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writer profile
Haruna Sato
佐藤春菜
さとう・はるな●北海道出身。国内外の旅行ガイドブックを編集する都内出版社での勤務を経て、2017年より夫の仕事で拠点を東北に移し、フリーランスに。編集・執筆・アテンドなどを行なう。暮らしを豊かにしてくれる、旅やものづくりについて勉強の日々です。
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撮影:安彦幸枝
岩手県・二戸に、昔ながらの木炭でせんべいを焼く〈藤原煎餅店〉があります。
金田一温泉郷のすぐそばで店を営むのは、藤原秀俊さん・恵子さん夫婦。
昭和37年に店を始めた秀俊さんの両親から引き継いだ焼き機で、
毎日500~600枚の「南部せんべい」を焼いています。
太平洋沿岸に吹く冷たく湿った東寄りの風「やませ」の影響で、
稲作に不向きだったこの地域では、
古くから小麦粉を原料とする「南部せんべい」が
ごはんやおやつ代わりとして親しまれてきました。
店を訪れたのは午後。せんべいを焼き終え、選別・梱包しているところでした。
ガス焼きと違い、木炭焼きは一度火を起こすと止められないため、
午前中いっぱい、火が消えるまでせんべいを焼き続けます。
型を回さないと焦げてしまうため、
秀俊さんが焼き機につきっきりで回し、
その横で生地をつくって秀俊さんに渡すのが恵子さんの役目。
「生地をつくる人と焼く人、ふたりいないとできないんです」と秀俊さん。
毎朝1時間かけて(冬は寒いからもう少し時間がかかるそう)火を起こします。
「炭は生き物。火が強くなったり、弱くなったりもするの。
ガスのように温度が一定でないから、せんべいも、ひとつとして同じものがないんです」
生地の状態も、天気や気温、湿度で変わるため、
水の量を変えたり、冷やしたりして調整するそう。
「その日の焼き機のあたたまり具合でも生地の大きさを変えます。
温度が強ければ、小さくしないと膨れすぎちゃうので、
『今日は少し小さめで』と(秀俊さんから)言われると、その通りにつくるんです」
と恵子さん。
「ふたりいないとできない」、夫婦二人三脚のせんべいづくりです。
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10年前まで東京で働き、店を継ぐことはまったく考えていなかった秀俊さん。
お父様が病気を患っていたこともあり、
お母様は、「(夫が)亡くなったら、息子のところに行くつもりなんだ」
と周囲にも話していたそう。
ところが、10年前にお母様が急逝します。
「お母さんがいなくなっちゃったんだけど、
お父さんが『おせんべいまたやりたい』って言ったんだよね。
ふたりいないと焼けないから、じゃあちょっとお手伝いしようかってはじめて。
3か月くらいかな、お父さんが亡くなるまで親子でせんべいを焼けたんだよね」
その後も「まさか自分たちが焼き続けると思っていなかったんだけど」、
「今年の暮れに帰ってきてちょうど10年」
「先代と同じようには焼けていないけど、周りのみなさんにかわいがっていただいて」
と、店を守り続けています。
諸説ありますが、南部せんべいは南北朝時代が起源の説が有名。
南朝の長慶天皇一行が南部地方を訪れた際、
山里で日暮れになり空腹に困ったところ、
家臣の赤松助左衛門が近くの農家からそば粉とゴマを手に入れ、
自らの兜を鍋にして粉を捏ね、せんべいを焼いたのだといわれています。
これを天皇が気に入り、度々つくらせるようになったのがはじまりだとか。
二戸では、昔は各家庭に焼き型があり、
祝い事の際はせんべいの上に赤飯を乗せ近所に振舞い、
葬式の際はせんべい山を供えるといった習慣もあったそう。
今でも鍋の具材にするせんべい汁や、
農作業の合間のおやつとして食べられる身近な食材です。
藤原煎餅店のせんべいの原料は、小麦粉・ごま・塩・重曹のみ。
小麦粉は、香り豊かで粉自体に甘みがある岩手県産の南部小麦100%、
炭は、二戸の名峰・折爪岳の麓で焼いているものを使うなど、
地元素材を生かしてつくられているのも魅力です。
(二戸の土地の特徴は、こちらで詳しく紹介しています)
南部小麦の甘み、炭火ならではの香ばしさとサクサクとした食感に、
藤原さん夫婦の人柄もふくまれたやさしい味のおせんべい。
二戸に出かけたら、ぜひ訪れてみてください。
information
藤原煎餅店
住所:岩手県二戸市金田一字八ツ長64
電話番号:0195-27-3847
営業時間:7:00〜19:00
定休日:不定休 ※事前にお電話を
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