〈 この連載・企画は… 〉
ひとつのまちの、ささやかな動きかもしれないけれど、創造性や楽しさに富んだ、
注目したい試みがあります。コロカルが見つけた、新しいローカルアクションのかたち。
writer's profile
Chizuru Asahina
朝比奈千鶴
あさひな・ちづる●トラベルライター/編集者。富山県出身。エココミュニティや宗教施設、過疎地域などで国籍・文化を超えて人びとが集まって暮らすことに興味を持ち、人の住む標高で営まれる暮らしや心の在り方などに着目した旅行記事を書くことが多い。いにしえより日本人が培ってきた循環感覚を実生活で学んでいるこの頃、昭和の残り香のする海辺のまちに住み、日常でも仕事でも“ココロのリゾート”を味わう旅を続けています。
credit
撮影:tsukao
幼い頃、獅子舞など地域の伝統行事に参加したことはないだろうか。
一年の節目に行われる無病息災や五穀豊穣を祈る奉納舞は
氏神への奉納だけが目的ではなく、
古くから住民たちの交流にも大きな役割を果たしてきた。
現在では、核家族や少子化が進み、
伝統文化を継承することが難しい地域は少なくない。
秋田県鹿角市の八幡平地区に伝わる、「大日堂舞楽」は
国内で現存する舞楽の中でも最も古い形で伝承されている
1300年間続く歴史のある舞楽だ。
毎年、年明けの正月2日、大日霊貴(おおひるめむち)神社(通称大日堂)にて
行われ、多くの住民が奉納舞を見るために神社に集まる。
今年の正月も例年と同じく、連綿と続く歴史の1ページがめくられた———。
―大日堂舞楽 本舞準備―
大日堂舞楽には小豆沢(あずきざわ)、大里(おおさと)、
谷内(たにない)、長嶺(ながみね)の4つの集落が参加している。
舞楽にかかわる人は、全員男性だ。
彼らは本番にそなえ、事前に練習や行(ぎょう)を行う。
笛や太鼓、舞人など、舞楽にかかわる能衆(のうしゅう)と呼ばれる男たちが、
早い人で本番の約2週間前から行に入るという。
これを、ある集落では「火をまぜない」と表現していた。
能衆は神により近い存在になるため、
俗世に生きる人たちと同じ火で炊いたものを口にすることが許されない。
ふだんの生活では、お風呂は一番風呂に入り、
家族と鍋を分けて料理を作り、匂いの強いネギやにんにく、肉類はとらない。
もちろん男女の交わりは許されない。
年末年始のイベントづくしの中で行を行い、
奉納舞の終わる2日を過ぎてから日常生活に戻る。
このような習慣が1300年間、この土地に根づいている。
昨年末、八幡平地区の各集落で夕方から行われる
内習(うちならい)といわれる練習に出かけてみると、
各地区、自治会館のような場所に祭壇を設け、練習会場としていた。
内習であろうとも、地域の神に捧げるために舞うみなさんの姿は真剣そのもの。
練習が終了したあとは、能衆だけで同じ鍋の汁をとり、
酒を飲み、お互いの一年のことを語り合う。
こんなことが長いところでは2週間も続くのだから驚く。
食事は、地域で定められた世話係が毎日作っているという。
大里集落で行が始まった12月27日、
地域の集会所では同時に内習(うちならい)が始まった。
能衆に選ばれている中学生の古家拓朗くんのお父さん、
古家冬樹さんは練習をするわが子を遠くから見守っている。
「地域に同年代の子がおらず、
うちの子に出番が回ってきたときは正直困りましたね。
行をしなくてはいけないのもあって、一度断りました。
最終的には引き受けましたが、5年経った今では
自信がついたみたいで堂々と舞えるようになりましたよ」
生まれた頃からここで暮らしているという冬樹さんは
舞は世襲制で受け継がれてきたものだったこともあり、
自身が幼い頃は舞楽に無関心だったという。
大日堂舞楽は、行や舞楽の内容、しきたりなども含めて
長く大切に受け継がれていることが認められ
ユネスコ無形文化遺産や国重要無形民俗文化財に指定されているというのに、
舞楽に関わる人以外には、その内容が知られていない。
そもそも、舞楽は神様に奉納するものであり、
周囲に広く告知するものではなかったからだ。
大日堂舞楽が始まったのは、古事記が編纂された1300年前あたり。
鹿角の伝説のひとつ「だんぶり長者」によると
夢で大日神のお告げを受け、だんぶり(とんぼ)の導きによって
霊泉を見つけて長者になった夫婦がこのあたりにいたという。
長者夫婦の娘で第26代継体天皇の后となった吉祥姫は
のちに亡くなった父母のために大日霊貴神社を建てた。
その後、時を経て、718年に老朽化した神社を再興するために
名僧、行基と音楽の博士、楽人が都より遣わされ、
彼らが舞楽を伝えたといわれている。
4つの集落の人々は、それぞれの地域で語り継がれたしきたりがあり、
隣の集落がどのように行っているのかということは、互いに知ることはない。
「同じ奉納舞といえども集落ごとに氏神や舞の内容が違うし、
内習の時期に他の集落の内習を見にいくことはないからね」と、
長年大日堂舞楽に関わってきた大里集落の能衆、浅石昌敏さん。
どの集落を見学に行っても、慣れた地域のメンバーながら
舞が始まると緊張感のある空気に切り替わった。
集落の人たちの神への畏敬の念がそうさせる、と浅石さんはいう。
「舞楽を奉納するのは、何かを祈るため、というよりも
神仏を大切にすることを意識し、毎日何事もなく生きられることに
感謝するといった意味がこめられているのではないでしょうか。
長年、大日堂舞楽に関わってきて、
先祖代々続いてきた大事な風習を自分の代でつぶしたくない、
大日堂舞楽にかかわる人にはこんな思いが根底にあります」
年末は家族の協力のもと、自分自身を大日堂舞楽に捧げ続けたい
という浅石さんは約20年間能衆として舞楽に関わっている。
奉納舞は、能衆やその家族たちの「誇り」にもつながっている。
能衆最年少、今年初めて参加する
小豆沢集落の小学二年生、山本弐虎太くんのお母さん、
山本由実さんは当日に手伝いをするなど舞楽に関わることに積極的だ。
「私は仙台からお嫁に来て8年経つんですが、
集落の若い人たちのコミュニケーションが密で
元気がいい。今の時代、他に比べるときっと珍しいですよね。
夫は青年団活動が楽しくてたまらないみたいだし。
息子が舞楽に関わるのはとてもいい経験だと家族は思っています。
地域の人たちが息子を育ててくれる、それがありがたくて。
ここに住んでよかったなと実感します」
―集落の精神的な支柱。
大日堂舞楽はそんな役割も持っているのかもしれない。
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