連載
posted:2016.8.5 from:京都府京都市ほか genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
ローカルにはさまざまな人がいます。地域でユニークな活動をしている人。
地元の人気者。新しい働きかたや暮らしかたを編み出した人。そんな人々に会いにいきます。
writer profile
Yu Miyakoshi
宮越裕生
みやこし・ゆう●神奈川県出身。大学で絵を学んだ後、ギャラリーや事務の仕事をへて2011年よりライターに。アートや旅、食などについて書いています。音楽好きだけど音痴。リリカルに生きるべく精進するまいにちです。
京都の都心部から東へ、平安神宮のある辺り。鴨川の東に広がる、岡崎エリア。
家並みの向こうには京都と琵琶湖を隔てる如意ヶ岳が見え、
春は若い葉や山桜の色に、秋は紅葉の色に染まる。
平安時代に大規模な寺や貴族の別邸が建てられたこの辺りには
いまでも多くの寺院や遺構が残り、また、明治、昭和に建てられた近代建築も多く存在する。
2015年にはそうした景観が評価され、京都市内では初の国の重要文化的景観に選定された。
映像作家・音楽家の高木正勝さんは京都生まれ、京都育ち。
子どもの頃は、岡崎の山や小川で遊んでいたという。
高木さんは今年、岡崎で開催される音楽祭
〈OKAZAKI LOOPS(オカザキループス)〉(2016年9月3日・4日開催)の
ディレクターに就任した。
今回は同祭のメイン会場となるロームシアター京都にて、
暮らしのこと、音楽祭のことについて話をうかがった。
「僕の祖父は、岡崎の南禅寺近くにあるお寺の住職なので、
岡崎は馴染みのある地域です。
最近はロームシアター京都がオープンして人通りが増えましたが、
昔はもっと静かなところでしたね」
以前の岡崎は、都心部から少し離れていることもあり、
京都の人でもなかなか立ち寄る機会のないエリアだった。
明治以降に西洋の流れを取り入れた建物が次々と建てられた岡崎は、
京都のなかでも際立った地域だったらしい。
そこへ2016年1月、まちに回遊性を生み出す文化施設として
ロームシアター京都がリニューアルオープンし、人の流れが変わりだしているようだ。
岡崎にゆかりのある高木さんだが、子ども時代を過ごしたのは京都の中西部に位置する亀岡市。
そして3年ほど前から、かねてより憧れていた昔ながらの田舎暮らしを始めた。
「もし日本の住環境を都会、郊外の住宅地、
自然に根ざした地区の3つに分けるとしたら、
郊外の住宅地のようなところで育った人たちが一番多いんじゃないかと思います。
僕が育ったのも新興住宅地で、同じような家が並んでいました。
昔ながらの暮らしには、本で読んだり映画を観たり、
よく海外の田舎を旅したりして触れてはいたのですが、
『いつか住んでみたい』と憧れ続けていても仕方がないので、
思い切って兵庫県の山奥に引っ越してみました。
いまのところに暮らし始めて3年になります。
30分ぐらいで歩ける範囲に17軒ぐらいしか家がない、小さな村です。
そこで80、90歳ぐらいのおじいさんやおばあさんたちと暮らしています」
田舎に引っ越して、高木さんは畑を始め、近所づき合いをするようになった。
それ以来、新たに見えてきた世界があるという。
「たとえば村の誰かが困っているときに、自分ならこんなことができるかもしれないとか、
おのずと役割分担が見えてくる。それは自分の仕事を生かす——たとえば僕だったら
音楽で何かするとか、そういうことではなくて、
もっと単純に、同じ土地に住むひとりの人間として、
ただ居るだけで助かるとかうれしいとか、お互いに思い合える生き方を選びたいな、と。
そんな風に考えられるようになったのは、
村の寄り合いや祭りに参加するようになってからです。
村全体が家族のように暮しているところに住まわせてもらっていて、
近所の家に何かあったら自分の家の環境も変わってしまう——みたいな感覚なんです。
以前の生活では、隣の家や町内のことを考えたことがなく、
自分の家だけで完結していたんですよ。
いまは心から愛おしく思える土地と人に出会えて、
世の中ってこういう風に回っていたんだ、ということがようやく見えてきました」
また、自然を見る目も変わった。
「前は山を見ていても“山”としか見ていなかったんですけれど、
いまはあそこは誰々の山だとか、何が植えてあるとか、
ここはそんなに植林をしていないなとか、いろんなことを思います。
植林をしているところは、畑を見ているような気分にもなりますし」
戦後にたくさんのスギやヒノキが植林された日本には、
手つかずの自然と呼べる山はほとんどないといわれている。
そうした森は、間伐や枝打ちをすることで環境が維持される森に
なってしまったため、定期的に手入れをしないと荒廃してしまう。
いま高木さんが暮らしている山は、村の人たちが手を入れ、守り育ててきた環境だ。
自然を守り、寄り添う環境で暮らすうちに、高木さんにも
山で暮らす知恵のようなものが身についてきた。
「現在の暮らしは、蛇口をひねれば水が出てくるじゃないですか。
その水がどこからどうつながって家まで届いているかは、すぐにはわからない。
だから何かあって水が止まったら大変なことになります。
僕の家の裏には山から流れてくる川があって、
そこから村の人たちに教えてもらいながら、自分たちで水を引いてみました。
木もたくさんあるので火を熾せ(おこせ)ますし、畑もやっているので
暮らしに必要なものを、最低限は自分たちでつくっているという安心感があります。
村の人を見ていると、生きていく力がたくましいと思います。
生まれてからずっと山で暮らしてこられたので、
山のどこに何があって、どれが役に立って、何が危険なのか、生きる知恵に溢れています。
とても真似できないこともたくさんありますが、
毎日の暮らしのなかで、少しずつ教えてもらっています」
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都心に住んでいるときといまを比べてみると、「幸せ」って変わりましたか?
高木さんにそう尋ねてみた。
「変わります、変わります。
春は特に、毎日1回は言いますよ。『幸せやね』って。
まちに住んでいると、季節の移り変わりが大雑把にしかわからないですよね。
でも山にいると、冬は悲しくなるぐらい何もなくなるんですよ。
虫がいなくなって、葉っぱが全部落ちて、草もなくなって、シーンとなって。
そして、ここが限度だろうと思っているとさらに静かになって、
2月ぐらいにここが“冬”だよな、と思っているとさらに寒くなっていく」
「それで、このままもう2度と生命と出会えないんじゃないかという気がしてきた頃に
ぱっ、ぱっと芽が出てきて『わーっ』と思っていたところに、
雨が1度でもドーッと降ったら、一気に萌えて、
爆発するみたいに梅や桜が咲いて。
虫もわっと一斉に出てきて、土の中の微生物もざわざわ動き出します。
空気も、どこもかしこも休まずきらきらしているんですよ。
もう幸せで、どうしようもない気持ちになるときがあります」
「山のなかにいて下を見ると、散った葉っぱや花びらが落ちていて、
そこに新しい芽も育っている。
動物や微生物が落ちた実や葉を食べに来て、
朽ちたものは土に還っていくから、無駄がひとつもないんです。
自分がその流れを遮ることもなく、止めることもなく、
大きな流れのなかにただぽつんといる。
たぶん幸せを感じるというのは、同じ景色には二度と会えないということが
わかるから —— ときに限りがあるからだと思うんです。
もう数秒後にはこの景色は変わってしまうけれど、
なぜいまこんなにきれいなのか、と」
「都会は人工的なもので埋め尽くされていますが、
人工的なものはなかなか朽ちていかないですよね。
でも自然のものは、朽ちていくにつれて味が出てくる。
そういった“朽ちていくこと”を良しとしない限り、
幸せって感じられないものなんじゃないかな、と僕は思うんです。
それを良しとすると、日々変化ができる。
たとえば、ごはんを食べていてもコンサートの練習をしていて誰かと仲良くなっても、
『明日にはこれはもうないんだ』って思う。
それは切ないことだけど、一番幸せかなと思うんです」
京都、兵庫を拠点に国内外で活躍している高木さん。
地元と東京では、仕事をする時の意識がまったく変わるという。
「18のときに初めて東京に行ったんですけど、
東京の人は自分の仕事に“余白”のようなものをもっていて
『ちょっと手伝って』みたいな感じで誰かに頼むのが上手で
どんどん横につながっていきますよね。
お互いに入り込める隙があるというか。
反対に京都の人は、自分のことは全部自分でやる人が多い。
だからみんな、自分のことで忙しいんです」
「そのせいか京都では、濃い、独特なものができてくる。
僕も作品はこっちでつくっています。
都会にいると周りが気になってしまうんですけれど、
ここではみんなに認められなくても、ひとりに認められていればいいかなとか、
もしくは自分が自分を認められていたらいいかな——と、どっしり構えていられる。
だから、制作に集中できるんです」
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OKAZAKI LOOPSでは、高木さん、バレエダンサーの首藤康之さん、
彫刻家の名和晃平さん、指揮者の広上淳一さん、
西陣織の老舗〈細尾〉の細尾真孝さん、5名がディレクターを務める。
そうしたさまざまなジャンルのクリエイターが集い、
音楽、アート、ダンス、伝統、地域、食などが
融合するイベントをつくっていくというのだ。
高木さんにどんな音楽祭をつくっていきたいのか、聞いてみた。
「僕の目には、おじいさんたちの世代の方々が見ている世界観が
ほかの世代とは大きく違うような気がしているんです。
田舎だけでなく、都会でもどこの地域でもそうですけれど、
それぞれの世代で生きる価値観が違いすぎて、
それがおもしろくもあり、同時にもったいないと思ってしまう。
新しい世代が見出していく新しい世界観もおもしろいのですが」
そうした世代感の隔たりをどうしたらよいのか——
高木さんは決して肩肘を張ることなく、こんな風に考えている。
「自然から受ける恵みとはどういうものか、
暮らしのなかで知ってこられた世代の方々と若い世代との
交流がもっと起これば、もっと楽しくなるんじゃないかと思うんです。
岡崎にも、ほかの地域にはない特別なものがたくさんあります。
OKAZAKI LOOPSでは、いろんな世代の人たちが一緒に過ごして、
いろんなことを共有できる2日間にできたらいいなと思っています。
自分のじいちゃんの家が会場のすぐそばにあるので、
僕もこの機会に、岡崎ならではのおもしろいところを知れたらなと思っています」
高木さんがおじいさん、おばあさんたちと過ごす時間を
大事にする理由がもうひとつある。
それは、時間は限られているということ。
「いまは、アスファルトが敷かれる前の世界を知っている人たちから学べる、最後の時間。
そんな暮らしを知っている人の話を聞いたり、
一緒に楽しんだりするだけでも新しい感覚になれるんです。
たとえばこの間、京都国立近代美術館で染色家の志村ふくみさんの
展覧会(『文化勲章受章記念 志村ふくみ—母衣への回帰—』)があって
すばらしい内容でしたが、
草木染めを極めた方と若手のファッションデザイナーがすれ違う場、
一緒に何かできるかもしれない場をつくりだすようなことは、
すごく意味のあることだと思うんです」
考えているのは1日限りのイベントではなく、
その場から自然発生的に湧き起こる、お祭りのようなもの。
「バリでは、島のどこかで毎日お祭りが行われているんですけど、
その演奏や踊りが、すごくクオリティが高いんですよ。
それは、いろんなものがきちんと循環できているからだと思うんです。
子どもたちや若い衆がすばらしい舞台を繰り広げていて、
それをうれしそうに見ている観客は、ただの観客ではなくて同じ村の人たち。
自分の子どもや孫たちが演奏しているのを見ているんです。
ご老人たちも子どもの頃、同じように舞台に立って演奏していたんでしょうね。
若者にかつての自分の姿を見ているし、
若い人たちはおじいさんたちの想いも担いでいる。
そうやって見ている人と演奏している人の想いが織り合わさっているというか、
いろんな時代の想いや文化が巡っているのがいいなあと思いました。
せっかくフェスをやるなら、1度きりのイベントとして見せるだけではなく、
そういう場所にしていけたらと、いろんな提案をさせていただきました」
歌や踊りには、多くの人を魅了する力がある。
そうした盛り上がりは、まちと自然、昔といまとをつなぐ原動力になっていくかもしれない。
OKAZAKI LOOPSでは、5人のディレクターがそれぞれに舞台を制作する。
高木さんは村での暮らしから生み出した音楽を
アイヌ歌唱、ジプシーヴァイオリン、和太鼓などの
多様なアーティストたちとともに演奏し、
舞台上に村祭りが実現するような舞台を構想している。
「僕の公演〈大山咲み〉では、日々の暮らしから受け取ったありがたさを、
観に来てくださった方たちにお渡しできればと願っています。
ぜひみなさんと、その時間を共有できたらうれしいです」
information
京都岡崎音楽祭 OKAZAKI LOOPS
会期:2016年9月3日(土)、4日(日)※9月2日(金)前夜祭開催
会場:ロームシアター京都、平安神宮、みやこめっせ、岡崎公園、京都国立近代美術館、京都市美術館
電話:075-711-2980(OKAZAKI LOOPS実行委員会事務局・公益財団法人京都市音楽芸術文化振興財団)
Web:OKAZAKI LOOPS
profile
MASAKATSU TAKAGI
高木正勝
映像作家/音楽家。1979年京都生まれ、兵庫県在住。国内外でのCDやDVDリリース、美術館での展覧会や世界各地でのコンサート、映画やCM音楽など、分野に限定されない多様な活動を展開している。細田守監督の映画『おおかみこどもの雨と雪』(2012)、『バケモノの子』(2015)の音楽を手掛ける。2013年、アフリカ開発会議(TICADⅤ)関連企画としてエチオピアを訪問・取材し、映像作品『うたがき』を発表した。2015年秋、7人のミュージシャンとともに5年ぶりのホールワンマンコンサート〈山咲み〉を開催。最新オリジナルアルバムに『かがやき』(2014)。
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