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posted:2022.2.11 from:秋田県仙北郡美郷町 genre:アート・デザイン・建築
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writer profile
Haruna Sato
佐藤春菜
さとう・はるな●北海道出身。国内外の旅行ガイドブックを編集する都内出版社での勤務を経て、2017年より夫の仕事で拠点を東北に移し、フリーランスに。編集・執筆・アテンドなどを行なう。暮らしを豊かにしてくれる、旅やものづくりについて勉強の日々です。
秋田県美郷町。ここに〈やぶ前〉というスペースが緩やかにオープンしたのは、2020年。
デザインラボ、ゲストハウス、まちの学び舎……。
さまざまな顔をもつこの場所には不思議な引力があり、
惹きつけられた多くの人がやってきます。
2021年末には、美郷町学友館で開催された
『美術/中間子 小池一子の仕事とMUJI IS-動詞の森-展』
とのタイアップ企画『けものみち、実はにんげんのみち』展も開催されていました。
(※『オルタナティブ! 小池一子展 アートとデザインのやわらかな運動』と題して、
〈3331 Arts Chiyoda〉でも展覧会を開催中)
やぶ前の主は、長らくロンドンを拠点に活動していた
デザイナーの和井内京子さん。
彼女が母の故郷であるこの地を訪れるようになってから、
次々と奇跡のような巡り合わせが起こっています。
数年前から「日本にも定住地とスタジオをつくりたい」と考えていた京子さんですが、
当初はアジアやヨーロッパへのアクセスを考え、
山口や沖縄など西日本を中心に視察していました。
「そうしたら弟がね、おもしろいことを言ったの。
親のふるさとがちゃんとあるのに、どうして違う場所をうろうろしているのって」
弟の言葉を聞き、ひさしぶりに美郷町を訪れた京子さん。
まちを視察するなか、ある建物の前に立ち、心が動きます。
創業は江戸末期に遡る、かつて〈志ら梅酒造〉だった木造2階建ての建物です。
「壊れかけている志ら梅酒造の前に立っちゃって、これをなんとかしないとって思ったの。
せっかくいい景観があっておもしろいまちなのに、これがなくなってしまったら、
まち自体も廃れてしまうって」
志ら梅酒造を蘇らせようと奔走し、出会ったのが、
やぶ前を共にスタートさせることになる、
美郷町で建設業を営む〈シーモワオカダデザイン〉の岡田茂義さんと、
〈澁谷デザイン事務所〉の澁谷和之さんでした。
「私が60代、岡田さんが50代、澁谷さんが40代。
美郷町に愛情をもった、10代ずつ違う3人が会うようになって、
この辺りでスタジオや倉庫をもってもいいかもなと思うようになったの」
と話す京子さん。
このときはまだ、ロンドンやブータンなど世界を飛び回って活動していましたが、
この直後にコロナ禍が始まり、美郷町に留まることになります。
そんななか、やぶ前の名前の由来になる
蕎麦屋〈やぶ茂〉へ足繁く通うようになりました。
「やぶ茂はやぶ前の斜め向かいにあるの。
だから『やぶ前』なのだけれど(笑)!
店を切り盛りしている愛子さんと、お蕎麦を食べながらよく話すようになったの。
やぶ前は、愛子さんのお母さんの実家でね、
お母さんはここ(やぶ前)からやぶ茂に嫁いだ人。
(やぶ前には)愛子さんの叔父にあたるお母さんの弟さんが住んでいたのだけれど、
建物を継ぐ人がいないから、使いませんか?って相談を受けたの」
岡田さんと澁谷さんともやぶ茂で集まり、
美郷の未来を話すようになっていた京子さん。
この打診をきっかけに建物を受け継ぐことを決意。
やぶ前の物語が動き出します。
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やぶ前がどんな場所なのか、ひと言では表せない。
その活動は多彩で、美郷の暮らしのなかにある
ワクワクするものやドキドキするものを伝えています。
たとえば、〈美郷わらの会〉と模索するのは、
「稲わらクラフトの可能性」。
昔から米どころであった美郷町には、
収穫後の稲の茎を乾燥させた「わら」でつくる「わら細工」の技術が残ります。
美郷わらの会は、その文化を後世に伝えることを目的に、
町内外の有志により設立された団体です。
「やぶ前に来て食べてほしかったもの、体験してほしかった暮らしの知恵を、
叶わないこのご時世、遠くの人にも届けよう」と、
美郷町と周辺の季節のおいしいものを詰め込んだ〈やぶ前便〉もつくります。
ロンドンのギャラリーでもバーを開いたり、
フランスやイタリア、ルーマニアなど、
展覧会で訪れた各地で料理をふるまってきた京子さんは、
「料理は表現活動のひとつ」と話します。
そのルーツは、父方の家。曽祖父はロシア正教会を日本に伝えた「伝教師」でした。
「人が集まる家だったので、
いつもみんな飲んだり食べたりしているテーブルがあって、そこで大きくなりました。
祖母は豪華なおもてなしをしなくても、
誰が来ても、ちゃんとお米があればいいという人でした」
やぶ前の建物は、かつて精米店でした。
米屋だった建物をリノベーションしたやぶ前にとっても、米(食)は大切な要素です。
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やぶ前の活動の軸にあるのは、「あるものを再生させること」。
稲わらクラフトも、〈やぶ前便〉もその延長線上にありますが、
やぶ前の蔵に眠っていた浴衣で制作したエプロンも象徴的なものづくりです。
「情景の中にあるものをつくりたい」ということが
ものづくりの原点だったという京子さんが、
美郷町の暮らしに触れて生み出しました。
「美郷のお母さんたちは、エプロン姿でまちへ出かけます。
まちの中にすてきにいるということは、
エプロンにおしゃれをするということなのよね。
ものづくりをするときは、誰の体に合うものか、
どんなまちを歩いたらすてきか、イメージになる人がいます」
工業デザインに加え、写真や映像も学んだ京子さんは、
「ものの形の中には必ずストーリーがある」と話します。
「自分がどういう視点をもっていて、
対象と立ち会っているかということを突き詰めないと写真は撮れない。
ただ撮るのではなく、なぜ今ここでこのことが起きているのか、
リサーチするということ。
ものづくりでも、ものに対して
どれだけ真摯に向き合えるかということを大切にしています」
美郷町の暮らしで一番したくないことは廃棄だとも話す京子さん。
「器ひとつとっても、ヨーロッパに持って行ったら
喜ばれる宝物がこのまちにはたくさんあります。
ルートができたら送りたいし、それが古い蔵や母屋の修繕費になって
景観が保たれるならそうしたい。
海外へ届けることが、私の本当のミッションだと思っています」
自身では、デザイナー津田晴美さんと、
ブランド〈Camissimo〉を新たに立ち上げました。
世界的ブランドのデニム縫製を手がける工場〈エム・ジェー〉が美郷町にあり、
彼らとともに海外での展開も視野に入れた制作を行います。
捨てられてしまうものを蘇らせる京子さんは、
「かわいいとか素敵ということを、ひとつの視点で見て、
こういうものだと判断してしまうことは、つまらないことよね」と話します。
『けものみち、実はにんげんのみち』展で伝えたかったことも同じで、
この場所にいると、一過性ではないものの見方にはたと気がつかされます。
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「人の評価で人を見ないということ。自分でその人とまっすぐ立ち会うこと」
その大切さを繰り返し話す京子さんは、自身でつくるのみならず、
ものや人の魅力を発掘し、「絶妙なさじ加減」で世に送り出す
「伝道師」の顔ももちます。
数々のコンクールで高い評価を得ている
映画『沼山からの贈りもの』は、
復活した秋田の伝統野菜「沼山大根」を軸にした短編ドキュメンタリー。
京子さんとの出会いは完成前で、
当時学生だった制作者のふたりに助言をして以来の縁。
昨年は「沼山大根」のレシピ本を監修し、
〈無印良品 銀座〉でイベントも開催しました。
『けものみち、実はにんげんのみち』展で
紹介されていた「祐子さんの消しゴム判子」は、
美郷町の缶詰工場のラベルに押されていた判を見つけ出したもの。
缶詰工場を営む女性の妹である祐子さんが、
趣味でつくっていたもので、展示では、秋田の風景が、
彼女の判子で描き出されていました。
「引き算が大切」と、手をかけすぎず、
素材本来の味わいを感じさせてくれるのが京子さんの手腕。
その愛には分け隔てがなく、幅広い層の人が引き寄せられてきます。
「だまっていられないじゃない。
こんなにおもしろくて、すてきだったら、
もう少しこうしたらよくなるんじゃないって、伝えたくなる。
誰が愛情をもって触るかなのよね。
つくり出すとか、食べませんかとか、買いませんかって、
営業ってやっぱり愛情だよね。愛があふれちゃうの。何にでも」
「屋根あって。米と、鉛筆さえあれば、なんだって創造できる」
美郷町六郷米町にあり、かつて米屋だった建物やぶ前は、
出会いが出会いを呼ぶ場。
自分の視点で、未来を考え、
愛をもって伝えていくことの大切さを感じさせてくれる物語が、
日々つむがれています。
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やぶ前キッチン
Web:やぶ前キッチン
*価格はすべて税込です。
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