連載
posted:2014.5.21 from:岡山県真庭市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
町の本屋を巡る現状は厳しい。いま、町に本屋をつくるとしたらどうなるのか――。
本づくりに携わるライターが、本をつくるように本屋をつくることを目指す、ささやかな試みの記録。
writer's profile
Masatsugu Kayahara
萱原正嗣
かやはら・まさつぐ●フリーライター。主に本づくりやインタビュー記事を手掛ける。1976年大阪に生まれ神奈川に育つも、東京的なるものに馴染めず京都で大学生活を送る。新卒で入社した通信企業を1年3か月で辞め、アメリカもコンピュータも好きではないのに、なぜかアメリカのコンピュータメーカーに転職。「会社員」たろうと7年近く頑張るも限界を感じ、 直後にリーマン・ショックが訪れるとも知らず2008年春に退社。路頭に迷いかけた末にライターとして歩み始め、幸運な出会いに恵まれ、今日までどうにか生き抜く。
credit
main photo:山口徹花
吾輩は本屋になる。名前はまだない。物件もなければ、本屋で働いたこともない。
しかも、手持ちの資金は200万ほど、潤沢な資本もない。
おまけに、本の世界はインターネットの影響で大きな変化に直面し、
本屋は町からどんどん姿を消している。
1999年に22,296店あった本屋は、
2013年には14,241店にまで減った(調査会社のアルメディア社調べ)。
数字を眺める限り、本屋は右肩下がりの斜陽産業、夢も希望もないように見える。
こんな「ないないづくし」の状態で、僕は「町の本屋」になろうと思い立った。
不安はどうしたってつきまとう。
それでも、交錯するさまざまな思いが、僕の気持ちを本屋へと向かわせる。
心のうちには、本屋という場所への確信にも似た思いがある。
一冊の本に力があるように、本が集まる場所にも大きな力があるはずだ。
本と本屋に助けられてきた実感を持つひとりとして、
そういう場所が、人の暮らしのすぐ近くに必要だと思うのだ。
僕は、人生ずいぶん遠回りをした挙げ句、
30代半ばで本づくりに携わるようになった(5年ほど前のことだ)。
まだまだ本づくりの何たるかもわかっていない「新参者」の分際ではあるけれど、
激変する本の世界に身を置いて、
自分の仕事と本の世界の「これから」が気になって仕方がない。
うまくは言えないけれど、その両方を考えるヒントが、
本を「つくる」ことと「届ける」ことを近づけることにあるような気がしている。
自分(たち)で本をつくって届けること――。
それが、本の原点であり未来であるような気がするのだ。
本を「つくる」ことと「届ける」ことの両方を視野に入れ、
本の世界に関わっていきたいという思いが、僕を「町の本屋」へと静かに駆り立てる。
勝算は、あるのかないのか、自分でもよく分からない。
本屋はもう商売として成り立たないという意見を目や耳にすることもある。
であるならば、無理して本の販売で収益をあげなくてもいいのではないかとも思う。
本以外のもので収支を合わせるという手もあるだろうし、ほかの方法だってあるかもしれない。
もちろん、商売として成り立たせる可能性は、全力で探っていきたいけれど……。
それがはたして「本屋」なのか――という疑問も確かにある。
ただ、「本屋」の存続が厳しくなっている(と言われる)いま、
「本屋」のあり方を見つめなおすことにも意味があるのではないだろうか。
それは、本の世界に足を踏み入れたばかりで背負うものの少ない、
「新参者」だからこそ挑めることのようにも思えてくる。
のっけから大風呂敷全開で、巨大な壁に体当りする小バエのようで滑稽でもあるけれど、
蝶の羽ばたきが遠隔地の天候を左右するという「バタフライ・エフェクト」なる言葉もある。
何事もやってみなければわかりはしない――と、
気を抜くと腰が引けそうになる自分にしっかりと言い聞かせる。
本屋を僕なりに見つめなおすにあたり、本をつくるように本屋をつくることを目指したい。
「ああでもない、こうでもない」と思索を巡らせ、取材をして筋書きをつくり、
書いてはボツにしてはまた筋書きを練り直す。
そんなふうにして、これからの「町の本屋」のひとつのかたちを浮かび上がらせてみたい。
これも、本を「つくる」ことと「届ける」ことを近づける僕なりのひとつのアプローチだ。
と、御託を並べてみたものの、
かねてから頭にあった本と本屋を巡るさまざまな思い(というより妄想)が、
具体的なかたちと質感を帯び始めたのには、ひとつのはっきりとしたきっかけがある。
それは、僕が魅せられた町に本屋がなかったことだ。
町の名は、岡山県真庭市勝山。鳥取県との境に近い山間の町だ。
岡山市からクルマで1時間強、電車ならローカル線を乗り継いで2~3時間はかかる。
人口8,000人弱、毎年100人ほど人口が減り続ける過疎の町だ。
商売を成り立たせるのが難しい場所であることは、商売に疎い僕でも察しがつく。
「ないないづくし」のスタートには、このマイナス要素も付け加えておかねばなるまい。
勝山とのご縁は、昨年秋に出版された一冊の本の制作に関わったことに始まる。その本とは、
勝山にある「パン屋タルマーリー」の店主・渡邉格(わたなべ・いたる)さんが出した
『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』(講談社)だ。
タルマーリーさんの取り組みは、コロカルでも紹介していただいた。
本をつくる過程で、勝山に何度か足を運んだ。
初めて勝山を訪ねたとき、なんだかとても懐かしい気分になった。
日に何本かしかない電車で駅(JR西日本の中国勝山駅)に降り立つと、
町を取り囲む山々が、静かに僕を出迎えてくれる。
山の向こうには青々とした空が広がり、
山の空気を目いっぱい吸いたくなって、思いっきり伸びをして深呼吸をする。
山間の町の平日の昼間に、はばかるほどの人目はない。
駅から歩くことおよそ5分、タルマーリーが店を構える通りに足を踏み入れると、
タイムスリップしたような感覚に襲われて思わず歩みを止める。
白壁と格子窓の昔ながらの日本家屋が立ち並び、
軒先にかかる色とりどりの暖簾が、静かに風をいなしている。
勝山は、古くから交通の要衝として栄えた地だ。
町には出雲(島根県)と姫路(兵庫県)をつなぐ出雲街道が通り、
古代には出雲の鉄を大和(奈良県)に運び、
中世には、隠岐島(島根県)へ流罪となった後鳥羽上皇や後醍醐天皇が通ったこともある。
江戸時代には、参勤交代や物資の輸送、出雲大社への参拝の道として賑わい、
城下町としての役割も担った。
タルマーリーが店を構える通りは当時の町人街、いまも町の人たちがそこで暮らしを営む。
大阪の外れで生まれ、神奈川で育った僕は、東京的なものにずっと馴染めずにいた。
東京の巨大さにちっぽけな自分が飲み込まれてしまうのではないかとビクつき、
次々と押し寄せる流行の波に戸惑い(大縄跳びにうまく入れないあの感覚に似ている)、
たまに大きな町に行くと、人やクルマ、目と耳に押し寄せる情報の多さにめまいを感じる。
そんな東京から離れたくて、首都圏の大学には目もくれず、みずから望んで京都に行った。
それからいろいろあって、東京での暮らしも経験し、育った神奈川に戻ってはきたものの、
「自分の場所ではない感覚」がつきまとって離れない。
座りの悪い椅子に我慢して座り続けているような、そんな落ち着かなさをずっと感じていた。
「ここが自分の居場所だ」と思える地は、世界のどこかにあるのだろうか――?
三十路を過ぎて思春期の少年のような青臭い悩みを抱える僕を、
初めて訪ねた勝山は温かく迎えてくれた。少なくとも、僕にはそう感じられた。
僕は、勝山に住む人たちにも魅せられた。
ここには、自分の手でものをつくり出す職人が多く住まう。
タルマーリーは、発酵の担い手である菌と向き合い素材を見つめ、
優しくも力強い味わいのパンをつくる。
その向かいでは、草木染めの職人・加納容子さんが「ひのき草木染織工房」を営む。
加納さんは、通りの軒先にかかる暖簾をすべて手がけ、
勝山の町づくりを語るうえでも欠かせない存在だ(過去にコロカルでも紹介されている)。
通りを少し歩けば、創業1804(文化元)年、
200年以上の歴史がある日本酒蔵元「辻本店」があり、
勝山伝統の竹細工に人生を賭ける、僕と同世代の平松幸夫さんもいる。
みな、地にしっかりと足をつけ、確かな実感を得られるものを自分の手で紡ぎ出している。
僕には、その姿がとてもたくましく、生きる力で満ち溢れているように見えた。
この町と、ここに住む人たちがいっぺんに好きになった。
本ができてからも勝山に何度か通い、やがて「ここに住みたい」と思うようになった。
幸い、仕事はさほど場所を選ばない。
取材をしたあと、書くときはどうせ家に引きこもる。
その場所が神奈川でも勝山でも、それほど大きな違いがあるとは思えない。
条件をいろいろ考えると、東京と勝山を行き来する
「2拠点」生活が成り立つような気がしてきた(神奈川に実家があるのも大きい)。
むしろ、自分にいい刺激を与えてくれる人たちのそばで日々を過ごすのは、
暮らしの面でも仕事の面でもプラスに働くようにも思えてくる。
東京(都会)と勝山(田舎)の両方の視点を持つことが、
本づくりに活きることだってあるはずだ。
そう、最初は「住む場所」と「本をつくる場所」の問題だったのだ。
移住を視野に入れ、何度か勝山に通ううち、ふとひとつの事実に気がついた。
この町には、本屋がない――。
勝山は、自然が豊かで、誇るべき歴史もあり、たくましく生きる人たちもいる。
それなのに、ここには本だけがない。本だけが、町からごっそり抜け落ちている。
「こんなに面白い町なのに、本と出会う場がないのはもったいない」
「ここに本屋があったら、町はもっと面白くなるだろうな……」
そんな思いが、頭をよぎる。
そうこうするうち、目の前の風景と、
かねてから抱いていた本と本屋への思いがひとつに結びついた。
そうだ、ここで自分が本屋をやればいいんじゃないか?
この場所で、本を「つくる」ことと「届ける」ことの両方を手掛けてみたい――。
ほのかに芽生えたその妄想を、タルマーリーさんに話し、加納さんに伝えると、
嬉しい答えが返ってきた。
「いいじゃないですか、やりましょうよ」とタルマーリーの渡邉さん。
「あらいいじゃない、やってやって」と加納さん。加納さんの息子さんも娘さんも、
そのとき初対面の僕に、「楽しみにしとるけんね」と温かい言葉をかけてくれる。
僕の心に芽生えた妄想は、町の人たちの期待も背負う目標になった。
というか、心のどこかでずっと本屋を始めるきっかけを探していた僕は、
勝手にそう思い込んだ。
僕は根が単純な人間だ。おだてられたり喜ばれたりすると、
ブタよりも木登りが下手くそなくせに(めちゃくちゃ不器用なのだ)、
尻尾を振って木に登ろうとしてしまう(ブタも嬉しいときは尻尾を振るらしい)。
それで案の定、何度も木から落ちる痛い目に遭うわけだけれど、
諦めが悪いというか状況を理解する力が乏しいというか、落ちたことにも気が付かず、
木の皮肌にしがみついて何とか登ろうとする。
この、要するに戦略なき気合い至上主義は、我ながら始末が悪い気もするけれど、
「一念岩をも徹す」と言えば格好がつくだろうか。
念力で岩を砕くように、なんとしてもやるしかない。
と、勇ましい言葉に頼るのは、ひとえに自分を奮い立たせるためだ。
内心けっこうビビってもいるけれど、とにかく、やってみなければ何も始まらない。
僕はこうして、勝山の町に本屋をつくるべく、
木登りには向かない爪をひとりせっせと研ぎ始めたのだった。
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