連載
posted:2018.8.7 from:神奈川県逗子市 genre:食・グルメ
〈 この連載・企画は… 〉
豊かな歴史と文化を持ち、関東でも屈指の観光地、鎌倉。
この土地に惹かれ移り住む人や、新しい仕事を始める人もいます。
暮らし、仕事、コミュニティなどを見つめ、鎌倉から考える、ローカルの未来。
writer profile
Yuki Harada
原田優輝
はらだ・ゆうき●編集者/ライター。千葉県生まれ、神奈川県育ち。『DAZED&CONFUSED JAPAN』『TOKION』編集部、『PUBLIC-IMAGE.ORG』編集長などを経て、2012年よりインタビューサイト『Qonversations』を運営。2016年には、活動拠点である鎌倉とさまざまな地域をつなぐインターローカル・プロジェクト『◯◯と鎌倉』をスタート。
photographer profile
Ryosuke Kikuchi
菊池良助
きくち・りょうすけ●栃木県出身。写真ひとつぼ展入選後、雑誌『STUDIO VOICE』編集部との縁で、INFASパブリケーションズ社内カメラマンを経てフリーランス。雑誌広告を中心に、ジャンル問わず広範囲で撮影中。鎌倉には20代極貧期に友人の家に転がり込んだのが始まり。フリーランス初期には都内に住んだものの鎌倉シックに陥って出戻り。都内との往来生活も通算8年目に。鎌倉の表現者のコレクティブ「全然禅」のメンバー。
http://d.hatena.ne.jp/rufuto2007/
長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。
年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、
そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが
交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、
ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。
東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、
移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、
都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。
その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、
いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、
あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、
自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。
そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、
これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。
私事だが、三度の飯よりも、お酒が好きだ。
ビール、日本酒、ワイン、焼酎、ウイスキー……。
酒と名がつくものなら、まずは何でも試してみるし、
とにかくおいしいお酒には、目がない。
そんな僕が鎌倉に移住してから、こんなにうまい酒があったのか! と感動したビール。
それが、鎌倉のすぐ隣、逗子市久木にある〈ヨロッコビール〉だ。
いわゆる「マイクロブルワリー」よりもさらに小さな
「ナノブルワリー」と呼ばれる規模の醸造所でつくられるビールは、
その生産量の少なさから、鎌倉~逗子界隈の限られたお店でしか飲むことができない。
だからこそ、その存在を知る機会がなかったわけだが、
初めてヨロッコビールを口にしたとき、
全国に数多あるクラフトビールの中でも群を抜く味わいに驚き、
同時に、それが地元でつくられていることに喜びを感じたことを鮮明に覚えている。
いま、世の中は空前のクラフトビールブームだ。
趣向を凝らした個性的なビールが各地で次々と生まれている。
選択肢が増えることは、飲み手にとってはありがたい限りだが、
最近はこのブームに乗じて、地域PRやまちおこしの手段として
ビールづくりが利用されることも少なくない。
もちろん、そのビールがつくられた地に思いを馳せることも豊かな体験だが、
地域の人たちがおいしい地元のビールを日常的に飲めること、
そして、その存在に誇りを感じられることこそが、
クラフトビールが提供してくれる真の喜びなのではないか。
ヨロッコビールと出会い、僕はその思いを強くした。
クラフトビールがブームになる以前から、カルチャーとしてのビールづくりに魅了され、
ビールを通じて地域との密接な関係性を築いてきた
ヨロッコビールの吉瀬明生さんを訪ねた。
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鎌倉からほど近い横浜・戸塚出身の吉瀬さんは20代の頃、
江ノ島にあるダイニングバーで働いていた。
仕事場ではフードを担当するなど、もともと食への関心は高かった吉瀬さんだが、
彼の人生を大きく左右したのは、静岡・沼津市でつくられていた
〈ベアードビール〉との出会いだった。
「先輩に連れられて行ったブルワリーにはパブが併設されていて、
IPAやブラウンエール、ポーターなど色とりどりのビールが並んでいました。
味わいはどれも特徴的で、しかもそれを
小さな集団がつくっていたことに衝撃を受けました」
この体験がきっかけとなり、2007年に当時働いていた店を辞めた吉瀬さんは、
日本中のブルワリーを巡る旅に出る。
「何軒かカッコいいと思えるところや、小規模で運営しているところもあり、
そうしたブルワリーからは直接的な影響を受けました。
ただ、この旅では働き口を探すことも目的にしていたのですが、
当時の地ビール業界はとても厳しい時代で、それは叶いませんでした」
1990年代の法改正によって、大手酒造メーカー以外にも
ビールの醸造が解禁されたことで、全国各地にビールづくりが広がった。
しかし、専門的な知識を持たない企業が、
事業の多角化の一環で参入するケースも少なくなく、
海外から一時的に技師を招き、受け売りのレシピでつくられた、
地ビールとは名ばかりの商品が氾濫した。
これらの多くは時とともに品質を維持できなくなり、
やがて、地ビールは観光客がお土産として買う、高いだけのビール
というイメージがついてしまったことが、衰退の背景にあった。
近年、かつての地ビールはクラフトビールと呼ばれることが多くなり、
イメージも大きく変わったが、現在の世界的なクラフトビール・ムーブメントを
牽引している聖地として知られるのが、アメリカのポートランドだ。
2010年頃、吉瀬さんも足を運んだというこの地には、
日本とはあまりにも異なるビールカルチャーが浸透していたという。
「それまでもポートランドのビールは飲んでいたのですが、
現地での体験はまったく違うものでした。
衝撃を受けたのは、ビールの味よりも、まちへの浸透の仕方。
ジョギング中のおばさんがブルワリーのテラスに立ち寄り、
ビールを飲んでいる風景を見たときに、
自分もこういうことをやりたいと明確にイメージができました」
現在日本では、自宅でビールをつくることは禁じられているが、
アメリカでは学生寮などで自分たちが飲むビールをつくる
ホームブルーイングの文化が浸透している。
こうした習慣が根づくアメリカと比較し、
日本のクラフトビールを取り巻く環境は20年遅れていると言う者もいるという。
いまから約8年前、ポートランドの地を訪れた吉瀬さんは、
そこに日本の未来の風景を重ね合わせていたのかもしれない。
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吉瀬さんの進む道に大きな影響を与えたもうひとつの体験は、
2011年の東日本大震災だった。
「当初は、地ビールメーカーの求人があれば、
引っ越してでも働こうと考えていましたが、
震災を目の当たりにしてから、地元に企業やメーカーがなければ、
その地域には何も残らないという思いを強くしました。
それなら、働き口が空くのを待っているよりも、
自分が住んでいる地域で始めるべきなんじゃないかと」
やがて、ヨロッコビールという名前も決まり、
栃木県にあるマイクロブルワリーでの研修を経て、酒造免許を獲得。
晴れて、2012年にヨロッコビールは開業に至った。
日本にクラフトビールやマイクロブルワリーという概念が浸透していなかった当時、
参考にできるモデルケースはほとんどなく、道なき道を歩むことになった吉瀬さん。
そこには、資金、技術、経営面など数々のハードルがあったことは想像に難くない。
「当時は、免許取得が最大のハードルで、免許さえあれば
ビールをつくれるのだから、なんとかなるだろうと考えていました。
だから、設備投資なども必要最小限でスタートしたのですが、
それが最初の失敗で(笑)。
パン屋が小さなオーブンひとつで開業してしまうと、
24時間パンを焼き続けても食べていけないのと同じで、
ビールづくりにおける適正な規模を考えずに小さく始めてしまったので、
後々苦労することになりました」
そんな多難な状況をサポートしてくれたのは、
鎌倉~逗子界隈の仲間たちを中心とした地元とのつながりだった。
鎌倉のパン屋〈パラダイス・アレイ〉とスペースを共有している
ヨロッコビールの醸造所〈Bread and Beer〉は、その象徴とも言える場所だ。
「ちょうど彼らがパンを焼く場所を探していると聞いていたので、
この場所を一緒に借りることにしたんです。
例えば、パン屋のお客さんとしてきた人と仲良くなったり、
お互いの販路を紹介し合ったり、場所を共有したことで得られたことは数え切れません。
自分以外のまちとの接点から、予想を超えて何かが起きることは楽しいですし、
ひとりだけでやっていたら、まったく違う方向に進んでいたかもしれません」
開業から6年が経ったいまもなお、経営面では不安しかないという吉瀬さんだが、
地元のイベントに積極的に参加するなど、地道な活動が実を結び、
将来への手応えは感じている。
「当初は、ここでビールをつくっていると言っても、ポカンとする人がほとんどでした。
でも、いまはクラフトビール自体の認知が高まってきたことなどもあり、
自分がやっていることに少しずつリアリティを持ってもらえるようになったと
感じています」
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ヨロッコビールの由来は、その名の通り、「喜び」のビールだ。
現在、日本のクラフトビールは、嗜好品として愛好家に親しまれている印象が強いが、
ヨロッコビールが提供してくれるのは、地域の生活圏、経済圏に根ざしたビールを、
地元で日常的に飲めるという「喜び」の体験だ。
「アメリカのブルワリーやパブには、
『SUPPORT YOUR LOCAL BREWERY』という標語がよく貼られていて、
地元のビールを飲むことでつくり手をサポートするという考え方があります。
その地域においしいビールがいくつもあれば、
暮らしている人たちの選択肢が広がって日々の楽しみは増すし、
それを日常的に消費することによって、地域の経済活動も促進されるんです」
そんなまちの未来図を思い描く吉瀬さんだが、
それを声高に主張するのではなく、すべての思いをビールに込めることで、
その態度を示してきた。
「シンプルにみんながおいしいと思えるビール」を追求し続ける彼に、
ビールづくりの醍醐味を聞いてみた。
「ワインの世界には、地域の気候や土壌が味や香りに反映される
“テロワール”という概念がありますが、すべての原料を
ローカルでまかなえないことも多いビールは、テロワールを謳うことは難しい。
でも、ビールには街場の酒とも言える気軽さがあり、
つくり手と飲み手が近い距離感でコミュニケーションできるからこそ、
そこに暮らす人たちの好みや気風が反映されやすいと思っています。
例えば、鎌倉~逗子界隈の人たちの好みのビールが生まれたり、
全国各地で独自のスタイルが確立されて、
それがビールのテロワールになったらおもしろいですよね」
ヨロッコビールは、鎌倉市内のより広いスペースに醸造所の移転を控えており、
そこでは週末限定のタップルームも開く予定だという。
初期衝動から、たったひとりでビールづくりを始めた吉瀬さんが思い描く未来は、
一歩ずつ実現に近づいている。
「小さく始めたヨロッコビールが、少しずつ大きくなっていくことで、
揶揄する人も出てくるかもしれません(笑)。でも、それは大歓迎で、
『それなら俺たちが小さくておもしろいブルワリーを始めよう』
と思ってくれたら最高ですね」
まわりになければ、自分がつくればいい。
そんなDIY感覚が、クラフトビール本来の精神だと語る吉瀬さんは、
いまや日本でマイクロブルワリーの設立を志す者たちのロールモデルになりつつある。
「僕自身が悩んだように、日本には小規模なビールづくりを学べる場所がまだ少ない。
だからこそ、自分たちが雇用を増やすことでその受け皿になりたいし、
やがて彼らが新しいブルワリーを始めてくれることが理想です。
実際に、以前にうちに見学に来てくれた人たちが、
2年前に近くのまちでブルワリーを始めたんです。
こういう動きが広がっていくことで、ブルワリー同士の交流も活発になるし、
点と点がつながり、シーンがつくられていけば本望です。
選択肢が増えること、多様性が生まれることに、
クラフトビールというカルチャーの本質があるように思っています」
地域の日常に溶け込み、つくり手と飲み手が一体となって育んでいくビール。
そんなものづくりを通して、豊かなまちの未来を創造していくヨロッコビールは、
クラフトビール業界における、希望の星だ。
information
ヨロッコビール
information
THE BANK
住所:神奈川県鎌倉市由比ガ浜3-1-1
TEL:0467-40-5090
営業時間:17:00~翌1:00(土・日曜・祝日 15:00~翌1:00)
定休日:月・火曜
information
満
住所:神奈川県鎌倉市材木座3-3-39
TEL:0467-22-2555
営業時間:11:30~14:00 L.O.(夏季のみ)、18:30~22:30 L.O.
定休日:水曜、第3火曜
information
マグネチコ
住所:神奈川県鎌倉市雪ノ下4-1-19
TEL:0467-33-5952
営業時間:12:00~15:00、17:30~22:00(土・日曜・祝日 12:00~23:00)
定休日:水曜、隔週火曜
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