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〈一般社団法人Pine Grace〉
酒巻美子が助けられた「女神の木」
アカエゾマツの甘い香り

弟子屈の森から
vol.004

posted:2022.9.26   from:北海道弟子屈町  genre:暮らしと移住 / ものづくり

〈 この連載・企画は… 〉  北海道の道東・弟子屈(てしかが)町の「自然に住む心地よさ」に惹かれて移住した井出千種さん。
身近になった木や森を通して、「自然に惹かれる理由」を探ります。

writer profile

Chigusa Ide

井出千種

いで・ちぐさ●弟子屈町地域おこし協力隊。神奈川県出身。女性ファッション誌の編集歴、約30年。2018年に念願の北海道移住を実現。帯広市の印刷会社で雑誌編集を経験したのち、2021年に弟子屈町へ。現在は、アカエゾマツの森に囲まれた〈川湯ビジターセンター〉に勤務しながら、森の恵みを追究中。

アカエゾマツが与えてくれた多くの出会いと、さまざまな可能性

アカエゾマツに惹かれている。
北海道、とくに道東と道北に多く分布し
クロエゾマツとともに「北海道の木」に指定されている常緑針葉樹。

赤蝦夷松。英語名は、Sakhalin spruce(サハリン・スプルース)。高さは30〜40メートルにもなる。

赤蝦夷松。英語名は、Sakhalin spruce(サハリン・スプルース)。高さは30〜40メートルにもなる。

ウロコ状になった赤茶色の樹皮と、
触るとチクチクする葉が特徴で、
真っ直ぐ天に向かって伸びる凛とした感じが、北の大地によく似合う。

エゾマツと並んで北海道を代表する針葉樹、トドマツとは、葉先の形が大きく異なる。触ると痛いのがアカエゾマツだ。

エゾマツと並んで北海道を代表する針葉樹、トドマツとは、葉先の形が大きく異なる。触ると痛いのがアカエゾマツだ。

アカエゾマツ(以下、アカエゾ)の世界へと導いてくれたのは、酒巻美子さん。
「森林、樹木、草花の機能成分を有効利用し、動物や人の健康福祉に貢献する」
ということを目的に掲げる、〈一般社団法人Pine Grace〉の副代表である。

酒巻さんが所属する『一般社団法人Pine Grace』は、2018年に弟子屈町に蒸留所を設立した。

酒巻さんが所属する〈一般社団法人Pine Grace〉は、2018年に弟子屈町に蒸留所を設立した。

酒巻さんがアカエゾに夢中になったきっかけは、香りだった。
「その日は雨上がりで、地面から水蒸気が上がっていて、
アカエゾの森に入った途端、めっちゃいい香りがしたんです」
と、まるで昨日のことのように臨場感たっぷりに
感動の体験を話してくれる。

「森を案内してくれたガイドの方に『何の香り?』と尋ねたら、
『いろんな香りが混ざっているからわからないね〜』なんて
はぐらかされたんだけど……さらに奥へと歩いていったら
一本のアカエゾに洞があって、そこに樹液が垂れていて、
近づいたらまさに! その香りだったんです」

「アカエゾは、他の針葉樹にはない甘い香りがするんです。アイヌの人たちは『女神の木』と呼んでいたそうです」と酒巻さん。

「アカエゾは、他の針葉樹にはない甘い香りがするんです。アイヌの人たちは『女神の木』と呼んでいたそうです」と酒巻さん。

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「辛いときは森に行こう」

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「あの香りが欲しい!」 枝葉を活用したら、新しい世界が広がった

こうして酒巻さんがアカエゾの可能性に気づいたのは、
いまから10年以上も前のこと。
当時は弟子屈町川湯温泉を拠点に、セラピストとして活躍していた。
施術にアロマオイルを使用することも多く、
元来、樹木の香りは好きだったが、
この日以来アカエゾは特別な存在になった。

「その頃はとても忙しくて、睡眠時間もなかなか取れない日々。
だけど、ちょっと時間ができると、横になるのではなく
アカエゾの森に向かいました。木の根元に座っていると、
すごく気持ちがラクになる。15分くらいすると、
“よし、もう大丈夫”って、体のどこかでスイッチが入る。
そして、仕事に戻っていました」

「森に入ると、木にくっついて座ったり、ぎゅっと抱きしめたり。そうやって、アカエゾに助けられてきました」

「森に入ると、木にくっついて座ったり、ぎゅっと抱きしめたり。そうやって、アカエゾに助けられてきました」

“辛いときは森に行こう”
これが酒巻さんの習慣になった。

アカエゾの森は、阿寒摩周国立公園内、
硫黄山の麓の川湯温泉にある。
長い歴史の中で噴火を繰り返してきたこの地は
火山灰が降り積もり、植物にとっては厳しい環境だ。
あえてここを選んで、約200年もかけて育まれてきたアカエゾの純林には、
きっとはかり知れない力があるのだろう。

アカエゾマツの森は、弟子屈町の川湯ビジターセンター裏に広がる散策路。ショートコース(約0.8キロ)とロングコース(約2.2キロ)がある。

アカエゾマツの森は、弟子屈町の川湯ビジターセンター裏に広がる散策路。ショートコース(約0.8キロ)とロングコース(約2.2キロ)がある。

すっかりアカエゾに魅せられた酒巻さんは
施術にも使用したいと、精油を探し始めた。
ところがなかなか見つからない。「ないならつくってみようか」と
仕事の傍ら、アカエゾの蒸留を始めるようになる。

蒸留器を購入して、〈北見ハッカ記念館・薄荷蒸溜館〉に通って勉強をして。
とはいえ、薄荷は草花、アカエゾは樹木。
「前例がないから、試してみるしかない!」と
毎日ハサミでチョキチョキ葉を刻んでは、
試行錯誤を繰り返した。

酒巻さんの熱意に加え、偶然の出会いも重なって、
いつしか大学教授や林野庁職員が集まり、
〈アカエゾマツ研究会〉(のちの〈一般社団法人PineGrace〉)が誕生した。
実はアカエゾ、林業の世界では用途が少ないために嫌われ者である。
過酷な環境に耐えて、たくましく育っているというのに……。

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アカエゾが縁を運んできてくれる?

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発展を続ける “アカエゾ愛” 「いずれは医療に役立つものを!」

健気なアカエゾに脚光を浴びさせたいと願う有志たちが
積極的に活動して、酒巻さんが森で感じた「めっちゃいい香り」は
変化を遂げていく。

精油や蒸留水として使われるだけでなく、
大学の研究等により、リラックス効果や抗菌効果が実証され、
現在は、牛の皮膚病を治す製品など、
数々の商品開発につながっているのだ。

「アカエゾが、次にやるべきことを
運んできてくれるんです」と酒巻さんは力説する。
たとえば、阿寒湖畔に広がる3892ヘクタールにも及ぶ森を
管理している〈前田一歩園財団〉から、枝葉を提供してもらえるようになったり。
アカエゾがピアノの響板に使われる材であることから、
映画『羊と鋼の森』のプロモーションに精油をリクエストされるなど。
「私が考えたわけじゃないんです。
アカエゾを介して知り合った方々から
思いもよらない展開へと広がっていくんですよ」

だからだろうか。酒巻さんは、いつもワクワクしている。
つい最近は「北と南の融合」について、うれしそうに話してくれた。
「沖縄・今帰仁村(なきじんそん)に蒸留所があって、
そこで島月桃(シマゲットウ)を嗅いだときに、
アカエゾとブレンドしたいな、と思ったんです。
北海道の寒くて乾燥した土地の抗菌性と、
沖縄の高温多湿な土地の抗菌性って、きっと違うでしょ。
それを一緒に用いることで、また違う恵みが得られる気がして」

「医療従事者だったこともあるので、いずれはアカエゾが、人の医療に役立つものになったらうれしいですね。それが最終目標。その可能性は十分にあると思っています」

「医療従事者だったこともあるので、いずれはアカエゾが、人の医療に役立つものになったらうれしいですね。それが最終目標。その可能性は十分にあると思っています」

北海道に移住してから、ここで暮らす人たちをたくさん取材してきた。
そのなかでよく感じるのは、開拓者精神に溢れているということ。
「手に入らないなら、つくればいい」
「アカエゾの精油がないなら、自分で蒸留すればいい」

自然の恵みが、次のステップを用意してくれる。
だから、木や森ときちんとつき合っていこう。
そこにはたくさんのヒントが隠れているから。

北海道の自然には、そんなことに気づかせてくれる力もある。

現在は道内各地のアカエゾを活用しているが、始まりは川湯温泉のアカエゾの純林だった。「過酷な場所だから、試練に耐える力を備えている。弟子屈の大地が育んだものは、想像を超える威力を発揮するかもしれませんよ」

〈Pine Grace〉は道内各地のアカエゾを活用しているが、始まりは川湯温泉のアカエゾの純林だった。「過酷な場所だから、試練に耐える力を備えている。弟子屈の大地が育んだものは、想像を超える威力を発揮するかもしれませんよ」

profile

YOSHIKO SAKAMAKI 
酒巻美子

さかまき・よしこ●釧路市出身。長年、看護師としてのキャリアを積んだ後、アロマセラピーやハワイアンロミロミなど資格を取得。木育マイスターとしても活躍。現在は〈一般社団法人Pine Grace〉の副代表として、全国を飛び回っている。弟子屈町在住。

Web: 一般社団法人Pine Grace

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