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連載

大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ Part3

ローカルアートレポート
vol.014

posted:2012.9.7  from:新潟県十日町市ほか  genre:アート・デザイン・建築

〈 この連載・企画は… 〉  各地で開催される展覧会やアートイベントから、
地域と結びついた作品や作家にスポットを当て、その活動をレポート。

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Ichico Enomoto

榎本市子

えのもと・いちこ●エディター/ライター。生まれも育ちも東京郊外。得意分野は映画、美術などカルチャー全般。でもいちばん熱くなるのはサッカー観戦。

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撮影:増田智泰

土とともに生きてきた人々と家。

大地の芸術祭が始まってから12年。1回限りの展示で終わるのではなく、
地域と長くつながりながら続いてきたプロジェクトもある。
十日町エリアの願入集落にある「うぶすなの家」は、
1924年に建てられた茅葺の古民家を、2006年にやきものの美術館として再生させた家。
やきもの作家の作品が部屋の中や家の隅々に展示され、
地元のお母さんたちの手料理でもてなす食堂が、地域の人によって運営されている。
芸術祭の会期中は毎日、会期以外も5月から10月までの土日祝日、
そして8月は毎日オープンしている。
「あのかまどは鈴木五郎先生の織部焼、お風呂は澤清嗣先生の信楽焼、
洗面台は吉川水城先生の益子焼、囲炉裏と床の間は中村卓夫先生の作品と、
どれも有名なやきもの作家さんの作品で、とても贅沢な家なんですよ」
と、ここを切り盛りする水落静子さんが説明してくれた。

大正時代の古民家を建築家の安藤邦廣の設計により再生させた。織部焼のかまどは実際に使うこともできる。

岐阜の幸兵衛窯の作家、加藤亮太郎の器を使ったインスタレーション。こちらは闇の茶室。

同じく加藤亮太郎の光の茶室での展示。

2004年にこの地域を襲った新潟県中越地震。
この家もそれまでは人が住んでいたが、地震のあと空き家になってしまった。
地震で山が動いたり、地面が割れたり、災害も土と関係あるが、
家の壁しかり、野菜を育む畑しかり、この地域の人たちは土とともに生きてきた。
中越地震を乗り越え、2006年の芸術祭では「土」がひとつのテーマともなり、
そのなかでうぶすなの家が誕生した。
うぶすなの家という名前は、産土(うぶすな)という大地の守り神に由来している。
水落さんは地震のあと、地域のために何かできるなら、と芸術祭への参加を決めたそうだ。

越後妻有はもともとやきものが盛んだったわけではないが、
国宝の火焔型土器が出土するなど、古来、やきものと無縁だったわけではない。
2006年の芸術祭では、陶芸家の吉田明が越後妻有の土に魅せられて妻有焼を興し、
その器はうぶすなの家でも使われている。
惜しくも吉田氏は2008年に亡くなってしまったが、現在も「妻有焼陶芸センター」には、
地元の陶芸家や愛好家たちが集い、初心者も陶芸体験ができるようになっている。
水落さんらうぶすなのお母さんたちも、ときどき妻有焼の土づくりに参加しているという。

山菜ハンバーグ定食と、山菜水ぎょうざ定食(各1000円)。お昼どきを過ぎると、売り切れてしまうことも。

うぶすなの家では、このあたりでとれた新鮮な野菜をふんだんに使った素朴な料理が人気。
今年は2006年や2009年に比べ、お客さんが何倍にも増えた。
会期スタートから連日200人以上、多いときで500人近い人が訪れるという。
「どこからこんなに来てくれるんだろうと思うくらい。
ディズニーランドに行くとか京都や奈良に観光に行くならわかりますけど、
現代アートでお客さんが来るということにびっくりしました。
私なんて最初は現代アートどころか、アートって何だろう? という感じでしたが(笑)。
“3年ぶりに来ました!”と声をかけてくださる方もいて、うれしいですね」
そう笑う水落さんは、訪れるお客さんに
「家がまるごとアートです。ゆっくり見ていってくださいね」
と声をかけ、ていねいに作品の説明をしていた。

また、お母さんたち手づくりの梅干しやわらびの塩漬け、塩麹なども販売しており、
商品のための食品加工場も別の場所にある。
「これだけたくさんの人が来てくれるのだから、特産品にしたいという思いで始めました。
2006年にスタートして6年間で少しずつ、いろいろなことを実現させてきました。
これからも世代交代しながら続けていけるといいなと思っています」

芸術祭の会期以外は5月~10月の土日祝日開館(8月無休)。開館時間10時~16時(食事は11時~14時)、入館料500円。

集落をまるごとアートに。

松之山エリアの坪野という集落に
『坪野フィールドパーク』を出現させた美術家の岩間賢さん。
8月24~26日の3日間は「さとまつり」を開催し、
大がかりな野外舞踏公演『谷蟇(たにぐく)』を成功させた。
岩間さんと坪野集落とのつながりは、15年ほど前、
クラリネット奏者であり東京藝術大学名誉教授の村井祐児さんと出会い、
坪野の茅葺古民家の修復に携わったのがきっかけ。芸術祭がスタートする以前だ。
以来、坪野では芸術祭とは関係なく、
定期的に演奏会を開催するなど独自の展開をしてきた。
岩間さん自身は、若手アーティストの在外研修で、
2006年から5年間、中国に拠点を移すことになるが、2009年に一時帰国したのが、
前回の芸術祭の開催時期と重なり、岩間さんも芸術祭に参加することに。
それから舞踏公演を企画し、着々と準備を進めてきた。

「ここは雑木林で覆われていたのですが、集落のお父さんたちと一緒に切り拓いて、
棚田をつくっています。1000坪あって、まだ現在も下のほうを開墾しているところです。
下にも集落があって、ここが棚田の最上段になるので、
そこが荒れていてはいけないからきれいにしようと思いました」と話す岩間さん。
1000坪の棚田を切り拓くというのは、並大抵ではない。
さらに、棚田の上にはブナ林があるが、手入れが行き届かず、
この10年でだんだん荒れてきてしまったので、この夏から手を入れているという。
「山を守らないと、水もなくなってしまいますし、
そうすると生活もできなくなってしまう。まだあまり進んでいないのですが、
水源を確保して、枝打ちをしたり草刈りをしています」

そこで出た木材を燃やし、その熱で沸かす「八角鉄釜風呂」をつくった。
大きな八角形の五右衛門風呂のような風呂で、実際に入浴でき、スタッフも使っている。
なにしろ、人口20人ほどの小さな集落に、最大70人ほどのスタッフが滞在して
制作しているので、お風呂もみんなが入れるようにつくってしまえ、というわけだ。
最初に修復した古民家がスタッフの生活の拠点と事務所にもなっており、
そのほか集会所などいくつかの場所に分かれてスタッフが滞在。
集落の農家の方がつくった野菜をわけていただき、
石でつくったかまどで食事をつくって食べる。
子連れで滞在するスタッフもいて、なんだか楽しそうだ。

棚田にできた野外ステージ。ここもすべて切り拓いた。舞台美術が完成したのは公演当日の昼間。

最初に改修した古民家は、事務所を兼ね備えたスタッフの活動拠点となっていた。

「ここをフィールドパークと名づけたのは、
子どもたちの遊び場としての棚田を考えたからです。
棚田は使い続ければいいのですが、そうでないとすぐに荒廃します。
田んぼを維持し続けるのはとても大変なことですから、
棚田の使い方を少し変えてしまえばいいのではないかと思ったのです」

現在、修復中の土蔵もある。
2011年3月12日の長野県北部地震で半壊してしまったが、
岩間さんには古民家を修復した際に得た技術があるので、修復可能だと思ったという。
2棟並んでおり、ひとつは江戸後期につくられた土蔵。
この土蔵から見つかった獅子頭を、福島県立博物館や、
会津短期大学の准教授で漆造形作家の井波純さんに依頼してきれいに修復してもらい、
舞踏公演ではダンサーがこれをかぶって舞った。
「福島も職人さんが大変な状況にあると聞いて、
ネットワークづくりをする必要があると思いました。
紡がれていくものと紡がれなくなってしまうものがあって、
無理にすべてを紡ぐ必要はないと思いますが、
消しちゃいけないことってあるんじゃないかなと思って。
これもそのひとつだと思っています」

もうひとつの土蔵は大正時代につくられたもので、
集落に暮らす大工さんにアドバイスをもらいながら修復した。
完全ではないが、ほぼきれいに改修されていて、
土蔵内には村井さんが全国で収集したこけしなどの民芸品のコレクションが飾られている。
「ここはいずれは、美術家や表現者、お客さんなどが来て
家族で滞在できるような場所にしようと思っていますが、
あまり便利にするつもりはないんです。水道すらいらないと思っていて。
近くに清水があるので汲みに行けるんですが、そのためにはバケツが必要だし、
火を起こすにも道具がいる。するとどこかの家に道具を借りに行くでしょう。
ゲストハウスのように便利にすることもできるけれど、
そうするとここに来ても閉じたままで帰るだけになってしまいますから」

さとまつりでは、ここでとれた野菜も楽しんでもらえるようにと、
江戸後期の「壺焼き」といわれる調理法で野菜を調理していた。
壺に練炭を入れ1~2時間くらい蒸し焼きにするというシンプルなもので、
じゃがいももほくほくでおいしい。
「坪野だけに壺焼き、というのは冗談ですけど(笑)。
いま原発の問題もありますが、電気を使わないしくみをそれ以前から考えていました。
あの八角風呂も沸くのに30分もかからないんですよ。
楽しさもあってユーモラスだけど、ちょっとまじめなことも考えているんです」

左は江戸後期の土蔵。右の土蔵は村井祐児さんのコレクションが展示されている。

石焼きいもの原型のような壺焼き。このほか、手づくりパンやどぶろくもふるまわれていた。

続けていくことと、お祭りだからできること。

ここでは継続して取り組んでいくことと、イベントとしてやっていることの両方がある。
ただ岩間さんは、「再生」とか「プロジェクト」という言葉には少し違和感を感じている。
「お祭りというかたちは、とてもしっくりくるので、さとまつりをやることにしました。
こういうことがきっかけとなって、今後続けていけるような
しくみづくりが重要かなと思っています。
土蔵の修復に使う土壁の土はリユース可能なので、
剥がれた土壁を集めて藁と新しい土を混ぜれば、それがまた土壁になる。
ブナ林がきれいになれば、きれいな水が水路に流れていく、というように、
循環的なしくみをつくろうとしています。
全体を大きく捉えて考えると、意外とシンプルにできることがたくさんあると思うんです」
風呂や土蔵は少し高いところにあり、その下に棚田のステージが広がる。
この山あいの谷そのものが、岩間さんが描くひとつの造形作品になっているのだ。

さとまつりのクライマックスは、夜の野外舞踏公演。
音楽パフォーマンス集団「渋さ知らズオーケストラ」などで活躍する舞踏家の
松原東洋さんに魅せられた岩間さんは、松原さん主宰の舞踏家や音楽家、美術家などが
集まった舞踏団「トンデ空静(からしずか)」と野外公演を制作することに。
3年をかけて松原さんとともに舞台を考え、仲間を集い、
集落の方々との協同によって『谷蟇』をつくりあげた。
ダンサーたちは舞台を大きく使って舞い、崖の部分には映像が投影され、
楽隊の音楽と歌声が谷に響く。
人間たちがやがてカエルのように田んぼに還っていく姿が、
プリミティブに、ダイナミックに描かれる。
この特別なステージでの公演は、観客にとってまたとない鑑賞体験になったはずだ。

「愛する仲間たちと、そしてこの地でまた新たな出会いも生まれ、
みんなで一緒にこの舞台をつくりあげました。
芸術祭があったから、これだけのことができたと思います。
僕はここで生まれたわけでもないですが、ご縁があって、
ここを好きになって通い続けています。
この谷あいの雰囲気はとても魅力的で、作品を創造する原点ともいえる場所です。
集落のお父さんたちやお母さんたちには本当にいろいろ手伝ってもらって、
怒られたり、仲良くしていただいたり、小さい物語がたくさんありますが、
いろいろなことが奇跡的につながってできたんだと思います。
これが終わったら、まずはここを静かな坪野に戻して、
それからまた継続していくことを少しずつ進めていこうと思っています」

岩間さんの坪野集落での活動は、まだ終わっていない。
芸術祭がきっかけとなって続いていく取り組みが、今後もきっと増えていくに違いない。

江戸後期のものと思われる獅子頭も立派に復活。公演が始まる前から舞台周辺に出没していた。

『谷蟇(たにぐく)』とはヒキガエルのこと。このあたりでは「ふっけろ」とも呼ばれる。終盤には火を使うなど、大胆な演出が見られた。

「いろいろなものがぎゅっとこの谷あいに引き込まれるようにしてできあがったのがこの舞台」と話す岩間さん。 http://www.oh-mame.com/tsubono 連絡先 info@oh-mame.com(里山フィールドパーク実行委員会、岩間宛)

information

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大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2012

2012年7月29日(土)~9月17日(月・祝)
越後妻有地域(新潟県十日町市、津南町)で開催
作品鑑賞パスポート 一般 3500円 高・専・大学生 3000円
http://www.echigo-tsumari.jp

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