進ムービー
『河童と人魚の延岡移住計画』を公開!
こちらの特設サイトで見ることができます。

気になるストーリーは…
宮崎県延岡市で観光PR映像を撮影中に、河童と人魚に遭遇した延岡市職員。

偶然写り込んでしまった河童と人魚

もし河童と人魚が移住してくれたら、河童と人魚の住むまちとして
延岡市を全国にPRするチャンス! 
そう考えた職員は、河童と人魚に延岡市の良いところを熱烈アピール、というもの。

ウルメイワシが日本一、アウトドアが魅力など、
あのてこの手で延岡に来てもらおうと奮闘します。
とは言っても、美味しい料理屋さんに連れて行かれた河童が
食べるのはやっぱりキュウリだったり、、など、
ツッコミどころが満載。
この動画に登場する職員さんはホンモノなんだそうです。

ずっとキュウリを食べている河童

東京で出逢う小さな鳥取。 大人気イベント 〈co-tori(コトリ)〉 今年も開催

鳥取の手仕事と旬の食材を、
東京・中目黒を街歩きしながら楽しむことができる
イベント、〈co-tori(コトリ)〉が今年もやってきます!

4年目となる今年は、2016年2月27日(土)から幕開け。
2月27日(土)~3月6日(日)まで、器と道具のショップ〈SML〉にて
陶器、和紙、型染め、鋼など鳥取の多彩な手仕事を紹介する
〈TOTTORI craft〉展を開催。
3月2日(水)・3日(木)の夜には、中目黒界隈の飲食店6店舗で
鳥取の日本酒と食材を楽しめる呑み歩き食べ歩きイベント〈co-tori BAL〉を行います。

昨年の会場

〈TOTTORI craft〉展に参加するのは、
牧谷窯、山根窯、福光焼、因州中井窯、
大因州製紙協業組合、延興寺窯、
吉田璋也デザイン ナイフ、山口邦子らの作家たち。

鳥取は民藝運動家 吉田璋也により民藝の思想が実践された地。
現在も「用の美」の精神と過去の技術に学びながらも、
今の時代にあったものづくりの姿勢が根付いているんです。
そんな鳥取の精神を感じることができる展示です。

そして大人気の〈co-tori BAL〉(コトリバル)。
3月2日(水)・3日(木)の二日間限定で、
18:00〜23:00(受付 21:30まで)にわたり、
鳥取の日本酒と食材を楽しむことができる呑み歩き&食べ歩きイベントです。

まずは、co-toriのメイン会場〈SML〉で参加費2500円を支払い、
登録を行ってイベントがスタート。
参加者の方には鳥取の窯元で作られたぐい呑みをプレゼントします。

めぐるお店は中目黒界隈の6店舗。
〈cafe RED BOOK〉、〈Malmö〉 、〈SOAKS〉、
〈nakameguro 燻製 apartment〉、〈バール・デルソーレ〉、
〈stove〉などいずれも個性的でおいしく、くつろげるお店ばかり。

各店舗がco-toriに合わせて用意した
鳥取食材を用いた限定メニューを注文すると、
鳥取産の地酒が1ドリンク無料でお楽しみいただけます。
全店舗を1日で回るもよし、2日間かけて回るもよし。
ぐい呑み片手に、夜の中目黒で鳥取を満喫してはいかが?

飛騨への移住で感じたこと 〈株式会社 飛騨の森で クマは踊る〉後編

こんにちは。ヒダクマの森口明子です。
前回の記事に続き、2回目の連載の機会をいただきました。
せっかくの機会なので、田舎暮らしに興味のある方や
飛騨に興味のある方もいらっしゃるかもしれないので
飛騨の暮らしなどについてもお話させていただきます。

飛騨との出会い

私の飛騨移住のきっかけは、タイミングと出会いと、
前回でもお話したとおり飛騨という土地が持つDNAやパワーに惹かれたことは大きいですが、
最終的に移住に至った理由は、自分が向かいたい方向が
ヒダクマの事業内容やビジョンと沿う点が多く、一緒に歩んでいけそうな気がしたからです。

伝統の文化や芸術を世界に広がる技術やアイデアと融合し、
新しいかたちで次世代へつないでいくこと、オープンな場を持つこと、
そして社会に還元できる持続的な取り組みであること。
伝統の文化を次世代へ発展するという取り組みは、
前回の記事でご紹介した、組木という知恵と技術の結晶をテクノロジーと組み合わせて
発展させていく事業であり、
場づくりはFabCafe Hidaという拠点を持つこと。

飛騨のカフェの平均的客数は平日10人、休日20人というから
都会とはまったく条件が違うわけですが、
都会にはない飛騨の特別な空気感と、
先に見える光景がとてもユニークだと感じました。

例えば、海外から訪問したデザイナーや建築家が、飛騨の職人や大工の方たちと、
木を中心にああでもないこうでもないと談義し、
工具やデジタルファブリケーションの機材を使いこなして実験を繰り返す脇では、
おじいやおばあ、子どもたちが
おいしい水でつくられた食べ物を囲みながら
興味津々にその活動を覗き込んでいるといった光景を想像すると、
その異色な雰囲気がまるでひとつの惑星のように思えてきます。

いろんな人がひっきりなしに出入りする活発な”ヒダプラネット”。
移り住むもよし、夏だけ住むもよし、ひと月ステイもよし。
受け入れてくれる土壌、風土、ひと、環境がある。
そんな環境をFabCafeを中心に生み出していきたい、と。

飛騨に移住したのは2015年6月15日。すべての荷物と住民票を手にいざ飛騨へ。
到着した日は朝の5時。不動産屋のお兄さんを待つあいだ、
ガラガラとカバンを引いて気の向くままに歩いていると
丘の上に悠然とそびえ立つ神社の鳥居が見えました。その圧巻な存在感に引っ張られ、
まるで瞬間移動したかのように、気づいたら鳥居の下にいました。

深い息を吸い込んでから、
飛騨到着の日記でも書こうかと柱に腰掛けてパソコンをカチャカチャ打っていると、
みるみるうちに飛騨の女性たちが増えていき、あっという間に集団に。
その日は女性による“草刈りの日”だったのです。

そしてあるひとりの女性が「お嬢さん何してるの?」と聞いてくれたので、
「今日から飛騨びとです。よろしくお願いします!」と言うと、
そのおばちゃんはとてもフレンドリーにお話してくれました。
それ以来、私は何かにつけて無意識にこの神社にいます。瞬間移動茶飯事。
時には夜中にまで行く始末。
(夜の神社には魑魅魍魎がうじゃうじゃいると言いますが、いうなれば彼らも仲間です(笑))

距離の限界と可能性

飛騨の生活は他地域とのコミュニケーションがなかなか骨が折れます。
会議は遠隔で、インターネットの調子が悪いと途切れるし、映像の質は不安定、
何よりもその場の雰囲気から読み取れる空気感や熱量の伝達に
インターネットの限界を感じます。人は対面しているときに無意識で無数の信号を発し、
空気中に投じられるそれらの暗号を読み取り解読しているんだな、と思います。

そして当然のことながら、コトは東京で起きてます。
人が集まれば集まるほどコトは起き、そこを中心につながりが生まれ、発展していきます。
ライブストリーミングなどはまだまだ大変な作業で莫大なコストがかかります。
地方の活性化が叫ばれる中、田舎でコトが起きていないことが
移住につながらない要因のひとつだとも感じます。

今後、都心の波が田舎にも広がっていく流れの必要性を感じます。
例えば、東京で行った都会に住む人同士のトークショーやイベントが、
東京と飛騨に生きる人との組み合わせによってもたらされる違った結果や発展。
複数の地方をツアーのようにまわることで、その地域特性と融合して生まれるマジック。
ツアー後には日本全体にその波紋が広がり、ひとつの新たな連携ができたら、
と考えるとワクワクしてきます。

暮らしぶり

ここに暮らしていると、毎日神々しい山や大自然を享受できることはとても幸せです。
空気もきれいだし、水もおいしいです。
当然のことながら水は全ての源泉であり、食べ物がとっても美味しいのです。
でも特に美味しいと感じるのは、米、餅、味噌、イワナ、野菜、ふきのとうや日本酒など。
飛騨の名産は今話題の荏胡麻や朴葉でその深みを味わうと、
ぐーっと細胞が目覚める感覚を味わえます。

でもやはり感じるのはやはり自分は都会人であるということ。
時に、「都会っぽさをなくさなきゃ溶け込めないよ」。とアドバイスされます。
半分理解しつつも、完全に都会さをなくすことは必要ないとも感じてます。
完全に溶け込んでしまっては新たな風を吹き込めないから。
でもこれまでに存在することのなかったポジション、中途半端なスタンスに立っていると、
普通に通り過ぎるはずの風が強く当ることもあります。

飛騨は多くの人が家族暮らし、とりわけ移住組みは家族ごと移住しています。
豪雪地帯の冬は雪下ろしや雪かき作業に追われ、車は滑りやすいなど、
日常的に困難が伴うため、支え合える、協力し合えるパートナーがいることは
理にかなっていると感じます。
都会ではひとりでも楽しく暮らせる環境が整っているしある意味自由を享受できますが、
田舎でのひとり生活は修行に近いものを感じます。(笑)

そして冬は冬眠しているかのようにまちが静かになります。
街のひとは寒いので外を出歩くことはあまりありません。
ただ、そんな飛騨も北半球とは違い、冬でもさんさんとお日様が照ります。
雪景色を太陽が照らすと、とても美しく幻想的な景色にあやかれます。

飛騨のひとはクリエイティブ!

飛騨にはDIYの血が色濃く流れています。家、家具、道具、米、野菜など
あらゆる生活に必要なものをささっとつくってしまうのです。
そもそも不便な環境だからこそ生活必需品は
自らの手を動かして生み出していくしかなかった歴史背景があります。
だから技術も知恵もある!
街を歩くと、あちらこちらでそんな”つくり手”や”職人”たちを目にすることができます。

震災から教えられたこと。 被災地から移住した のんちゃんが目指す村づくり

震災後に移住したわたしとのんちゃんの共通点と相違点

エコビレッジをつくる拠点として、春になったら空き家をリノベーションし、
また購入を計画中の山での活動を始めようとしているいまこのときに、
ぜひ、ある女性のことを紹介しておきたいと思う。
その女性とは、のんちゃんこと飛澤紀子さんだ。

彼女とは少なからぬ縁がある。
いま、のんちゃんは“村”をつくりたいという構想を持っていて、
さまざまな行動を起こしている。
そして、リノベを考えている空き家がある岩見沢の美流渡(みると)地域に、
村をつくるための場所を探しに来たことがあるといい、
また、なんとわたしが購入しようとしている山の土地についても、
以前に買うことを検討していたそうだ。
さらに、お互い東日本大震災がきっかけになり北海道へ移住をしており、
その時期も5年ほど前とちょうど重なっている。

のんちゃんは現在34歳。北海道に移住してからコミュニティラジオに出演したり、お話会を開催したりと、自身の体験を伝える活動を続けてきた。

こうしたいくつもの接点があるが、大きく違う点もある。
彼女は福島の鏡石町の出身で、震災によって自宅が半壊し、
避難所生活を経て北海道へ自主避難をした。
わたしは東京で震災を体験し、その後、直感的に
都会的な暮らしからシフトする必要性を感じて、この地に移住してきたわけだが、
違う点というのは震災への向き合い方だ。

震災とは自分にとってなんだったのかについて、
わたしはうまく言葉にできていないし、移住したことに後悔はないけれど、
仕事の関係もあって毎月東京に出向き、中途半端な状態であることが
心に引っ掛かっている。
対して、のんちゃんは震災という事実をしっかりと受け止め、
自身の進むべき道を見出しており、そのビジョンが“村”へとつながっているのだ。
今回は、のんちゃんの村づくりへの想いをリポートしつつ、
自分が移住して抱えているモヤモヤとした部分にも切り込んでいけたらと思って、
この原稿を書いている。

のんちゃんの家。〈ひまわりスマイルのんちゃんち〉というコミュニティスペースとして、さまざまなイベントや集いの場としてこの家を使っている。

1000人超のエキストラ! 振付稼業air:man振り付けの 〈SAGEMON GIRLS〉公開

福岡県南部の柳川といえば、九州でも有数の観光地。
毎年120万人以上の観光客が訪れています。
市街地に張り巡らされた掘割を進む“川下り”はよく知られていますね。

近年は特にアジアからの外国人観光客が急増し、
2014年には外国人観光客数が9万人を突破。
2016年は10万人以上の来訪が見込まれているのだそう。
そんな柳川市のプロモーションムービー〈SAGEMON GIRLS〉が公開されました。

ムービーでは、柳川市のPRのために誕生した、
3人組のダンスチーム〈SAGEMON GIRLS〉と柳川市民のみなさんが、
ダンスをしながら観光スポットや名物を次々と紹介していきます。

SAGEMON GIRLS

名前になっている“さげもん”とは、柳川発祥の雛飾りのこと。
40cmほどの竹の輪に紅白の布を巻き、ひもを下げて、
袋物や柳川まりを吊るすものです。
〈SAGEMON GIRLS〉は雛人形の三人官女を擬人化したキャラクターで、
着物や髪飾りにさげもんが使われているんです。

こちらが“さげもん”

こちらが“三人官女”

〈SAGEMON GIRLS〉のキュートなダンスの振り付けは、
温泉の中でシンクロする女子選手が話題になった
〈おんせん県おおいた シンフロ〉の振り付けをてがけ、
年間約1,000件の振付をこなす売れっ子作家
〈振付稼業air:man〉によるもの!

〈振付稼業air:man〉

1000人を超えるエキストラダンサーが参加!

このムービーは、自治体のPR動画史上最大規模と言われるもの。
スタッフは総勢100人以上、昨年12月に行われた撮影では
柳川市民を中心とした1000人を超えるエキストラダンサーが参加したのだそう。
直径30mの相撲ドーム「雲龍の郷」ではお相撲さんと一緒にダンスしたり、
撮影のため特別に組み上げた沖端水天宮祭の舟舞台〈三神丸〉を中心に、
〈SAGEMON GIRLS〉と柳川市民がダンスしまくります!
ドローン空撮を使った壮大なクライマックスにはご注目。

舟舞台〈三神丸〉

名勝・柳川藩主立花邸〈御花〉

直径30mの相撲ドーム「雲龍の郷」ではお相撲さんと一緒にダンス♪

島のみんなでつくった本 『おいでよ、小豆島。』

等身大の私たちの暮らしを綴る

おいでよ、小豆島。
ずばりそのまんまのタイトルの新しい本ができました。
すごくすてきな本なんです。

この本の著者は、2年前に小豆島に移住してこられた平野公子(きみこ)さん。
そして島で暮らしているみんなです。

メディアに載る美しすぎる小豆島ではない、
私が島で知り合った若者たちと一緒に綴る小豆島の等身大を記しておきたくて……

と公子さんは本の冒頭で書いているのですが、その通り、
キレイな観光スポットの写真やおいしそうな食べ物の写真が載っているんじゃなくて、
島で暮らす20〜40代のメンバーがどんなことを考え、どんなふうに暮らしているか、
それぞれの言葉で直接書かれているのがとてもおもしろいんです。

著者の平野公子さん。メディアプロデューサーであり、東京で小劇場〈シアターイワト〉を運営されていた方です。

できあがった本。ついつい読みたくなる。

出版記念の集まり。島のカフェ〈タコのまくら〉で。

実は私たち家族も登場しています。
「島の職人を訪ねて」というテーマのもと、
イラストレーターのオビカカズミさんが1年以上かけて何度も島に通い、
まとめてくれたイラストルポの中で出てきます。
ちなみにオビカカズミさんは小豆島からフェリーで1時間ほどのところにある
高松市在住ですが、島に住んでるんじゃないかというほど頻繁に島にいます(笑)。
ほぼ島の人ですね。

オビカカズミさん(写真左)と一緒に。現在、オビカカズミ個展〈オト、オト、オト〉を島のギャラリー〈MeiPAM01〉で開催中。2月28日まで。

同じく島のギャラリー〈MeiPAM02〉では〈おいでよ、小豆島。出版記念展〉を開催中。本に掲載されているイラストや写真を見ることができます。2月28日まで。

津軽の海に厄災を流す。 初夏の渚に広がる祈りのとき 〈大間越春日祭〉

初夏の西津軽で行われる海と人の物語

東北の祭礼への旅。

それは東北が好きになり、岩手へ移住した僕にとっては必然の旅だった。
この土地で生きてきた人々が何に祈り、何を願うのか。

祭礼を訪れることで、
自分がこれから暮らしていこうとする東北という風土の理解を
深められるのではないか。
そんな思い携えて、東北各地に伝わる祭礼を訪ねる旅を始めた。

最初に目指したのが、西津軽の海岸線のはじまりとなる半漁半農の集落だった。

第24話・はたしてどうなる? グレアムさんの新年の誓い

第24話
はたしてどうなる?
グレアムさんの新年の誓い

神戸で新年を迎えたグレアムさん。
毎年大晦日には家計簿を付けて
1年を振り返り、新年の誓いを立てるそうです。
今年の誓いは「貯金」にしたグレアムさんですが、
神戸の新年は誘惑が多くて…。

いよいよ山の土地購入へ。 山プロジェクトも始動!

山の土地購入計画の結末は……?

エコビレッジをつくりたいと山の土地探しを続けるなかで、
ぜひ買いたいと思ったすてきな場所があった。
そこは、岩見沢の市街地から車で30分ほどのところにあり、360度の展望が広がる、
まるで『アルプスの少女ハイジ』に出てきそうな美しい場所で、
“ハイジの丘”と呼んでいる。
これまでもこの山については少しだけ触れてきたが、
今回はその購入計画の経緯について書いてみたい。

ハイジの丘にひと目惚れした勢いで、
昨年の秋から地主さんへのアプローチを続けたところ、
具体的な金額をこちらで提案するという話にまでこぎ着けることができた。
そこで、この土地を共同購入しようとしている農家の林宏さんとともに、
地元の農業委員会や森林組合へ行って、相場についてリサーチをしていった。

着々と準備を進めていったわけなのだが、そんななかである疑問がわいてきたのだった。
それは、本当にわたしたちがこの土地を買ってもいいのだろうか? という疑問だった。
地主さんは手放す意思があると言っていたが、おつき合いをしていくなかで、
この土地にとても愛着を持っていることがわかってきた。
そして、頻繁に自宅からこの山へ通って
畑の手入れや山の草刈りをしている様子を知るにつれ、
この土地を手放してしまったら山での楽しみがなくなってしまうのではないかと、
わたしたちのほうが心配になってきた。
そうした疑問を抱えつつではあったが、林さんと土地の値段について検討し、
あるとき地主さんに提案をしようとしたときのことだった。

「やっぱりもう少し、山で畑を続けたいんだよね」
地主さんは、わたしたちについにその気持ちを伝えてくれた。
この言葉を聞いたとき、もちろんちょっぴり残念ではあったけれど、
林さんもわたしも不思議に安堵した。
あれほど愛着を持って手入れをしているからこそ、あの山は美しいのだし、
このままであることがいちばん自然、そう思えたのだ。

日中でも氷点下。家の軒先にはつららが!

土はすっかり雪におおわれた。その下で植物たちはじっと春を待っている。

摂氏0度の朝

「おまえ、それはちと遅いんじゃないか?」と、
そんな非難やご指摘を覚悟の上で言わせてもらうと、
このように回覧板をテーマに書くことになって、
わが町・鴨方町六条院には二種類の回覧板が存在することがわかってきた。
ひとつは一般的な回覧板。
地域の催しなど伝達事項が文具店やホームセンターで売られている
普通のバインダーに挟まれ回ってくる。
そしてもうひとつがJAの回覧板だ。
A4サイズ、二つ折りのビニール製の専用バインダーで、
表紙部分には「回覧板」と「JA六条院」の文字がプリントされている。
日本列島を大寒波が襲った1月の下旬のその日にやって来たのも後者、
JAのそれだった。内容は、廃農薬回収のお知らせと果樹苗木の注文書。
果樹の種類は桃、ぶどう、柿、りんご、梅。
それぞれに細かく品種が分かれており、最多は桃で17品種にも及ぶ。
去年はご近所さんからありとあらゆる野菜をいただいた。
さすがフルーツ王国といわれる岡山だけあって、
いただいた果物も実にいろいろ、
イチゴに桃、スイカ、ぶどう、梨、柿、キウイ、リンゴなどなど。
あの中にはこの回覧板でJAに発注した苗木から育てられた分も
少なからずあったにちがいない。
いずれにしても、それがJAであろうがなかろうが、
近所の人たちからもらったものはことごとく美味かった。
幸い畑もあることだし、今年はいくらか自分でも作ってみようと思っている。

回覧板には定められたルートがあって、ぼくが次に回すのはAさん宅と決まっている。
この家、なかに入ったことはないんだけど、
どの部分をとっても懐かしい匂いがある。
築年数で70〜80年は経っているだろうか。
焼杉(杉を真っ黒に焼いた壁板)と泥壁の外観で、
アルミ製のサッシを入れるようなリフォームも一切施していない、
いわゆる昔ながらの日本家屋だ。
回覧板を回すのに、この家以上にふさわしい家もない。
トイレとお風呂が離れているつくりも、懐かしさに拍車をかけている。
しかもそのお風呂というのが五右衛門風呂、毎日薪で炊いているのだ。
夏の夕方、野良仕事の疲れを癒しているのだろう、
まだ陽も高いうちに細い煙突の先から白い煙をたゆたわせている光景を目にすると、
ぼくまでほのかに幸せな気分になったものだ。

五右衛門風呂こそないのだけれど、かくいう我が家も昔ながらの日本家屋である。
築80年の平屋の母屋の南側に2階建てをごっそり増築したつくりで、
その増築が50年前というからすべてにおいて古い。
しかし、昔の日本の家というのは、そらおそろしくなるほどよくできている。
夏の日中、外気温は35℃以上もあるというのに、
家のなかに入ると鍾乳洞のようにひんやり。
おかげで去年の夏はエアコンなしでも涼しい顔でいられたのである。
そしてその古い日本家屋で迎えた初めての冬……。

「あ、これしもやけだ」
風呂から上がり、足の爪を切るのと同じ体勢で足の指を見ていたタカコさんが言った。
あまりにも久しく聞かない言葉だったので、
ぼくはしもやけがどんな症状なのかまったく思い出せなかった。
「しもやけって、どんなんだっけ?」
「なんかね、むずむずしてかゆくて、ちょっと痛いのよ」
さほど深刻でない痛手のうちの、まさにこれくらいのものに対して、
同情よりも小意地の悪さが打ち勝ってしまうのがぼくの性格である。
でも、それがえてして諍いのもととなり、
大きな痛手となって返ってくることがままあることを学習しているので、
言葉は同情を装ってみるのだけれど、
それはやはり言葉の上っ面だけのものなので、意味もないものが付属していたりする。
たとえば、薄っぺらい無意味な笑いとか。
「そうなんだ、へへへ大丈夫?」
それから2日後のこと。チコリとツツを風呂に入れていると、
なにやら左の足の指先がむずむずする。
かゆいといって掻くほどじゃないんだけど、うっすらかゆいような。
風呂から上がって、むずむずする部分を見てみた。
人差し指と中指にあたる部分の爪の下あたりが赤くなっている。
「タカコさん、あのさ、これってなんだろうね?」
「ああっ! それ、しもやけじゃん!」
「やっぱり……へへへ」
古い日本家屋で迎えた初めての冬、ぼくたちはそろってしもやけになった。

昔の日本家屋というのは本当によくできている。
でも、それは冬にはあてはまらない。
昔の人は冬になるとみんな沖縄に行っていたのだ。
そう思えるくらい、昔の日本家屋は冬に対して無防備なのである。
JAの回覧板がやってきた1月のその日の朝、
我が家のリビングの気温計は0℃だった……。

リビングからの光景。室内の天井と空間を間仕切る建具をほとんど取っ払ってしまったので、当然暖房効率は悪い。さらに、1階部分の床の半分以上を土間に、おまけに一部2階の床をぶち抜いて吹き抜けにしているので、暖房を目一杯きかしても室温が二桁になる日はまずない。

EATBEAT! in 高松 〈ことでん〉に乗って まちの風景と食材と音楽を楽しむ

ローカル線でおいしく楽しいイベント

昨年春から始まった〈EATBEAT! in 高松〉。
地元高松の食材を使った料理をEAT(料理)担当の堀田裕介さんがつくり、
その調理の際に出る音をBEAT(音)担当のヘンリーワークさんが集めて
ひとつの音楽をつくっていくライブパフォーマンス。
私たちはその過程を見て楽しみ、聞いて楽しみ、
完成した料理を味わって楽しむ、そんなイベントです。

春に開催されたプレス・関係者向けのイベントから始まり、
夏は高松からフェリーで20分ほどのところにある女木島(めぎしま)、
秋は高松市中央卸市場を舞台に。
そして最後の回となる冬は、高松を走る電車〈ことでん〉の車内で。
私は小豆島カメラとしてこの1年を通したイベントの撮影のお手伝いをしてきました。

寒い1月の朝、フェリーの上から朝焼けを眺めながら小豆島から高松へ。
スタッフ集合場所の仏生山(ぶっしょうざん)駅までことでんに乗って行きます。
小豆島に鉄道はないので、電車に乗るのはけっこう新鮮だったりします。

小豆島から高松へはフェリーで1時間。デッキで朝焼けを眺めながら。寒い……。

久しぶりに乗ることでん。

今回のメイン会場は、仏生山駅のすぐ隣にある仏生山車両倉庫とことでん車内。
車両倉庫に着くと、料理スタッフの皆さんがすでにお餅用のもち米を蒸したり、
あんこを丸めたり準備をしていました。
なかなか遭遇できないシチュエーション。
電車の整備工場で料理(笑)。
何やらおもしろいことが始まりそうです。

仏生山駅の隣にある仏生山車両倉庫。

イートビート! おもしろそうなことが始まりそうな気配。

丸められるあんこ。何ができるのかな。

そしてもうひとつの会場、EATBEAT! 特別列車へ。
2両編成の列車を貸切り、その日は特別ダイヤで運行します。
吊り広告ももちろん、EATBEAT!
つり革には干し柿がぶら下がっていたりして、もうそれだけでワクワク。
いよいよ電車はお客さんをお迎えに高松築港(たかまつちっこう)駅に向かいます。

EATBEAT! 特別列車。吊り広告ももちろんEATBEAT!

ワクワクする要素がいっぱい。

本日のお品書きをするヘンリーワークさん。

つり革にぶら下がってる干し柿。もちろん食べられます!

四国地方で一番 小さなまちが東京へ。 〈旅する上勝カフェ @下北沢 in 2016〉

2月7日(日)、東京・下北沢にて
〈旅する上勝カフェ@下北沢2016〉が開催されます。

これは、徳島県・上勝町(かみかつちょう)の皆さんとインターン卒業生が
上勝町を日本一楽しいまちにする仲間を探すため、
下北沢に“上勝町の雰囲気”をまるごとつくり出すイベントです。

上勝町は、人口約1700人の四国地方で一番小さなまち。
上勝に住む人はどこか個性的で、外から来た人はいつのまにか
ファンになってしまうのだとか。
おばあちゃんの“葉っぱビジネス”や
ゴミの34分別“ゼロウェイスト”のまちとしても知られています。

このたびのイベントでは、そんな上勝町の
魅力をお伝えするべく、葉っぱ農家のおばあちゃんによるトークや
上勝町に住む皆さんとの交流会、移住相談、
音楽ライブ、大福引大会などを開催。

会場にはカフェスペースがオープンし、郷土料理や上勝産スイーツを
楽しみながら、上勝町に住む方々とお話もできます。

また、屋外会場では、阿波踊りを主軸に新しい日本芸能の可能性に挑む
創作舞踊集団〈寶船〉(たからぶね)の公演が決定!
徳島といえば、阿波踊り。これは楽しみですね。

主宰は、町の移住交流人口の増加を目指し、5年前から
インターンシップ事業に取り組んできた〈株式会社いろどり〉さん。
インターンシップ研修には、これまでに600人が参加し、
その中から37名の方が移住しているそうです。

今回のイベントでも、東京近辺に住むインターン修了生およそ30名が
運営に参加しているのだそう。
いろどりさんの活動は移住者を増やすだけではなく、
“上勝ファン”を増やし、つながりを広げていく試みでもあるんです。

秩父産メープルってどんな味? 〈和メープルエコツアー2016〉 参加者募集開始

コロカルで今週、新連載〈ちちぶメープルプロジェクト〉がスタートしました。
これは、埼玉県秩父の森で、
メープルシロップを作る施設〈シュガーハウス〉の
設立するべく奮闘する井原愛子さんが綴る連載。
メープルといえばカナダが有名ですが、実は埼玉県秩父で
カエデの樹液からメープルシロップをつくる取り組みが
行われているんです。

さてその井原さんらが毎年開催している人気企画、
〈和メープルエコツアー2016〉が今年も開催!
2016年2月6日(土)、20日(土)、26日(金)、27日(土)、
3月4日(金)、5日(土)の全6回にわたり開催されます。
内容は、カエデの森の散策や採りたて樹液の試飲に、
ランチはおいしい和メープルのコースを。
秩父でこの時期だけでしか体験できないエコツアーです。

ランチ

瀬戸内・えひめで、 働く、暮らす、育てる。 〈えひめ職の担い手移住フェア〉 開催

2016年2月14日(日) 、2月21日(日)、2月27日(土)の三日間に渡り、
東京・青山の〈ラ コレッツィオーネ〉を会場に、
地方への移住、愛媛県へのU・J・Iターンを考えている方に向けたイベント
〈えひめ職の担い手移住フェア〉が開催されます。

イベントのテーマは"しごとから移住先の魅力をかんがえてみる。"
えひめでの職の魅力、そこから見えてくる暮らしや環境、交流を紹介するため、
会場には、愛媛県から、農業・福祉・サービスなど
さまざまなジャンルの企業が一堂に集結!
えひめの”職”はもちろん、暮らしや生活、子育て
といった情報についても、具体的な話を直接聞くことができます。
キッズスペースも完備されているので、お子さまと一緒でも安心。

都市部から地域移住を考える上で、
職の検討はリスクと考えがちですが、
実は、働くということにも、地域移住の魅力がたっぷり詰まっています。
地域移住の決断においては避けて通れないテーマ、”しごと”。
フェアの雰囲気は、えひめらしい楽しく自由なもの。
お気軽に参加してみてはいかがでしょう。

information

map

えひめ職の担い手移住フェア

住所:ラ コレッツィオーネ(LA COLLEZIONE) 東京都港区南青山6-1-3 南青山コレッツィオーネ 3F

営業時間:13:00~17:00(受付開始12:30~) ※途中参加、途中退出も可能

参加方法:下記Webサイトより、事前にお申し込みください。

Webサイト

※当日参加も受付予定ですが、定員に達した場合、参加をお断りさせていただく場合がありますのでご注意ください。

お問い合わせ先:

愛媛県庁 企画振興部 地域振興局 地域政策課

〒790-8570 愛媛県松山市一番町4丁目4-2 電話番号(課直通)089-912-2261

もしくは、

えひめ職の担い手移住フェア事務局【月~金 10:00~18:00】

TEL 0120-054-4644 FAX 03-5510-4803

Email info@ehime-ijuu.jp

担当 小浦(コウラ)・藤田(フジタ)

機織りに舟屋での食事! 丹後の魅力を堪能する 無料バスツアー開催

2016年1月23日(土)、
京都の丹後地方をめぐる無料のバスツアー
〈ここでしか味わえない丹後の魅力が堪能できるモニターバスツアー〉が開催されます。
風光明媚で美味しいものたくさんな丹後の魅力を、
地元で盛り上げる人たちが考えた、
新しい丹後の楽しみ方が体験できるモニターツアーです。

与謝野町の織屋さん

旅の始まりは、宮津駅前から。
まずはちりめんで栄えた与謝野町を訪れ、
今注目の織屋さんのご主人さんご自身に、
手機がつくる美しいものづくりの世界を語っていただきます。

伊根では舟屋の景色を感じ、地物を食べる散策を。

続いては”舟屋”で知られる伊根町へ。
舟屋とは、1階が船のガレージ、2階が居間となった独特な建物。
海辺ぎりぎりに建ち並ぶ風景はここでしか見られません。
ここでは、舟屋の景色を感じ、地物を食べる散策をします。
訪れるのは、ひみつ基地のような、
眺めが素晴らしい舟屋の空間。
女性杜氏と”世界一のレストランで供されたお酒”で知られる〈向井酒造〉のお酒などと
ともに、景色とつまみがたのしめる体験をご用意。

宮津市

その後は、民話“笠地蔵”の郷、京丹後市を訪れ、
最後は宮津市へ。自由行動もしつつ、まちの人々が
宮津のツボをよみとく“みやさんぽ”をご案内。
B級グルメや夜のさんぽに誘います。
お申し込み方法など詳細はFacebookページをご参照ください。

information

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ここでしか味わえない丹後の魅力が堪能できるモニターバスツアー

Facebookページ

● お問い合わせ先

丹後クリエイティブ 実行委員会

事務局企画運営担当

メール:yosano@tangocreative.org

TEL:080-7002-8807

空き家を借りてリノベします!

めざすはデザイナーズ・イン・レジデンス

今年は雪が遅かったけれど、とうとうたっぷり積もりました~。
エコビレッジづくりのために、まずその拠点を固めようと
昨年から場所を探してきた結果、いよいよ、空き家を借りる決意をしました!
その場所とは、前回の連載で紹介した、岩見沢の東部丘陵地域、
美流渡(みると)で見つかった赤い屋根の家。

構想としては、この場所をさまざまな人が集う拠点にすること。
この拠点で、まずは自分のできることを始め、
それをエコビレッジへと拡大していこうという考えだ。
第一歩として、東京で暮らす友人たちが遊びに来られる
ゲストハウス的な場所にしたいと思っている。

わたしの本業は、美術やデザイン関連の本の編集だ。
仕事仲間や取材で知り合った人たちなどは、みんな多忙を極めているが、
仕事をしながらであれば、例えば2週間くらいのスパンで
滞在することができるんじゃないだろうか。
デザイナーやライターであれば、場所を選ばずに仕事ができるはず。
デザイナーズ(ライターズ)・イン・レジデンスみたいな動きをすることで、
それがいずれ長期ステイや移住へとつながっていくようにも思っている。
また、クリエイティブな才能を持つ人々に滞在してもらいながら、
ワークショップやトークなどをやってもらえたら、さらに楽しいことが起こりそうだ。

この日、空き家を訪れた仲間たち。中央が、空き家を管理するNPO〈M38〉の代表、菅原新さん。左隣が、空き家の使い道を一緒に考えている農家の友人、林さん夫妻。

もうひとつプランがある。
空き家探しと同時に進めている山の土地の購入計画。
この計画を一緒に進めている友人、林睦子さんがやりたいと思っている
森のようちえんの場所としても使うことだ。
この赤い屋根の家の裏には、山が広がっている。
ここで思いっきり遊びつつ、家の中でときどき休憩するのもいいように思う。

さらに、1階にカフェスペースを設けられたらなあと夢は広がる。
やっぱり人が集う拠点とするには、この場所がいつでも開かれていて、
誰もが立ち寄れるようにしておきたい。
それにある程度は、この場での収入の道も探っておきたいという気持ちもあるし。
ただし、カフェの運営となると、編集の本業との両立は難しいので、
いま友人にやってもらえないだろうかと声をかけているところだ。

前回の連載で紹介したときは下草が見えていた裏山は雪で真っ白。斜面になっているので、子どもたちがソリ滑りを楽しんだりもできそうだ。

日中も氷点下。窓には氷の結晶が! 北海道弁では「しばれる(凍る)」。

この地域には、特にこれといった観光名所はないけれど、そこがいいよね。里山の自然がすぐ近くに感じられる。

七草探して、七草粥をつくろう

探して集めて覚える、春の七草

2016年が始まりました。
この年末年始は1年分休んだんじゃないかというくらいしっかりお休みしました(笑)。
心も体もパワーチャージして、また今年も小豆島でがんばります。
本年もよろしくお願いいたします。

1月も数日が過ぎた頃、島の友人からこんなお誘いが来ました。
「7日、10時から七草採りと七草粥の会をします」

七草採り!
一度自分の手で七草すべてを集めてみたいな〜と思っていたので、
これは行こう! と乗り気で当日を迎えました。
いろは(娘)が通う子ども教室の子たちも参加することになっていて、朝から
「セリ ナズナ ゴギョウ ハコベラ ホトケノザ スズナ スズシロ これぞ七草〜」
と何度もつぶやいていました。

いままで何度か七草粥はつくりましたが、
スーパーで七草を買うのがなんとなく嫌でした。
嫌というか、ストーリーがなくておもしろくないなぁと。
結局どの草がどれなのか曖昧で、記憶に残らず。

やっぱり七草を探して集めるところから始めると全然違う。
普段は“雑草”とひとくくりにして見ている草の中から、
自分たちが必要としている草を探すのはすごくおもしろい。
細かな葉の形や色など、探し求めている草のことをしっかり見て覚える。

稲刈り後の田んぼでゴギョウを探します。

発見! 七草探し楽しい。

こんな田んぼの中を移動しながら探します。

セリ! 食べてみると三つ葉みたいな味! これおいしい。

みんなでハコベラを探し中。ほかの草との見分けが難しい。

こうしてみんなで集めた七草を並べてもう一度確認。
もう七草のことを忘れなさそうだな〜(笑)。

絵と見比べながら七草を探しました。

みんなで集めた七草。うれしいなぁ。

智頭で迎える初めての冬

雪遊びとお正月

「カメムシが多い年は雪が多い」
というのが、この辺の地域の定説らしい。
秋頃から、家の中でカメムシを見かけることが多くなった。
ほぼ毎日、数匹はいて、窓の外に逃がすのだけど、
翌日になるとまた何匹か入り込んでいる。
こんな経験は初めてなので、私たちは「多い」と感じたが、
近所の方いわく、今年は「少ない」そうで、多い年はこんなものではないらしい。
実際、今シーズンはいまのところ、けっこうな暖冬だ。
例年、12月にはある程度雪が積もるそうなのだけど、
まだ半日で溶けてしまうくらいの積雪しかない。
あまりに暖かいので、ご近所の方が、これでは来年の稲作はダメだ、と言っていた。
冬が暖かいと、稲を食べる虫が増えてしまうらしい。

初めて雪が積もった日。うっすら雪化粧した山が美しい。

12月下旬、初めてほんの少しだけ雪が積もった日、
娘を森のようちえんの集合場所まで送っていくと
車から降りた途端、雪の球が2、3個飛んできた。
地面に積もるわずかな雪をかきあつめて、
子どもたちがワイワイと雪合戦をしていたのである。
自分のつくった球のかたさを自慢しにくる子どもたち。
今シーズン初の雪遊びに、ウキウキとうれしそうだった。
今年もしっかり雪が降るといいよね。
寒さは厳しくとも、やはり本来の四季があってこそ、わたしたちは生かされている。
そのことを子どもたちに感じてほしいし、わたし自身も感じたい。
本当は、寒いのは苦手だけれど……。
せっかく智頭に来たのだから、冬の厳しさと美しさを体感してみたい、
と思うのであった。

わずかな雪で球をつくる、森のようちえんの子どもたち。

東京を離れて3年目、今年は初めて帰省せず、家族4人で、静かに新年を迎えた。
智頭で迎える初めてのお正月。
元旦は近所の氏神様に初詣に行き、あたりをのんびりと散歩した。
灰色の雲に覆われていることが多い山陰の冬、
元旦は珍しく1日晴れて、日差しがぽかぽかと暖かかった。

貴重な青空と、透きとおった川の流れ。

近所のお地蔵さん。

第23話・冬の味覚、 天然ふぐを神戸で食べる!

第23話
冬の味覚、天然ふぐを
神戸で食べる!

今週のグレアムさんは、エミリーさんの
ファミリーと一緒に、天然ふぐのお店におでかけ。
ぶつ切りのてっさ、てっちりなど、
次々出てくるふぐづくしに舌鼓。
おばあちゃんの思い出話を聞きながら…。

家族と一年誌『家族』創刊! 鳥取の森に自分たちの力で 家を建てたある一家の1年

どこに住み、どんな家に暮らし、
何を食べ、何をして生きていくのか。

1冊まるごと、ひとつの家族の1年を紹介する、家族と一年誌『家族』には、
そんな問いにまっさらなところから取り組んできた、とある一家が登場します。

『家族』は、フリーフォークデュオ〈PoPoyans〉としても活動中の
ノンちゃんこと中村暁野さん、
〈HYOTA〉クリエイティブディレクターの中村俵太さん夫妻が
「家族って一体何なのか。いろんな家族に出会ってみたい」。
そんな思いから創刊した雑誌。

写真:奥山由之

「“家族”とは、人と人が築く最小の社会のかたち。
どれもが尊く魅力的で、同じかたちはどこにもない。
そんなひとつひとつの家族を取り上げていけたら」と、編集長の暁野さん。

1年にわたって取材を重ね、ある家族の暮らしぶりや道具、
まわりの環境、ご近所さんなどを紹介しています。
取材には中村家の娘さんも同行します。

そう。この雑誌は、中村家というひとつの家族が
もうひとつの家族に出会い、取材する雑誌なんです。

その記念すべき第1号に登場するのが、
鳥取県西伯群大山に住む、谷本さん一家です。
〈SBALCO design〉として家具や空間のデザイン・制作を行っている谷本大輔さん、
音楽家・OLAibiとして活動する谷本愛さん、
現在中学校2年生の空南(あなん)君は、今から3年ほど前に
東京から大輔さんの故郷である鳥取へ引っ越してきました。

当初は大輔さんが幼少期を過ごした村に住んでいたそうですが、
ふと訪れた不動産屋さんで、大山(だいせん)の森の敷地に出会ったのだそう。

写真:奥山由之

“森といえば聞こえはいいけれど、
土地は何年も放置されたまま木や蔦に覆われ、
どこからどこまでが敷地なのかもわからない状態だった。
電気もガスも水道もない、通るかどうかもわからないとも言われた。
地球の一部を買うなんて我が強いなあと、
それまで土地を買うとは思ってもみなかったという愛さんは、
茂る木々になる実を見てわくわくとしてきて、
なぜか暮らしていくイメージが湧いたという。”

家族と一年誌『家族』 CHAPTER_1 “家族と一年” より

写真:奥山由之

その後一家は現在住んでいる森のなかに移り、ティピという、
北アメリカのインディアンが住居として用いたテントに暮らす生活を開始。そして、

“なるべく自然の赴くまま、森に生きていた植物や生き物たちに
「おじゃまします」という気持ちで暮らしたい”

そんな思いで木々や蔦を切り、自分たちの住む場所をつくっていきました。

この雑誌には、奥山由之さんや吉楽洋平さんらの美しい写真とともに
それからのことが描かれているのですが、
家を建てる話や3人のやりとりが、とにかくおもしろいんです。

携帯電話と小津映画

10年ほど前の話。とあるドイツ人の映画監督にインタビューしたときのこと。
どういう経緯かまったく憶えていないんだけど、
ともあれぼくが携帯電話を持っていないという話になった。
「それは素晴らしい! 不便は感じない?」
「まったく感じないですね。仕事で付き合いのある人たちからは“携帯を持て!”
とうるさく言われますけど」
彼は「そうだろう、そうだろう」とでも言うようにうなずいて、
それから低くはりのある声でこう言った。
「インターネットが普及して格段に便利になったという。
でも、このごろじゃだいたい午前中の時間がメールのチェックと返信で終わってしまう。
いまの時代、テクノロジーの進歩が生活に豊かさをもたらすというのは幻想だ」
このインタビューからほどなくして、
母の介護で岡山と東京を行ったり来たりするようになり、
家族との連絡用にやむなく携帯電話を買った。ちょうど冬のいまぐらいの時期だった。
小さな手提げ袋を手に、複雑な思いで中目黒のボーダフォンのショップを出たのを
いまもはっきり憶えている。

ときは現在、いまのいま。目の前になんの変哲もないバインダーがある。
挟んでいるのは4ページにわたるA4の書類。
内容は今年10月に浅口市鴨方町の体育館で開催された『原爆と戦争展』の
簡単なレポートと、会場に来た人たちからとったアンケートの紹介……。
さて、目の前にあるこれがいったいなにかというと、
ぼくが住んでいる鴨方町六条院T村が所属する町内会の回覧板なのである。
東京では回覧板なんて見たこともなかった。
倉敷の実家に戻ってからは2か月に一度ぐらい回ってきただろうか。
しかし、ここT村では回覧板が毎週のように、
多いときには週に2度も回ってくる。
回覧の内容はというと、地域の催しの案内だったり、町内会の報告事項だったり。
浅口市の配布する冊子も回覧板と一緒に定期的に回ってくるし、肥料や農薬、
野菜の苗などの注文書も回ってくる。
いつだったか、町内会で購入した備品の領収書だけが
バインダーに挟まれた状態で回ってきたこともある。

浅口市には今年の6月に都窪郡早島町から移った。
浅口に地縁があったわけじゃない。浅口のなにに惹かれたというわけでもない。
たまたま見に行った古い家が気に入って、
たまたまその家が浅口にあったという話(移住の経緯は『児島元浜町昼下がり』で)。
地味な岡山県内にあって、さらに地味な土地である。
市の人口約3万5000人は、東に隣接する倉敷市の12分の1以下。
地元の名産は、そうめんに日本酒とやっぱり地味め
(水揚げ量は少ないが寄島の牡蠣の美味さは別格!)。
輩出した有名人をウィキペディアで調べると、
「明治以降」という広いくくりにもかかわらず、
知っているのはお笑い芸人の春一番しかいなかった。
それでも、浅口は実によいところだと言いたい。
多島美の瀬戸内の海の素晴らしさはいわずもがな、
山間部には山陽地方特有の明るさと温かさがある。
そしてぼくが住んでいる六条院は、山の風情がたっぷりな環境のわりに海が近い。
山に憧れる海育ちのぼくとしては理想の土地だったりするのである。

やってきたものは次に回さなければならないのが回覧板である。
長居させてはいけない。できるだけ迅速にルートで
定められた次の家に持って行く。まったくたいした手間じゃないのだ。
でも、こう頻繁に回ってくると、気持ちの上で少々面倒になってくる。
一度はタカコさんにやわらかく毒づいたこともある。
タカコさんは倉敷市児島にある元浜倉庫焙煎所の焙煎人。
ぼくのパートナーであり、幼いふたりの娘たち、チコリとツツの母親だ。
「まったく意味がわからんね、なんでこんなにしょっちゅう回ってくるかな」
すると彼女は間髪入れずこう言った。
「隣の家に行くことに意味があるんじゃない? 
とくにお年寄りがたくさん住んでいるうちみたいなところだと」
とんちんかんなことを言うのが7割、2割がまずまずまとも。
残りの1割で、このようにぼくがたんなる阿呆のように思えてしまうことを
さらりと言う。ともあれあの日あのとき以来だ。回覧板の見方が劇的に変わった。
いまでは立派な回覧板シンパだ。
しばらく間が空いたりすると回覧板を心待ちにしていたりする。
なにより、こんなにアナログで面倒なシステムが細々と残っていることが嬉しい。
街に出ると、みんながみんなうつむいてスマホをいじくりながら歩いている
こんな時代だから。

冒頭に登場してもらったドイツ人の映画監督は、
小津安二郎の映画に心酔していることで知られている。小津の映画はいい。
いま見返すとさらに映画がまぶしいばかりだ。時代もよかった。
小津がもしもいまの時代に生きていたら、
映画を撮っていないんじゃないかとぼくは思う。ただただ、美しくないという理由で。

鴨方町六条院に移ってきて半年が経過したが、いまも周辺のなんでもない景観を見てきれいだと思う。写真は毎朝のサブの散歩道。朝の光を浴びた景色が好きだ。曇っていると、さすがに冬は寒々しいんだけど。

ちょっとずつうちの家族を紹介。これから登場頻度がもっとも高くなることが予想されるのが長女のチコリ。とにかくいろいろとやらかしてくれる。この夏には無意味に暴れて床柱に額をぶつけ、プロレスラーなみに流血。4歳にして人生初の縫合処置を受けた。左に写り込んでいるのは心霊ではなく次女のツツ。