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連載

〈界 遠州〉から足を伸ばして。
ナウマンゾウに導かれて、
太古の風景を探す

星野リゾートの温泉旅館〈界〉で感じる日本各地の魅力
vol.008

posted:2025.7.25   from:静岡県浜松市  genre:旅行

PR 星野リゾート

〈 この連載・企画は… 〉  「王道なのに、あたらしい。」をコンセプトとした星野リゾートの温泉旅館〈界〉。
それぞれの旅館で楽しめる温泉やその地の贅沢食材をその地の調理法を使用した会席料理、
個性あふれるご当地部屋の魅力はもちろん、〈界〉施設周辺地域の風土や歴史を紹介していきます。

writer profile

Toshiya Muraoka

村岡俊也

むらおか・としや/ノンフィクション・ライター。1978年生まれ。鎌倉市出身、同市在住。著書に『穏やかなゴースト 画家・中園孔二を追って』(新潮社)、『新橋パラダイス 名物ビル残日録』(文藝春秋)、『熊を彫る人』(小学館 写真家との共著)など。

photographer

Taro Hirano

平野太呂

ひらの・たろ/写真家。1973年生まれ。東京都出身。主な著書に『POOL』(リトルモア)、『ばらばら』(星野源と共著/リトルモア)、『ボクと先輩』(晶文社)、『Los Angeles Car Club』(私家版)、『The Kings』(ELVIS PRESS)など。

かつてナウマンゾウが歩いた水辺

どうしてナウマンゾウに惹かれるのだろう。恐竜ほど遠い過去とは感じないからかもしれない。牙を生やした象が、わたしたちが見慣れた風景を闊歩する姿を想像するだけで胸が躍る。大きい動物に対する畏怖は、どこか失われた世界に対する憐憫につながっているからかもしれない。映画『もののけ姫』で、巨大な猪の乙事主(おっことぬし)は「わしの一族を見ろ。みんな小さく馬鹿になりつつある」と言う。動物園で見るアジアゾウよりもひと回り小さなナウマンゾウは、乙事主たちが生きていた時代の動物のような気がしてしまう。

ナウマンゾウと聞けば1960年代に大規模な発掘作業が行われた長野県の野尻湖が頭に浮かぶが、それよりも早い1921年、浜名湖沿岸の工事現場から、牙や臼歯、下顎骨の化石が発見されている。地質学者で古生物学者でもある槇山次郎は、その化石を東京帝国大学地質学の初代教授だったハインリッヒ・エドムント・ナウマンにちなんで、「Elephas namadicus naumanni」と名づけ、和名ではナウマンゾウと呼ばれるようになったという。浜松博物館には、ナウマンゾウの骨格標本が展示されていた。

浜松博物館の入り口に展示されている、ナウマンゾウの骨格標本。化石ではない。

浜松博物館の入り口に展示されている、ナウマンゾウの骨格標本。化石ではない。

正直に言ってどの展示も渋く、骨格標本にも迫力は感じられない。けれど、すぐ隣に展示されていた人骨に見入ってしまった。ナウマンゾウの時代に生きた、身長1.4mほどの女性と推定される旧石器時代の化石。浜北人と名づけられている。反対側の壁には、縄文時代後期の屈葬人骨が実際に発掘されたそのままの形で展示されていた。どちらの人骨も、死にまつわる恐ろしさのようなものは既に消えて、物質に回帰している。それでも静かな存在感を放っているのは、土地と人間の関わり方のようなものを問いかけているからか。

発掘された状態で展示されている、屈葬人骨。こちらは本物。

発掘された状態で展示されている、屈葬人骨。こちらは本物。

どれだけ食べたら貝塚ができるのか。わたしたちと変わらない食生活

浜松博物館は、蜆塚(しじみづか)遺跡に隣接している。その名の通り、縄文後期から晩期にかけて、縄文人たちが暮らし、蜆のほか、蛤、アサリなどが貝塚となって残された遺跡。貝塚の断面がそのまま見られるのだが、先に見ていた写真家の平野太呂は「しかしまあ、よく食べたね」と笑っていた。一体、何年かけて食べた貝殻なのだろう。積み重なって分厚い層になっている。貝類だけでなく、陸からは猪や日本鹿、雉、海からは黒鯛のほか外洋性の鰹や鮪、さらに淡水魚の鯉や鮒と、実にバラエティ豊かな食生活を送っていたらしい。ほとんどわたしたちが食べているものと変わらない。再現された藁葺き屋根の住居に入ってみると、天井からわずかに光が差し込み、不思議なほど気分が落ち着いてしまう。この薄暗さによる安堵感は、もっと古い洞窟に生きていた時代の記憶のせいかしら。

縄文人が暮らしていたことは、その土地の豊かさの証明という言説を読んだことがある。食糧が豊富で、周囲から少し小高くなって安全が確保しやすい場所。蜆塚遺跡はまさしくそういう土地だった。当時の自然環境が残されている場所を探して、縄文人が蜆を拾った佐鳴湖の畔を歩く。浜名湖と同じように入江が砂丘によって閉ざされ、汽水湖となっている。そのために多様な魚介類が生息していた。今でも湖には葦が生え、遠景の山々には広葉樹の森がある。コンクリートで固められていない湖には、生き物の棲み家がたくさんある。流れ込む小さな川も、護岸がなされていない。その川原沿いに生い茂った草がところどころ、通路のように刈られていた。土手から覗いてみれば、釣り台に座って魚を狙う釣り師がコンパクトなスペースに収まっていた。生き物がいるところに、人間がいる。いつの時代も変わらない。

背の高い草むらから、ナウマンゾウがぬっと現れる姿を想像する。のんびり釣りに興じている余裕なんてないのだろうか。いや、生き物がいる水辺は、とても穏やかな空気に満ちていたはずだ。

佐鳴湖は、かつて入江であり、汽水湖を経て、現在は淡水湖になった。

佐鳴湖は、かつて入江であり、汽水湖を経て、現在は淡水湖になった。

information

map

KAI Enshu 
界 遠州

住所:静岡県浜松市中央区舘山寺町399-1

TEL:050-3134-8092(界予約センター)

https://hoshinoresorts.com/ja/hotels/kaienshu/

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