〈清津峡渓谷トンネル〉 日本三大峡谷の名勝地が インスタ映えの聖地になるまで

自然の猛威から人々を守るために生まれた清津峡渓谷トンネル

1941年に国の名勝天然記念物に。
1949年には上信越高原国立公園の一部に指定されるなど、
見る者を圧倒させる大峡谷、清津峡。
その始まりは1600万年前に海底火山の噴火活動により、
火山灰が海底に降り積もったところまで遡り、
長い歴史を経て変化したことがわかっています。

国立公園に指定され、名勝としての知名度が上がるのに伴い、
温泉街として観光客を受け入れる動きも活発化していき、
清津峡を愛でるための遊歩道が整備されました。
このときは、まだトンネルはありません。

しかし、1984年2月には大規模な雪崩が発生し、
その後も1988年に落石事故が起きるなど、死傷者が出る大惨事に見舞われました。

落石事故が起きる以前から遊歩道の危険性は指摘されてきました。
十日町は豪雪地帯。雪崩や残雪のほか、
落石や土砂崩れの発生が懸念されていたからです。

落石事故の原因になったのは、清津峡の特徴のひとつである
柱状節理(ちゅうじょうせつり)でした。
清津峡の岩崖は一枚岩ではなく、マグマが冷えて固まる際に収縮し、
四~六角形の柱状が寄せ集まってできているため、もろく崩れやすいのです。

切り立った柱状節理の岸壁が見事な清津峡は、日本三大峡谷に数えられる。以前はこの絶景を見るために遊歩道を使う必要があったが、現在はトンネルのおかげで安全に楽しむことができる。

切り立った柱状節理の岸壁が見事な清津峡は、日本三大峡谷に数えられる。以前はこの絶景を見るために遊歩道を使う必要があったが、現在はトンネルのおかげで安全に楽しむことができる。

この事故を機に、峡谷美を愛でるために必要な清津川沿いの遊歩道は、
通行はおろか立ち入りさえも一切禁止となりました。
遊歩道の立ち入り禁止は、名勝といわれ、地元の人たちにとって
誇りでもある峡谷美を見ることができなくなることを意味します。

「せめて峡谷美だけでも見られるようにしてほしい」

事故から4年の閉鎖期間の後、遊歩道の代替案として
清津峡渓谷トンネルの建設が始まりました。
安全に通行ができること、国立公園内にふさわしく外観を損ねないという理由から、
遊歩道の代替施設となったのです。

こうした経緯を経て、1996年に清津峡は
観光地として新たなスタートを踏み出しました。

[tunnel of Light]Ma Yansong / MAD Architects(大地の芸術祭)

[tunnel of Light]Ma Yansong / MAD Architects(大地の芸術祭)

自然の猛威に対し人々が立ち上がり、安全を確保する方法を探り、
トンネルという方法を見つけたこと。
絶景を見るための通り道であったトンネルを
アートの力で人気観光地へと盛り上げたこと。
いま再び清津峡は、たくさんの人々から熱い視線が注がれています。

第3展望台の壁に散りばめられた作品「しずく」。[tunnel of Light]Ma Yansong / MAD Architects(大地の芸術祭)

第3展望台の壁に散りばめられた作品「しずく」。[tunnel of Light]Ma Yansong / MAD Architects(大地の芸術祭)

紅葉の時期も多くの人がここを訪れます。
SNS越しでは感じることができない、水鏡に至るまでの過程も、
ぜひ体感してみてください。

information

map

清津峡渓谷トンネル

住所:新潟県十日町市小出癸2126

TEL:025-763-4800(清津峡渓谷トンネル管理事務所)

定休日:冬季休業(年末年始は営業、冬季休業は降雪状況により異なるため、詳細は公式HP)

Web:日本三大峡谷 清津峡公式サイト