連載
posted:2015.5.9 from:鹿児島県大島郡龍郷町 genre:ものづくり
〈 この連載・企画は… 〉
生地をつくったり、染めたり、縫製したり。
日本には、地域ごとに、色とりどりの服飾のものづくりが存在しています。
土地の職人とデザイナーをつなげる、セコリ荘が考えるこれからの日本の服づくり。
writer profile
Shinya Miyaura
宮浦晋哉
ファッションキュレーター。1987年千葉県生まれ。London College of Fashion在学中に書いた論文をきっかけに、日本のものづくりの創出と発展を目指した「Secori Gallery」を始業。産地をまわりながら、職人とデザイナーのマッチング、書籍『Secori Book』の出版、展示会の企画、シンポジウムの企画、商品開発などに携わる。産地のハブを目指したコミュニティスペース兼ショールーム「セコリ荘」を運営。
http://secorisou.com/
繊維の仕事にたずさわる中で、
「泥染め」という言葉に何度か出会ってきたけれど、
生産現場を見たことがなく、その実態はずっとわからないままでした。
言葉の持つイメージが男心をくすぐるので
ゆるく、心に引っかかっていました。
そんなある日、綿織物の産地である兵庫県西脇市に取材で訪れた際に
島田製織株式会社で生地の企画を行う岡島修平さんに
泥染めのことを詳しくお聞きする機会に恵まれました。
岡島さんは、お会いするといつも優しく接してくれる
さわやかな笑顔のお兄さん的存在です。
岡島さんは鹿児島県の奄美大島で、
地元の「大島紬伝統指導センター」の研修生として
伝統工芸品である「大島紬」を学び、なんと、ご自身も泥染めをしていたというのです!
奄美大島について、大島紬について、泥染めについて、
初めて生きたお話を聞くことができました。
まず大島紬というのは、
手で紡いだ絹糸を泥染めして手織りされた絹布のことを呼び、
1300年前から続く日本最古の伝統染織と言われています。
また、ゴブラン織、ペルシャ絨毯と並ぶ世界三大織物のひとつとされています。
大島紬は30から40の工程を経て生地ができあがりますが、
数ある工程の中でも最大の特徴は、
世界でも奄美大島だけで行われているという天然の泥染めです。
「とにかく島が美しいです。
五感が大自然に囲まれる中で行われる緻密な手仕事と
リズミカルな染色風景に惹かれました。
そこから生まれる色に日本独特の温度を感じる」
と、岡島さんは話してくれました。
島に魅了された岡島さんは、
西脇で働くいまも定期的に島を訪れるそうです。
島の方々とは、一緒に地酒を飲んだり、風景を楽しんだり、
波乗りをしたり、島の楽しみ方はたくさんあるとのこと。
そんな話を聞いて、ますます泥染めにも奄美の文化にも興味がわきます。
そこで、岡島さんとも親交の深い、泥染工房「金井工芸」を訪ねることとなりました。
岡島さんから授かった奄美大島に関する資料を片手に
バニラエアが就航する7月(2014年のこと)まで待ち、
成田空港から奄美大島へ飛びました。
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奄美空港を出てからの湿気の高さに驚きながら、
空港近くでレンタカーを借りて、海沿いを30分ほど走らせると、
金井工芸の看板が案内してくれます。
山に囲まれた敷地で、工房の真ん中の煙突から白い煙がもくもくと立ち、
入り口ではチェンソーで木を切る職人さんが出迎えてくれました。
やさしい自然光が差し込む、落ち着いた雰囲気の工房です。
岡島さんからご紹介いただいた、金井志人さんがちょうど作業中でした。
工房の中に入ると見たこともないような巨大な釜と、
その中でふつふつとゆれている大量の木。
茶褐色の液体がいっぱいに入ったドラム缶やプールが並んでいました。
未知の風景の連続に、泥染についていろいろと予習してきたことを
ふっと忘れてしまう瞬間です。
生まれも育ちも奄美の金井さんですが、進学を機に上京して、
一度は都内で働いていたそうです。
しかし、生まれ育った大島紬の生産流通量が減っていくなか
自然から色を得ることに興味を持ち、
その美しい技術を産業として残したいという想いから、
25歳で奄美に戻り、家業の染色工房に入りました。
奄美の歴史に沿って、染色工程を案内してくれました。
まず、染色液のもととなる、
「車輪梅(しゃりんばい)」という植物を調達します。
島のあちこちに自生しているバラ科の植物で、
金井工芸の工房周辺にも生えています。
車輪梅は強い色素を持っていて、
自生力も強く、切ったあとも10年サイクルでまた伸びてくるそうです。
車輪梅の幹は大きいものだと、直径15cmほどあります。
さきほど、工房の入口で作業していた職人さんは
これをチェンソーで切っていたのです。
ある程度細かくカットしてから、
チップマシーンと呼ばれる機械に入れてチップ状にしていきます。
合計600kgのチップ状の車輪梅を一度に釜入れして、
これを2日間グツグツと煮出していきます。
煮出し中、工房の温度がグンとあがります。
煮出して染色液を出したあとの車輪梅にも役割があります。
一度乾燥させて、次の煮出しの燃料に使います。
さらに、燃え尽きて灰になった車輪梅は、
染色工程で藍建てやアルカリ液の灰汁に、島の陶芸作家が釉薬に、
また郷土菓子の灰汁巻きに使用されるそうです。
大きな円の中で、奄美大島のものづくりが
ゆっくりと循環しているのを感じます。
2日間、車輪梅のチップを煮出した染色液は、
3日間寝かせて、ようやく染められる状態となります。
染色台に移り、狙った色に向けて染色液を糸にもみ込んでいきます。
染める回数によって少しずつ色が濃くなるので、
自在に色の表情をつくることができます。
大島紬の深黒を出す場合は100回近く染め重ねるそうです。
次に、工房裏に移動して
車輪梅の色素を含んだ糸を天然の泥田に入れます。
大島紬の歴史とともに1300年続く泥染めを支えてきた泥田は
泥の粒子が細かく、
150万年前の古代層の影響で鉄分豊富な奄美特有の泥の質です。
繊維にしみ込んだ植物のタンニンが
泥田の中の鉄分と化学反応することによって糸の色が深みを増していきます。
この化学反応で色素が糸に定着します。
これがいわゆる“泥染め”と呼ばれる工程です。
植物が持つタンニンの量、泥が持つ鉄分の量、天候も相まって、
日ごとに条件が変化するので、職人の感覚が重要な工程です。
きめ細かくクリームのような質感の泥です。
また、蘇鉄(そてつ)と呼ばれる植物が島中に自生していて、
染めながら泥田の鉄分が足りないと感じると、
蘇鉄の葉を田んぼに入れるそうです。
これが字の通り、泥の鉄分を高く保つ蘇鉄の効力です。
泥染め後は、糸についた泥を落とすために渓流に入ります。
流れる川の中で泥が自然へと返っていきます。
これは昔から続く洗い方ですが、泥の粒子を綺麗に落とすのに
とても理にかなっています。
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「実は、小さい頃はこの川で遊んでいたんです。
もしこの川ではなくて水槽で糸についた泥を流すとなると、
かなりの水の量が必要になります。天候に左右されてしまいますが、
やっぱり川で洗うのがいいですね」と金井さん。
あっという間に泥が落ちて、グレーに染まった糸が見えました。
「うちは大島紬の黒をつくるための糸染め専門の工房でしたが、
最近はアパレル製品の泥染めや、泥染め体験も積極的に行っています。
いろんな地方で泥染めワークショップをすることもあります。
当初はこのように活動を広げることが
伝統的な大島紬の価値を落としてしまうのではという不安はありました。
しかし、伝統工芸はその魅力や技術を受け継ぎながらも、
時代時代のニーズに合わせて変化していくことが必要だと考えました」
金井さんは、奄美に戻って11年目となります。
「消費する感覚で衣類を買って着るのではなく、
どんな背景でつくられたのか、その文化や想いを知ることで
ひとつの衣類の愛着につながったり、
泥染めを通してものの価値観を広げていきたい」
伝統が長く深い奄美大島の泥染めを
現代のカタチに拓いていく金井さんの眼差しは優しくも力強かったです。
山、川、海。
島に自生する車輪梅と、鉄分を多く含む泥、それを支える蘇鉄と豊富な水。
身体も感覚も大自然に囲まれる中で、自然と共鳴しながら、
美しいものを追求して続いてきたものづくりなんだと実感しました。
ほんとうに景色が美しい島でした。
そして、ものづくりはやはり「人」。
作り手の想いは着る人まで届くはず、と沁沁思い奄美をあとにしました。
information
金井工芸
住所:鹿児島県大島郡龍郷町戸口2205-1
TEL:0997-62-3428
http://www.kanaikougei.com/
※泥染めの体験ワークショップは、前日までにメールにてご予約ください。
→somezomezakki@gmail.com
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