連載
posted:2014.1.28 from:京都府京都市 genre:ものづくり
sponsored by 貝印
〈 この連載・企画は… 〉
「貝印 × colocal ものづくりビジネスの未来モデルを訪ねて。」は、
日本国内、あるいはときに海外の、ものづくりに関わる未来型ビジネスモデルを展開する現場を訪ねていきます。
editor profile
Tetra Tanizaki
谷崎テトラ
たにざき・てとら●アースラジオ構成作家。音楽プロデューサー。ワールドシフトネットワークジャパン代表理事。環境・平和・社会貢献・フェアトレードなどをテーマにしたTV、ラジオ番組、出版を企画・構成するかたわら、新しい価値観(パラダイムシフト)や、持続可能な社会の転換(ワールドシフト)の 発信者&コーディネーターとして活動中。リオ+20など国際会議のNGO参加・運営・社会提言に関わるなど、持続可能な社会システムに関して深い知見を持つ。http://www.kanatamusic.com/tetra/
photographer
Suzu(Fresco)
スズ
フォトグラファー/プロデューサー。2007年、サンフランシスコから東京に拠点を移す。写真、サウンド、グラフィック、と表現の場を選ばず、また国内外でプロジェクトごとにさまざまなチームを組むスタイルで、幅広く活動中。音楽アルバムの総合プロデュースや、Sony BRAVIAの新製品のビジュアルなどを手がけメディアも多岐に渡る。https://fresco-style.com/blog/
COS KYOTOは、現代の素材・技術・人を融合し、
京都でリデザインする会社。
ランプシェードに西陣織の引箔を使った「十六夜(いざよい)」の製造工程を取材した。
京都では五世紀から織物づくりが行われており、
現代においては京織物の代名詞となっているのが「西陣」。
西陣とは、応仁の乱時に西軍(山名宗全側)が
本陣を置いたことにちなむ京都の地名。
応仁の乱後には各地に離散していた織物職人が京都に戻り、
西陣の地で京織物を再興したことから「西陣」と呼ばれるようになった。
西陣織は、完成までには20を超えるプロセスがあり、
それぞれの工程が専門家によって分業化されている。
今回、西陣織の製造卸を手がける田村屋二代目の田村隆久さんに
西陣織の工程を見せていただいた。
織、糸染め、引箔の工房をそれぞれ訪ねた。
まずは染めの工程。
田村屋のような機屋(はたや)が着物や帯のデザインを考え、色を決め、
絹糸を染め屋へ持っていく。
絹糸に蚕が出すタンパク質「セリシン」が付着している
それを丁寧に洗い落とすと、糸は柔らかくなる。それから染めに入る。
機屋(はたや)ごとに出したい色が違う。
染屋の職人はそれに対応した色を出していく。
それぞれの色を出す“さじ加減”は長年の経験によるものだ。
「西陣の絹糸も国産のものが少なくなった。
中国産が7割。ブラジル産のものもある。
ブラジル産は日系人がつくっているので質がいいです。
国産では群馬産の糸がいいです」
西陣織では金箔や銀箔を織り込む。その素材が引箔。
和紙に漆を塗り込み、その上に金箔や銀箔を貼る。
和紙は楮(こうぞ)の樹皮繊維を原料として漉いた楮紙。
一万円札の材料にもなっているもの。
そこに硫黄を含んだ熱を加え、焼き付けることで
さまざまな深みのある色をつくる。
この引箔を最終的に0.3mmくらいの糸状に裁断し、織り込む。
COS KYOTO代表の北林 功さんに引き箔の魅力を聞いてみた。
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「色合いですね。日本の金って金ぴかじゃないんですよね。
黄金という言葉が表しているように、金に深みがある。
そして細かく裁断する技術も持つのです」
硫黄の熱で色を変化させていくと
青貝色といわれる光沢のある青や、さらに赤貝色といわれる赤が出てくる。
色や風合いを出す方法は無数にあるが、それぞれの引箔屋の企業秘密でもある。
今回は一般的に知られている製法の部分のみを掲載させていただいている。
できあがった引箔は、裁断して糸状にし、絹糸とあわせて織りこんでいく。
機屋さんが図案と配色を決め、「紋意匠図」をつくる。
デザインにあわせて必要な糸をそろえたら
「整経」という縦糸を織機にかけるために整える作業を行う。
この整経専門の職人がいて工程は分業されている。
そして、「紋意匠図」にあわせて織っていくのが織り屋。
「同じ機械を使っても職人さんによって、できが違う。
糸を変えるタイミング、織る速度も違う。
裏向きに織っているので、鏡で確認しながら織っていくんです」と田村さん。
「機械の力を借りた手仕事」だという。
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「西陣」は、いまは京都ブランドとして、
西陣のエリアにかかわらず西陣織組合に加盟している業者の京織物を
「西陣織」と呼んでいる。
しかし最盛期に2800軒だった西陣織加盟も1200〜1300軒ほどに減っている。
昭和42年が出荷量のピーク。その10%を切っているという。
ピークの十分の一。
「いい技術を持っている方は高齢化している。
跡継ぎがいないところは廃業されてしまう方も多い。
そして一度、廃業してしまうと再生は難しい」と、田村さん。
田村さんもイタリアの服飾ブランドにいったんは就職したものの
三十代で父の跡を継ぎ、西陣・田村屋の二代目となった。
帯は高額のものなのでどうしても富裕層向けのものとなる。
西陣織の将来に対して危機感を強く感じていた田村さんが、
COS KYOTOの最初の心強いパートナーとなり、
西陣織の職人さんたちを説得して回ったことが
「十六夜」の実現へ向けて大きな一歩となった。
西陣の引箔をつかった照明器具。
「十六夜」のデザインを託されたインテリアデザイナー・「everedge」井上拓馬さんを
はじめとするCOS KYOTOのクリエイターたちのアイデアは、
京都の老舗和風照明製造店・三浦照明との出会いで商品化に至る。
三浦照明は明治の頃、琵琶湖疎水工事が施され、
京都で日本最初の水力発電が始まった時代から
電気工事業と共に家電製品や照明器具を自分たちの手で製造し、販売してきた電気店。
今は和風照明づくりに特化している。
京都で旅館や店舗の電気まわりを手がけてきた。
今の社長で4代目、創業100年以上の企業である。
木と和紙、竹、真鍮などを使い、伝統的な行灯や提灯の風合いをもった
照明を制作してきた。
素材によってそれぞれの職人を抱えている。
「光源は隠すように心がけてます。
和紙や竹を使って、柔らかな暖かい光になるように。
空間の光を設計するときも、コンビニのような明るさにはしたくない。
点で光源をとる。陰影があったほうが空間に奥行きがでる。
居心地の良い空間ができます」
と三浦照明社長の三浦太輔さん。
こうしてできた「十六夜(いざよい)」は、
日本人の持つ感性を大切にしたものづくりを体現したものと言える。
COS KYOTOと西陣織、和風照明の出合いで
それぞれの技術を妥協することなく融合させた一品となった。
十六夜とは陰暦16日。
十六夜の月は、十五夜の満月に比べ、やや遅い。
月がためらっていると見立てる古語。
はじらい、ためらい、といった女性の心象を表している。
繊細な引箔を通しての陰影をCOS KYOTOのクリエイターたちは、
十六夜(いざよい)と連想した。
西陣の引箔を使った和風照明 「十六夜」は
COS KYOTOの最初のプロデユース作品となったのだ。
information
COS KYOTO × 田村屋 × 三浦照明 × everedge
COS-KYOTO:https://www.cos-kyoto.com/
西陣織・株式会社田村屋:http://www.hotaruan.jp/
和風照明・三浦照明株式会社:http://miurashomei.co.jp/
デザイン・株式会社everedge:http://www.everedge.jp/
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