連載
posted:2021.3.30 from:北海道旭川市 genre:アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、
そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。
日本各地から、物件を手がけたその人自身が綴る、リノベーションの可能性。
writer profile
Kazutaka Paterson Nomura
野村パターソンかずたか
のむらパターソン・かずたか●1984年北海道生まれ。旭川東高校卒業後に渡米し、 コーニッシュ芸術大学作曲科を卒業。ソロミュージシャンとして全米デビューし、これまでに600本以上の公演を行う。2011年に東京、2015年にニュージーランドへ移住し、IT企業で事業開発・通訳などを務める。2016年に旭川に戻り(株)野村設計に入社。遊休不動産の活用事業を3年で約20件行う。2020年に〈アーティストインレジデンスあさひかわ〉を立ち上げ、芸術家との交流を通した地域活性を開始した。
北海道旭川市で、リノベーションや不動産事業を営みながら、
アーティストインレジデンスなど地域の文化事業を企画・運営する、
野村パターソンかずたかさんの連載です。
元ミュージシャンで世界の都市を巡った背景から、
地元・旭川市にて多様なコンテンツをしかけています。
今回は、野村さんが自社事業として始めた芸術家受け入れプログラム
〈アーティストインレジデンスあさひかわ〉と、
その拠点施設で、元印鑑屋の店舗をリノベーションして生まれた
〈VKTR(ヴィクタ)〉をご紹介します。
先週、物件活用事例をまとめて紹介する機会をいただいた。
「Placemaking Week Japan」という名前のこのイベントは、
文字通り、場所(Place)をつくる(Making)活動を実践している人々が
世界中から集合し、それぞれの物語を共有する一大イベントだ。
都市計画や建築の博士号などを持っているような博識なスピーカーに紛れて、
僕も旭川市の事例を共有させてもらった。
コロナ禍でオンライン開催となったが、
その分さらにグローバルな事例を自宅にいながら学ぶことができた。
2年前の2019年にも同様のイベントに参加した。
クアラルンプールで行われた「City at Eye Level Asia」は
オランダの機関〈STIPO〉が主催するプレイスメイキングのイベントで、
コロナ禍前の開催だったので、世界各国からプレイスメーカーが集っていた。
このイベントとちょうど同じ頃、旭川市がユネスコ創造都市ネットワークに
デザイン分野で加盟するというニュースが飛び込んできた。
このネットワークは、加盟都市間の文化芸術を通した交流や、
都市の活性化、文化多様性について理解の増進が目的とされている。
ユネスコに旭川市が提出した申請書の中に
「アーティストインレジデンス(通称AIR)の推進」の文言があったことから、
僕が長年温めていた構想が急ピッチで動き出すことになった。
初めてAIRのようなものを訪れたのは、2005年頃のニューヨークだった。
当時20歳だった自分は、シアトルで出会った日本人ふたりと
ノイズ即興の音楽をやっていた。
ツアーの中でたまたま演奏会場だったNYCの〈ABC No Rio〉。
ここは1980年から続くアーティストハブであり、
NYCのパンク・ハードコア音楽の震源地でもあった。
もしかするとAIRという呼び方は適切ではないかもしれないが、
常にアーティストが入り乱れ、建物の中で勝手に寝泊まりして活動する様子が
脳裏に焼きついている。
次に演奏で訪れたのは、アメリカ東北部のロードアイランド州にある〈AS220〉だ。
ここは4階建の建物で、1階にレストラン&ライブハウス、
2階から上がアーティストのスタジオ兼生活場所になっていた。
ツアーで訪れるたびに何度も世話になり、
いつかこんな場所をつくりたいと思い続けてきた。
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2020年の元旦、僕は妻の地元であるニュージーランドを訪れていた。
前年に旭川がデザイン都市に認定されたことを受け、
誰に頼まれたわけでもなく、現地の市長や大学教授などに旭川を宣伝して歩いていた。
真冬で大雪の北海道とは真逆の南半球で、
クラフトビールを嗜みながらのんびりする毎日。
たまたま現地から旭川の不動産サイトを見ると、気になる建物を発見した。
もともとは印鑑屋さんだったらしい3階建の店舗物件。
内部には機材からゴミまで一切合切が放置されていた。
2階と3階は住居で、ミニマリストが見たら失神してしまいそうなゴミ屋敷だった。
帰国し、いざ内覧に行くと、写真で見るよりもはるかにすさまじい
ゴミの山に迎えられた。圧倒されながらも、それらを手にとってみると、
どのゴミにも味があり、この場所の歴史が感じられた。
店内に散らかった印鑑は、掘っていないものも数えると1000本ほどになった。
この店舗は、デジタル化という時代の移り変わりに飲み込まれ、
役目を終えた場所だった。
この場所をAIRの拠点として使うイメージはすぐに浮かんだ。
シアトルの〈ギャラリー1412〉を再現すればいい。
ギャラリー1412はいまでも運営されているシアトルの前衛音楽ギャラリー。
印鑑屋の細長い室内と少し高めの天井のつくりが、1412のそれとそっくりだったのだ。
1412では夜な夜な実験音楽やインディーロック、
スタンドアップコメディ(日本でいうピン漫才)などのライブが繰り広げられていた。
この旭川版をつくり、そこでAIRのプログラムを並行して運営できれば、
外からの文化芸術人材の受け入れと地域のクリエイティブな人材の接点が生まれる。
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そう思い立ってから、怒涛の片づけの日々が始まった。
外注する資金はなく、すべて手作業だ。
何百袋出せば終わるのかもわからないゴミの山、ゴミの海。
途中で何を目指しているのかわからなくなるが、
旭川版1412とAIRプログラムの拠点を夢見て片づけをする。
2020年の夏、アーティストインレジデンスあさひかわ(AIRA)の発起会が行われた。
小さなスペースにたくさんの人が集まり、
これから起きることへの可能性を感じてもらえた。
9月に入ると、業者さんがきれいに合板で壁をつくってくれていた。
鉄骨剥き出しの天井にはレールライトが設置され、柱で影になっている部分には、
いつか飲食に転用する可能性を見据えて業務用2層シンクも入っている。
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AIRA運営メンバーであり、旭川を拠点にペインターとして活動する
KOZOさんの発案によって、みんなで協力して壁を白く塗った。
そしてできあがったのが、こちら。
思っていたとおり、天井が高めの、1412みたいなギャラリーに仕上がった。
ロシア生まれ旭川育ちの野球選手ヴィクトル・スタルヒンにちなんで、
場所の名前を〈VKTR(ヴィクタ)〉にした。
旭川市内に苗字を冠した〈スタルヒン球場〉という場所があるので、
こちらは名前のほうをとった。ロシア語発音だとヴィクトルよりも
ヴィクタのほうが近いのだ。
故人である建物の前オーナーが野球好きだったので、せめてもの弔いだ。
大型の展示物は1階のギャラリースペースで制作をする方もいる。
幅4.5メートル、奥行き15メートルくらいの空間だ。
2階の居住フロアは、いろんな方が泊まるので
業者さんにリフォームをお願いして少しきれいに仕上げた。
カーペットと壁の色は、AIRAのメンバーに選んでもらった。
2階のこちらの部屋は、カーペット以外は手を入れていない。
北海道の冬は冷えるので、暖房があるこちらで制作活動をしてもらうことを想定した。
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11月から利用を開始したアーティストで、4人目の利用者となる灰谷くんが、
VKTRの押し入れに落ちていた木箱から着想を得て、即興屋台をつくった。
それはいまも室内にひっそり鎮座しており、見るたびに彼のことを思い出させてくれる。
山田愛さんとホロタゴウさんの演奏&ライブペインティングでは、
雪が降り始め、緊張感のある旭川の夜をハンドパンの幻想的な音色で満たしてくれた。
東京の写真家、山本佳代子さんは地域の人を100人以上撮影し、
その集大成を発表してくれた。
ゴミ屋敷がいろんな人の力でAIRの拠点施設として生まれ変わった。
2021年3月時点、使い始めてまだ4か月だが、
すでに11名のアーティストがここで制作を行い、
さまざまなドラマや思い出が詰まった場所になっている。
今後は3階部分に寝室が増やせるよう仲間と相談中で、
これは今夏の楽しみのひとつになりそうだ。
これまで培ってきたネットワークを通して、
ニュージーランドのダニーデン市やベルギーのアートギャラリーなど
海外の4つの機関が趣旨に賛同し、協力同意書をくれた。
協働していく団体は今後も増えていく予定だ。
所有物件のテナントの皆と協力して、アーティストの受け入れはもちろん、
地方都市への注目が高まった結果、増えるかもしれない
旭川市への「お試し短期移住」のプログラムも検討している。
文化支援に関心のある企業が参加できる体制づくりや、
地域の教育機関や主要産業との連携なども目指しており、
まずは国内、道内に試験的に展開していく予定だ。
初年度から多くの才能あふれるアーティストの皆様に来旭いただいた。
この流れはもう止まらない。
アーティストが持つ「外の目線」によって翻訳された地域表現に触れることで、
市民がシビックプライドを取り戻すきっかけにつながることを祈っている。
information
VKTR
アーティストインレジデンスあさひかわ ギャラリー
住所:北海道旭川市1条通4丁目右4号
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