連載
〈 この連載・企画は… 〉
北海道の道東・弟子屈(てしかが)町の「自然に住む心地よさ」に惹かれて移住した井出千種さん。
身近になった木や森を通して、「自然に惹かれる理由」を探ります。
writer profile
Chigusa Ide
井出千種
いで・ちぐさ●弟子屈町地域おこし協力隊。神奈川県出身。女性ファッション誌の編集歴、約30年。2018年に念願の北海道移住を実現。帯広市の印刷会社で雑誌編集を経験したのち、2021年に弟子屈町へ。現在は、アカエゾマツの森に囲まれた〈川湯ビジターセンター〉に勤務しながら、森の恵みを追究中。
日本最大の屈斜路カルデラの中にあり、屈斜路湖と摩周湖の中間に位置する活火山。アイヌ語では、「アトサヌプリ(裸の山の意)」と呼ばれる。
森と湖と火山があるまち、弟子屈には
有名な観光地として、摩周湖と屈斜路湖に加え、硫黄山がある。
毎日噴煙を上げている活火山は、
ネオンイエローの噴気孔を間近で眺めることができる、ダイナミックな場所だ。
明治時代には硫黄の採掘が行われ、輸送のために北海道で2番目に鉄道が敷かれた。その後のJR釧網本線や釧路の繁栄につながったといわれる。
ここから徒歩で約20分。
車ならほんの数分のところに、週末だけ営業する骨董屋がある。
店の名前は〈温古知新〉。「温故」ではなく、「温古」。
経営者のひとり、池上典古(のりこ)さんの名前に由来する。
「名前に『古』という字を使ってくれた。
親には本当に感謝しています」とうれしそうに話す。
ブロック塀の壁を白くペイントした大きな倉庫の広さは、約180平方メートル。この建物が、〈温古知新〉のショップ兼、池上さんの住居である。
というのも、典古さんは骨董屋の仕事が大好き。
訪ねるたびに、「楽しくてしょうがないの」と言いながら
いきいきと働く姿に、弟子屈町民はたくさんの元気をもらっている。
「古いものを当たり前に使っていた家に育ったので、
大人になっても古道具に囲まれた生活がしたい、
これが私の夢だったんです」
昭和5年に開業した川湯温泉駅(当時は川湯駅)は、赤い三角屋根のノスタルジックな建物。天皇陛下のための貴賓室も残されている。
大阪出身の典古さんは、23歳のとき
硫黄山の麓のまち、弟子屈町川湯にやって来た。
1990年代、日本全国を巡りながら、
行く先々で働いて、お金を貯めては次の目的地へ。
そんな旅人になろうと、まずは北海道を目指したのだそう。
「当時好きでたまらなかった真っ赤なランクルを買って、
実家の駐車場に停めて眺めながら、毎日教習所に通ったの。
いま考えると、すごいよね。免許取る前に、車を買っちゃった(笑)」
釧路から網走まで。道東エリアを南北に走る、JR釧網本線は路線距離約166キロ。弟子屈町内の川湯温泉駅は、そのほぼ中間にある。
知人の紹介で住み込みのアルバイトを始めたのが、
川湯のクリスチャンセンターだった。
「夏休みになると都会の小学生がやって来て、2週間のキャンプ生活。
釣りをしたり、硫黄山に登ったり。そのお手伝いが楽しくて……」
旅のスタート地点だったはずなのに、すっかり定住してしまった。
4月に免許を取って、6月からアルバイトを始めて、
12月には結納(!)を交わしていたというから驚き!!
釧網本線に沿うように走る国道391号線から駅に向かう道に入ると、温古知新の看板が立っている。駅前にはほかに、ケーキ屋、雑貨店、酒屋が並ぶ。
典古さんを川湯に留まらせたのは
もちろんご主人の忠昭さんの功績だけど、川湯の力も大きかった。
「本州とは何もかもが違う。車で走っても気持ちがいいし、
星空はすごくきれいだし、見るものすべてに感動していた。
こんな場所で生活できるなんて、本当に幸せ」
その思いは、30年近く経ったいまも変わらない。
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「都会の骨董屋に比べると『安い』と言ってもらうことが多いけれど、家賃は必要ないし、店の外に商品を並べていても誰も持って行かないし(笑)、恵まれた立地です」
温古知新は、JR釧網本線川湯温泉駅から徒歩3分。
池上夫妻は結婚してまもなく、駅前の元農協の倉庫を購入した。
「ガランとしたブロック造りの倉庫だけど、とにかく大きくて
中に何でも造れると思ったの。それが魅力だった」
そして忠昭さんが、廃材を使って3年かけて、
倉庫の中に家を建てた。古いものにぐるりと囲まれる、
典古さんにとって理想の暮らしの第一歩が始まったのである。
東に中標津や根室、西には北見、南に釧路、北には知床や網走。道東の真ん中に位置する、弟子屈町。「近郊の常連さんが多くて、みなさん2時間くらいかけて来てくれるんです」
骨董は出合い。だから「いま買わないと二度と手に入らない」が信条。
結婚以来ずっと、「これいい」と感じたものを集め続けてきた。
「大きな倉庫の中に、拾ったものやもらったものを、どんどん溜めていった。
それでも、いざ店を始めるとなると足りなくて、
競り場にも出かけるようになりました。これがまた楽しくて……」と
典古さん、また顔をほころばせる。
夫妻は3人の息子を育て、9年前、結婚20年の節目に店を始めた。
店内には、家具、着物、食器、農具……ミルク缶など、
いろんな時代のいろんなモノが、所狭しと積み上げられている。
何時間でも眺めていたくなる、楽しいセレクト。
その基準を尋ねると少し考えて、
「“使える”ということが大切かもしれない。
椅子、テーブル、棚……新たな家に行ってもなじむモノ。
今日も年配のご夫婦が来て、『これうちにあったよな』とか、
『おばあちゃん家にあったね』なんて、
ひとつのモノで盛り上がって、時間をかけて見てくれる。
そんなときいつも“よかった”って思います」と教えてくれた。
いろんな人の暮らしが詰まった、博物館のような骨董屋。
こんな空間ができることも、広大な北海道の自然豊かなまち、
弟子屈ならではの利点だろう。
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「ここ(川湯)だったから、夢が実現できた」
そう語る典古さんが感じている、川湯の魅力は尽きない。
たとえば、川湯温泉駅と硫黄山を結ぶ道、“青葉トンネル”。
「雨の日も、雪の日も、若葉の頃も最高。四季を通してすばらしい」
青葉トンネルを抜けたら、硫黄山を眺めながら、
東に斜里岳、北に藻琴山を望むこともできる。
平日は郵便局で働く典古さんの通勤路は、絶景を貫いているのだ。
そして「子どもをここで育てられたことが、本当によかったと思う」と続ける。
毎週土曜日の午後は、お散歩が習慣だった。
「保育園がお昼までだから、青葉トンネルを通って硫黄山に行って、
レストハウスでソフトクリームやいも団子を食べて、同じ道を帰ってくる」
夕焼けがきれいな平日は、保育園のお迎えに行った帰りに
車で15分ほどの展望台まで寄り道。
「保育園のカバンを下げたまま摩周湖の夕焼けに感動して、
帰ってきたらお腹がペコペコ。慌てて夕飯の支度をしていました」
そんな日々は子どもたちに、どれほどの影響を与えてきたことだろう。
3人の息子は、みんな15歳まで川湯で育った。「その後はそれぞれの人生を歩んでいるけれど、『離れたからこそ、川湯がすごくいい場所だったって思う』って話しています。それもヨカッタ!」
「郵便局が定年になったら、週末だけでなく毎日、
この店をずっと続けていたい。
庭の緑が見えるから、窓際に席をつくって、本とか置いて、
お茶が飲めるようにしたいの。和菓子もいいね」と
さらなる夢を次々と、楽しそうに語る典古さん。
噴煙を上げ続ける硫黄山の麓にある骨董屋〈温古知新〉。
大地のエネルギーは人間をポジティブにするのかな、
そんな風に感じた。
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温古知新
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