〈 この連載・企画は… 〉
夫は中国・西安生まれ、妻は日本・東京生まれ。
そんなペンギン夫婦が、いま暮すのは沖縄・石垣島。
偶然訪ねた島で出会った人、モノ、風景に育まれふたりはあの「石垣島ラー油」を生み出し、
毎日多くのお客様を満腹&笑顔にする「辺銀食堂」を営んでいる。なぜ?どうやって?
夫婦がたどった石垣島のたくさんの風景とともにお届けする短期集中連載です!
writer
Michiko Watanabe
渡辺紀子(本文)
writer
Airi Pengin
辺銀愛理(キャプション)
photographer
Gyoho Pengin
辺銀暁峰
これから始まるのは、
遙か南の石垣島に住む、辺銀暁峰&愛理夫妻のお話。
辺銀と書いてペンギンと読む。何とコレ、立派な戸籍名なんです。
中国で出会ったふたりが遠距離恋愛の末、結ばれたのは1993年。
東京でスタートした新婚生活は、毎日、どちらが料理を作るかでもめるような、
何とも珍しい、幸せな形。お料理作りたがりやさん同士の結婚でした。
実はこのふたり、今をときめく、予約8か月待ちの「石垣島ラー油」の生みの親。
新婚当初から、ラー油はふたりの生活に欠かせないものでした。
夫の暁峰さんは中国・西安生まれ。なにしろ西安は、レストランではもちろん、
それぞれのおうちでラー油を手作りするような、中国屈指のラー油どころです。
当然、暁峰さんもラー油作りはお手のもの。
東京でもマイ( our ? )ラー油作りは続いていたのですが、
ある時、編集者だった愛理さんが、取材で訪ねた香港の特級調理師から、
ぽんと膝を打つ大ヒントをもらいます。
以来、試行錯誤を重ねる中、ふたりのラー油作りは革新的に成長し、
「ついに極めたぞ!」レベルまで到達するのです。
まだまだ、石垣島にたどりつきませんね。
ペンギン夫婦が見た石垣島百景
その1
Page 2
1996年、愛理さんは、ある「神」じゃなくて、「紙」に出合います……バガス紙。
宮良直充さんが石垣島で紡ぎ出す、素晴らしい紙でした。
この方の工房を訪ねてみたい。強く思ったのです。
ちょうどその年、辺銀夫婦は南極、モンゴルを旅します。
東京生まれ、アメリカ育ちの愛理さんにとって、この旅は、
人生を大きく変える道しるべとなりました。
圧倒的な自然を前にした後、戻った東京で、
あまりにも人工的な都会暮らしに
ハテナマークが点滅し始めたのです。
紙と自然。
このふたつがメビウスの輪のようにからまり合い、1999年3月、夫婦で石垣島を訪ねることに。
といっても、2週間ほどの旅です。第一目的だった宮良さんの紙漉き工房に行ってみると、
紙漉きは休んでいて、再開したら教えてくれるとのこと。
このとき、それまで思いもしなかった「移住して時期を待つ」という考えが
愛理さんの頭をかすめます。でも、あくまで「ちらっと」。
ところが、滞在中に食事に行った郷土料理店「舟蔵の里」で、
「ちらっと」が「いいかも」に変わります。
その店は、海に面した広大な敷地に、開店の際に移築した古い家々が並ぶ、
まさに八重山のイメージそのもののお店でした。
ここで働けば、八重山の食や文化が学べそう。
ここで働けるなら、移住しようか。夫婦ふたりともそう思ったのです。
帰る間際には、特別の出会いが待っていました。
公設市場の露店のひとつ、「里子売店」。
八重山の野菜の力強いおいしさに目覚めさせてくれたばかりでなく、
この島に住めるかな、という問いに、「あなたたちなら住めるはずよ」と、
大きく背中を押してくれた人でもありました。
就職希望だった「舟蔵の里」は、愛理さんの熱い思いのこもった手紙のおかげで、
面接を受けることがかない、見事、ホールスタッフとして採用されます。
暁峰さんはホテルの中にある居酒屋「ひるぎ」で調理助手として働けることになりました。
ペンギン夫婦が見た石垣島百景
その2
Page 3
潮が満ちるように、少しずつ、移住する準備が整ってきました。
そして、東京に帰って2か月後、1999年6月、ふたりは東京の家を引き払い、
石垣島新栄町の家に引っ越して来たのです。
1年ぐらい住もうかな、と思い立ってのことでした。
だから、荷物はトランク1つだけ。
だけど、ここに来るまでの道のりは、
初対面にもかかわらず、保証人になってくださった方を始め、
大勢の島の方たちに支えられてのことに他なりません。
もちろん、その後も同じです。
大家さんはマグロ船の船長であり、ご夫婦で「マルハ鮮魚」という
刺身屋(魚屋)を営む、島一番の働き者と評判のご夫婦で、
彼らの店子というだけで、島の人から信用されるほどでした。
この新栄町の家で、ラー油が生まれ、子供を授かることができたのです。
そろそろ、「ペンギン」への道をお話しなくてはなりません。
崔暁峰と箱根愛理。結婚後も別姓を名乗っていたのですが、
東京でも申し込んでいた帰化手続きを、石垣島でも始めました。
度重なる面接や、たくさんの申請書類を提出しながら、
待つこと3年。2002年、やっと帰化できることになったのです。
ところが、暁峰さんの名字「崔」という字は、
当時、日本の戸籍には使えないとのことで、
名字を考えて来てください、と言われます。
自分たちで名字を考えられるなんて……。
夫婦ともに大好きなペンギンを名字にしたらどうなのか。
まさかね。
でも、「辺銀」という字を当てて、提出してみたら、
あっさり受諾されてしまったのです。驚きの結果でした。
こうして、日本にただひと組のペンギン夫婦が誕生したのです。
次回は、いよいよラー油作りのお話に進んでいきます。
ペンギン夫婦が見た石垣島百景
その3
movie information
ペンギン夫婦の映画
『ペンギン夫婦の作りかた』
流行語にもなった「食べるラー油」の原点「辺銀食堂の石垣島ラー油」。その誕生の背景にあったペンギン夫婦のきずなとふたりを取り巻く人々の優しい気持ちを描く物語。
辺銀暁峰さん・愛理さん夫妻の自伝本『ペンギン夫婦がつくった石垣島ラー油のはなし』を原案に、国際結婚カップルの帰化申請、食べるラー油の誕生エピソードを『八日目の蝉』『RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ』の小池栄子と台湾の人気俳優ワン・チュアンイーが演じる。
広くて美しい“空”と“海”、石垣島の健康で美味しい“料理”、そして“優しい気持ち”がたっぷり詰まった物語。“笑顔と満腹”が待っています。
DVD&ブルーレイ発売中、DVDレンタル中。
発売元:バップ
Web:公式サイト
book information
ペンギン夫婦の本
『ペンギン夫婦がつくった石垣島ラー油のはなし』
辺銀愛理著 1575円
http://magazineworld.jp/books/all/?gosu=1900
『石垣島ラー油と、おいしいペンギンごはん』
辺銀暁峰 辺銀愛理著 1365円
http://magazineworld.jp/books/all/?gosu=2091
映画『ペンギン夫婦の作り方』の原案となった本が『ペンギン夫婦がつくった石垣島ラー油のはなし』。「ラー油は餃子にかけるもの」という日本人の概念を変えたラー油誕生の秘密がわかります。また映画では描かれなかった夫婦の出会い、そして子ペンギン誕生のエピソードなども紹介されて、読めばますます“笑顔と満腹”に。その続編ともいえる本『石垣島ラー油と、おいしいペンギンごはん』はラー油を使ったレシピはもちろん夫婦が石垣島で出会ったヌチグスイ(命の薬)のおいしいレシピを紹介。あなたの食卓が、変わります!
profile
辺銀暁峰&愛理
辺銀暁峰
中国・西安生まれ。映画監督チャン・イーモウのもとでスチールカメラマンを務めた後、日本へ。この連載の写真も担当。
辺銀愛理
東京生まれ。米国育ち。食べ歩きの本を編集していた父の影響で、血統書付きの食いしん坊に育つ。二人は1993年に結婚し、1999年に石垣島へ移住。現在、石垣島ラー油を製造販売し、石垣島で『辺銀食堂』、那覇で『こぺんぎん食堂』を手掛ける。2010年には『ギャラリー&雑貨カフェ 石垣ペンギン』もオープン。この連載のキャプションも担当。
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