連載
posted:2013.8.13 from:富山県高岡市 genre:ものづくり
sponsored by 貝印
〈 この連載・企画は… 〉
「貝印 × colocal ものづくりビジネスの未来モデルを訪ねて。」は、
日本国内、あるいはときに海外の、ものづくりに関わる未来型ビジネスモデルを展開する現場を訪ねていきます。
editor profile
Tomohiro Okusa
大草朋宏
おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。
photographer
Suzu(Fresco)
スズ
フォトグラファー/プロデューサー。2007年、サンフランシスコから東京に拠点を移す。写真、サウンド、グラフィック、と表現の場を選ばず、また国内外でプロジェクトごとにさまざまなチームを組むスタイルで、幅広く活動中。音楽アルバムの総合プロデュースや、Sony BRAVIAの新製品のビジュアルなどを手がけメディアも多岐に渡る。https://fresco-style.com/blog/
伝統技術を生かしたものづくりをすすめている「ubushina」は
全国各地の伝統工芸職人と、ビジネスパートナーとして良い関係性を築いている。
ubushinaから発注を受けて、実際にものづくりをしている現場を求めて、
関係が深いという富山県高岡市を訪れた。
ピカピカに光る鏡面仕上げの木のオブジェが迎えてくれるのが「能作」。
今ではシンプルなデザインの風鈴で有名だが、
かつてより金属を鋳造して仏具や花器、茶道具などを製作するメーカーである。
ubushinaの立川さんとの出会いは2000年。
高岡市伝統工芸センターで、立川さんがコーディネートする勉強会が開かれた。
「立川さんがアレッシィのステンレスボールを持ってきていたんです。
うちは茶道具を作っていたので、似たような茶道具を持っていったら、
立川さんが“これはすごい技術だよね”といってくれました」と
出会いを語るのは、能作の代表である能作克治さん。
能作の代表取締役社長・能作克治さん。実はお婿さん。
能作さんは、もともと新聞社でカメラマンをしていたが、
能作に入社後、17年ほど現場で職人として働いていた。
当時は問屋を通しての仕事がほとんどであったため、
市場というものが見えておらず、「お客さんの顔がみたい」、
そして「商品開発をしてみたい」という思いがふつふつとこみ上げてきていた。
それまでは伝統のままに、クラシカルな商品をつくってきていたが、
ヒット商品となる風鈴が開発され、鋳造技術を生かしたOEMなども増えてきた。
それら新しい仕事のきっかけをつくったのがubushinaの立川さんであった。
ubushinaからくるオファーはほとんどがオーダーメイドで、
開発や挑戦が必要になるものばかり。
「金属の常識にない提案もあって、答えを探すのは、個人的には楽しいですよ。
うちは、どんなボールを投げられても、絶対にバットを振ります。
伝統工芸の世界では特に、バットすら振らないひとが多いんです」
多くの伝統技術が衰退していくのは、現代に合う感性を発揮することができず、
次へと進化していくことができなかったという理由が多いだろう。
そうならなかった成功事例のひとつが能作であり、
動機付けをしたのがubushinaだろう。
「“できない”とは絶対にいいたくありません。
それが一番簡単な言葉ですからね」という能作さんの言葉は、
きっとオーダーする側のubushinaにとっても安心感があるのだろう。
こうも続ける。
「ubushinaのいいところは強要しないことです。
ちゃんとクライアントにこちらからの新しい提案も確認してくれます。
さらに、ものとこと、そしてその先の心までちゃんと伝えてくれます」
能作があきらめずに難しい注文にも応えてくれるから、
ubushinaも現場の意見をくみ取る。
そんなお互いの長くて強固な信頼関係が築かれていることを感じる。
金属を流し込むための型をつくる。この作業が、高岡の鋳物業に伝わる職人技のひとつ。ひとつひとつ手作業で行われ、1日にひとりでできるのは60枠程度。
能作の工場は若いスタッフで活気に満ちている。溶かした真鍮を型に流し込んでいる様子。その温度は1200℃!
能作の人気商品〈KAGO〉を磨く。この平面が立体的なカゴになる。やわらかい錫という素材の特長が活かされた商品。
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次に訪れた「アルベキ社」は、漆塗りの工房。
代表の山村高明さんが「三佳」から独立し、新たに立ち上げた。
ubushinaとは、三佳時代に
レストランの壁面やイベントスペースのアートボードなど
10案件ほどを製作してきた。取材に訪れた日も、
ちょうど、都内のホテルに納品するアートボードの製作中だった。
山村高明さんはいう。
「ubushinaさんへの納品は、
ぼくたちの通常の仕事の途中段階だったりすることもあるんです。
普通だったら完成していないものなんですが、その段階の質感がいいと。
そういった新しい視点を与えてくれるのでうれしいです」
新しい感性と体験を生かして、
自身でも、布や和紙に漆を塗ったり、ガラスにはさみこんだりと、
漆の新しい形を生み出そうと日々研究に励んでいる。
アルベキ社代表の山村高明さん。漆器の塗師という立場から、新しいプロダクトを生み出そうと新展開を模索中。
さまざまな素材に、加工と塗装を試験的に試している。漆にこだわらず、状況に合わせたより良いものを提案するためだ。
こうして新しい試みに自ら取り組み始めるひとたちが増える一方で、
各地で後継者不足は深刻である。
例えばubushinaで取引のある職人でも、シルクの壁紙は福井でひと家族のみ、
刺し子織りも福島でひと家族のみ、
シルクのシェードは長野でひとつの工場のみ、
真空電球は東京・三宿の79歳の職人のみ。
こうしたものは、高岡と違って産地ではなく、
インディペンデントな地域であるので、行政もなかなか目配せできない。
これに対する対策にも、立川さんは乗り出そうとしている。
「こうした地域が本当に危ない。
スポットの当たっていない職人の後継者づくりが大切です。
彼らがいなくなることは、郷土料理がひとつ消滅するくらいの文化の損失です。
だから職人の現場をもっと見て体験できるような機会を設けたり、
後継者の弟子入りの費用を負担するようなシステムを構築できるように
取り組んでいます」
産地であったとしても、多くは分業制なので、その技術は持ちつ持たれつ。
例えば能作でも、着色などは外注に出す部分もあり、
その後継者問題は油断できない。
例えば、この日訪れた「色政」は、古代色という手法を用いている。
“おはぐろ”と呼ばれる液体で、酸化させることで銅に色をつけると、
退色したような、渋い色合いが生まれる。
まるで何十年も前に発掘された銅器のようだ。
この技術は高岡に伝わる伝統技法であり、
おはぐろは各職人によるオリジナルブレンドだ。
「うなぎのタレやラーメンのスープみたいなもの」と
3代目の野坂好照さんも笑う。
こういった技術も、後継者不足は否めない。
バケツに入った“おはぐろ”は、職人によって調合が違う秘伝の液体。色政の野坂好照さんは、半年ほど寝かせるという。もちろん気温や湿度、鉄の状態によって塗り方は変わってくる。
一方で、それぞれが自分たちの場所を認識し、
自ら輝ける場所を積極的に探すようになってきている。
能作では、社是に“高岡のために尽くす”という文言を加えた。
高岡ではほかにも、高岡伝統産業青年会などを中心に
地域活性に対する活動も活発になってきている。
2000年当時は、高岡を訪れるたびに、
廃業や倒産など、高岡のネガティブな話を耳にしていた。
しかし、昨年10月に高岡でクラフト関連のイベントが
同時多発的に行われたときのこと。
その打ち上げに参加した200人ほどの人たちが、
「みんなで生き生きと“カンパーイ!”と叫んだときに、“変わった”と感じた」
と立川さんはうれしそうにいう。
「僕たちも深く関わりを持ち、
とりわけブランディングディレクションをした能作が大成功し、
若手たちもそれに続こうと活気にあふれています」
この状況に「“もの”ではなく、“こと”をつくれた」と感じた。
立川さんが若い頃、イタリアで感じたことは、ものづくりの社会性だった。
こういった動きは、ものづくりの先にあるものを生みだせた瞬間だ。
職人に「新しい枝を生やしましょう」といっていた言葉は
実は自分にも返ってくる。
ubushinaがもともと持っていた“ものづくりの枝”の隣に、
“地域づくりの枝”と“ひとづくりの枝”も生えてきた。
もちろん根っこは一緒である。
information
ubushina
ウブシナ
住所:東京都港区南麻布4-13-9 鈴木ビルB1
information
能作
住所:富山県高岡市戸出栄町46-1
information
アルベキ社
住所:富山県高岡市出来田38-2
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