〈 この連載・企画は… 〉
フォトグラファー、津留崎徹花が、美味しいものと出会いを求め、各地を訪ね歩きます。
土地の人たちと綴る、食卓の風景を収めたアルバムです。
text & photograph
Tetsuka Tsurusaki
津留崎徹花
つるさき・てつか●フォトグラファー。東京生まれ。『コロカル』のほか『anan』など女性誌を中心に活躍。週末は自然豊かな暮らしを求めて、郊外の古民家を探訪中。
前回に引き続き、大分県の臼杵市におじゃましています。
「きらすまめし」という、酒のつまみにもってこいな一品を教えていただいたのち、
山本道子さん、五嶋昭子さんとあれやこれやと雑談。
そんななか、こんな話が。
「マックとか食べさせんで、石垣もちつくりゃいいのになぁ」と。
その、石垣もちとは、いったいどんなものなのか。
つくっていただけないかお願いをしてみた。
山本「あれやったら簡単やし、ええよ」
わ、嬉しい。
山本「そやけど、あんなもんでええの?
こっちじゃ珍しくないし、昔っから食べとるよ~」
テツ「そうなんですね? 知らなかったです、石垣もち」
山本「えー! そうなん? 知らんの?」
東京生まれの私は、いままで石垣もちという言葉に一度も触れたことがなかった。
九州では当たり前な食べ物も、東京では知られていない。
だから面白い。そうして、石垣もちをつくっていただけることに。
五嶋「これな、石垣もちに使うさつまいも」
段ボールを覗いてみると、太くてしっかりしたさつまいもが一杯に詰まっている。
山本「いまな、大分で売り出してるんよ、甘太くんゆうて、甘いんよ~。
これ甘太くんの焼き芋あるから、持って帰って」
すみません、ありがたくちょうだいいたします。
山本「で、いっぱい宣伝してな(笑)」
了解です。
東京に持ち帰っていただいたところ、その美味しさに悶絶。
甘くて実がぎゅっと凝縮されていて、すごく手のこんだ芋ようかんのような味わい。
すぐさま取り寄せして、親戚中に配りました。
石垣もちとは――
昔は農作業中のおやつとして、小麦粉とさつまいもと塩だけでつくられていたそう。
現代向きに、砂糖や膨らまし粉を使うようになった。
名前の由来は、別府市にある石垣地区の地名とも、
ごつごつとしたさつまいもの様子からとも言われている。
石垣もちは五嶋さんが担当してくださることに。
★石垣もち
材料(アルミカップ21個分)
小麦粉(中力粉):500g さつまいも 正味:650g
砂糖:75g 塩:12g 重曹:小さじ1強 牛乳:約75cc 卵:1個
薄力粉と重曹は合わせてふるっておく。
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五嶋「どうかな、できたかな」
蓋を開ける瞬間が、わくわくする。
もわっと蒸気が上がり、急いでシャッターを切る。
山本「あったかいうちに食べようか」
はい。
テーブルを囲み、「いただきます」
テツ「あつっ、あつっ」
山本「熱いのを、ふーふー言いながら食べるんがいいんよ」
ほふ、ほふ、みんなで熱々の石垣もちを夢中で頬張る。
穏やかで心地のよい空気。
温かくてほわほわで、お芋が甘くてもっちりしていて、なんとも美味しい。
いたって素朴なこの味わいが、ほっとする。
山本「牛乳残ってたな、飲む?」
はい、いただきます。
牛乳とおやつ、という感じが、子どもの頃に戻ったようで嬉しい。
子どもの頃は、牛乳をごくごく飲みながらおやつ食べてたな~。
テツ「小さい頃からよく召し上がってるのですよね?」
五嶋「いまのとは少し違うけどな。砂糖なんかほーんの少し、
牛乳なんか入れてくれんかった、水でな。せいぜいヤギの乳や」
きっと、いまのよりずっと固いのだろう。
山本「芋がとれる時期は、芋のおやつばっかしやったなぁ。
ふかしいも、石垣もち、ひっかぶせ(*1)、じり焼き(*2)、あと焼き芋な」
五嶋「ゴミを焼くときは、必ず焼き芋食べてたわ」
焼き芋か~、懐かしい。最後にしたのは、いつだったのかな。
*1 ひっかぶせ:小麦粉と水をこねて団子状にしたものを、さつまいもとあんこにかぶせて蒸したもの。
*2 じり焼き:小麦粉と水を溶いたものをクレープ状に焼いたもの。
黒砂糖をまぶして食べたそう。
テツ「お芋がとれる時期って、楽しみでしたか?」
五嶋「いやいや、また芋か~って、嫌やったわ」
確かに、毎日だと飽きそうですね。
テツ「おふたりが子どものころ、楽しみにしていた食べ物ってあるんですか?」
おふたりとも天井を見上げ、回想している様子。
五嶋「やっぱし運動会やな」
山本「そうやなぁ」
五嶋「巻き寿司といなり寿司のお弁当は楽しみやった。
雨が降ると延期になるから、やったー! もう一度食べられるって喜んだわ」
五嶋さんの表情がパッと華やぎ、豪快に笑う。
山本「じいちゃんばあちゃん、一族みんなが集まるから、楽しかったなぁ」
五嶋「休み時間が短いやろ、『これ食べるから、残しとけな~!』
っちゅって飛び出したりな」
山本「重箱3段くらいに、寿司とおかずがたんまりで、腹一杯でなぁ」
五嶋「あんましお腹ふくれると、今度走れんしなぁ」
一同(笑)
思い出話に花を咲かせるおふたり。
その表情はとても柔らかくほどけている。
目の奥が輝いてすっと透明になる、この瞬間を見るのがとても好き。
五嶋「こうして思い出すと、懐かしくて楽しいなぁ」
テーブルに肘をつきながら、記憶の引き出しをあちこち開けている様子。
五嶋「いまだと、運動会もオードブル買って来たりするらしいなぁ。
いまのお母さんたちは、手づくりってあんまししないんやな、さみしいなぁ」
テツ「手料理って、やはり大事ですか?」
少し間があった後、
山本「やっぱしな、心に花が咲くような思い出を子どもらにつくってあげんとな。
母親の責任や」
山本さんが優しい目で微笑んでくれた。
お礼を述べて、臼杵市を後にする。
レンタカーを走らせながら、山本さんの言葉を思い返していた。
心に花が咲くような思い出。
我が家にも、運動会お決まりのお弁当があった。
海苔がしっとりとまとわりついたおにぎり。
中には焼いたタラコが入っていて、ぽろぽろと崩れていくのが常だった。
卵焼きは渦巻きがかなり厚めで少し焦げていて、
いかにも母親がつくった様子のものだった。
メインは、我が家で通称スティックと呼ばれている、鶏の唐揚げ。
鶏の手羽元に小麦粉をつけて揚げ、後から醤油を絡ませたもの。
この3つが、くしゃくしゃのアルミホイルに包まれていた。
母は、いまでもときどきスティックを揚げてくれる。
テーブルに置かれたそれを見ると、なんとなく幸せな気持ちになる。
空港までの道すがら、ふとそんなことを思い出していた。
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