連載
posted:2021.10.7 from:東京都墨田区 genre:食・グルメ
PR 宝酒造
〈 この連載・企画は… 〉 「和酒を楽しもうプロジェクト」シーズン4。舞台は東京都墨田区の「酎ハイ街道」へ。実はここは、知る人ぞ知る酎ハイの名店が揃う地域なのです。今宵も酎ハイを愛する人々が集う酒場を訪ねます。
writer profile
Daiji Iwase
岩瀬大二
いわせ・だいじ●国内外1,000人以上のインタビューを通して行きついたのは、「すべての人生がロードムーヴィーでロックアルバム」。現在、「お酒の向こう側の物語」「酒のある場での心地よいドラマ作り」「世の中をプロレス視点でおもしろくすること」にさらに深く傾倒中。シャンパーニュ専門WEBマガジン『シュワリスタ・ラウンジ』編集長。シャンパーニュ騎士団認定オフィシエ。「アカデミー・デュ・ヴァン」講師。日本ワイン専門WEBマガジン『vinetree MAGAZINE』企画・執筆
credit
撮影:黒川ひろみ
酎ハイ街道。
その名がつけられているのは、
東武伊勢崎線鐘ヶ淵駅と京成線八広駅を結ぶ、鐘ヶ淵通りを中心に広がる一帯。
そこにはなぜか酎ハイの名店が揃い、酎ハイを愛する人々が集まり、
歴史を重ね、酒場文化を育んできました。
今回はなぜここが聖地になり、愛され続けているのかを探ります。
もちろん、焼酎ハイボール片手に、ほろ酔いで。
案内人は居酒屋ライターの藤原法仁(のりひと)さん。
大衆酒場の聖地のひとつ葛飾は立石生まれ。
大衆酒場にまつわる著作や文化を広げる担い手であり、
なんといっても「酎ハイ街道」の名づけ親。
それでは酒場へ。
藤原さんがこの話にふさわしいと選んだ場所は、〈三祐酒場 八広店〉。
「焼酎ハイボールを生み出したと言われる店なんです」と藤原さん。
マスターの奥野木晋助さんによれば、
焼酎ハイボールの誕生は1951(昭和26)年。
まだ第二次世界大戦の痛みを心にも風景にも深く残しながら、
それでも、明るい明日へと踏み出そうとしていた頃。
「当時、本店を営んでいた元店主の叔父、奥野木祐治が進駐軍の駐屯地内で、
ウィスキーハイボールに出合って感銘を受け、
焼酎を使って店で出せないかと試行錯誤したのが始まりです」
当時の焼酎は、材料は粗悪、技術も設備も足りないという状況で、
それゆえのきついニオイもありました。
でも、このウィスキーハイボールのように炭酸で割れば、
飲みやすく、みなさんに喜んでもらえるのではないか。
「ウィスキーハイボールを意識したから、うちのは琥珀色なんです」
というマスターの言葉と、注がれた酎ハイの色を見ると、
単純な酒の足し算によって生まれたわけではなく、
戦後の東京という背景のなかで、
もっといいもの、もっと幸せなものを求めてきた人々の姿が浮かぶようです。
藤原さんが「早く飲みたいでしょう?」と誘ってくれます。
では遠慮なく、乾杯。
「うまいなぁ……」
藤原さんが幸せそうに目を細めます。
「バランスがいい。とにかく飽きないんですよ。
無理にフレーバーをつけて、焼酎が本来持つ魅力を封じ込めてしまうものがあるなかで、
こちらはバランスよく、焼酎の魅力も広げてくれます」
酎ハイと言えば炭酸も大切な要素。
“炭酸ソムリエ”として人気テレビ番組の出演歴もある藤原さん。
「こちらの炭酸はお店のサーバーで注入されますが、
これは導入当時の昭和30年代では画期的でした」
ほかの店ではコストなどの観点から導入が進まず、
それゆえ、“瓶入り”、“どぶづけ”といった方法が始まったとのこと。
氷も同様に、大きい、高いという理由から冷凍庫の導入が進まず、
そのため酎ハイ=氷なしのスタイルが生まれたというエピソードも。
三祐酒場は、冷凍庫を導入し氷入りを提供。
「氷が入っていても最後までバランスが崩れず、最後までおいしく飲める。
これも三祐酒場さんの酎ハイの魅力です」
自前の炭酸サーバー、冷凍庫、琥珀色、最後まで続くうまさ。
進駐軍の駐屯地で出合った感動を伝えたい。代用品、安価なだけの酒ではないのです。
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そろそろ肴を選びましょう。
藤原さんにおすすめを聞くと、
「実はいつもおまかせ。いつ来ても新しい出合いがある。
それが三祐酒場さんを好きな理由でもあるんです」
確かに多彩な品々。いつも一緒ではもったいない。
では、マスターが「先代から受け継いだふたつの料理」という
「にこみ」と「串カツ」という2大定番に、柔らかな身の「ニシンのマリネ」、
「今日は、ビーフシチューもありますよ」というマスターのひと言にのって洋の世界も。
「多彩だけではなく、ちゃんと手がかけられている。ポン酢まで手づくり」と藤原さん。
確かにどれもいろいろな技術や手間が垣間見えます。
ビーフシチューのトロっとした肉の味わいは
中華の豚肉料理であるトンポーロー(角煮)の技術、
ワインビネガーで洋のさわやかさをまとったニシンは、
つまみ、肴、というよりも「料理」がしっくりきます。
実は、マスターは料理人として外資のリゾートホテルに勤め、
タヒチなど海外での経験があります。
「厨房には洋も中華もいろんな料理人がいて、自然に身についた感じですね」
この多彩な料理が、1杯の酎ハイでまとまっていくのがおもしろい。
まず、ひと口目のさわやかなキックにはマリネ、
続いてキレの良さと串カツ、
もう少し進んで焼酎のうまみを感じたところでにこみ……
アッという間に杯が乾きます。
藤原さんがいう「バランス」「飽きさせない」という言葉を実感できます。
藤原さんがスマホを取り出し、
昭和のこのエリアの風景を切り取った画像を見せてくれます。
活気あふれる労働のまち、下町のふだんのくらし、
そして、モノクロームの画像に残された色町。
「なぜ酎ハイ、大衆酒場がこの地に根づいたのか?
それは戦後の産業を支えたまちがあって、
それを支えた労働者のまち、色町や娯楽の場所があって、
その人たちの元気や癒しを大衆酒場が担ったのです」
「金の卵」と呼ばれ夢を求めて上京してきた若者、
戦後の復興に向けてがむしゃらに働いた職人たちが、
多く住んでいたこの地だからこその物語。
マスターも頷き、話を継ぎます。
「当時の下町は、親父たちは外で、お母さんたちは家で、
みんな一生懸命働いていた時代です。
で、親父は夕方には家に帰ってくるんだけど、
お母さんたちはまだ働いているから家に居られても邪魔(笑)。
それで仕方なく小遣いを渡して出ていってもらって
親父たちは銭湯に行くついでに酒場で引っ掛ける。
すると、酒場が社交場になったんですね。
いろいろな人が集まって情報交換もある。
それで頃合いのいい時間にすっと家に帰ってごはんを食べる」
いろいろなところから集まった人たちの社交場。
隅田川と荒川に囲まれ、豊かな産業と労働力に
娯楽や文化も根づき、ここにいれば何でもあるという幸せのなか、
ある種ガラパゴス的に昭和を残してきたこのエリア。
でも、その発展は、ほかのエリアからの文化を受け入れ、
工夫し、融合し、この地ならではのものにしてきた歴史。
三祐酒場の焼酎ハイボールは、まさにその象徴。
藤原さんは何杯目かを飲み干すとしみじみと言いました。
「いい素材がなくても、地元のものがなくても、
いいものを取り入れて飲む工夫があった。それが東京の下町スタイル。
酎ハイはまさに東京の下町が生んだ、“ならでは“の酒ですよ」
酎ハイ街道。
そうか、街道の宿場町もそうだった。
そのまちが持つもともとの文化があって、
いろいろな人が行き交い、新たな風を吹き込み、
それを取り入れて、その文化の魅力が増していく。
あなたの愛する酒と酒場にも
きっと理由や、背景があるのでしょう。
その1杯の向こう側を知れば、その1杯はもっとうまくなる。
酎ハイ街道の名店たちはそれを教えてくれました。
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ガツンときて、ウマい! も実感。飲みごたえも存分。それが下町スタイル。
東京・下町生まれの元祖チューハイ(焼酎ハイボール)の味わいを追求。
キレ味と爽快感、ガツンとくる喜びを強炭酸、甘味料ゼロのテイストで、
うまみと飲みごたえは、宝ならではの焼酎と、7%という絶妙なアルコール度数で。
下町の大衆酒場で愛されるスタイルだからいろいろな肴にぴったり。
糖質ゼロ、プリン体ゼロもうれしい一缶です。
information
三祐酒場 八広店
住所:東京都墨田区八広2-2-12
TEL:03-3610-0793
営業時間:新型コロナウイルス感染症予防対策に伴い随時変更。最新情報は、店舗に問い合わせください。
定休日:不定休
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