連載
posted:2013.11.19 from:東京都渋谷区 genre:ものづくり
sponsored by 貝印
〈 この連載・企画は… 〉
「貝印 × colocal ものづくりビジネスの未来モデルを訪ねて。」は、
日本国内、あるいはときに海外の、ものづくりに関わる未来型ビジネスモデルを展開する現場を訪ねていきます。
editor profile
Tetra Tanizaki
谷崎テトラ
たにざき・てとら●アースラジオ構成作家。音楽プロデューサー。ワールドシフトネットワークジャパン代表理事。環境・平和・社会貢献・フェアトレードなどをテーマにしたTV、ラジオ番組、出版を企画・構成するかたわら、新しい価値観(パラダイムシフト)や、持続可能な社会の転換(ワールドシフト)の 発信者&コーディネーターとして活動中。リオ+20など国際会議のNGO参加・運営・社会提言に関わるなど、持続可能な社会システムに関して深い知見を持つ。http://www.kanatamusic.com/tetra/
photographer
Suzu(Fresco)
スズ
フォトグラファー/プロデューサー。2007年、サンフランシスコから東京に拠点を移す。写真、サウンド、グラフィック、と表現の場を選ばず、また国内外でプロジェクトごとにさまざまなチームを組むスタイルで、幅広く活動中。音楽アルバムの総合プロデュースや、Sony BRAVIAの新製品のビジュアルなどを手がけメディアも多岐に渡る。https://fresco-style.com/blog/
大阪生まれ53才の野木志郎さんは、
「包帯パンツ」の開発メーカーログイン株式会社社長だ。
日本で一番パンツにこだわる男と言われる。
「親父が大手下着メーカーの下請けを40年近くやっていたんや。
まあ下着屋の息子やな。パンツに囲まれて育ったんよ。
……女物の下着ばかりやったけど」
しかし、父の会社の後は継ぐ気がなかったという。
自分で起業して「なんかできへんかな」とずっと考えていた。
そんな野木社長の人生を変えたのは2002年。
ワールドカップ日本代表の稲本選手のゴールを見た瞬間だった。
日本を背負って戦うアスリートの姿にこころが震えたという。
「こいつらのパンツつくりたいなって思った」
究極の男の「勝負パンツ」をつくりたい。
下着屋の息子に生まれ、
本当につくりたいパンツをイメージした日。
独立起業を決めた瞬間だった。
それからパンツの研究をはじめた。
毎日毎日パンツを買ってきて研究を重ねた。
海外出張に行っては海外のブランドのパンツも買いあさった。
「最初はどれを履いてもいいなあと、思うてたんやけど、
だんだん目が肥えてくる。敏感になってくる」
とくに汗をかいたときにその違いがわかるのだという。
ロサンゼルスのアウトレットで、あるブランドの高級パンツを買った。
それを履いてジョギングをしてみた。
すると最高の履き心地だったはずのパンツが最低の肌触りになった。
「汗を克服せなあかん」と、いろんな素材を集めた。
最初はメッシュ素材を試した。しかしメッシュはどれも合成繊維。
合成繊維こそ、汗をかいたらまとわりつく。
綿素材でメッシュはないか、と探したがなかった。
ならばつくってみようと思ったが、方法がわからない。
そんなとき野木社長の父が言ったひと言にヒントがあった。
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「包帯の素材はどや?」
速乾性、通気性、伸縮性。どれもイメージどおりだった。
しかし誰もつくったことがない。
包帯をどのようにパンツの形状にするのかが問題だった。
「こんだけの幅が必要ということはやな、包帯の幅を大きくしたらいいだけや。
生地屋に交渉したる」
親父が業界のつてで動いてくれた。
いろんな生地屋に交渉したが、どこも断られた。
最後に業界でも一番の頑固オヤジだと言われる人のいる繊維製品の会社を訪ねると、
「面白いじゃないか」と乗ってきたのだ。
ないものをつくる面白さ。
頑固オヤジであるがゆえに、ものづくりのこだわりを粋に感じてくれた。
通常、包帯は使い捨てなので、最も安い糸を使う。
しかし、素材にはこだわりたいので綿主体で行きたい。
試し編みは13回に及んだ。
「スパン抜け」といって、裁断したあとのゴムの端が出てしまうことも問題だった。
編み、染め、裁ち、縫いまで、全て国内生産にこだわり、完成までに4年かかったという。
そうして出来たのが「包帯パンツ」だ。
医療用包帯布地をベースの特許素材を使用した。
野木社長は包帯パンツの魅力をこう語る。
「昔、怪我したときお医者さんに包帯まいてもらうのちょっと嬉しくなかった?
あのふんわりやわらかい感じ。
その安心感が、そのままパンツになった。
履いてもろたらわかるけど、あきらかにほかのパンツと履き心地が違うで」
作業の工程の多くは熟練の職人の手によるものだ。
生地の端にきめ細かいゴム(スパン)が飛び出ないように
丁寧に手作業で布をそろえる。
こだわりのものづくりから生まれた、こだわりのラインである。
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完成した「包帯パンツ」。
しかしOEMが当然の下着業界。独自に販売するためのチャネルはない。
野木社長はある決意を固めた。
アパレル業界の大手と直接取引をしてもらおうと、
株式会社ユナイテッドアローズの重松理(おさむ)会長のところに持っていった。
「面白い! うちが売ってあげるから、野木さんのブランドをたちあげなさい。
そのかわりデザインと色はさらにこだわってほしい」
業界の風雲児との出会いが、究極のパンツづくりをさらに加速させた。
デザインと色を何度もやりとりを重ね、
デザインは洗練され、色の注文にも試行錯誤を重ねていく。
できあがった商品は、間に担当者もバイアーもいれずに
重松会長自身が発注数を計算し、買い付けてくれた。
さらにファッション雑誌の掲載のためにも動いてくれ、
ここから「包帯パンツ」の伝説がはじまった。
いよいよ2020年の東京オリンピックの開催も決まった。
日本のアスリートに履いてもらいたい、究極の勝負パンツをつくりたい。
野木社長のチャレンジはさらに究極を目指している。
「究極の勝負パンツは、本藍染めの勝色(かちいろ)で染めたいと思った」
日本には勝色という古来からある紺色の一種がある。
鎌倉時代の武士に愛好された色である。
縁起をかついで武具の染め色や祝賀のときに用いられた。
これこそ究極の勝負パンツの色と考えた。
勝色を出すためには藍の染料をよく染み込ませ、何度も重ねて染める。
野木社長は本藍染めの職人に会うために藍の産地、徳島に通った。
「徳島に国宝級の藍染めの職人さんがおってな。
戦時中、藍の栽培が禁止されたときに、
山奥にかくれて藍の種を守ってきた一家なんや。
本物の勝色。ジャパンブルーやな。
いまは丁度、藍の収穫が終わって発酵させてる時期や。今行ったら見れるで」
コロカル取材班は徳島県の藍染め工房に向かうことにした。
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