〈へんじんもっこ〉 佐渡の“頑固者”がつくる ドイツ式のソーセージ&サラミ

1冊の本から始まったソーセージづくり

初代は鶏専門の肉屋、2代目は牛や豚も扱う肉屋だったというへんじんもっこ。
ですが、島外資本の大型スーパーなどが介入してくると、
この先肉屋だけでやっていくのは難しいのでは……、と店の未来を危惧した2代目。
いまあるものでなんとかできないかと考えたとき、たまたま手にした本に、
ドイツの肉屋はソーセージもつくる、という記述を目にしました。

「そんなきっかけからソーセージの研究を始めたんです。
たった1冊の本から勉強してつくったから、はじめは失敗の連続。
しかも、つくった白いソーセージをお肉と一緒に並べても、全然売れなくて。
だから、お肉、ソーセージ、コロッケ、チキンロールなんかと一緒に
約9年間、私が朝夕訪問販売して売り歩いてたの」

その当時を懐かしがりながらも、笑い飛ばすかのように語ってくれた朝美さん。
先の代まで持続可能な店を思い描き、
ドイツ式ソーセージの可能性を信じて、研鑽を重ねました。

その後、突然の大変革が訪れます。
朝の情報番組でへんじんもっこのソーセージが紹介されることに。
テレビの影響を考慮して、200~300セットくらい用意があれば大丈夫かな、
と考えながらテレビを見ていたところ、突然電話が鳴り始めます。

「もう電話が鳴りやまないの! 受話器を置くひまもなくて、
トイレに行くときは受話器を外したりして(笑)。
約20年前の話だけど、初めての経験でした」(朝美さん)

トータル3000~4000セットの注文が入り、
そのときに買い物をしてくれた何人かのお客さんとは、
いまでもおつきあいがあるのだそう。

ふたりで始めたソーセージづくりでしたが、
経営も軌道にのり、現在は3代目夫婦と、8人のスタッフで、
昔と変わらない頑固さで、ソーセージやサラミづくりに取り組んでいます。

ドイツに渡り修業した3代目ゲゼレ

3代目オーナーである渡邊省吾さんは、ドイツ留学を経験し、
ドイツ公認の食肉加工資格ゲゼレ(職人)を取得しました。

「毎年、コンクールなどでドイツに行っている父をみて、
漠然とですけど、自分も大きくなったらドイツに行きたいと思っていたんです。
母がいうには、小学4年生の誕生日のとき
『大きくなったらドイツに行く!』って宣言していたらしいです(笑)」

地元の農業高校の食品化学科を専攻していた省吾さん。
授業の一環で、ソーセージづくりの実習があったそう。

「学校でつくったソーセージを自宅に持ち帰ったとき、
それを父がすごく褒めてくれたんです。
ソーセージをつくるの楽しいな、自分でもつくりたいな、と本気で思ったのは
それがキッカケだったんじゃないかな、って思います」

ドイツ修業時代の写真や、グランプリ受賞時の新聞。

ドイツ修業時代の写真や、グランプリ受賞時の新聞。

高校卒業と同時に渡独し、言葉の壁、社会の厳しさなどを体感しながら、
職業学校でソーセージやサラミづくりを学んだ省吾さん。
ミュンヘンから少し離れたまちにある〈ルッツ食肉店〉にて
学びながら住み込み労働を経験。4年間の修業を終え、佐渡へと帰国しました。

帰国後は、はやく自分の色を出したいと、さまざまな種類の加工品に取り組みますが、
なかなか自身で納得する味は出なかったといいます。
それでも日々ソーセージづくりに励み、
ドイツのさまざまなコンクールに出品しているなかで、
2005年に開催されたドイツのコンテストで国際部門総合優勝、
加熱部門でのグランプリと2カップを獲得するという快挙!

「自分以外の人から評価されたことで、大きな自信にもつながりました。
そのときにやっと、自分なりに求める味に近づけたような気がします」(省吾さん)

そんな息子の活躍に、2代目も「負けてはいられん!」と、
ソーセージだけでなく、サラミづくりにも注力するように。
オランダのコンクールなどにも積極的に出品していたそう。

それぞれの仕事を称えあい、よきライバルとして刺激を与えあう親子。
2代目夫婦のふたりで始めた頃は4~5種だった商品も徐々に増え、
今では30種類以上のサラミやソーセージを製造するようになりました。