連載
posted:2013.1.19 from:広島県尾道市 genre:ものづくり / アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
ひとつのまちの、ささやかな動きかもしれないけれど、創造性や楽しさに富んだ、
注目したい試みがあります。コロカルが見つけた、新しいローカルアクションのかたち。
writer's profile
Chizuru Asahina
朝比奈千鶴
あさひな・ちづる●トラベルライター/編集者。富山県出身。エココミュニティや宗教施設、過疎地域などで国籍・文化を超えて人びとが集まって暮らすことに興味を持ち、人の住む標高で営まれる暮らしや心の在り方などに着目した旅行記事を書くことが多い。いにしえより日本人が培ってきた循環感覚を実生活で学んでいるこの頃、昭和の残り香のする海辺のまちに住み、日常でも仕事でも“ココロのリゾート”を味わう旅を続けています。
credit
撮影:在本彌生
広島県尾道市で出会った色とりどりのストール。
ふんわりとやわらかいトーンの色は
尾道市街地から船で渡った向島(むかいしま)に自生する
サクラやモモ、プラム、アメリカセンダングサなどの植物から生まれた色だ。
実は、この色は、向島にある立花テキスタイル研究所が
季節ごとに出る大量の剪定枝や間伐材を集めたものから作っている。
いわば、不要とされているものを有効活用したものだ。
その日、向島の立花自然活用村内にある
立花テキスタイル研究所では、子ども向けのアートスクールが開催されていた。
楽しそうに絵を描く子どもたちの微笑ましい姿を眺めていると、
あれ? 普通の絵画教室とは何か様子が違う。
木の端に色付けしたもの、長さの違う紐、はぎれ、
コワレモノを箱に詰める際に使うクッションの中身などが置かれ、
それを子どもたちは触ったり、使ったり……。
「よそではいらないものでも、ここでは楽しい画材に変身します。
その場で不要なもの=ゴミと決めつけているのは大人たちなのよね」
というのは、絵の先生である美術作家の岸田真理子さん。
彼女はここで染色やイラストなどを担当している傍ら
定期的に子ども向けのワークショップを行っている。
「ほら、こうやって色別にまとめておけば、抜けのある色鉛筆セットも
捨てずに活用できるし、色の微妙な違いもわかるじゃない?」
はい、確かに。
固定観念を外すと、用済みのものにも光がさす。
やわらかい色のストールの成り立ちと根本的な思想は同じにみえた。
ぐるり広い所内を見渡してみると、植物採集の展示や、分厚い色見本帳、
インドの糸つむぎ機チャルカ、そして染色したばかりの布が干され、
床には、木の枝、葉などが乾燥用に広げられている。
染料になる前の乾燥した植物は大きな袋にまとめられ、
あちこちの部屋の片隅に無造作に置かれていた。
子ども向けのアートスクールが終わったあとは、
まるで、放課後の学校にいるかのように人気がなく、静かだ。
外にある藍の畑では、代表の新里カオリさんが水撒きをしていた。
傍らには、なぜか山羊。
「可愛いでしょう? 戦前は日本各地で家畜として飼われていたんですよ。
山羊は、綿花や藍の周囲に生えてくる雑草を食べてくれます。
糞は植物への堆肥になるし、乳は飲めるし、すぐれた動物です」
彼らはまるでマスコットのように訪問客にも大人気で、
わざわざ山羊を触りに来る人もいるのだとか。
なんとムダのない働きっぷり。
畑の横でメエメエ鳴いてむしゃむしゃ草を食べているだけにしか見えない
山羊がそんな風に役立っていようとは!
一見、牧歌的な研究所や新里さんの佇まいに
ふわふわとしたものを感じたなら、それは大間違い。
実は、新里さんは立花テキスタイル研究所を
「コミュニティ・ビジネスとして成立させる」という
目標を着々と実現させている。
東京の美術大学で染色を学んだあと、
美術館や学校などで美術教育に関わっていた彼女は
旅で訪れた尾道で、NPO法人工房尾道帆布の木織雅子代表と出会った。
ちょうどその頃、地場産業の帆布は化学繊維に押され、衰退の一途をたどっていた。
魅力のある帆布という素材を、引き続き何かに活かしていくと同時に
天然素材の良さをもっといろんな人に知ってもらいたい、
と考えていた木織さんと意気投合し、
ともに数々のプロジェクトに取り組んでいったという。
新里さんが店舗でお客さんを接客していたある日、こんな出来事があった。
「帆布の素材の綿は、国産なんですか? とお客さんに聞かれたんです。
そこで、調べてみたら国内自給率は0.01%以下。驚きました」
2世代前には日本各地で畑の隅などで綿を栽培していたこと、
しまなみなどの温暖な地域は綿の栽培に適していることなどを知った彼女は
「ここで綿花を育てることができるのでは?」と
2007年からプランターで実験的に綿花の栽培を開始した。
「最初は、帆布を使った商品の開発をするつもりで尾道に来たのですが、
綿花栽培を始めると同時に染色材料を求めるようになり、
毎日のように向島内をフィールドワークしていました。
島の人々に聞き取り調査を行うと、いろんな話が出てきましたね。
みなさんの困っていることや歴史や地域の植生など
島のことが少しずつ見えてきました」
柑橘類の農家の多い向島では、剪定は農家の一大仕事で、
大量の剪定枝は産業廃棄物扱いとなる。
その話を耳にした新里さんは、剪定枝を買い取ることにした。
初めて向島を歩いたときに「染料になる木がたくさんある!」と
喜んだ記憶がここでつながったのだ。
綿花は、地域の人たちと協働して種まきから収穫まで行った。
収穫した棉(わた)で糸を紡ぐワークショップも開催し、
最初から最後までの工程をみるべく、多くの人が集まったという。
徐々に研究所の存在も地域に知られていき、
剪定枝を研究所まで持ってきてくれる人も増えた。
立花テキスタイル研究所の製品の材料は、ほとんどが向島から出たものだ。
染料を布に定着させるための媒染剤は、環境への影響を配慮し、
銅や錫は使用せず、造船の鉄くずや牡蠣の殻、木灰など、
尾道ならではの廃棄物を媒染剤用に加工し、有効活用している。
地域で「いらないもの」とされたものを
「必要なもの」に変化させていく魔法に周囲の人もさぞ驚いたことだろう。
「最初は都会から来た女性たちが何かやっているなあという感じだったんですけどね。
今ではいろんな人を巻き込んでやっていますよ」
向島に住む人に聞くと、そんな答えが返ってきた。
しまなみ海道の今治で織ったストールに色を染めて商品化したものは、
路面店での販売を始めるとすぐに感度の高い人たちに知られることとなっていった。
ちなみに、2011年と2012年のアンテナショップでの売上を
月別にみると、多い月で前年比1.5倍もの利益を上げている。
立花テキスタイル研究所の在り方は、
環境と共生する地域再生例として広まり、
今や新里さんは国内外の講演にひっぱりだこに。
「まず、私は、社会に参加している経済人だと自覚しています。
身をおく場によっては、“アーティスト”といわれると
社会と分断されたような、特別な存在になってしまう。
それでは、地方では協働はできないんです」
これは、美術教育に関わってきた新里さんだからこそ言える言葉かもしれない。
「多くの人が関わるビジネスモデルとして成り立たせていくためには
いいものを作って満足しているだけではダメなんですよ」と彼女は言う。
色の定着や堅牢度など一定以上の品質を保持できないと持続可能な事業にはならない。
だからこそ、地域の草花を徹底的に調べ、
色を定着させる媒染剤との相性を何種類も試して
あの色とりどりのストールや帆布バックなどを
定番商品として安定的に販売できるようにしたのだ。
立花テキスタイル研究所というローカルプロジェクトを立ち上げ、
軌道に乗せた次の目標は和綿の栽培と染料の開発という新里さん。
しまなみ海道の島々をつなぎ、雇用を増やすことが目的だ。
「今ちょうど弓削島の人たちとのワークショップも始まったところです」。
どうやら、またひとつずつ彼女の思い描く理想像が現実になっているようだ。
ふと、彼女が水撒きの手を止めた。
見つめている先には、和綿が棉(わた)となってはじけていた。
「ほら、かわいいでしょう?」
愛情あふれる笑顔でそっと棉をつまむ新里さんを見て、
来年はワークショップに参加をして
自分で摘んだ草花でストールを染めてみるのもいいな、と思った。
首にふわりと巻いた向島生まれの自然の色。
それを身にまとうだけで、瀬戸内海に浮かぶ小さな島に
溶けていくような気持ちになるから、不思議だ。
このストールを巻いた日は、立花テキスタイル研究所で
目にしたものをヒントに「環」になるものに思いを馳せることが多い。
そうでなくとも、たまには近所にどんな植物が育っているのか、
そんなふうに周囲を見渡しながら駅に向かうのも、悪くない。
Information
立花テキスタイル研究所
2009年、しまなみの植物を調査・研究し、糸や布を染め、商品開発につなげることを目的に創設。2012年11月まで尾道商店街にアンテナショップを構え、トートバッグやストール、オリジナルの染色キットなどを販売していたが、2013年春に向島にある旧校舎をリノベーションした新店舗をオープンするため、現在は閉店。オリジナルキリムを作る「フレーム織り体験講座」や羊毛から糸をつむぐ「立花ものづくり体験」などのワークショップや子どもたちのための「立テキアートスクール」は定期的に開催中。
http://tachitex.com/index.html
Feature 特集記事&おすすめ記事