連載
posted:2014.6.11 from:岡山県倉敷市 genre:暮らしと移住
〈 この連載・企画は… 〉
コロカル伝説の連載と言われる『マチスタ・ラプソディー』の赤星豊が連載を再開。
地方都市で暮らすひとりの男が、日々営む暮らしの風景とその実感。
ローカルで生きることの、ささやかだけれど大切ななにかが見えてくる。
writer's profile
Yutaka Akahoshi
赤星 豊
あかほし・ゆたか●広島県福山市生まれ。現在、倉敷在住。アジアンビーハイブ代表。フリーマガジン『Krash japan』『風と海とジーンズ。』編集長。
朝に家を出るなり、「(保育園まで)歩いて行きたい」とチコリが言った。
車なら3分、徒歩ならたっぷり15分はかかる。
しかも、車ならそのまま児島の事務所に向かえるが、
徒歩だと一度歩いて家に戻らなければならない。
それでもぼくは「いいよ」と言って、
チコリとふたり、とぼとぼ歩いて保育園に向かった。
周囲の田んぼは田植えを直前に控え、たっぷり水がはられていた。
瀬戸大橋線の線路に沿って走る農道に人の姿はなく、チコリはずっと穏やかだった。
歩調はゆっくりのんびりで、蝶だったり用水のなかの魚だったり、
なにか目についたものがあればすぐに立ち止まる。
ぼくも遅刻を気にしないことにしたら気が楽になって、
一緒に歌を歌ったり、綿毛のついた野草の種子を見つけて飛ばしたり。
なかなかよい時間だった。チコリにとってもぼくにとっても。
毎日とはいかないだろうけど、
ときどきこうしてチコリと歩いて保育園に行くのもいいかなと思った。
最近、どうやって子どもと向き合うかを真剣に考えさせられるできごとがあった。
2週間ほど前のことだ。その夜の食卓でのチコリはまさに悪鬼のようだった。
椅子の上でふんぞりかえって、
片膝を立てたまま何度もフォークを食器にたたきつけたり、
突然ご飯をがつがつとかきこんだかと思うと今度は素手で食べようとしたり。
タカコさんがキツい調子でたしなめても、下からねめあげるようにして、
3歳児とはとても思えない反抗的な目を向ける。
そうかと思うと、突然つぶれたような声で笑いだして、
ぼくとタカコさんに交互に三白眼の目を向ける。
部屋の空気はすさみきって夕飯どころじゃなかった。
普段の振る舞いが決していいわけじゃない。というか、実は結構ひどい。
親の言うことはまず聞かない。やんちゃは度を大きく超えて、
やることなすことハチャメチャである。
でも、そんな振る舞いの根っこのところには
いつも底抜けの明るさやひょうきんさがあって、
だからぼくも始終尻拭いに追われながらも
「ホント、バカだなあ」と言いながら笑っていられる、そんな女の子なのだ。
ところが、どういうわけかその夜は本来の明るさがまったくなかった。
普段、滅多に叱ったりしないというのもあって、
ぼくが「さあ叱りますよ」的なモードに入ると部屋の空気がぴりっとした。
「チコリ、こっちに来なさい!」
毎度のことなのだが、ぼくが少々声を荒げたぐらいでは
そよとも揺らがないのがうちの娘である。
そのときもチコリはこっちを見ようともしなかった。
でも、彼女が座った椅子を力まかせに膝もとに引き寄せると、
いつもとは違うというのを悟ったらしい、まっすぐ視線をぼくに向けた。
しばし無言のにらみ合い。
次の瞬間、タカコさんはぼくの平手が飛ぶと思ったかもしれない。
まだ手らしい手をあげたことがないとはいえ、そうなってもなんら不思議はなかった。
まさにそんな場の空気だった。
しかしぼくがやったのは、その瞬間までぼく自身まったく思ってもいなかったことだった。
目の前のチコリをはしと抱きしめて、「ごめん」と謝ったのだった。
同日夕方のこと。いつもは元浜倉庫を午後5時に出て
早島町にある保育園にお迎えに行くのだが、
その日はタカコさんの焙煎所に遅い来客があり、
倉庫を出たときは5時を大きく回っていた。
雨が降っていたこともあって、あずかってもらえる定時の6時に間に合いそうになかった。
そこでアパートの階下に住んでいる隣人に電話して、
初めてチコリのお迎えをお願いした。
彼女の下の娘さんも同じ保育園に通っていて、
「ついでだから、忙しいときはお迎えに行きますよ」と何度か言われていたのだ。
タカコさんと一緒にまっすぐアパートに戻ると、
チコリたちもちょうど戻って来たばかりらしく、一階の玄関の前で鉢合わせした。
顔を見るなり、ぼくとタカコさんはチコリに「ごめん!」と謝った。
チコリはまったく普段通りで、動揺した様子もなく、
謝られているのがなんのことだかわからないという風だった。
もともと階下の子とは姉妹のように仲がいいし、
お母さんとも昔からの顔なじみだ。
初めてのことではあったけど、さほど気にすることはなかったようだった。
少なくとも、ぼくもタカコさんもそのときはそう思った。
チコリはしばらくぼくの腕のなかで身動きひとつしなかった。
彼女を抱きしめたままぼくはお迎えに行けなかったことをあらためて謝り、
「明日からはなるべく早く迎えに行くから」と約束した。
チコリは回した腕を離した後も、しばらくぼくの膝の上で甘えていた。
そこに悪鬼はもういなかった。チコリに本来の明るさが戻ったのがわかった。
世の中難しいことは山とあって、
ぼくも人並みにいろんな類の難しさを経験しているけれど、
そんないろいろのなかにあって子育てというのは最高に難しいものだとつくづく思う。
その夜はたまたま正解に近いゾーンにたどりつけたかもしれないが、
間違った対応をしていることの方が圧倒的に多いのだ。
普段ゆとりをもって対応できていないというのは理由のひとつだ。
朝は保育園へ連れて行く時間的なリミットがある。
夜は夜で「早く寝させないといけない」という強迫観念のような思いがあるから、
とにかく時間的な余裕がない。精神的にも余裕があるとは言えない。
目の前でやらかしていること、そのあまりのひどさに心の余裕を奪われるのである。
でも、時間と心に余裕がもてたとしても、
子どもの捉え方を間違うとなんにも意味がない。
最近よく感じるのは、子どもとして扱うべきでないときがままあるということ。
ついつい「子どもだから理解できない」という前提で対応していて、
言葉にしてちゃんと説明するとか、理解させようという努力を怠ってしまうのだ。
その夜のチコリの悪鬼のような振る舞いも、
もとは「子どもだから気にならなかった」と、
間違った捉え方をしてしまったがために起こったことだった。
子どもの理解力をなめちゃいけないのだ。
3歳とはいえ、チコリにはすでにぼくと同じか、
あるいはもっと複雑なレイヤーの構造があったりする。
そこのところは刺青を入れるかのごとく、頭の芯の部分に彫り込んでおきたい。
親として自分はどうなのかを考えて自己嫌悪に陥ることがある。
そこそこ自分はできるのではなんて思っていたんだけど、なんか全然ダメなのだ。
チコリのわがままや振る舞いのひどさを見るにつけ、自己採点は厳しくなる。
いまやぼくの点数は0点に限りなく近い。救いはチコリの明るさだ。
彼女が明るさを保てている間は、まあ10点ぐらいはやってもいいかなと。
でも、この10点は死守すべき点数であって、
チコリのあの火を消さないようにしてあげることがぼくの絶対の務めなのだ。
その務めの一環といっていい、
ひとを笑わせるのが大好きなチコリのためにふたりで漫才の練習を始めた。
舞台の袖から出て来るように、小さく手をたたきながら「どうもォ!」。
つづけざまに舞台の中央に立ったつもりで自己紹介。
と、まだここまでの入りの部分しかできていないのだが、
タカコさんのウケは存外にいい。
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