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土祭だより Vol.8

ローカルアートレポート
vol.022

posted:2012.9.28  from:栃木県芳賀郡益子町  genre:アート・デザイン・建築

〈 この連載・企画は… 〉  各地で開催される展覧会やアートイベントから、
地域と結びついた作品や作家にスポットを当て、その活動をレポート。

editor's profile

Rumiko Suzuki

鈴木るみこ

すずき・るみこ●静岡県出身。出版社勤務を経て渡仏後、フリーランスに。女性誌や生活関連書籍の編集&執筆に携わり、2002年には初代編集長と2人で『クウネル』を立ちあげる。10年間編集に携わったあと、つぎにやるべき楽しいことを模索中。編著に『スマイルフード』『パリのすみっこ』等。

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撮影(メイン画像):矢野津々美

栃木県益子町。古くから窯業と農業を営んできたこのまちで、
9月の新月から月が満ちるまで、15日をかけて開催される土祭/ヒジサイ。
この土と月の祭りで何が行われるのか。
ひとりの編集者が滞在し、日々の様子を書きおこしていきます。

9月25日 与える

益子滞在10日目。
毎日、受け取るものがあまりに大きくて、それを記録するのが追いつかない。
今日も実際には25日の火曜日なのであるけれど、
23日、先週の日曜日のことを書いておかねばと思う。
あの日は土祭一週間目。
一日じゅう雨であったが、夜には雲の切れ間からきれいな上弦の月が顔を出し、
この地はやはり何かに守られていると思えた晩だった。

益子の食のレベルはかなり高いと思うのだが、それは材料の新鮮さにつきる。
宿泊中の町営ホテルについた食堂でも、サラダなどの野菜がとてもおいしく、
聞けば早朝に農家から採れたての野菜がごっそりと届くのだという。
トマトなど、東京で食べるものとはくらべものにならない。
10日間ここで暮らしていたら、外で食べる料理に使われている野菜の割合が、
どこの店でもなんとなく似通っていることに気づいた。
それはそのまま、益子の畑の生りものの割合なのだろう。
ちなみに、ここ数日でカボチャの頻度が忽然とふえ、
残暑の名残りか、まだ採れるニガウリをなんとか使い尽くそうと苦心している形跡が、
小さく刻まれた緑に感じとれたりもする。
新米の季節、ごはんもおいしい。
里山の実りがそのまま食卓に。これこそ「健康」だなと思う。

今年も実りの季節。

循環型の農業を営む山崎農園のことを知ったのは、「スターネット」を通してだったが、
23日の日曜日の午後には「山崎農園とゆかいな仲間達」による
「みんなで考えよう食の安全のこと」というワークショップが開かれた。

同じ時間、土祭セミナーでは「BEAMS」バイヤーの北村恵子さん、
「D&DEPARTMENT」代表のナガオカケンメイさん、
「ランドスケーププロダクツ」代表の中原慎一郎さんという、
伝統や手仕事をビジネスとして成立させるための
太いパイプラインとなっている人々による講演がおこなわれていた。
近隣から大勢の若者が集まったようで、「スターネット」の馬場さんは、
その光景や熱気からも「得るものがあった」と仰っていた。
わたしは、どちらに行くべきかと迷ったのだが、
気づいたら車のハンドルを山崎農園方向にきっていたのだった。
「3.11以降の食の安全とその取り組み」というテーマは聞くべきものと思った。
陶器屋が並ぶ城内坂の交差点を
左折したのははじめてだったが(直進すると本通りにつながる)、
すぐさま田園地帯が一望にひろがって、空がぐんと大きくなった。
雨に煙る益子も、またきれいだ。

集会所の土壁の前で、雨水の流れ道をつくる若者たち。

はたして場所がわかるだろうかという一抹の不安を抱えて走っていたが、
目印といわれた新しい土壁が、すぐに見えてきた。
この無人の一軒家は以前から集会所として、
みんなで酒を酌み交わしながら語りあう場になったり、
あるときは都会から農村留学で来る子どもたちの
キャンプ地となったりしてきた場所だそうだが、
今回の土祭をきっかけに、あらためて
「益子の農の未来を考える拠点」として始動すべく、
仲間たちの手で、崩れていた壁の化粧直しがほどこされた。
「拠点というか、まあ、ここで酒でも飲みながら話そうというのは変わらないでしょうが」
というのは、「たてものの未来 食卓の家」の制作者で、壁づくりの隊長でもあり、
このワークショップの司会進行もつとめる建築家の町田泰彦さんである。

各地を転々としたのちに益子に定住を決めて約7年という町田さんは、
非常にクリアにヴィジョンを語る人で、この土地に少しでも早く根づき、
この地のために何かをしたいという熱い思いにあふれている。
自然の豊かさ、文化的な土壌、東京とのほどよい距離感もあってか、
益子を新天地として移り住んでくる人は、それこそ濱田庄司の時代から絶えない。
その大半は、焼きものをはじめ、ものづくりをしながら生きる暮らし、
あるいは自給自足をめざした人たちで、
山間の小さな農村としては驚くほどの民度の高さは、
そうした蓄積や文化の混血の上に成り立っているのだと思う。

この会の主宰者名は「山崎農園とゆかいな仲間達」とあるが、
この地に生まれ育って土と格闘してきた山崎さんのような人と、
外から来た町田さんのような若いクリエーターたちが、
互いに境界線を引くことなく交じり合い「仲間」になっている事実が、
わたしにはとてもまぶしく、貴重なことと思えた。
彼らをつなぐものは「理想」である。
はたして、こんな場所が、ほかにあるのだろうか? 
いや、わたしが知らないだけで、いまは、こんな未来的な親和が
日本各地で起きはじめているのかもしれない。
3.11をきっかけとして。

裏山から採ってきた枝ものを、大きな花器に目にも鮮やかな勢いで生けているのは山崎さんの奥さん。

ワークショップ第一部のディスカッションは、
養鶏家の高田さんの開口一番、いきなり放射能汚染の話からはじまった。
「(原発事故で)日々の暮らしが壊された。
静岡以北の作物はほとんど動かなくなっちゃったのが現状」
スーパーの陳列棚に並ぶ野菜のなかで、
もっとも南の生産地を選んで買うのが習慣になっている自分は、
身の縮む思いでそれを聞いた。
益子は、地震で被災したうえに、放射能汚染の風評がそれに追い打ちをかけた。
生産者が訴え、町民に寄付を募って測定所をつくり、
それでようやく比較的汚染度が低いということが判明したのだが、
その間に出荷した作物はまったく売れず、
土地を離れた若い生産者はまだ戻ってきていないという。

パネラーは五名。
生産者(それも山崎さんと同様に無農薬の循環型農法でがんばってきた養鶏家と米農家)、
益子にセカンドハウスをもつ経済界の大物、
東京在住の山崎さんの長年来の顧客であるデザイナーに編集者など、
五者五様の原発事故への思いが語られ、
その温度差には非常に考えさせられるものがあった。
放射能問題については、事故直後ほどではないにしても、
いまだ情報が錯綜して、何を信じればよいかがわからない。
だから安全策としてリスクのあるものはなるべく避けるという人は、
わたしのように多いのだと思う。
しかし、その態度は怠慢以外のなにものでもなく、
正直な仕事をしてきた生産者の人たちを窮地に追い込んでいるという紛れもない現実を、
わたしははじめて目にした。そして悔いた。

とくに、十数年来、山崎さんから届く野菜で旬を知り、
料理が楽しくなったと語る編集者の多田さんの発言は胸に滲みるもので、
「事故後はネットに氾濫する情報を読んで迷いに迷い、
でも不確かな情報に左右されて山崎さんの野菜をやめたら、
自分は(安全よりも)もっと大きなものを失うことになると思った。
わたしは自分が信じる人を信じよう、そう決めた」
という言葉に、人としての大きさが感じられた。
「食べます! 送ってください」
多田さんからその連絡を受けた山崎さんは、
「救われる思いだった」と、多田さんにむかってペコリと一礼をして、
「事故のあと、畑にたんまりできたチヂミホウレン草を見て、
これ、ぜーんぶゴミになっちまうのかなあって思ってたからね。
お客さんの半分以上、お子さんがある人なんかは離れたけど、
半分の人は『放射線の悪いことが出るのはあの世いってからだ』なんて、
温かいような諦めのような(笑)こといって続けてくれた。
あのとき食ってもらったのは、ほんと、うれしかった。感謝してます」
会場から自然に拍手が湧いた。

司会をつとめた町田さんと、長靴をはいた可愛いアシスタント。

左端が、養鶏家の高田さん、その隣が米農家の小島さん。右端が編集者の多田さん。

栃木なまりが温かい山崎さんは、「益子のキーパーソン」と誰もが認める人物である。
この人がいるから益子にいるという移住者も多いと聞いたが、
ご本人の語り口をはじめて拝聴して、人をそこまで動かす理由がわかった気がした。
「今後は、わたしたちもきちんと情報を調べながら、
細々とでもやっていければと思ってます。
来年にはセシウム、137だったかな、134だったかな、が半減するらしいから、
そろそろ枯葉を(堆肥として)山からもらってきてもいいのかなって。
そろそろ自信をもって、食べてもらってもいいのかなって、そんなふうに思っています。
離れちゃったお客さんは戻ってこないけど、
でも、こんなふうにつながりをつくっていければ、また(新しい人たちと)
つながっていけるかもしれないなって希望も抱いています。
よろしくお願いします」

農園主の山崎光男さん。『北の国から』の黒板さん(田中邦衛)を柔和にしたような。

熱く語る高田さん。

柔らかに語る山崎さんに対し、
養鶏家の高田さんの怒りを隠さないストレートな言葉も、
また胸に滲みた。魂のこもった言葉だったので、
そのまま(録音はしていないので記憶に頼り。方言はイメージ)書いておく。

「オレがいいたいのは、『止まれ』って。
立ち止まって、自分がいる状況をよく見てみろって。
震災後にオレが思ったのは、人間、ふたつしかないってことで、
自分さえよければで生きていくか、お互いよくなるかのどっちか。
日本は高度経済成長期に『自分さえよければ』ばかりが発達しちゃって、
でも、お金があったって、明日はどうなるかわかんないって、みんなわかったっぺ。
お金ためて老人ホーム入ったって、オレが卵を届けに行って見ると、
みーんな下を向いて暮らしてるよ。そんなの、しあわせか? 
だから、ここで立ち止まって、自分は何のために生きてるか、
しあわせって何かを考えないといけないでしょ。
オレはニワトリ育ててるけど、
ニワトリは人間に食べられるために生まれてきたわけじゃないわけで、
だったら生きもんを食べるとき、ぼくらは『自分は何のために生きているのか』に対して、
しっかりとした答えを出さなきゃいけない。それが3.11以降の課題。
それからなにより、自分でケツのしまつができないもん(原発)なんて、
つくっちゃだめ。つづかない。以上」

青い夕闇に包まれる17時から第二部がスタート。

山崎さんの奥さんが生けた花の前に、お月見団子とろうそく、さらには、たくさんの手料理が並ぶ。

秋サンマも炭火で焼かれ。

今夜の山崎農園プレート。

夕暮れて、第二部は「益子の食を楽しむ時間」、端的にいえば宴会となった。
山崎さんのお母さんが生けた花にスポットライトがあてられ、
採れたての野菜を中心にしたごちそうが並ぶ。
オクラの天ぷら、かきあげ、冬瓜と挽肉の煮たの、葉もののサラダ、
カボチャのサラダ、キュウリとナスの漬けもの、エトセトラ、エトセトラ。
これもすべて、お母さんの手料理。お母さん、すごい。
ビールにワインに日本酒と、お酒もたっぷり用意され、
「飲んでるか? 食ってるか?」と、山崎さんは集まった人のあいだを
声をかけながらまわっている。
わたしもお酒を飲んで、すっかり楽しくなり、
しかしこの光景はいったい何なんだろうと夢を見ているような気持ちにもなった。
お客さんの3分の1は、おそらく東京圏から、この益子の、
田んぼのなかの一軒家でひらかれるこの会のためにやって来た人である。
「益子は精神的には東京のはしっこのようなものだからね」
たしかそういっていたのは、髭の木工作家の高山さんである。

山崎さんは、見知らぬわたしにも、
「ほら、食いな。酒も飲んでるか? 何? 車で来た? 
だれが送ってってやる人がいるから、だいじょぶだ。飲め飲め」
と、なんやらかんやらすすめてくれる。
食事のクライマックスは、お釜で炊いた無農薬の新米に、
高田さんの平飼いのニワトリが生んだ卵をかけて食べる、特製卵かけごはんだった。
その味を知る地元の人たちからは大きな歓声が湧き、
わたしも、益子の大切な宝のようなものを、ご相伴させていただいた。
よそものに、あるいは知らない人間に、彼らはこんなにも惜しみなく与える。

「自分さえよければで生きるか、お互いよくなるかのどちらか」

わたしがこの晩のことを、どうしても書きたかった理由がわかってもらえたら、
うれしい。

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EARTH ART FESTA
土祭2012

2012年9月16日(日)~9月30日(日)
栃木県益子町内各所
http://hijisai.jp

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