連載
〈 この連載・企画は… 〉
夫は中国・西安生まれ、妻は日本・東京生まれ。
そんなペンギン夫婦が、いま暮すのは沖縄・石垣島。
偶然訪ねた島で出会った人、モノ、風景に育まれふたりはあの「石垣島ラー油」を生み出し、
毎日多くのお客様を満腹&笑顔にする「辺銀食堂」を営んでいる。なぜ?どうやって?
夫婦がたどった石垣島のたくさんの風景とともにお届けする短期集中連載です!
writer
Michiko Watanabe
渡辺紀子(本文)
writer
Airi Pengin
辺銀愛理(キャプション)
photographer
Gyoho Pengin
辺銀暁峰
さぁ、いよいよ、今回は、あの石垣島ラー油のお話です。
「あの」という言葉には、いろんな意味が含まれます。
「あの」と言われるようになるまで、
辺銀暁峰、愛理夫妻には、いくつもの物語がありました。
ラー油つくりが、ふたりの趣味だったことはお話しましたよね。
ペンギンに生まれ変わってからも、それは変わりませんでした。
いや、ますます磨きがかかっていました。
石垣島で暮らすようになったふたりにとって、
見るもの、聞くもの、すべてが新鮮で、驚くことばかり。
とくに、島独特の野菜や香辛料には、強く心をひかれました。
お日さまの力と、土の栄養をたっぷりと吸い込み、
海からの風をはらんで、ともかく元気がいい。だから、体が喜ぶ。うれしくなる。
島唐辛子やウコンを入れたら、島ならではの、ご当地ラー油ができるんじゃないの。
そう思ったら、もうすでにつくり始めていました。
今でこそ、ラー油といっても、
いろんなバラエティがあるんだなと、わかりますが、
当時は、小さな瓶に入った、赤い辛い油しかありません。
でも、その頃からふたりは、ご当地ラー油と称して、
ワサビを入れた伊豆ラー油、ピーナツを入れた千葉ラー油、
なんてつくって遊んでいました。
いろんなものを入れて、いくらでも楽しめる。それが、彼ら独自のラー油でした。
ここでつくるなら、当然、「石垣島ラー油」でしょう。
もうすでに、ネーミングはできていたってわけです。
ペンギン夫婦が見た石垣島百景
その4
「ペンギン食堂」
「石垣島ラー油工房」
ギャラリー&雑貨カフェ「石垣ペンギン」
「南風(パイカジ)」
「南嶋民芸」
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島に移住した翌年、2000年春のこと。
公設市場の中で開かれるお祭りに、なぜか参加することになり、
ラー油を出品することにしたのです。
夜なべ仕事で、ジャムの瓶にラー油を詰め、意気揚々と売りに行きました。1瓶500円。
初代・石垣島ラー油、デビューの時です。ところが、50本つくったにもかかわらず、
売れたのはたったの2本。ちょっと、途方にくれました。
せっかくつくったのだからと、
売れ残ったラー油を友人知人に送ることに。
そのうちの1本が、「わしたショップ」本店店長の目に止まります。
そして、「島の食材から生まれたラー油なんて、素晴らしい。
とってもおいしいし、お店に置きたいから、もっとつくってください」
という、願ってもない言葉をもらったのです。
勇気凛々。これ、つまり、商品を発注されたってことですよね。
ただし、このままだと重い、壊れる。
で、プラスチックボトルに変えることになりました。
いろいろ比べて決めたのが、今のかたちです。
ボトルが決まったら、次はラベル。
人何万倍も紙を愛する愛理さんのこと、当然ながら、こだわってます。
ネパールの山中でつくられる、ロクタ紙に決め、
ボトルにフィットする風合いと色を選びました。
また、愛理さんは、プロも舌を巻く絵心の持ち主。
ロゴをデザインし、消しゴムを彫ってゴム印をつくったのも彼女です。
ロクタ紙にロゴ印を押して、ちぎって貼る。
蓋にも紙をかぶせ、芭蕉の繊維からつくられた芭蕉糸で結ぶ。
この、海のものとも山のものともつかない時から、
もうすでに今のボトルと同じかたちだったのです。
2000年夏になると、「わしたショップ」那覇本店に、納め始めます。
何しろ、店長の肝入りです。少しずつ少しずつですが、売れるようになっていきました。
ほどなく、銀座店にも置かれるようになると、片手間でつくることができなくなって、
暁峰さんは、ラー油づくりに専心することになります。
冬になって、雑誌に取り上げられると、
連鎖反応のように、次々マスメディアの取材が増え、
瞬く間に、電話が鳴り止まない日々になっていきました。
ペンギン夫婦が見た石垣島百景
その5
「パポイヤ」
「おでんモリ」
「森の賢者」
「あこうの木」
「本原せんべい」
「一休」
「長一楼」
「なつや」
「暖香(だんこう)」
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さて、ここまで、中身のことを全然お話してませんでしたね。
石垣島ラー油は、島唐辛子、春ウコン、秋ウコン、
ピパーチ(島コショウ)、ニンニク、白ごま、黒豆、
山椒、石垣の塩、黒糖、植物油でできています。
今も、材料は、お祭りに出した時とまったく同じ。
ラー油の下のほうにたまっている「具」の部分、
あそこに、これだけのものがギュッと詰まっているんです。
まろやかな辛みと、スキッと爽やかな香り島唐辛子も、
とびきり香りがいいピパーチも、肝臓にいいとされるウコンも、
島の元気なおじーやおばーが、このラー油のために
まるで、我が子のように愛おしんでつくってくれているもの。
この人たちの協力なしには、石垣島ラー油は成立しないんです。
ニンニクは基本島内産、黒糖はもちろん島のサトウキビ製。
黒豆は味噌にして加えています。
山椒は、暁峰さんの故郷・中国西安と山西省との境にある
韓城産を送ってもらう極上品。体にいいもの満載です。
おじーやおばーの愛情と、ペンギン夫妻のあったかーい気持ちが
たっぷり入った、まさに「ぬちぐすい」(命の薬)。
細胞の隅々にまで行き渡る、幸せの味です。
そうそう、大事なことを言い忘れていました。
このラー油、あまり、というか、ほとんど辛くありません。
遠くで辛みがキラリと光る。そんな味わいです。
辛みよりも、深くやさしく、静か〜に、体の中にしみ渡ります。
おっ何だ、これは、と、体が大喜びする味なんです。
舌はもちろん、体の細胞全員が反応するから、
ついまた、欲しくなるんですね。
2000年春、お祭をきっかけに始まった
「ラー油を売ること」が、その冬には、自分たちもとまどうほどに大進展。
ついには、本職になってしまうなんて……。
人生、何があるかわかりません。
次回は、辺銀食堂と子ぺんぎんについて、お話しますね。
ペンギン夫婦が見た石垣島百景
その6
「やまもと」
「おときち」
「バー・ノブ」
「ル・キュイップ」
「迷亭」
「島野菜カフェ・リハロウビーチ」
movie information
ペンギン夫婦の映画
『ペンギン夫婦の作りかた』
流行語にもなった「食べるラー油」の原点「辺銀食堂の石垣島ラー油」。その誕生の背景にあったペンギン夫婦のきずなとふたりを取り巻く人々の優しい気持ちを描く物語。
辺銀暁峰さん・愛理さん夫妻の自伝本『ペンギン夫婦がつくった石垣島ラー油のはなし』を原案に、国際結婚カップルの帰化申請、食べるラー油の誕生エピソードを『八日目の蝉』『RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ』の小池栄子と台湾の人気俳優ワン・チュアンイーが演じる。
広くて美しい“空”と“海”、石垣島の健康で美味しい“料理”、そして“優しい気持ち”がたっぷり詰まった物語。“笑顔と満腹”が待っています。
DVD&ブルーレイ発売中、DVDレンタル中。
発売元:バップ
Web:公式サイト
book information
ペンギン夫婦の本
『ペンギン夫婦がつくった石垣島ラー油のはなし』
辺銀愛理著 1575円
http://magazineworld.jp/books/all/?gosu=1900
『石垣島ラー油と、おいしいペンギンごはん』
辺銀暁峰 辺銀愛理著 1365円
http://magazineworld.jp/books/all/?gosu=2091
映画『ペンギン夫婦の作り方』の原案となった本が『ペンギン夫婦がつくった石垣島ラー油のはなし』。「ラー油は餃子にかけるもの」という日本人の概念を変えたラー油誕生の秘密がわかります。また映画では描かれなかった夫婦の出会い、そして子ペンギン誕生のエピソードなども紹介されて、読めばますます“笑顔と満腹”に。その続編ともいえる本『石垣島ラー油と、おいしいペンギンごはん』はラー油を使ったレシピはもちろん夫婦が石垣島で出会ったヌチグスイ(命の薬)のおいしいレシピを紹介。あなたの食卓が、変わります!
profile
辺銀暁峰&愛理
辺銀暁峰
中国・西安生まれ。映画監督チャン・イーモウのもとでスチールカメラマンを務めた後、日本へ。この連載の写真も担当。
辺銀愛理
東京生まれ。米国育ち。食べ歩きの本を編集していた父の影響で、血統書付きの食いしん坊に育つ。二人は1993年に結婚し、1999年に石垣島へ移住。現在、石垣島ラー油を製造販売し、石垣島で『辺銀食堂』、那覇で『こぺんぎん食堂』を手掛ける。2010年には『ギャラリー&雑貨カフェ 石垣ペンギン』もオープン。この連載のキャプションも担当。
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