連載
posted:2015.3.31 from:新潟県十日町市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
カフェ&ギャラリー「GARAGE Lounge&Exhibit」を東京に構え、
新潟県十日町市では「山ノ家カフェ&ドミトリー」を運営するgift_(ギフト)の後藤寿和と池田史子。
都市と山間部、ふたつの場所を行き来しながらさまざまなプロジェクトを紡いでいきます。
多拠点に暮らし、働くという新しいライフスタイルのかたち。
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gift_
ギフト
2005年、後藤寿和・池田史子により設立されたクリエイティブユニット。空間や家具のデザインや広い意味での「場づくり、状況づくり」の企画を行う傍ら、東京・恵比寿にてギャラリー・ショップ「gift_lab」を運営。2012年、縁あって新潟・十日町市松代に「山ノ家カフェ&ドミトリー」をオープン。現在東京と松代でのダブルローカルライフを実践中。2014年秋に東京の拠点を清澄白河に移転。東京都現代美術館にほど近い築80年の古ビル1階に「GARAGE Lounge&Exhibit 」をオープン。東京でも “ある「場」”としてのカフェが始動した。
アルゼンチンのアーティストユニット「メフンヘ」が、
冬の松代、山ノ家を拠点にフィールドワークを重ねる中で出会い、魅了された、
雪国の食品保存技術である「雪室」。
雪中に食品を埋めて保存することで、冷凍でもなく冷蔵でもない、
絶妙なチルド温度帯の中でじっくりと低温熟成して、食品を越冬させる雪室保存法。
どぶろく! でした。
この越後妻有の地は、魚沼産コシヒカリを産出する米どころでもあり、
地酒もとても美味。なかでも、ふたりはどぶろくが大のお気に入り。
これを雪中熟成させたらどうなるんだろう?と、お正月から滞在した後、
1月中旬に、そっとそれを雪中に埋め込んで、
来る春分の日に再び戻ってくることを誓って、
当時拠点にしていた九州は別府に戻って行ったのであった。
そのころ、山ノ家では、当地の名物料理を創作すべく、
メフンヘたちの雪室保存フィールドワークと並行して、
研究対象となった、この地の伝統料理「いちょっぱ汁」のフィールドワークを
シェフ ミナコさんが精力的に行っていたのでありました。
当初は、各家庭ごとに存在する製法を丁寧にヒアリングしていたものの、
このように多様に製法が存在するならば、どれが正解というものではない、
自分の舌がおいしいと感じる味がおいしいのだ、という確信に至り、
比較的濃いめの、いかにも雪国らしい当地風の味付けではない、
上品な薄味の、自分スタイルの「いちょっぱ汁」に到達。
そして、もうひとつの研究課題であった、やはり地元特産の「蕎麦」。
麺類としての蕎麦にこだわらず、何とマフィンに仕立て上げた。
1月中に、山ノ家を含む松代の飲食店オーナーたちが、
ほとんど毎週繰り広げたお互いの試作発表・試食会は、
かなりのサプライズな「作品」の連続で、
伝統的な「いちょっぱ汁」を餃子の皮に包んだ小籠包仕立てなどなど、
この地の料理人たちの、何ともユニークな、とめどない発想力に絶句し、爆笑する日々。
この試食会への参加を通じて、もともと、飲食業が本業ではなかった
現地立ち上げメンバーの3人の女子たちは、
めでたく、地元飲食業界に仲間入りを果たしていたのでありました。
そして、迎えた「松代新名物創作料理発表会」は、大盛況!
いったい、この見渡す限りの雪の壁の中のどこにひそんでいたのであろうか?
という元気な地元のみなさんが、まつだい駅に直結する市民ホール、
その名も「常春ホール」に続々と集結し、
用意した試作たちはあっという間にあとかたもなく消費され、
私たちも、100メートル走を疾走した後のような心地よい疲労感に包まれて初の発表会を終了。
そのおよそ、1か月後に、せっかくおいしく作った、
この山ノ家オリジナルいちょっぱ汁を、
冬の地元催事としては最大のイベント「冬の陣」(これも説明すると長いのだが、
まつだい駅から見える小高い丘の上に立つ松代城を征服する雪上トライアスロン
のようなもので、全国からトライアスラーが大挙して参加する名物イベント)
の屋台村にも初出店!
なんせ、人生史上、山ノ家女子たちは、屋台出店など経験がない。
右も左もわからぬまま、かなり手探りで準備して、
現場では、のぼりも自分たちで立てられないことをからかわれながらも、
山ノ家の良き隣人、鈴木家に手取り足取り助けられて、何とか決行。
この後も、毎年、この連合チームで出展準備するのが恒例となったのであった。
申し遅れましたが、当地では、2月中旬の「十日町雪祭り」に始まり、
その後およそ1か月、毎週末が次から次へと、息つく暇もなく
各地でさまざまな「雪」イベントが繰り広げられている。
そのような冬のイベントを、ふうふうと、こなしている間に春分が近づいてくる。
気がつけば、そうか3月も下旬なのだ、となる。
降雪期にこれでもかと雪で遊んでいるうちに春の足音がしてくるなんて、なかなかいい。
雪に閉じ込められて、落ち込んでいる暇などないのだ。
これも雪国をサバイバルする智恵なのかもしれない。
そして、雪は当地の人の心をつなぐ架け橋でもあるのである。
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11月下旬から降り始める雪は、12月中は降ったりやんだりを繰り返し、
年末くらいから、おそろしい量の雪がばっさばっさと降ってくる。
雪かきしても雪かきしてもきりがない。
因みに、当地は3〜4メートル積もるのが当たり前という超豪雪地域のため、
雪かきを「雪堀り」と呼ぶ。そして、その掘った雪は、毎朝決められた時間帯に、
流雪溝なる道路脇の流水溝にどぼんどぼんと落として流していく。
2012年から2013年にかけての冬、雪堀り&雪流し初年度のわれら、
まったくもってへっぴりごしにスコップやらスノーダンプやらと格闘していた。
すると、地元のみなさんも誰も立ち寄ってなかった山ノ家の前に
すすっと隣人たちが駆けつけては、正しいスコップの持ち方やら、
スノーダンプの滑らせ方を熱心に指導してくれた。
芸術祭閉幕後、長い長い孤独な日々を耐えていた私たち。
毎日雪かきをする私たちの姿で、
この人たちは、夏だけ遊びにくる人たちではなくて、
ここに住んでいる仲間なのだと認識してくれたのである。
同じ釜の飯を食う、というが、さしづめ、ここでは、同じ雪を片付けた仲間には、
深く確かな相互信頼と厚い仲間意識が形成されていくことを知ったのであった。
毎日の雪かきが雪国の住民としてのイニシエーションだったのである。
春分。越冬したどぶろくを掘り起こしにメフンヘたちが帰ってくる。
実は、九州に旅立つ前に、彼らは、ぜひ掘り出しセレモニーをしたい。
隣人のみなさんといっしょに、掘り出して一緒に味わいたいのだけど、と
言い置いていったのだった。
さて、しかし、近所のみなさんにどう呼びかけようか?
何だか唐突だよね。
山ノ家チームと、どぶろくの作者、われらが若井さんとともに、
智恵をしぼっている時に、ふと、若井さんがつぶいた。
「そう言えばさあ、子供の頃、こういう時期にかまくらつくるんだよね。
冬の終わりは雪が締まって造形しやすくて融けにくいから、
それでつくったかまくらで朝まで夜更かしするんだよ。
楽しかったなあ」
彼はすっかり少年時代の顔になってにこにこしている。
その楽しそうなバイブレーションは、時を超えて、私たちにも作用した。
そうだ、かまくらだ!
大きいかまくらつくって、そこでどぶろく飲まない?
どぶろく鍋とかどうかな?すごくおいしいよ!
じゃあさ、じゃあさ、どうせなら、夏にやろうとしていまひとつ不発だった、
「茶もっこ」冬の終わりのお祭りバージョンにしない?
さて、「茶もっこ」とは何ぞや?
ここ松代の山ノ家がある商店街はもともと宿場町で、
疲れた旅人を迎え、もてなし、癒す場であった。
気軽に温かく軒先に招いて、お茶をふるまって語り合ったりしていたらしい。
そのもてなしを「茶もっこ」と呼んでいたという。
山ノ家がこの商店街に降り立った昨夏、若井さんや、山ノ家に隣接する
再生民家「おらこ」のオーナーであり、地元の校長先生だった富澤恵子さんたちが
中心になって、せっかく、久しぶりの新来の仲間となった山ノ家のために、
(元気がなくなってしまった)この商店街を盛り上げようではないか! と、
通り沿いの商家や民家の軒先をオープンにして(家開きして)
おもてなしする「茶もっこ」を復活させようということになって、
日英バイリンガルの商店街「茶もっこ」マップまでつくられていたのだ。
山ノ家チームも、山ノ家立ち上げ準備の傍ら、マップづくりを精力的にサポートして
山ノ家ロゴをつくってくれた Donny Grafiks 山本くんのグラフィックデザインにより
なかなか見事なマップができあがっていたのだ。
が、残念ながら、実際に「茶もっこ」を決行してくれた家はほんの数軒であった。
日常の場で「茶もっこ」を復活させるのは、
いかんせんハードルが高かったけど、非日常の設定で、
ひと晩だけなら何とかなるんじゃないか……
夏の終わりのちょっと残念な反省会の後、ずっと埋もれていた「茶もっこ」を
かまくらどぶろくの宴とかけ合わせてしまおう!
夏の茶もっこ仲間が集まって、と言っても、山ノ家、若井さん、富澤先生という
いつものブレスト仲間だけではあったが、盛り上がる。盛り上がる。
この1か月後、GW前後にやっと融けきった残雪のあとにいっせいに芽吹いて
ぐんぐん伸びて行く山菜の群れを見た時に、なんとなくこの時の、
きらきらした瞳のメンバーたちの高揚感を思い起こしたものである。
そして、春分当日。
「茶もっこ」を行っている家の前には、やはり Donny 山本くんの手になる
フラッグが立てられた。その4つの会場は歩いても、10分くらいで回れてしまう
小さな輪だったけれども、聞きつけた地元の人たちが詰めかけてくださって、
メフンヘたちが大勢の地元のみなさんが見つめる中で、嬉しそうに、
タイムカプセルを発掘して、越冬どぶろくを取りだすや、
集まった人たち全員でやんやと酌み交わしたのであった。
メフンヘの「タイムカプセル」埋没地点の正面に堂々と屹立する、
若井さん作の大かまくらをメイン会場に、
隣接する若井さんの民宿「みらい三号館」(どぶろく製造所を兼ねている)
の囲炉裏端では、この界隈きっての料理上手が腕をふるう。
伝統料理の継承や食育指導でも活躍している、笑顔がすてきな、
私たちが大好きなお母さん、高橋 笑さんの美味しい手料理を
地酒とともに振る舞った。富沢先生の「おらこ」ではお餅が焼かれ、甘酒をくみかわし、
その隣の山ノ家では、いつものエスニックメニューでもてなした。
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地球の裏側からの客人メフンヘを喜ばせたいばかりに
復活再編成された「茶もっこの宴」は、実はその後も重ねて毎年開催されている。
お盆の終わりの週末に、
通り沿いに行灯をずらりと並べて行なう「夏宵の行灯茶もっこの宴」、
そして春分に行う「春迎えのかまくら茶もっこの宴」。
かまくら茶もっこは、2回目以降、通り沿いに雪行灯をつくったり、
カラフルなLEDを雪の壁に埋め込んだりと、年ごとに思い思いの工夫が施されている。
都市圏からの参加者で賑わう雪行灯(ゆきあんどん)づくりは、
地元のお父さんたちを先生にワークショップでつくっていく。
冬の間、凍っては融け、凍っては融けを繰りかえして、
冬の終わりの雪はざくざくと固く締まっている。
冬の初めのふわふわした雪ではない。砕いた氷のようだ。
その重たく固い雪を、土台となる樽型や、その上にのせて雪行灯にする
小さなかまくらが作れるお手製の木枠に、がしがしと詰めては、
相当重いはずの枠ごと、ひょいっとひっくり返していく。
ちょこんとのった上部のちいさなかまくらをスコップでかいて
灯りをともせるように内側を空洞にして、ろうそくを灯せばできあがり。
お父さんたちがふたりだけで、小気味良く、台座つきのかまくら型を
通りにどんどんつくっていく。早い早い!
お手伝いの若者たちは、その後について、スコップでこりこりと、
上部のちいさなかまくらの雪をかきだしているだけなのだが、
どんな若者でも高橋嵩市さんや鈴木和男さんといったベテランシニア先生たちが、
バシバシと重たい雪で土台を組んでいくすごいスピードにどうしてもかなわない。
見た目はすらりとスマートなのに、雪国の男たちは本当にタフである。
2015年の今夏、3年に一度の大地の芸術祭の大祭がまためぐってくる。
「茶もっこ」チームでは、お母さんたちが郷土料理でもてなして、
古民家見学や地蔵さまめぐりのガイドをする昼の茶もっこ「昼市」、
お父さんたち中心に、よりパワーアップした夜の茶もっこの宴「夜市」を夏の間に、
3回ずつくらいやりたいねと話し合っている。
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地元のパワフルなお父さんお母さんと山ノ家が出会って、
海外からのお客さまの喜ぶ顔が見たくて点火された「茶もっこ」の灯火、
この後も元気にこの商店街を照らし続けてくれるといいなと思う。
茶もっこの情景。夕方と夜、さまざまな顔。
夏バージョンでは、東京・三宿の商店街がゲストで出店したり、
人気のビストロが一夜だけのワインバーを開いたり。
地元と東京からの参加者が和気あいあいと肩を並べて楽しく盛り上がる姿が本当に嬉しい。
今年も、春分のその日、元気に行われたかまくら茶もっこ。
まだまだ雪が残っていますが、そろそろ、ここ松代にも春の足音。
そして、東京では桜が満開です。
Vol.6につづく
information
山ノ家
住所:新潟県十日町市松代3467-5
TEL:025-595-6770
http://yama-no-ie.jp
https://www.facebook.com/pages/Yamanoie-CafeDormitory/386488544752048
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