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淡路島美術大学 Part1:
民藝の精神を引き継ぐ「あわび焼」。

貝印 × colocal
ものづくりビジネスの
未来モデルを訪ねて。
vol.033

posted:2014.1.7   from:兵庫県兵庫県淡路市  genre:ものづくり

sponsored by 貝印

〈 この連載・企画は… 〉  「貝印 × colocal ものづくりビジネスの未来モデルを訪ねて。」は、
日本国内、あるいはときに海外の、ものづくりに関わる未来型ビジネスモデルを展開する現場を訪ねていきます。

editor profile

Tomohiro Okusa

大草朋宏

おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。

photographer

Suzu(Fresco)

スズ

フォトグラファー/プロデューサー。2007年、サンフランシスコから東京に拠点を移す。写真、サウンド、グラフィック、と表現の場を選ばず、また国内外でプロジェクトごとにさまざまなチームを組むスタイルで、幅広く活動中。音楽アルバムの総合プロデュースや、Sony BRAVIAの新製品のビジュアルなどを手がけメディアも多岐に渡る。https://fresco-style.com/blog/

現代の生活で使われている陶器だからこそ、美しい

神話では神や国を産んだ伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が祀られている
伊弉諾神宮があり、
その伊弉諾尊が日本で最初に産み出したといわれているのが淡路島である。
その島に美術大学がある。淡路島美術大学、略して「淡美=あわび」。
とはいっても文科省の認可を受けている本物の大学ではない。
芸術文化や、農、食、暮らしに関わるさまざまな問題を、
ワークショップやイベントを通じて考える“学びの場”だ。
学長の岡本純一さんは、「むさび」(武蔵野美術大学)出身の現代美術作家。
大学院まで彫刻を専攻し、卒業後、同大学で助手として働き始めた。
その後、結婚し第二子が産まれたタイミングで、
出身地で子育てをしようと思い、淡路島にUターンした。

そこで上述の「あわび」こと淡路島美術大学と、
そこで制作されている陶器ブランド「あわび焼」を始めた。

「淡路島には美術館や文化施設が無いに等しく、自分のアトリエと兼ねて、
美術作品を鑑賞したり、ワークショップを開催できる空間をつくりたかった」と
岡本さんはきっかけを語る。
この場所は面白いことに、関西看護医療大学(こちらは本物の大学)の敷地内にある。
同大学はシャトルバスなどで島外から通っている学生が多く、
淡路島に住んでいる学生が少ない。
大学側としても地域に根ざした活動を応援したいということで、
3フロア、計6教室をあわびに貸してくれた。

「だから“大学”という名前を使ってみました。
省略したら”あわび“となるのもユニークで面白いかな」

大学の一画を借りている

大学の一画を借りているので、まるで本物の大学のようなたたずまい。

独学で始めたあわび焼

あわびでつくられた陶器を「あわび焼」という名でブランド展開している。
しかし岡本さんの陶芸は技術を独学で得たものであり、○○焼などのルーツもない。
淡路島に戻って以来、3年ほどは、自分が納得できるものが完成するまで、
自分と向き合い修業する日々。作品も溜まる一方。
やっと公に販売を開始してから、まだ1年余りである。

彫刻学科出身の岡本さんだけに、
石膏の型取り技術を活かした作陶が行われている。
まず石膏型をつくり、
そこにタタラと呼ばれる粘土板を当てはめて型取りする「タタラづくり」。
この手法だと「自分の本当に思ったかたちにつくれる」という。
手跡も多少残ってしまうが、それは自然な温かみになる。

岡本純一さん

1枚1枚、丁寧に削り込んでいく岡本純一さん。

大学時代から陶芸にいそしんでいた。
大学で助手を務めていたときも、毎週のように骨董市、がらくた市を巡り、
民藝品や骨董品を収集して使っていた。

だから「10年間、買い集めてきたものが師匠です」と臆せずに語る。

「一番共感しているのは民藝の思想です。もっとも美しいものだと思っています。
しかし民藝運動が盛んだった時代のものは、
良くも悪くもあの時代だからできたもの。
いま見た目だけ似たようなものをつくっても意味がありません」

民藝とは、大正から昭和初期にかけて、
無名の職人による実用的で日用的な工芸品に、用の美を見出した運動だ。
その文化的な背景や感性は引き継ぎながらも、
マネごとではなく新しい民藝を目指さなくてはならない。
アーティストらしい思考だ。

ときには指を使い成形

ときには指を使って、繊細な形をつくっていく。

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みんなが使うものに、自分のこだわりは要らない

あわび焼のデザインは、いわゆる手づくりの陶芸作品や
民藝というキーワードから想像するイメージとはちょっと違う。
少しデコラティブな洋風の食器たち。
かつて家庭にあったような懐かしさも感じる。

「現代は毎日焼き魚とか煮物を食べているわけでもありません。
カレーとか、パスタとか、洋食も普通ですよね。
そんな生活に違和感なく受け入れてもらわなければならないんです」と、
用の美を強調する。
使われないものをつくっても意味がない。それが民藝の精神だ。

「陶器は1万年もちます。縄文土器が出土するわけですから。
つまりぼくたちがつくったものは、1万年後まで残ってしまいます。
だとすれば100年以上、いやもっと使ってもらえるものが
よい作品なのではないでしょうか。
強度的には使えても、いいものじゃないと受け継いでもらえません。
100年後を意識すると同時に、
現代人の生活に寄り添っていけるものづくりを目指しています」

「残すことができる」ではなく「残ってしまう」と表現した。
まるで負の遺産のように。自分が生み出しているものへの責任感。
土からできているものだから、環境へのインパクトは大きくないが、
岡本さんが民藝に共鳴したように、
将来、あわび焼を手に取ったひとがどのような感情を抱くのか。
現代のものづくりは、その段階まで意識しなくてはならないのかもしれない。

輪花皿

フチにかわいいデザインがほどこしてある輪花皿。

人気があるのは、グラタン皿や輪花小皿だ。
これらはあわび焼のアイデンティティを表現する“あわび焼らしい”お皿。
奥さんの寛子さんや周囲の友人には
「もうすこし丸くてシンプルなお皿も増やしてほしい」といわれるらしいが
「たしかにぼくたちが日常生活で使うなら、
もう少しシンプルなもののほうがライフスタイルに合います。
でも、みんながぼくたちと同じ価値観を持って生活しているわけではないし、
自分が使いたいものというよりは、たくさんのひとに使ってほしいんです。
だから器のデザインにおいては、自分の価値観を極力消しています」と、
自分のこだわりを持たないことにこだわりを持っている。

色付けされた輪花皿

人気のある輪花皿にはバリエーションが多数。

商品が普及することが、
岡本さんが「一番美しい」と思う民藝のあり方に近づいていく。

民藝運動が盛んであった時代以前は無名の職人がつくっていて、
技術へのこだわりはあったが、“美しいもの”をつくっているという意識はなかった。
用に忠実で、当たり前のように、たんたんと仕事をしていた。

「ぼくが“美しいものをつくってやろう”と思った瞬間に、
美しいものはできなくなると思います。
いやらしさが生まれて、民藝の考え方からは外れていきます」

さらに形をつくるひと、絵を描くひと、窯を焚くひとなど、
分業も進んでいたために、よりアノニマスに近づいていく。
あわび焼でも、それにならって分業化の実験も行っている。
輪花小皿は、岡本さんがデザインをして原型をつくる。
それを発注して石膏型ができ、型取りし、素焼きをしてもらう。
そして戻ってきたものに、岡本さんが釉薬を付けて焼成する。

意匠の美しさではなく、長く使えるものこそが美しい。
そんな感覚を味わえるあわび焼である。何年経っても使えそうだ。

これだけ並んでいても、手仕事のため、なかなか量産はできないという。

information

map

淡路島美術大学

住所:兵庫県淡路市志筑1456-4 関西看護医療大学内

Web:http://awajibidai.net/

あわび焼(Awabi ware)

Web:http://awabiware.net/

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