連載
posted:2014.6.6 from:岡山県真庭市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
町の本屋を巡る現状は厳しい。いま、町に本屋をつくるとしたらどうなるのか――。
本づくりに携わるライターが、本をつくるように本屋をつくることを目指す、ささやかな試みの記録。
writer's profile
Masatsugu Kayahara
萱原正嗣
かやはら・まさつぐ●フリーライター。主に本づくりやインタビュー記事を手掛ける。1976年大阪に生まれ神奈川に育つも、東京的なるものに馴染めず京都で大学生活を送る。新卒で入社した通信企業を1年3か月で辞め、アメリカもコンピュータも好きではないのに、なぜかアメリカのコンピュータメーカーに転職。「会社員」たろうと7年近く頑張るも限界を感じ、 直後にリーマン・ショックが訪れるとも知らず2008年春に退社。路頭に迷いかけた末にライターとして歩み始め、幸運な出会いに恵まれ、今日までどうにか生き抜く。
credit
main photo:山口徹花
勝山で本屋を開こう――。
そう思い立つと、ある人の顔が僕の脳裏に鮮やかに浮かんできた。
いや、あの人との出会いがあったからこそ、
「いつか本屋になりたい」という思いを、今日まで温め続けることができたのかもしれない。
その人は、夏葉社という出版社を営む島田潤一郎さん。
2009年9月、たったひとりで夏葉社を立ち上げ、
5年近くのあいだに11冊の本を世に送り出してきた。
昨年7月には、日本各地の町の本屋を紹介する『本屋図鑑』を刊行し、
本好き、本屋好きのあいだで話題を集めた(本連載のイメージ画像を飾る本でもある)。
僕が島田さんに会ったのは、2011年はじめの取材でのことだ。
その時点で、夏葉社からは2冊の本が刊行されていた。
一作目の『レンブラントの帽子』(バーナード・ママラッド著、2010年5月刊)と
二作目の『昔日の客』(関口良雄著、2010年10月刊)、
いずれも30~40年ほど前に出版されたものの絶版となり、
古書店でなければ手に入らない本を復刊したものだ。
「出版不況」が叫ばれる昨今、ひとりで出版社を始めること自体が稀有なことなのに、
けっして広く知られているわけではない絶版本を復刊したことも、
大きな驚きを持って受け止められ、各種メディアで取り上げられて話題を呼んだ。
島田さんを訪ねるまで、たったひとりで出版社を立ち上げた島田さんを、
威風堂々と自信に満ちた人だと、僕は勝手に想像していた。
ところが、実際に会ってみた島田さんは、拍子抜けするほど控え目な物腰で、
話すときと言えば、はにかみながら訥々(とつとつ)と、
頼りなげにすら聞こえる声で言葉をつなぐ。
そのとき、自分の浅慮に気づいてひとり恥じた。
本は人をあらわすとも言うけれど、
わざわざ出版社を立ち上げてまでつくった本ならばなおさらだ。
この2冊の本が、島田さんという人を何よりも表しているに違いない。
心に沁みる文学をこよなく愛する繊細な人なのだと思いを改めた。
ところが、挨拶をひと通り終え、取材を進めると、
島田さんは、物柔らかな仕草や口ぶりからは想像もつかない荒ぶる魂を見せ始める。
自身が語ってくれた自身の半生をかいつまんでまとめると、およそこんな流れになる。
大学に入った18歳の夏、にわかに浮き世に嫌気が差し、
カミソリで頭を剃り上げる「出家未遂事件」を起こすと、
それ以来、生きるよすがを求めて文学の世界にのめり込み、
アルバイトをしながら小説家を目指す20代を送る。
(その間、大失恋と傷心のアフリカひとり旅も経験するおまけつきだ)
20代も終わりを迎え、ようやく仕事に就いたと思っても長続きしない。
いくつかの会社を転々とし、33歳になった2009年春には、
転職先も決めずに会社を辞めてしまう。
そこに待っていたのが、リーマン・ショック(2008年9月)後の大不況。
一風変わった経歴もあいまって、転職活動は50社にエントリーするもあえなく全滅。
再就職を諦めた島田さんが選んだのが、自分で出版社を立ち上げるという道だ。
それまで1冊も本をつくったことがないのに、
はたから見れば無謀としか思えない挑戦に打って出た。
この、繊細さの裏返しとも言える危なっかしいまでの思い切りのよさは、
会社を辞め、ライターとしての人生を歩み始めたばかりの僕の目に、燦然と輝いて見えた。
「やりたい」と「やる」では雲泥の差があると言うけれど、
やる人は、やると決めたら、四の五の言わずにやりきるのだと思い知らされた。
奇しくも、島田さんは僕と同い年。鬱屈を抱えた20代を過ごし、
三十路を超えて新たな人生を歩み始めたところも僕と似ているような気がした。
(島田さんほど激しい人生を送ったわけではないけれど……)
僕もいつか島田さんのように、心に決めたことに果敢に挑戦できる男になりたいと、
取材のかたわら、自分の目標とすべき人と出会えた喜びで胸を熱くしていた。
その島田さんが、インタビューの最中にこんなことを口にした。
夏葉社は出版社ですが、まちのパン屋さんみたいな商売の形を目指したいと思っています。
お客さんの顔が見えて、顔馴染みがいて、それでいてすべての人に開かれていて、
誰でも気軽に立ち寄れる。そういう出版社でありたいと思っています。
いい本をつくるのはもちろんですが、本を売ることも、
書店さんや読者の顔を見ながら、丁寧に取り組んでいきたいと思っています。
(「夏葉社は、まちのパン屋さんのような出版社を目指しています」より引用
この言葉が、なぜか僕の耳にこびりついて離れなかった。
しかも、島田さんの言葉は僕の脳内で微妙に変換され、
「出版社」の部分が「本屋」に置き換わって記憶に定着した。
インタビューを終えてからというもの、
「町のパン屋のような本屋」とはどんなだろうかと、しきりに空想するようになった。
ちょうどそのころ、本と本屋の歴史が気になって、その手の本を読んでいた。
『江戸の本屋さん』(今田洋三著、平凡社ライブラリー)、
『江戸の本屋と本づくり』(橋口侯之介著、平凡社ライブラリー)といった本だ。
これらの本によれば、日本の商業出版の始まりは、江戸時代にまで遡ることができるという。
何百年も前の人たちが、本をつくり届けることに情熱を注いでいたと知って嬉しくなり、
現代の出版のあり方との違いや共通点も見えて勉強にもなった。
なかでも僕の心に強く残ったのが、当時の「本屋」のあり方だった。
いまの出版業界は、本をつくる出版社と、本を読者に届ける書店、
両者をつなぐ流通業者としての取次(とりつぎ)が、それぞれ別個の組織として存在する。
それが本の世界の「当たり前」だと思っていたけれど、江戸時代はそうではなかった。
当時、「本屋」と言えば、これらのすべての機能を担うのが通例だった。
「本屋」は、本を「つくる」ことと「届ける」ことの両方を手掛け、
自分たちがつくった本だけでなく、他の「本屋」からも本を仕入れて販売する。
新刊書も古書も等しく扱い、ときには本を貸し出す貸本業を兼ねることもあった。
いわば、本にまつわる「すべて」を「本屋」が一手に引き受けていた。
喜多川歌麿や東洲斎写楽を世に送り出し、
江戸の出版プロデューサーとして名高い蔦屋重三郎も、自前の店を持つ「本屋」だった。
(書店事業に力を入れる「TSUTAYA」は、その名を蔦屋重三郎にあやかっている)
ここで余談をひとつ付け加えると、本屋が薬屋を兼ねることも多かったというから面白い。
本屋の複合業態化は、いまに始まったことではないのだ。
本をつくっていると、自分で本を届けたくもなる。
本に携わるひとりとして、自分が本の「すべて」に関わることができたら楽しいだろうなと、
江戸の「本屋」を羨ましく感じていた。
前回紹介した「パン屋タルマーリー」さんと出会ったのは、そういうタイミングだった。
「町のパン屋のような本屋」に思いを巡らし、
本をつくって届ける江戸の「本屋」を羨望していたら、
パンをつくって届ける現実のパン屋さんとのご縁ができた。
それも、ただ知り合ったという次元ではない。「パン屋の本」をつくることになったのだ。
この辺から、僕の思いはぐちゃぐちゃに入り交じる。
いつか「町のパン屋のような本屋」になりたいという思いが、
心のなかで少しずつ、そして確実に大きくなっていった。
タルマーリーさんの本をつくる過程で、タルマーリーさんから教わったことは数知れない。
そのすべてをここで言い尽くすことはできないけれど、
(面と向かっては恥ずかしくて言えないけれど、じつは人生の師匠だとさえ思っている)
自分の手で何かをつくり、それを自分の手で届けることは、
働く大きな喜びであることをはっきりと気づかせてくれた。
自分でつくったものを自分で届けたくなるのは自然な心の動きだし、
届ける責任を負うからこそ、つくることに真剣に向き合うことができる。
パンと本では、仕事のやり方も扱うものの性質もまったく異なるけれど、
本でもパンと同じようなことができないだろうかと、妄想が頭をよぎる。
いまの時代に、「つくる」ことと「届ける」ことを両方手掛けることはできないだろうか。
江戸の「本屋」と同じように、本の「すべて」を引き受けるような、
そういう「本屋」になれないだろうかと思いが膨らむ。
夏葉社の島田さんと出会い、タルマーリーさんと出会ったことが、
僕の「本屋」への思いを静かに育むことになったのだ。
ほかにも思い浮かぶことはいろいろある。
町の奥行きが浮かび上がるような本屋とか、
もっと単純に、人と本が出会える場所をつくりたいという思いもある。
とくに、子どもに対してそういう場をつくりたいと強く思う。
何をどこまでできるかは、正直やってみないとわからない。
ただ、ひとつだけ確かなことがある。
それは、僕には本を「届ける」現場での経験が、決定的に欠けているということだ。
本をつくったこともなく、いきなりひとりで出版社を立ち上げた島田さんに、
「無謀ですね」とからかわれる。でも、いったいどちらが無謀なのだろう――。
それに対して、「新参者」だからこそ挑めることがある、
などと言うのは、単なる強がりでしかない。
心の内では、そんな状態で「本屋になる」と公言してしまったことへの怖さと、
ある種の申し訳なさのようなものが渦巻いている。
どうにかして、現場経験のなさを補う術はないものかと気持ちばかりが焦る。
すると幸い、島田さんが町の本屋のあり方を考える活動を始めるという。
その名も、「町には本屋さんが必要です会議」(通称:町本会)。
各地の町の本屋を訪ね、町の本屋の現状を聞き、
集まった人たちでこれからの本屋について議論を重ねる。
そこで得られたなにがしかを、『本屋会議(仮)』なる一冊の本に編み上げるのだそうだ。
僕にとっては、他ならぬ島田さんが取り組む活動だ。
島田さんが訪ねる町の本屋のいまを見てみたい。
本を「届ける」現場にいる人の声を聞いてみたい。
『本屋図鑑』以降の、島田さんの本屋への思いも探ってみたい。
もちろん、自分が気になる本屋にも足を運ぶ。
これは、本屋をつくるための取材の旅だ。
つくるべき本のかたちが、取材を積み上げた末に見えてくるように、
僕が目指すべき本屋の姿を、取材を重ねて浮かび上がらせていきたい。
その過程で、現場経験のない僕がやるべきこともはっきり見えてくるはずだ。
島田さんを追いかけて、僕が最初に向かったのは瀬戸内海に浮かぶ小豆島(香川県)。
ただし、島田さんが訪ねたのは、正確には本屋ではない。
小豆島で出版レーベル「サウダージ・ブックス」を展開する淺野卓夫さん。
文化人類学から本の世界に足を踏み入れた淺野さんは、人類史を俯瞰して本を語る言葉を持つ。
本のつくり手として、僕もかねてから気になっていた人だ。
島で本をつくる淺野さんは、いま、本と本屋について何を語るのか――。
期待を胸に、高松港から、小豆島行きのフェリーに乗った。
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