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連載

創作のまち真鶴の原点。
『世界近代彫刻シンポジウム』と
小松石の物語

真鶴半島イトナミ美術館
作品No.29

posted:2017.3.23  from:神奈川県足柄下郡真鶴町  genre:ものづくり / アート・デザイン・建築

sponsored by 真鶴町

〈 この連載・企画は… 〉  神奈川県の西、相模湾に浮かぶ真鶴半島。
ここにあるのが〈真鶴半島イトナミ美術館〉。といっても、かたちある美術館ではありません。
真鶴の人たちが大切にしているものや、地元の人と移住者がともに紡いでいく「ストーリー」、
真鶴でこだわりのものづくりをする「町民アーティスト」、それらをすべて「作品」と捉え、
真鶴半島をまるごと美術館に見立て発信していきます。真鶴半島イトナミ美術館へ、ようこそ。

writer profile

Shun Kawaguchi

川口瞬

かわぐち・しゅん●1987年山口県生まれ。大学卒業後、IT企業に勤めながらインディペンデントマガジン『WYP』を発行。2015年より真鶴町に移住、「泊まれる出版社」〈真鶴出版〉を立ち上げ出版を担当。地域の情報を発信する発行物を手がけたり、お試し暮らしができる〈くらしかる真鶴〉の運営にも携わる。

photographer profile

Kenji Nakata

中田健司

なかた・けんじ●1983年愛知県生まれ。大学卒業後、2012年より平野太呂氏に師事。2015年よりフリーランスのフォトグラファーとして雑誌、WEBなどを中心に活動中。
http://nakata-kenji.com

真鶴だけでとれる小松石という素材

羽田空港、皇居、美空ひばり……。
一見関係のなさそうなこの三者に、実は共通しているものがある。
それが「小松石」と呼ばれる石だ。

世界で神奈川県真鶴町でだけ採掘される小松石は、
いまから約20万年から15万年前、箱根火山の活動と連動して
この地で噴火した溶岩が固まったものだ。
青みがかって落ち着いた風合いは墓石に適しており、
一番古いもので奈良時代のお墓に使用されていたことがわかっている。
有名なものとしては、皇族や代々の徳川家、美空ひばりのお墓にも使われている。

小松石が産業として発展したのは江戸時代。
その頃から石垣や建築材としても使用され、
皇居の石垣や二重橋、羽田空港の埋め立てにも使われているという。

「一般的な石に比べると、小松石は加工の手間がすごくかかるんです。
その分、性質はすぐれていて、かたくて粘り強く、火に強い。
例えば御影石という白くてつぶつぶのある石に比べ、角が飛びにくいんです」

そう語るのは、真鶴にある〈竹林石材店〉の竹林智大(ともひろ)さんだ。
竹林石材は昭和16年に始まり、現在3代目。
だいぶ減ってしまったとはいえ、真鶴に石材業者はまだ20社程度あるが、
採石から加工までの工程すべてを行うところは珍しいという。

竹林石材店の竹林智大さん。社長ながら会社では一番若い。

竹林さんは石の魅力についてこう語る。

「コンクリートのほうが安いので使われることが多いですが、
本当は石のほうがかたくて丈夫なんです。
石は何百年ともちますが、コンクリートは50年ぐらいでヒビが入ってきます。
石のほうが地震にも強く、例えば護岸工事に使っても、
自然のものなので魚や海の生物にとってもいいんです」

山から墓石ができるまで

小松石を「石材」として使うまでには長い工程がある。
竹林さんにその工程を案内してもらった。
まず案内してもらったのは採石場。真鶴駅から海とは反対方向に向かって、
車で20分程度山を登ったところにそれはあった。

その圧倒的な光景に取材陣一同息を飲む。ダイナマイトで崩すこともあるが、石が傷つく可能性もあるので重機を使うことが多いという。

「江戸時代は海岸沿いを手で掘っていましたが、
いまでは重機を使って山から切り崩すのが主流です。
あんまり下まで掘ると石が細かくなってきて、そうすると“終わり”なんです。
町有地を借りているので、掘ったらその分、土を埋めて返すことになります」

小松石には3色あり、色によって値段が変わる。
最も安いものが赤みを帯びたもの。次がグレー。最高級品が青みを帯びたものだ。
青いものは全体の3~5%しかないという。

「色によって性質が変わるわけではなく、
基本的には赤や青が混じっていることがほとんどなんです。
ただそれは割ってみないとわからないですね。墓石の場合、
色を1色に統一させないといけないので高価になるんです」

次に向かったのは、重機で山から採った石を割る工場。
ここでは昔ながらの方法で石を割っていた。
ドリルで開けた穴に「セリ矢」と呼ばれる鉄製の道具を入れる。
そしてそれを上からハンマーで叩きつけていく。
いとも簡単にふたつに割れたように見えたが、知識と経験がないとできないものだと、
担当していた川ノ辺創(かわのべはじめ)さんは言う。

セリ矢を打ち込んで、叩いて割る。大昔からこのやり方は変わらないそう。

「修業っていうと大げさだけど、一人前になるまでは5年ぐらいはかかりますね。
やっぱり危ないから。いまみたいにふたつに割るのでも、
木こりが木を倒すのと一緒でどっちの方向に倒すかを決めているんだよね。
知らない人がやって自分の体のほうに落ちたら大変。
『覚える』っていうと違うんだけど、体験を重ねていかなきゃわからない。
理屈も大事だし、体も大事」

真鶴出身の川ノ辺創さん。この仕事を始めて25年になる。

ハンマーとセリ矢。なんと道具は自分で熱して叩きながら改造していくという。「自分のやり方にぴったりあった自分の道具をつくらないと。鍛冶屋までできて初めて石屋は一人前になる」と川ノ辺さん。

「この仕事にはものをつくるおもしろさがあるんです。
石を見て、良いか悪いか判断して、少しずつ割っていく。最終的にはお墓になる。
車や冷蔵庫と違ってつくる過程で機械もほとんど使わないし、
自分の手で、自分の判断で全部できるのはおもしろいね」
と川ノ辺さんは語る。

最後に訪れたのは、割った石を加工する工場。
ここでは大型の重機も動いていたが、やはり手を使って加工している職人がいた。
竹林石材は全盛期は20人ほど職人を抱えていたというが、
安価な中国産の石の増加や、職人の高齢化に伴い、いまでは7、8人になったという。

慣れた手つきで「コヤスケ」という道具を使って石を整える職人。「中学を出てからやっているので、今年で37年やっています」

いまも墓石に使われることが多い小松石だが、建材用に加工しているものもある。

社長である竹林さんは言う。
「小松石は本当にいいものだと思うし、需要が少なくなってきたとは言っても、
小松石が好きな人はいるので、なくさないようにやっていかないといけないと思います」

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アートとしての小松石

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アートに使われる小松石

小松石が利用されるのは産業の分野だけではない。
もうひとつはアートの分野だ。
実は竹林智大さんの伯父にあたる竹林昭吉郎さんは、彫刻家として活動している。
竹林石材の工場のそばにある、昭吉郎さんのアトリエを訪れた。

「親が石材業をやっていたんでね。石に馴染みがあるし、自然と入っていったんです。
うちは4人兄弟全員が石材関係の仕事に就いていますね」
と昭吉郎さんは言う。

彫刻家として活動する竹林昭吉郎さん。

高校生の頃から、絵を描いたり石で「小便小僧」の像をつくったりと、
アートに興味があった昭吉郎さん。
昭吉郎さんの作品は、見たこともないような形のものが多い。
宗教観や愛、宇宙といった抽象的なものを題材に石で表現しているそうだ。
その作品は国際的にも認められ、タイの王室にも所蔵されているという。

「石はどの種類でも好き」と言う昭吉郎さんだが、小松石についてこう語ってくれた。

「日本を代表する石ですから、小松石は。
箱根火山の活動の一環でできた石なので、まさに箱根の一部なんです。
箱根山といったら日本を代表する山です。
大和の心とか、そういう風なものを持った石なんです」

昭吉郎さんのつくる作品。右の作品は小松石でつくっている。抽象的な作品以外に、仏像を手がけることもある。

時を超え人々を惹きつける「創作の地・真鶴」

昭吉郎さんが「日本を代表する石」というように、
実は以前、彫刻における小松石が世界的に注目されたことがあった。
それが、いまから約50年前、1964年の東京オリンピックに合わせて
真鶴で行われた日本初の『世界近代彫刻シンポジウム』のことだ。

世界各国から一級の声望と実力をもつ彫刻家が真鶴に集い、
お互いに交流しながら作品を滞在制作するというこのシンポジウム。
いまや日本の各地で行われる芸術祭や
アーティストインレジデンスなどの活動の先駆けのようなものである。
そのときに、「日本の石」としてアーティストに提供されたのが小松石だった。

『世界近代彫刻シンポジウム』は朝日新聞社の主催により1963年に開催され、真鶴で制作された作品は東京に運ばれ新宿御苑で野外展示された後、翌年東京オリンピックの期間中に代々木総合体育館の周辺で展示された。(写真提供:真鶴町)

参加したアーティストは、フランスのモーリス・ リプシや
イタリアのカルロ・セルジオ・シニョーリといった、
各国を代表する大御所の彫刻家たち。

巨大な石屏風のような石切り場と砂浜、そして風光明媚な相模湾が眼前に広がる
真夏の真鶴の道無海岸で、上半身裸になりながら、
巨大な石の塊と対峙しお互いに励ましあいながら制作したという。
作業後の日暮れには海に飛び込み海水浴も楽しんだようだ。

写真提供:真鶴町

3か月におよぶ制作期間を経て完成した作品は、
翌年の東京オリンピックの会場の周囲に設置され、
世界中の人々の目に触れることになった。

昭吉郎さんは当時まだ15歳。
「今度の東京オリンピックでも、またやればいいんですけどね」と笑う。

当時は真鶴の海岸に石切場が残っており、そこから採石された巨大な小松石が使われた。作家たちは石切職人をはじめ、地元の人々と交流を深めたという。(写真提供:真鶴町)

シンポジウムが真鶴で行われたことは、ただ単に小松石の採石地だったからだろうか。
海と森に囲まれた真鶴の静かで美しい風景が、
ものづくりの場として人々を惹きつけたのかもしれない。

ものづくりに励む何かが時を超え、真鶴の地に脈々と流れている。
小松石には限りがあり、いつかは山でとれなくなるときがくる。
しかし、そこで育まれたものづくりの心は、
真鶴の美しい風景がある限り続いていくだろう。

シンポジウムには海外の作家6名、日本の作家6名が参加。企画運営を担った「世界近代彫刻日本シンポジウム委員会」のメンバーには、富永惣一や瀧口修造といった美術評論家や、谷口吉郎、丹下健三ら著名な建築家も名を連ねた。(写真提供:真鶴町)

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