連載
posted:2022.7.25 from:北海道弟子屈町 genre:旅行
〈 この連載・企画は… 〉
北海道の道東・弟子屈(てしかが)町の「自然に住む心地よさ」に惹かれて移住した井出千種さん。
身近になった木や森を通して、「自然に惹かれる理由」を探ります。
writer profile
Chigusa Ide
井出千種
いで・ちぐさ●弟子屈町地域おこし協力隊。神奈川県出身。女性ファッション誌の編集歴、約30年。2018年に念願の北海道移住を実現。帯広市の印刷会社で雑誌編集を経験したのち、2021年に弟子屈町へ。現在は、アカエゾマツの森に囲まれた〈川湯ビジターセンター〉に勤務しながら、森の恵みを追究中。
第1回の自然ガイド、片瀬志誠さんに続き、
今回はカヌーガイドの祖父江健一さんに、
日本最大のカルデラ湖、屈斜路湖から
釧路川の源流を案内してもらった。
湖畔の道を車で走っていると、目に飛び込んでくる看板がある。
〈ぢぢ〉。
手づくりの木工にペンキの塗装。かなりいい味を出している。
ここは、カヌーガイドと喫茶の店。
いまから1年前、私が弟子屈に移住したばかりの頃、
カヌーはまちを代表するアクティビティだと知って、
初めて「釧路川源流ツアー」を体験した。
そのとき案内してくれたのが、「ぢぢ」こと祖父江健一さん。
取材を兼ねてもう一度、ガイドをお願いすることにした。
訪ねたのは7月初旬。気温30度近い真夏日が、
突然弟子屈町にやってきたとき(7月の平均気温は16.4度)。
「どうぞ座ってください。ツアーの内容を説明しますね」
祖父江さんはそう言って、1冊の本を取り出す。
中を開くと、これから向かう屈斜路湖の絵が描かれていて、
その上に、小さな木彫りのカヌーを置き、
「井出さんがいて……」とリラックマを、
「私がいて……」と子ブタを、それぞれ乗せて巧みに動かし、
約2時間の行程と見るべきポイントを教えてくれる。
説明が終わると、長靴に履き替えて、
ライフジャケットを羽織って、いざ出発!
店の外に出ると、真っ青な夏の空が広がっていた。
「新緑もいいけれど、6月、7月……と葉っぱが出揃ってきて
うわ〜って緑が増える時期も、すごく好きです」
今日は絶好の“ぢぢカヌー日和”だ。
カヌーには、背もたれつきの椅子とパドルが2本積んである。
いずれも手づくりだ。祖父江さんの特技(ときに仕事)は木工で、
パドルは19年前からつくり始めた。
「ジャパニーズアッシュやヤチダモを使うから、やわらかくてしなるし、
長さやグリップを体に合わせてあるから、使いやすい。
漕いでみると全然違う。自作のパドルは、やさしいんです」
私が前に乗り、祖父江さんは後ろで漕ぐ。これが〈おまかせツアー〉。
湖に出ると、ひんやりとした風が吹いて、とても気持ちいい。
「あの木の下に、カワアイサの親子がいますよ」
そう言われて目を向けると、水鳥が列をつくって泳いでいる。
しかもヒナが何羽も!
チャプチャプと水がカヌーに当たる音を聞きながら、
のんびりと漂うように湖の上を進んでいく。
「あれがバイカモ(梅花藻)。切ってしまわないように、
できるだけ流されながら近寄りましょう」
そして目の前に、水草の花畑が広がった。
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ほどなく橋が見えてくる。
ここが154キロ先の太平洋につながる、釧路川のスタート地点。
橋の下をくぐったら、また別の世界が広がった。
今日の川岸はワイルドで、ジャングルクルーズのような気分。
「季節と時間、あとは水量でも印象が変わります。
今年は6月の雨が多かったので、水量が増していますね」
昨年、釧路川源流ツアーを体験してから、
友だちが来るたびに、川下りをするようになった。
合計すると10回くらいになるだろうか。
それでも橋をくぐるこの瞬間は、毎回感動してしまう。
釧路川源流を別世界に感じさせてくれるもう一つの立役者は、たくさんの野鳥。
いくつもの鳥の鳴き声が、辺り一面に響いている。
「正面の木にカワセミがいますよ。あ、飛びました」
と教えてくれるのだけど、私はなかなか見つけられない。
「あ、また飛びました……あぁ、行っちゃいました……」
こんなやり取りをする度に、祖父江さんはきっと野生動物に近いんだな、と思う。
それは本人も望むところで、
「オジロワシみたいに派手じゃなくていい。
地味だけど、ここでしっかり暮らしているカワガラスのように
自然の一部になれたら幸せかな」なんて言う。
「もうすぐ鏡の間ですよ」
さまざまな草木が生い茂り、水の精でも現れてきそうなここは、
あちこちから湧き水があふれ、ひときわ透明度が高い水が湛えられた、神聖な場所。
多くのガイドはカヌーを停めて、豊かな自然とその美しさを眺め
この地のすばらしさを再認識する。
中盤を過ぎると、浅瀬にカヌーを停めて、コーヒータイム。
岡持ちの中から、祖父江さんがまず取り出すのは、コーヒーミル。
豆を挽いて、お湯を沸かして……ひとつひとつの動作が、とても丁寧だ。
釧路川源流域の川下りという特別な体験が、よりすてきな時間に感じられる。
そしてつかの間、世間話に花が咲く。
コーヒーのいい香りがしてくる。
「では、テーブルをつくってください」
私が借りているパドルをカヌーにかけ渡し、
テーブル代わりにしてからコーヒーを受け取る。
続けてお茶請けが運ばれてくる。
今日は、越冬じゃがいも『インカのめざめ』を蒸したもの。
これが驚くほど甘くておいしい。
「地元のもので、素朴なもの、そしてちょっと意外なものを出しています」
ゴールでは、妻・直子さんが車を回して待っている。
最後に記念撮影をパチリ!
スタート時に湖畔と橋の上から撮った写真と一緒に
後日郵便で送ってくれる。しかも少し忘れた頃に……だから余計に感激する。
これも〈ぢぢカヌー〉の楽しいひと工夫。
祖父江さんは、カヌーを漕ぐときの心得として
「一番うまく流れに乗れるようなところを狙って、できるだけ漕がないように漕ぐ。
それが、より長い時間を楽しむことができる方法かな」と教えてくれた。
絵本による説明、手づくりのパドル、岡持ちに入った休憩セット……
たくさんのこだわりを持って、それらひとつひとつを大切にしている。
漕がないことは頑張らないことではなく、知恵を働かせている証。
祖父江さんは、やっぱり野生動物に近いな、と思った。
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KENICHI SOBUE
祖父江健一
そぶえ・けんいち●カヌーの案内人。1974年11月26日(いい風呂の日)、愛知県生まれ。北海道の礼文島や知床を経て、2001年に弟子屈町に移住。2007年に独立して、〈ぢぢ〉をスタート。「ぢぢ」と呼ばれる二児の父。湖に向かってサックスを演奏するのが好き。
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