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連載

真鶴の絶景アトリエで作陶する
陶芸家〈風籟窯〉井上昌久さん

真鶴半島イトナミ美術館
作品No.008|Page 1

posted:2017.1.18  from:神奈川県足柄下郡真鶴町  genre:アート・デザイン・建築 / 旅行

sponsored by 真鶴町

〈 この連載・企画は… 〉  神奈川県の西、相模湾に浮かぶ真鶴半島。
ここにあるのが〈真鶴半島イトナミ美術館〉。といっても、かたちある美術館ではありません。
真鶴の人たちが大切にしているものや、地元の人と移住者がともに紡いでいく「ストーリー」、
真鶴でこだわりのものづくりをする「町民アーティスト」、それらをすべて「作品」と捉え、
真鶴半島をまるごと美術館に見立て発信していきます。真鶴半島イトナミ美術館へ、ようこそ。

writer profile

Hiromi Kajiyama

梶山ひろみ

かじやま・ひろみ●熊本県出身。ウェブや雑誌のほか、『しごととわたし』や家族と一年誌『家族』での編集・執筆も。お気に入りの熊本土産は、808 COFFEE STOPのコーヒー豆、Ange Michikoのクッキー、大小さまざまな木葉猿。阿蘇ロックも気になる日々。

photographer profile

MOTOKO

「地域と写真」をテーマに、滋賀県、長崎県、香川県小豆島町など、日本各地での写真におけるまちづくりの活動を行う。フォトグラファーという職業を超え、真鶴半島イトナミ美術館のキュレーターとして町の魅力を発掘していく役割も担う。

使い手とつくり手の心を自由にする1枚を

「丁寧に精緻(せいち)につくるというよりも、基本的な形をしっかり
つくってやれば、あとは窯が絵を描いてくれるっていう感覚がある。
薪窯のおもしろさっていうのはそこですね」

そう話すのは、神奈川県真鶴町の北側にあたる岩地区を拠点に
制作を続けてきた陶芸家の井上昌久さんだ。

真鶴駅から車で10分ほどの高台にあるアトリエは、
〈松本農園〉のみかん畑と、広大な相模湾を望むまさに絶好のロケーション。
アトリエの裏手には3か月かけて完成させたという自作の穴窯もあり、
ここで初夏と秋の年2回、それぞれ約10日間にわたり300~400点ほどの作品を焼く。
釉薬を使うのはほんの一部のみ。
長時間高温で焼成する「焼締め」が井上さんのスタイルだ。

「最後まで完成させようとするよりも、花を飾ったり、料理を盛ったりすることで
ようやく完成するくらいのユルさがあるほうが、
かえっておもしろいんじゃないかなと思いながらやっています。
そうすることで、自分自身もある程度自由な気分を維持できていますね」

そうしてつくられた作品は、アトリエに隣接する〈ギャラリー風頼窯〉で
常時展示販売されている。

アトリエに隣接する〈ギャラリー風籟窯〉。色、模様、形もさまざまな井上さんの作品が並ぶ。

また2014年からは、民間の組織で立ち上がった
〈湯河原・真鶴アート散歩〉の拠点のひとつとして参加したり、真鶴の芸術祭
〈真鶴まちなーれ〉の「差の湯の会 差を見るお茶会」などにも協力している。

窯の完成から16年。町内外からギャラリーを訪ねてくれる人々も増す一方、
自治会活動にも関わるなど、作家として、ひとりの町民として
すっかりと真鶴に馴染んでいる井上さんだが、
意外にも真鶴で生まれ育ったわけではないという。

作品のほとんどは釉薬を使わず、窯の中で起こる偶然に任せる。井上さんは「窯が絵を描いてくれる」と表現した。

30年に及ぶ教員生活の始まりは真鶴から

井上さんと真鶴との接点は、いまから46年前まで遡る。
もともと画家をめざしていた井上さんは、東京の大学を卒業し、
新米美術教員として真鶴中学校へ赴任してきた。

「真鶴に来たのはたまたまの縁。あの頃は、鎌倉に住んでみたくて
鎌倉地区を志望していたんだけど、その年の採用がなくてね。
『もう終わりだろう』と諦めていたら、小田原の教育委員会から
引っ張ってもらえたんです。それで真鶴中学校に勤めることになりました。
それまで真鶴のことをまったく知らなかったんだけど、
初めて訪れて港の周辺を歩いて回っただけで
『これこそ自分が求めていたものだ!』という気分になったのを覚えています。
自分の郷里が群馬の館林市で、海も山もない平野だったから、
こういう場所にすごく憧れがあったんです」

真鶴で教員として過ごした時間はわずか6年。
その後、湯河原で11年、小田原で7年、
54歳で早期退職するまでの5年間を箱根の仙石原で過ごした井上さんは、
2000年に現在の場所へ越してきた。
現在も、真鶴の教え子たちがアトリエに遊びに来ることもしょっちゅうだとか。

西日が差し込み、「おかあさん」と呼ばれる愛猫もまどろむ心地よさ。窓の外には相模湾が広がる。

「真鶴への赴任が決まったうれしさが、
そのまま学校の生活につながったというのはありますよね。
夢中で野球部と美術部の顧問をして、秋には陸上部と一緒に走ったりして。
自分も若かったし、生徒との距離もそんなになくて、
ほとんど友だちづき合いみたいな感覚でやれたのがよかったんじゃないかと思う。
真鶴を離れてからも、常に自分の周りには教え子が来てくれるような状況がありました。
ここの窯をつくるときもレンガを運ぶのを手伝いに来てくれたりね」

授業をするうえで大切にしていたのは、
「美術=上手・下手」という先入観を取り払い、
「絵を見ること、描くこと、ものをつくることの
楽しさを知ってもらって、生徒を送り出すこと」だった。

「誰もが美術を好きになれるような授業をやりたいという気持ちが一番にありました。
だから卒業してからも、絵描きになるとか彫刻家になるとか、
そういうことにこだわらず、毎日の生活のなかでも、ものを見ること、
つくることの楽しさがわかるような子どもになってもらえたらいいなと」

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