連載
posted:2020.2.26 from:全国(北海道・岩手・秋田・福島・栃木・長野・山口) genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
毎月コロカル編集部からテーマを出し、
日本各地で活動している地域おこし協力隊の方から集まった写真とメッセージを紹介していきます。
その土地ならではのものだったり、自分の暮らしと変わらないものだったり……。
どんな暮らしをしてどんな景色を見ているのか、ちょっと覗いてみませんか?
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Sachi Honda, Tatsuya Furutomi, Itsumi Shigehisa, Naoko Shindo, Mina Ohba, Daisuke Yodo, Kanta Suzuki, Chihiro Ogawa
本多紗智/古冨竜也/重久 愛/進藤菜央子/大場美奈/淀 大祐/鈴木寛太/小川ちひろ
2020年2月3日の「節分」、みなさんはどのように過ごしましたか?
豆まきをしたり、吉方を向いて恵方巻を食べるなど、
全国的によく知られる伝統行事がありますが、
日本各地では、一風変わった風習や民俗、地域ならではの催しなど、
さまざまな節分行事が行われています。
その内容はじつにユニーク!
今回は、日本各地の〈地域おこし協力隊〉のみなさんに、
地域ならではの節分について教えてもらいました。
東京生まれ、埼玉育ち。
帰る田舎もなく育った私が「節分」と聞いて連想するものは、
赤・青・黄の鬼の面と、豆まきくらいのものでしょうか。
そもそも節分の由来をきちんと調べたことすらなかったことに気づきました。
今回は長野県天龍村の〈原の森・満島神社〉にて、
令和2年2月3日の節分に執り行われた〈満島神社節分祭〉の様子をお届けします。
本厄を迎える老若男女が集まり、宮司様による厄除け儀式のあと、
神社の境内で2名ずつ順に豆まきを行います。
宮司様の式の結びの言葉によると、
節分というのは「追儺(ついな)祭」と呼ばれる厄払いの神事でもあるとのこと。
このような行事を通して、
心の不安をとり除いて生活していくことの大切さを説いていらっしゃいました。
ですが、昨今では節分の儀式を神社で行う地域も
だいぶ減ってきているようです。
また、村内の別の地区では、
節分にイワシの頭を竹串に刺したものと、ヒイラギの枝を玄関に飾り、
豆を炒るときには茅の茎を使うという、こまかな風習が未だに残っているそう。
多種多様な固有の地域文化が日本各地で少しずつ失われるなか、
この村に残る風景や伝統がこの先も緩やかに続いていくことを願わずにはいられない、
令和初の暖かな節分の日でした。
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本多紗智 ほんだ・さち
信州最南端、県内で一番早く桜の咲く村「天龍村」で地域おこし協力隊をしています。ないものづくしといわれる「ド」田舎ではありますが、ちょっと視点を変えてみれば、ここにはまだ「かろうじて残っているもの」がたくさんあります。秘境と呼ばれるこの村から、鮮やかな四季のうつろい、なにげない暮らしの風景をお届けできたらと思っています。
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山口県萩市では、節分には「豆巻き」「茅の輪くぐりの神事」「どんど焼き」など、
各地でも見られる風習が行われています。
今回はそれら以外に、萩市で伝承されるふたつの風習を紹介したいと思います。
萩地域では、厄年の人が自分の数え年ほどの豆を紙に包み、
夜中に誰にも会わないように、こっそりと近所の四つ辻に出向き、
包みを背中越しに落とし、振り向かずに帰ってくるという風習が伝わっています。
道路に豆が落ちているので、馴染みがない人はちょっとビックリするかもしれません。
山口には、捕鯨基地として栄えた長門や下関があり、
古くから鯨を食べる習慣がありました。
ここ萩市でも「シラスからクジラまで」といわれ、鯨が水揚げされていた歴史があります。
1年の節目にあたる節分には、
鯨のような「大きいものを食べると縁起がいい」とされていて、
新年をよい年に、と願う風習がありました。
しかし、近年の世界の捕鯨反対により、その習慣も薄れている印象があります。
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古冨竜也 ふるとみ・たつや
山口県、兵庫県、新潟県、長崎県、広島県と全国各地で暮らし、趣味で海外を放浪する。2019年、理学療法士から山口県萩市の地域おこし協力隊に着任。3秒で地域に溶け込む力を生かし、地元の人が主役の持続可能な地域づくりを目指す。
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霊峰太平山を祀るお社であり、秋田藩主・佐竹公の雪見御殿跡地でもある
〈太平山三吉神社(里宮)〉では、毎年立春の前日には〈節分祭〉が行われます。
まずは無病息災、開運招福を祈願するご祈祷が行われ、
このあとに宮司様が「福は内」を2度、「鬼は外」を1度唱えて、
参拝者に対し豆をまき始めます。
それからお社内、神社の外へも豆をまきますが、
参拝者はご祈願後のありがたいお豆を拾うため、宮司様のあとを必死に追いかけます。
その姿は親鳥を追いかけるひな鳥のよう。
ピーナッツをまくのが主流の秋田の節分。
三吉神社でも豆まきの際にはピーナッツをまきますが、
それとは別に、参拝者には最後に大豆も配られます。
ご加護いっぱいのお豆が、鬼から家族を守ってくれそうです。
世間一般的によく耳にするのは、「鬼は外、福は内」ですが、
「福は内」を最初に2度唱えるなんて独特ですよね!
その理由を宮司様に尋ねてみたところ、
「神聖なご神前で行われる豆まきですから、『福は内』を最初に2度唱えます」
とのことでした。
古来より、勝利成功・事業繁栄の守護神として広く崇敬を受けている三吉神社内は、
すでに福ありきで、鬼から護られている状態だったのですね。
霊峰を祀る三吉神社のご加護が
秋田市全体の1年を明るく照らすような、そんな節分祭でした。
みなさんも秋田市に足を運んだ際には、ぜひ太平山三吉神社へお越しください。
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重久 愛 しげひさ・いつみ
「死ぬまでには一度は行きたい場所」で知られる鹿児島県与論島出身。2019年に縁あって秋田県秋田市にIターン。よそ者から見た秋田市の魅力や移住に至る経験を生かして、秋田市の地域おこし協力隊に着任。YOGAを生かした地域交流を図る事業や、移住者を受け入れる市民団体事業をプロデュース中。山菜採りにすっかり夢中に。自称「立てばタラの芽、座ればバッケ、歩く姿はコシアブラ」。
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節分の風習は、宮中の年中行事として行われていた厄や災難を祓い清める儀式
「追儺(ついな)」が起源とされているとか。
栃木県矢板市内にある寺社での実態はいかに?
まずはまちなかにある〈塩竈神社〉の〈節分祭〉に参加しました。
始まりは威勢よく打ち上げ花火!
祝詞が奏上されたあとに「福は内」を2回、
「鬼は外」を1回の掛け声で豆まきが行われます。
入替制のため、お札をいただいた氏子さんは速やかに解散です。
次に参じた〈日蓮宗妙道寺〉には〈節分追難式〉とあり、すでに長蛇の列。
すぐ後ろにいた方は、お隣の大田原市からとのことで、
市内外から広く集まるたくさんの人に驚きました。
4人の僧侶による読経は、
木柾(もくしょう)や木剣数珠(ぼっけんじゅず)という
独自の仏具を打ち鳴らす場面もあり、大音量の迫力!
思わず顔を上げて見入ってしまいました。
外へ出ると、振る舞いのけんちん汁などもいただけて、
みなさんしばし歓談されていました。
いずれも気持ちが改まる清々しさは共通していて、
矢板の地域信仰の新たな一面を発見しました。
余談ですが、2月の栃木では、節分の煎り大豆も使う
名物(迷物?)料理「しもつかれ」が欠かせない時期。
私は今年、手づくりに初挑戦しました!
しもつかれに興味を持たれた方、よろしければ私のブログもご覧くださいね。
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進藤菜央子 しんどう・なおこ
お料理すること、食べることが大好きで、そんな豊かさで満たされる暮らしができるまちへの移住を希望し、2019年2月より栃木県矢板市地域おこし協力隊として着任。矢板の食の魅力、古道や史跡が眠る歴史の魅力にハマり、〈矢板リトリート〉という、都会からの観光客を惹きつける新しい観光スタイルを構築中。任期後には、カフェ&ゲストハウス起業も目指している。矢板リトリートFacebook
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「福は内、鬼は外」
元気な子どもたちの声にびっくりしました。
震災後、福島県広野町では全町避難を余儀なくされ、
一度は聞こえなくなってしまったこの元気な声。
今では震災前と変わらず、元気な声が児童館中に響きわたっています。
児童館ではこのほかにも毎年変わった行事が行われます。
〈節分! 豆まきトーナメント〉です。
子どもたちがチームをつくり、鬼に扮して新聞紙でできた豆を相手陣地に投げ、
豆が少ないほうが勝利となります。
子どもたちはみんな真剣勝負です。
制限時間いっぱいに豆を相手陣地に投げ込みます。
トーナメントが進むにつれて子どもたちの志気もどんどん上がり、
みんな汗だくになってプレイしていました。
応援する子、作戦会議をする子、お友だちとしゃべりする子、それを見守る大人たち。
節分の児童館には、震災前と変わらない、あったかい空気が流れていました。
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大場美奈 おおば・みな
1993年生まれ。福島県いわき市出身。医療系専門学校を卒業後、委託職員として広野町入庁。そのときに広野町に恋をして、まちと共に生きることを決意。まちづくりの修業のため、一旦まちを離れて山形県南陽市地域おこし協力隊に着任。2019年4月に広野町起業型地域おこし協力隊に着任。現在は民間がつくるコミュニティースペース〈ちゃのまベース〉を立ち上げ、運営を開始。地域課題を企業というかたちで解決しながら会社設立に向けて奮闘中。
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2月2日。
1日早いですが、僕の主な職場である〈大雪かみかわヌクモ〉にて、
節分のイベントを行いました。
集まった子どもたちみんなで、赤鬼に豆をまきます。
鬼から逃げ回る子や、勇敢に立ち向かい豆をまく子など、さまざまでした。
京都府福知山育ちの僕は、節分の豆まきといえば、
炒った大豆をまくものだと信じて疑わなかったのですが、
今回のイベントで使った豆は落花生でした。
聞いてみると北海道や東北などでは落花生が一般的とのこと。
まいたあとで拾って殻を剥き食べられる。じつに合理的です。
余談ですが、上川町のお豆腐屋さんでは、
大豆をまくのだそうです。
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淀 大祐 よど・だいすけ
沖縄県久米島生まれ、京都府福知山市育ち。2012年4月から約1年間、47都道府県を自転車で廻ったあと、奈良・大阪・京都で働く。自転車旅の気持ちよさと、おいしいごはん、おもしろい人たちに惹かれ、北海道に移住を決意。2019年12月、北海道上川町の地域おこし協力隊・フードプロデューサーとして着任。夏の到来を待ちわびながら、主に体験型の新しい交流施設〈大雪かみかわヌクモ〉に勤務。
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恵方巻き文化は、東北ではあまり馴染みのないものでしたが、
今では、日本中に広がりを見せているようです。
岩手県花巻市には、Uターンしてきた寿司職人が巻く「恵方巻き」があります。
大将の田面山道行さんは、高校を卒業して2週間後には寿司職人になるために千葉県へ。
21年間寿司を握り続けてきました。
いつかは故郷でお店を出したい、という想いが強く、
東京でお店を出そうとは思わなかったのだとか。
夢が叶ったのは今から2年半前。
念願のすし処を花巻にオープン。
店名は“ご縁”の意味を込めて、〈えにし〉に。
独立への不安はあったそうですが、
新しく建てた店の看板を見て覚悟が決まったといいます。
大将のお母さんが飲食業をやっていたこともあり、
最初は紹介で訪れる方が多かったようですが、
今では大将の人柄や寿司ダネのおいしさが口コミで広がり、
千葉時代のお客さんも食べに来てくれるのだとか。
「おいしかった」と言ってもらえるだけでうれしい、と大将。
えにしの恵方巻には8種類の具が入っており、“末広がり”の意味が込められています。
一度恵方巻きを食べたお客さんが「今年もまた食べたい!」と来られることも。
節分が終わっても、海鮮巻きとして一年中提供されています。
これからも寿司をご縁に、たくさんの方がお店に訪れることでしょう。
information
すし処・季節料理 えにし
住所:岩手県花巻市大迫町大迫第3地割103
TEL:0198-48-4824
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鈴木寛太 すずき・かんた
1991年東京都出身。2011年に発生した東日本大震災以降、大学のボランティアプログラムで、繰り返し岩手県を訪れるようになる。一度は就職するも、2015年8月、地域おこし協力隊として花巻市に移住。大迫(おおはさま)地区で、減少が続くぶどう農家の支援やイベントの企画・調整を行っており、2018年5月にぶどう農家となる。2018年7月末、3年間の地域おこし協力隊の任期を終え、本格始動中。
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「節分」と聞くと、みなさん“鬼”や“豆まき”を真っ先に想像するのではないでしょうか。
岩手県奥州市でも何かユニークな習わしがあるのでは、
と期待しながら地元の方々に尋ねてみると
「豆まきのあと始末が面倒だから、大豆から落花生になった」
「恵方巻きは最近食べるようになった」と
意外にも、節分に根づいた風習はないのかも……?
節分という日は「季節を分ける」という意味が含まれます。
水沢には〈正法寺〉という、かつて曹洞宗の第3の本山という格式を得た
歴史あるお寺があり、1月6日から2月3日まで
〈寒行托鉢(かんぎょうたくはつ)〉という行持が毎年行われます。
“行持”と表す理由は、仏教では1日1日を特別なものとして捉らえるのではなく、
どんな日であろうと普遍的に続いていくという教えがあり、
イベントとしてではなく、“行いを持続する”という意味があるからだそうです。
寒行托鉢中は原則毎日、修行僧の方々が水沢の市街地へ出て、
寒い雪のなか、傘を被りながら列になって練り歩きます。
そんな厳しい修行をする僧侶の方へ、地元の人たちは浄財を布施し、
(昔はお米や野菜をお供えすることもあったんだとか!)
それに対し、深々と礼をして手を合わせる僧侶たちの光景が昔から続いています。
寒行托鉢の最終日は、節分。
ここ水沢では、豆まきや鬼払いではなく、
この行持の風景こそが節分の風物詩なのかもしれません。
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小川ちひろ おがわ・ちひろ
東京都品川区出身。大学では移民学を専攻し、言語や異文化に興味を抱く。オーストラリア留学、台湾ワーキングホリデーと海外生活を経験。都内のギャラリーカフェに勤務したのち、2018年5月から岩手県奥州市の地域おこし協力隊に着任。“小さな旅”をテーマにしたプロジェクト〈Walk on Soil〉の台湾向けコーディネートを担当しながら、自身も旅するように東北でしか味わえない経験を堪能中。
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