連載
posted:2014.2.18 from:奈良県吉野町 genre:ものづくり
sponsored by 貝印
〈 この連載・企画は… 〉
「貝印 × colocal ものづくりビジネスの未来モデルを訪ねて。」は、
日本国内、あるいはときに海外の、ものづくりに関わる未来型ビジネスモデルを展開する現場を訪ねていきます。
editor profile
Tetra Tanizaki
谷崎テトラ
たにざき・てとら●アースラジオ構成作家。音楽プロデューサー。ワールドシフトネットワークジャパン代表理事。環境・平和・社会貢献・フェアトレードなどをテーマにしたTV、ラジオ番組、出版を企画・構成するかたわら、新しい価値観(パラダイムシフト)や、持続可能な社会の転換(ワールドシフト)の 発信者&コーディネーターとして活動中。リオ+20など国際会議のNGO参加・運営・社会提言に関わるなど、持続可能な社会システムに関して深い知見を持つ。http://www.kanatamusic.com/tetra/
photographer
Suzu(Fresco)
スズ
フォトグラファー/プロデューサー。2007年、サンフランシスコから東京に拠点を移す。写真、サウンド、グラフィック、と表現の場を選ばず、また国内外でプロジェクトごとにさまざまなチームを組むスタイルで、幅広く活動中。音楽アルバムの総合プロデュースや、Sony BRAVIAの新製品のビジュアルなどを手がけメディアも多岐に渡る。https://fresco-style.com/blog/
吉野は世界遺産にも選ばれた歴史ある修験道の聖地。
金峯山寺を中心とした古い社寺が立ち並ぶ吉野山に囲まれた吉野町を起点に、
信仰の文化と暮らしが根付いている。
山は信仰の対象であり、山から生まれる伝統的なものづくりがある。
奈良・吉野では、19世紀のはじめ頃から伝わる
「山守(やまもり)」という独特の森林管理制度がある。
山守は、何世紀にもわたり築かれた山林所有者と
山林管理者との深い信頼関係を柱に、
途絶えることなく持続可能な山林育成を継続してきた。
吉野の山守・中井章太さん。
江戸時代から代々、山を守り、森を育ててきた。中井さんはその七代目。
山守としての役割、林業としての仕事のほかに、
吉野町会議員として、吉野の文化、ものづくりの現場をサポートしている。
今回、吉野のものづくりの現場を案内していただいた。
「吉野は最上流に山の文化があり、
山守がいて、林業などの素材生産業があり、
そこから樽丸、和紙、椎茸栽培などの産業があります。
そして端材は、最後には割り箸になります」
吉野杉から生まれる樽丸。そして吉野の森と水が生み出す和紙。
そしてその椎茸栽培など、吉野の恵みから生まれる現場を案内していただいた。
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最初に訪れたのは吉野杉からつくる「樽丸」の工房。
切り出した原木から日本酒の樽の材料となる樽丸をつくる。
吉野地方では江戸時代から酒樽づくりが始まった。
その材料となる樽丸の技術の保護、継承は、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
吉野の樽丸職人、大口孝次さんを訪ねた。
吉野でも少なくなった樽丸職人の中でも
すべて手作業で製作するのは大口さんただひとりになってしまった。
吉野杉から酒樽の材料となる樽丸を切り出す。
樽丸はクレ(側板)を竹の箍(たが)で締めたもので、水が漏れてはいけない。
接着剤などは使わない。そのためには木目を読まなければならないという。
年輪の細かさ、夏目と冬目を見極め、
色と年輪を見ながら切っていく。
筆者も手引きの樽丸づくりを体験させていただいた。
簡単そうに見えるが、これがなかなか難しい。
「簡単ではないよ。簡単なら重要無形民俗文化財にはならないからね」
と大口さん。木に向き合うことで無心になる、という。
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吉野の国栖は「ものづくりの里」でもある。
木工・陶芸・ガラス細工・手漉き和紙……。
古事記・日本書紀の時代からの歴史がある国栖の里だ。
国栖の草木染手漉き和紙の福虎を訪ねた。
人間国宝の福西弘行さんと六代目の正行さん。
自家栽培の楮を原料とした最高級和紙をつくる名匠である。
楮の皮を剥く作業中のところにお邪魔し、
伝統の宇陀紙や吉野桜の和紙など見せていただいた。
数百年の時を経ても変わらぬ宇陀紙は、掛け軸などの裏打ちの紙として使われる。
飛鳥時代から続く技法。紙の繊維としては最も長持ちする。
国宝や重要文化財の表具などの修復などに欠かせない。
宇陀紙は吉野で取れる白土を混ぜ込むことで、
収縮を防ぎ、防虫の効果もあり、適度な湿度を保つことができる。
福虎では伝統的な工法・技法を頑に守り、
自家製の楮栽培から、紙漉、染織の
すべての工程を手作業で行ってきた。
宇陀紙を漉くのは、山の水が冷たい秋の10月から、水温が上がる5月まで。
寒月の紙が最良とされている。天候も安定し、落ち着いて仕事ができる。
寒い時期ほど良い仕事ができるという。
福西和紙本舗六代目の福西正行さんにお話を伺った。
「“紙漉き30年”といいます。30年やって、ここ数年ようやく
自分の納得のできる紙が漉けるようになってきた、
29年目までは駄目でした」と語る。
伝統を受け継ぎ、技の至高を目指す匠の厳しい言葉だ。
30年かけて自分の紙漉ができるようになったと思えた時、
ようやく六代目を継ぐ決意が固まったという。
古くからの掛け軸用の宇陀紙の注文のほか、
最近では海外でも「素材」として和紙が注目されてきているという。
先日もイタリア・ミラノから、あけびの和紙に信楽の土を織り込んだものを
壁紙としてほしいという注文があったという。
「紙に土を入れることで光の反射が面白い壁紙ができます」
その風合いや質感、発色、手触り、自然の素材を知り尽くした
伝統的な技法であるからこそ、世界の一流クリエーターの
革新的なアイデアに対応できる。
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宇陀紙保存技術保持者である福西弘行さんにとって、
「紙漉きとは?」という質問をしてみた。
「紙漉きとは、こころで結びつけていくものでんな。
欲があるとだめですね。こころを乱すといけない。
いまは草木染めをやるひともいなくなったが、
こころを込めてつくることのみです」
平成20年には、園遊会に招かれ天皇皇后両陛下からお言葉を頂戴した。
「大変なお仕事とお聞きしています。
どうか身体を大事にされて、ぜひ次の世代に伝えてください。
と、陛下からお言葉をいただいた。これが一番嬉しかったですね。
これまでやってきてよかったと、本当に涙がこぼれました」
それも内助の功あってこそです、といっしょに楮の皮をむく奥様への感謝の
やさしい眼差しを向けたのが印象的であった。
「木を生かし木と生きる。
そんな生き方をしている青年がいる。」
山守の中井さんに連れられ、
吉野川の流域で椎茸栽培をしている岡本隆志さんを訪ねた。
無農薬の椎茸の生産・営業をしている。
岡本さんは、ナラとクヌギ、3万本の木でしいたけを栽培している。
菌床しいたけが主流のなかで、原木しいたけにこだわっているという。
原木しいたけは市場の流通全体の2割ほどの規模。
それでも味にこだわるなら原木だという。
吉野のきのこ栽培の歴史は古い。
「旦那は山に行き、奥さんが椎茸をつくるというのが吉野の歴史ですね。
奈良に都があった時代から、吉野ではキノコを天皇家に献上していたようです」
里山に暮らし、杉の植林とともに吉野は歩んできた。
20年から30年かけて育った木を苗床にきのこは育つ。
木に感謝をしながら、木と共に生きる、最高の農法だという。
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この地域の森林は約五百年の歴史がある。
人工林としては最も古い歴史を持つ。
秀吉の大阪城・伏見城の築城には川上郷、小川郷、黒滝郷の吉野材が大量に使用された。
また江戸城築城の際にも、紀州藩から350本もの大径材が拠出されたという。
吉野の文化・歴史を継承するものづくりとは?
ふたたび中井さんにお話を伺った。
「一人前の木が育つのに百年のサイクル。ひとで言えば、三代かかる。
今、わたしが切れる木は祖父の代に植えたものです。
普通のビジネスとは違う」と中井さん。
山を生かし、森を生かす、ものづくりが必要なのだという。
樹齢30年までに枝打ち、間伐を手厚く繰り返し、
山のグランドデザインをつくりあげる。
自然のなかで和紙がつくられ、原木は椎茸となり、
吉野の杉や桧は材として取り出され、
無垢の家具となり、あるいは樽丸となる。
その端材すらも、吉野杉の柾目や板目が生かされる「吉野割箸」として使われる。
「ふるさと吉野を次世代に継承するために、
吉野の恵みを生かす、ということですね」
そして、その背景には自然とともに生きる深い精神文化がある。
次回は奈良の吉野の奥掛けの先、天川村を訪ねます。
また伝統的な工法でつくられる、月ヶ瀬の奈良晒を取材します。
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