連載
posted:2023.4.10 from:愛知県岡崎市 genre:食・グルメ
PR 東邦ガス
〈 この連載・企画は… 〉
東海3県には地域の文化に根ざしたいいモノやいいコトがたくさんあります。
東邦ガス運営の“地産情報”を発信するウェブメディア『みたすくらす』とコロカルが連携して、
愛知・岐阜・三重のものづくりの現場を訪ね、再発見した魅力をお届けします。
writer profile
Riho Nakamori
中森りほ
なかもり・りほ●東京生まれ東京在住のフリーライター/編集者。仕事やプライベートで月に1回以上、地方や海外へ。各地のおいしい食べ物やお酒、素敵なホテルや旅館を発掘するのが趣味。好きな番組は『ブラタモリ』『六角精児の呑み鉄本線・日本旅』。
credit
撮影:黒川ひろみ
2023年のNHK大河ドラマの主人公、徳川家康生誕の地として
いまあらためて注目を集めている岡崎城。
この岡崎城より西へ八丁(約870メートル)の場所にある
八丁町(旧八丁村)で始まったのが八丁味噌づくりだ。
実は八丁町で江戸時代初期から続く、八丁味噌をつくる味噌蔵は、
江戸時代から現在に至るまで2軒しかない。
そのうちのひとつが江戸時代初期の正保2(1645)年に興った
〈カクキュー〉の屋号で知られる〈合資会社八丁味噌〉だ。
今川義元の家臣であった早川家の先祖・
早川新六郎勝久(はやかわしんろくろうかつひさ)が桶狭間の戦いで敗れた後、
武士を辞め、名を久右衛門に改名し、寺で味噌づくりを学んで立ち上げた味噌蔵だ。
名前の「久」の字を四角で囲んだマークを江戸時代から使用しており
このマークから「角久(カクキュー)」と呼ばれるようになった。
そもそも日本でつくられる味噌の80%は、大豆と米と塩を原料とする「米味噌」だ。
一方、八丁味噌は大豆と塩のみを原料とする「豆味噌」に分類され、
その色目から「赤味噌」に分類される。
豆味噌は主に東海三県のみでつくられる味噌で
甘みがない代わりに大豆由来の旨みがある。
なかでも八丁町の八丁味噌は、江戸時代初期より独特の伝統製法でつくられており、
地域の気候風土に合わせて水分を極力減らして仕込むため
大豆を凝縮したような濃厚な旨みと、
ほのかな酸味と苦味が感じられる独特の風味が特徴だ。
八丁味噌というと、一般的な米味噌に比べ水分が少なくて固く
赤黒いような色が特徴だ。
これはこの土地の風土が影響している。
ひとつは、八丁町が矢作川や菅生川(乙川)、早川など多くの川に挟まれた
高温多湿な土地であったこと。
このような環境にも耐えられるように仕込み水を極限まで少なくするなど
試行錯誤した結果、保存性が高く固い味噌が生まれたのだ。
また、長期熟成により色は黒に近い赤色となり、ほのかに甘い香りもする。
さらに、八丁味噌が広く知られるようになったのには、立地的な所以もある。
岡崎は東海道のなかでも3番目に大きな宿場町として知られ、
八丁町エリアも矢作川と交わる交通の要衝となった。
その結果、原料である大豆や塩、つくり上げた味噌の運搬に適した土地となる。
特に塩に関しては、岡崎市がこのエリアでの管理を任されていたという話もあるそうだ。
さらに東海道を行き交う旅人が訪れるため、味噌づくりとともに
商売にも適した土地として、八丁味噌の知名度を向上させた。
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カクキューの八丁味噌が、いまなお多くの著名な料理人や
世界の美食家に愛されているのには、土地が持つポテンシャル以外の理由もある。
創業当時より続く、製造における3つの伝統があるからだ。
ひとつ目が、先述した通り大豆と塩だけで味噌づくりを行っていること。
丸大豆を選別してから水で洗い、水に浸して水分を含ませ、大豆を蒸し上げる。
大豆で良質な麹をつくるため大豆の吸水量には経験と勘を要するという。
その後、蒸した大豆をこぶし大の大きな味噌玉にし、
表面に麹菌を生育させることにより大玉の豆こうじをつくる。
一般的な米味噌では米に麹菌を生育させるため、麹のつくり方からしてまったく異なるのだ。
こうしてできた豆こうじを塩、水と混ぜ合わせて木桶に仕込む。
これがカクキューふたつ目のこだわりだ。
木桶の繊維にはカクキューに長年受け継がれるこの地の微生物群が棲みついている。
この微生物が八丁味噌の味に大きく影響しており
木桶よりも扱いやすい、ステンレスやホーローだと伝統の味を再現できないのだ。
いまでは木桶仕込みの味噌は全体の生産量の数%程度といわれている。
さらに木桶を使う蔵元も減ったため、桶屋自体も激減。
カクキューでは木桶を毎年購入しており
木桶という日本文化の継承にも寄与している。
さらに、味噌の少ない水分を桶全体に行き渡らせるために
木桶の上に円錐状に石積みを行うのもカクキューの伝統だ。
矢作川の上流より運び入れた天然の川石を、職人の手で山のように積み上げて
重石とするのは、八丁町のみに伝わる手法。
崩れることのないように積み上げるには、10年以上の修行が必要といわれる職人技だ。
八丁味噌は、ほかの豆味噌よりも仕込み水が少ないことから、
他社よりも多くの重石が必要であり、
ひとつの木桶には八丁味噌を約6トン仕込み、その上に約3トン、
数にして約350個もの重石を積み上げている。
岡崎は石の産地としても名高く
これが八丁味噌の石積みを生み出した理由かもしれない。
3つ目のこだわりが、自然の温度変化に任せた天然醸造で、
二夏二冬(2年以上)の長期熟成を行っていること。
一般的な米味噌は3〜6か月、京都の白みそに至っては2週間〜1か月の
熟成期間で味噌が完成するほか、近年では人為的に加温して熟成を早める
「速醸(そくじょう)」という製法が用いられていることもある。
長期間の熟成はその分手間もコストもかかってしまうが
長い時間をかけじっくりと熟成、醸造することで唯一無二の味わいを生んでいるのだ。
このような土地に根づいた味噌づくり、卓越した伝統技術によって、
濃厚な旨みと少々の酸味、コクを持つ八丁味噌が生まれている。
カクキューの八丁味噌は、1601年の東海道開通を機に人の往来が増え、
これに伴いその名が知られるようになった。
嘉永5年(1852)に江戸の役人が書いた「三河美やけ(三河みやげ)」では
この地の名物として登場している。
また、小柳津要人(後の丸善社長)はじめ、岡崎出身の地理学者・志賀重昂、
旧岡崎藩主・本多家家職の多門傅十郎らの後押しで、旧岡崎藩主・本多家の忠敬
といった人たちの援助を得て明治34年12月28日から制度が廃止されるまで
宮内省御用達の許可を得ていた。
このほかにも小津安二郎、北大路魯山人、川端康成、志賀直哉、谷崎潤一郎、
藤田嗣治、林芙美子、与謝野晶子など荷物発送簿、領収書、払込通知書などの資料から
カクキューの八丁味噌が多くの著名人に愛されていたことがわかっている。
さらには、渋沢栄一の名前の入った感謝状や、
「日本の博物館の父」と呼ばれた田中芳男から
「天下一品」と揮毫(きごう)されるなど、幅広い業界との交流がうかがえる。
さらに明治44年(1911)にドイツ帝国ドレスデン市で開催された万国衛生博覧会にも、
カクキューの八丁味噌が出品され3等を受賞。
同博覧会理事会が最も注目したのは、1か月余にわたる日本からの長い航海、
しかもその途中には赤道直下のインド洋を幾日も通らなくてはならなかったのに、
八丁味噌の品質に何の異常もみられなかった点だ。
水分含有量の少ない八丁味噌は、過酷な気候条件にも変質しない
海外輸出品に適した質の高い味噌として評価されているのだ。
その味わいと同じく、知れば知るほど奥深い八丁味噌の世界。
いつもの味噌料理に使うだけでなく、カレーやデミグラスソースの隠し味に、
バニラアイスに加えれば塩キャラメルのような味わいも楽しめる。
使い方によってさまざまな顔を見せる八丁味噌の魅力を
手にとって体感してみてはいかがだろうか。
information
カクキュー八丁味噌(八丁味噌の郷)
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おいしい八丁味噌のレシピは『みたすくらす』で
カクキューの調理スタッフから聞いた、八丁味噌の定番レシピをぐっとおいしくする秘訣とは? 東海地方の地産情報を地元クリエイターがお届けするWebメディア『みたすくらす』にてレシピを公開中!
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