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連載

土祭だより Vol.7

ローカルアートレポート
vol.021

posted:2012.9.25  from:栃木県芳賀郡益子町  genre:アート・デザイン・建築

〈 この連載・企画は… 〉  各地で開催される展覧会やアートイベントから、
地域と結びついた作品や作家にスポットを当て、その活動をレポート。

editor's profile

Rumiko Suzuki

鈴木るみこ

すずき・るみこ●静岡県出身。出版社勤務を経て渡仏後、フリーランスに。女性誌や生活関連書籍の編集&執筆に携わり、2002年には初代編集長と2人で『クウネル』を立ちあげる。10年間編集に携わったあと、つぎにやるべき楽しいことを模索中。編著に『スマイルフード』『パリのすみっこ』等。

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撮影(メイン画像):矢野津々美

栃木県益子町。古くから窯業と農業を営んできたこのまちで、
9月の新月から月が満ちるまで、15日をかけて開催される土祭/ヒジサイ。
この土と月の祭りで何が行われるのか。
ひとりの編集者が滞在し、日々の様子を書きおこしていきます。

9月22日 手と頭と心と

よく雨が降る。
雨が降るごとに朝夕すっかり涼しくなり、
森の音やにおいから、長い夏がようやく終わったことを実感する。
わたしがいるのは、ドアの向こうには森がひろがる町営ホテルなのである。

今日は11時から「光る泥団子」のワークショップに参加。
藁を混ぜた土の芯玉に、しあげの化粧土をごく薄く重ね、
ていねいに磨くことで光らせる泥団子のワークショップは、
土の不思議や可能性を伝える企画として2009年にも開催され、
子どもたちに人気を博したようだ。

見目陶苑のギャラリーに集まったのは、今年もやはり子どもたちがメイン。
まずは色違い質違いで8種類ある化粧土からひとつを選ぶのだが、
女の子が多かったからか、人気は桜色の桜土に集中していた。
土は益子の各所から陶芸家が採掘してきたもので、
こんなにいろいろな色や質感があるものなのかと、子どもといっしょに勉強である。
ちなみわたしは、北郷谷地区で採集されたという白いボクリ土を化粧土に選んだ。
昔は陶土にむかないと捨てられていた土だそうだ。

どれにしようかな。

泥玉を大理石(のよう)にする錬金術を考案したのは榎本新吉さんという名左官。
本格的な京壁塗りの第一線として活躍し、
日本各地の美しい色土を左官材として次々提案してきた進取の人らしい。
光る泥団子づくりは、その新吉さんが完成させた「現代大津磨き」という技を、
小さな手でもできるように応用している。
秘密はどうやら化粧土に混ぜた石灰の特性と、
とにかくていねいに根気よく磨くという2点にあるようで、
30分もたった頃には会場のあちこちでぴかぴかに輝く小さな惑星が誕生していた。
途中でいやになって投げ出し、お父さんやお母さんに磨かせていた子も何人かいたが、
同じく根気のないわたしの泥団子も、ボランティアスタッフが
手伝ってくれたにもかかわらず、どこか鈍い光で終わってしまった。

栃木県内で保育士をしているというそのボランティアさんは、
自分の保育園の子どもたちにもおしえたくてボランティアに応募し、
8月から益子に通って泥団子づくりの研修を受けたのだという。
最初に渡される土の芯玉も、彼女たちボランティアの手で
百個以上が用意されたと聞いて驚いた。
それは、ほんとうに、まんまるなのである。
これをひとつつくるだけでも、大変なことだと思うのだ。
自分で磨いた泥団子は特製の箱に入れて持ち帰れるのだが、
この箱も、こんな箱を用意しようと思いついた人たちの心もすてきである。
ダンボール製の簡易なものだが、内側には鳥の巣状の紙のクッション材も入っていて、
そこに泥団子をおさめると、とてもりっぱな宝物に見える。
その瞬間の子どもたちの、うれしそうな顔。
前回は新聞紙にくるんで持ち帰らせてしまった反省から生まれたアイディアだと聞いたが、
こんなちょっとしたことが気持ちを豊かにして、ものを大切にする心を生むのだろう。

芯玉にバターナイフで化粧土を塗りつける。この後、フィルムケースの口で余分な土をそぐように取り、できるだけ薄く塗るのがコツ。

小さな惑星、できました。次の週末、29、30日にもワークショップあり。予約優先。参加費1000円。

お昼は今日も「土祭食堂」へ。鶏肉の塩糀漬け、きんぴら、かきあげ、味噌豆の「ましこプレート」800円。テーブルにはマリーゴールドの花。野に咲く花を摘んで飾るという行為が、益子ではごくふつうにおこなわれているのを感じる。

てんやわんやの厨房をひとのぞき。

午後は、先週にひきつづいて「土祭セミナー」へ。
会場の「つかもと迎賓館」と同じ敷地内の石の蔵では、
生井亮司さんの彫刻展「少年の詩学」が開催されている。
ひんやりとした闇に佇む少年たちは一見すると
何でできているのかがわからないのだが(「ブロンズかしら」という声も聞いた)、
主に漆の樹液、黄土を焼いた砥の粉、麻布などを
土を媒介にして結びつけた乾漆技法というものだそうだ。
静謐に手触りがあるとしたら、こんな感じかしらという質感である。
少年たちの存在感は恐いほどに清らかで、ひとりきりでそこにいたら、
わたしは何か罰を受けているような気持ちになってしまった。

「少年の詩学」の展示。(写真提供:土祭実行委員会)

石蔵の脇にも、ほら、大樹が。

セミナーは今日から「民藝と手仕事から考える益子の未来」にテーマが変わり、
本日の講師は日系アメリカ人で、16歳で仏教思想家の鈴木大拙に出会い、日本に帯同、
大拙が鎌倉松ヶ丘文庫で逝去するまで秘書をつとめた岡村美穂子さんである。
席につかれると、まずは1935年生まれとは思えないその若々しさに驚いた。
黒い瞳が、きらきらと輝いている。
鈴木大拙は柳宗悦の学習院時代の英語教師で、
生涯ふたりには親子のような親密な関係があったという。
柳の民藝、その美論は深く宗教に結びついている。

1950年代の半ば、アメリカの大学でおしえる大拙を見舞った柳は
「ぜひ益子に一緒に行って濱田庄司に会ってほしい」と懇願。
その際、大拙に付き添い、のちに3番目のバーナード・リーチ夫人になる
ジャネット・ターネルも同行し、みんなで上野駅から電車に乗って遠路はるばる来たのが
岡村さんと益子とのはじめての出会いで、濱田邸に着いてみると
「見たことのない厚手物の器」に手料理のごちそうが盛られて並び、
「うぉーと思った」という、とても魅力的な出だしのお話に最初から深く引き込まれた。
うぉーと目を丸くしている若い小娘に、隣に座っていた柳は
「どうだ、美穂子さん。(この焼きものを)どう思うか?」と訊ねてくる。
突然そう聞かれ、答えに詰まっていると、柳はひとこと、こういったのだそうだ。
「健康でしょ」と。
「この焼きものは少々のことでは割れたりもしないんだぞ」と。

健康、という言葉は、民藝の本質が語られるときによく出てくるキーワードだが、
もちろんそれは頑強という意味に終わらない。
そこで岡村さんは「健康」を「自由」という言葉におきかえ、
仏教の考えにおける人間の自由とはどういうことかという哲学的な話になっていくのだが、
結論を先にいえば、それは人間が本来の状態を取り戻したときだという。
本来とは大本(おおもと)でもあり、人間が意識をもつ以前の状態をさす。
その大本が分かれて主観と客観が生まれたこと、
もとはひとつだったものがふたつになったことで人は迷うようになり、
そして不自由になったという論理はわたしには非常にわかりやすく、
おのずから旧約聖書のアダムとイブの楽園追放の物語を連想させた。
彼らが食べた「禁断の林檎」とは、もちろん意識のことである。

しかし、と岡村さんはいう。
「西洋の人は、それ以前を考えないんですね。
西洋文化は意識が生まれたところが幕開けで、
その前に大本があるという考え方は日本独自の文化です」
ならば日本人(仏教)が考えるその大本とは何かといえば、それが「無」である。
アメリカ育ちの岡村さんには「無」の存在ということが実感としてわからず、
60以上歳の離れた大拙を質問攻めにしては、
「本来なんにもないんだよ、美穂子さん」
「本来無一物なんだよ、美穂子さん」と、
「それこそ殴られるように、いわれつづけました」と笑う。

無とか意識とか、こういう形而上的なことを考えていると、
わたしの小さな頭はすぐにキャパを超えてきゅうっと痛くなるのだが、
それはけっこう快感でもある。
こういうことは、あるとき頭からふっと下に降りて、腑に落ちるときが必ずあって、
その瞬間にぱっと視界がひろがる体験を、もう何度もしてきている。
だから、しつこいようだが、頭を整理する意味でも書いてみようと思う。

さて、岡村さんは、「無」から分かれて意識が発達し、
主観と客観、善と悪、上下と左右、美と醜といった相対するものの間でつねに迷い、
自由に動けなくなってしまった人間は「ハテナ病」にかかっているのだという。
ふたつのものの間で、つねに「ハテナ?」と立ち止まってしまう。
進化してハテナの業を抱えてしまった人間が大本に戻ることはもはや不可能なのだが、
たったひとつだけ、それを乗り越え、人間が「無」を、自由を取り戻す方法がある。
それは、くりかえすこと。反復である。
その例として日本のお稽古ごとをあげる。
茶道、華道、武道、柔道、合気道……道がつく修行のほとんどが、
ほら、同じふるまいや練習をくりかえすことで、
最終的には「無」を会得することをめざしているでしょうと。
念仏を百万遍唱えるのも同じことをめざしているのですよと。

話はここでようやく民藝につながるのだが、たとえば職人が、妻子を養い
少しでも豊かに暮らしたいと、日夜たくさんのものを一生懸命につくる。
そこには美醜について迷ったり、あるいは意識の産物である自我を込めるひまなどもなく、
つまりは無心であるがゆえに自己を超えた大きな力が入り込み、
思いがけない美しいものが生まれてくることがある。
職人は自分でも知らぬうちに本来の自由を取り戻していたわけで、
そんな心と手から生まれた無作為の美を「健康」と、柳宗悦はいったわけである。
健康な美の源にはいつでも健康な暮らしがあり、
そこから生まれてくる働きものの美だけが人を救い、人をしあわせにするのだと。
いってみればそれは偶然の産物であるともいえるのだが、
ときに意識をもって、意識を超えることができる達道の人がいて、
その希有な人間が濱田庄司だった。
「濱田先生は、ものが『生まれる』といっていました。
『つくった』とはいわないのですね。無心を体得されていたのだと思います」
と岡村さんはいう。

ほかにも、濱田が、庭先の畑でみずみずしく熟れるナスやキュウリを見ながら、
「自分もこんなふうに(作品が)できたらなあ」と心底うらやましそうに語ったという話。
夜ふけに少しだけ開いていた障子の隙間から灯火に濱田が読書する姿が見え、
おしゃべりな人と認識されていたが、深い次元では静かな人と直感したという話。
そして鈴木大拙が逝去したとき、益子からひと晩かけて鎌倉まで車を飛ばし、
書生に名を訊ねられると「濱田です」と一言。
中にも入らず、自分の焼いた花瓶をひとつポンと玄関先において帰った話など、
岡村さんから語られる濱田庄司像はひどく魅力的で、
彼のことをもっと知りたいと、わたしは思ったのだった。

岡村美穂子さん。

陶芸メッセ益子内に移築された旧濱田邸では、
綱神社にも音を奉納する川崎義博さんが手がけたサウンドインスタレーション
「Leave it as it is」がおこなわれている。
いや、「おこなわれている」という表現は正しくなく、
川崎さんは、ただそこにあるがままあるよう、音を置いているだけだ。
誰もいないときに、ここを訪れることができた人は大変な幸運である。
反復する音に耳をすますうちに、自分がどこまでも澄んでいくという体験を
味わってみてほしい。

隣接する益子陶芸美術館では
「濱田が出会った魅惑の近代」と題された展覧会がおこなわれているが(〜12月2日)、
その出口付近に設置されたモニターに流されている映像は必見である。
メキシコ人の女性陶芸家、グラシエラ・ディアス・デ・レオンが濱田庄司に師事し、
益子に逗留した夏のある一日を記録した映像のようだが、
桃源郷のような1950年代の益子の田園風景や、
岡村さんのお話にもあった濱田家の晩餐、早朝黙々と作陶する濱田の姿などが
淡々とモノクロームで写し出されて、夢を見ている気分になる。

土祭って、なんて贅沢なお祭りなんだろう。

濱田のコレクションを所蔵する「益子参考館」の空間も、作曲家の畑中正人さんによる新たな音の表現に満たされている。

濱田が作陶をしたロクロ場にも静かな音楽が。

白い猫がふりむいた。

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EARTH ART FESTA
土祭2012

2012年9月16日(日)~9月30日(日)
栃木県益子町内各所
http://hijisai.jp

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