連載
posted:2014.5.1 from:愛知県一宮市 genre:ものづくり
〈 この連載・企画は… 〉
生地をつくったり、染めたり、縫製したり。
日本には、地域ごとに、色とりどりの服飾のものづくりが存在しています。
土地の職人とデザイナーをつなげる、セコリ荘が考えるこれからの日本の服づくり。
writer's profile
Shinya Miyaura
宮浦晋哉
ファッションキュレーター。1987年千葉県生まれ。London College of Fashion在学中に書いた論文をきっかけに、日本のものづくりの創出と発展を目指した「Secori Gallery」を始業。産地をまわりながら、職人とデザイナーのマッチング、書籍『Secori Book』の出版、展示会の企画、シンポジウムの企画、商品開発などに携わる。産地のハブを目指したコミュニティスペース兼ショールーム「セコリ荘」を運営。
愛知県一宮市周辺は、奈良時代から織物の産地として栄えた地域。
その一帯は尾州と呼ばれ、スーツやコートになる
国産のウール素材の約80%が生産されています。
国産のウール素材でつくられるスーツは限られたもののみ。
例えばオーダーメイドのスーツなどです。
今も入学や入社を記念にオーダースーツを仕立てる方も多いかと思いますが、
オーダーメイドでスーツを仕立てるのが主流だった昭和初期から
数々のテーラー職人たちに愛用されてきたのが「葛利(くずり)毛織」の素材です。
その絶大な評価は今も変わりません。
業界内から熱い注目を集める葛利毛織のものづくりの裏側を
のぞこうと工場を訪れてみました。
大正元年。木曽川町で、葛利毛織工業株式会社は創業しました。
先人のものづくりの技術を着実に受け継いできた同社は、
2012年に創業100周年を迎えました。
葛利毛織でつくられるのは、いわゆるウール素材の「生地」です。
主に羊の毛で生地を織るわけですが、
そんな葛利毛織のものづくりを支えるのが
昔と変わらずに使い続けている、
「ションヘル織機」と呼ばれる8台の低速織機です。
ションヘル織機とは1950年頃に国内で普及した国産の織機で、
生地を織るときに糸を左右に運ぶために「杼(ひ)」を用いることから
シャトル織機とも呼ばれています。
1980年頃に時代は「大量生産・低コスト」への転換期を迎え、
杼を使わず、空気や水の力で糸を高速で左右に飛ばす、
「革新織機」と呼ばれる高速織機が導入され始めました。
「ガチャマン時代」とも呼ばれ、消費者はとにかく多くの服を求め、
メーカーはそれに応えるかのように大量の衣料を生産していきました。
ちなみに、高速織機は1日に150m〜200mもの生地を織ることができるのに対し、
ションヘル織機は50mを織るのに3〜4日ほどかかります。
そこで、多くの工場は生産性の低いシャトル織機を廃棄していく一方、
葛利毛織はその道を選びませんでした。
「多くの機屋(はたや)が生産性をあげるため、高速織機を導入しました。
しかし、経糸(たていと)の張りがゆるく、
糸の形状に合わせて左右するシャトルで
やさしく織り上げるションヘル織機でないと、
素材の良さを生かした手織りに近い風合いが出せません。
昔ながらの丁寧なものづくりを続けるほかないと考えました」
と話してくれたのは、葛谷幸男社長。
生産量を重視すると、糸や設計が量産のための設定となり、
スーツに適した生地の柔らかさと伸縮性が消えてしまいます。
社長は、機屋のつくるウール素材が均一化していくことに危機を感じ、
独自のものづくりに磨きをかけることを選びました。
現在ではシャトル織機の台数も、それらを扱える職人の数も減っています。
ウールの風合いを最大限に生かせる織物技術は高く評価されています。
早速、工場を案内してもらいました。
ションヘル織機は繊維に無理な負荷を与えずに織り上げるのが特徴です。
ションヘル織機で織られていく様子を見ていると、
緯糸(よこいと)1本1本が空気をまとい、
生地に立体感を生み出していることがわかります。
この糸の膨らみが、スーツになった時に生きるハリを生み出します。
これはハイテク織機には出せない、ションヘル織機ならではの味です。
部品のひとつひとつがまるで職人の手のように、与えられた役割をこなしていきます。
手織り機の構造に近いションヘル織機は、
職人による多くの手作業が入ります。
そもそも、織機を動かす前にまず4日かかります。
織るための糸を織機にかけ、
それらを1本1本調整していきます。
その糸数が生地の密度によって異なるそうですが、
多いときで、10000本以上!
僕ならあきらめてしまいそうなくらい、
気が遠くなりそうな作業です。
そこには正確かつスピーディーな作業が必要となるので、
熟練の技術が必要となります。
これらの工程にはマニュアルはなく、
素材と機械と対話しながら得た、
職人の勘のみがわかる機械操作となります。
それは、昨日今日ではなし得ない技術。
葛利毛織では、それらを大切に、丁寧に受け継いできました。
「ションヘル織機はローテクな機械なので、
糸の状態に合わせて織機の微調整ができます。
使い込むほどに素材の良さを生かしたものづくりが可能になります。
例えば、糸が通る部分は、使い込むと糸の接触面がなめらかになり、
繊細な糸をかけても糸を傷つけることなく織ることができるようになります。
現在弊社で扱っているような繊細なウール素材の糸をかけられるようになるには、
数年かかります。ションヘル織機にこだわり続けたからこそ、
繊細な糸でも扱える技術が確立できたとも言えます」
と話すのは、専務取締役の葛谷 聰さん。
部品が壊れたときは、安易に新しいものに取り替えないで
産地内の鍛冶屋さんに修理に来てもらい、
メンテナンスしながらションヘル織機を使い続けてきました。
羊毛は刈り取る時期や気候によって、糸の太さや品質が変わってきます。
その時々の糸の質に合わせて、8台のションヘル織機の中から、
最適なものを選び、微妙な調整までできます。
だから、葛利毛織はローテクでありながらも、
最先端のものづくりとも言えます。
ふっくらとした生地から細番手の高密度まで、
さまざまな生地を生産しているのも葛利毛織の魅力です。
ウールはもともと繊維に油分を多く含むので、
それを超高度密度に織った葛利毛織の生地は、
撥水加工がなくても多少の雨なら弾くそうです。
この生地の張りを眺めていると、雨の多い英国で、
多くのテーラーたちが傘をささずに歩く姿が浮かんできます。
本物を愛する国内テーラーや、
海外の有名メゾンから注目を集める葛利毛織のものづくり。
彼らが仕上げた生地を使って、
一流のテーラーによって仕立てられた本物のスーツは、
世代を超えて着継がれていけるほど丈夫なものです。
たとえスーツ一着でも、親から子へ、子から孫へ仕立て直され、
着継がれていくものなのです。
つくる側、使う側ともに、価格のモノサシだけでなく、
本物のものづくりと、その価値に向き合うときなのかもしれません。
葛利毛織をあとにして、愛知県と岐阜県の間に流れる、
木曽川沿いを歩いてみました。
豊富な水は、染色加工用など繊維産地の発展には欠かせないので、
各産地には、大きな川が流れているものです。
大量生産型では成立し得ない葛利毛織のような、
時を経ても変わらない地域に根ざしたものづくりが
今後、孫の代まで大切に受け継がれていってほしいなぁと思います。
information
セコリ荘
住所 東京都中央区月島4-5-14
電話 080-5378-0847
http://secorisou.blogspot.jp/
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