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女川サンマ漁・水産加工業が歩む、復“幸”への道

TOHOKU2020
vol.010

posted:2012.10.18   from:宮城県女川市  genre:活性化と創生

〈 この連載・企画は… 〉  2011年3月11日の東日本大震災によって見舞われた東北地方の被害からの復興は、まだ時間を要します。
東北の人々の取り組みや、全国で起きている支援の動きを、コロカルでは長期にわたり、お伝えしていきます。

writer's profile

Tomohiro Okusa

大草朋宏

おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。

サンマを中心とした水産加工でまちづくり。

ほとんどの建物を失った女川のまちのなかで、早朝の魚市場は活気が渦巻いている。
サンマのシーズンということもあり、3隻の大型漁船からサンマが水揚げされている。
それぞれ100トン程度、合計300トン以上のサンマが女川から全国に旅立つ。
しかし震災前は最大で1000トンものサンマが女川で水揚げされており、
やっと3分の1程度まで持ち直してきたところだ。

「本当はまだ200トンがくらいが限界なんですけど、
正直、他の東北の港もパンク寸前なんです。
だから女川でももう少し受け入れないと。
今日だけで、北海道から女川までの漁港で約7000トンもの水揚げがありますから」
と話してくれたのは、女川で廻船問屋「青木や」を営む青木久幸さん。
港自体の復興が間に合っていないので、
物理的にもたくさんの漁船を受け入れることはできない。
さらに、港の周囲で壊滅的なダメージを受けた水産加工業者は、
ほとんど手付かず状態。
「今までは水揚げしたさんまを各地に発送する以外にも、
いろいろな方法で処理していました。
冷凍保存、二次加工、他の魚の餌、圧縮して肥料など。
しかし今、地場でのこのような処理は、まだかつての10分の1程度しかできていません」
と青木さんは言う。

漁船は、どの港に水揚げしてもいいので、たとえ水揚げ量が増えたしても、
港周辺の水産業全般が盛り上がらないと
本質的な意味での復興への道とは言い難いのだ。
やはり復興予算などは一次産業に優先的に使われていく。
それは仕方がないのだが、それでは受け入れ側の態勢が整っていかない。

大きな被害を受けた女川魚市場周辺の水産加工業のなかで、
「マルキチ阿部商店」の工場も流されてしまった。
現在は少し離れた場所に仮工場を借りて経営している。
現在の主力商品はオリジナル商品の「リアスの詩(うた)」というさんまの昆布巻き。
このあたりに伝わる郷土料理のようなものだ。
今の仮工場では、これしかつくれないという。

廻船問屋「青木や」の青木久幸さん(左)と「マルキチ阿部商店」の阿部淳さん(右)。

女川魚市場周辺にあった水産加工業者の多くは、辞めてしまったり、
石巻や仙台など他の地域に移転してしまい、女川に残っているひとは数少ない。
「せっかくの技術力がもったいない。
サンマの切り身ひとつにしても、それぞれのノウハウを持っているはず。
こんなときこそ、みなさんの持てる力を結集して、
まちの財産としていきたいんです」と、
阿部さんは水産のまちとして、その技術を用いたまちおこしをイメージしている。

そこで阿部さんや青木さんをはじめ、町内のさまざまな職種の若手たちが、
「復幸まちづくり女川」という合同会社を立ち上げ、
女川水産業のブランディングに乗り出した。
前出の「リアスの詩」のように、
女川の新鮮な魚とすぐれた技術力を駆使してつくられている水産加工品はたくさんある。
そのなかから20品目ほどを取り扱い、月3000円程度の定期購買などを予定している。

「なるべく一般のひとの意見を取り入れて、巻き込んでいきたい。
本当は、土地の造成などが終わったあとに場所をつくって、と、
しっかりやりたいんですけど、それでは何年かかるかわからないので、
とにかく事業を立ち上げようと思いました」
という青木さん。このままの女川ではマズイという危機感から、
スピードと熱のこもったものになった。
食べておいしいと思ってもらうこと、これが最大の宣伝効果だ。
そのためにまずは女川の水産加工品を広める活動をしていく

そんな女川PR業務の一環として、
おながわ秋刀魚収穫祭」のホームページをプロデュースした。
これは慶応義塾大学の学生たちと共同で立ち上げられた。
たんなる収穫祭の情報だけでなく、
メディアとして継続するようなコンテンツが読みごたえアリ。
「女川なう。」や「女川絶景」など、
水産以外にも女川のことを知ることができるサイトだ。

さんまを食べることが、最大の復興のお手伝い。

「女川には高校がなくなってしまったので、
しばらくは必然的に外に出ていってしまうと思うんです。
そういうひとたちが、大人になって戻ってこられるようなまちにしたい」
と話す青木さん。
「ただでさえ人口流出が問題だった土地なのに、震災の被害も甚大だし、
戻って来ないつもりのひとも多いと思います。
自分も、別のまちでも同じ仕事はできるので出ていけばいいと言われるけど、
そこは意地ですよね」と阿部さんも決意を新たにする。
こうした復興には「企業によるスピード感のある復興」の必要性を語る阿部さん。
企業が成長して、雇用を生み、水産加工品がもっと全国へと流通するようになる。
「復幸まちづくり女川」がそれを目指す。
もともと右肩上がりの産業ではないだけに、
元通り以上の復興を目指していかないと、女川の未来は震災前と変わらないのだ。

そして女川が活性化するにはサンマを食べてくれるのが一番だと、
女川魚市場で働くひとは口を揃える。

ということで、ここまで読んできて、
どうしてもおいしいサンマが食べたくなってしまったひとに朗報。
10月20日に、「おながわ秋刀魚収穫祭」が東京の日比谷公園で行われる。
女川では毎年行われている収穫祭の出張バージョンだ。
10トンのサンマを無料配布してくれる。数にすると、なんと約6万匹!

「今回の秋刀魚収穫祭に関しては、女川をアピールするつもりではありません。
全国に先駆けて10万トンのがれきを受け入れてくれた東京都に対して
本当に感謝しています。そのお礼なんです」と話してくれたのは、
主催者である女川魚市場買受人協同組合の高橋孝信理事長。
復興に関しても「ボランティアにもたくさん来てもらったし、
義援金もいただきました。それはとても感謝していますが、
本当の復興を支えてくれるには、サンマをはじめ、
たくさん魚を食べてもらうことです。それが一番うれしい」と、高橋理事長。

日比谷公園では、焼きサンマ、生サンマ、女川汁(すり身汁)などが
無料で配布される。もう、この秋、サンマを食べてしまったというひとも、
「おながわ秋刀魚収穫祭in日比谷公園」でもう一匹、いや二匹! サンマをどうぞ。

Information


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おながわ秋刀魚収穫祭

日程 2012年10月20日(土)
時間 10:00〜
場所 日比谷公園
http://onagawa-town.com/sanma/

Shop Information


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マルキチ阿部商店

住所 宮城県牡鹿郡女川町旭ケ丘1-14-8(仮住所)
TEL 0225-53-5432
http://www.kobumaki.jp/

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