連載
posted:2016.3.11 from:山梨県甲州市 genre:暮らしと移住
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〈 この連載・企画は… 〉
ローカルにはさまざまな人がいます。地域でユニークな活動をしている人。
地元の人気者。新しい働きかたや暮らしかたを編み出した人。そんな人々に会いにいきます。
writer profile
Hiromi Shimada
島田浩美
しまだ・ひろみ●編集者/ライター/書店員。長野県出身、在住。大学時代に読んだ沢木耕太郎著『深夜特急』にわかりやすく影響を受け、卒業後2年間の放浪生活を送る。帰国後、地元出版社の勤務を経て、同僚デザイナーとともに長野市に「旅とアート」がテーマの書店〈ch.books〉をオープン。趣味は山登り、特技はマラソン。体力には自信あり。
credit
撮影:川瀬一絵(ゆかい)
Supported by 山梨県甲州市
山梨県甲州市。塩山駅から山手方面に向けてグングンと北上した
見晴らしのいい斜面の一角に、木造の小さな小屋〈摘み草のお店 つちころび〉はある。
野草の活用や“摘み草”の実践をコンセプトとするこの店では、
手摘みの野草を使った商品の販売や、〈摘み草実践スクール〉、
料理教室や各種イベントも開催している。
最近では、東京のフランス料理店〈レフェルヴェソンス〉の生江史伸さんなど、
第一線で活躍する一流シェフに食材として卸してもいるそうだ。
営むのは、生まれ育った東京からこの地に移住した鶴岡舞子さん。
屈託のない笑顔で周囲を明るい雰囲気に包む空気感を持った女性だ。
鶴岡さんが甲州市に最初に移住したのは、2006年。
就農を目指してのことだった。東京で中高一貫の女子校に通い、
日本列島総不況といわれた時代を15歳で迎えた鶴岡さんは、将来を鋭く見据えていた。
「東京は何をするにもお金が必要で、
大人たちがお金に対して不信感を抱き始めている時代に、
私はどういう大人になったらいいのかと考えたんです。
毎日満員電車で通学しながら、ここ東京で未来をつくりたくないとも思いました」
そして「食べることには苦労をしたくない」という思いに至り、
「お金に左右されないで食べ物に安心を得て生きていける道」として
農家になることを決意。高校卒業後は東京農業大学に入学した。
大学卒業後は、甲州市の野外教育施設への就職を経て、
やはり農業の世界をしっかりと知りたいという気持ちから農業生産法人に再就職。
サクランボ、モモ、ブドウの果樹栽培において一連の勉強をした。
しかし、苗木が育って収穫できるようになるまでに数年かかる果樹栽培には
潤沢な資金が必要。野菜よりも収益単価が高いものの、
農家として新規参入が難しい分野だ。
独立するためには資金的にも体力的にも大きな壁があり、農家への道を断念し、
一時帰京した。そんなときに浮上したのが〈地域おこし協力隊〉の話だった。
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「愛着が湧いてきた地域のためになる活動ができたら」
そう思った鶴岡さんは協力隊に応募。
甲州市に提案したのは、移住したときから趣味で勉強し、
知識を習得した薬草や野草についての活動だった。
「もともと甲州市は歴史が深い地域。
小正月行事などの行事や、毎年決まった日にちで執り行われるお祭り、
神社仏閣などの地域の遺構など、いろいろなものに触れるなかで、
私がやりたいのは農業ではなく、日本らしい伝統文化を守ることだと気づきました。
雑草は農業や庭先でも厄介者扱いされ、生やさないことが良しとされていますが、
もとをたどれば作物の原種だったり、ひとつひとつの草には名前や薬効があって、
文化があるんです。それを知ったときに、これを伝えることは
日本人として大切なのではないかと思ったんです」
例えば、私たちが着ている洋服の綿。
花は上に向かって開くのをイメージするが、実はそれは外来種で、
日本の在来種は下を向いて咲くのだそう。
「日本にワタという植物が栽培されていた歴史も知らなかったことや、
繊維、染料、薬用といった、食べ物だけではない、
生活に必要な植物がほんの60年前までは栽培されていて、
種類もたくさんあったことに驚いたんです。
でも、そういう植物を見たことがなく、知りませんでした」
鶴岡さんは日本の植物がだいぶなくなっているという危機感があったそうだ。
それに、雑草もいまはほとんどが外来種。
「日本の草ってなんだろう」と思ったという。
「野草を使って体を健康にする活動をしている人はたくさんいます。
否定するつもりはないのですが、私はそれよりも、
野に出て『ヨモギを摘んできてください』と言われたときに、
本を見ずにヨモギがどれなのか見極められることが大切だと思ったんです」
ただ、どういうかたちでそれを実現していいかわからないし、
全国的にもそうした活動をしている人はいなかったことから、
鶴岡さんは地域おこし協力隊の活動として提案。
当時、甲州市では耕作放棄地の増加という課題を抱えていたため、
その耕作放棄地に生えている野草が価値あるものになったら、という
鶴岡さんの提案は期待を持って受け止められた。
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こうして2011年7月から2014年3月まで、
ほかの2名とともに甲州市の地域おこし協力隊に従事。
何が成果になるのかわからないまま、手探りのなかで
自分たちの活動として認めてもらえるようなものをつくり出そうと、
とにかく歩いて地域の人と話し、協力隊の意義をつくり出していったという。
「私たちは市役所の職員でもないし、訓練を受けた地域おこしのプロでもない。
一般の普通の移住者なんです。何かを期待されているけれど、
それが明確になっていないがためにゴールが見えない。
そうしたなかで、甲州市の目的は定住促進だったので、
3年後に定住するための活動ならどんどんやっていいという方針で、
動きやすかったですね。模索した時期は長かったけど、
定住のための土台づくりはできたと思います」
協力隊の本質は、とにかく地域を歩き回って取り組みを知り、
自分がその輪の中に入って力になったり、風穴をあけて
地域の情報を外へ発信する役割にあると話す鶴岡さん。
「よその人から『この地域はいいですね』と言われると、
地元の人はその良さを意識できるじゃないですか。
その繰り返しに自分たちが関わり、よそ者として
地域に意味づけをしていくことが協力隊の役割です。
それは3年間の活動の最後のほうで知ったのですが、
当時はとにかくそれを手探りしながらやっていましたね。
でも実際に協力隊の活動は、地域の協力がないと
コトが進まないことが多かったんですよ。
自分の役割に意味づけをしてもらう側だったんです」
3年間の活動では有用野草の分布調査や、市場調査を中心に、
農業やさまざまな地域活動、プロジェクトの運営サポートなども行い、
その延長で交流を深めて、県内移住者の交流コミュニティをつくったりもした。
何が地域のためになるのかわからないながらも、地域のなかに
自分の居場所をつくることが最終的なゴールだと感じていたそうだ。
こうして、協力隊の最終年である2014年に〈つちころび〉を立ち上げ、
現在は都会のシェフに卸しているフレッシュなものや秘蔵商品も含め、
年間34種類ほどの野草を扱っている鶴岡さん。
野草茶にして販売したり加工をするほか、学校に出張して講演を行ったり、
野草の定義や分類方法、観察本の使い方など、
実践的に野草を使うための〈摘み草実践スクール〉を展開している。
「どうして1月7日に七草粥を食べるのか、といった
季節の行事である五節句をひもとくだけで、日本人がどれだけ
植物を頼りに暮らしてきたかがわかっておもしろいんです」
薬効云々よりも、そうした由来を理解することを大事にしている鶴岡さん。
最終目的は野草を使った料理を家庭で実践してもらえるようになることだそうで、
そのために高齢者から戦後に途切れてしまった文化を教わり、
それを自分たちの子や孫の世代に伝えられるおばあちゃんになりたいという。
「私はそれを『一緒にやっていくよ』と声をかけられるアンテナでありたいんです。
〈つちころび〉はそのための拠点です」
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そんな鶴岡さんがいま伝えたいのは、
移住者は地域を活性化したり暮らしやすくしてくれる存在ではなく、
地元の人が将来、この地域をどういうかたちで残し、
どんなまちにしておきたいかを考えていないと、
移住者は役割ができず定住しないということ。
そして、地域の人から応援されたり必要とされてこそ、
お互いにそこに暮らす価値が出てくるということ。
「地域おこし協力隊は、実施する自治体によって活動規定の差があるようですが、
規定にとらわれずに、若者、よそ者に自由にチャレンジさせてほしいなって思います。
いままでのルールから違う方向性を見出すための種まきになるんじゃないかなと。
とはいっても、活動期限が最長3年間しかありませんので、
需要と供給が合わなければ、お互いにとって居心地が悪い制度になってしまいます。
協力隊員が定住すればそれも成功のひとつの結果ですが、
地域の人が求めていることをどれだけ見たり知ったり、それに協力できたかが大切です」
例えば、鶴岡さんは、甲州市松里地区で生産される
大きな干し柿〈枯露柿(ころがき)〉のブランディングを強化して
若い世代にアプローチできないかと商工会から相談され、
3年間、枯露柿の地域ブランディング研究活動に参加。
枯露柿の消費者=1ファンとして、生産地から新たな若い消費者=ファンづくりや、
嗜好品としての価値を発信できないかと考え、
ファンクラブの集い〈ころ柿文化祭〉を松里公民館で開催。
SNSでの「楽しかった」「おもしろい取り組みをしているぞ!」という発信に期待した。
「このように、外からの視点を地域に持ち込むような、
小さな小石を投げることがよそ者の役割です。
それに、地域産業が落ち込んでいくのは外から見ていても悲しいので、
地域の人はそこを救い上げるために、若い人や、外から来た人との交流を
積極的にして耳を傾けてほしいなと思います。
身近なところからヒントがたくさん出てくると思いますよ。
私は運よく“仕事”として地域活動にたくさん関われたことで
自分のやりたいことを実現しながら定住ができたのですが、
これがお嫁さんという立場だったらどうなんだろう……と思うのです」
郷に入れば郷に……も大切ではあるけれど、積極的に関わりを持ったり、
意見を言うことで、移住者が暮らしの当事者である意識を持つようになるという。
「若い人が楽しいと言えば、同世代の人が興味を持って移住してきます。
楽しいと思わせるためには、施設に行って見学しておみやげを買うツアーではなく、
体験農業とか農家さんとの交流とか、農家時間の10時と3時のお茶を体験するとか。
観光的な視点ではなく、土着的な日常を垣間見られるような
場づくりができたらいいのです。
地域の人から発信することができればなおいいのですが、
しづらいならよそ者がその役割を担えばいい。
やってほしいサービスや必要なポイントが移住者ならわかるから」
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移住者は期待をかける存在ではなく、むしろ地域を引っかき回す存在であり、
それによって、地域は人材を受け入れる気持ちがあるかを試されるという。
そして、鶴岡さんの場合、その切り口がたまたま、野草だったのだ。
つまり、野草の活動は自己表現のひとつで、
地域に関わるためのきっかけに過ぎないという。
そもそも、野草は雪国のほうが豊かに生えているそうで、
冬、雪が少なくて乾燥している甲州市は、野草が凍って種が死滅してしまい、
野草・薬草の採取地としては不向きだそうだ。
それでも甲州市を選んだのは、地域の耕作放棄地の課題に向き合い、
お世話になった地域の人や行政への恩返しが大きいと鶴岡さんは言う。
「やりたいことは協力隊時代に関わった地域の活動の延長のようなことです。
そのなかで自分の持っているツールが“野草”であり、その自分の歯車と
地域の人の歯車が合わさることで、結果的に大きなものを動かしているイメージです」
そして、野草の知識を伝え広げたいのは、地域の人ではなく都会の人にだと言う。
自分はあくまでバイパスのような存在であり、移住者としての立ち位置から、
都市と地域をマッチングすることが、鶴岡さんにとっての恩返しだ。
「もらった仕事ではなくて、自分がつくっている仕事を
自分の評価にしていくかたちです。生き方が商売。芸能人みたいですね(笑)」
そうしたなかで、四季を感じながら、人間も動物だと感じられる感覚を認識し、
食べて生きていくことができる。
それは、とてもシンプルなことだけれど、そこに幸せがある。
そう話す鶴岡さんの明るい笑顔が、何よりの充実感を物語っていた。
present
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締切:2016年3月24日(木)24:00
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profile
MAIKO TSURUOKA
鶴岡舞子
東京都生まれ。東京農業大学を卒業後、甲州市に移住し、地域おこし協力隊に従事。2014年に〈摘み草のお店 つちころび〉を立ち上げ、野草の加工品の販売や、実践的に野草を扱うための〈摘み草実践スクール〉を展開。マーケットへの出店、イベント開催、講演活動なども多く行っている。
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