colocal コロカル マガジンハウス Local Network Magazine

連載の一覧 記事の検索・都道府県ごとの一覧
記事のカテゴリー

連載

ペンギン夫婦 
ヨチヨチと石垣島を歩き始める。

ペンギン夫婦と歩く
「石垣島百景」
vol.001

posted:2012.9.10  from:沖縄県石垣市  genre:暮らしと移住 / 旅行

〈 この連載・企画は… 〉  夫は中国・西安生まれ、妻は日本・東京生まれ。
そんなペンギン夫婦が、いま暮すのは沖縄・石垣島。
偶然訪ねた島で出会った人、モノ、風景に育まれふたりはあの「石垣島ラー油」を生み出し、
毎日多くのお客様を満腹&笑顔にする「辺銀食堂」を営んでいる。なぜ?どうやって? 
夫婦がたどった石垣島のたくさんの風景とともにお届けする短期集中連載です!

writer

Michiko Watanabe

渡辺紀子(本文)

writer

Airi Pengin

辺銀愛理(キャプション)

photographer

Gyoho Pengin

辺銀暁峰

辺銀と書いてペンギンと読む、夫婦のはじまり。

これから始まるのは、
遙か南の石垣島に住む、辺銀暁峰&愛理夫妻のお話。
辺銀と書いてペンギンと読む。何とコレ、立派な戸籍名なんです。

中国で出会ったふたりが遠距離恋愛の末、結ばれたのは1993年。
東京でスタートした新婚生活は、毎日、どちらが料理を作るかでもめるような、
何とも珍しい、幸せな形。お料理作りたがりやさん同士の結婚でした。

実はこのふたり、今をときめく、予約8か月待ちの「石垣島ラー油」の生みの親。
新婚当初から、ラー油はふたりの生活に欠かせないものでした。
夫の暁峰さんは中国・西安生まれ。なにしろ西安は、レストランではもちろん、
それぞれのおうちでラー油を手作りするような、中国屈指のラー油どころです。

当然、暁峰さんもラー油作りはお手のもの。
東京でもマイ( our ? )ラー油作りは続いていたのですが、
ある時、編集者だった愛理さんが、取材で訪ねた香港の特級調理師から、
ぽんと膝を打つ大ヒントをもらいます。
以来、試行錯誤を重ねる中、ふたりのラー油作りは革新的に成長し、
「ついに極めたぞ!」レベルまで到達するのです。

まだまだ、石垣島にたどりつきませんね。

1999年3月吉日。那覇夜8時発の琉球海運の船で石垣島に早朝6時に到着。だから初めて見た石垣島の建物はこの「石垣港ターミナル」。朝焼けの中、スーツケースを引っ張って歩き出した。

「きよふく」は1999年3月に初めて石垣島に来た時泊まった民宿。その3か月後、移住する時、借りた部屋が住めるようになるまでの間、2週間くらい滞在した。繁華街にあり、市役所の近く、大好きな中村雑貨の並び、美崎町にも離島桟橋にも近いと良いことづくめ。女将さんが優しかったなー。

民宿「石垣島」。島のお母さんの美味しい手料理が食べたい、と最初に泊まったのが今はなき「民宿石垣島」(現在は宿泊のみ「楽天屋」が管理)。夕方、お客さん全員集められて夕食をいただく。聞いたことがない食材名と料理名、感想を必死でノートに書いた。

私が最初に働いた「舟蔵の里」。当時、従業員の募集がないのに東京から長い手紙を書いてアタック!「舟蔵で働けないなら移住を諦めよう」くらいの気持ちが通じて見事採用(笑)!

ダンナちゃんが働いた郷土料理「ひるぎ」。ホテルミヤヒラ系列。当時店長だった砂川さん(現「あだん亭」オーナーシェフ)から島の食材や料理方を習った。白保から働きに来ていたオバーからもいろんなこと教えてもらったな~!

石垣市公設市場「里子売店」は観光客だった頃、里子ネーネーに「石垣島に住んでみたいな~!」と言ったら「住んだらいいさ~!あなた達なら住めるはずよー!」と優しく言ってくれた恩人のひとり。石垣島ラー油を仕入れてくれた第一号小売店さんでもある。

新栄町「知念スーパー」。新栄町の自宅の裏の「プリマート(現「マックスバリュー」)」とここ「知念スーパー」はほぼ毎日行った我が家の冷凍冷蔵庫だった。特に、貝や島野菜など島の食材が欲しい時は今も買いに行く。食べ方もずいぶん教えてもらったもんです。お気に入りは「ジューシーおにぎり」「中味汁」「白玉入りぜんざい」。おいしーですよー!

最初に住んだ新栄町の元我が家からの眺め。今は取り壊され立派なマンションになった。マルハ鮮魚の大濱長弘ニーニーの漁具倉庫の二階だった。5LDKで1か月7万円。一番小さな部屋が10畳、Lが20畳、オーシャンビューのだだっ広いベランダがサイコーだった。

「木田商会」で新栄町の自宅のリフォーム材料を買いまくりました。ゴッキー対策でコーキング材、二重網戸、よしず、ペンキ、さび止め用ペンキ、土、アウトドアグッズ、テーブル、棚、等々。当時は自転車と50ccバイクだけで往復。楽しかったな~!

次のページ
島への移住が、あっさりときっぱりと

Page 2

島への移住が、あっさりときっぱりと。

1996年、愛理さんは、ある「神」じゃなくて、「紙」に出合います……バガス紙。
宮良直充さんが石垣島で紡ぎ出す、素晴らしい紙でした。
この方の工房を訪ねてみたい。強く思ったのです。

ちょうどその年、辺銀夫婦は南極、モンゴルを旅します。
東京生まれ、アメリカ育ちの愛理さんにとって、この旅は、
人生を大きく変える道しるべとなりました。
圧倒的な自然を前にした後、戻った東京で、
あまりにも人工的な都会暮らしに
ハテナマークが点滅し始めたのです。

紙と自然。
このふたつがメビウスの輪のようにからまり合い、1999年3月、夫婦で石垣島を訪ねることに。
といっても、2週間ほどの旅です。第一目的だった宮良さんの紙漉き工房に行ってみると、
紙漉きは休んでいて、再開したら教えてくれるとのこと。
このとき、それまで思いもしなかった「移住して時期を待つ」という考えが
愛理さんの頭をかすめます。でも、あくまで「ちらっと」。
ところが、滞在中に食事に行った郷土料理店「舟蔵の里」で、
「ちらっと」が「いいかも」に変わります。

その店は、海に面した広大な敷地に、開店の際に移築した古い家々が並ぶ、
まさに八重山のイメージそのもののお店でした。
ここで働けば、八重山の食や文化が学べそう。
ここで働けるなら、移住しようか。夫婦ふたりともそう思ったのです。

帰る間際には、特別の出会いが待っていました。
公設市場の露店のひとつ、「里子売店」。
八重山の野菜の力強いおいしさに目覚めさせてくれたばかりでなく、
この島に住めるかな、という問いに、「あなたたちなら住めるはずよ」と、
大きく背中を押してくれた人でもありました。

就職希望だった「舟蔵の里」は、愛理さんの熱い思いのこもった手紙のおかげで、
面接を受けることがかない、見事、ホールスタッフとして採用されます。
暁峰さんはホテルの中にある居酒屋「ひるぎ」で調理助手として働けることになりました。

「マルハ鮮魚」は最初に住んだ家の大屋さん大濱長弘ニーニーと初枝ネーネーのお店。マグロ船の船長さんであり、マンビカー(シーラ)やミーバイ、ミミジャー、アカマチ、ニーニーが狙えば何でも釣り。港に戻ればネーネーがさばき、あっという間にお刺身や天ぷらになる。

「大田民芸」。移住した当時、島で一番カッコイイバー「ブルーカフェ」をやっていた大田守明。今は自らデザインしたオリジナル沖縄Tシャツをメインに島産の雑貨を紹介している。BEGINの「うたの日」のロゴと公式Tシャツデザインなどを担当し、毎年新作を楽しみにしているファンが多い。イチオシは「台風Tシャツ」「珊瑚Tシャツ」。

通称「カメヤスーパー」元「カメヤショッパーズ・パル」(現カメヤンコート)は私たちの大恩人がいらっしゃるペンギン的聖地。石垣島に身寄りがなかった私たちが家を借りる際、保証人になってくださった。ほとんど見ず知らずの私たちの…。今考えても鳥肌が立つくらいありがたくて涙がこぼれそうです。

郷土料理「磯」。まだ観光客だった頃、「田舎味噌汁定食」を食べてはまった。女将、大濱ヨシ子さんのレシピを忠実に再現してる。宮良の米味噌をポタージュの様に作り、茹でた三枚肉、ゴボウ、キクラゲ、コンニャクなど具沢山。すりたてのおろし生姜を付けてくれるので、香りが良く、クーラーで冷えた体が芯から暖まる。

「やちむん館」はみっちゃんこと池原美智子ネーネーのお店。やちむんは焼き物=陶器のこと。1978年に開店して以来、沖縄の器と布、民具を日本中に紹介してきた。面倒見が良く、老若男女問わずみっちゃんを頼って集まってくる。

前出「やちむん館」のみっちゃんが古布をベースとしたオリジナル服「紗夢紗蘿(さむさら)」を1987年に始めた。白保にある自宅兼工房は民具の体験教室もやっている。常に新しいことにも挑戦してるみっちゃんから目が離せません!

次のページ
1年ぐらい住もうかな。だから荷物はトランク1つだけ

Page 3

そして、ペンギン夫婦の誕生。

潮が満ちるように、少しずつ、移住する準備が整ってきました。
そして、東京に帰って2か月後、1999年6月、ふたりは東京の家を引き払い、
石垣島新栄町の家に引っ越して来たのです。
1年ぐらい住もうかな、と思い立ってのことでした。
だから、荷物はトランク1つだけ。

だけど、ここに来るまでの道のりは、
初対面にもかかわらず、保証人になってくださった方を始め、
大勢の島の方たちに支えられてのことに他なりません。
もちろん、その後も同じです。

大家さんはマグロ船の船長であり、ご夫婦で「マルハ鮮魚」という
刺身屋(魚屋)を営む、島一番の働き者と評判のご夫婦で、
彼らの店子というだけで、島の人から信用されるほどでした。
この新栄町の家で、ラー油が生まれ、子供を授かることができたのです。

そろそろ、「ペンギン」への道をお話しなくてはなりません。
崔暁峰と箱根愛理。結婚後も別姓を名乗っていたのですが、
東京でも申し込んでいた帰化手続きを、石垣島でも始めました。
度重なる面接や、たくさんの申請書類を提出しながら、
待つこと3年。2002年、やっと帰化できることになったのです。

ところが、暁峰さんの名字「崔」という字は、
当時、日本の戸籍には使えないとのことで、
名字を考えて来てください、と言われます。

自分たちで名字を考えられるなんて……。
夫婦ともに大好きなペンギンを名字にしたらどうなのか。
まさかね。

でも、「辺銀」という字を当てて、提出してみたら、
あっさり受諾されてしまったのです。驚きの結果でした。
こうして、日本にただひと組のペンギン夫婦が誕生したのです。
次回は、いよいよラー油作りのお話に進んでいきます。

「ベスト電器石垣店」喜舎場社長ご夫婦。新栄町の自宅から一番近い電気屋さんがここだった。いつも忙しそうに外回りしている社長。それは奥さまがしっかりお店で接客しているから。電池ひとつ買いに行くのも楽しくなるベスト電器はあの当時の心のオアシス的存在だった。あと、最高に涼しかったし。住み着きたいくらいだった(笑)。

「でいご食堂」。海人率&島人率ド高めの大人気の食堂。夏は「冷やし中華」、冬は「タンメン」や「味噌ラーメン」。行ったら必ず「餃子」も頼む。妊婦ペンギンだった頃もよく通いました。だからうちの息子の思い出の味の店でもある。

バラビドー観光農園は私たちにとって島の植物学校。農園主の上間ニーニーにありとあらゆる質問をし、ご指導をたまわった。ヤマトからのゲストはほとんど連れていき、「これが八重山ヤシよ!あれがパンの木、マンゴーはこれ。」とニーニーの受け売りで威張ったもんです。

万世館で「崖の上のポニョ」「ダイハード4」「おくりびと」など観ました。2009年1月で閉まるまでお世話になりました。今年、万世館復活で「エンディングノート」を観ました。私たちの映画も上映してくれるとうれしいな~!

具志堅用高記念館は自宅から3分。移住してすぐから自宅の留守電に「ヨウコだけど電話ちょうだい!」というどう聞いても男性からのメッセージが続いた。組合の方からの間違い電話だと思ってもう一度冷静に聞いたら「ヨーコーだけど…。」光栄の極みな用高さんからの間違い電話だった(笑)。

movie information

ペンギン夫婦の映画
『ペンギン夫婦の作りかた』

流行語にもなった「食べるラー油」の原点「辺銀食堂の石垣島ラー油」。その誕生の背景にあったペンギン夫婦のきずなとふたりを取り巻く人々の優しい気持ちを描く物語。

辺銀暁峰さん・愛理さん夫妻の自伝本『ペンギン夫婦がつくった石垣島ラー油のはなし』を原案に、国際結婚カップルの帰化申請、食べるラー油の誕生エピソードを『八日目の蝉』『RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ』の小池栄子と台湾の人気俳優ワン・チュアンイーが演じる。

広くて美しい“空”と“海”、石垣島の健康で美味しい“料理”、そして“優しい気持ち”がたっぷり詰まった物語。“笑顔と満腹”が待っています。

DVD&ブルーレイ発売中、DVDレンタル中。

発売元:バップ

Web:公式サイト

book information

ペンギン夫婦の本

『ペンギン夫婦がつくった石垣島ラー油のはなし』

辺銀愛理著 1575円

http://magazineworld.jp/books/all/?gosu=1900

『石垣島ラー油と、おいしいペンギンごはん』

辺銀暁峰 辺銀愛理著 1365円

http://magazineworld.jp/books/all/?gosu=2091

映画『ペンギン夫婦の作り方』の原案となった本が『ペンギン夫婦がつくった石垣島ラー油のはなし』。「ラー油は餃子にかけるもの」という日本人の概念を変えたラー油誕生の秘密がわかります。また映画では描かれなかった夫婦の出会い、そして子ペンギン誕生のエピソードなども紹介されて、読めばますます“笑顔と満腹”に。その続編ともいえる本『石垣島ラー油と、おいしいペンギンごはん』はラー油を使ったレシピはもちろん夫婦が石垣島で出会ったヌチグスイ(命の薬)のおいしいレシピを紹介。あなたの食卓が、変わります!

profile

辺銀暁峰&愛理

辺銀暁峰

中国・西安生まれ。映画監督チャン・イーモウのもとでスチールカメラマンを務めた後、日本へ。この連載の写真も担当。

辺銀愛理

東京生まれ。米国育ち。食べ歩きの本を編集していた父の影響で、血統書付きの食いしん坊に育つ。二人は1993年に結婚し、1999年に石垣島へ移住。現在、石垣島ラー油を製造販売し、石垣島で『辺銀食堂』、那覇で『こぺんぎん食堂』を手掛ける。2010年には『ギャラリー&雑貨カフェ 石垣ペンギン』もオープン。この連載のキャプションも担当。

http://penshoku.com/

Feature  注目情報&特集記事「日本のクリエイティブ」

Recommend