連載
posted:2021.2.23 from:山口県岩国市 genre:食・グルメ / 買い物・お取り寄せ
PR 山口県
〈 この連載・企画は… 〉
山口県で思い出すものといえば、錦帯橋、松下村塾、ふぐ、秋吉台など。自然や文化遺産、
おいしい食まで、さまざまな魅力が揃っています。そんな山口県には、移住して、新しい働き方を実践している人たちがいます。
「UJIターン」し、仕事と働き方に新しい価値を見いだしている人たちは、みんなワイワイと楽しそう。
仕事がかたちづくる、山口県での生き方と暮らしをうかがいます。
writer profile
Yuriko Tateno
立野由利子
たての・ゆりこ●福岡の制作会社に勤める傍ら、フリーランスのライターとして活動中。取材記事からパンフレットまで幅広く執筆。アイドル、ZARD、給水塔を愛する95年生まれのみずがめ座。
photographer profile
Yousuke Yamamoto
山本陽介
やまもと・ようすけ●山本写真機店店主。まちの写真屋としての撮影業務に加え、プロアマ問わず全国からフィルムスキャニングの依頼を受けるラボマンとして活躍中。
http://yamamotocamera.jp/
山口県の最東部、広島県との県境にある岩国市。
市内でも瀬戸内海に面した由宇町(ゆうちょう)でいま注目を集めているイチゴ農園がある。
農園での直販も、オンラインでの販売も、いつも即完売。
山中健生さん・歩さん夫婦が営む〈TARO〉だ。
「イチゴ本来のおいしさをいかに引き出すか」。
それだけを追求して栽培に取り組んできた山中夫妻の10年を聞いた。
TAROでは、4つのビニールハウスでイチゴを育てている。
中を見せてもらうと、イチゴの実が赤く色づき、ミツバチが飛んでいた。
取材を行った1月中旬は、収穫のシーズン。
この時期は農園での直販や発送があるため、毎朝3時に起床。
収穫と検品をしているうちに、あっという間に直販を始める11時になっているという。
ハードな日々が続くが、直販を行う理由はイチゴの味へのこだわりにある。
TAROで栽培している品種は「さちのか」。ビタミンCが多く含まれているのが特徴。TAROでは、先まで赤くなってから収穫している。
「市場に卸す場合、お客さんが手に取るまでの時間を逆算して、
一番熟した状態よりも早く収穫する必要があるんです。
うちはハウスの横にある販売所で売っているから、一番状態のいいイチゴを、
その日の朝収穫して、そのまま売ることができます。
これが、私たちのイチゴを一番おいしく食べる方法だと思っているので」
おいしいイチゴの噂は、遠くまで伝わる。
一度食べた人の多くはリピーターになり、遠方から買いにくる人もいる。
今でこそイチゴの販売について自信とこだわりを持って話す山中さんだが、
農家になる前の、会社員をやっていた頃は、劣等感を覚えることもあったという。
山中さんは茨城県つくば市の会社で働くシステムエンジニアだった。
25歳のとき、大学院で植物病理学を研究していた、のちの妻となる歩さんと出会う。
農業について楽しそうに語り、「いずれ自分で農業をやりたい」と話す歩さんに、
大きく心を動かされたという。
会社員をやっていた頃には、自分がのびのびと働ける場所を求めて何度も転職した。
その理由は、組織で働くことから感じる窮屈さだった。
「会社の先輩たちを見ると、エンジニアの仕事を心底楽しそうにやっている。
エンジニアに強い思い入れがなかった自分には追いつけないと思ったし、
『一流にはなれないだろう』と漠然と思ってもいました。
寝ても覚めても仕事に没頭できる人には勝てませんからね。
でも妻と出会って、農業だったら育てる作物も育て方も自分の思ったように決められる。
責任は重たいけれど、いつか没頭できるようになるのでは、と考えました」
組織という枠がないからこそ、知らないうちに自分に課していた枠を超えて、
可能性を広げられるのではないか。そんな期待を農業にかけたのだった。
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農家を志した山中さんはまず、会社員を続けながら、
週末に茨城の農家に研修に行く生活を始めた。
つくる作物にイチゴを選んだのは、イチゴ農家は収入がいいと聞いたこと、
広大な農地を手に入れることが難しい新規就農者は
面積あたりの売り上げが高い作物のほうが有利、というシンプルな理由。
会社員と農家研修という二足のわらじを1年続け、
会社を辞めてから茨城と山口のイチゴ農家でそれぞれ1年ずつ本格的に学んだ。
そして、岩国へ。
実は、農家になろうと決めたときから、移住先は岩国と決めていたという。
「岩国には父方の祖母の家がありました。イチゴ農家は一年中作業があって、
まとまった休みが取れない。それなら、盆正月に親戚が集まる山口に住もうと思いました」
TAROのビニールハウスと販売所。ハウスはふたつから始め、数年かけて4つに増やした。水はけのいい土壌を保つことを意識している。
祖母から借り受けたレンコン畑を土壌改良し、TAROの1年目が始まった。
しかし、始めたとたんにつまずいた。
「水をいつ、どのくらいあげるのか。ビニールハウスの温度は何度か。
土地や時期によって正解が異なるので、
研修先だった茨城や山口県柳井市と同じでは育たない。
研修である程度できると過信してしまって、
いざ自分でやるとなると初歩の初歩からつまずいて。
内心、冷や汗をかきましたね」
1年目の12月に収穫したイチゴは、案の定まったくおいしくなかった。
せっかくもらっていたクリスマス用の予約も、すべてキャンセルせざるを得なかったという。
山中さんは、研修でお世話になった山口県柳井市のイチゴ農家〈谷農園〉の門を再び叩いた。
谷農園の谷さんに教えを請うた山中さんは、ここで今後のイチゴ栽培における、
大切な指針となる言葉を聞くことになる。それは「イチゴに営業させる」という言葉。
「おいしいイチゴづくりに妥協しないこと。そうすれば、イチゴが勝手に営業してくれる。
食べた人がまた買いに来てくれて、どんどん買う人の輪が広がる。
味に一切妥協してはダメだと、このときはっきりと悟りました」
イチゴは生育環境の変化が、すぐに味に出る。温湿度や水の量で、翌日には味が変わる。
毎日の環境に合わせて微調整することでしか、おいしいイチゴを仕上げることはできない。
「こればかりは、10年間やってきた今でも苦労する点です。
味が良くなくて、当日の朝に直売を中止したことも、何度もあります。
ただ、味に妥協しないことだけは、ずっと守り続けてきました」
イチゴはひとつひとつ傷みがないかを確認してから、パックに詰めていく。オンライン販売では、関東や広島からの注文が多い。
納得いかないまま販売しても、信頼を失うだけ。
自信を持てるもので勝負しなければ、すぐに評判を落としてしまう。
「売り上げとは、つまるところ『信頼』ですよね。
1000万円を売り上げようと思ったら、1000万円分の信頼をイチゴで積み重ねるということ。
そう思うと、いつも身が引き締まります」
シンプルだが実践するのはなかなか難しい考え方を、
ときには赤字を覚悟しながらも貫き通してきた。
だからこそTAROの今の評価があるのだ。
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TAROの創業時から一貫して取り組んでいるのが、低肥料での栽培だ。
「イチゴ栽培は、生育をよくするために肥料をあげるのが普通です。
ただ、液肥をあげた次の日は、舌にえぐみのようなものが残る。
味に悪い影響が出るなら、肥料を避けるべきだと思っていました」
低肥料での栽培例はあまり多くないが、
研修に行った谷農園では、低肥料での栽培を行っていた。
また青森で無農薬、無肥料でリンゴを栽培している木村秋則さんの存在も知った。
そこで自分でも、低肥料の栽培を試みてきた。
「山に自生している柿などは、誰も肥料を与えていないのに、おいしい実がなります。
肥料がなければ育たないということは、原理的にはないはずなんです。
ビニールハウスの中で、肥料に変わるものをどう実現するのか。
まだ答えは見つかっていません」
それでも10年かけて少しずつ肥料を減らし、
ここ数年はほとんど肥料を与えずに育てているという。
ミツバチが飛び交うハウス内。イチゴは本来初夏の作物なので、ビニールハウスで冬から春にかけて栽培と収穫をするには、繊細かつ正確な作業が重要となる。
安定よりも、常に最良のものを求め続ける姿勢はこの10年間変わらない。
それもこれも、純粋なるおいしさの追求のため。
今では全国でも数少ない、イチゴの低肥料栽培農家として
その名を知られるようになっている。
「困難なチャレンジでも、自分のやったことが全部結果に出る仕事は、
自分の性分に合っていると感じます。ようやく没頭できるものを見つけた感じですね」
イチゴの収穫は、毎日歩さんとふたりで早朝から行っている。病気はもちろん、育ちすぎも良くない。健全に育てることを意識しているという。
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とはいえ、理想ばかりを追求して事業が継続できなくなっては意味がない。
収穫シーズン以外も収益を得られるように、
TAROではジェラートなど加工品の販売も始めている。
パートナーは、周南市でジェラート屋を営む
〈ジェラテリア クラキチ〉の藤井蔵吉さん(コロカルで紹介した記事はこちら)、
周防大島で養蜂を行っている〈KASAHARA HONEY〉の笠原隆史さんなど、
移住で山口にやってきた同世代の仲間たちだ。計画は、山中さんから持ちかけた。
「どんなにお願いしても、もとのイチゴの味が良くなかったら協力は得られないはず。
一緒にやろうと言っていただけることは、私たちの自信にもつながりました。
みんなやさしくて誠実な人たち。同世代ということもあって、
話していると刺激を受けることが多い。
自分もがんばろうと思えます」
周囲が助け合い、サポートしあう文化があるのは、私生活でも一緒だ。
夫婦揃って移住してきた山中夫妻だが、住んでいる地域でも新しい仲間が増えてきている。
「地元の消防団に入ったら、団員の人たちが兄弟のように扱ってくれるようになりました。
僕はここで生まれ育ったわけではないけど、みんなが分け隔てなく接してくれてうれしい。
生活の基盤がかたまったように感じています」
家から農園、そしてお子さんの通う保育園までは、それぞれ徒歩数分。
生活圏内がコンパクトなおかげで、朝が早い農家として、
生活と子育ての両立を可能にしている。
生活が安定してきた山中夫妻はいま、この営みを広く伝えていくことを考え始めている。
「いいイチゴをつくり続けることで、子どもが『イチゴ農家っていいな』と思ってくれたら、
こんなにうれしいことはないですよね。
知らない土地に移住して、チャレンジしている甲斐もあるというもの。
それに、自分たちの子どもだけでなく、
多くの人にイチゴ農家の楽しさを伝えていきたいです。
以前、イチゴ狩りに来たベトナム人が、SNSに投稿してくれたおかげで、
ベトナム人のお客さんが増えたことがあったんですよ。
そんな風に、広がっていったらいいですね」
歩さんとは毎日栽培方法について相談や議論をする。もともとは研究者であり、知識も豊富な歩さんは、山中さんにとって最高のパートナー。
山中さんに、かつて会社員時代に抱いていた焦りや劣等感のような気持ちは、もうない。
イチゴ農家の仕事は、
山中さんがかつて望んだ「寝ても覚めても没頭できる」仕事に、ついになったのだ。
取材の終わりに、山口に移住したことは「すべてにおいて良かった」と言い切った山中さん。
農園の歴史が10年を超えたこれから、どんな農園にしていくのか。
ふたりがつくるTAROのイチゴから、まだまだ目が離せない。
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