連載
posted:2022.12.20 from:岩手県盛岡市 genre:活性化と創生 / アート・デザイン・建築
〈 この連載・企画は… 〉
ひとつのまちの、ささやかな動きかもしれないけれど、創造性や楽しさに富んだ、
注目したい試みがあります。コロカルが見つけた、新しいローカルアクションのかたち。
writer profile
Haruna Sato
佐藤春菜
さとう・はるな●北海道出身。国内外の旅行ガイドブックを編集する都内出版社での勤務を経て、2017年より夫の仕事で拠点を東北に移し、フリーランスに。編集・執筆・アテンドなどを行なう。暮らしを豊かにしてくれる、旅やものづくりについて勉強の日々です。
盛岡のまちづくりに大きな貢献をしてきた〈三田農林〉は、
2010年頃から自社の森で育てた木材などを利用して、
明治・大正・昭和期の古民家のリノベーションに取り組んでいる。
その一部は、商業店舗として活用され、まちににぎわいをもたらす事業となっている。
まずは、そのひとつとして、100年を超える古民家を見事に生かした〈リタ〉の話。
盛岡駅から、北上川に架かる〈開運橋〉を渡り、
盛岡城跡へと続く市街地の入口に〈リタ〉がオープンしたのは2021年10月。
築115年の古民家を生かした美しい空間には、
「温める」に重きを置き出合ったものや、つくり手の顔が見える商品が並ぶ。
店に立つのは、長年アパレルの世界で働いて来た金野大介さんと下山久美さん。
「土に近い場所で、植物とともに暮らしたい」と住まいを探すなかでこの建物と出合い、
〈リタ〉の物語は動き出した。
「20年くらい前に、息子と一緒に畑の真ん中にある貸し家に住んでいたことがあって、
野菜を育てたり、植物に囲まれた畑にテーブルを出してごはんを食べたりしていたんです。
その思い出がすごく豊かで、その空間をまちなかに持って来たいとずっと思っていました」
と話す久美さん。
より自然の多い山の近くでの暮らしも模索したが、
久美さんは市内のセレクトショップ〈kasi-friendly〉のオーナーでもあり、
同店を続けながら「自分たちにできること」を考えるうちにこの場所にたどり着いた。
「畑をやりたいけれども、
周りを見渡せばすでに美しい仕事やしっかりとした生業をもっている方たちがいる。
自分たちにできることは、生産者のプロフェッショナルになるのではなく、
その術や取り組んでいることを伝えることだと考えたんです」と大介さんも話す。
人が行き交うまちなかでありながら、
小さな畑と、庭を愛でることができるこの空間は、ふたりにとっての理想だった。
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天然素材の洋服のセレクトショップとして2010年にオープンした〈kasi-friendly〉。
古着の輸入販売店で働いていた経験から当初は洋服のみを販売していたが、
「お洋服だけを伝えるということに何かモヤモヤしていた」という久美さん。
『冷えとりガールのスタイルブック』(服部みれい著、主婦と生活社)と出合い、
身に着ける素材を選ぶことや、服の着方を変えることが、健康・養生につながると知る。
「洋服を通じて伝えたいことはこれだったんだ!」とぶれない軸ができ、
2014年には人生を変えてくれた「温める」を意味する「カレント」を屋号に法人化。
冷えとりにつながる食品の販売や、頭寒足熱に適した洋服の受注会なども開催し、
10年という歳月をかけて盛岡で愛される店に育って来た。
〈リタ〉も、「温める」という軸は変わらないが、
より「食とからだ」に焦点を当てたものを紹介し、
「五感を育てる」ことも養生につながると、香りやアートに関わる企画展も行う。
そのどれもが、これまでに出合った信頼できるつくり手のものであり、
「利他」を意識したものだ。
店名の〈リタ〉は「利他」に由来し、
仏教用語で「他にこころを向けていくこと」を意味する。
コロナ禍でも注目されるようになった言葉だが、
久美さんは仏教を学んでいた母に幼い頃からその教えを受けて来た。
「自分たちの利だけを求めるのではありません。作家さんにも、集ってくれるお客様にも、
利益の利だけではなくて、ご縁も含めた利があるようにと思っています。
そのときに大切なのは、ほかの人のことだけではなくて、
やはり軸は自分自身にあるということ。自分たちの生活を楽しむことが大前提です」
暮らしから溢れ出るものを大切にするふたり。
イベントなども行う日本間の引き戸を開けば住居があり、
暮らしと商いがつながっていることの大切さを体現している。
「昔の商店とまちの距離感はそうでしたよね。
自分たちがこの場所で毎日気持ちよく過ごして、
溢れ出るものをみなさんにお裾分けできたらと思っています」と大介さん。
「関係人口も増やしたい」と、
敷地外の掃除などを通じて、地域の方との交流を深めている。
「掃除をしていると、おじいちゃんやおばあちゃんが、
ありがとうね、と声をかけてくれます。
そういう会話が生まれると、安心すると思うんですよね。
何かあったときに大丈夫ですかと声をかけることもできる。
当たり前にあった昔の原風景に戻していきたいと思っているんです」
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〈リタ〉は、郵便局やイタリア料理店などが入る
商業空間〈MOCOPLA(モコプラ)〉の一角にある。
この土地と建物は、盛岡のまちづくりに大きな貢献をしてきた
〈三田農林株式会社〉が所有し、貸し出しているものだ。
「この場所を、開かれた、人が集う場所にして、
次の世代へつなげていきたい」という〈三田農林〉の思いに共感したことも、
大介さんと久美さんがこの場所に惹かれた理由のようだ。
〈三田農林〉の初代・三田義正氏は、1910年に盛岡市内に甚大な被害を与えた洪水を機に、
まちの治水のために山を買い、自ら木を植えた人物。
将来を見据えたこの取り組みによって、盛岡のまちは災害から守られてきた。
「植えた苗木が育つのは100年後。すぐに結果を求められることが多い時代ですが、
そうではないこともたくさんあると思うんですね。
この家も、今年116年目になって、
代々培って来た風土だったり、熱意みたいなものがあって今のかたちになっている。
すごくいい空気の流れがあると感じているので、手渡しできるように、
植物も美しく成長させて、空間も美しく保って暮らしていきたいと思っています」
治水のための森林経営をはじめ、初代が志した果樹生産と酪農、さらには不動産賃貸と、
明治から幅広い事業を手がけて来た〈三田農林〉。
こうした古い貸し家の風情を生かしたリノベーションを始めたのは、2010年と最近である。
明治から昭和にかけて建てた約150棟の貸し家を所有し、
昭和40年代までは移築も行われたが、その後は補修だけになり、
いよいよ老朽化すると壊して駐車場にすることが多かったという。
意識が変化したのは、
自社で所有する山林の木材を利用した新築住宅に挑戦したときのこと。
実際に設計・施工を手がけた地元工務店との連携が深まっていき、
彼らから〈三田農林〉が所有する
古い貸し家のリノベーションに挑戦してみたいという声があがったのだ。
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「古いボロボロの貸し家を直して住むということが、
最初はちょっとわからなかったんですよね。
けれども、工務店さんが実際に手がけてくださったら、すごくよかったんです」
と話すのは、長く森林経営に関わってきた〈三田農林〉の取締役 ・藤井貴史さん。
1社のみならず、雫石町の〈森の音〉、盛岡市の〈杢創舎〉、〈岩井沢工務所〉と、
大工の手刻みでリノベーションを手がけられる工務店が、
近くに3社あったことも功を奏し、一軒家、マンション、商業店舗と、
明治・大正・昭和期に建てられた古い貸し家を生かした建物が
この数年で盛岡市中心部に次々と生まれ始めた。
古い貸家の再生には、自社で育てた木をはじめ、岩手県産材や古材を使用している。
事業の根底にあるのは、ローカル経済を優先し、
資源を余すことなく活用したいという思いと、次世代へ残していきたいという思いだ。
国の政策では、低コストで、より早く森林を成林させることが推奨されているという。
しかし短期間で育てた木は質が下がるので、
欠点を取り除いて接着する加工材を流通させることになる。
そうすると市場の値段は変わらないのに製材加工のためのコストが必要になり、
山の所有者の手残りや育林にかけられるコストが減ってしまう。
こうした日本の林業の問題点に対して、
5代目の取締役社長を務める三田林太郎さんはこう話す。
「これでは山を持って林業をしようという人が少なくなってしまいますよね。
時間はかかりますが、無垢のままで使用できる美しい木を育てれば、
見た目も美しく、湿度調整にもすぐれているので商品価値を上げることができる。
接着剤も使用しないので、将来繰り返し使うこともできるのです」
そして藤井さんは、実際に自分たちの育てた木が
リノベーションに使われる様子を見ることで、
森林経営について思いを巡らすことになった。
「貸し家再生を始めたことで、
自社の建物で実際に使われる材を見ることができるようになり、
何年で枝打ちをするとより美しい木ができるとか、
この柱の太さまで育てるためにもう一度間伐をしようと考えるなど、
森林づくりの計画にも還元できるようになりました」
入口になる森林事業と、出口になる不動産事業、両方を担うようになった〈三田農林〉。
彼らがいつも考えているのは、このまちや人の未来だ。
「拡大ではなく、
既存の“まちの内側”を大切にしていくことが私たちの義務だと思っています。
新しくつくるほうが簡単かもしれませんが、
既存のまちの再生からは逃げるわけにはいかない。
貸し家を活用しておもしろい活動をしている人が人を呼ぶ、
自分もやってみようと思える、
小商いがたくさん生きるようなまちになっていけばいいなと思っています」
林太郎さんは今、盛岡駅から古い市街地を通り、
仙北町駅を結ぶ路面電車の開設までも訴える。
「車を使わずに回遊できるようになれば、“まちの内側”で立ち寄る場所が増えるはず。
駐車場収入ではなく、まちのお店が潤うことが本来の姿だと思うんです」
ここにも「利他」の意識がある。先人が木を植えたから守られて来たまち。
先人が育て続けて来たからこそ今使うことができる木々。
リノベーションすることで未来へ生かされていく建物と風景。
そこに住み、伝え継ぐことを決めた人たち。
盛岡という地で育まれて来た魂や思いは、これからも未来へ受け継がれていく。
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三田農林
Web:三田農林
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